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頼まれている新書本執筆が滞っておりまして。こういうことは、ワタクシには珍しいのですが。 滞ると、当然、執筆がおっくうになる。執筆がおっくうになると、さらに滞る。これを悪循環という。ワタクシは今、まさにその悪循環にはまっているわけですな。 だけど、ここ数日、試行錯誤しつつ筆を進めているうちに、結局、これをやらないといかんのだろうな、というのが見えてきた。 見えてきたのは、今朝。眠りから覚めて、まだウトウトしている時。ワタクシの場合、この状態の時にアイディアがひらめくことが多いんですが、今日もそのパターン。 ずばり、言いましょう。なぜ、日本では自己啓発本に対して批判的な人が多いのか。 答え。それは日本人が自己啓発本の根本にあるキリスト教的発想を踏まえていないから。 結局、これだなと。だから、このことを書かないと、永久に日本人は自己啓発本の世界を完全に理解できないままになってしまう。 日本人は、アメリカから自己啓発思想が入って来た時に、それを儒教の立身出世主義に接ぎ木する形で理解しちゃったのよ。つまり神のない自己啓発思想として理解してしまった。 だけど、本来の自己啓発思想のポイントはキリスト教的世界観だから、それを儒教の発想で理解すると、最終的には誤解が生じる。この誤解こそが、日本人の自己啓発思想嫌悪の元なのだと。 だから、本当の意味で自己啓発思想を理解するためには、「神のいる世界」というものをベースにしないとダメよと。そしてそこを理解すれば、自己啓発思想に対する日本人の誤解は氷解するよと。 たとえば、アメリカの自己啓発思想では、直観を信じろ、という話がよく出てくる。 これ、日本人には理解できないわけよ。論理を突き詰めた結論よりも、パッと思い浮かんだ直観を上に置くって、どういうこと? そんなの非論理的じゃない?! というわけ。 だけど、違うのよね。そうじゃない。 本来の自己啓発思想では、そもそも宇宙の中心に神がいて、人間の中にも神の一部が埋め込まれているという想定があるのよ。つまり、人間は神から直通トランシーバーを手渡されているようなものなわけ。直観というのは、だから、そのトランシーバーを使って神が人間に「こうしなさい」と教えてくれているのと同意なの。 だから、人間が論理的に突き詰めた結論よりも、直観を重視するというのは、論理的なわけ。だって、神の論理の方が人間の論理よりも上だから。神と人間とどちらが優れているかを考えれば、直観の方が上だ、というのはまさに論理的な帰結なのよ。 そういうのが呑み込めていないと、自己啓発思想の本当のところはわかりません。 だから、新書ではそこを書けばいいのだ・・・・と、ひらめいたわけ。これもまあ、いわば、直観だよね! 神様がワタクシに「こうしなさい」と教えてくれたのだから。 ということで、当面はその方向で書き進めてみよう。何しろ、ワタクシには神様がついているのだからね。成功するかどうかわからないし、この先も詰まるかもしれないけど、その時はまたその時で、神がワタクシに方向を示してくれることでしょう。
November 24, 2025
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かつては熱狂的な好角家、でもモンゴル力士全盛時代に興味を失い、この二十年ほどほとんど相撲を見なくなったワタクシ。今もほとんど見ないのですが、今日はたまたま午後のコーヒー・ブレイクに相撲の時間が重なった上、千秋楽だったこともあって、結局、優勝決定戦まで見ちゃった。 で、安青錦の初優勝を目撃したというね。 最初にテレビをつけた時、たまたま安青錦と琴桜の一番をやっていたのよ。で、安青錦が勝ったのですが、ワタクシが驚いたのはその勝ち方。両者低く当たってこれ以上ないというくらい低く構え、膠着状態に入ったまさにその時、安青錦が内無双を切ったのよ。それで琴桜が前に落ち、勝負あり。 えーー。あの状況で無双を切るの?! 素晴らしい。さすが安治川親方のところの弟子だけのことはあるわ。安治川親方は現役時代、技能賞をやたらに取った技巧派だからね。 あの内無双ですっかり気に入った安青錦。それが次に優勝決定戦に出るということで、これは興味津々。 で、対横綱戦。やる気満々の豊昇龍に対し、ガチコンと当たって一歩も引かず、逆に横綱を押し込んで相手が引くのに乗じて横に回り込み、そのまま押しつぶして勝負あり。 外国人力士の通例とは異なり、安青錦はむしろ小兵と言っていいくらいの体格。それで横綱の突進に一歩も下がらなかったんだから、体幹が強いんでしょうな。小さい割に馬力もあるし。そして業師なんだから面白い。 ウクライナ出身というところも、ちょっと応援したくなるしね。 ということで、今日は思いもかけず、好角家だった昔に戻って、ついつい相撲に熱中してしまったワタクシ。まあ、そういうこともありますわ。 でも、安青錦は良かったね。弱冠21歳、来場所は大関だそうですが、果たしてこのまま横綱まで突っ走れるか。ちょっと楽しみですな。
November 23, 2025
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11月も後半に入って、そろそろあちこちから喪中はがきが届くようになりました。なんだか矛盾するようだけど、喪中はがきが届くようになると、そろそろ年賀状、用意しないとな、という気分にさせられます。 年賀状ねえ・・・。 最近、喪中ではないけれど、年賀状じまいをする、という人が周りにも増えてきました。家内なんか、何年か前からそうしているし。 一方、ワタクシは相変わらず年賀状を出し続けて入るのですが、最近、さすがのワタクシも、それってどうなのかなと思うようになりまして。 特に、昔の親しい教え子との年賀状のやり取りね。 教え子だって、ワタクシから年賀状をもらえば返さないわけにはいかない。ひょっとして既に年賀状じまいをしているのに、ワタクシに対しては出さなければと思って、面倒な思いをしているのかもしれないなと。 どうしようかな。今年あたりから、もう、出す相手を厳選して、出す量を半分くらいに減らそうかな。 とはいえ、さすがに全廃というわけにもいくまい。 まあ、とりあえず年長者に対しては今まで通りにし、年下の人に対しては、向こうから来れば返す、というスタンスにしておいて、年賀状をやりとりを続けるか止めるかの決定権を相手に渡す、というのがいいのかもね。 それにしても、とにかくそろそろ年賀状を買わなくては。週明けにでも、通勤途中に買っていきますかね。
November 22, 2025
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なんか、風邪ひいたっぽい。急に寒くなったからかしら? それでイマイチ、気力充実せず、今日は一日、モゾモゾと本を読んでおりました。読んでいたのは『西村賢太殺人事件』なる本。 以下、ネタバレ注意なんですけど、この本、1章から9章までは割と普通の本で、私小説家・西村賢太の内縁の妻だった人が書いた思い出の記なんですわ。で、生前の西村さんというのは、そういう人の立場から見るとこういう感じの人だったんだ、というのがよく分かる。西村賢太ファンからすれば、必読の本なのではないかと。 ところが。 第10章に入って、何だか様子がおかしくなる。 ご存じの通り、西村賢太は心臓発作か何かでまだ若いうちに急逝するんだけど、著者によると、あれは大がかりな組織による陰謀殺人であったと。で、著者自身も、その組織に追い詰められていると。 で、著者が西村さんと別れた後、彼女のバイト先の人たちや、住んでいたアパートの住人達、近所の子供まで、そういうのが全部グルで、寄ってたかって彼女に嫌がらせをし、自宅侵入を繰り返し、彼女を追い詰め、西村賢太を殺害したと。本書第10章は、その過程を事細かに明らかにしていく。そういう内容なのよ。 もう、ビックリ。お口あんぐり。これはもはやアレじゃない――令和日本版『ねじの回転』だわ。そもそも、本当にこの人は西村賢太氏の内縁の妻だったのか? それもひょっとしてすべて妄想だったのか・・・? これ、ワタクシが読むべき本ではなかったかもね。少なくとも体調が悪い時に読む本ではなかった。今夜あたり悪夢を見そう・・・。やばかったわ~。西村賢太殺人事件 [ 小林麻衣子 ]
November 21, 2025
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急に寒くなりましたなあ。 で、そんな話を家内としていた時、そう言えば子供の頃、寒くなると半纏を着させられたという話になり。 ああ! そう言えばそうだった。我が家でも中学生とか高校生の頃、家では冬に半纏を着ていましたわ。 ああいう半纏は、一体どこで買ったのか。なんか当時としては、スーパーの衣料部とかではなく、商店街にある呉服屋だか布団屋だか、そういうところの店先で、1500円くらいの安い値段で売っていたのではなかったかと。あいまいな記憶だけどね。 ほんと、そういうのを、カッコいいとか悪いとか、そういう判断なしに、寒いから着る、みたいな感じで着ていたなあ。自分だけでなく、たとえばテレビ・コマーシャルとかでも、受験生といえば半纏に鉢巻、みたいなのがこの季節の定番だったような。 懐かしいな。父母の膝下にいてなんの不安もなく過ごしていた頃、冬に着ていた半纏。 そんなことを考えていたら、なんだか、そういうのをまた着たくなってきた。 今、そういうのって、どこに行けば売っているのだろう? イオンに行けばいいのか? いや、楽天で買えばいいのか。これこれ! ↓久留米 半纏 メンズ はんてん 綿入り 半天 袢纏 男性用 どてら 日本製 丹前 冬 暖かい 部屋着 誕生日 ギフト 冬 ちゃんちゃんこ 男性フリーサイズ どんぶく 誕生日 プレゼント ギフト でもなんか、通販で買うのは面白くない。どこか旅先で、シブい商店街の店先でゲットするとか、そういうドラマ性が欲しいな。ちょっとヒマになったら、半纏探しの旅にでも出るか?
November 21, 2025
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日本の自己啓発本の研究していると、へえ~っと思うことがしばしばで、それはまあ、私があまりに日本史の知識がないからなんだけど、それにしても今更ながらなるほどと思わされることが多いですわ。 たとえば満州のこととか。 ワタクシは前々から、ある年代の人の中に「満州生まれです」という人が結構いる(たとえば池田満寿夫なんかもそうだけど)のはなぜなのか、どうして日本はあの時期、満州にそんなに執着したのか、不思議で仕方なかったんですけど、自己啓発本の研究をしていて、明治の後半、日本の就職事情が極端に悪化して、高等教育機関を出ても全然就職できないという時代があったことを知り、その絶望的な就職難を解決するための方策が満州進出だったんだ、ということが分かった。なるほど、そういうことだったのね! 今更納得! あと、二宮尊徳のことなんだけど、私は薪を背負って本を読んだ人、としてしか知らなかった。だけど、あの人は結局、荒廃農村の立て直し屋、凄腕のコストカッターだったのね。かつて日産を一時的に立て直したカルロス・ゴーンみたいな。 じゃあ、江戸時代、なんで地方の農村が荒廃したかっつーと、それは重税を課した幕府と、税金を支払えなくて困っている農村の弱みに付け込んだ高利貸による収奪だったと。で、もう食い詰めた村民は、村を捨てて行方をくらましたり、働くのをやめ、博打などに手を出すようになっちゃった。だから、農村の荒廃は、本当は社会システム上の欠陥が原因なんだけど、そこに二宮尊徳登場! 俺が来たからにはこの村を立て直す! だから俺の言うことは絶対聞け! とか言って、残っていた村民の生活態度の改善から取り組み、倹約・勤勉を強いて借金を数年のうちに返済させ、なんとか村の運営を正常に戻したと。 だから、社会システム上の欠陥を、個人個人の意識改革(=自己啓発!)によって乗り越えたのね。それがいいことだったのか、悪いことだったのかは措くとして。 二宮尊徳の剛腕コストカッターぶりを見ると、なるほど自己啓発思想というのは、大昔から社会悪には目をつぶり、個人の自己啓発を促すことだったのね、ということがよく分かる。 勉強になるわ~。 ということで、勉強すると、日々発見があるなと。そんなことを実感しているワタクシなのであります。
November 19, 2025
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このところ、明治維新以降の日本の自己啓発思想の流れについて、様々な本や論文を読破しております。私の専門はアメリカ文学だから、この辺の日本の歴史については無知以外の何物でもない。でも、アメリカの自己啓発思想の日本への伝播とそのプロセスを考えるためには、日本のことも知っておかなくてはならないのよ。 で、遅まきながら色々な資料を読んでいるんだけど、やっぱり知ることは面白いことであって、段々頭の中に、大きな絵ができてきた。 そう、ここで重要なのは、頭の中に大きな絵を描くことなのよね。大雑把に、大柄に、様々な事柄の流れを把握すること。 たとえば明治維新以前にも儒教的な自己啓発思想ってのはあって、勤勉といった美徳を重視する通俗道徳があった。 じゃあ、そういう通俗道徳と、明治維新以降の立身出世主義とはどう違うのか? 結局ね、職業がポイントなのね。 維新以前の通俗道徳だと、職業ということがあまり問題視されてない。なぜなら、それぞれが従事している職業は当たり前のことだったからね。士農工商制があるから、農民には農業という職業しかないし、商人には商業という職業しかない。だから、通俗道徳における勤勉とは、各々の仕事を一生懸命やれ、ということになる。 ところが維新後は、そうじゃないんだなあ。特に士族階級にとって、状況がガラリと変わる。 だって、維新によって、士族は職業を失うんだもん。無職化よ。そうなると、通俗道徳でいう、各々の仕事に精を出せと言われたところで、職が無くなっちゃったんだから、士族階級の連中にとってはまるで意味をなさない。 しかし、そうこうしているうちに学校なるものができ、学校を卒業すると官僚になれるという道ができた。この制度は、士族以外の人々にとって、特に豪農にとっては意味があったけれど、それ以上に士族にとって意味があったのよね。だって、無職の彼らには、この道を使うしかないんだから。 で、明治以降、この教育システムが出世の鍵となるんだけど・・・なにせ人はいっぱいいるのに、教育システムに乗れる人の数は限られている。このシステムに乗れなかった人が大量に出てくると。 そこで絶望して煩悶青年になっちゃう人が大勢出てきたんだけど、そこで出てくるのが、官僚にならなくてもいいじゃん?という発想。実業主義ですな。 そこでそれまで姦商とか言われて、すごく軽蔑されていた実業界の連中がクローズアップされてくると。で、そういう連中が、煩悶青年たちを実業界に引っ張る策略を始めるのだけど・・・ ま、そんな感じで、今、私の頭の中で明治時代の大きな絵が作られている真っ最中。この大きな絵が、段々、細密になって行った時、本が書けるという自信が出てくるわけだけど、まあ、そう先を急がず、今のところはできるだけ大きな絵を描くよう、頑張りましょうかね。
November 18, 2025
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来たるべき自宅リノベーションに備え、少しずつ断捨離を進めているのですが、今日は長年、役に立ってくれたサムソナイトの大型スーツケース2つに別れを告げました。 これ、今から27年ほど前、新婚の家内を連れてアメリカに1年間滞在した際に、二人お揃いで買ったものだったのよ。で、そういうものとして、上等なサムソナイトを買ったわけ。多少は家内にカッコつけたかったところもあったのかな? で、それ以来、海外に行く時は必ずこれを持って行ったので、都合13~14回くらいは一緒に飛行機に乗ったことになる。 もちろん、そういう意味で役に立ってはくれたのですが、その反面、こいつに悩まされたことも何度かありましたっけ。 スーツケースについている車輪が壊れたこともあったけど、それよりも大変だったのは、空港に向かうその日に取っ手が壊れたこと。重いスーツケースの取っ手がないとなると、これは結構、厳しいよ! でも、帰国してからそれを修理に出したりして、その後も騙し騙しずっと使っていた。それだけに愛着もひとしお。 でも、あれから四半世紀も経つと、スーツケースもどんどん進化して、今時、あんなにデカくて重いスーツケースを使っている人は見たことがない。最近のスーツケースは、もっとずっと軽いもんね。それに値段も安い。 それに最近のスーツケースは車輪が進化して、音もなく動く。我々のサムソナイトは、車輪も小さくて、すごく大きな音でゴロゴロいうんだよね! 何事かと、他の旅行者が振り向くくらい。 だから、昨年の今頃、ハワイに行った時は、さすがに新しくて軽いスーツケースを買い、それで行ったの。大分楽だった。 ということで、このサムソナイトはお役御免になっていたんだけど、捨てるのも面倒臭くて、そのまま家に置いてあったのよ。でも、今度リノベするし、もう置く場所もないから、処分しようかなと。 かくして今日、二つのサムソナイトは、中古品買取業者へと売られていきました。1個250円で。ドナドナドーナー、ドーナー・・・。 でも、250円とはいえ、一応は売れたのだから、いずれまた店頭に並び、買う人がいるのかもしれない。 また誰かがあのサムソナイトを買って使ってくれるのだったらいいな。
November 17, 2025
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名著の誉れ高いE・H・キンモンスの『立身出世の社会史』を読んだのだけど、これがまたすごい本だったんですわ。 キンモンスはアメリカ人で、当然ネイティブではないのだから、日本語は大学生になってから獲得した外国語なわけ。にもかかわらず、19世紀後半以降の日本語の文献、それもお堅いところから雑誌の類にいたるまで、公的な統計から大衆小説の類までを博捜し、そういう現物の資料を駆使して、明治維新以降の日本人の立身出世へのアプローチの変遷を、まあ具体的に、圧倒的な説得力をもって、論じている。 で、その過程で、従来の日本人研究者の研究、それも丸山真男レベルの学者たちの研究成果の誤謬やら根本的な見当違いをばったばったと暴いているところがすごいのよ。まさに完膚無きまでに、エライ先生がたのお説を木っ端みじんに粉砕している。で、その批判があまりにも説得力があるので、日本のことを調べている日本人研究者がいかにダメか、ということが明白になるという。 しかもこの論文、キンモンスの博士論文を元にしている。ということは、これを書き上げた時、キンモンスは二十代後半だったっていうね。これこれ! ↓立身出世の社会史 サムライからサラリーマンへ [ アール・H.キンモンス ] もう、こんなの読んだら、何も言えねー・・・。 日本人の大学院生が、アメリカ史の一側面、それも19世紀のアメリカ史の一側面、を調べて博士論文にし、それでアメリカのその分野を専門とする名高い研究者を完膚無きまでに遣り込める、なんてこと、あるかなあ? ほんっと、すごい人だわ。キンモンス。変な名前だけど。 差し当たり自分のことは棚に上げておくけど、今、日本のアメリカ文学の研究者で、こういう重厚な研究をしている人っているんだろうか。たまたまチラッと読んだそこそこ話題の作家・作品を気まぐれに選んで、ちょこちょこっと論じる程度のものしか最近読んでないぞ。論じている当の作家だって、10年持つかどうかわからないようなチンピラばっかだし。 キンモンスの本の中にラフカディオ・ハーンの話が出てくるのだけど、キンモンスが見たハーンって、ものすごい洞察力を持っているのよね。凄いな、この人って思う。 ハーンの本当のところを論じようとしたら、研究者が一生をかけるべき研究になると思う。でも、アメリカ文学研究者で、本格的にハーンを研究している人なんていないじゃん? アメリカの研究者だって、ハーンの日本観までは把握できないだろうし。 だったら、チンピラなんて研究してないで、ハーンを研究すればいいのに。二十年かければ、それなりにモノになる研究ができるんじゃないの? その辺の嗅覚のある若手も、今、アメリカ文学研究の世界で、いないんだよなあ。センスないよね。 とにかく、キンモンスはスゴイ。ビックリしました。
November 16, 2025
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今朝、週末だというのに、朝っぱらからセットしたつもりのない目覚まし時計に叩き起こされまして。 ところが、何しろセットしたつもりがないので、どの時計が鳴っているのか分からず。で、音をたどって行って、ようやく書斎の本棚に飾ってあった時計(下の写真)が鳴っていることを発見。これこれ! ↓ なーんだ、お前が鳴っていたのか! これ、今から50年近く前、私がまだ小学生くらいの時に買ってもらったもので、セイコーの「フリップクロック」っていうの。見た目デジタルですが、実は全然デジタルじゃなくて、数字は紙芝居のフリップみたいなのに書いてあるの。 それで時間が経つと、このフリップがパタッと落ちて、次のフリップが出てくる仕組み。だから、まさに紙芝居よ。アナログもアナログ。人呼んで「パタパタ時計」。 でも、50年近く経った今でも、かなり正確に時を刻んでいる。上についているボタンを押すと、ライトがついて夜でもくっきり。 で、昨日、リノベーションの人が来るので部屋を整理した時、うっかりこの時計に触ってしまって、アラームをオンにしちゃったのよ。それで今朝、それが鳴り出したわけだけど、つまりは今でも目覚まし時計としてきっちり機能しているということになる。 セイコーの技術ってのは、昔から凄かったんだねえ。 この時計、買ってもらった時のこと、まだ鮮明に覚えている。たしか「もうすぐ中学に上がるんだから、少しは自立して、朝、親に起こされるのではなく、自分で起きよう」と決意し、それで買ってもらったのよ。当時住んでいた東林間の駅前の「イトオ時計店」で。 このティファニー・ブルーの色も自分好みでね。買ってもらった時は嬉しかったなあ。昭和の時代、こんなものでも自分のものになるというのは、子供心に嬉しいものだった。 小学生くらいの時に買ってもらって、それが還暦過ぎた今もなお、ちゃんと時を刻んでいるんだから、これはもう、まさに「おじいさんの時計」だよね! 50年休まずにチクタク、チクタクだ。 なんかそう思ったら、余計愛おしくなってきた! 今、この時計は「昭和レトロ」で大人気で、中古相場は2万円くらいするようだけど、これから先も大事にしよう。家をリノベーションしても、ちゃんと居場所を与えてあげよう。
November 15, 2025
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我が家のリノベーション計画ですが、今日、リノベを頼もうと思っている会社の人と初の対面での打ち合わせをして、結局、この会社にお願いすることになりました。施工後のアフターサービスなども含めて、結構しっかりやってくれる会社なので、安心かなと。 そうとなれば、こちらとしても色々間取りの希望とかも言えるので、現時点で思いつく限りのリクエストをして、その上で具体的なプランを作ってもらうことに。 実際に工事が始まるのはまだ3カ月くらい先ですけど、その間、決めるべきことは沢山ある。フローリングにするか、塩ビタイルにするか、壁紙はどうするか、造作はどうするか。風呂の仕様は? キッチンの仕様は? 書斎はどうする? 照明も決めなくちゃいけないし、まあ、ありとあらゆることを一つ一つ、決め手いかなくてはならない。 でも、もともと建築に興味があるので、それに自分で口出しできるなんて最高よ。これからしばらく、家の設計について、楽しい悩みごとに没頭することになりそう。このブログでも、時折、進行具合についてもご報告していきましょうかね。
November 14, 2025
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今日、英語の授業の時に、英語の例文の中に「彼らが出した新しいアルバムは、マスコミから酷評された」というのがありまして。 で、その途中、ふと「アルバム」というのが何を指すのか、学生たちはわかっているのだろうか?という疑問が生じ、聞いてみた。ねえねえ、アルバムって何かわかる? 写真帳じゃないよ、と。 そしたら、学生が「うん、うん」というそぶりを示したので、「ああ、通じているのね。そう、レコードのことだよ」と確認したら、「レコードってなんですか?」って逆に聞かれた。 そうか、アルバムはわかるけど、レコードはわからないのか。 まあ、そうか。そうだろうね。レコードなんて見たことない学生も多いだろうからね。 それにしても、私はつい「レコード」って言っちゃうのよ。それが実際に意味しているのがCDであったとしても。それは、下駄なんて一足も入ってなくても「靴箱」のことを「下駄箱」と言ってしまうのと同じで。 まあ、ジェネレーション・ギャップというのか、若い人と言葉が通じなくなるよね。 でも、こうなってくると、今必要なのは、老人にとっての国語の授業ではないかと。 昔は、大人は物知りで、子供は無知だから、無知な子供に大人の言葉を教えるというのが国語の授業だったわけだけど、今はそうじゃないもんね。若い人たちに話を通じさせるには、どの言葉がまだ生きていて、どの言葉はもはや通じないのかという区別を、老人向けの国語の授業として教えて欲しい。 あるいは、若い人たちが「アザ丸水産」と言ったら、それは「ありがとうございます」という意味であり、「ツラタモリ」と言ったら、それは「辛い」という意味なんだ、ということを、我々年寄りに向けて教えておいて欲しい。 そういう年寄り向けの日本語勉強会、市役所が主催する市民講座とかでやってくれないかな。
November 13, 2025
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なんかねえ、最近、大学ってところも、学生に対して妙な気遣いをすることが増えて、ほんとに妙なことになっておりますよ。 たとえばこの時期、大学から我々教員のところに頻々とメールが届く。曰く、「先生の授業を取っている学生の〇〇さんに配慮してください」と。 配慮って何? そう思うでしょ? 要するに、その学生には精神的・身体的問題があるから、授業の時に配慮しろと。沢山休んだとしても、単位出せと。 まあ、それはいいんだけど、加えて「で、そのことは他の学生に知られないようにせよ」とも書いてある。 これは困る。だって、普通の学生からしたら「○○さんはこんなに沢山休んでいるのに、どうして単位が出るんですか? 先生は、『5回休んだら期末試験受けられない』って言いましたよね? 〇〇さんは6回以上休んでいるじゃないですか?」ってなもんだよね? その学生の質問に対して、なんて答えればいいの? 「理由は言えません」っていうの? 配慮が必要な学生がいることはわかる。しかし、そういう配慮が必要なら、そのことを公開すべきだよね? たとえば公共の建物とかに障碍者用の駐車スペースがあるとして、そのスペースを利用するためには、クルマに障害者マークを付けておかなきゃいけないよね? 障碍者であることは公開したくないからといって、障碍者マークのないクルマをとめることはできないじゃないの。 配慮はしろ、でもそのことは内密にって、妙な話ですわ。 でまた、そういう学生が一人二人ならいいけど、昨今、「配慮して」という学生が山ほどいるのよ。で、またその配慮すべき理由が「頭痛」とか言うんだから参ってしまう。そういう学生は、社会に出てからも「私は頭痛持ちなので、会社に出勤したりしなかったりしますけど、配慮してください」って言うのかしら? もちろん、配慮のない世界もどうかと思うけれども、そういう制度に甘えすぎているところもあるんじゃないのかなあ。少なくとも、「配慮はしろ、だけど内密に」というのは、ちょっとやり過ぎな気がする。そもそも大学って、義務教育じゃないんだから、授業をちゃんと受けて、正当な試験を受けて、単位をとって卒業してもらいたいもんですわ。それができないなら、通信教育などの方法もあるわけだから、そういうのを利用するなりして、自力で大学卒業の資格をとってもらいたい。人の配慮におんぶにだっこで卒業するなんて、良くないですよ。
November 12, 2025
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昨日、菅谷大介アナを追悼したら、今日は仲代達矢か。毎日、人が死ぬな・・・。 黒沢明の説だったか、他の誰かの説だったか忘れちゃったけど、俳優の顔には色々なのがあって、捨てられた犬みたいな顔をした俳優はいい俳優だという説があり、その根拠となったのがジェームズ・ディーンと仲代達矢だったのよ。なるほどなと。 で、その黒澤明が『影武者』を撮っていた時、当初、武田信玄役は勝新太郎だったのだけど、彼が監督と喧嘩して降板し、ピンチヒッターで仲代がその役をすることになった。いわば猫顔の勝新から犬顔の仲代に代わったわけだけど、さて、この交代劇はどうだったのか。信玄のイメージからすると、勝新の方が「ぽい」感じがするけれど、すっかり偉くなってしまった黒沢からすると、自分のコントロールの利かない役者はお呼びでなかったんでしょうな。 で、自分の言うことを聞く犬顔の仲代は、すっかり黒沢に気に入られてしまい、次の『乱』でも主演をする。でも晩年の黒沢ってのは、偉くなってしまった宮崎駿みたいなもんで、もう抑えが効かないというか。『乱』にしても、黒沢が怖くて当時誰も言えなかったようだけど、ワタクシが思うに、駄作も駄作なのではないかと。でもそんな黒沢天皇に気に入られてしまった仲代は、『影武者』『乱』と立て続けに黒沢映画の主演をしてしまったことで、彼もまた祭り上げられてしまった。役者としては、むしろ不幸なめぐりあわせだったんじゃないかなあ。以後、ずっと捨てられた犬みたいな顔をして、苦悩する王様(例えば乃木希典のような)を演じつづけなければならなくなったんだから。 そういう意味では、役者をやる傍ら、無名塾を作って自分の好きなようにやれたのは、仲代にとっては良かったのかもね。無名塾からは、役所広司も出たことだし。 さて、今日はアメリカ映画についての授業をしていて、話題が『マトリックス』のことに及んだのだけど、学生の中でこの映画のことを知っている者は一人もいませんでした。1999年の映画のことすら欠片も知らないんだから、彼らに「そういえば仲代達矢が死んだね」なんて言っても、ポカーンとされるだけでしょう。 私の世代からすれば、仲代達矢はビッグネームだけど、彼も『マトリックス』も、私らおじさん・おばさんの記憶の中にか、もう存在していないのかもね。
November 11, 2025
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そうか、菅谷大介アナ、亡くなったのか。仕事を続けながら闘病中と聞いてはいたけれど、53歳とはあまりに早い。真面目な中にちょっと面白味のある人だなあと思っていて、好きなアナウンサーだっただけに、個人的にも残念。ご冥福をお祈りいたします。 それにしても、アナウンサーという仕事は、ある意味、面白いね。 仕事としては「ニュースを読む」だけであって、ニュースを作っている人ではない。力道山とか、大鵬とか、長嶋のように、それぞれの分野で画期的な業績を挙げたわけでもない。 だけど、テレビを通じてお茶の間に顔を出し続けることで、時代の顔になる。そこが面白い。 子どもの頃のことを思い出しても、八木治郎さんとか、芥川隆行さんとか、高橋圭三さんとか、宮田輝さんとか、小川宏さんとか、北出清五郎さんとか、もっと近いところでは松平定知さんとか、逸見政孝さんとか。みんな懐かしい。 菅谷さんも、もうちょい長く、仕事を続けられたら良かったのにね。歳をとると、同年代の人が亡くなることに敏感になるけど、菅谷さんなんて、ワタクシより10歳近く若いのになあ。 まあ、若い人が亡くなるのは、嫌なもんですな。
November 11, 2025
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レオナルド・ディカプリオ主演の『ワン・バトル・アフター・アナザー』を観ようと思っていたんですが、グズグズしているうちに、ロード・ショーが終わってしまった・・・。まあ、何たること。 それにしても、結構ハリウッドの大物が大勢出演している割に、何の話題にもならなかったですなあ・・・。だから、ロード・ショーの打ち切りも早かった・・・。 で、観ようと思っていた映画が観られなかったので、その代わりに週末、なんか映画を観ようと。それでふと思いついて役所広司さん主演の映画、『パーフェクト・ワールド』を観ることに。 この映画、役所さん演じる主人公が、公衆トイレの清掃の仕事をしているんだけど、その生活は静謐そのもので、しかもこの人は読書家。で、彼が読んでいる本が、なんとウィリアム・フォークナーの『野生の棕櫚』だったかな? とにかく、そんな感じで、アメリカ文学の研究者の間でも結構話題になっていたのよ。 で、以下、ネタバレ注意ですが、役所さん演じる三上は、施設で育ち、若い頃から組に出入したりしていたんですけど、その過程で人を殺めましてね。13年もムショ暮しですわ。で、出所して、今度こそ堅気の生活をしようと努力する。 だけど、過去が過去なだけに、なかなか普通の生活ができない。彼の支援をしてくれる周囲の人の手助けで、一応、アパートも借り、就職もするのだけど、ちょっとしたことで昔のクセが出てケンカしてしまったり。で、自棄になって、昔の仲間のところに戻りかけたりしてね。 だけど、それでもとにかく、頑張って頑張って、普通の生活ができるようになってきて、これで少しは幸せになれるかなと思ったのだけど、そのタイミングで持病が悪化し、亡くなってしまうと。 ん? アレ? 死んじゃったよ? 公衆トイレ掃除はどうしたの? フォークナーは読まないの?? あっけに取られているうちに、ようやく事情が分かりました。ワタクシと家内は、『パーフェクト・ワールド』を観ていたつもりだったんですけど、実際に観たのは『すばらしき世界』だったのでした。全然、別の映画よ。 最後の最後まで、まったく気がつかなかった。いつになったら公衆トイレの話が出てくるのかと、首を長くして待っていたんだけど、そりゃ、映画が違うんだから、そんなシーン、出てくるはずはないわな・・・。 それにしても、同じ役所広司主演で『パーフェクト・ワールド』と『すばらしき世界』って、ちょっとやめてよ~。紛らわしいじゃないの。誰だって『パーフェクト・ワールド』の和訳が『すばらしき世界』なのだろうと思うでしょうが。 で、また、映画の内容も紛らわしいのよ。 三上が就職しようとするけれども、なかなかうまくいかない時、役場の人が「あなたはムショに長くいたのだから、ムショでの作業のようなことはできるのでしょ。それなら、うってつけの仕事がある」とか言って、新しい就職先を紹介する場面がある。で、そのシーンを見て、「おお。いよいよ公衆トイレ掃除の仕事か!」と思うじゃない? だけど、実際には老人介護の仕事だったりして。 というわけで、結局、『パーフェクト・ワールド』は観られなかったのだけど、しかし、まあ『すばらしき世界』という映画も、割と面白かったので、損した、という気分にはなりませんでした。これは、これでいい映画よ。 でも、いつか近いうちにリベンジして、今度こそ本物の『パーフェクト・ワールド』を観るぞ!!
November 9, 2025
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ここ数日、楽天ブログがトラブル中で、全然更新できませんでした。ようやく、回復したのかな? というわけで、二、三日更新を休むとブログも調子が出なくなっちゃうんですけど、最近、ワタクシは何をしていたんだっけ? そうそう、断捨離だ。 前にも書きましたが、近々、自宅のリノベを考えておりまして、そのために少しずつ準備をしているところ。で、それを機に、断捨離をしているのよ。 結局、普通に生活していると、モノはたまる一方。しかもワタクシはモノへの執着が強いから、思い出のある品とか、捨てにくい。 だけど、せっかくリノベをするなら、自分自身もリノベしないとね。 というわけで、このところ、思い切って、色々なものを捨てております。 で、昨日は、近くにある家庭ごみ処分場に行って、クルマに積めるだけのものを捨ててきました。20キロ分くらい捨てたかな?と思ったけど、実際には60キロ分だったらしい。 だから、自宅も60キロ、軽くなったわけだ。大人一人分ですな。 まあ、でもこれは序の口で、この先、もっともっと沢山のものを捨てることになるでしょう。 思い出を捨てるってのは、ワタクシにとっては辛いことだけど、でも、それは今まで貯め込んだ人生の垢みたいなものを引きはがして、そこから自由になることでもある。その意味で今、還暦を過ぎ、人生の第3コーナーを回ったあたりで、余計な重荷を下ろすのも、いいことなのかもね。 そう思って、この際、バシバシと要らないものを思い切って捨ててやろうかな。
November 8, 2025
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近々、自宅マンションをフルリノベしようかと思っているんですけど、その場合、書斎をどんな風にしようかなと。 スペースは限られているし、しかし本は沢山あるし、どうしよう? そこで、ふと思い立ってAIに頼んでみた。これこれ、こんな感じの書斎が欲しいのだけど、ちょっとデザインしてみて!と。 すると、こんなん出ました~! ↓ なるほどね。結構、いいじゃん? それにしても、AIってのは、何でもできるんだね。すごいな。もう、この調子で、寝室も、リビングも、みんなAIに作ってもらって、それをデザイナーに見せて、「こういう風にして」と言えばいいじゃん。 まあ、とにかくAIとハサミは使いようですな。
November 5, 2025
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昨日、文化の日は、我等夫婦の結婚式記念日でもあったので、夜、塩釜口というところにある「ブラッスリー・クー」というお店で、奮発してフレンチを食べてきました。 何度も来ているお店ですが、昨日も美味しかった。特にホタテとエビの身の入った青りんごのドレッシングのサラダが絶品。オニオンスープも美味しかったし、魚料理も抜群。最後の鶏の煮込みも美味しかったのですが、この歳になると魚料理と肉料理を両方備えたフルコースはきつくて、最後まで食べたら満腹+アルファになっちゃった。 でも、記念日にふさわしい豪華ディナーとなりました。このお店、教授のおすすめ!です。 で、幸福にお腹を満たして、そのまま帰ればいいようなものの、そうならないのが私の常。 前にこのお店に来た時、お店の近くに「無人古着屋」なるものがあることを発見したので、昨日は帰りがけにそのお店に入ってみたのよ。何せこのところ、ワタクシは空前の古着ブームだからね。 で、無人古着屋というのには初めて入りましたけど、確かに店は開いているけど、店主・店員はいない。服を買いたい人は、料金箱に釣銭のないよう、値札通りの料金を入れる仕組み。 なるほど、無人の餃子屋さんとかと同じ仕組みですな。 で、早速、服を見始めたのですけど、店もそんなに広くはないので、あっという間に見つくしちゃった。 でもその中で一点、ちょっと気になる服がありまして。 それはバーバリーのコートでね。カーキ色で、毛布のようなライナーがついている。襟の形に個性があり、なかなか面白い。 で、羽織ってみると、これまたいい。バーバリーのコートが3千円なら、ちょっと考えるじゃない? 難点が一つあって、コートの内側に刺繍で「中村」というネームが入っている。これ、元は中村さんのコートだったんですな。 で、さんざん迷った挙句、今回は見送ることに。さすがに前の持ち主の名前が入っているのが気になるし、何度も羽織った結果、やはり少しだけ私にはサイズが大きいような気がしてきましたしね。 だから、収穫は無しだったんだけど、それでもアレコレ探したりするのは面白かったです。宝探しみたいなものだからね。 で、思ったのだけど、ブランド品って、古着になるとより一層、その価値が分かるね。 やっぱりデザインといい、品質といい、これはバーバリーだ、という主張がある。凡百の古着の中で、ブランド品は生き残る。生き残るだけのものを、ブランド品ってのは持っているんですな。 そういうことも、古着を楽しむようになってから分かってきたのであって、これも人生勉強よ。 とまあ、そんなわけで、昨日は美味しいフレンチと、古着の宝探しで、面白い夜を楽しんだのでした。
November 4, 2025
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最近、韓国の自己啓発事情について聞かれることが多くなってきたので、情報を仕入れるためにハ・ワンの書いた『あやうく一生懸命生きるところだった』という本を読んでみました。 ハ・ワンはイラストレーター兼エッセイストで、この本でも文章とイラストを両方担当している。なかなか可愛いイラストです。 で、この本は、いわばハ・ワンの自伝的エッセイなのですが、それによるとハ・ワンの生家は貧しかったと。で、貧富の差がもたらす劣等感をそれなりに味わいつつ成長するんだけど、絵の才能があったので、韓国で一番有名な美術大学を目指すんですな。 ところが最初の年には落ちてしまう。で、翌年も受験して落ちてしまう。この時は滑り止め大学に通うようになったのだけど、どうしても夢が諦められず、もう一度受験し、また落ちると。で、ようやく4度目の受験で合格する。 で、卒業後、3年ほどフリーターをする。しかし、さすがに背に腹は代えられなくなって某会社に就職。そこはかなり自由な社風で、仕事もさほどきつくなかったようですが、会社員生活に馴染めず、40歳の時に突発的に辞表を出してしまい、今日に至ると。 まあ、つまり、あまりパッとした人生ではないわけですな。それは本人が一番感じている。 で、そのパッとしない自分の人生の味を味わいながら、なんでこんなにパッとしないのか、どうして自分は、若い頃に思ったような理想の生活ができず、不満を抱えて生きているのかを考えるうちに、これは自分だけの責任ではなく、韓国の社会風潮や、親からの期待、そして自分自身への幻想などによってもたらされたものなのではないかと気づくわけ。 すべてをあきらめて、ありのままの自分を肯定してみたら、まあ、そんなに悪い人生でもないのではないか? ということも分かって来た。もちろん今も、成功者を見て羨ましいと思うことはあるけれども、前と違って今は自分に対する高すぎる期待も抱いていないので、とっても楽。ああ! 以前みたいに周囲に流されて、馬車馬のようにシャカリキに生きる羽目に陥らなくてよかった! 危うく一生懸命生きるところだった!・・・という話。 だから、この本も、一生懸命頑張れ、頑張れというアッパー系のものではなく、むしろ一生懸命頑張るな、というダウナー系の自己啓発本ということになります。 これが自己啓発思想の観点から見た、韓国の今の風景なんでしょうな。 でも、この本を読んでいて、色々なことが分かりました。 たとえば韓国経済が落ち込む転機となったのは1997年のIMF通貨危機だったとか。で、以後、韓国ではお金が重要、という概念が広まるんだけど、それに追い打ちをかけたのが2000年にとあるカード会社が打ったTVCMで、この中で有名女優が「お金持ちになってください」と呼びかけたのが大ブームとなり、「お金持ちになる」というのが韓国人共通の夢になり、物質万能主義社会になってしまった、とか。こういう庶民感覚での時代意識ってのは、なかなか日本に居ては分からないことだしね。 あと、『孤独のグルメ』が韓国では人気なんだけど、なんでもスマホで情報検索する韓国社会の風潮とは逆に、井之頭五郎が自分の勘だけを頼りに店を選ぶ、その手法が斬新なんですと。韓国では「いつでも誰かと一緒」というのが当たり前(108頁)なのだそうで、そういう、集団の圧力というものから離れ、一人で自分の好きなものを食べるという五郎の生き方が、羨ましいと。 あと、韓国は「正解社会」(170頁)だ、という著者の指摘も面白かった。誰もが正解を求めていると。だから、著者が選んだ「脱サラ」なんてのは、不正解もいいところなわけ。だけど、その不正解なところにこそ自由があったわけで、この本はそういう正解社会からの離脱、というのがテーマでもある。 あとね、『ユン食堂』という人気番組があるそうで、これは俳優が海外でレストランを経営するというリアリティー番組らしい。「競争の熾烈な韓国を飛び出し、ゆったりと外国で店を開くというロマン」(173頁)を見せたところが受けたのだそうで。逆にいうと、こういう番組が流行るほど、韓国社会は熾烈だ、ということですな。だけど、こういうのが流行ると、今度は韓国人全員がこぞって「海外でレストラン経営」という夢に群がってしまう。この時はこれが「正解」だったから。 とまあ、この本には、こういう韓国社会の風潮を交えながら、この風潮に捉われたら、常に他人と比較する幸福競争に巻き込まれ、結局、幸せにはなれないと。だから、ドロップアウトするのが賢明なのだよ、ということが色々な観点から書いてある。これが本書のダウナー系自己啓発本である所以なんですな。 ま、自己啓発思想を考える上で、大いに役に立つ本ではありましたね。それにしても、お隣の国に暮らすというのは、大変そうだねえ・・・。これこれ! ↓あやうく一生懸命生きるところだった [ ハ・ワン ]
November 3, 2025
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山口忠夫さんの書かれた『直傳靈氣 レイキの真実と歩み』という本を読了しましたので、ちょっとだけ心覚えをつけておきましょう。 レイキについては、前々から調べてみようとは思っていたのよ。というのは、精神療法とか、代替医療というのは自己啓発思想の中で重要な位置を占めるのでね。日本発祥の代替医療として、世界中で知られているレイキについて、まるで知識がなかったら、それは自己啓発思想の研究者として恥ずかしいからね。 で、とりあえずこの本を読んだのだけど、これで大体、レイキというものの歴史が分かった。 それは実にシンプルなもので、レイキ・・・というか霊氣なる施術法を発案したのは、臼井甕男(みかお)という人。この人は1865年生まれね。で、この人は色々な仕事をして生計を立てていたみたいなんだけど、そのうちに「人生の目的とは何ぞや?」みたいなことを考えるようになり、禅の世界に飛び込んで修行をし、京都の鞍馬山で断食修行していたら、ある時、脳に落雷を受けるような衝撃を受けて昏倒、気がついた時には手をかざすだけで人の悪いところを治療する術を身につけていたと。 で彼は「臼井靈氣療法」を確立するんだけど、その高弟に林忠次郎がいた。この人は元海軍大佐。で、この林と、その弟子でハワイ在住の日系人・高田はわよが、靈氣をハワイへ、そして世界に広めたと。ここから靈氣はレイキになっていくわけね。 で、この林忠次郎から靈氣を伝授された弟子の一人が山口千代子で、その千代子の息子が本書の著者である山口忠夫さんであると。 で、母親の千代子さんは、靈氣を当たり前のこととして日常で使っていて、忠夫さんも幼い時から火傷や怪我をした時、風邪を引いた時など、母親の千代子から靈氣をかけてもらって治療していたと。 一方、世界に広まっていたレイキの施術者(レイキ・ティーチャー)たちは、レイキの原点を探そうと日本を訪れる人も多かったのだけど、その頃には臼井のことも林のこともよく分からなくなっていて、もう日本で本式の靈氣を学ぶことはできないんだ、という噂が流れていた。 ところが、たまたま山口千代子が、林忠次郎直伝の、ということはつまり臼井甕男直伝の靈氣を日常的に実践していることをつきとめたあるレイキ・ティーチャーがいて、その人が本の中にそれを書いたので、世界中のレイキ・ティーチャーたちが山口千代子さんのところに押しかけたと。 つまり、レイキが靈氣を再発見したわけよ。それが1999年のこと。だから、靈氣が再び脚光を浴びたのは、つい最近のことだったんですな。 で、その後、2003年に山口千代子氏は亡くなったので、今は山口忠夫さんが直傳靈氣を伝え続けていると。今は京都と東京の町田に本拠地があるみたい。 ま、レイキの歴史ってのはこんな感じらしい。 で、本書には臼井甕男が作り上げた靈氣の話も載っているのだけど、一つ面白かったのは「五戒」という話。 臼井は靈氣の治療をしていたのだけど、そうすると、一度治ったはずなのに、また病がぶり返して、再び臼井のもとに泣きついて来るヤツが大勢いると。 で、臼井は、靈氣で治療しても、治療された本人の人生に対する心構えが悪ければ、さすがの靈氣でも根本的な治療にはならないということを発見するわけ。で、その人生に対する心構えから治さなければならないってんで、「五戒」を考えたと。 その五戒というのは、コレ。 今日丈けは(だけは) 怒るな 心配すな 感謝して 業をはけめ(励め) 人に親切に なるほど! これは興味深いねえ! あのね、自己啓発思想史の中では、こういう呪文って、結構あるのよ。 たとえばエミール・クーエの「Day by day, in every way, I'm getting better and better.」とかね。あるいはハワイのホ・オポノポノの「I love you. I'm sorry. Forgibe me. Thank you. 」とか。 臼井甕男の五戒も、これに近いね。しかも、この5つの誓い、どれもみんな自己啓発思想の中で重視されるものばかり。なかなかの味わいだな。 あと、このほかに臼井は、明治天皇の御製(すごく説教臭い)を重視して、この中から百首を選び、朝に夕に唱えることを推奨していたのだとか。 ま、そんな感じ。 というわけで、とりあえず靈氣の何たるかはこれで分かった。この本、そちら方面に興味がある方にはおススメです。これこれ! ↓直傳靈氣 The Roots of REIKI レイキの真実と歩み [ 山口 忠夫 ] なお、今もなお山口さんはセミナーを開いているらしいので、8万5千円くらい支払うと、臼井甕男直伝の靈氣を習うことができるらしい。町田なんて、実家から近いから、私も行っちゃおうかな。
November 2, 2025
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必要があって、儒教のことを色々調べているんだけど。 ところで、一般の人って、儒教って何なんだか、分かっているのかしら? あのね、あれはね、自己啓発思想です。 そりゃそうだよね! だって、あれでしょ? 孔子様はさ、古の中国の偉大な王様のことを讃えて、世を統べる者、ああでなくてはいかん、という教えを伝えたわけでしょ? つまり政治のトップになるためには、人格を磨けと。 だから儒教って、科挙の出題範囲になるんじゃなーい! 儒教を学んで出世しよう!って。 だから、儒教は自己啓発思想なの。 で、その自己啓発思想が江戸中期の日本にも入ってきました。で、サムライたちはそれを学んだわけ。藩校とかで。 でも、日本の場合、それは、人格の陶冶には役に立ったかもしれないけど、自己啓発思想としては役に立ちませんでした。なぜなら日本には士農工商制度があったから。いくら人格を上げても、出世はできないのよ。身分固定(カースト)制だから。 ところが明治維新があって、この士農工商制が無くなる。その時に、アメリカから自己啓発思想が入って来る。ベンジャミン・フランクリンの思想が入って来るわけ。 で、フランクリン曰く、「自分の人格を高めれば、出世できるよ」と。 で、明治初期の日本人は思ったわけよ。「あーーー! それ知ってる! だって儒教で習ったもん!」って。 だから、儒教やってた日本人には、アメリカ流の、ベンジャミン・フランクリン流の自己啓発思想って、すごくよく分かるわけよね。だから、一気に浸透するわけ。 ・・・っていう構図は、アメリカの自己啓発思想を知っているから分かるのであって、日本史として儒教伝達史とかをクソ真面目に勉強している人たちには・・・分っかるかなあ? 分っかんねぇだろうなぁ。オー、イエィ。(by 松鶴家千とせ・・・って言っても、若い人には分からないか・・・) まあ、そのうちに、私が日本の儒教史に風穴を開けてやるよ。 というわけで、このところ儒教のことを勉強しているんだけど・・・ なんか、つまんない。だって、真面目な話ばっかなんだもん。 で、なんとなく、自己啓発本のあのいかがわしさ、インチキくささに触れたくなって、今日は「レイキ」の本を読んでいました。 レイキって、ご存じ? あの、気で病を治すってやつね。日本伝統の。 で、そのレイキ施術者の家に生まれた人の書いた本を読んでいたんだけど、その人のお母さんがレイキの使い手だったと。で、レイキで病人の身体に手をかざすでしょ。そうすると、病巣があるところには何か反応があるらしく、手からその気配を感じることができると。 で、戦時中、そのお母さんの夫、つまり著者のお父さんが戦場に行っていて、生きているか死んでいるか分からないと。 で、そのお母さん、遠隔で夫に向かってレイキをかけてみた。すると・・・ お父さんの病巣の手ごたえが返ってきたんですと。ということは、お父さんは戦場で、怪我はしているかもしれないけど、生きていることは確かだと。 で、実際、その夫は戦後、日本に引き揚げてきたそうな。 オ――――! 出た――――! この何とも言えないインチキくささ。これこそが自己啓発本研究の醍醐味だよね! ということで、まともな勉強をして少し弱っていた私の心が、このインチキくさいレイキの話で、ちょっと回復してきたのでございます。これもひょっとしたら、レイキの効能だったのかもね!
November 1, 2025
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昨日、セミナー講師の仕事を終え、ちょっと一息つきたかったので、今日は家内とIKEAと万代家具に行って、インテリア・グッズを見て来ました。 いや、実は、自宅マンションのフルリノベーションを考えているもので、新しい家具やら何やら、色々と準備しないといけないのよ。 で、IKEAと万代家具、両方に行って、クローゼットとか、照明とか、ベッドとか、ソファとか、そういうものを見てきたんですけど、色々勉強になりました。 特に衝撃だったのは、万代家具で見たベッドよ。 シモンズとか、シーリーとか、色々見て回ったのだけど、一番すごかったのは、テンピュール。 しかも、それの電動版。 テンピュールベッドの電動のヤツで、「ゼロ・グラビティ」っていうボタンがあって、それを押すとベッドがグイーーンって動いて、頭と足先が若干持ち上がるわけ。そうすると、繭に包まれたような感じになって、テンピュール独自の低反発素材とも相まって、もう、体重を忘れる寝心地となる。 もうね、それを一度味わってしまったら、他のベッドに目が行かなくなってしまうほど。 だけど、値段も高いんだよね! いいものは、お代も高いわけでありまして。 さてさて、どうしたものか。値段が高くても、これから先の人生における寝心地を重視すれば、こっちを買っておいた方がいいのか? 悩ましい限り。 あとね、電動のソファも見たけど、あれもいいんだよね! もう、あんなのに座ったら、リラックスし過ぎて勉強する気が無くなるんじゃないか? というわけで、新しい家具を物色しに行って、悩ましい選択に直面することになってしまったワタクシなのでした、とさ。
November 1, 2025
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