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​▲1996年世界平和家庭連合創設世界大会、真のお母様講演文(鮮鶴歴史編纂苑・博物館)​


世界指導者会議での御言



1996年8月2日
ワシントンDC

 七月三十日から八月一日まで、「世界平和家庭連合」の創設世界会議がワシントンDCで開催され、翌二日、全世界のNLに、七時間にわたり日本語で語られた。


   蕩減原則によって処理しなければならない

 昨日の大会は何の大会でしたか。(「世界平和家庭連合創設大会です」)。世界平和? (「家庭連合」)。家庭連合。何が中心になりますか。世界が中心になりますか、平和が中心になりますか、家庭が中心になりますか。(「家庭です」)。家庭! なぜでしょうか。摂理の観点から、それがなぜなのかをはっきり知らなければなりません。家庭完成は、世界を代表して完成する基準になっているのです。歴史、堕落世界の総決算をして、新しい基盤に戻ってくるのです。

 アダムの家庭から出発して、逆になった家庭が、氏族、民族、国家、世界というふうに、人類が何千万年、六千年ではなく何千万年の歴史を拡大、繁殖してきたのです。サタン圏に包容された人類全体を、いかに蕩減するか。帰ってくるには、ただで帰ってくることはできません。蕩減復帰路程を費やして、元に戻すのです。

 完全にサタン世界になってしまったのです。個人から家庭から世界全体に拡大しました。そこには、霊界までも入っています。神の理想圏の出発期に、完全にゼロになってしまったのだから、地上天国もできなければ、天上天国も帰着することができません。サタン全権世界になってしまったというのです。

 これを摂理路程を通していかに蕩減復帰するか。いかに元返すか。そうするには、百八十度、反対の力を投入しなければなりません。投入するとはどういうことかというと、血を流さなければならないということであり、生命を消耗しなければならないということです。

 なぜかというと、堕落の血統によって家庭が出発して、血統基盤を中心として、家族から氏族、民族、国家、世界、天宙、そして地獄まで延長してしまったからです。血統でつながった歴史だから、それを元返すには物とか金とかは必要ありません。血を流すような、体を消耗させるようなこと、血の代わりに肉と骨を消耗させて埋めていかなければならないのです。

 サタンがずっと主人になっているのですから、その主人であるサタンに対して弁償しなければ、それを認めることができないのです。



 だから、旧約時代における蕩減復帰は、目には目、歯には? (「歯」)。人の目を傷つけた場合には、自分の目を取らずには、元に返す道、許される道がありませんでした。人の歯を折ってしまった場合には、逆に自分の歯を折ってしまうようなことをしないと、許される道がないというのです。

 では、人を殺したとするならば、どうしますか。蕩減復帰できますか。人を殺したならば、自分も死ぬのです。人を殺した場合には自分の命は死んでしまうのですが、死なない以上は生きた基準において、生きた基準を逆の方向にもっていく方法を考えないと、蕩減復帰、元に返ることはできません。分かりましたか。

 これが歴史の蕩減原則になっているのです。因果関係の法則を違反することはできません。その法に従って処理していかなければならないのです。罪をつくった場合には、その罪に合った罰を受けなければならないし、善を行った場合には善の祝福を受けなければならないのです。

    サタン世界を完全に否定する

 それでは、善というものは何でしょうか。神のほうに尽くすこと、神の願われるところにプラスさせるのが善だというわけです。では、悪というのは何でしょうか。サタンの願うところにプラスさせる、そういう行動をした場合には、それは悪です。

 いくらサタンがいたとしても、創造原則、絶対なる神の創造理想の原則があるから、その原則を中心として、その基準にプラスさせるような基準に立つ者は、その原則を守った以上の祝福をもらうことができるのです。その原則を破った場合には、破ったそれに比例する被害を弁償しなければなりません。善なる道はそうなっているのです。

 これを一般の人間に適用すれば、善なる人の基準とは一体何でしょうか。原理原則と同じように、その国の憲法とか法律を中心として、法律のほうにその目的をプラスするのであれば、その国においては善なる人と言われるし、逆にマイナスにした場合には悪なる人という結論になって、罰せられるのです。それと同じことです。

 だからこの善悪の基準は、絶対的神の創造理想と関係ない主権、すなわち人によって法をつくった場合には、創造理想とは関係ありません。だからこう考えた場合には、憲法とか法的規則とかは、それは天の経綸とか神の摂理の権限の法則とは、何のかかわりもないのです。

 だから家庭を中心として、神の家庭理想を転覆された、破壊された、その基準を反対に元返すというのは、大変なことなのです。その家庭は、一つではないのです。その元の家庭がそうなったら、それが二個として繁殖されるのです。

 木だったら木が、幹と枝を、穂先を中心としてたくさんの枝を抱えた場合には、それを元に戻すのは大変なことです。松の木がポプラの木になることはできません。しかしながら、松の木がポプラの木になるよりも、血統転換した人類を正すほうが、もっと難しいのです。

 そうしたらきみたちは、いくら日本人であるとか、選民であるとか、威張っていても、それは創造原則から見ると何の価値もありません。それはみんなサタン圏に属するのです。神の善なる方面にプラスさせる何の価値もありません。分かりましたか。あなたたちの毎日生きている生活は、神の生活、神の願う理想の生活圏とは、何の関係もないのです。日本人を中心に、日本人に必要な条件はあるかもしれませんが、全世界を興し、歴史的なこととか、あるいは神の摂理的観点においては、何一つかかわることもできません。何の価値もないのです。

 こう見た場合には、いやあ、大変なことです。そうなったら、歴史を全体的にまとめて責任をもって、それを生かしていくような歴史をもった国はないかというと、ないのです。絶対ないのです。方向が東に行くように決まったのに、回り道して西に行っていくら探しても、永遠にありません。分かりましたか。(「はい! )。



 神は失われた場所に立つことはできません。なぜかというと、絶対なる神は、なし得た実績も創造も、絶対的な勝利でなければならないし、目的も完成しなければならないというのです。

 サタンもそれを知っています。原理圏にあった自分が、こういう横道にそれて、こういうふうに乱したということをよく知っているから、神の前に弁明する一点の条件もありません。だから、神の前に完全に服従しなければならないのです。服従しなければならないのに、今までどういうふうにして引っ張ってきたのでしょうか。服従しないで、どのようにして反対してきたのでしょうか。

 サタンの血統を生みつけたが、世界の果てまで行って、歴史上に全体の過ちを正せるような人間が生まれてこなければならないのです。そうなのです。人間先祖がこういうふうに汚してしまったのだから、人間の中で誰かがそれを戻すという内容を知って、戻す権威をもって立って、これを実際に整備するような実績をもたなければ、帰る道はありません。

    宗教圏を通してサタンを分別する摂理

 それを神はよく知っているから、善悪の紛争の中から神の摂理と宗教というものを立たせて、人間はこうなるべきだということを宗教圏を通して教え、宗教の法律によって生活する基準を立たせているのです。善悪の分割条件として今、活用しているのです。その宗教上の法的位置に立ってプラスさせるものは、誰のものになるのでしょうか。そこから、サタン世界と分別する、分別工作をなさるのです。分かりましたか。

 宗教も、東西南北たくさんあります。たくさんの宗教圏を中心として、上層宗教から物欲しさの宗教まで、邪教から正教までつなぐのです。邪教とは何でしょうか。それはサタンも宗教をつくるということです。神が昼の宗教をつくれば、サタンは夜の宗教をつくるのです。神の宗教に似たものをつくります。このように、宗教圏も二重性になっています。



 こういうような歴史観に立っているから、宗教圏の神の願われる真理をいかにつなぐかということのために宗教があるのです。仏教が一つの体制を整えて自立するようになるには数千年かかりました。ユダヤ教も考えてみなさい。アダムからずっと四千年の歴史を通してメシヤを迎えるような、そういうことをなしてきたのです。数千年の歴史です。仏教も儒教も、みんなそういう背景になっているのです。

 そうなると神のほうが、ただ一つの宗教圏を中心としてつながるようになります。そうなると宗教の内容が問題になってきます。どういう内容でもって、神は未来を収拾しようとなさるのでしょうか。もちろん、それは教理です。教理はたくさんあります。仏教は仏教教理、儒教は儒教教理、回教は回教教理、キリスト教はキリスト教教理をもってやるのです。

 では、それは何を主流とするのでしょうか。これらをずっと集めて、初段階から高等段階にまでつなげるに当たって、いろいろな内的宗教を連合させる核心要素は何だろうかと、こうなるのです。それは、歴史を通してつながった伝統を続ける以外に道はありません。宗教が失敗した場合には、失敗の基準がいくら低いとしても、もとの主流につないで、宗教全体、歴史を代表した内的な流れの主流に立つような要素でなければなりません。それは政治でも、経済でも、文化でもありません。

 万民に通ずるものとは何でしょうか。それは良心です。良心というものがあるのです。いくら堕落したとしても、良心は正しいこと、悪いことを、教えなくてもよく知っているのです。あなたたちの良心もよく知っています。何も法的には知らなくても、人が嫌がることをやった場合には呵責を受けます。

 良心というものは平面的になっています。万民平等です。バランスが取れています。東西南北、四方、バランスが取れていて、それを回した場合には、こういうふうに振れないで、九〇度を中心として、四方八方、三八〇度、それは九〇度、平均上で回るような、何かがなければなりません。バランス、平準の基台がなければ、何かを永遠に立たせることはできないのです。

    良心基準は万民に平等

 だから、平準基準が必要なのです。歴史を代表して、歴史の上では変化があります。高い山があり、谷があり、平原があるのと同じように、それが当たっても、サインカーブは必ず平準を中心として、上下関係の比例を判断するという平準基準が必要です。それが良心なのです。だから、良心は高いことをよく知るし、低いことを知るのです。

 二人が会った場合、話しかけただけで、「ああ、この人は自分より高い主人になるなあ。私は低い人だ」というふうに、すぐ分かるのです。説明しなくても分かるようになっているのです。はかりの目盛りみたいにです。それが重いか軽いかを分かるのと同じように、重さに比例したその基準に立つように、平準基準になって、上か下か平均か、それが分かるようになっています。それが良心なのです。

 もともと、神もその基準の上に立っておられるし、人間もその基準に立っているし、天使長もその基準に立っているのです。同じです。万民平等です。だから、良心世界には教育の必要はありません。

 その国に入った場合に、人間の良心は国家の法律が分かると、「ああ、これはまずいことだ」とか、あるいは「国家の法に基づいて、いいことだ」とすぐ分かるのです。教育は必要ありません。どの国に行っても、良心はすぐ分かります。それは生活環境から、三日くらい過ぎてみれば、はっきり分かるようになるのです。

 そういう基準があるから、霊界に行っても、あなたたちの教育とか、解読が早いのです。これは何度かということ、悪いところは強圧して押さえて、上げたり引き上げたり、そういうふうにして合わせることができるのです。

 だから霊界では、良心を中心として教育されたらすぐ分かるのです。話も良心がするのです。会った場合には、あいさつも何もしなくてもいいのです。自分の上か下か、すぐ分かるのです。平等の基準を人間はみなもっているのです。西洋人も、東洋人も、良心基準は平等です。水はどこに行っても水平になるのと同じように、人間世界の良心の基準も水平になっています。だから、その上に建物を建てることができるのです。だから、水平にまっすぐ立つ者ほど安全なのです。分かりましたね。

 なぜ必要かというと、土台が完全であれば、まっすぐ立ったものは完全です。まっすぐになっているから、いくら重いものでも横にならないのです。支持する、支える力があれば、永遠に存続します。しかし、横になったら大変です。存続どころではありません。押さえる重さに比例して、みんな風化されて偏ってくるのです。倒れてしまうのです。一方、まっすぐになった場合には、風化されていったとしても、中心の骨は一番最後に風化されるので、まっすぐに残って倒れないのです。

 だから、人間は平面世界を獲得したいし、立体世界を獲得したいのです。それは自分の人格の基準において、野望とか欲望、善なる欲望の肯定によってなされるのです。だから、肉心というものは、「世界を私のものにしよう」と思うし、良心というものは、「わあ、霊界、天があった場合には、両方を私のものにしよう」と思うのです。両方を統一しようという作用をするのです。

    絶対的精神基準を立て肉身の力を抑える

 一つの起点を中心として縮小したり拡張したり、そういう運動をなした場合には、一つの起点で大きく広がることもできるし、高く伸びることもできます。比例的になるのです。だから、人間は心身一体になっているのです。精神的基準を強調するものは、肉身基準を縮小しなければならないのです。分かりましたか。精神の力を強烈にさせるには、肉身の力を縮小させなければならないということです。

 プラス・マイナスの原則です。だから肉体生活、外的生活をなす者は、これを広げるのだから、中心が下がっていきます。分かりましたか。(「はい! )。

 口が好み、肉身が好むことをやった場合には、精神がぺちゃんこになってしまいます。酒とか、踊りとか、たばことか、クラブとかを好きな者は、精神世界はもうめちゃくちゃです。平準以下になってしまいます。それは、比例的にそうなっているのです。分かりましたか。

 そうしたら、精神的生活に従うべきや、肉身的生活に従うべきや? どっちですか。(「精神的」)。肉身的! (「精神的! )。本当ですか。(笑い)それを今からやろうとするのですか、それともやってきたのですか。絶対的精神基準を中心として生涯を懸けていく者は、絶対に肉身の虜になりません。そういう絶対的精神基準を中心として生涯を経ていく者は、絶対的に肉身に屈服しません。

 どこがサタンの基地になっているのでしょうか。垂直、平面において、自分の人格が二重になったのです。

 肉身は良心まで引っ張っていくのです。良心は、固着したその基準を永遠に保つべきであるにもかかわらず、肉身の強烈に引っ張る力によって、中心基準がぺっちゃんこになって崩壊してしまうのです。そうなった場合は、いくらほかのところに行って中心を立てたとしても、戻ってきません。一度紙に書き間違ったその字は、いくら消しても、元の通りにはなりません。

 酒を飲んで、酔っぱらって喜ぶ者がいますか。周辺にそれが邪魔になるということを知っていながら、たばこを吸い喜ぶ者は、それはサタンのものです。環境破壊の分子です。それは平面基準と立体基準をめちゃくちゃにさせる悪魔の王者、そう思います。

 固定的定着場があるということを知らないのです。そういうことを分かった場合には、絶対的に人間は良心を中心として生涯を懸けて、直行する目的、自分の人格完成の目的、方向に進んでいかなければなりません。進んでいって、また帰ってきたりすることはできません。往復行程ではありません。目的基準まで前進していかなければならないのです。上がったり下がったり、こうなった場合は傷になるのです。

 だから良心は毎日、前進を願うのです。毎日、高く垂直の世界に向けて、「前進せよ」と命じるのです。それが習慣性になった場合には、これがしわになって、それ以上に上がることができません。その基準を中心として、顔も性格もみんな違うのです。分かりましたか。

 平面基準と垂直基準が九〇度に合うようなその固着、垂直基準はたった一つです。分かりましたか。垂直基準を中心として三六〇度回るようになります。

 肉身基準の場合にはどうなるでしょうか。無限分割、無限に定着、精神基準は遠ざかってしまいます。行動すればするほど、そういうものは永遠に自分の本性の精神的人格完成の道を満たすことはできません。それは間違いなく地獄に行く者です。地獄に落とされる者、落ちてつかまる者になります。そうなっているのです。分かりましたか。

    完全否定の過程を通過し本然の世界に帰る

 宇宙は何のためにつくられたかというと、愛のためにつくられました。「神様は相対が必要だ」と言いましたね。愛をもっていても、それは見ることもできないし、触ることもできません。また、生命をもっていたとしても、血統をもっていたとしても、良心をもっていたとしても、見ることも触ることもできないのです。できないのですが、愛というものは、ピーッといっぺんに相対できます。愛も被害者です。堕落した愛も、堕落した人格も、生命も、血統も、良心も、ピーッと相対できるのです。

 何の愛が、そんな作用をさせるのでしょうか。真の愛は、神に直行した、直通した愛です。神と一つになった愛です。神が愛を中心として全創造世界の理想の核心とし、その核心は相対をいつでも総包容し保護していくのと同じように、愛があればすべての被造物は包容され、総合して保護育成されていくというのです。

 真の愛がそんな作用をするということを、今までの歴史において分かった者はいません。そんな作用が一体あるのかないのか、考えさえすることができなかったのです。
 いくらそういうことを願っても、堕落した人間には作用ができません。真っ暗な夜に光がどこにあるか分からないし、光を願ってもいないのです。同じです。堕落したら、そういう基準になっていないのです。自分の一身を引きちぎるような真の愛がないから、闇は闇につなぐという話です。それで、真の愛が絶対に必要なのです。堕落とは何でしょうか。それは真の愛とは反対の、真っ暗な愛を結束させたということです。真の愛ではなく、サタンの愛です。堕落の愛なのです。

 先生が昨日言ったように、地獄も天国も正義も悪義も、善悪すべての最高の基準は何かというと、真の愛なのです。真の愛の決着先端は、男、女のどこですか。先生は昨日、何と言いましたか。(「生殖器です」)。生殖器。生殖器は、悪いものですか。どの宗教においても、悪いものと制定されています。

 それで、そういう悪いものから生まれた関係のものは、みんな捨ててしまえというのです。国もそこから関係をもつし、社会もそこから関係、氏族もそこから関係、自分のおじいさんもそこから関係、お父さんもそこから関係をもつのです。そして、自分自身もそこから関係をもつので、自分まで捨ててしまえというのです。

 そういう目的があって、神は人間に「出家せよ! と命令しておられるのです。生まれた所を飛び出せ、離れよというのです。そうでしょう。有名な高等宗教は、出家ということを命令するのです。統一教会も出家した者がいますね。

 出家。それはなぜかというと、宗教と正しい主張を願う神様がいたとするならば、全体を拒否するような対策を立てなければならないからです。血統が違っているのですから、完全否定しない以上は元の血統に戻ることはできません。落ちていったのだから、そうしなければ逆に上がっていく道は永遠にないのです。

 完全否定。絶対否定。否定にも段階があるのです。否定する基準によって、堕落したその基準を凌駕することができるのです。だから、宗教、ことに高等宗教では、本然の世界に帰るためには否定過程を通過しなければならないのです。

 だから、国を否定せよ、社会を否定せよというのです。家族、祖父、父母、夫妻、子女が問題ではないのです。問題は一身なり。死ぬ境地に落としてしまえというのです。だからこじき生活です。サタンはそれを願いません。サタンは傲慢です。サタンの性格は十以上傲慢で、下にされたくないのです。だから、サタンから最も反対の位置にあるのが、こじきの生活なのです。だから、断食せよ、謙遜になれというのです。

 断食ばかりではありません。犠牲になりなさい。犠牲ではなく、祭物になれ! 血を流せ! 堕落は血統を誤り、それで生命を、血を受け継いだのだから、血を流さなければなりません。そして、血を流しても感謝するような立場に立たないと、サタンの境界線を越えて、堕落前の人格を再創造する機会を得ることは永遠にできないのです。

 だから、宗教は犠牲と祭物です。祭物は二つに分けるのです。一つはサタンのものです。サタンをなくして、心が完全に主体になるようにして、上がって安全地帯になって神のほうに帰ることができるのです。

 平面的否定、縦的否定、二重否定をなさなければならないということです。こんなに難しい道が、宗教の道を通した復帰の道、救援の道なのです。分かりましたか! (「はい! )。

    日本を再創造しなければならない

 男はお父さんになるのですか、お母さんになるのですか。旦那さんたち、いい生活をするのですか、悪い生活をするのですか。(「いい生活です」)。みんな奥さんにやってもらってするのが、いい生活なのですか。それとも、奥さんを休ませながら喜ぶのが、立派な旦那さんのいい生活なのですか。どっちですか。日本の男に率直に聞いているのです。正直に正面を向いて答えなさい。

 日本の女がいくら先生を誘っても、誘惑されないと決意しました。先生を誘惑しようとする日本の奥さんたち、お嬢さんたちがたくさんいたのです。

 そういう日本の国をエバ国家に選抜しなければならないというのです。責任を誰がもつのでしょうか。アダムがもたなければならないのです。立派な日本の男をつくって、立派な奥さんをつくって、立派な旦那さんをつくって、立派な先祖、アダム復帰以上の価値のものをつくらなければならないのです。

 そういう立場に立ったら、戦後、英・米・仏の使命を果たせなくて、地獄に落ちてしまったそのエバの代わりに、サタンの足場になったそのものをそのままもっていって、それが相対のエバみたいに扱うような立場に立てなければならないのです。死んでもできない立場であったのですよ。しかし、神を知っているから、日本のために先生はやっているのです。日本の国を再創造しなければなりません。

 先生は一人で、いつでも国をつくることができます。家庭も、氏族も、民族編成も、もう問題ありません。エバ国家の家庭、母を中心とした家庭もです。アダム家庭を地上全般にわたって拡大したのが、人類の家族です。そのお父さんである真のお父さんを、エデンの家庭の門前で追放してしまったのがサタンであり、そのサタンが代わりに、女と男を中心として、偽の父の行動をやっているということは大変なことです。それは本当のことなのです。

 アダム家庭は人類の長子です。間違いありません。長子であるばかりではなく、長父母です。先祖であり、父母の始まりです。それは「長」をつければ、長子、長男、そして長父母、長王様となります。アダム家庭はアダムが父母です。理想の地上天国の真の王様はアダムです。天上天国の王様も、そこから始まるのです。すべての理想の根底、拡大した出発の基地になる、それを王というのです。基地になるその主人の家が、アダム家庭なのです。

 一家を代表するのはもちろん、一族を代表するのももちろん、一国を代表するのももちろん、一世界、天宙すべてはそこから始まったのだから、元の理想の始まった家は宮殿になるのです。それは理想の本郷の家族です。

 その家族が転覆され、長子権、長父母権、長王権を完全にサタンに奪われてしまいました。そうなったのだから、これを元返すには下からやるのです。ですから、兄さんの親権、兄さんの王権をおいて、下の弟王権を中心として、弟が兄さんを転覆しなければならないのです。

 それは国家基準において蕩減することができるのです。たくさんの家庭になっているから、国家基準の勝利を得ないというと、元に返す道はありません。命令一下、一つになった場合には、家庭なんか国家基準でいっぺんに転覆するのです。

    宗教は真の愛を通してのみ本質に通ずる

 宗教圏には旦那さんがいないのです。ユダヤ教は新婦教会です。失われたアダムの家庭を中心としたのだから、それは新婦です。カイン・アベルとお母さんを中心として準備されたのです。だから、宗教において篤実な信仰をもつのは、男ではありません。女です。宗教団体でもそうです。マホメット教(イスラム教)も仏教もみんな、宗教は七五パーセントは女性信者です。男は付き添いみたいなものです。仕方なしに女のしっぽにくっついて、放したくないからついていく、泥棒みたいな男です。みなそうです。

 暇があった場合には切ってしまって、妻が家庭に子供に忠実にするように、自分に忠実にするようになることを願う夫は、宗教圏の邪魔者です。だから、男は天使長圏なのです。分かりましたか。(「はい! )。

 あなたたちはみんな若くして祝福を受けたから、そんなことはなかったでしょう。既成祝福の若い女たちは大変です。心は先生についていきたいのですが、旦那さんはやっかいなものです。本当にそういう心も出ます。そこまでいくのです。世の中で考える女たちが悲惨な境地に立つ、そういう同情して余りあるような女になってしまうのです。分かりましたか。

 男を嫌がる、旦那さんを嫌がる女はみんな、貴族に近い女です。この社会で知的水準が高いとか、活動したいとか、金持ちとか、そういう者から、男嫌いの運動が始まるのです。自分の家系を平均に見て、それより劣った場合には無視したり、金から見て無視したり、知識から無視したり、比較鋭敏な女たちです。男たち、問題です。

 そうではないですか。誰が先に嫌がるのですか。男が女を先に嫌がるのですか、女が男を先に嫌がるのですか。なぜでしょうか。堕落がそうなったから仕方ないのです。反対に復帰していくには、自分の旦那さんを好きであったら、絶対に復帰できません。自分の家庭を好きであったら、絶対に復帰できないのです。

 それで、聖書では「自分の家族が、家が怨讐になる」という話をしました。それは究極の転換点が残っているから、それを切るには、親が反対するし、父母が反対するし、それから兄弟、旦那さん、夫婦共に、一家全体が反対するのです。なぜかというと、真の愛の世界を展開していこうとするならば、真でないサタン的な愛の組織において歓迎するものは一人もいないのです。そういう観点から見ると、世界的にそういう標準に一致した男が、ここに立って話している文先生なのです。

 さあ、「宗教は真の愛に通ずる以外に、本質に通ずる道はない」ということは分かりましたね。そうしたら、真の愛が好きですか、嫌いですか。

    授ければ授けるほど増えていく真の愛

 さあ、真の愛は必要ですね。いったい真の愛とはどんなものでしょうか。
 受ける立場が幸福ですか、授ける立場が幸福ですか。(「授ける立場です」)。え? (「授ける立場です」)。百ドルしかないのに百ドル授けて、一ドルもなくなったらどうなるのですか。無くなったら泥棒するのですか。(笑い)それは問題ですよ。

 神様が授けて忘れる、投入して忘れる、そういう論法を言ったのですが、授ければなくなります。いっぱい授けて、永遠に授けて忘れる、その補給路は一体どこにあるのか、とこうなるのです。真の愛は、授ければ授けるほど増えていきます。だから、そういう逆説的な論理が生まれてくるのです。

 宇宙の力を考えても、構造の世界を保持する力というものは、運動すれば下がっていくのです。運動すれば減っていくようになっているのに、地球は何億年も継続しています。今から何億年続いてもなくなりそうにはないのです。その運動をするのに、どこから補充するのでしょうか。それを支給してくれるところは何でしょうか。それが問題です。

 何でも、ものには格というものがあって、副体、そういうものがあります。もとなる格式は、生命の権威をもってやった場合には、千万年たっても、その種の主体格は変化しません。無限の支持の力、宇宙力が、連結されている橋をつなぎ出すことができます。

 それはいったい何でしょうか。愛のもとの世界です。だから、真の愛は使えば使うほど大きくなるのです。例を挙げましょう。あなたたち、本当に愛する友達から真心を尽くして、精誠を尽くして土産をもらったとします。そして、それが千ドルの土産だったとします。その友達からそれをもらったときに、身心共に感激した場合、その人に九百ドルの土産を買ってあげたいですか、それとも千ドル以上、千百ドル、二千ドル、数千ドルの土産を買ってあげたいですか。どういうふうにしますか。

 千ドル以上を加えて返してやりたいという思いをもつのです。真心という基準は、膨張する作用をなすのです。分かりましたか。真の生活、真の聖人の生活は、膨張する力をもちます。それは立体的に膨張するような、それが真の愛です。

    世界と代えることのできない祝福家庭

 サタンは堕落のために、こういうふうになすべきその家を、転覆させたのです。それが世界を越えて、天宙を越えて、歴史を越えて、全宇宙は、すべて引っ繰り返ったその家庭につながっています。だから、全体がサタンのものにならざるを得ないというのです。

 これをどういうふうに転覆するかというのです。世界から転覆したといっても、家庭が残ったとすれば、サタンの基地はまだ拡大するのです。いくら世界を消化した自信をもったとしても、家庭が完全になったその基準に統一化されないというと、世界にサタンの所有権の道はどこでも残るというわけです。

 全世界を否認して、引っ繰り返ったのを元返した場合には、それは世界に通じ、いかにしても変わらないような価値の家庭を探すことによって、その価値の延長圏はサタンの権限とは永遠に関係がないのです。

 だから、血統転換というのは恐ろしいことであるけれど、実にうれしいことでもあるのです。血統を植え込んだ上に、他の血統を植え込むことはできません。

 サタンの血統と神様の血統に、永遠に分割されます。混血することはできない限界をもっているというのです。絶対的な家庭を、世界を代表してもったとしたら、その価値は全世界をやっても返すことはできません。

 だから、そんなことをなした場合には、祝福家庭という尊厳な価値は、全宇宙をやっても、堕落世界のそれと代えることはできないのです。そういう価値の基台の上に立った、神が理想としたその基準の家庭からつながる氏族、民族、国家、世界は、永遠にサタンと関係がないのです。血統というものがあるから、それがはっきりしています。きっちりと結論をつくる、それに疑問を抱く者は一人もいないということになります。分かりましたか。(「はい」)。

 それを転覆させたのは、サタンの偽りの父母です。偽りの父母から、偽りの家庭からそうなったのです。ですから、サタンと交わった偽りの父母から始まったものは、神と交わった真の父母から出発した場合には、別個の存在になります。別個の血統になるということは、絶対的に公認することができません。だから、真の父母という名前でもって出てくるのです。真の父母を中心として転覆するのです。通過点を元に返すのです。これを返すことは、全世界が反対します。サタンの世界では、個人から全世界、霊界へ行った霊人、悪魔すべてが反対します。

 先生以下、三人の家庭、三十六家庭、それから七十二家庭、百二十四家庭、四百三十家庭、それから七七七家庭、それから一八〇〇家庭、六〇〇〇から三万から三十六万、三百六十万まで拡大していくのです。

 三万双からは世界的な展開になるのです。六〇〇〇双までは闘い続けなければならない内容がありました。世界のどこへ行っても、世界のどこの部落でも、反対する境涯を逃れることができず、いろいろな悲惨な行動をしながら、そういうことを越えてきたのです。それが三万双からは公開、世界に公開です。だから、一週間原理を聞いて、血統転換と所有権転換と心情転換を信じて、新しく血統転換するような者は誰でも祝福してあげるのです。

 その日が世界的になるなら、潮水でいえば、これはもう満水です。六時間前に入った水も、それから六時間後に入ったものも平等になるのです。かえって六時間後に入った者は、先に並ぶことできます。平等権があるからです。祝福の平等権があるのです。その平等権は国家的、日本海平等、大西洋平等、太平洋平等、六大州、五大洋平等と、こういうふうに発展していきます。三百六十万(双祝福)は五大洋平等となります。

 それから、血統の本源に真の父母の名前がついているのです。それは決意して、どんなことがあっても、真の父母の教えを中心として方向転換し、世界に向けていくのです。

 サタンの世界は大変です。サタンの一等国として、個人主義、プライバシーを誇ったアメリカ。それから、フリーセックス、ホモ、レズビアンと神の理想すべてを破壊して、かけらも残らないような悲惨な状況をなし得て、その基準から、神の創造理想である完全なる愛の絶対圏をつくるとは謎みたいだと、神を呪いながら、サタンは大笑いするのです。

 「再臨の主が言ったって、そんなことはできっこない。数千万年の歴史を通して、こんなに砕いてめちゃくちゃにしたところを、元の理想の愛の本郷に返していくという馬鹿みたいなことをするなどと、神様は何と愚かで、惨めなものか」と。

 サタンの全権をもって行動しているのです。エデンの園において、アダム・エバを自分の両手で抱えることによって全人類、男・女、五十億でも、自分の懐に抱いて、みんなセックスを乱してしまうのです。だから、フリーセックスだというのです。セックスの分別、血統圏を分割できないような、混血、混乱をもたらし、父母が分からなくなるのです。

    祝福家庭は一族の代表

 世界平和家庭連合で働きかけるのです。いくら家族、親が競って攻撃してきても、倒れません。氏族連合体、国家連合体、思想連合体、共産党、民主主義、みな反対したとしても倒れません。もう共産党もなくなり、みんななくなってしまいました。国も、家族も反対したものはみな、比べてみれば、自分たちは悲惨な立場にあって、文先生は天下で、王者の権限を振るうような頂上まで立っているのを、どうにもできないのです。地下でやってみても及びません。いくら引っ張ったとしても、根っこは取れないのです。

 打たれても、これは減らないのです。増えていくわけです。打たれることは悪いことではありません。

 打ち砕かれて、釘の頭みたいに平たくなって、頭が見えなくなって、木の中に入って、小さいハンマー、細くなったハンマーで逆に打っても、いくら打っても、その板が取れません。分かりましたか。真の愛の釘は、頭を打てば打つほど、だんだん大きくなっていきます。それはそこまで、先祖の根元を通して、根元の真ん中を通して、根っこになってしまおうとするのです。戦えば戦うほど、打てば打つほど、深い所に、それは生えてくるのです。

 祝福家庭は、価値は知らないけれど、何千万年の神の苦労、復帰途上にあった先祖たちの犠牲の血を流したそのものは、計り知ることはできません。そういう犠牲の道を積み重ねて、勝利の壇上に立った者はたった一人です。それが祝福家庭なのです。自分の一族を代表してたった一人なのです。先祖からの代表の、勝利の出発です。

 堕落の血統から、勝利の血統として先祖の結実体になるのですが、祝福というのは、堕落先祖を代表して、逆の立場で占領し、正々堂々と天の血統圏に入ったということであり、それは何にも比べることができません。一族の誇りです。一族全体を犠牲にしても、それは得られないものです。だから、その価値を自分ながらに貴く思っていかなければならないのが、祝福家庭の生活の基盤なのです。分かりましたか。(「はい! )。

 イエス様だにそれを果たせなくて、霊界に行きました。一九六〇年、聖婚式を行いました。四十四年間を費やしました。韓国はもう国を挙げて、先生に勝とうとしてきました。文先生はそういう闘いのまっただ中に、聖婚式を行ったのです。そういう苦労の道をたどって、祝福の道を行ったのです。

    国家的メシヤは家庭を中心としてその国を消化する使命をもつ

 日本は、神の国と何の関係もありません。日本人は何の関係もありません。日本の国が反対するのです。だから、あなたたちがそれを喜んだ場合は、あなたたちは反対する者になるのです。統一教会のメンバーとして、そこから脱出しなければなりません。そういう事態を嫌がったら、その瞬間から祝福家庭を中心として分解してしまいます。脱出する条件としてそれは国家基準以上の、メシヤの使命を果たすために、祝福家庭を宣教師として、国家メシヤ担当として送るのです。

 先生は一九六五年に百二十か所の聖地を、イエス様の百二十国家の国家選別条件として、決めました。土と岩と石をもってつくりました。それは骨と肉です。土をずうっと植え込むのです。

 それで、家庭をよく植え込む、家庭を植え込むから、家庭とその家庭の土を、絶対をもって植え込まなければなりません。植え込んで、その国をアベルのほうに、家庭を中心として消化して、カイン的国家を引きつけるのです。それが国家的メシヤの使命です。

 メシヤとは、親をいうのです。子女関係は運命的ではなく、宿命的です。運命というのは、代わりを埋めることができるのですが、宿命というものは代えることができません。死んでも果たさなければならないものなのです。

 だから、イエス様の使命は宿命です。親の使命をもってきたのですから、楽園で二千年間待ちに待って、また帰ってきて、生きて果たせなかったことを再び生きた基準で、死んでもなさなければならないのです。再び来てなすのが再臨主なのです。

 国家的メシヤ観というものは、そういう宿命的な使命があるのです。どんな難しいことがあっても、自分の子供と奥さんと、それから財産を前にして、帰る道はありません。国家的メシヤは、その国のお父さんです。そうでしょう。お父さんの家です。

 イエスは家を得られずに死んだのですが、七か国の中心として家が立つのだから、その七か国の大使が評価したとするならば、その大使が、その国の大統領、閣僚に呼びかけた場合には、それはついてこざるを得ません。そういう力があるという希望をもって、今、派遣しているのです。

 それにつれて、日本の女性がみんな援助団としてその国に行った場合には、これは国家的メシヤ団となります。日本の奥さん、女たちが百二十名です。イエスの百二十門徒と同じです。イエス様の実体的基準でもって、百二十国家の大使を全部消化していくのです。

 そうした場合、日本から見た場合には、日本の大使の代わりに行ったものが誰かというと、統一教会の日本の代表です。それはアベル的大使です。すでに行っている大使が、カイン的大使です。そのアベルとカインが一つになった場合には、アベル圏として、その国をカインとして消化するのです。

 百八十四国家からそういうような影響をその国に及ぼしていくというと、一つの国でもそれは影響する力があるのに、百八十四回消化されるのです。いっぺんに回ってしまうのです。何年かかると思いますか。

 今度百八十四国家に選抜されない者は、十二支派の列の代表と、列の圏内に立つことができません。だから、日本からこういうふうに、入籍ができなかった場合には、その自分の入籍圏、アフリカの南端だったら南端の所に大移動しなければならない事態がくるのです。

 手をつけないで、世界が統一されていくのです。入籍という問題は、超血統的です。人種差別はしません。文化差別もしません。宗教差別もしません。たった一つ、差別するものがあります。それが偽りの愛です。偽りの愛につながったすべてのものは、前に立つことができないのです。偽りの愛の前に属する者は、偽りの愛の行くところに連れられていかざるを得ないのです。

    無蕩減時代に入る

 新しい世界のために、自由の世界建設のために、こういう家庭連合をつくったのです。きょうからは新しい無蕩減時代に入るのです。

 それから、逆に蕩減させるのです。打たれることがあったら打てというのです。打たれて、何十倍の蕩減をさせていくことができるのです。だから、打たれることは、サタンにとっては無慈悲に撲滅されていくことになるのです。恐れるなというのです。

 ヨシュアとカレブが、第二イスラエルに対して何と言いましたか。(「強く、雄々しくあれ」)。強く雄々しく、強い腹をもて、強固な精神で、屈しない精神で、と言ったのです。

 今からは蕩減条件を越える時代に入ります。王権が復帰された場合には、直結時代、直接干渉する時代に入ります。気に入らないからといって国を中心としての権限を押しつけることはできません。サタン主管圏は長成完成圏です。神の主権圏は完成出発、完成蘇生圏です。完成蘇生圏に入るのだから、サタンを主管します。堕落前のサタンに命令する神のほうの圏内に入るのだから、サタンに命令する圏内に入るということです。

そうなったとき、天的法を適用することができるのです。だから蕩減法において、反対蕩減をなせる時代に入るのです。反対蕩減現象をなすことができるのです。神の方からサタンの方に、蕩減の条件をサタン圏に提唱して、それを果たさせるようにする方向転換された時代に入るのです。

 だから家庭連合をつくった場合には、首相とか大統領、その国の最高の家庭を招待しても、こちらのほうが高いのです。国家的メシヤの立場は、国家的真の父母です。メシヤとは完成されたアダムです。真の父母の名をつけているのです。家庭的メシヤ、氏族的メシヤ、国家的メシヤ、世界的メシヤ、天宙的メシヤというふうに。天宙的メシヤといえば、神様を中心としていうのです。父母をいうのです。だから、時代が変わってきます。王権時代です。

    神の主権を地上に定着させる

 「世界平和家庭連合」を創設しました。今からは蕩減の峠を越えます。その主権が建設された場合には、神全権の実力を果たすような世界に変わっていくのです。神の国はまだ成立されていません。いくら家庭をもって、氏族をもって、民族をもったとしても、主権が現出されなければ、主権復帰をしなければならないというのです。主権というものが、天とつなぐ中心的な実体圏に通ずる、その基台です。国というのは、神と関係をもつような内容を結ばなければ成立しません。

 だから、いくら家庭があったとしても、いくら民族編成がなったとしても、神が働く定着した中心点をもたなければ、国になりません。国が栄えるには、天の援助を受けないというと、繁栄しないのです。人間がいくら努力しても、天をつながらせないというと発展しません。発展させる神の主権が地上に定着するのが、摂理する最高の希望であるのです。アダムの家庭で長子権を失ったものが、世界家庭圏です。

 アダム家庭を中心として堕落したものが、こういうふうに拡大して世界アダム家庭圏を編成したのです。その世界家庭圏を編成したところは、サタンは関係をもつことができません。個人から、家庭から、氏族から、民族、国家から世界、永遠まで平面的に発展するようになるのです。それは天上ではできません。地上で結ばれれば天上に結ばれるし、地上で解かれれば天上でも解かれるのです。

 だから、地上でもって、平面的に人間の生活を拡張した世界圏でもって、解放圏をもたなければ、地上の理想の天国は展開されません。

 アダム家庭圏の基準から世界家庭圏まで、こういうふうに上がっていくのです。縦的関係を横的に、同じように連ねさせれば、そのところを戻ってこないというと、神の国の編成、神の国の摂理はできません。それをはっきり知らなければなりません。

 だから、アダム家庭圏へ行って長子権、それから父母権、それから王権、そして家庭的な基準が、氏族、民族、国家、八段階を通して、世界加盟権です。世界加盟権でもって、長子権の使命を、世界を長子の立場に立たせなければならないのです。だから、万民がカイン圏であって、来られるメシヤがアベル圏です。それが、今までの世界から見た場合には、カインが先に生まれて、メシヤが一番最後に生まれた立場でもって、回れ右するのです。分かりましたか。

 家庭圏で使ったのが、長子圏でなくて、世界圏でもって、長子復帰、父母復帰、王権復帰をしないと、神の国に帰りません。だから、天国に入るものは、地上の神の国の主権で生きていた者が入るようになっているのです。だからその後、地上の神の国と、天上の神の国が垂直になっています。地上完成をなさなければ、霊界も完成圏に入ることができません。

 神様がなぜ、そのような人間をおつくりになったのでしょうか。神様は霊界に行っても見えません。見えないのです。創造の前も見えなかったのです。だから、神様は人間をつくって、人間のお父さんになり、王様になるのだったら、家庭を率いなければならないし、国を率いなければならないから、子供たちはみんな形をもっているのです。

 だから、創造の第一の目的は形をもたなければならないということです。人間の父母として形をもつということが、第一の創造目的だったのです。

 第二番目は何でしょうか。二番目は繁殖しなければなりません。神の国をなすには、繁殖しなければなりません。たくさんの子供を生まなければなりません。

    神の創造目的は生殖器を通過しなければ無効になる

 だから、女としては、男がいなければ大変です。女は男のために生まれたということをはっきり知りましたね。その器官を自分のものとして行動したから堕落したのです。堕落はどこからかというと、生殖器の主人が自分だと思って行動したのが堕落です。復帰は、生殖器を自分のものでなく、公的なものとして行動することによって帰っていくことができるのです。その生殖器は自分のためでなく、公式の基準を中心として、神の願う公的な絶対生殖器です。唯一不変、永遠の生殖器です。そういうような女をつくるなら、家庭は永遠に問題はありません。

 そういうような絶対男、女が一つになって、絶対愛が連結された場合は、その中で子供が生まれれば、それは絶対的子供です。絶対的愛の結実体です。それは分割することはできません。そういうふうにして生まれた子供は、宗教とか、あるいは誰かの指導を受けて、天国に入るようにはなっていないのです。お父さん、お母さんについて入れば、どこでも行くことができるのです。

 そういう理想的な神様の家庭をつくって、神様の国をつくるのです。神の家庭を拡大し、氏族、民族、国家、地上天国を通じて、それをそのまま霊界に移動して天上、永遠の天国をつくるのです。膨大な天国をつくるのです。生み出して無限の世界です。

 絶対的愛が必要ですか、不必要ですか。(「必要です」)。どのくらい必要ですか。絶対的に必要です。始めから永遠に必要です。旦那さんになった場合には、始めから永遠に一人の奥さんの旦那さんにならなければなりません。そういう思いをもってきましたか。奥さんになったら、始めから永遠に一人の旦那さんの奥さんにならなければなりません。そういう観念がないのです。

 永遠の国に入るのですから、永遠の路程、永遠の家庭路程を通過しなければなりません。永遠の家庭の出発は、ジグザグにしてはいけません。垂直にずっと行かなければなりません。だから、家庭理想圏が国家理想圏を通して、国家理想圏は世界理想圏、世界理想圏は天宙理想圏と直行、一方きりしかないのです。直線です。分かりましたか。

 だから、第一の創造の目的は何ですか。フォームが必要であるということです。二番目は、繁殖面積が必要であるということです。神様は縦的な一点を中心として、永遠に存在するのだから、面積がないのです。面積が必要だから仕方なしに、実体圏を中心に三六〇度を中心に回るようになっているのです。

 三番目は、一人では寂しいから、愛の相対者としてパートナーとしてつくったのが、アダム・エバです。第一はフォーム、第二は繁殖、第三は愛です。だから、女・男、父母は絶対的に子供を生まなければこの原則に違反するから、天国入国の落第生になります。

 女が生まれなかったらどうするのですか。いくら戦争があって人が死んでも、ある一方でたくさんの人が亡くなった場合には、反対のところで、この面積圏では、それを補充するのです。そうして男が死んだ場合には、男が生まれてきます。

 いくら金持ちの貴族の娘として養育したとしても、竹の内から男を見た場合、「わーっ」とお母さんの所に行き、「三人のうちであの人がいいな。また、あした通過するから見たい」、そう思い始めるのです。そんなことありますか、ないですか。なければ女ではないです。

 何によってそういう作用が、何の動機でそういう作用が始まるのでしょうか。心ではありません。心情でもありません。生殖器です。「統一教会の教祖様が生殖器の専門家になっているんだね」、そう言われても仕方がないのです。これは真理の真理です。それを嫌がる者が落第生です。生殖(器)が実るようになったから、体全体がそれに歩調を合わせるようになっているのです。それがプラスです。それが主体であって、体は客体です。

 じっと手を胸に当てて、考えてみなさい。そんな話はあまり聞かない。恐ろしい話で、「本当かな」と考えても、それは本当であるということを否定するならば、永遠に満たされません。

 何を通さなければなりませんか。三大目標の神の創造目的を、生殖器を通過しない以上は、永遠に形を続けることができません。生殖器を活動させないというと、創造目的の第一番も第二番も第三番も無効になります。第一も第二も第三も、神の創造目的は生殖器を通過しなければ、完全に無効になります。恐ろしいことです。

 だから生殖器は、どのくらい貴いですか。全体より貴いですか、全体より貴くないですか。愛のために人間は死ななければいけないのです。命を越えて、愛を求めていくのです。だから、愛は生殖器によってつながるのです。生殖器はこの全体よりも貴いのです。

 生殖器は、神と代えることはできません。生殖器が神だったら、神を再び生み出すことができるというのです。一人ぼっちの神より、兄弟の神様をもつのがもっと理想的だというのです。

 生殖器は、それはフォームをつくった神様より貴いというのです。お父さん、お母さんよりも貴い、祖父母すべてを合わせたよりも貴いというのです。絶対的価値をもつところが、そこです。絶対的価値をもたないと、絶対的愛、唯一の愛、不変、永遠の愛をもち出すことができません。これは理論的です。

 こんなにはっきり教えた以上は、堕落したら駄目です。堕落したら、ぺちゃんこにしなければなりません。永遠の無価値のどん底に、埋め込まなくてはなりません。

    より投入する者は主体になる

 女として、一番、それが金の冠よりも貴いのです。世界で何よりも貴いものは、男の生殖器です。男の最高は何かいうと、女のそれを占領する以上の宝物はないのです。

 夫婦が寝るときも離さないようになった場合、どのくらい一体になるか、どのくらい仲が良いか、どのくらい理想の夫婦となるでしょうか。

 なぜ、男も女も汚いものが出る道と、愛するときの一番幸福な所が同じ所なのでしょうか。それが分からなかったのです。高いものは低いものを相対にするのです。それは理想です。高い者になるには、汚い所を好きにならなければならないのです。

 種は、高いところでは成長しません。汚い所で成長するのです。生殖器が近くにあるのは、子供が成長するための薬をまくためにそうなっているのかもしれません。上下の道。平等です。上下を連結して一つにまとまるのが、絶対的愛の環境です。

 その近くに肛門があるのです。なぜ、そんなに貴いもののある所に、そういう汚い器官、処理器が集まったのでしょうか。「汚い環境を自分と一体とさせるものが、理想的な真の主体となる」という話を教えてあげます。

 これは真理です。立派になるには、その国民の一番の貧民窟を自分の王宮以上に愛さなければなりません。そうする者は、永遠の王様の権威を保つことができるというのです。

 もっと為に生きる者は、中心者になるのです。これは真理です。中心者はどこに投入するのですか。国だったら、国の一番悪い所に投入して、また投入して、国まで巻き込んで、投入しようとする人には、宮中がそこに移っていくのです。より投入する者は主体になるのです。分かりましたか。大きい声で一度言ってみなさい。(「より投入する者は主体になる! )。より投入する者は中心者になるというのです。それは歴史の鉄則です。学校で中心者になる者は、学校という教わる所でもって、より勉強に投入した者です。熱心に勉強する者は中心者になるのです。歴史の鉄則です。

 不平を言うなというのです。きょう不平を言うことがあった場合には、一年、五年、不平を言うのですか。それをみんなさておいて、投入の専門家になった場合、一年のちには不平を言う環境が、侍る環境に変わっていくのです。主体になるからです。主体、中心者は責任をもたなければならないのです。環境をつくって、相対の責任をもたなければならないのです。中心者で責任を嫌がる者は、滅んでいくのです。国の中心者が国の全体に責任をもたないと、その国は滅んでいきます。独裁者はなくなってしまうのです。王権の歴史上に消えていきます。

 若い青少年たちはそれを知らないのです。「なぜ、自分が奉仕するのか。なぜ、為にするのか」ということが分からないのです。簡単な真理です。しかし、この真理は、永遠の歴史を動かすというのです。中心者は責任をもつ。中心者は全体の相対圏を保護する。防備する。中心者は全体を養育して、発展させる。

 統一教会の文先生は迫害があった場合、逃げていきません。難しい立場であっても、相対圏を保護します。保護ばかりでなく、養育します。より新しい所に引っ張って成長させて、その相対を保つようなことをするのです。これは、宇宙存在の主体、客体の関係の存在の公式的位置を決定し、維持させる基台です。

    生殖器の誤用によって失われた長子権、父母権、王権

 家庭でもって堕落し、長子権を失ったのは、何によってですか。生殖器です。父母圏を失ったのも、何によってですか。生殖器です。それから王権を失ったのも、何によってですか。生殖器です。それをはっきり知らなければなりません。本当のことです。その器官がなければ、相対理想不完成です。それがなければ、それは繁殖基台未発見です。その器官がなければ、永遠のフォームが、子孫にはないということになるのです。はっきりしました。

 今からそれを保管するのは、どういうふうにするのですか。紙の袋と、絹の袋と、鉄の袋、蘇生、長成、完成の三大袋でカバーして、保っていかなければならないのです。
 男が近づいてきたら逃げていくように、女が近づいてきたら逃げていくようにしなさい。防備しなければならないのです。統一教会の女は、体を汚すようなことがあってはなりません。命を捨てることがあっても、それを汚してはいけないのです。

 これを守った場合に、天国直行です。そんな決意のもとで守っていく夫婦が一つになった場合には、誰がそれを分解させることができるでしょうか。神様だにできません。もし分解させたとしたら、絶対基台、本体を分解することになるから、神自体が落第する、滅亡するようなことになってしまいます。

 宣教師が海外に派遣された場合に、その問題に引っかかった場合にはめちゃくちゃです。自信、ありますか。

 完全なる愛の一体圏に、完全なる子女が生まれるのです。それは真理です。先生のつくり言葉ではないのです。天国を願わなくても、そこに直行する子供ができます。そういう子供をもった場合、永遠に同宿、同位、同居、同参しながら生きたいのです。その格好の主体、客体が相対関係です。分かりましたか。

 先生が霊界に行くまでに教えてあげないと、誰かに啓示でもって教えて拡大しなければならなくなります。生きた啓示体として、伝授してあげるのです。分かりましたか。

 こんなに貴いものをめちゃくちゃに覆してしまったのです。神様は、こういう群れでもって、その器官を誤用する姿を見たくないのです。だから、全部出家しなさい、独身でいいというのです。家族で出家するのではありません。一人きりです。高等の宗教が教えるのは、未来の世界、復帰の世界、理想の世界を求める道です。それは、出家と独身生活をしなければならないということです。宗教は犠牲の道を行くというのです。否定の道、そして、性生活を断絶する道を行くのです。辛抱、辛抱、その辛抱が堆肥となるのです。それを肥料として、新しい生命の種を迎えるというのです。

 先祖はできません。女、男はできません。神から続いた真の愛と真の種をもった主人が来られて、そこに初めて肥料の墓場に種をつくった場合には、これは理想的な収穫の実となるのです。再創造の理想郷をたどって、それを神が植え、神が育て、完成して、相対圏をつくった家庭、氏族、民族、地上天国をつくった家庭にするのが神様の救援摂理なのです。それは復帰摂理、再創造の摂理です。取られて、泥棒されてしまったのですから、その場所で再び設置しなければ、元に戻すことはできないのです。復帰は再創造です。フリーセックスで器官をめちゃくちゃにしてきたからです。

 神は、何千年までも待って、その器官をめちゃくちゃに使ったことはないのです。アダムと一体となってそれを使って、理想的な家庭出発を考えた神は、今までに歴史上使ったこともないのに、親である神様から生まれる後孫の立場であるにもかかわらず、それを使うというようなことは、無礼なのです。独身生活をしないといけません。たくさんの種を繁殖しなかったのは、復帰の年限が短縮されるためです。

 真の父母がまだ結婚していないのに、結婚することはできません。生めないのに、真の父母がいないのに、偽りの者たち、子供たちが、結婚をするということは、神の原理世界において公認されることは永遠にないのです。

    血統は種をもった男性を中心としてつながる

 女が中心ですか、男が中心ですか。誰が中心だと思いますか。(「男です」)。なぜ、男が中心ですか。垂直だって、女も垂直に立つことができるではないですか。中点に立つというのは、男は子供の種をもっているからです。それを女たちは、はっきりしなければなりません。

 数千万年の歴史を通過して、お父様を中心として、男を中心として、血統の子女をつなぐのです。女ではないのです。垂直の、子供たちの血統をつなぐものは、女ではありません。男に限ります。なぜかというと、神様に似ているからです。神様は性相、形状の中和みたいになっていますが、格好としては男の格好なのです。男が神の姿をもって、子供の種をもっているのです。

 創造前の神とそっくりです。神の代わりの立場であって、平面世界でその中心性を無視した場合には、平面圏全体が倒れてしまいます。そういうような伝統的基準に立たない国だったら、家庭、氏族、全部が流れていきます。

 女の胸は自分のものではないのです。旦那さんが握った場合には、喜んでお母さんみたいにならなければなりません。奥さんは、お母さんの代わりです。本当ですか。それを知らない男、女たちの愛の生活は欠けてしまいます。先生もそうであるかもしれません。神様はどうでしょうか。先生もそうだから、神様も見えなくて、そういうような思いをせざるを得ないという神様になっているのです。同じことです。

 尻も子供のものです。第二の自分の後孫のものなのです。胸もそうです。その器官も、子供が生まれる家です。愛さざるを得ないものです。だから、この顔もお母さんとして、子供が好きがる顔です。大きい子供がお父さんです。子供が好きがる顔を好きなのです。
 だから、すべて自分のものがないのです。生殖器は誰のものですか。子供のものであり、その子供が生まれる愛を継続させる器官であり、旦那さんの愛を受け入れる器官なのです。

 不平を言って、「そんなこと嫌だ」と言った女がいた場合、今晩、悔い改めなければなりません。

 そういうことをやることによって、女として、天来、何千年の歴史の伝統を続けてきたのです。死なずして貴い宝物を、自分の抱えた子供を受けもつ女が、旦那さんを無視することができるや! できません。何千代の血をもらうことによって、何千代の先祖の価値を、自分の後孫のものとしてはらみ、伝授してあげるのです。愛の表示、愛の行動なくして伝授してもらう道はありません。真剣な場です。

 お父さんが、旦那さんの顔が赤くなった場合には、すぐ準備しなければなりません。その瞬間に、愛したい男から、どんな子供の種が自分に伝授されるか分らないのです。いつ、どこで、それを伝授してもらうのですか。それを見抜く日は、ひらめくのです。歴史全体、先祖の細胞が蘇生してくる場です。そんな希望の生命体が、自分の前に立って、伝授する行動の表現を無視する女は、それは避妊した女になるということです。それは恐ろしいことです。

 それ本当ですか、本当ではないですか。死なないで、ここまで生き続けて、奥さんの願いのすべてを満たす、この胸を、顔を、生殖器を通して、満たしてやる、聖なる瞬間を、女としては、それ以上の精誠を尽くして受け入れなければならないのです。

 考えてみなさい。先生の考えが合っているか、合わないか。合ったとすれば、それを尊重し、貴重な人間の価値の母体として、天国の展示会の一番の王座に持ち帰って展示する女、男になればいいのです。愛の王様、愛の真の女として、世界第一の王、女王様の愛をなしてきたと。

 男がいなかったら、子供をはらむことができますか。子宮をもって、何をするのですか。ヒップが大きくて何をするのですか。胸が大きくて何をするのですか。美人の顔して何をするのですか。理想的な子供を伝授されるのです。

    結婚の相対は過去、現在、未来を通して発見した歴史的代表者

 こういう観点から見ると統一教会の家庭理想は、いかばかり価値あるものでしょうか。そういうような立場で子供をはらんで、子供を生んだときの顔を見た場合には、どちらか強い愛をもったほうに似ていくのです。二人でやってみなさい。

 公式的理想天国工場の基地は何かというと、完成生殖器です。男の生殖器と女の生殖器の凹凸が合う基地です。結婚の場だというのです。結婚は、男の半分、女の半分が完成することです。これは神様がするのだから、立体的、横的、縦的完成をするのです。

 こういう観点から見た場合、神様がいくら偉いとしても、男女の生殖器が愛の基台にならなければ、そこに種をまくことができないのです。種をまきに来る神様が臨在して、永遠の生命と人間の地上の生命、つまり、アダムは外的肉身の生命、神様は霊的生命、この二つが授受するのです。同じ愛でもって、同じ血でもって、同じ血統として子女が生まれるのだから、永遠の神の後孫として、天国に直行する者になっていくのです。理論的です。

 宇宙の万物、その雄、雌は凹凸になっています。分割されるものでなく、一体化するものです。愛し合うためにそうなっているのです。愛を得るには一つにならないといけません。一つにならなければ、愛を永遠に迎えることはできません。愛によって、生殖器は合うようになっているのです。

 愛の主人は神様であり、人間も絶対愛を求めていくのです。その一点を中心として、絶対の神様、愛の縦的一体化、男の生殖器以外にはないのです。これは否定できないのです。愛の公的実体は、神も人間も凹凸、平面的です。だから縦的父母、横的父母、アダムは横的父母、神様は縦的父母です。

 結婚するときは、五十億の人類があったとすれば、男はその半分の二十五億の代表であり、女は二十五億の代表として、最高の立場に立つのです。そういう観念で結婚する、そういう教育をしなければなりません。結婚の相対は、過去、現在、未来を通して、たった一度発見した歴史的代表の者なのです。生涯待っても、こういうものは得られないのです。

 子供が成長し、愛の完成定着地は結婚の場です。夫婦として完成、定着するのは結婚の場です。父母として完成出発基準が、その中心圏です。結婚する場なのです。その場が全存在の愛の願いの、四つのもとになっているのです。

 それが及ばなかった場合は大変です。だから、子供を立派に生んで、立派に兄弟圏を超えて養育して、そういうふうにして夫婦をつくって、立派な子女の願う完成定着基地、兄弟完成、夫婦完成、父母完成定着基地を中心にして、神に伝授して、神に献納した、そういう結婚の場をつくってやらなければ、四大心情圏を探すことはできません。父母ばかりでは駄目です。精誠を平面的に尽くすより以上の精誠を、立体的に神に奉仕するような基準をつくらなければ、つながらないのです。

 信仰生活は、奉仕を主張し、自分の犠牲を主張するのです。最後には、祭司とか、祭物を願います。祭物は血を流さなければなりません。手の先が減って血を流し、肌がむけて血を流しても、神の前には孝行の心情で、奉仕の心が万民に届くようになって余りある心をもたなければならないのです。

    世界大移動期が来る

 世界大移動期が来ます。スターリンが民族大移動を強制的に行いました。それと反対のことが地上に起こってきます。願って行かなければなりません。今、統一教会の国家メシヤに、嫌々ながら行っては駄目です。

 何千万年の国家が、メシヤが来られるのを待っていたのに、その願いに対して、その時になって行かないのでは、民族を捨てた王権の悪い王様の立場に立つのです。だから全部行かなければなりません。メシヤは、願って地上に行かなければならないのです。送り出して、強制されて来るものではないのです。

 今から言うことは、王権の理想世界に行く内容です。それを教えるのです。
 真の家庭は純潔によってつくられます。純潔の基台がなければ、真の愛は永遠に離別するのです。原理がそうなっているのです。それを否定できますか。純潔運動、真の家庭、原理観です。分かりましたか。自分で良心に聞いてみなさい。良心は父母に優り、良心は先生に優り、良心は王様に優るというのです。良心は世界同等になっているのです。垂直になったら、それは何度よじれたか、すぐ分かるのです。

 公式的理想天国は、公式的な理想的な生殖器をもたないと、天国そのものが吹っ飛んでしまうのです。子供をはらむとき、その器官を通してはらむのです。そのとき、喜びながらはらませたのですか。子供をはらむのに、泣きながらはらんだのですか。喜びながらです。全身の細胞がみんな爆発するような、細胞が全部運動するような喜びです。

 これは先祖の細胞、四百億の細胞をもっているのです。四百億の先祖、血統圏の何千代の先祖、みんな細胞に入っているのです。遺伝性によって、何百代、何千代の細胞がこの体の中に生き残っているのです。それが愛によって総動員されるのです。死んでいないというのです。生きているのです。愛によって再び連携して、後孫の細胞とつないでいるのです。

 汚れた愛の血統だった場合には、清められた血統を後孫に残すのがどんな難しいことであっても、親としては努力しなければならないのです。先祖が悪いといえば、権勢によって崩壊させて、自分が植えていかなければならないというのです。

 真剣に先生は言っているのです。訓練する女として、徹底した女をつくり出して、世界の女を教育するのです。その女たちを世界に派遣するのです。世界の母になれば、世界がみんなぞろぞろついてきます。それで韓国、大陸を回って、跳躍ではなく飛躍して、天国昇天してしまうのです。

 エバは、旦那さんの何を握らなければなりませんか。半島を、韓半島を握らなければならないのです。そうでないと日本は滅びるのです。見てみなさい。先生の話は流れていきません。日本人としては、気持ち悪くても仕方がないのです。春が過ぎて、秋になって、結果を見れば分かります。日本人と韓国人との世界において結果を見れば分かります。

 韓民族は、こういうような列強の真ん中に立って、よくも七千年の歴史を民族として残して、唯一の民族になったものです。先祖の伝統を、万民の誇りとして称える民族です。

    自分の肉と骨を削って世界に乳を飲ませるのがエバ国の使命

 日本人の家庭は韓日人教会と共に僑胞を伝道していくのです。そうすれば、僑胞を中心として、カイン・アベルになるのです。だから、日本は双子をはらまなければならないのです。それを日本が消化しなければ、完成する、解放される日本になれません。それを拡大して、二大主義である共産主義と民主主義を消化しなければ、それは世界的な範囲になりません。

 半島を、国を、世界全体を抱擁するお母さんにならなければ、日本国家として母になりません。世界に送らなければならないのです。荷造りして、お嫁に行かせなければならないのです。自分の準備したすべてを売って持っていかなければならないのです。そうでしょう。母は子供にすべてを投入しながら、未来を考えて、未来の国を考えて、親は子供のために犠牲になっていかなければならないのです。

 それは伝統的公式になっているから、日本のきみたちを派遣しながら、使命を果たしてこない以上は、同情することはできません。後孫と共に、名目ある、家族が誇れるような基台をつくらなければ、お嫁に行った女としては価値がないのです。

 今まででたらめに生きてきた日本の奥さん像と、先生の理想的奥さん像を比べてみたら、天地の差です。日本の奥さん像は地獄に送らなければなりません。先生の奥さん像は、地獄に行っても天国に引っ張り上げなければならない、そういう立場です。

 天下の価値を分かった以上、その道を直行していくのが、女として生まれた使命の生涯の道であり、母として、妻として、生涯を懸けていく使命の道であることを分かりました! (「はい! )。

 日本の千六百人の女は失敗です。日本自体が使命を果たさないから、四か国から島嶼国家を拡大したのです。十倍以上でもって帰っていくのです。十倍から十二倍。十倍以上しないといけません。だから、一万六千人以上になります。国連に加入している国は百八十五か国、そこまで拡大しながら日本の女を送った場合には、全体が日本の女の肉と骨を削り取って、飲まない者がないように乳を飲ませるのです。日本はそういうような宝をもつように、神は祝福しました。

 男は別個のものです。現地において活動して、女を苦労させる。その子供をずっと、血と汗と骨を売ってでも食わせていくのです。三代、四位基台、全体です。親ができなければ、子供たちも血を流しながら、その国の同情の峠を越えていって、万民がその前にひざまずいて痛哭するような民族となることによって、神の国に、国として帰ることができるのです。それはメシヤの使命です。皆さん、先生のために祈祷したりして涙をたくさん流すでしょう。

    十字架の上でも楽しんで越える

 子供をはらむときには、生殖器を結晶させるには、凹凸を一つにさせなければならないのです。間違いありますか、ないですか。(「ないです」)。真剣に答えてください。でたらめではないのです。神もそれを待っていたのです。歴史の恨みを抱えながら、その一日の瞬間を待っておられた神様を、痛哭しながら迎えなければならないのです。徹底的に腰に刻んで帰って、伝統的な先祖の母とならしめたいのが先生の思い、先生の望みです。分かりましたか。

 さあ、そうしてはらんだその子供は、今から天国の直系の道をたどっていくのです。家庭王権、国家王権、世界王権を相続しなければならないのです。天宙王権を相続して、宇宙祝福を相続するには、家庭で相続しても、国家と世界、天宙が残っています。家庭で相続したい思いがしたら、それでおしまいです。家庭第一主義を唱える者は、天国の最後の相続です。宇宙相続は不可能です。不可能になった場合は、それで霊界に行ってとどまってしまうのです。永遠の望みとして、それに向かって前進、前進をしなければなりません。

 それは、圧力をかけても強制的にでもなしていかなければならないのです。何万年、引っかかるというのです。それを知った以上には、地上で圧縮して、千年の歴史を、十か月、一か月でもまとめてなしていかなければなりません。そういう道を行くには、十字架の上でも楽しんで越えていきたいという思いをしなければならないのです。それが、蕩減復帰の道です。先生はそういう思いで、四千年の歴史を四十年に縮小してやってきたのです。ただでなされません。

 そういう場合には、その子供はどういうふうにして発展していくのでしょうか。その王権の公式行動路程を通過するのですか。数千年の自分というのは、数千年の先祖の血統をつないでもらったと感謝しなければなりません。死なないで、こういう男として生まれているのですから、ここに根をもたなければなりません。

 初愛のときにはらんだときの子供は、何をして大きくなるのですか。母の体、母の骨肉を完全に吸い取って成長するのです。精子は分子です。顕微鏡でしか見えないのです。だから、完全にお母さんの体の延長です。自分というものがないのです。

 そこから出発して、どこにいって、天宙の神様の、真の親の相続を受けるのでしょうか。家庭で受けたらぺちゃんこです。家庭を越えて、国を越えて、世界を越えて、霊界まで行って創造した主人たる、アルファの親父と同じように、オメガの親父に立って、相対理想の国を治めるような権限をなしてあまりあるような者になって初めて、神の子供らしいと、神が認めるのです。抱擁するのです。

 そういうことによって抱擁され、任命されて、認められて、そして相続するのです。相続は地上ではありません。先生もそれに向かって今、精誠を尽くしているのです。そこまでいかなければならないのです。どんなことをしても、そこまでいかなければならないのです。

 だから、天から出発して、天に帰って、アルファ、オメガです。勝利の理想的相続というのは、神の前に来て相続するのです。国家、王様、親の前ではないのです。分かりましたか。国の王様ではないのです。世界の王様ではないのです。それを越えて、天宙の王様の前に立って、神の愛の相対実体者として、神が認めて愛された後に、すべての権限を相続するのです。それで、無限解放、全権、絶対解放圏に立つというのです。

 死んででもそこを通過しなければならない。何億年かかるか分かりません。だから、地上で結んだものは地上で解かなければならないのです。地上でなせば、天国でなせるのです。地上でもって堕落しているのだから、地上でもって堕落圏を天宙の根底まで通じるようにして、完成圏を通過しなければならないのです。堕落しなかったならば、霊界までそのまま上がって公式的に発展していくのです。分かりましたか。

 御旨に乗った場合には、エレベーターのように自動的に上がるようになっているのです。堕落したのだから、みんな故障して、階段もみんな、目もみんな取れてしまっているのです。カインはジャンピングしなければなりません。冒険者にならなければ、それをつなぐ道はないのです。

    子供は母の体の分身延長体

 子供というのはどういうふうに大きくなるのですか。お母さんの体を一〇〇パーセント吸い込んで伝授してもらって、子供は大きくなるのです。だから、その子供はお母様の体の延長、分身です。腹の中で、お母さんの肉と血と骨と骨髄を吸い込んで大きくなるのです。だから、子供は、お母さんを自分の主体として永遠に一つにならなければならないという考えを、越えることはできないのです。

 だから、お母さん、難しくてもお母さん。そうでしょう。それによって大きくなったのですから、夜も昼もお母さんを思うし、故郷のことを思うのです。故郷はお母さんと共に、お母さんの環境そのものです。もとの主体圏を忘れれば、それは三大圏の根拠を無視するものだから、相対圏の三代としても、それは主体がないようなもので、悲しくなるのです。

 これはお母さんの体の延長です。お母さんに、孝行娘にならなければならないという公式のレッテルが、全身に張ってあるのを忘れてはならないのです。お母さんが手を切っても、お母さんの体を切るのだから、感謝しなければなりません。そういう思いをもって孝行娘になるという考えをしたことがありますか。お母さんを利用する女、お父さんを利用する女、そうでしょう。生まれてそんなことをやってきたのですね。原理公式に違反するのです。自分を主張するものは何一つありません。

 自分はあるのですか。お母さんのもの、お父さんのものの延長です。お母さん、お父さんが公認する以上は、自分を主張する者は三大権限を放棄しなければならないという原則になっているのです。こういう教育をされた場合には、父母の前に従順なる羊のようにならなければなりません。祭物です。間違っても反発はしないのです。従順な姿です。イサクは祭物として、そういうふうにして親が包丁で命をとそうとしても反論しなかったのです。

 天来の祝福を相続する、それは烈女の勝利の中核になったというのです。そうでしょう。自分のものはないのです。母の前で、母よりきれいな立派な服を着たら恥ずかしいと感じることを知らない娘、男は罪人です。それは放蕩息子です。自分のもの、何がありますか。一つもありません! 子供のときには母の骨肉、血と骨髄を吸い込んで、パイプでそのまま相続してもらったのですから、自分というものがないのです。誇るものは何一つないのです。誇るのだったら、お母さんと共に誇らなければなりません。

 男も同じです。自分のものは何もないのです。見せてください。先生が認めるような、納得させるようなものがありますか。一つもありません。

 だから、父母は、国につながらせてやらなければならないのです。国をつながらせるのに、放蕩息子を国に誇るような男、女につくらなければ大変です。その国は破壊されます、滅亡していくのです。神の国まで上がっていかなければ天地理想の相続は不可能なのだから、どんなに難しいことでも先祖、母の血統のはしごを逆に上がっていかなければならないのです。それは、上がる者が自分を誇ったりしたら落ちてしまうのです。母の指示によって、一歩一歩前進していかない者は、みんな落第生になります。分かりましたか。

 絶対的に、子供は母の体をみんな吸い込んで、母の分身延長体であるということを確認し、分からなければなりません。自分がないのです。

 そういうふうにして生まれた場合には、三年間は母の乳を飲まなければなりません。六か月の三倍、一年半はそういうふうにして、三年間は食べさせながら、養育しなければならないのです。養育するには、どこでするのですか。母の膝の上で、胸に抱擁されるのです。膝の上で育てなければなりません。

 そのときは、母は働けません。大きくなった子供を喜んで、一体となって、二つが一つになって、誰の骨肉を吸い取るかというと、父の骨肉を吸い取るのです。同じ法則です。父の生命体が入っているから、父の責任分担が残っているのです。母の分担をなした上には、母と子供が大きくなるには、その平等圏に立つには、父は種とともに、これを大きくしてやらなければなりません。だから、母と子供を養育するためには、自分の汗、血、肉、骨、骨髄を投入しなければならないのです。

 子供とお母さんは一列になって、父の血肉を吸い込んで大きくならなければなりません。それで一つになって、平等に立つのです。お母さんとお祖母さんが平等に立った場合には、これが三つが一つになったら、どこに行かなければなりませんか。国の母の懐に帰っていくのです。国の王様の王権は、国の父母の立場に立つのです。分かりましたか。

    自分という存在を主張したら落ちる

 日本には自分の土地もあるのです。家庭というものは国を中心として、国の土地と国の宮殿の王様と王族の家庭、母と子供と一体となるのです。全体の王族、全体の王様、平面的に立つ家庭は、全体の家庭を養育するように、母の立場で、すべてを自分の骨肉を投入するような王族、家庭にならなければならないのです。そういうふうに一体になった場合には、自分のお父さんと母と子供たちが一つになります。一つになって、王様によって、これは王様の骨肉を吸い取って大きくならなければならないのです。それは第二段階の国家家庭圏です。

 国家家庭圏、それが世界家庭圏としてつながるのです。本当は堕落しなかったならば、国家家庭圏で世界を越えて、世界家庭圏になるべきなのに、長成完成基準において堕落したのだから、サタン世界の長成完成基準の国家基準がある、そういう国家が世界的に拡大したから、それをまとめたら、世界基準を中心としてメシヤが来るのです。世界の父母として来られるのです。

 そうなったら、国家、王様と一つになった家庭の統一された全部が、国家で吸い取って養育されたのと同じように、国家メシヤの家庭の直系の母と子供たちは、世界すべての家庭をつなげなければなりません。それが一つになって、世界王様の体を吸い取ってくるのです。

 外的な土地とかみんなその王様の所有ですね。そうでしょう。金も王様のものです。全体を、王様の骨肉を吸い取って、国家的メシヤ圏が一つになるのです。一つになって、天宙的国家の父さんのところに帰っていって、天宙的な王権を中心として、王様と家族を中心として、同じ公式で一体になるのです。

 一体になって、王権の母のところでみんな吸い取るのです。国家の土地とか、そういうような土地自体が第二の母です。吸い取って、それが一つになった場合には、王様の骨肉です。天の神様、実体の骨肉を吸い取って完成体になるのです。公式は同じです。
 だから、そこへ行くまでには、自分の家庭もなければ、自分の国もない、そうなるのです。自分の国でとどまろうとした場合には、天に天宙国家王権をつなぐことはできません。

 自分に、何も主張するものはありません。国民として全体の国の恵沢を受けて、それが保たれていくのです。だから、国が主張するものは何もありません。自分のものは、何も関係したものはないのです。家庭の上で国、国の上に世界、世界より天宙という関係で拡大をする基準、はしごがあって、そこで最後に、永遠の父母である神様の血肉を完全に吸い取って、それを実体化するのです。だから、それは一つにならなければならないのです。そういう一体化が、神の実体の愛の相対にふさわしい、愛せる子女に間違いないというのです。

 神は自分の全体を相続することによって、そこで初めて神の権限を送って、神のものになるのです。だから、家庭を率いて、国の母を治めて、国の王様は国を引っ張って、世界の王様のものになるのです。世界の王権を引っ張って、天宙の王様の家庭と一体となるような道を立てていくまでは、自分という存在を主張したら落ちてしまうのです。自分はないのです。

 だから、お父様を中心として血統を受け継いで、こういう落ちたものが、お父様の血統を何代か訪ねてきました。天宙から世界、世界から国家、国家から家庭まで来たのが、そのはしごを中心として、お父様を中心としての王権です。お父さんの橋を逆に戻っていかなければ、帰る道はありません。お母さんの橋はないのです。

 天から種として来たものが、種を中心として、お父さんのはしごを戻っていくのです。王権です。お父さんの骨肉を受けないというと、直系の神の王権へ帰る道はありません。王様もお父さんです。世界の王様は、世界のお父さんです。天宙の神もお父様です。それは、お父さん、血統のはしごを降りてきたのだから、帰っていかなければならないのです。

 帰る道は女を通して、女と共に子供を抱えて、お父さんによって上がるのです。だから、女は天に向かって、横転しながら呪うこともできなければ、地に向かって呪うこともできないのです。自分の使命を果たせない以上は、子供と一体となって、お父さんと一体となる、そういうことに感謝しながら奉仕することによって、父から喜びの伝授がされるのです。

 そういうような立場に立ったのが母だから、母と子供は、お父さんの王権の柱を四段階越えなければ、神の王権に帰ることはできません。男を無視するものは、永遠の堕落に至るのです。

 やっと真の父母権を相続する真の子女として子供をはらむような、本然の地に立った女としては、男を絶対としてつないでいかなければ、再び悲惨な歴史に残るのです。こういう公式的理想天国をつくる内容の道を知らなければ帰ることができないから、今先生が教えてあげるのです。

   為に生きる公式基準はどこでも公式となる

 そこまで行くには、女として着飾ることは恥ずかしいことです。親は汚い着物を着て、自分は豊富な着物を喜んでいるなんて、こういう原則を知らないからそんなことが起こるのです。徹底してこのような公式理想の内容を通過しなければなりません。宿命を懸けた使命です。人生の功労を保つような生涯を残していかなければなりません。今から行かなければならない家庭構想の基盤です。

 これを行った場合には、独裁者がいないのです。王様が自分自身を考えることはないのです。一千万の家庭で貧乏な家庭があった場合、自分が家があり財産があった場合は、親子と同じように使っていかなければ、国家の基準を治めることができません。国家、王はあらゆる家庭基準の家庭を治めることができなければ、世界中すべての国を治めることはできないのです。神様から世界を超えて、すべての世界権を治める道は永遠にありません。為に生きる公式基準は、どこでも公式になっているのです。

 子供は親のために生まれてきます。母と子供は父のために生まれてきます。父と一つとなるために生まれてくるのです。だから、一つになるためには、父が主体だから、補給して、無限に投入して忘れるような立場に立たないと、真の母になり、父になりません。子供に投入して、それをはらんだ場合には、お母さんは喜びながら待つのです。父母と共に腹を捧げながら喜ぶでしょう。生まれた場合には、子と共に二重の愛を抱えて自分の骨肉を投入しながら喜ぶような、母、父にならなければなりません。

 だから、独裁者、酒飲みの親父は、あるべきものがないのです。子供をだましておいて、自分は安楽の道を行くような、そういう親は天国にはいないのです。親に反発するような子供はいないのです。だから、従順に永遠に公式に従って、永遠の相続の目標に直行するような家庭は、神がどこでも守られ、受け入れられるのです。

 生殖器を合わせる理想の家庭が横的に拡大していくのです。それがもっと大きくなったら王権の基準になるし、もっと大きくなったら世界基準につながるといった、道はどこでもつながるのです。どこでとどまりたいですか。日本の国でとどまりたい? 世界でとどまりたい? 天宙でとどまりたい? (「天宙です」)。

 四代、四列の母の血統を受け、四列の父の血統を母と共に受けていかなければ、それ以上の世界に上がるはしごがなくなってしまいます。永遠解放の理想圏に到達するのは、永遠に難しくなります。千万人の列を重ねても、その道を開拓するために霊界へ行って、苦労、苦労することを思えば、地上は瞬間、瞬間です。

 先生も華々しい青春時代から壮年、老年になっていくまで、修行してこういうことをやるのです。自分のためにプラスするような思いはしません。だから、日本のすべてを捨てても先生に引かれていきたいのです。先生を慕うような本心が、行く道をふさがないで開くのです。明日を待つなというのです。きょうで結末をつけなさい。きょう新しいものを加えていくところに、神様は離れないで守ってくれるのです。

 先生も同じです。きみたちはプラスさせて生涯を終えて、もしも何の功労もなくして死んでいったとしても、その功績はなくなりません。自分の財産として、霊界で保管しておくのです。世の中で、涙を流しながら実際に功労をなして、その後孫によって、立派なものがなった場合には、立派なものを中心として、昔の親子関係、心情圏に比べ、素晴らしい恵沢を後孫に譲ってもらうことができます。親が後孫に残していくのが、親の行くべき道です。国に残していくのが、親の道であるのです。先生はそれを考えているのです。

 金があった場合には、自分のために使うことはしません。だから、いつもお母さんに言うのです。「この献金というものは、毒薬よりも恐ろしい。手をつけるな! 祈祷をしながら精誠を込めて、悲惨な血を流すような苦しみの峠を越えて、献金をまとめた場合は、その心情を育んだ涙を汲みながら、母として引っ張り上げる同情の心をもって使うならばかなうのだが、それ以下だったら引っかかる。何十倍の蕩減をしなければならない」と。だから、霊的指導者の子供の血はよくないのです。

 霊界の永遠の期間において、そこには食べ物とか自分の着る物とかをつくる工場がないのです。本工場、自動車工場、自転車工場、何工場もありません。自分の愛の感覚でもって、すべてが完成可能な世界です。愛する心情が平面的に一致した場合は、願うものがすぐ現れてくるのです。その相対から願われたら、相対の願いが、即時に発給する世界です。

 こういうことを知った場合には、地上に生きていたくないのです。しかし、地上に蕩減復帰の公式があるから、先生もこういうことを続けてやるのです。

 統一教会は、日本のメンバーも世界的に派遣して訓練させなければなりません。訓練させた舞台において、子供を生んだそのものを母として慕って、父として慕っていくような、それから、メシヤを慕っていくような、立派なものを生み出させる、こういうことをせざるを得ません。日本ばかりの考えは駄目です。

 天国の家庭から、世界の家庭から、国家の家庭から、母の腹中まで入るのです。同じ公式です。胎中で母と一体になって、お父様のはしごをこういうふうにして上がっていくのです。母は横的な畑、種を受ける畑であって、伝統的な子供の伝統の内容を包容する何ものももっていません。女はこの時代によって、これを中心として回るだけ、引き継ぐだけであって、それ以外何もありません。お父様の骨肉を中心として、生命の種をつなぐのです。

 だから、子供の主人は女ではありません。離婚しても女は、子供を管理する権限がないのです。だから、お父さんと絶対に一体にならなければ、共に上がる道は永遠にありません。共に一体になってすべての環境を通過することによって、垂直な強いはしごがつくられるのです。

 だから、お父さんを尊重する家庭は、愛国家庭、愛国家庭は聖人の家庭、聖人の家庭は聖子の家庭、聖子の家庭は神の家庭につながるのです。同じ原則です。女性たちはこの鉄則を胸に秘めて、今から日本発展の伝統的原料と資料を残さなければなりません。これを教えておきます。今までこんなことを教えていません。

    絶対信仰でお父様と一つになる

 統一教会は神のめんつを立てなければいけないのです。十六万人の教育、献金を中心としていっぺんにやった場合、みんな救うのです。救ってあまりあるのです。責任を果たすのでなければ、結果を出すことはできません。放棄しなければなりません。

 そうなった場合には、日本の国が引っかかってくるのです。摂理の目的に収まらないその国は消えていくのです。日本と共に国を治めなかったら、世界に行って国家メシヤとして、世界に押し出して復帰してこなければならないのです。蕩減復帰だからです。国家をまとめて、一国でやった場合は簡単なのに、世界に散らばって世界を治めてくるのは大変です。解放するのは大変です。

 だから、十六万の一万六千人を先頭中心として、血と汗を流すことです。それは先進国家、第二次大戦の六か国につながったものを、韓国を中心として一つになった場合には、エバ、新婦世界が帰ってくることができるのです。新婦世界を延長させて流してしまったエバの国だから、それを世界によって新婦圏を復帰してこなければならないのです。新婦たちをみんな蕩減の祭物として、犠牲の立場でもって、その国から今の大統領と前大統領、カイン・アベル二つを治めて、これを一つにして、母を通して帰ってくるのです。原理の反対の法則を適用して、それを国家で、世界国家を拡大して蕩減していかなければならないのです。

 再臨の主は、家庭の王様、国の王様、世界の王様、天宙の王様です。そういう条件を完成させたのですから、再臨主のしっぽを通じて家庭のお父さんのはしごも越えることができれば、国のはしごも越えることができるし、世界のはしごも越えることもできるし、天宙のはしごも越えることができるのです。

 だから、神様の命令した絶対信仰の上で、創造した理想のすべてが完成されるのです。真のお父様が絶対信仰で、絶対愛、絶対服従の家庭を完成されて、アダム家庭の崩壊を越えた勝利圏をなし得たというのです。絶対信仰です。先生のしっぽを一度見た場合に、絶対的信仰でもって放しては駄目です。絶対愛の相対、いかなる命令をしたとしても、お父さんの立場で、娘に、子供に命令するのですから、殺すような命令はしません。各自の資格を満たすために命令するのであって、お父さんが求めるものがあるのではないのです。お父さんが投入しないといけないというのです。

 その原則から見た場合は、原則に一致しないと真の親になりません。こういう伝統的な教育を、絶対的真の父母を、なぜ必要とするのでしょうか。このはしごを一代で越えることができるためです。これはアダム、一代で権限を相続する基盤をなくしたのだから、総合的な勝利の公式的基盤を完成させた真の父母によって、真の父母と絶対に一体になった場合には、その公式を凌駕するのは問題ありません。

 その真の父母と同じように、自分の先祖に対して、同じ伝統的精神を後孫に残した場合には、はしごを上がっていった真の父母によって、自分も後孫も、間違いなく絶対一つになってついて上がることができるのです。高速道路はもうすでにつくられています。ここには独裁者がいません。搾取者がいません。そういう思いをする者はみんな脱落することになるということを知って、そういう立場に立たないように各自が注意すべきです。

 そういうふうに間違いなく決意したという者は、手を挙げてみなさい。本当ですか。みんな決意した場合には、先生の教育はみんな終わりました。



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

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Last updated  2023.01.18 21:42:46
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