ピカルディの三度。~T.H.の音楽日誌/映画日誌(米国発)

Nov 8, 2006
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 たぶん国際的に流布している言い伝えだと思うけど、我々アマチュア室内楽愛好家の間では、「作品番号100のジンクス」というのがある。

作品番号100を超える曲に無謀に挑戦してはならない。敢えて取り組んだ団体は結局は解散してしまう。

……という不吉な言い伝え。潤滑な人間関係のもと末永くアンサンブルを組み続けたかったら、決して立ち入ってはいけない禁断の作品群たち。

 なんとも的を得てると思う。作品が100番を超えると、確かにアンサンブルとして合わせるのが一気に難しくなる。指揮者のつく編成ならともかく、指揮なしで合わせる室内楽の場合、ただでさえ周りへの気遣いも大切だし、ちょっとした発言が命取りになることも。技術的、音楽的にはもちろん、人格的にも優れてないと弾けない楽曲ばかり。

 これは主にベートーベンとブラームスに当てはまる。シューベルトやドボルザークもそうかも。
 僕は最近、 ベートーベンの後期カルテット作品127 を弾く機会があって、このジンクスの真意を思い知らされることになった。現にそのグループは崩壊の危機にさらされている。

 作品番号100を超える室内楽とは、ベートーベンで言えば、後期の弦楽四重奏曲は全てがそうだし、チェロソナタの4番と5番も確か100番台。

 ブラームスで言えば、バイオリンソナタ3番が作品108。クラリネット五重奏曲作品115もそう。過去に友人たちと二年ぐらいかけて全楽章に取り組んだが、結局第2楽章が弾けずに泣く泣く挫折してしまった。


 とにかく、作品番号100を超える曲は確かに自分にとってはあまりいい思い出はなく、むしろトラウマとなってて、なかなかCDを聴く気すらしない。少しずつ慣れていくしかないのか。
 僕は「ジンクス」なんて気にしないほうだけど、少なくとも、今所属している複数の室内楽団体がこれ以上崩壊してしまうのはイヤなので、身分不相応の難曲に無理して取り組むのには慎重にならざるを得ない。
 どんどん保守的になっていく自分が情けないものの、やっぱり作品番号100の壁は厚いと思う。





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最終更新日  Nov 9, 2006 10:27:08 AM
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