ファピーの風の花

ファピーの風の花

2006.08.28
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テーマ: 韓国!(17920)

先日7月23日(日)に、金子文子、没後80年の 文子忌 が山梨県牧丘町木山 口
(キとヤマで一字でソマと読みます。そまぐち、です。)にある、

文子碑の前で行われた

 金子文子の事を知ったきっかけは忘れたが、獄中にあった文子がそれまでの人生22年間を振返って記した自伝的な書、『何が私をかうさせたか』を読んで、彼女の「絶対平等」への強靭な意志と、全体主義への徹底的抵抗にあきれるほど驚き、強く魅かれた。
 もともと理不尽な逮捕をして死刑判決を出しておきながら「恩赦」で救ってやろうという、権力側の姑息なやり方に猛然と抗議して1926年7月23日、宇都宮刑務所内で23歳の若さで自ら命を絶った文子の潔さに感服しつつも、その早まった死が悔やまれてならなかった。だからせめて文子の意思に学ぼうと、それ以来自分に問うている。

 金子文子は1902年生まれ、9歳まで無籍で育ち学校にも行かれなかった被差別者としての経験から、戸籍、家長制度の虚構を看破する。

 9歳で在朝鮮の祖母に引き取られ、母の妹として入籍されるが虐待に次ぐ虐待を受け16才の時(1919年)日本に帰される。蔑み、いじめを受けた体験から、同様の苦痛をなめさせられていた朝鮮の人に強く共感する。3・1独立運動に遭遇し、自分のことのように感動した。


 囚われても平等精神を貫き、国家権力に屈することのなかった一徹な強さと表裏をなす、生きること愛することへの情熱と優しさ。文子の魅力は語りつくせない。
 ヒトラーに抗して処刑された白バラグループのゾフィー・ショルと文子とが重なって見えるのは、私だけではないだろう。

 山梨県牧丘町には文子の母の実家があり、文子は少女時代と朝鮮から帰国後の一時期をここで過ごしている。波乱の生涯の中で、それでも牧丘時代は人並みの安らぎと平穏があったようだ。
 私にとっても牧丘町は多少の所縁があり、文子に注目するうちに、やまなし金子文子研究会を知り会員に入れてもらった。今回の文子忌はその研究会が主催者だが、後援には山梨市・山梨市教委、県生涯学習推進センターなどの名前が上がり、市長代理や牧丘町長も記念碑前の式典に出席してくれた。

文子の碑は立派な石碑で、没後50年の30年前に立てられたものだという。
今、文子からの発信をどう受け止めればよいのか。試されているのは現代に生きる私たちだ。

文子はたくさんの歌を残している。 次の歌も文子の性格の一面を現しているようでおもしろい。


     世の有様を 倒(さか)に見たくて





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Last updated  2006.08.29 23:50:57
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