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今年7月10日に腰痛で病院に行っているのですが、全然治らない・・・。ここ数日は、呼吸もできない。大きく息を吸おうとすると、ビキッと激痛が走るもので、怖くて吸えないのよ。 ちょっと明日、もう一度病院に行ってみようかな。もうすぐ京都大学で1週間の集中講義なんだけど、こんな調子では先が思いやられるからなあ。 あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、という中で、自分の体調がイマイチというのは辛いね。早くなんとかしないと。
August 31, 2025
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某有名経済誌に掲載する5500字の記事を4日かけて書き上げ、家内の内助チェックも済ませました。あとは9月上旬の提出日までとりあえず置いておいて、たまに読み返して細部を洗練させるくらいかな。 しかし、とにかく仕事が一つ終わった。 文章を書く仕事って、終わるかどうかなんて最初は分からないからね。何日かけても書けないかも知れない。その恐怖と闘いながら書くんだから。書き終わった時は、どっと疲れる。いや、別に疲れはしないけど、呆ける。 で、呆けている時は何もできないから、本を読む。 今日読んでいたのは、中田耕治という人の書いた『私のアメリカン・ブルース』という本。1977年の本だから、かれこれ半世紀ほども前の本ですな。 なんで中田耕治の本を持っているかというと、昨年の秋から今年の春にかけ、事典の仕事で翻訳家・作家の常盤新平のことを調べていた時、常盤さんの師匠の一人が中田耕治だったから。 中田耕治は1927年生まれだから、私の父の一つ年上。だから、まあ、親世代ですな。1924年生まれの私自身の師匠とも年代は近い。そんなジェネレーションが上の人のアメリカ文学論が読みたくなったのよ。 で、読んでみると、懐かしいんだなあ。ああ、昔のアメリカ文学論って、こんな感じだった! という気分が波のように押し寄せてくる。ほんと、文学を勉強しているというのではなく、文学を生きている、文学を呼吸しているという感じなのよ。 だから、浪花節みたいな感じで、文学論と自分自身の人生論がないまぜになっている感じ。でも、そうやって引き付けて読んで、自分の全存在をかけてアメリカ文学と格闘しようとしているところが、面白いんだなあ。だって、それ以外に文学の読み方なんてないじゃん。 今時の若い大学院生なんかの、猪口才にかしこぶった、他人事みたいな論文とは全然違う。 それにやっぱり昔の学者さんは読む量が違うよね。私の師匠もそうだったけど、万巻の小説を読んだ挙句の、特定作家についての論だから、幅と深みが違う。 そうだよなあ、こういう文学論に憧れて、俺はこの道に入ったんだよな、という気分。 まあ、呆けている時期に読むものとしては、イイ感じでした。こういう先達の姿勢こそ、見習わなくてはと思いましたからね。
August 30, 2025
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ついに噂の備蓄米?みたいなのを食べました。 噂の備蓄米、興味はあったんだけど、うちの近くでは売っているところがなくて、今まで食べたことがなかったよの。ところがついこの間、さるドラッグストアで売っているのを見つけたので、興味本位で買ってみた次第。 で、今日、それを炊いて食べてみた。 うーん、普通? 安いといってもそんなに大幅に安くはなかったので、古古米とか、そういうのではないのかもしれません。でも、まあ、普通よ、普通。 先日、実家に帰った時に、姉がカリフォルニア米を食べさせてくれたんですけど、これはね、あまりおいしくなかった。なんだか、一日置いたご飯をふかしたみたいな味でね。でも、今日食べた国産のブレンド米はそこまで不味くはなかったです。 でも・・・やっぱりブランド米、それも炊き立ての新米とか、そういうのと比べるとちょっと落ちるかな。 まあ、何事も経験よ。コメ不足の時があって、そういうのを食べたというのが、将来、昔語りになるからね。 ということで、なかなか面白いブランド米ならぬブレンド米経験だったのであります。
August 29, 2025
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私は結構本も書くので、「書くのが好きなんだろう」と思われているようなのですが、そんなこたぁない。モノを書くなんてのは、まあ、面倒くさい仕事でありまして、私だってやりたくてやっているわけではない。 だから、書き物の仕事をする時も、書き出すまでが大変。締め切りがあるから、どのタイミングかでは書き出しますが。 で、そろそろ締め切りが迫っている原稿がありましてね。昨日今日とそれを書いていたのですけれども。 で、しゃーないなーと思ってやり始めるのですけど、一旦やり始めれば、それなりに熱中してくる。そう、重要なのは「やり始める」ってことなのよね。 で、思い出すのは「ズーニンの法則」ってヤツ。 レオナード・ズーニンというアメリカの心理学者がいて、この人が「初動の4分間がカギ」ということを言い出した。とにかく4分間、何かをはじめれば、ノッてくるから続くよと。 これ、ホントにそうなんだよね! たしかに嫌だな、嫌だなと思っていても、とりあえず4分間くらいやっていれば、身が入るのよ。 ということで、今日も午前中、とりあえず4分間頑張ろうと思って、昨日書いた自分の原稿を読み直していたら、ちょうど4分間くらいしたところで身が入った。で、そこからはバーッと書けてしまった。 もっとも5500字で頼まれていた原稿なのに、昨日今日で6500字書いちゃって、あと1000字、カットしないといけないんですけどね・・・。ノリ過ぎたか・・・。 でも、ズーニンの法則は使えるわ。今後、原稿を頼まれたら、「とりあえず4分!」と思って書き出そう。そうしたら、もっと簡単に書けるかもしれないもんね。
August 28, 2025
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ちょっと前に買ったまま、放っておいた富士通のノートパソコン。今日、ようやく初期セッティングをしてもらいました。 が! これがね、とっても残念な結果になったのよ。 私自身はそういうの苦手だから、大学のIT系センターの職員の方にセッティングをやってもらったんだけど、なんと、このパソコンの電池が最初から壊れていたと。 だから、いつまで充電してもゼロ%のまま。電源を引っこ抜くと、そのままダウンしてしまうという。 そんな、ノートパソコンなのに、常に電源につないでおかないとダメなんて、それはないでしょう! 要するに、欠陥商品だったのよ。もちろん、保証期間内ですから、交換できると思いますけどね。 しかしさあ、日本製品で、それも富士通の製品で、パッケージ開けた時から壊れているって、やばくない? なんかもう、落ちぶれつつある「モノづくり日本」を象徴するようじゃないの。 というわけで、今日は2時間近くかけてセッティングしてもらったのが、全部無駄になるという体たらく。セッティングしてくれた職員の方に申し訳ないわ。 もう、富士通さん、しっかりして!
August 28, 2025
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早いもので、後2カ月弱すると母の一周忌。ほんとに早いですなあ・・・。そろそろ一周忌をどうするか、計画を立てなければ。 ということで、あれこれ動き始めたのですが、実際にやってみると、これがなかなか難しい。 父の時は簡単だったんです。お墓の近くにある菩提寺でやったからね。だけど、色々あってこの菩提寺とは縁を切ることにしたので、一周忌法要をどこでやるかが大問題。 葬儀場でやればいいと思ったのだけど、探してみると、法要をやらせてくれる葬儀場って、案外少ないのよ。電話すると、葬式はやるけど、法要は引き受けてないという返事をするところが結構ある。 まあ、同じ貸すなら、葬式の方が法要より儲かるということもあるのでしょう。それに、葬式はいつ頼まれるか分からないからね。儲けの少ない法要の予約を受けるより、急に入る葬式の仕事を受けるために、式場の予定を空けておいた方がいいのかもしれません。 で、一時は自宅でやるか、とか、石材店に頼んで墓所の前でやるか、なんてことも検討したけれども、自宅は手狭だし、法要に使うもろもろが揃ってない。一方、墓所の前でやるとなると、天候が気になる。今年の感じからすると、10月下旬に台風が来るかもしれないし。 ということで、色々と迷走しましたが、結局、葬儀を頼んだ葬儀場に、法要も行なうことにしました。たまたまそこは、法要も引き受けてくれると言ってくれたので。で、読経してもらう僧侶の方も、無事に確保。 とりあえずこれで段取りは決まったので一安心かな。 天国の母上さま、一周忌法要、何とかなりそうですから、安心してね!
August 26, 2025
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今月上旬にお披露目となった、日進市の道の駅「マチテラス」、今日初めて行ってみました。 この道の駅ができるに当たっては、色々と妙な噂があったりして、市民の間でも意見が分かれてね。賛成派と反対派がほぼ半分ずつ。結局、僅差で着工してしまったけれども、さてどうなることか・・・。 …と思ったけれど、やっぱり日本人は物見高いのよ! 完成したら、賛成派も反対派もこぞって押し掛けるらしく、連日大盛況。 で、しばらく様子を見ていたのですが、さすがにもうそろそろ平日ならいいだろうと思い、今日になって行ってみたわけ。すると・・・ まあ、平日でも大変な混雑。 だけど・・・ うーん、期待したほどではないかな! 一応、お菓子とかパンとか、色々なものは売っているけれど、とにかく売っているものが高い! お得感というものが全然感じられない! しかも売り場が妙に狭いので、押し合いへし合いという感じ。 というわけで私も家内も、ぐるっと一周して、「ふん、ふん、なるほど」と言った切り、10分ほどで出てきてしまいました。 まあ、今後とも、敢えて行くほどのことはないかな。 ということで、果たしてマチテラスの大混雑、いつまで続くのか。今後が見ものですな。これこれ! ↓日進市道の駅「マチテラス」
August 25, 2025
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家内はこの夏、例年以上によく扇子を使うようになったのですが、彼女に言わせると、扇子とうちわでは全然違うと。 それはもちろん、扇子の方が性能がよくて、うちわは全然ダメ、という意味ね。 で、言われるままに私も扇子とうちわを両方使ってみたのですが、家内の言う通り、確かに全然違う。扇子の方が断然いい。 うちわの風は、何というか、固いのね。しかも、手を止めればすぐに風が来なくなるので、常に忙しなくバタバタと扇がないと効果がない。でも、バタバタと扇ぐ動作そのものが暑苦しいというか、実際に暑い。だって、手を動かして運動しているわけだから。 そこへ行くと扇子っていうのはスゴイよ。ゆーーーったり扇いでいても、そよそよとした柔らかい風がふうわりと届いていい調子。しかも風の幅が広いというのか、大きなそよ風を届けてくれる感じ。うちわはごく狭い範囲の風しか動かせないのにね。 もっとも、うちにあるうちわは、何かの宣伝でもらったプラスチックの骨に洋紙を貼った無粋なやツなので、竹の骨に和紙を貼ったような本式のヤツだったら、もうすこし扇子的な風を作ることができるのかもしれないけれども。 で、さらに家内に言わせると、扇子は今時のハンディファンよりよほどいいと。 ハンディファンも、うちわと同様、送られてくる風の範囲がものすごく狭い。そこで、顔に風を当てる程度のことにしても、ハンディファンを多少グルグルと回さないと、顔全体に風が届かない。そこへ行くと扇子は、そんなみっともないことをしなくても、顔全体に広く風が届くと。 それに、ハンディファンを使うのって、ちょっと「バ〇っぽい」と(これは家内の意見というより、ネットでそういうことを言う人が大勢いるのだそうで)。 〇カっぽいかどうかはアレですけど、確かに、たとえば上品な良家のマダムがハンディファンを使っているところなんか、想像できませんわな。男だって大店の11代目当主とか、人間国宝の誰かとか、文化勲章受章者とかが、「暑い暑い!」とか言って、ハンディファンをブーン!なんてやっているところ、想像できないでしょ? そこはやっぱり優雅に扇子を使ってもらいたいところで。 となると、アレかな。私も扇子、買おうかな。 今年は私も「日傘男子」デビューしちゃいましたけど、続けて「扇子男子」デビューもしますか。
August 24, 2025
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私は子供の頃、熱心なプロレスファンでね。一時はレスラーになろうと努力したことすらある。 当時、プロレス界はジャイアント馬場率いる「全日本」と、アントニオ猪木率いる「新日本」に分かれていて、私は断然馬場派だった。猪木もかつてはコブラツイストとか、卍固めとか、相当にショーアップしたプロレスをやっていましたが、それが段々ストロング・スタイルに変わって行った。すなわち本気の勝負をするようになっていったんですね。 で、そういう風になっていくと、プロレスじゃなくて喧嘩みたいに見えるのよ、子どもの目には。それが嫌で、私は馬場派だったわけ。その後、猪木は強さを証明するために、モハメド・アリとの異種格闘技戦なんかもやるようになりましたが、私の目からみると、それはそれで逆に噴飯もののショーのように見えたこともありましたし。政界に入ってからのあれやこれやも、何だかイロモノのショーみたいでしたしね。 だけど、最近、YouTube で猪木が色々なことについて語っているのを見たところ、これがね、なかなか良かったのよ。さすが、あれだけ苦労してきた人の言葉は、人の心に刺さって来るというか。 実際、私が猪木のように語れるかというと、とてもそんな自信がない。苦労してないからね、私は。しょせん、ボンボンだから。だから、猪木の言葉を聞いていると、ものすごく勉強になる。 ということで、原稿執筆の合間に、猪木の言葉を聞いて、自己啓発されている今日このごろ。 猪木ファンも、そうでない方も、一度猪木の言葉に耳を傾けてはいかがでしょうか。アントニオ猪木、今更ながら教授のおすすめ!です。これこれ! ↓アントニオ猪木の自己啓発
August 23, 2025
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話題の『鬼滅の刃』、レイトショーで観て来ました~。 3時間の長丁場、ボンタンアメを食べながら(ボンタンアメを食べると、トイレが遠くなるという都市伝説?を聞いたので)観ましたけど、もう見始めたら一瞬よ。 まだご覧になってない方のために、内容は言えない~! でも、とにかく無限城のあちこちで、上弦の鬼たちと柱(及び炭次郎たち)の死闘が繰り広げられますから。 そして今回は、特に上弦の三、アカザの物語が切なくて・・・。 無限城編は三部作だそうですから、まだこの先長いですけど、もう一刻も早く次のが観たい! でも、どうせ1年後くらいなのかな? もう、待ちきれないよ~! というわけで、夏の夜の暑さよりさらに熱いドラマを観て、この夜中にいささか興奮気味のワタクシなのでありました、とさ。
August 23, 2025
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相変わらず英単語集を読み、ボキャブラリーの増強を図っております。 ところで、その英単語集には、一つ一つの英単語に例文がついておりまして。その単語がどういう文脈で使われるか、分かるようになっている。 で、その例文は、どうも新聞などの時事英語から取られているらしいのですが・・・現在完了形がすごく多い。気になりだすと、あれ、また現在完了だ、という感じになって、余計気になる。 で、何で気になるのかと思ったんですけど、多分、アレだなと。 私が普段読むような小説の文章って、現在形と過去形で書かれることが多いのよ。多分、無意識のうちにそれと比較しているんだと思う。 ああ、現在完了形っていうのは、要するに時事英語なんだなと。 まあ、別にどうっていうこともない発見ですけど、自分的にはちょっと面白かったっす。
August 22, 2025
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昨日、今日とブログに書くことがない・・・。というのも、一日中、書斎にこもって、原稿書きに勤しんでいるから。 先日、9割方書き上げた原稿を放棄し、新しく書き始めたと言いましたが、やはりその判断は正しかった。今は、何を書くべきかがはっきりわかっているので、書くことが楽しい! 予定は大幅に遅れますが、不本意な形で進めるより、自分として後悔のないものを書くべきですからね。 でも、なるべく遅れを取り戻すべく、夏休みの残りはとにかく全力投球あるのみ。頑張ります。
August 20, 2025
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某大手出版社と出版契約を結んでいる本の原稿を、大幅に書き直すことにしました。 この原稿、もう昨年から書いていて、9割方完成しているのよ。だけど、どうもね、筆が乗らないというのか。この数日、例の万年筆を新調したおかげもあって、かなり分量は進んだのですが、読み直してみて、何かこう興が乗らない。 これを、自分の本として世に出すのか?と思うと、腰が引ける感じがする。どうも、方向性が間違っているとしか思えない。 で、今日。もう思い切って、この原稿を捨てることにし、新たに本を一冊まるごと、書き直すことにしました。 ひょえ~! ほとんど一冊分の原稿が書き上がっているのに、捨てるんだぜ! すごくない? 狂気の沙汰だよね・・・。 でも、このままいくら時間をかけたところで、方向性自体が間違っているのだから、改善のしようがない。そのことをはっきり悟ったので、もう、しょうがないよ。全部やり直しだ。 と思ったら、スッキリした。それで今、猛烈なスピードで、原稿を一から書き直し中。 あーあ。大分時間を無駄にしたなあ。でも、仕方ないね。腹をくくろう。 ということで、一から出直し。頑張ります。
August 18, 2025
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ひゃー、4泊5日の帰省を終え、名古屋に戻って参りました~! 私にしては短い夏の帰省だったので、毎日忙しくしておりまして、仕事の方はあまり進まず。本も一冊しか読めず。まあ、しかし、実家に戻って姉一家とざわざわ過ごしていたら、そうなりますわな。 それでも、お盆のお墓参りもできたし、甥っ子のところに赤ん坊が生まれたし、家内の誕生日にプレゼントを買えたし、自分用にも万年筆と、ブルックス・ブラザーズのチノパンを買えたし、それなりに面白い夏休みだったのではないかと。 明日からは少し、気合を入れ直して、片付けるべき原稿を書き上げるべく、仕事しましょうかね。 では、今日はもう疲れましたので、寝ます。おやすみなさい。グーグー。
August 18, 2025
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今年の6月、父の法事で帰省した時、姉と話をしていて、何かの拍子に話題が鰻のことに及びまして。最近、食べてないねと。 高いですもんね! 鰻。 だけど、ちょうど『Die with Zero』という自己啓発本を読んだ直後だったこともあり、人間、死後に財産を残したってつまらない、死ぬ時に財産ゼロになるようなつもりでお金を使って、晩年を楽しまなくては、ということになったわけ。だから、多少、値段が張ろうとも、食べたければ鰻を食べようと。 というわけで、今日は私たち夫婦と姉夫婦、それに姪っ子も含め5人で町田に鰻を食べにいきました。父が生きていた時によく行った「双葉」というお店。 で、久しぶりに鰻を堪能したと。まあ、名古屋の鰻に慣れた私たちからすると、東京の鰻はちょっとパンチが足りないけどね。 で、その後、姉が家内に化粧品を誕生日プレゼントとして買ってくれるというので、ランコムの口紅をプレゼントしてもらい、家内は大喜び。 で、ここで私たちは姉一家と別れて、町田にある古着屋さんを見ていくことに。 町田にも何軒か、古着屋さんがあるのですが、その中でも特に良かったのが「ULTRABO」というお店。 で、私も家内も、あれこれ試着したりして楽しんだのですが、結局、家内は買わず、私だけ、ブルックス・ブラザースのチノパンを買っちゃった。やはりブランドものだけあって、細部が可愛い! というわけで、今日は鰻を堪能し、かつ古着ショッピングも堪能して、面白い一日となったのでした。
August 16, 2025
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一昨日、パイロット・キャップレス・デシモを買って以来、もう、原稿絶好調よ! やっぱり使うペンがいいと、書きたくなるのよ。あの滑らかさを味わいたいという欲望。もう書くしかないじゃん! そして書く。気持いい~! もっと書く。もっと気持いい~! そして仕事捗る、みたいな好循環。 ひょっとして、いや、間違いなくキャップレス・デシモは、これまで私が所有した万年筆の中で一番書き心地がいい! かつてペリカンとか、ウォーターマンとか、値段の高い万年筆も色々使ったけれど、それらと比べても断然、これがいい。 で、万年筆を使っているうちに、脳が活性化するのか、ワープロで原稿を書く作業も驀進! いやはや、自分で言うのもなんですが、今日は仕事しましたわ。原稿が大分進んだ。 もう、キャップレス・デシモ最高!これこれ! ↓パイロット PILOT 万年筆 キャップレス・デシモ パールホワイト 細字 ギフトケース付き FCT-15SR-PW-F Capless decimo
August 15, 2025
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昨日、パイロットの「キャップレス・デシモ」という万年筆を買ったという話をしましたが、これ、今日から使い始めて思ったんだけど、もう最高! 抜群に滑らかな書き心地! そしてノック式ゆえ、筆が止まっている時はすぐにノックしてペン先を格納するので、ペン先が乾かない! 日本の文筆業の方、全員に声を大にして訴えたい。とりあえずキャップレス・デシモを使ってみなはれ! もう、手放せなくなること請け合い! さて、今日は、父と母の墓参りのため、多磨霊園に行ってきました。まあ、お盆ということもあるのだけど、実はもう一つ、重要な報告事項がありましてね。 実は一昨日、ワタクシの姉の息子、つまり私の甥っ子のところに女の子が生まれまして。 ということは、ワタクシの父・母は、曾祖父になったわけですよ。残念ながらそれを見届けられはしなかったけれども。 そういう目出度いことがあったものだから、今日はその報告に行ってきたわけ。父上、母上、曾孫が生まれましたよと。健康に、賢い子に育つよう、見守ってよと。 おそらく、二人とも天国で拍手喝采していることでありましょう。お墓の脇に植えたムクゲも、この暑さにも負けず、次々とピンク色の花を咲かせておりました。
August 14, 2025
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今日は家内の誕生日。ということで、プレゼントを買いに新宿・伊勢丹に行ってきました。 で、その前に腹ごしらえということで、伊勢丹の隣にある伊勢丹会館へ行き、そこにある歌行灯といううどんのお店に。 このお店、昔むかし、今から40年くらい前によく恩師に連れてきてもらった店でね。ここで初めて歌行灯のうどんを食べ、その味に感銘を受けたんですわ。で、その後、家の近くの聖蹟桜ヶ丘の京王デパートに歌行灯が入ったということで、両親を連れて、これまたよく行ったものでした。そういう、思い出の店なのよ。 で、40年ぶりに食べた歌行灯は美味しかったです。で、店員のおばちゃんに、「昔、恩師に連れてきてもらったことがあって・・・」とお話しすると、「そうですか! このお店が出来て47年目なので、まだ出来て間もない頃にいらしてくださったんですね!」と。そんな懐かしい話が出来たのもご馳走でした。 さて、その後、伊勢丹に行って、家内は欲しかったトッズのバッグをゲット。良かった、良かった。 で、ついでに私も長年欲しいと思っていた万年筆を買おうかなと思い、伊勢丹の文具売り場に行ったのですが、売っておらず。聞けば、パイロットは伊勢丹から撤退したのだとか。 で、店員さんが、「新宿ですと、京王デパートの中に伊東屋さんがあるので、そこに行ってみては?」とアドバイスしてくれたので、それに素直に従って伊東屋へ。 で、伊東屋で改めてパイロット・キャップレス・デシモを見たのですが、やっぱりいいのよ。で、実際に試し書きさせてもらうと、これがまた実に滑らか。それもそのはず、ペン先は今時珍しい18金ですと。 前からずっと欲しかった万年筆でもあり、思い切って買うことにしました。やった~!これこれ! ↓パイロット 万年筆 キャップレス・デシモ FCT−15SR ダークブルーマイカ DL<25000>【送料無料】【名入れ無料】【ラッピング無料】【メーカー保証】【ペンタイム】 結局、家内の誕生日プレゼントを買うはずが、自分用にもプレゼントを買ってしまったワタクシ。まあ、これを使って頑張ってベストセラーを書くことにいたしますよ。 ということで、今日はちょっと散財しちゃったけど、Die With Zero の精神からすると、生きているうちに自分自身が十分に楽しまないとね!
August 13, 2025
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せっかくの夏休みなので、英語の語彙力でも強化しようかなと、『究極の英単語セレクション』という本を買ってきて、勉強しております。これこれ! ↓【中古】究極の英単語セレクション 極上の1000語 /アルク(千代田区)/向江龍治(単行本) 上級者向けの英単語集として結構いいです。 だけど、久々にこういうのをやっていて思うのは、記憶力が大分落ちたなと。 高校生の頃、『出る単』を一日で全部覚えた剛腕記憶力の持主の私が苦労するのだから、還暦過ぎのおっさんが英語勉強するのって大変ですな。 で、ふと思いついて、英単語を記憶するのに語源を使おうと。 たとえば「enervate」という英単語。これ、元気を奪うという意味ですが、冒頭の「e」は語源的には「外に出す」という意味。そして「nerv」は、もちろん神経とか気力とかいう意味。最後の「ate」は、「そうする」ということ。となると、全部合わせると「気力を外に出してしまう」ということになって、これが「元気を奪う」という単語の意味になると。 そう思うと、「enervate」という英単語も、記憶に残りやすいと思いません? ちなみに、英単語の語源を調べるのだったら、「天才英単語」というサイトがすごくいいよ! さて、で、そんな風に、語源を調べつつ英単語をマスターしている内に思い出したのは父のこと。 英語教育が専門だった父は、大昔から「語源、語源」と言っていて、語源を元にした英単語集『ダイナミック英単語』なんていう本まで出していますが、父が語源のことを言っていた頃、何しろワタクシは剛腕記憶力の最盛期だったので、「語源なんか知らなくたって、そのまま頭から覚えていけばいいじゃん」とか思って、あまり父の話を聞かなかった。 思えばあの頃の父は、年齢から言って段々記憶力が落ちてくるころだから、実感として「語源を元にして覚えれば、覚えやすい」というのがあったんでしょうな。 その父の思いを、今頃になって実感したワタクシ。やっぱり、親の歳になってみないと親の気持ちってわからないもんですな。 というわけで、今日はこれからお盆で実家に帰省します。せめて墓参りして、今は天国にいる父に、「今頃になって、父上の語源重視の意味が分かりました」と報告しなくちゃ。
August 12, 2025
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なんか、仕事もしないで本ばっかり読んでいる。本も読まないで仕事ばっかりしていた反動だろうか。 今日読んでいたのは、梨木香歩さんの『やがて満ちてくる光の』というエッセイ集。これこれ! ↓やがて満ちてくる光の (新潮文庫) [ 梨木 香歩 ] 梨木さんについては、最初に読んだ『春になったら苺を摘みに』が面白くて、その後、立て続けに何冊か読んでいるのですが、そろそろ少し休もうかな。ちょっと疲れちゃった。 まあ、これは好き嫌いの話だから、他人の共感は得られないと思うのだけど、梨木さんは私には少し意識が高すぎる。 たとえばこの本の中に風力発電の話が出てくる。風力発電のあの巨大な風車のブレードに、野生の鳥が衝突して死ぬと。 そのことを知った梨木さんは、ここに問題アリ!と感じ、反対運動の関係者に直接会いに行ったりされる。その正義感と行動力には頭が下がるばかり。そしてそうした一連の経緯を語る中で、あの風力発電の風車の無慈悲さというか、人間のご都合主義の体現としての異様な姿を描き出すと。 うん。そうなんだろうね。人間は、ご都合主義で、自然のことなんか考えてないところがあるからね。あの風車は醜悪なもの、悪魔の小道具なのかもしれない。 だけど、あの風車はあれはあれで、なんとか化石燃料依存から脱却しようとしている人間の努力の一つの形ではあるわけよ。私なんか、あの巨大な風車が回っているのを見ると、なんか新しい文明の形を見るようで、ちょっと嬉しくなるけどね。ギリシャ神話のティーターンみたいな巨人が山の上にどっかりと立って、風車を回して遊んでいるような幻想が浮かんできて。回れ、回れ~!なんてね。 まあ、その辺の感覚の違いかなあ。 もちろん、私が間違っているのよ。だけど、私がアホみたいに「いいな」と思っているものに対して、梨木さんが俄然憤慨されて、あんなものはよくない!とばかり果敢に行動を起こされるんじゃないかと思うと、自分の思いの至らなさを指摘されるようで、どぎまぎしちゃう。それで、疲れちゃうのよ。でまた、梨木さんが行動すると、それに同調するいい人たちが途端にずらずらと姿を現して、意識高い系の人たちの共同体ができるわけ。そういう市井の善意の人たちの集まりを見ていると、罪深い私なんぞはコワくてね。 というわけで、ちょっと私は苦手になって来ちゃったんですけれども、でも、エッセイ集として、この本はいい本ですよ。教授のおすすめ!です。
August 11, 2025
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筒井清忠さんの書いた『日本型「教養」の運命』を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 本書が狙うのは、「文化の享受を通しての人格の完成」という意味での教養の観念が、近代日本においていつ、どのように発生したのか?」という問に解答する、ということ。いわば近代日本のエリート文化の起源を明確にするというのが執筆意図なのだそうですが、この本が書かれたのは1995年。つまり今から30年前まで、それが分からなかった、ということですな。 ちなみに、E・H・キンモンスという人が書いた『立身出世の社会史』という本が、やはり同じく1995年に出ている。さらに竹内洋さんの『立身・苦学・出世』が出たのが1991年。同じく竹内洋さんの『立身出世主義』が出たのが1997年。どうも1990年代というのは、この辺りの話題についての本がやたらに出た時代だったと。流行の話題だったわけ。 ではそんな中、筒井さんはこの問いにどういう解答を寄せているのか? で、筒井さんによると、先に述べたような意味での「教養主義」が成立する前に、日本では「修養主義」というのが先行していたと。で、その修養主義、それに類する社会意識は既に江戸時代からあった。たとえば二宮尊徳の報徳社とか、石田梅岩の石門心学とか。あるいは寺子屋の存在だってそうだろうと。 しかし、「修養」という言葉が新しい概念として出てきたのは明治30~40年代だった。つまり「明治時代後期」ということになる。さて、この時代、日本に何が起こっていたか。 この時代、明治の国家体制が固まりつつあって、明治期前半にあった「立身出世主義」に陰りが見え始めていた。つまり明治20年代後半から高等小学校と中学の生徒数が急増し、明治30年代にはもう「受験」という言葉が出てきた。そして30年代半ばからは高等学校の入試競争が激しくなり、受験地獄という状況が出てきた。それはまた落伍者の数も増えたことを意味した。 この閉塞状況に加え、日清・日露の戦争があり、維新以来の富国強兵が完成してしまったというところがある。で、これらの社会状況の中で青年層の関心が変わってくる。かつては青雲の志で立身出世を目指して張り切っていたものの、この弛緩状況の中で、彼らの心は個人的な関心に向かうようになった。 で、この状況を筒井さんは「アノミー状況」と呼ぶわけね。そしてそのアノミー状況の中、日本の青年は三分割される。受験に失敗した落伍者たちは、立身出世の道を閉ざされた時、致富、すなわち金儲けの方に心を寄せた。そして彼らを煽ったのが明治35年に創刊された『成功』誌をはじめとする成功雑誌の数々。彼らこそが「成功青年」。 二番目の型は「堕落青年」。鉄幹・晶子の『明星』を濫読する「星菫党」のような腐敗堕落の男女青年たちが出てきた。 三番目の型は「煩悶青年」。その代表格が、言わずと知れた藤村操(岩波茂雄の同窓生)。宗教問題・倫理問題に煩悶して自殺してしまう。このように、明治後期には立身出世コースから漏れた青年たちが、俗(=成功)・遊(=堕落)、聖(=煩悶)の3つに分岐していったと。 で、こうした状況を救うべく思想・宗教・社会の各方面から手が差し伸べられる。たとえば清沢満之が創刊した『精神界』という雑誌(明治34年創刊)。修養を勧める雑誌で、この修養主義が清沢の盟友・沢柳政太郎を通じて教育界へ流れ込んだ。 あるいは綱島梁川の「見神の実験」(明治37年)。これは宗教的な観点からの修養主義。あるいは西田天香の「一燈園」設立(明治38年)や、蓮沼門三の「修養団」の設立(明治39年)。はたまた田沢義鋪の「青年団運動」(明治43年)や野間清治の講談社設立(明治44年)。これらは皆、目標を失った青年たちを立ち直らせるような方向性の運動であり、これらが共通して主張した修養主義がこの時代のエートスだった。 で、これに伴い、明治30年代にあった「成功書ブーム」に踵を接するように、明治40年代から「修養書ブーム」というのが日本にあった(詳しくは16-19頁)。それらは、古今東西の宗教・思想から引用したなんでもあれのハウツーものであったが、こうした修養書が異口同音に主張するのは人格の向上。明治後期の日本は、人格主義的修養ブームだったわけ。 その一方、その頃、日本のエリートたちの巣窟たる旧制高校では、教養主義が成立していた。で、その旧制高校の中でもさらに頭一つ抜いた第一高等学校で、明治39年、一大事件が生じる。それが新渡戸稲造の校長就任。それ以前の一高は、証言によれば、「東洋豪傑気取り」で「軍国主義的」な校風だったが、新渡戸の校長就任という新風がこうした旧弊な校風を一新した。そして和辻哲郎ほか、当時一高の生徒だった連中は、新渡戸校長に魅了されていく。 新渡戸が一高で指導したのもまた人格の修養だったのだが、その方法としては、西洋思想・西洋文化を享受することがメインだった。ここにおいて、修養主義の中から、教養主義が立ち上がってきたのだった。そしてその担い手となったのが、新渡戸門下生とも言うべき和辻哲郎であり、阿部次郎であり、安倍能成であったと。彼らは、先輩の魚住折蘆を通して、前述した清沢満之や西田天香らの影響を受けていたので、元々修養主義で鍛えられていたわけだが、そこへ新渡戸の影響で教養主義が入り込んだ。その一方、新渡戸は新渡戸で、一高でエリート青年たちに教養を吹き込む一方、雑誌媒体を通じて、一般の読書人たちに人格向上(=修養)の重要性を説いていた。 その意味で、近代日本においては修養主義というものが元々あって、そこから旧制高校の出現と新渡戸校長の出現を契機として、エリート文化的教養主義が若干分岐したと考えられる。その意味において、日本においてはエリートというものと大衆が非常に近いところにあったと言える。これはフランスなど、エリートと大衆が非常に離れているような文化と比べると状況が大分異なる。逆に、そういう状況だからこそ、日本の場合、エリート文化と大衆文化が互いに影響を与えやすかったというところがあり、それが後に、大衆文化がエリート文化を飲み込むような状況の遠因ともなった。(ここまで第1章) さて、日本の教養主義は、修養主義に包含された形で明治末期に誕生したわけだが、大正初期から中期にかけ、教養主義は修養主義から分離し、エリート主義的なところを強調するようになる。三木清曰く、「教養の概念は主として漱石門下の人々でケーベル博士の影響を受けた人々によって形成されていった」「私はその教養思想が台頭してきた時代に高等学校を経過した」と述べている。三木が高等学校に在籍していたのは大正3年から6年にかけてだから、大正初期に教養主義が定着した、と言える。 事実、この時代に、教養主義文化の華が開いたと言っていい。例えば大正3年には阿部次郎の『三太郎の日記』が出、岩波書店が漱石の『こころ』の出版によって出版事業に進出。大正4年には「哲学叢書」が、大正6年には雑誌『思想』が創刊したほか、倉田百三の『出家とその弟子』、西田幾多郎の『自覚に於ける直観と反省』が、明治8年には和辻哲郎の『古寺巡礼』、大正10年には倉田百三の『愛と認識との出発』が刊行されている。こうした教養本の時代の始まりは、一方で岩波文化のスタートをも意味した。 ところが大正12年、岩波茂雄が企画した「教養叢書」に対して、番頭の小林勇から「教養はもう古い」と言われた、というエピソードが。この頃、マルクシズムが台頭してきて、教養を流行の座から追いやりつつあった。こういう状況の中で、大正時代は昭和へとバトンタッチしていく。 本書ではこの後、統計を利用しながら、昭和初期のエリート予備軍たる旧制高校生の読書傾向について叙述がある。『改造』『中央公論』『文藝春秋』などが、学生たちに最もよく読まれた雑誌だった。一方、一般読者を対象にした読書傾向では『キング』など講談社系の雑誌がトップなので、そこにエリートと一般大衆の読書傾向の差が窺われる。 また雑誌だけでなく、この時代によく読まれた本の統計も示されている。 総じていうと、大正末期から昭和初年にかけ、マルクス主義とモダニズムの潮流があり、教養本は一時的に落ち込むが、昭和10年代に入って戦争の時代となると、逆に教養主義の復権があった。で、その際、河合栄治郎が果たした役割が大きく、彼が昭和10年に出した『第一学生生活』以下、昭和16年までに相次いで出された「学生叢書」が推薦図書リストを掲げていたことの影響で、教養が一種のマニュアルとなった。そして、こうした読書傾向の中に息づく教養主義は、昭和40年代まで続くことになる。(ここまで第2章) 大正11年、一高の社会思想研究会がマルクス主義を柱に活動を展開。これを皮切りに三高・五高・七高と同種の研究会が設立されマルクス主義の影響が拡大していった。大正14年に社研が禁止されるなど、取り締まりもきつくなっていくが、これに対して学生ストライキが起こるなど、昭和一桁後半は左翼学生事件が日本各地で勃発。 しかし、マルクス主義と教養主義の関係を見ていくと、実は相補的だったことがわかる。つまり日本のマルクス主義拡散は、教養主義、すなわち西洋古典崇拝の延長線上に起こっていた。イギリス古典経済学、ドイツ古典哲学、フランス社会主義思想を総合したのがマルクス主義だという解釈。このため日本のマルクス主義は文献学的・訓詁学的傾向が強かった。 またエリート教養主義の牙城たる旧制高校にナロードニキ(大衆の中へ)を唱導するマルクス主義が入って来たことによって、日本のエリート文化と大衆文化の差異化に歯止めがかけられたこともあった。 さらにここで前述した河合栄治郎の影響で、教養主義が復活。また河合の必読書リストの影響もあり、一時期低迷していた「読書の方法論」的な本の再流行があった。しかもそれは「いかに読むか」を論ずるマニュアル的なものだった。河合の本は昭和20年代、30年代を通じて出されていた。この頃までは旧制高校からの教養主義は継続していたと考えられる。 ところが昭和40年代に入り、この傾向は後退し始め、50年代に入るとはっきり衰退する。かつて『中央公論』や『世界』が学生の読む雑誌だったが、昭和40年代には『朝日ジャーナル』と『少年マガジン』に代わり、40年代後半からは『ぴあ』などのエンターテインメント雑誌に取って代わられた。 この辺りのことについて、筒井はこうまとめる:「教養主義は人格主義であって、それは個人の人格を認めない古い不寛容な伝統的保守的文化に対しては革新的機能を果たす。他方それは学歴エリート文化となることによって、大衆に対しては差異化の機能も果たす。教養主義はそういう二重性を持っているのである。明治・大正期の「古井日本社会」では、その人格主義的側面は伝統的要素に対して清新さをもっていたし、昭和の軍国主義時代にはそれは、軍国主義・全体主義的傾向に対する防波堤として旧制高校生達に強く求められた。そして昭和二〇、三〇年代の戦後民主主義の時代にも「封建遺制」に対抗する足がかりとして、それは学生文化の基礎となることができたのであった。しかし、「もはや戦後ではない」ということが多くの人に実感されるようになった高度経済成長期後の日本においては、この機能は後退していかざるをえない。」 封建遺制そのものが、田舎の風景と共に失われていく過程にあって、もはやそれに対抗する教養主義などは必要がなくなってしまった。むしろ失われていく封建遺制や田舎の文化を掘り起こす民俗学が流行する時代となったのである。 となると、教養主義の役割は、大衆文化との差異化だけになっていくのだが、昭和40年代以降、大学生の数が増えていくと、もはや大学生はエリートではなくなっていく。かつては大学に入った途端、先輩たちに「こんな本も読んでいないのか」とけなされ、慌ててそれらを読み出した新入生の姿があったが、今やその立場も逆転していく。むしろ上級生の方が、下級生の知っているアイドルやオタク文化に追いつかなければならない時代となったのだ。ここにおいて、エリート教養主義は大衆的エンタメ文化に飲み込まれていくことになる。もはや教養書は、学生をターゲットにできなくなっていった。渡部昇一の『知的生活の方法』の読者は、学生ではなくサラリーマンだった。(ここまで第3章) ここから先、本書は学生文化ではなく、企業文化へと目を転ずる。 江戸期から明治期にかけての日本人のエートスには二つのタイプがあった。一つは商人をはじめ庶民層に広く流通していた「通俗庶民道徳」。自己利益に対する肯定的色彩が強く、それが維新期には国富増大・家産興隆の気運として顕現してきた。 もう一つは武士道エートスで、自己利益よりも国家への貢献にウェイトを置く。住友など、日本の代表的な企業の様子を見ると、明治期にはこうした二つのタイプが企業のエートスとして併存していた。 それが明治末期のアノミー期になり、大学でも修養が重視されるようになると、その大学を卒業した連中が企業に入るので、企業文化も武士道的なものから修養的なものへと変わっていく。企業内でも人格尊重の気運が生まれ、これが戦前・戦後の企業文化となる。 このように、日本の企業文化の基本は修養主義であり、それはエリート教養文化とは異なる。確かに日本でも経営トップは東大を出ているかもしれないが、経営に関してはその教養は単なるお飾りであり、経営自体は修養的エートスで賄われていた。逆に言うと、だからこそ教養を持つエリートが会社経営をしたがらないイギリスなどと異なり、日本の企業は教養に甘んじることなく順調な経営を続けられたとも言える。 しかし、その後、大学は教養の牙城であることをやめ、エンタメ文化が蔓延している。このエートスを吸収した学生たちが企業に就職し、経営トップになる1990年代、果たして企業のエートスもまた変わっていくのだろうか? (ここまで第4章) 新制大学が生まれた頃、大学における教養の扱い方も変わってくる。かつては旧制高校の3年間で教養を身につけ、大学に進学して専門を学んだのだが、新制大学になってからは4年間の学びのうち、最初の2年を「教養課程」に充てるシステムに変更された。これは、教養を身につける時間が3分の2に減ったことを意味する。 となると、じっくり教養を身につけるということは望めなくなり、「専門をちょっとだけかじる」とか、「人文系の学生もちょっとだけ理系の勉強をしてみる」程度の、レベルの低い授業題目を提供するだけのものになってしまうことも致し方ない。本来であれば、専門を伸ばすための下地というか、裾野を形成すべき教養課程は絵に描いた餅となり、つまみ食い的で退屈なものとなった。 しかも予算のひっ迫から、各大学で教養部は解体され、各学部がレベルの低い授業を提供し合う形での雑多な知識の寄せ集め的なものになってしまい、人文的教養を引き受けるのは文学部だけになってしまった。 しかし、その一方で、遺伝子操作など、科学が進んだ現在、その是非を問う人文学的教養こそ、求められているという矛盾が生じている。ではどうすればいいのか? アメリカや、特にフランスではエリート主義が強いので、まだ大学ではエリートの再生産が公認されている。しかし日本ではエリートと大衆の分離が進まなかったので、アメリカやフランスはお手本にならない。 となると、あるべき教養主義の復活のためには、教養主義と大衆文化との関係性を調整する必要があるのではないか? 具体的には、映画や漫画など大衆文化を代表する媒体を使って教養を訴えることが挙げられる。このように知識階級と大衆の垣根を取り払い、知識人の大衆化、大衆の知識人化を双方から推し進めていくことこそ、古い教養主義ではなく、新しい教養主義の確立につながるのではないか。(ここまで5章) ・・・とまあ、こんな感じかな? 何しろ岩波現代文庫の一冊ですから、それなりに定評のある本なのでしょうし、内容も面白いのですが、何と言うか、1995年に出た本としては、ちょっと書き方が古いというか。80年代のニューアカの時代の本だったらもっと洗練された書き方がされていたような気がするのだけど、どうなんだろう。 でまた、結論が教養主義の復活には、大衆文化の活用が鍵だって言われても、それもねえ・・・。じゃあ、ガダルカナル・タカさんやほんこんさんがニュース番組のコメンテーターを勤めている今の時代は、もうその理想が叶った時代と言えると思うのだけど、それほど教養主義の復活はありましたかね? ということで、情報として面白く読んだけれども、すごく納得したかというと、そうでもない、という辺りに落ち着いた本なのでした。でも、読んで損はない本ですよ。これこれ! ↓日本型「教養」の運命 歴史社会学的考察 (岩波現代文庫 学術231) [ 筒井 清忠 ]
August 10, 2025
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仕事の都合で小島毅さんが書かれた『近代日本の陽明学』なる本を読みました。 アマゾン・レビューや読書メーターなどで展開される本書へのコメント・批判などを見ても分かるように、ちょっと評価の難しい本で、講談社学術文庫の一冊にしては軽いというか、ふざけ過ぎた書きぶりの部分もあり、小泉首相の靖国参拝から始めて三島由紀夫の乱で終わるという凝り過ぎた構成もあり、全体的に意余って言葉足りずの感が無きにしもあらず・・・。 まあ、しかし、こちとら日本の思想史にまったく無知であることもあって、情報として面白く読めた部分も多々ありました。その辺、ひょっとして小島さんの意図するところとは違うかも知れないし、誤解しているところもあるかも知れないけれども、とりあえず現時点で私が「へえ、そうなんだ」と思ったところをつまみ食い的に列挙し、もって自分の研究の参考にしようと思います。〇江戸時代、日本は仏教国であった。寺檀制度によって全国民が仏教のいずれかの宗派に割り当てられてた。ただ水戸藩だけは別で、ここでは仏教が弾圧され、儒教と神道の混合形式が用いられていた。それこそが日本古来の日本の伝統とされた。仏教(異教)を日本に導入した聖徳太子は悪いヤツであると。 こうして水戸では、日本古来の思想が、たまたま孔孟思想に合致していた、とするわけだが、それは言い方であって、本当は後から知った孔孟思想に合わせて「日本古来の思想」なるものが創造された。こうして神道が改造され、そこに国学が合流した。(63頁周辺)〇その国学なるもの。もともとは歌道の中で誕生したもので、時期は天明・寛政、大立者は本居宣長。本居は朱子学・徂徠学に通暁していたが、敢えて儒教を廃し、純日本風のやまとごころを良しとした。日本書記より古事記を重視。それは師匠の賀茂真淵が古今集よりも万葉集としたことに対応する。 こういう方向性が、次第に政治性を増す。本居宣長の弟子を自称する平田篤胤の平田国学がその典型。となると、それが尊王攘夷の気風を作り出すのも理屈。この延長線上に、おなじくやまとごころの人、吉田松陰がいる。(63-64)〇吉田松陰は陽明学者とのレッテルがある。だがこれは明治期になって言われ出したことで、松陰が自称したものではない。 一般的な理解として、朱子学=体制派、陽明学=反体制改革派という公式が成り立つから松陰は陽明学者だと言われ、また松陰の師・佐久間象山が「陽朱陰王」と評される佐藤一斎に学んだことがあるという系譜からそう言われることも。しかし、象山にせよ一斎にせよ、朱子学を教えたのであって、陽明学なるものを松陰に教えたわけではない。ただ、陽明学に惹かれる心性をもともと松陰が持っていたというところはある。陽明学は教わるものではなく、陽明学的になるものなのだ。(65-66)〇では、陽明学とは何か? 陽明学は、一言で言えば朱子学へのアンチテーゼ、ということになる。本家中国でもそうだが、主流派に対し、自分たちこそ本来の正しい教えを継承するものだ、と主張する、このアンチの立場こそが陽明学のアイデンティティ。 19世紀は朱子学の時代。日本では国学(神道)と仏教の勢力がそれなりにあるので、そこまでではないが、それでも当時学問といえば、朱子学による儒教精神を学ぶことを意味した。特に寛政の改革で松平定信が教育熱を日本中に吹き込んで以来、江戸でも大阪でも朱子学の学者が幅をきかせていた。大塩平八郎の師。佐藤一斎も陽明学に共感的と言われつつ、表向きは昌平坂学問所で朱子学を教え、「陽朱陰王」と呼ばれた。(30) 〇つまり陽明学は学問として教えられるものではない。陽明学の教祖・王守仁からしてそうだが、朱子学を熱心に学び、それを実践しようとしている内に、違和感を感じ、懊悩し、朱子学は間違っていると悟り、理とは学ぶものではなく自らの心の働きに他ならない、青い鳥のたとえではないが、大切なものは自分の外にあるのではなく、内側にもともとあったのだ!と悟る。これが陽明学というもの。 だから陽明学者はすべて、自分でなるものであり、自称の聖徒ということになる。またそれゆえに党派意識がなく、学閥を作らない。陽明学者・大塩平八郎が乱を起こした後も、他の陽明学者はこれに同情することはなかった。(32)〇陽明学が重視するのは「良知の働き」。学問とは「知識として道徳律を学び、それに従うこと」にあるのではなく、自分のこころに備わった良知の存在に気づき、それを十全に働かせることにある。朱子学に見られる衒学的側面などもってのほか。この「良知に気づき、それを十全に働かせること」を重視することから、陽明学は行動主義となる。大塩平八郎が「やむにやまれず」乱を起こしたことも、畢竟、ここに起因する。(35)〇なお、伊藤仁斎は、『論語』や『孟子』を、それが書かれた当時の言葉の意味で解釈しようと努め、後の時代の朱子学や陽明学によって汚染されたものを廃するという立場であり、これは古学と呼ばれた。荻生徂徠も、古学派。つまり儒教の受容は朱子学・陽明学・古学に三分される。(34)〇ところで、自分自身の良知(=良心?)を信頼するという陽明学の方向性は、個人の主体性が確立し、何ものにも囚われない自由で批判的な精神を保持しているという点で、近代西洋思想の枠組みに合致するところがある。ゆえに、大塩平八郎の乱は、後世、封建主義に対する近代人の挑戦と解釈されるところもある。しかし、これは短絡的過ぎる。(37)〇なお、生粋の朱子学者・頼春水とは異なり、その息子・頼山陽は、一応水戸学的朱子学者ではありながら、気質的には陽明学に近いところにあり、明代の儒学者・呂坤(りょこん)の『呻吟語』を通じて陽明学を知った大塩平八郎とはまぶだちだった。(42)〇なお、ウィキペディアによると、呂坤は宇宙の本源を気とみなし、天地万物は気の集散であると説き、朱熹の理気二元論を二物説として批判したらしい・・・〇となると、これは個人的感想だが、陽明学とは、まるまるニューソートであり、自己啓発思想の本丸だ。〇ここで水戸学のことについて。 江戸時代、身分は固定的であったとの一般認識があるが、そうでもない。特に寛政の改革以降、学文の有無が登用の条件として浮上したため、儒学の研鑚により家格にかかわらず抜擢登用されるケースはあった。水戸藩における儒家藤田家(藤田幽谷・東湖親子)もその一例。特に東湖は藩主相続問題で斉昭擁立で功があり、寵臣となる。 しかしその後、安政二年(1855)の震災で、倒壊する家から母を救い出した後、東湖は圧死。(45)〇藤田東湖は1853年の黒船来航の際、徳川斉昭は異国船打ち払い論の急先鋒。東湖はそのブレーンだった。東湖自身もかつてイギリス船にテロを仕掛けようとしたことがあり、これを励まして「生きて戻るな」と唆したのが父、藤田幽谷だった。(48)〇東湖の死後、水戸藩はさらに観念的攘夷論に猛進。1858年の日米修好通商条約締結の際も、斉昭は断固反対の立場に立ち、開国派の幕閣と対立。 しかし、井伊直弼の安政の大獄で、斉昭は標的となり、それに対する不満が桜田門外の井伊大老暗殺へとつながり、テロリストとなった水戸藩士17人が処分、斉昭も同年に亡くなる。 そしてその後、水戸藩内では穏健派「諸生党」と過激派「天狗党」に分裂。東湖の遺児・小四郎は天狗党の幹部となり、武田耕雲斎らと筑波で挙兵(天狗党の乱/子年のおさわぎ)し、水戸藩内戦に。それが幕府で問題視され、反乱派は「我らが英主・徳川慶喜に助けを求めて上洛するも、越前で捉えられて処刑。まるで陛下のために挙兵して処分された二・二六事件を思わせる結末となった。かくして幽谷・東湖・小四郎の藤田家三代は断絶。(50-)〇一方、長州の吉田松陰は、古学の山鹿素行の系譜、直接的には佐久間象山の弟子、朱子学・軍学を修め、若くして藩主に双方を教えていた。その後、アヘン戦争(1840⁻42)で清がイギリスに敗れると、その動揺は日本にも伝わっていた。また異国船が日本周辺にやって来ることも増えていた。これに対応し、吉田松陰は洋学も修めることに(佐久間象山は洋学でも有名)。さらに国防を考えるために松陰は水戸を訪れ、藤田東湖に面会を求めた。が、蟄居中で会えず、代わりに会沢正志斎に会っている。そして会沢の軍備増強策に裏打ちされた国体護持論に感化され、松陰もまた尊王攘夷派に。で、ペリー来航に際し、敵情視察のために黒船乗船を試み、拿捕されて故郷・野山獄へ。(66-)〇野山獄にありながら、松下村塾の運営を任された松陰の下に、弟子が集まる。高杉晋作、久坂玄瑞、桂小五郎(木戸孝允)、伊藤博文、山形有朋、乃木希典といったメンツ。彼らが倒幕運動の急先鋒となり、明治藩閥政治の中核となる。その意味で、水戸学は、吉田松陰を通じて、長州藩に伝わったと言える。言い方を変えれば、松下村塾が明治時代を生み出したのだった。(67-69)〇だが、松陰の国体論と、水戸の国体論は少し異なる。 会沢正志斎ら後期水戸学の連中や、松平定信の考える国体論は伴星一計の天皇を奉じつつ、武家が実際の政権を握ってそれを補佐するという「大政委任論」だった。徳川慶喜が大政奉還できたのは、天皇からゆだねられたものをお返しする、という理屈。ただ、返上した後も、どうせ天皇は政にかかわらず、良きに計らえと言うに決まっているので、今まで通り、武家が支配すればいいと考えていた。 一方、吉田松陰の国体論はより過激であって、彼の国体の理想は天皇親政であった。この場合、武士は天皇親政を支える国家の番犬、という位置づけになる。 既にアヘン戦争での無様な敗北により、中国を理想国家とする儒者の言説は説得力を失いつつあった。そのため松陰の国体論は、日本こそ神国、他に類を見ない選ばれし国、というのがベースになる。(68)〇しかも松陰は、その国体を支えるのは上流階級の者ではなく、下級武士や豪農階級だと考えていた。これがいわゆる「草莽崛起(そうもうくっき)」。長州や薩摩のように経済的に豊かな国々では、こうした階級が学文によって目覚め、自ら国体を担おうではないか、という気運があった。(自己啓発!)これに対して、水戸学の本家水戸藩は貧しく、下層武士階級や豪農階級の自覚がなく、それゆえに選良主義が抜けきれなかった。(69)〇ただし松陰は、安政の大獄で処刑(安政六年/1858)。辞世の歌は「かくすれば かくなるものと 知りながら 已むに已まれぬ 大和魂」。なお、松陰を祀った松陰神社と、井伊直弼の墓所豪徳寺は、すぐ近くにある。(69)〇その後、明治に入ってから、陽明学はより普遍性を持たされる形で普及していく。たとえば三宅雪嶺。『王陽明』(1893)なる書物を書き、普及に努めた。 三宅雪嶺の陽明学は、心を重視し、良知について説いた点を真髄とする。これは陽明学の説明としてはごく普通だが、その「心即理」を説明する際、ヘーゲル・ショーペンハウエル・カントを参照したところが新しかった。さらに内村鑑三は「陽明学はキリスト教に似ている」と説く。つまり、明治二十年代において、陽明学は東アジアの思想としてというより、普遍的な人類文明の遺産としての位置づけが為されていく。(83⁻)〇内村鑑三は儒教の教えを受けて育つが、札幌農学校で同級の新渡戸稲造らと学ぶうちにキリスト教に改心。洗礼も受けている。(87-88)〇内村の場合、キリスト教全般ではなく、特にプロテスタントの思想と陽明学の思想との類似を考えていた。つまり、儀式を重んじ、体制を重んじるカトリックを朱子学に、そういうものではなく心の在り様を重視するプロテスタントを陽明学に見立て、そういうものとして陽明学的儒学からキリスト教プロテスタンティズムへ飛翔した、ということ。だから、プロテスタントがカトリックに対する革命であったように、陽明学は朱子学への革命であった。〇明治二八年(1895年)、下関講和条約で日本は日清戦争に勝利。それまで清も世界も日本を東アジアの小国と見ており、日本もそう思っていた。そう思っていたからこそ、このままアジア的であっては欧州列強と伍してはいけないと考え、鹿鳴館的に西洋化への道をひた走った。しかし清に勝ったことで、日本こそ東アジアの古き良き伝統の継承者であり、それゆえ古臭い中国や朝鮮とは異なり、国際社会の一員となった、という考え方が広まっていった。それゆえ、従来の「開化か、それとも国粋か」の二択ではなく、伝統精神を保存しながらの文明化が可能となった。(101)〇明治初期には英語が重視され、イギリスの経験論や功利主義が紹介された。福沢諭吉がその典型。その後、中江兆民らの努力でフランスの啓蒙主義や革命思想が流入。 だが、伊藤博文が憲法をドイツにならって定めることに決めてから、日本ではドイツ学が中心となる。(108)〇そして以後、日本の哲学界はカント一色に。 なぜカントが当時の日本でこれほど受けたのか。それはカント哲学が理性を重視したから(理性という言葉を作ったのは、西周)。神は完全であり、人間には不完全ながらその神性が一部、分け与えられていた。それが理性。とすると、その考え方は朱子学にもあり、ゆえに儒教的教育に馴染んでいた日本人には、カントの説く理性がよく理解できた。 そして、私利私欲のためではなく、普遍的な至高の価値たのめに生き、そして死ぬことを教える武士道とも、カント哲学は一脈通じていた。(118-120)〇文明開化したからこそ、重要性を増す武士道。それが新渡戸稲造であり、ラスト・サムライたる西郷隆盛礼賛の風潮であり。〇中江兆民・幸徳秋水による大逆事件。両者もまた、陽明学の影響を受けた連中であった。ここから陽明学は社会主義と結びつけられるように。(131)〇それは事実と異なるところもあるが、しかし、では陽明学と革命思想がまったく別物かというと、そうでもない。 事実、吉田松陰にせよ、西郷隆盛にせよ、陽明学に影響を受けた勤皇の志士たちは、革命家である。一方、中江兆民や幸徳秋水も革命家である。前者が英雄視され、後者が社会主義者として非難されるのは、それぞれが生きた時代が異なることによる。白い陽明学か、赤い陽明学かの違いだけであって実質は同じ。つまり、社会通念に束縛されることなく自主独立して考え、その結果を行動に移したのだ。(140)〇朱子学・陽明学とも、儒教であるからには性善説に基づく。つまり悪い支配者を排除して、良い指導者が政権を握れば、太平の世が出現するという夢想。大塩平八郎・吉田松陰・幸徳秋水・大川周明、そして社会主義者たちが夢見た理想の政治。幕末以来、日本の陽明学的心性をもった志士仁人は、おなじことを「草莽崛起」によって実現することを説いてきた。(183)。〇三島由紀夫もまた陽明学的心性の持主。そして陽明学の衰退を歎いていた。 彼によれば、陽明学衰退の原因は大正教養主義。陽明学的知的環境は乃木希典の殉死と共に終わった。その後、過激な右翼思想の温床となったため、ますます大正知識人に嫌われる対象となり、マルクシズムが陽明学に取って代わり、大正教養主義・ヒューマニズムが朱子学にとって代わった。 三島曰く、「本居宣長のアポロン的(=朱子学的)な国学は、時代を経るにしたがって平田篤胤、さらには林桜園のようなミスティックな神がかりの行動哲学に集約され、平田篤胤の神学は明治維新の志士たちの直接の激情を培った」(195)。〇三島は上の文に続けて次のように言う:「国学のファナティックなミスティシズムが現代に蘇ることがはなはだむづかしいとするならば、陽明学がその中にもっている論理性と思想的骨格は、これから先の革新思想の一つの新しい芽生えを用意するかもしれない」。(197)〇とはいえ、三島は結局、陽明学の真の理解者ではなかった。彼の心性はむしろアポロン的(朱子学的)で、有能な能吏タイプ。しかしその一方で、デュオニソス的なものへのあこがれを捨てきれなかった。だからこそ彼は大蔵省の役人から、作家へと華麗な変貌を遂げたのだった。彼が行なった乱は、結局、陽明学的なものに似せたとはいえ、実質的には朱子学的なものであり、しかしその意味では成功したのかもしれない。なお、三島は血筋的には水戸学に通じるところがあった。〇結局、陽明学がその理想を実現することはなかった。山川菊枝が望んだ「共和国」も、三島由紀夫が夢見た「帝国」も実現していない。政治は理想を語らなくなった。儲かるか否かが政府の唯一の関心事となった。それにもかかわらず、デュオニソス的政治家小泉純一郎の靖国参拝によって、水戸学由来の靖国神社に周辺諸国の批判的眼差しだけは集まることとなった。(218)〇結局、陽明学に入れ込む人たちというのは性善説の人で、かつ「朱子学対陽明学」の図式の中では、後者の立場に身を置きたいと考える人たちだった。陽明学には、そういう魔力があった。そしてこの流れは今もなお繰り返され、志士仁人たちが再生産されていく。(220) ・・・とまあ、こんな感じかな? とりあえず色々勉強になりました。興味のある方にはおススメ、と言っておきましょうかね。これこれ! ↓近代日本の陽明学 (講談社学術文庫) [ 小島 毅 ]
August 9, 2025
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島田潤一郎さんが書いた『長い読書』というエッセイ集を読みました。 島田さんは、『昔日の客』を出したことでも知られるひとり出版社「夏葉社」を作った人。本の作り手ですが、自らも本を書かれる。私は編集という仕事に興味があるので、とりわけ独自に出版社を作った人のエッセイ集となると、割と小まめに読む方でして、島田さんの本もこのほかに私は何冊か読んでいる。『あしたから出版社』と『電車のなかで本を読む』かな? その中では、今回読んだ『長い読書』が一番好きかも。 この本、前半は島田さんの中学生から大学生頃までの思い出が、本と絡めながらつづられている。本ばかりでなく、ビートルズとかロックとか、音楽も含め。島田さんは私よりも一回り若いけれど、男子中学生とか、その位の年代って大概そんな感じだよね。 で、大学は親の勧めもあったのか、商学部の方に進まれたようだけれども、やはり島田さんの関心は文学や美学方面にあり、そちら方面の授業にも顔を出されたりしたらしい。また文芸関係のサークルに入って、一応、文学修行的なこともされていたり。先輩からの感化とか、そういう思い出話も実に面白い。やっぱり、青春ですよ、青春。文学と共にある青春。 で、卒業後、フリーターのようなことをしながら人生の方向をゆっくりと見定められ、いきなり夏葉社を作ると。その辺の細かい経緯は別なところで書いているので飛ばして、もっと内面的な意味で、本を読むこと、本を作ることと自分との関係、そしてとりとめのない、しかしそれがなければ島田さんの存在が確定しなくなるような経験の数々を訥々と述べられている。それがいいのよ。 たとえば、中学校時代の旧友と何十年かぶりに再会する話とか。 その友達というのは、中学校の時までは親友だったのだけど、いつしか不良のようになってしまって、話が合わなくなってしまった。そして進む道も異なって音信不通になってしまう。そんなことは誰にでもあるでしょう。ところが、そのかつての親友と再会することがあって、久しぶりに話をすると。そこで、そのかつての親友、そして不良になって音信不通になって、久しぶりに再会したその友人が、「島田の誕生日、六月二三日だろ」って言うの。 言ってみればただそれだけのことなんだけど、いい話じゃない。すごくいいと思う。人間のつながりってのは、そう簡単には途切れないんだなと。で、泥酔したその友達はさらに、島田さんに向かって「おれも活字を読むんだ。こう見えても、活字を読まなきゃ眠れないんだ」って言う。その一言で、本を読むってことが、どんづまりのところで人を支えるんだっていうことが分かるじゃない。だから、島田さんのこの本は、本を読むことに関するエッセイ集なわけよ。 あと文芸サークルの先輩のIさんの話もいいんだよね。 Iさんは大学を卒業した後、証券会社に就職する。つまり文学とは無関係な世界に行ったわけだけど、その中でやはりIさんは本を手放さないんですな。で、そんな環境の中で、本なんか読めるんですか、と島田さんが尋ねる。それに対してIさんは、「月曜日から金曜日までめちゃくちゃに忙しいし、お昼もろくに食べられないこともあるんだけど、そういうときもぼくは、立ち食いそば屋でそばをかき込みながら、プルーストを読んだ。谷崎訳の『源氏物語』も全部読んだし、『カサノヴァ回想録』も全部読んだ。それがぼくのエネルギーになったし、いまも文学のことを考えることがぼくのよろこびだ」って答える。 いやはや。本を読むことを生業にしている私やその同業者に、こういう感じで本を読んでいる人って、何人いるんだろうか。 その他、夏葉社にアルバイトに来ていた「秋くん」という青年の話とかね。夏葉社もお金がないから、秋くんを専任で雇うことはできない。だから、アルバイトとしてしか雇えないんだけど、そんなもどかしい中で、二人の面白い関係性というのができあがっていく。もちろん、年齢的に言っても島田さんが秋くんを指導する立場にあり、実際にもそうなんだけど、実は秋くんが島田さんに教えていることも多い。その負い目からして、島田さんは今でも、どこにいるか分からない秋くんに読まれることを期して本を書いているようなところがあるわけ。そういうのも、とてもいい。 というわけで、読みやすいエッセイ集ではあるのだけど、うーんと唸らされることの多い本だったのでした。教授のおすすめ!です。 それにしても、島田さんはこの本を自分が経営する夏葉社からは出さなかったんですな。そこは、何かこだわりがあるのかもね。夏葉社は仕事、書くのは別、という。これこれ! ↓長い読書 [ 島田潤一郎 ]
August 8, 2025
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今日は最近、家の近くにできた「メガケバブ」というトルコ料理・・・というか、ケバブ料理の店でランチしてきました~。 この店、名古屋にはあちこちにあるチェーン店なんですけど、最近、元はコンビニだったところを改装する形でオープンしまして。見ていると人気があるようで、いつも駐車場にはクルマが一杯。そこで、ちょっと時間をずらし、1時過ぎくらいに行ったのですが、ちょうどいい感じの込み具合で、すぐに座ることができました。 で、私はビーフのケバブをピタパンにはさんだもの、家内はピタパンよりももうちょいパリパリした感じの生地で巻いたロール系のケバブサンドをチョイス。それにポテトとトルコ・チャイをつけました。まあ、王道ですな。 で、食べてみたのですが、うん、旨かったです。今回はビーフを選んだけど、次はチキンにしてみようかな。それだと、200円くらい安いみたいだし。 で、そのお店は、そうした料理を売るだけでなく、トルコ系の食材もあれこれ売っておりまして、食後にそういうのを見ていくのも楽しい。結局、紅茶とかクッキー、デーツ、イワシのトマト煮の缶詰などを買ってしまった。そのほかにバスマチ・ライスなんかも売っているし、様々な香辛料も売っている。 あとね、トルコの歯磨きとか、制汗剤とか、シャンプーや頭皮ケアようのオイルなんかも売っている。今回は買いませんでしたが、次はそういうのもチャレンジしてみようかな! ということで、今日はちょっとしたトルコ旅行の雰囲気を味わうことができ、いい息抜きになったのでした。今日も、いい日だ!
August 7, 2025
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仕事柄、本は間違いなく沢山読むのですが、なんかこう、時々、「俺はこれで本を読んでいるのかな?」と思うことがある。 子どもの頃、つまり本を遊びで読んでいた頃、本を読むことから何かを引き出そうなどとしないで、ただ面白いから読んでいた頃は、本当に本を読んでいたという実感がある。 一方、プロのライターが、読んだ本のことなんかを書いているのを読むと、ああ、なんだか楽しそうにいい本を読んでいるな、という気がする。 それに比して、今の私は・・・。本を読み、その読んだ内容を使って本を書いているわけだから、プロっちゃープロの本読みなんだろうけれども、なんか苦しいんだよね。これを読み終わったら、次はいついつまでにこっちの本を、それが終わったら、今度はそっちの本を読まなくちゃ、という意識で読むからね。ノルマで本を読んでいる感じ。 しかも、それだけではダメだからというので、ノルマで読む本の合間にノルマとは無関係の本を読むことをノルマにしているところがある。急いでノルマ外の本を読まなくちゃ、だって、ノルマをこなさないとダメだもん、ってなもんで。 これは、一体何なの? アマチュアの幸福な読み方ではないし、プロの読み方でもなくて、いわばセミプロの読み方なのかねえ? まあ、そんなことを言っている間に、とにかく次の本を読まなくては。 これで、定年にでもなって少し時間に余裕ができたら、昔のアマチュアな読み方に戻れるのだろうか。 そうなれればいいな。
August 6, 2025
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夏休み初日、というわけで、今日は仲よしの先輩同僚、アニキことK教授と伊吹山ドライブウェイまで行ってきました。 伊吹山ドライブウェイ・・・。30年前に名古屋に赴任した時から気にはなっていたのよ。これはひょっとして、関東人にとっての箱根ターンパイク、芦ノ湖スカイライン的なところ、つまりは走り屋の聖地なのではないかと。で、いつか行ってみようと思っていたわけ。が、どういうわけか機会がなく、ついにこの日を迎えたと。 で、数年前の『るるぶ』を頼りに調べて、まずは伊吹山のふもとの「レストラン伊吹」でランチをし、そこで腹ごしらえをしてから伊吹山攻略に向かおうかと。そうしたら・・・ 「レストラン伊吹」がつぶれていました・・・。マジ~?! いきなり出鼻~。 仕方がない。とりあえず伊吹山を駆け上って、山頂にある「スカイテラス」で食べよう。 というわけで、伊吹山ドライブウェイに乗り込んだのですが・・・ あれ? 元気な走り屋がいない。「86レビン」とか「180」とか、あるいはバイクとかで猛烈に走っているヤツらがいない。っていうか、我々以外、誰もいない?! そして箱根や伊豆の自動車道を知っている我々からしたらまったく期待外れなほど眺望が悪い! これはドライブウェイというより、ただの山道でないの! そして山頂に着いて、スカイテラスを探したら・・・そこには昭和な昭和な山望レストランがぽつんと。あれ~、こ、これが「スカイテラス」? とりあえず、ここでありがちな蕎麦を食い。ちょっと山道を登ってみて。終了~。 はあ~、これが30年の長きにわたって楽しみにしていた伊吹山ドライブウェイの実態か! あまりにも期待外れだったもので、このままでは帰れないということになり、アニキと私は、来る途中で看板を見かけた「関ケ原鍾乳洞」に行ってみることに。 そして、現地に到着して我々の目を射抜いたのは、またしても昭和な、あまりにも昭和な風景だったのであります。ひょえ~!これこれ! ↓ いやあ、時が完全に止まっている。子供の時に見た昭和の観光地の風景がそのまま・・・。っていうか、我々がタイムスリップしたのか?? ま、鍾乳洞の中はとっても涼しかったです。 そして、期待外れ過ぎたのか、あるいは一周回って新鮮だったのか、アニキとワタクシの伊吹山昭和トリップは幕を閉じたのであります。もっとも帰りがけに大垣にある「ビリオン珈琲」なる、関西版コメダみたいなところに寄りましたけどね。(ここは結構美味しかった)
August 5, 2025
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グレッグ・マキューンの書いた『エッセンシャル思考』(原題:Essentialism:The Disciplined Pursuit of Less, 2014)を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 最近のアメリカ系自己啓発本のベストセラーってたいていそうなんですけど、もうね、主張していることは1コだけ。一つのことしか言わないの。で、この本の主張もたった一つで、それは「1つのことに集中しろ」ということ。これだけ。 でも、まあ、それは有効な主張ではあるのよね。確かに今、普通の人(普通で真面目で有能な人の意)は多くのことを抱えすぎる。仕事でも何でも。スマホ時代で、常に社会とつながっているということもあるし。だから、上司から、あるいは同僚から、あるいは部下から、あるいは家族から、あるいは隣人から頼まれた仕事は何でも引き受けてしまう。で、それらそう言った仕事すべてを、自分はこなせると信じ、全部やろうとする。 しかし人間にやれることには限界があるので、結局、引き受けた仕事のすべてはやれないし、やれたとしてもクオリティは下がる。全部中途半端に終わると。しかもやった本人は燃え尽きる。ことほど左様に「規律なき拡大は失敗への道」。 これじゃダメなんだ! というのがマキューンの主張ね。 マキューン曰く、世の中、ほとんどのことは重要ではない。だから、その重要ではないことは全部断って、本当にやるべきことを一つに絞って、その一つのことだけ集中してやり、クオリティの高い成果を出せと。「より少なく、しかしより良く」が、エッセンシャル思考のモットーなわけ。 この、「大多数のものごとは不要」という考え方、これを仕事全般、生活全般における信念にする。これがエッセンシャル思考(essentialism)ということになります。 で、ここが難しいのだけど、やるべきこと、本当に価値のある仕事だけを選択するということは、それ以外の仕事を全部捨てるということになる。これが「トレード・オフ」。この「捨てる」というところが重要で、でもそうしてトレード・オフしなかったら、お前さんはダメになるよと。マキューン曰く、「トレード・オフから目を背けても、トレード・オフから逃れることはできない」。 たとえば睡眠というファクター。非エッセンシャル思考の人は、あらゆるチャンスに飛びつき、全うできる見込みもないのに仕事を引き受けるけど、その結果、睡眠時間を削ることにもなる。すると、当然、パフォーマンスは落ちるし、健康も害することになる。だったら、トレード・オフして必要ない仕事は全部キャンセルし、十分な睡眠をとって体調を整え、選び抜いた最重要の仕事に全集中! そこで素晴らしい成果を一つだけ挙げた方が、あらゆる仕事を中途半端に終わらせるよりはるかに評価されると。 ちなみにマキューンは、ここでマルコム・グラッドウェルの「1万時間の法則」を「非エッセンシャル思考」の例として軽く批判しています。あれは人をして「時間さえつぎ込めば、誰でも天才になれる」という幻想を抱かせるから。グラッドウェルが指摘し損ねているのは、最高のパフォーマーは、多く練習するけれども、同時に、多く睡眠をとっているのだよと。 さて、では、どうやってトレード・オフするのか。マキューン曰く、「絶対にイエスと言いきれないなら、それはすなわちノーである」と。この絶対的な基準を常に当て嵌め、自分がやるべき仕事を厳選する。これ以外ない。ここでマキューンは「人と国を滅ぼすのは、作業としての仕事である。すなわち、自分の主目的を離れ、あちらこちらに手を出すことである」というエマソンの言葉を引いております。 あとね、少ない仕事を引き受けるにしても、その目的や達成判定の仕方を厳密に決めることの重要性もマキューンは指摘しています。明確なビジョン、何をもって達成とするか、そういうものがはっきりしていなければ、それはちゃんとした仕事ではないと。 で、いい仕事の例として、ハリケーン・カトリーナに襲われたニューオリンズの復興プロジェクトを立ち上げたメイク・イット・ライト財団の例を挙げる。マキューンによるとこの財団は、「ニューオリンズの下9地区に住む世帯のために、低価格で環境にやさしく、災害に強い家を150戸建設する」という目標を立てていた。もう、これ以上ないほどシンプルな目標設定であり、達成したか否かも容易に判断できる。こういうのがいい仕事上の目標の立て方なわけね。ちなみに、この財団を起ち上げたのは、俳優のブラッド・ピットです。彼は政府の復興対策の遅さにしびれを切らし、自らこの財団を起ち上げた。つい先日、彼の『F1』を観たばかりですけど、ブラピはこういうこともやっているのね。素晴らしい。 あとエッセンシャル思考は仕事上のことだけでなく、プライベートなことも含まれます。例えば仕事上の付き合いを断り、幼い娘とのデートを優先した父親の話とか(165頁)。父親が仕事よりも自分のことを優先させてくれたという思いが、その後の娘さんと父親の良好な関係に大いに資したそうですが、ちなみにこの父親こそ『7つの習慣』を書いたスティーブン・コヴィーのこと。さすがコヴィー。あと、ミハイ・チクセントミハイからの仕事の要請を断ったピーター・ドラッカーの話も面白い(169頁)。やっぱりエライ人ってのは、何を優先して何を断るか、そのトレード・オフがしっかりしてますわ。 その他、プロジェクトを途中まで進めてしまった場合、そこまでに費やした時間やお金が惜しくて、成果が得られるかどうか不明のまま、ずるずるとプロジェクトを進めてしまう人間心理があるけど、そういうのはダメだから、潔く損切りしちまえ、とか。マインドフルネスを取り入れて、「今、ここ」ですべきことに集中することもエッセンシャル思考だよ、とか。大きな成果をすぐに求めようとせず、小さな成果を着実に積み重ねることが重要よ、とか。仕事が停滞している時、全方向に頑張って克服しようとせず、何がこの仕事のボトルネックになっているのかを探し、そこを改善することを目指すのも、「より少ない仕事で、しかしより良い成果を出す」秘訣だよ、とか。そういう、「エッセンシャル思考の人間ならこうする」という知恵が色々書いてある。 ま、そんな感じで、非エッセンシャル思考の非効率性と、エッセンシャル思考の効率性を対照しながら、仕事もプライベートもトレード・オフで重要でないことを全部排除し、重要なことだけに一点集中する、そんなシンプルな生き方を唱導しているのが、この本、『エッセンシャル思考』ということになります。 まあ、読んでいると、もっともだなあと思わされます。説得力はあるよね。 で、思うんだけど、この本って、結局、シンプル・ライフのすゝめなんだから、系統としては「自助努力系」であると同時に、ヘンリー・デヴィッド・ソロー直伝の「オルタナティブ系」でもあるよね。ソローの思想ってのは、現代アメリカの最先端の自己啓発本にも生きているということなんじゃないかな。 そういうものとして、勉強になる本でした。教授のおすすめ!です。これこれ! ↓エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする [ グレッグ・マキューン ]
August 4, 2025
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一昨日、某ショッピングモールに映画『F1』を観に行ったのですが、その帰りの話。 ショッピングモールの中に、ちょっとしたイベントコーナーみたいなのがあって、そこでは色々なメーカーのクルマが展示してあることが多いのですが、今回はホンダのEV車、「Honda e」が展示してあったんです。 でもね、ご存じの方も多いかもしれませんが、ホンダが本腰を入れて開発したこのクルマ、実はもう製造停止になっている。展示場の人に聞いたら、今、展示しているクルマが売れ残っている最後の一台らしい。 ところが、この Honda e の実車を見ると、これがまたチョー可愛い。 外寸はコンパクトなクルマなんですが、中は結構広い。4人なら広々、5人でもそこそこ快適に座れる。 しかも内装がいい! 高級車然とはしていないけれど、実にセンスのいい内装なの。しかもサンルーフ付き。タイヤ・ホイールも可愛いし、しかもドアミラーはカメラ式という先進ぶり。 これほどのクルマが、EVのみの形で売られたために、ほとんど数が売れないまま販売停止になったとは! いや~、実車見て思ったけど、もしこれが普通のエンジン車(もちろん、ハイブリッドでもいいけど)として売られていたら、バカ売れしたんじゃね? 実際、外車マニアのワタクシですら、これだったらマイカーにしたかったわ。 ホンダもなあ・・・。こんな素敵なクルマ作っておいて、しかも全然売れないまま放置するとは。EVとして売れないなら、エンジン載せて、新型フィットとして売れば良かったのに。 っていうか、日産がホンダとの提携をもう一度検討し、 Honda e のプラットフォームをそのまま拝借して、新型マーチとして売り出してくれないかなあ。そうしたら、真っ先にワタクシが買いにいきますよ!
August 3, 2025
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昨日、ブラッド・ピット主演の映画『F1』を観て来ました。以下、ネタバレ注意ということで。 ストーリーとしては、この手の映画にはよくある話。ブラピ演じるソニー・ヘイズは、セナ・プロストと同時代のF1ドライバーで、若手の頃は将来を嘱望されていたのだけど、その強気すぎるドライビング・スタイルゆえにあるレースで大事故をやらかして引退を余儀なくされてしまった。で、それ以後、レースの種類や規模は問わず、行き当たりばったりにレースに出る風来坊的な生活をしている。それでも腕はたしかで、最近もデイトナ24時間レースで優勝したばかり。 そんなソニーのもとに、かつてF1時代のチームメイトでライバルでもあったルーベンが尋ねてくる。ルーベンはF1引退後、今は監督としてとあるF1チームを率いている。しかし、成績は思わしくなく、このままポイントが取れないと、スポンサーから手を引かれてしまいそうな感じ。そうなれば、今このチームのドライバーを勤めている新人のジョシュアも、有望ながらこのままキャリアを失うかもしれない。 そこでルーベンは、かつての盟友、ソニーをチームに引き入れると。で、ソニーもルーベンの誘いに乗り、30年ぶりくらいにF1のパドックに戻ってくる。 しかし、チームには問題山積み。クルマは安定しないし、新人のジョシュアには、クルマのどこをどう改善すれば速いクルマになるかというフィードバックができない。そんなダメダメなチームに、ソニーは果たしてフィットできるのか? それに、そもそも30年ものギャップがあるソニーは、現代F1の最先端のクルマを乗りこなせるのか? 新人ながら鼻柱の強いジョシュアとソニーは上手くやっていけるのか? そして、ソニーは、一度の優勝もしないまま去ったF1の舞台で、勝利の栄光を勝ち取ることはできるのか?! ・・・というお話。 よくある話なんですよ。年寄りと新人のチームの話って。だけど、この映画、面白かった! ブラッド・ピットの渋い魅力もあるし、F1レースの迫力をかなり忠実に、リアルに描いているところもいい。それに現役のF1ドライバーやF1関係者がぞろぞろ出てくるのも、ファンからすれば超面白い。 ということで、とりあえず観ておくか、くらいの感じで観にいったのですけど、観終わった後は、面白かった~!っていう感じ。しかもこの映画は、映像といい、音響といい、映画館で観ないと絶対にダメ。そろそろ打ち切りになるようですけど、まだご覧になっていない方は、騙されたと思って映画館に足を運んでご覧ください。後悔はしないと思いますよ! 教授のおすすめ!です。これこれ! ↓映画『F1』公式HP
August 2, 2025
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安達裕哉さんが書かれた『頭のいい人が話す前に考えていること』というベストセラーを読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 安達さんは、コンサル歴22年のベテラン。その安達さんがコンサル業を通じて獲得した、有意義なコミュニケーション上のノウハウを綴ったのがこの本。 本書は2部構成になっていて、第1部は原則編では賢いコミュニケーションを成立させるための7つの黄金法則が、また第2部では応用編として、賢い思考をするための5つの方法が伝授されております。 まず第1部の「黄金法則」を列挙しておくと、その1:とにかく反応するな(=人は怒っている時頭が悪くなる。6秒待って冷静になれ)その2:頭のよさは、他人が決めるその3:人はちゃんと考えてくれてる人を信頼するその4:人と闘うな、課題と闘えその5:伝わらないのは、話し方ではなく考えが足りないその6:知識はだれかのために使って初めて知性となるその7:承認欲求を満たす側に回れ というもの。まあ、どれももっともな話でありまして、特に「その7」とか、私としてはとっても耳が痛い。そうなんだよね、自分の承認欲求を抑え、むしろ他人の承認欲求を満たしてやれば、その他人が自分のことを承認してくれる。急がば回れじゃないけれど、自分から「俺ってスゴイだろ?」と吹聴して回ったのでは、カリスマにはなれないのよね。反省。 さて、この7つの黄金法則を一応マスターした体で、読者は応用編、すなわち「深く考えるための5つの道具」に進みます。ではその5つの法則とは何かと言いますと、その1:客観視の思考法その2:整理の思考法その3:傾聴の思考法その4:質問の思考法その5:言語化の思考法 の5つ。たとえば「客観視の思考法」では、「少量の、根拠の薄い情報に頼って発言すると馬鹿に見えるよ」とか、「慣れ親しんだ言葉でも、本当の意味を知った上で使わないと、誤解を生むよ」というようなことを学ぶことになります。同じく「整理の思考法」では、「何が事実で、どこからが意見かをちゃんと分けて説明しよう」ということを、また「傾聴の思考法」では、「他人が話している時は、次に自分が何を言うかを考えるのではなく、全力で相手の話を聞こう」というようなことが書いてある。 また「質問の思考法」では、賢い質問をすることで、相手から深い話を聞き出す方法が伝授される。そして「言語化の思考法」では、「すごい」とか「やばい」といったような単純な言葉ではなく、自分が考えたことを本当にふさわしい言葉にして提供し、インパクトを残すことが重要だ、と書いてある。これまたもっともな話です。 で、どの章も、それぞれの主張を正当化し、うまく説明するような実例が上がっているので、読んでいる方としてはとても理解しやすいのよ。 たとえば「客観視の思考法」の説明の中で、人が馬鹿っぽく見えるかどうかは、話しているテーマにはかかわらない(=難しいテーマについて話すから頭が良さそうに見えるのではなく、卑近なテーマについて話しても賢い人は賢く話す)、という話が出てきて、その中でタモリさんのことに触れている箇所がある。 タモリさんは、坂学会を作ったことでも知られていますが、あれ、タモリさんが福岡から上京した時に、「東京は坂が多いところだなあ」という実感を得られたところにきっかけがあるんですって。で、そこから人間の思考には傾斜の思考と平面の思考の二種類があるのではないかという話になり、ハイデッガーなどは平面の思考だ、とタモリさんは結論づけると。ね、話しているテーマは、「坂」なんだけど、それをユニークな視点から突き詰めた結果、そういうところに結論がいく。タモリさんの賢さが分かるというものではないですか。なるほどねえ・・・。 あと「言語化の思考法」のところでも、言語化する際に、物事の再定義が役に立つという話が出てくる。常識的な「○○は××だ」というのを廃し、まったく別な「○○は××だ」という再定義をしてみる。と、そこから新しい地平が開けると。 たとえばスターバックスは「喫茶店とは、コーヒーを提供するところだ」という定義を見直し、「喫茶店は、自宅と職場の中間にあって、しばしの贅沢を提供するところだ」という風に再定義したところから成功を摑んだと。あるいは、かの自己啓発本の傑作『嫌われる勇気』という本の中で、「自由とは嫌われる勇気を持つことだ」という再定義が為されるから、あの本はスゴイのだ、とか。なるほどね~! あとね、「質問の思考法」に出てくる「構造化面接」というものも非常に面白かった。 「構造化面接」というのは、アメリカ政府などが採用している面接法なんだそうですが、これ、たったお5つの質問によって、相手のキャラを見抜く面接法なのよ。でまたその5つの質問というのがシンプルで、導入質問1:過去に行なった経験についての質問導入質問2:仮定の状況判断に基づく質問深掘り質問1:状況についての質問深掘り質問2:行動についての質問深掘り質問3:成果に関する質問 という5つの質問を適宜組み合わせて、相手に答えさせていくわけ。で、これが企業の採用人事から、プライベートの婚活に至るまで、活用できる賢い質問法なのよ。 婚活でやってみましょうか。 たとえば初見の相手に「学生時代何をやってましたか?」と問う(導入質問1)。相手は「吹奏楽部でフルートを吹いていた」と答える。そこで、さらに「吹奏楽のことはあまり知らないのですが(=自分の承認欲求は抑える)、大所帯だったんですか?」などと聞く。これは深掘り質問の1。 で、相手は「部員は60人くらい居た」と答えたとする。そこで深掘り質問3で成果を問うてみる。「大会とかあったのですか?」と。すると「県予選で惜敗した」との回答。 次に導入質問2で仮定の話をもちかける。「今もし時間があったら、またフルートを吹きたいですか?」と。すると相手は、「今は自分で演奏するより、他人の演奏を聴く方が好き」と答えたとする。ここまで聞き出せば、「そうなんですか、実は私も音楽を聴くのは大好き。今度、コンサートに行きませんか」と誘うこともできるわけ。 ね! この「構造化面接」の質問法、超賢いではないですか! あとね、この本には「カリスマはどのように生まれるのか?」という一節があって、その中に、「では人はどのようなときに、他者を承認したくなるのでしょうか? それは、”親切にされたとき”です。」(122頁)とあったりして、親切というものの価値を認めている。そこも、私がこの本を大いに買うところ。 というわけで、この本、読んでとっても勉強になりました。自己啓発本としていい本ですよ。それに、そもそも私には得体の知れない職業である「コンサルタント」なるものが、何をするものなのか、ということについても何となく理解ができたのも収穫。教授のおすすめ!です。これこれ! ↓頭のいい人が話す前に考えていること [ 安達 裕哉 ]
August 1, 2025
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