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2006年11月16日
相場師奇聞 鍋島高明
カテゴリ:
日記
なかなか資料の少ない近藤信男について書かれていますので抜粋します。
第2章 相場のために生まれた怪物たち
11 K紡・近藤信男(1903-73)
怪物相場師は事業家としても超一流
極端なマスコミ嫌いで人間嫌いの近藤信男が晩年心を許した一人のジャーナリストを前に長広舌をふるっていた。
「そこに山があるから登るんだ。そこに相場があるから張るんだ。・・・・・・相場に勝つということは結果であって、目的じゃないんだ。苦心惨憺して、相場を張り、それが思惑通りにいったときの戦慄するような楽しさだな。こいつだけは相場をやったものでないとわからんだろうよ」
相場に勝った時の戦慄する楽しさ
”死ぬときは相場で死ぬ”というのが口ぐせの近藤信男の相場談義は続く。
「俺にとって株は女道楽みたいなものだ。だまされたり、成功したり、失敗したり。しかし、それが楽しいのだ。小唄の文句にもあるだろう。だまされているのが遊び/なかなかに/だますお前の手のうまさ/水鶏きく夜の酒の味、てな。だが、綿糸は俺の本業であり、背骨だ」
過激で明快な近藤信男語録を今日伝えるのは伊藤肇である。『人間的魅力の研究』一冊で経済ジャーナリストとして頂点を極めた伊藤は近藤信男と会見が許される数少ない新聞記者の一人だった。
父親の繁八は明治から大正にかけて、相場師として鳴らし、近藤紡績所を創業した立身伝中の人物である。大正11年5月、名古屋綿糸布取引所(戦後名古屋繊維取引所→現中部商品取引所)の初代理事長に就任する人望の持ち主であった。
繁八は相場が大好きで綿糸相場で大掛かりな作戦を展開し、大阪三品取引所の田附将軍こと田附政次郎と相対峙したこともあるという。だが、昭和2年の金融恐慌で破綻、同4年世界恐慌の前夜、急逝する。
当時、慶応大学理財科(現経済学部)の学生だった近藤信男は学業を中断し、家業の再建に取り組むことになる。
「経済学の勉強どころか、授業料を使い込んで兜町で相場を張り、賭け事がメシより好きで、ことに花札に熱中するという惣領の甚六を地で行く遊蕩児・・・・・・・『近藤紡績所の余命はいくばくもない』-----周囲の人々は、一致して最悪の事態を想定した」(藤野洵著『人間近藤信男』)
だが、三田の遊侠の徒もお家の一大事とあっては、菜っ葉服の仕事師に大変身する。朝5時に起きて、仏前に手を合わせると、あとは夜中まで仕事に打ち込んだ。「紡機の中にもぐりこんで陣頭指揮をとっている」という噂が立つほどの働きぶりだった。
この時、近藤信男を支援したのは母方の叔父永岡弥兵衛。「永岡将軍」とも呼ばれた相場師で、近藤信男が師と仰ぐ人物である。永岡から相場指南を受けながら近藤紡績所は窮地脱出を図る。
そして、昭和7年、大勝負に出る。ニューヨーク綿花相場の罫線をにらんでいた近藤信男が思わず「買いだ!」と叫ぶと、取引商社もびっくりするほどの大量注文を出した。
綿花相場で当て窮地を脱出
「近藤信男には、いまにも綿花相場が上に輝き出そうとする強力な材料がはっきりと肉眼で見えた。薄闇の中に包まれているこの綿花相場の先行きには奔流を躍り上がる鯉のような急騰場面があるのだ・・・・・・」(『人間近藤信男』)
果たして、ミシシッピ河は氾濫、害虫の発生の報とともに綿花相場は奔騰し始める。1ポンド当たり4セント台で買った綿花が9セント50にまで高騰する。
「間髪を入れず、玉を整理した近藤は、トランクに現ナマをつめると、のっそり住友銀行名古屋支店に現れ、900万円の借金をきれいに片付けてしまった」(伊藤肇著『近藤信男-伝説の怪物相場師の痛烈な人生』)
当時の900万円は今日ではざっと10億円の大金である。思いもよらない一括返済にびっくり仰天の支店長に向かって近藤信男は「綿花と綿糸相場の思惑で当てたので返します」と言葉少なに語るのだった。相場師近藤信男の鮮烈デビューの瞬間である。時に28歳。
先物市場を最大限に活用
「近藤紡は資本主義経済のチャンピオンだ」「綿紡績経営者として超一流の手腕を発揮した男」といった賛美も聞かれる。
さて、戦時色が強まり統制経済体制に入っていくと近藤信男の力量は抑え込まれる。近藤信男の復活は第2次世界大戦の終結をまたなければならない。
近藤紡は東洋紡に次ぐ第2位の生産力を備え、日清紡と並ぶ業界首位の低コスト紡績として戦後の紡績市場に隠然たる勢力を確保する。近藤信男ほど先物市場を積極活用して業容拡大を図ったひとも少ないだろう。
日経記者を近づけなかった男
畏友米良周元日本経済新聞編集委員は『私的相場師列伝』の中で記している。
「近藤紡の綿糸市販は3ヶ月の生産分を一括して先送りするシステムをとっていた。近藤紡は市販する前に先物市場で買い煽り、一定の値段に達したとみれば、先物と連動する現物市場に一挙に売りさばく、という手を使っていた」
米良記者も終に近藤信男には会見できずじまいだったという。
マスコミに正体を明かさない近藤信男の所業は「K紡」とイニシャルで表現するほかは無かった。新聞雑誌の商品先物欄でも株式欄でも「K紡」は仕手として頻繁に登場するようになる。
病室でも相場と格闘する
昭和34年春のことだが、近藤は胃潰瘍にやられ、名大病院特別室に担ぎ込まれた。見舞いに訪ねた伊藤肇が「面会謝絶」の札の奥で仰天する光景に出くわしたのだ。
「目に飛び込んできたのは、やせこけた近藤が受話器を二つ握って、かすれた声で怒鳴りまくっている姿だった。右の耳で繊維相場を聞き、左の耳で株をやっているのだ」(伊藤肇『90億円の大道楽-----怪物相場師・近藤信男のハラの中』)
城山三郎は近藤信男をモデルにした小説『一発屋大六』の中で、この光景を誇張を交えながら描いている。
「短波放送、ソロバン、電話の音、それも1台や2台ではない。・・・・・病室の壁いちめんに罫線紙が貼りめぐらしてあった。社員が数人、そして電話が5,6,7台・・・・・張本人はと見渡すと、窓際のベッドに白っぽい浴衣の上半身を起こし、目を吊り上げて電話に向かっている」
城山は執筆に当たっては、親友の伊藤肇からネタの数々を仕入れたと思われるが、この時の近藤の姿を「幽鬼」と表現している。胃袋へ通じるゴム管をくわえたまま電話器に向かって「売った」「買った」と叫んでいる老人の姿は「相場の鬼」というより、「相場の幽霊」に見えたのだ。
昭和34年7月号『実業之世界』が「戦後成金盛衰記」を特集するが、その中で近藤の懐具合を探っている。
「31年度は長者番付5位で、その所得も1億円を超えていたが、翌32年度は20位で約半分の6000万円余り、そして33年度は所得ゼロという転落のしよう。もっとも配当所得が1億円あまりあるが、株式の譲渡損1,700万円、売買損8,900万円が税務署で認められたかららしいが、ともかく相場師の世界は明日のわからぬものだ」
戦後の株式市場で「K紡」はもっぱら売り仕手として登場する。トヨタ自動車、清水建設、ソニーなどの株を四大証券を向こうに回してカラ売りで真っ向勝負した。特にソニー株の売りでは90億円の巨損を抱え、近藤紡績所の経営基盤を揺るがす大敗北と報じられたものだ。大和ハウス工業の売りでも35億円損したとされる。
だが、近藤紡績所の土台はビクともしない。資産2000億円からみればかすり傷程度のものだったし、会社の事業目的(定款)に「株式売買」をうたっているのだから株の損は利益から落とせる。おまけにいままで納めた税金の戻しまでいただけるというのだから、痛くもかゆくもない。
中山製鋼株で糸山連合に敗北
だか、最晩年、中山製鋼所の大仕手戦では近藤も窮地に追い詰められた。相手は糸山英太郎で、近藤からみれば洟垂れ小僧でしかないが、背後に怪物笹川良一、糸山の実父の佐々木真太郎がついて連合軍を結成しており、資金は無尽蔵ときているから、さすがの近藤も相手が悪過ぎた。
近藤は例によってボロ株中山製鋼所を売りまくった。昭和46年9月のことだ。
「糸山陣営は25%の株式を手中に収めた。市場の株が品薄になったのを見澄まして、近藤紡を相手に70万株の”現引き”を求めたのである」(水野清文著『現代の相場師』)
近藤は毎日、300万円、400万円、多いときは1千万円の逆日歩を、現金で糸山陣営に支払った。株価は上がる一方で、翌47年1月に2,000円を突破、近藤のカラ売りは180万株に達していた。
遂に近藤紡から解合の申し込みが行われ、大阪証券取引所理事長・沢村正鹿が仲介の労をとって、昭和47年3月10日、買い方意糸山側との間で決済が行われた。
屈辱の解合を申し出る
決済値は3,380円、近藤は約40億円の損害をこうむった。糸山英太郎をして「日本一の相場師に私は勝ったのだ」と驚喜させて大仕手戦は終結する。実はこの時、近藤信男は重い糖尿病で入院中であった。相場師にとって最大の屈辱である「解合」を申し出たのは、気力、体力が尽きかかっていたからであろう。翌48年4月17日、近藤信男は波乱万丈伝は終演、行年69歳だった。
翌18日付日本経済新聞は近藤の死を次のように報じた。
「父親から近藤紡績所を継ぎ、大手の紡績会社に育てる一方、証券市場と商品市場を巧みに結びつけた相場師として名をあげ、”大手売り屋”などの異名をとった。46年から昨年にかけての中山製鋼株をめぐる仕手戦で、売り手として話題を呼んだ」
死の床に就いた近藤信男の金銭観を伊藤肇が書き残している。
「世の中のことはすべて金で解決がつくと思い込み、何でも彼でも、金を握らねばと夢中で働き、はっと気がついた時には『大金持』になっていた。・・・・・『大金持』になるということは、苦労がなくなることではなくて、苦労の種類が変わるに過ぎないことが分かった。『大金持』も死の前には無価値だ。虚しいなぁ」
近藤信男の没後、近藤紡績所は長男禎男が社長に就任、親譲りの相場感で投機界に出動しているという。
(・o・)(・o・)(・o・)(・o・)(・o・)
原三渓、山崎種二、是川銀蔵などなど読みやすくコンパクトにまとめられている一冊です(・o・)
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最終更新日 2006年11月16日 13時03分12秒
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