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Oct 1, 2005
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カテゴリ: 劇評
現在形の批評 #9(舞台)

クロムモリブデン

9月12日 HEPHALL ソワレ


物→家族→戦争


この作品はキワキワな問題を、あくまでもゲーム感覚で楽しく描く。


冒頭から、登場人物達が2人ずつ4組に分かれて「たたいて、かぶって、じゃんけんポン」ゲームを始める。その道具は剣道の面を防具、竹刀を攻め具にしたものであり以下、 バケツとハリセン・フライパンとナイフ・モデルとカメラといった具合に進行してゆく。一見何の意味もない取り合わせでまた、ゲームとしても相応しくないように思えるこれらの物だが、 実はゲームのプレイヤー同士は息子と父、妻と夫といった親類関係であることが分かってくる。


彼らはDV、幼児性愛といったいわゆる問題を抱えた家族達であり、仕様する道具は家庭内で繰り広げられる加虐・被虐の象徴物として劇を支える役割を担っている。このゲームの行き過ぎはついに死者を出す結果に至る。殺された女性が最期につぶやいた「リセットしよう」の言葉がこの舞台の核である。リセットとは文字通り一からやり直すことを意味する。彼女にとってのリセットとは殺した人間に報復することである。ボコボコにやっつけることによって恨み辛みを果たすことの不毛さは明らかだ。ここには家族であっても話し合いが通じないディスコミュニケーションの様が看取できる。しかし、この部分はさられに大きな意味へと接続されているのだ。暗転の中、聞こえる戦火の音。この舞台は戦争を扱った極めて大きな物語であることを暗示するのだ。 するとどうだろう、殺された女性は戦争の被害者から報復する加害者へと反転した人物となる。問題解決のために同じく攻撃することを選んだこの女性に、具体的な国名を代入することは容易い。


物から家族、戦争へとイメージが拡大していくのがこの舞台の骨子である。攻め具と防具は物語を経るにつれて戦争の武器へと変貌していく。身近に溢れた物を、ささやかだがルールを持つゲームからルールなき戦火まで展開させる筆捌きは見事である。遊びから生まれる恐怖。遊びであるからこそムキになり勝ち負けに拘る。ルール無用の大儀を持ち出し、やった者勝ちの論理へとはまり込むや引き返せない事態へと陥ることを制御できない人間の無謀さ。それを耳をつんざくような音楽と歌、笑いをふんだんに取り込んで落とし込んでいる。なによりも役者が全員うまい。音楽に乗せたアンサンブルの演技が枠にきっちりはまり、カタルシスを覚える。個人では特に、報復を行う女性を演じた「エビス堂大交響楽団」の浅田百合子がいい。身体が柔軟で舞台を所狭しと動き、受けの良い演技で笑いを取っている。彼女の演技を昨年、『ハムレット』で観た時は役の大きさに負けていた印象しかないが、こういう役所の方が性に合っていると思わされた。


芸達者な俳優の攻め具を前にすれば、私の防具もすっかりはずれて無防備になるばかりである。





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Last updated  Apr 11, 2009 02:55:26 PM


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