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January 26, 2015
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カテゴリ: 教授の映画談義
 昨夜、WOWOWで『ハンナ・アーレント』を観ましたので、心覚えをつけておきましょう。以下、ネタバレ注意ということで。

 この映画、先ごろ公開された時、東京では岩波ホールだけで上映されたようですけれど、その時は中高年の観客が押し寄せ、連日満席だったとのこと。近頃珍しく、中高年の、それもどちらかというと文化的なことに強い関心をお持ちの方々に受けたらしいんですな。実際、私の知り合いで、まさにここに分類されるような方が「見て来た」とおっしゃっていたので、WOWOWで上映すると知って、是非観ておこうと思った次第。

 で、実際、観てみた。

 これは、ユダヤ系の女性哲学者(でいいのかな?)ハンナ・アーレントにまつわる実話なのですが、彼女がナチの迫害を逃れてアメリカに亡命し、NYのニュースクール大学で教鞭をとっていた頃、ナチスの戦犯であるアイヒマンが南米で拘束され、イスラエルで裁かれるというニュースが入ってくる。そこでハンナは、自ら志願して雑誌『ニューヨーカー』の派遣記者としてこの裁判を傍聴し、それを記事に仕立てることになるんですな。

 で、ハンナはアメリカからイスラエルに飛び、憎きナチスの戦犯の裁判を観るわけ。

 で、彼女は愕然とする。というのは、アイヒマンが想像していたような極悪の悪魔ではなく、小市民的な小役人でしかなかったから。彼が裁判で供述するのは「自分はただ所属するナチスに忠実であろうと思い、上からの命令に従っていただけだ」の一点張り。個人的にユダヤ人に恨みや偏見があったわけでなく、ただ上から命令されたので、大勢のユダヤ人をアウシュヴィッツに確実に送っただけだと。

 で、ハンナはこの状況を深く考え、ある結論に達する。

 ハンナによれば、ナチスによるユダヤ人大虐殺の背後に、「根源的な悪」があったわけではない。そこにあったのは「悪の平凡さ」であり、その「平凡な悪」とは人間がモノを考えることを止めてしまったところに発生するもので、これこそ二十世紀が経験した最大の悪の形なのだと。

 アイヒマン裁判で裁く側にいた人々、つまり、ナチスの被害にあった大勢のユダヤ人の群衆は、アイヒマンを極悪の悪魔として裁こうとし、はじめから彼を悪魔として見ようとしていたけれど、そうではないんだと。アイヒマンは、我々と同じ、平凡な一市民であって、その平凡な一市民が、自らの思考を停止し、このボタンを押せば大勢のユダヤ人が命を失うことになるということに思いを馳せずに、そのボタンを押してしまうこと、これこそが、我々が恐れるべき最大の敵なのだ、と、ハンナ・アーレントは喝破するわけ。



 ところが、人々は、ユダヤ人の大衆は、そういう記事を望んではいなかった。アイヒマンを極悪人であると告発するような記事が読みたかったんです。しかも、ハンナの書いた記事には、「ユダヤ人のリーダーたちも、ある意味ではナチスの行動を容認した」と読めるような部分もあって、それがなおさら人々の逆鱗に触れてしまった。

 結果、ハンナは、記事を読んだ一般大衆はもとより、彼女の勤務先の大学の同僚や、長く一緒にシオニズム運動を戦ってきた同志からも総スカンを食い、家族同様にしていた多くの友を失うことになる。

 ・・・という映画。

 結局、ハンナは、「言葉というものは、通じないものだ」ということを、甘く見たんですな。論理的に書けば、ちゃんと理解してもらえるだろうと思っていたのだろうけれど、現実はそんなに甘くはなかった。人々は、彼女が書いた記事の言葉尻を捉えて彼女の真意を誤解し、「親ナチの裏切り者」と呼んで絶交した。

 本当は、まさにそのことが、ハンナの指摘した「悪の平凡さ」なんですけどね。一般の、否、ハンナの友人たちのような善良な人々でさえ、ハンナのことをいとも簡単に誤解し、おそるべき悪辣さで彼女を除けものにする。それがまさに「平凡な人間が思考停止することで悪を生じさせる」という、その実例なのですが。


 ま、この映画は、そんな騒動に巻き込まれてしまったハンナの孤独を描いております。


 さて、この映画に対する私の評価点はといいますと・・・


 「70点」かな。残念ながら、映画としては低評価。ハンナを描いたドキュメンタリーとしては、面白くなくもなかったですが。


 やっぱりね、これ、実際にあったことの再現ですから。ただのドキュメンタリーで、別に映画化する必要ないよね、って感じ。実際の出来事を映画化する時、こういう地味なテーマだと、限界がありますよ。たとえば『アポロ13』みたいに、実際の出来事であっても、あまりにも劇的なものであれば映画化する意味もありますが、こと『ハンナ・アーレント』にはそういうドラマ性がない。といって、勝手にドラマ性を盛り込んだりすると、今度は事実から逸脱してしまうので、そうも出来ない。その辺が、そもそも、難しいよね。


 いずれにせよ、ハンナが被ったことというのは、今で言えば「ブログの炎上」みたいなことであって、他人ごとではない。逆に、今、ブログが炎上するということは、悪の平凡さを我々が今だに理解していないというか、放任しているということで、それはつまり、アウシュヴィッツの悪夢は終わっていない、ということでもある。大げさかもしれないけれど、そういうことじゃないのかなと。


 評価は低いけれど、色々考えさせられる映画ではありましたね。 





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Last updated  January 26, 2015 05:03:51 PM
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釈迦楽@ Re[3]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  ああ、やっぱり。同世代…
丘の子@ Re[2]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 釈迦楽さんへ そのはしくれです。きれいな…
釈迦楽@ Re[1]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  その見栄を張るところが…
丘の子@ Re:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 知らなくても、わからなくても、無理して…
釈迦楽 @ Re[1]:京都を満喫! でも京都は終わっていた・・・(09/07) ゆりんいたりあさんへ  え、白内障手術…

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