2004年01月26日
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先週、一時的に症状が悪化したため、頭にたまる水を腸に流れるよう、頭から腸まで、体内に管を埋め込む手術が行われました。5時間ほどかかったそうですが、無事、終わったそうです。

倒れてから、ゆっくりでしたが、ずぅっと回復と停滞だけが続き、今回、これが初めての後退だったため、1か月以上、意識のない状態で、待ちきれないような焦りを感じていたこともあって、ちょっと重くのしかかってきました。一度は、突然の究極の不安が、ほとんど取り去られる経験をさせられたものの、その後で不安になることを、自分で認めたくないような思いが自分の内に生まれていたようで、自分で平安であろうとするようなところがあったことと、自分が、神さまよりも、目に見える回復に希望と信頼を置いていたことを、鋭く探られました。



週末に、 「恵みの雨」という月刊誌 の2月号を読んでいたのですが、幼い娘さんを病気で亡くされた牧師先生の文章が載っていました。



   神様のことばは、励ましを与えることもあれば、小さな疑念や憤りを生じさせることもあります。

   先月お話しした、今は天国にいる長女の病気が分かった時、私たち夫婦はわらにもすがる思いで宣
  教師の方々の祈り会に娘を連れていきました。治るものならどこにでも、という心境だったのです。

   ところが、私たちの思惑は最初の祈りのことばで覆されてしまいました。当然、いやしを求める
  祈りとなるはずが、何と、「この二人(私たち夫婦)が、まず娘を主にささげますように」という
  祈りだったのです。思いがけないことばに、初めのうちは当惑していた私の中に、次第に「なぜな
  んだ?」という思いが沸き上がってきました。


  その方以外は一生懸命いやしのために祈ってくださったのですが、帰途に就く車の中でも悶々とし
  た気持ちは晴れませんでした。

   その夜、静思の時間に開いた聖書は、その日の通読個所に当たる創世記22章でした。「あなた
  の子、あなたの愛しているひとり子イサクを……全焼のいけにえとしてわたしにささげなさい。」


   正当な言い分や怒りだと思えていたものが、もろくも崩れていきました。神様は、この出来事を
  通してわたしの基本姿勢を正そうとしておられたのです。第一子であった長女は、私にとって失い
  たくない、失ってはならないものでした。だからこそ、彼女のために奔走していたのです。

   偶像とは、決して目に見える彫像のことではありません。自分の心(欲望)が作り出すもの、心
  の中にあるものです。私の願っていた結果であり、将来の希望でもあった彼女は、知らず知らずに
  私の心の大半を占めるようになっていたのです。彼女はどうしても手放せない存在になっていまし
  た。私は彼女を神にしていたのです。心をあらわにされた私は、自分の過ちを認めて祈りました。
  「主よ。私の愛する娘をあなたにおささげします。」

   それから10か月後、彼女は主のみもとに召されていきました。もしあの時、あの祈りを聞いて
  いなかったなら、主にささげる祈りをしていなかったら……。私はいまだに健康な子供を持つ家庭
  をねたみ、愛する者を奪った神様を恨み続けていたかもしれません。私にとってあの祈りのことば
  は、聞かなければならないことばだったのです。決して耳障りの良いものではありませんでした。
  かえって心を逆なでし、平安ではなく憤りや不安をかき立てるものでした

   私たちは、本音に触れられると過敏に反応しやすいものです。平静を装ってはいても、心の奥底
  では自分がかわいいのです。大切にしているものを捨てられないし、自分の立場を譲れないし、相
  手に負けたくないのです。私たちをいらつかせることばを聞く時、私たちは人生の大切なレッスン
  を学ぶべき時を迎えているのかもしれません。

   子供が問題を起こすと、「この子のせいだ。この子のおかげでこんなに苦労させられて……」と
  思うのが普通でしょう。田中信生先生は「親とは、子供を産める人のことではありません。子供が
  100パーセント悪くても、自分の配慮が足りなかった、至らなかったと言える人のことです」と
  言っておられます。問題を指摘し、糾弾するだけなら、たといそれが正論であっても火に油です。
  その時、いらいらして被害者意識を持つ自分こそ取り扱わなければならない存在だ、と思える人は
  幸いです。自分自身の問題だと受け止める時、心に不思議な平安と感謝が生まれ、かたくなだった
  相手の心にも変化が生まれてくるものです。


   「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。」 詩篇84:6


       連載「泉のわくとき」 『11 心の乱れる時こそ』 大角健一師



この文章を読みながら、「父の回復」と、「自分が不安でいないこと」に心を捕らわれ、今は、神さまに状況をお献げしていなかったな、お献げすること、お委ねすることを忘れてたな、としみじみ思わされていたら・・・

そしたら、いつの間にか、父の状況の方に、心が向けられていました。

たとえば、

「表だった意識はないけれど、痛みはないのかな? 痛かったらたいへんだろうなぁ」
「意識がない時って、ずぅっと、眠ったみたいな状況なのかな?」
「そろそろ、おふろ入りたいだろうなぁ」
「もしかしたら、全部分かっていて、でも、目も開けられず、退屈してるかもしれないなぁ」
「聖書も読めないし、礼拝も出られないから、霊的な食物や養いがないなぁ。でも、だからこそ、
 イエスさまとダイレクトに、不思議な交わりを、けっこうエンジョイしてるのかもしれないなぁ。」
などなど・・・。

自分でも、全然、意図していなかったのに・・・。
今、思えば、不思議ですね。^^


そして、今朝、母から電話。

その後、目を開けている時間が長くなったとのこと。
日曜日には、故郷の酒田の親戚や、仙台の教会の人など、10人くらいがお見舞いに来てくださり、そのたびに、目を開ける時間があったそうで、その方々へのプレゼントになったようです。

そして、お医者さんの「舌動かしてみて」「『あ』の口してみて」という問いかけに、そのように口を動かしているように見える時があること。

目を開けている時、看護師さんの「この人、誰か分かりますか?」との問いかけに、母の名前を言おうとしていたようだった、とのこと。

ほんの少しずつですが、また、回復が始まったようです。


神さまは、「神さま、もうだめです。平安でいられません。」というところまで、時に、落とされるのでしょうか。そう。人には、信じることも、望むことも、平安であることも、自分では、できっこないんですよね。

例えば、平安でいたい、委ねたい、敵であっても愛したい・・・
でも、自分には、逆立ちしても、そんなことできっこない、と分かり、認め、(観念し)、神さまに助けを求める時、助けが確実に来るんですね。逆を言えば、自分には、まだ、改善や努力の余地があると思っている間は、自分のがんばりに頼れるから、心底、祈る必要にも迫られず、ある意味、イエスさまにご遠慮いただいている形になっちゃうんですね。

だから、荒れ狂う大波のような動揺の中、頼れるものが奪われ、力尽き、「もうだめです。ただ、助けて下さい」「愛など、わたしの内にありません」と、もう最後の、祈りにならない祈りとでもいうのでしょうか、悲鳴を上げざるを得ない状態まで追い込まれるのでしょうか。(でも、幸いな追い込まれですよね。)時に、涙ながらに「神さま、いつまでですか?」とか、「どないなってんねん、神さま!」などと、一見、不信仰みたいに見えるようであっても、形はどんなであれ、神さまにぶっつけていく時、神さまに目を向け、問題を神さまに手渡すその時、神さまの出番です。(まさに、げたを預ける、いや預けさせられる感じ?) その時、神さまが働かれるんですね。(もちろん、背後で、常にいろいろ働いておられますけれど・・・)


讃美歌の355番だったでしょうか、「主をあおぎ見れば」という歌の中に

「主をあおぎ見れば、古き我は、移し世のごとく、消え去り行き、我ならぬ我の、現れ出て」(だったかな?)

という歌詞がありますが、 イエスさまを見上げる時 、古い自分が去り、新しい自分=内に住んでいらっしゃるイエスさまが働き、ご支配して下さることが、歌われています。イエスさまと自分と調和しながら、新しい自分が現れ出るんですって。何と幸いなことでしょう。

自分の内にあるはずのない、「望み得ない時における希望」、「困難に直面しながらの平安」、「赦したいという気持ち」や「敵を愛したいという思い」、などが、上から与えられ、自分からあふれ出るのですから。だから、自分でつくり出そうとする努力はむだだし、必要ないんですよね。


あ、これが、自分に死ぬことでもあるのかな? 自分が小さくなればなるほど、消えれば消えるほど、神さまに頼れば頼るほど、自分の中のイエスさまが大きく働くことができるようになっていく・・・。


やっぱり、神さまのなさることは、すばらしくって、考えていると、うれしくなってきます。

心から感謝しつつ、祈りつつ・・・。






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最終更新日  2004年01月27日 22時48分28秒
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