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January 20, 2018
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カテゴリ: 教授の読書日記
ニール・ドナルド・ウォルシュという人の書いた『神との対話』(原題:Conversations with God, 1995)という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。

 この本、ウォルシュさんが神さまと対話した時の実況録みたいな感じなんですけど、当時、ウォルシュさんがあれこれ生活に破綻をきたしていて、自暴自棄になって、この際、神さまに文句言ったろうとか思って、便箋に「なんでわしの人生はこんななんじゃ~!」とか不満をぶちまけ、言いたいこと言ってちょっとすっきりしたところではたと手が止まり、逆に自動筆記みたいな感じで自分の意図しない言葉をつらつらと書き始めちゃった。

 で、自分が予期せず書いてしまったものを読んだら、なんと! それは神さまからのメッセージでした!

 で、以後、ウォルシュさんと神さまの間に対話が始まり、ウォルシュさんの質問に神さまが答える形でこの宇宙の仕組み、神さまの心づもり、人間はどう生きるべきかといったことが次々と開陳されていった・・・。

 ・・・みたいな感じ。

 ふーん、そうなんだ~。良かったね~。

 で、ここでこの本を閉じるか、読み進めるか、二つに一つ。

 だけどね、この時点では「アホか」と思われるかも知れませんが、この先、案外面白い展開ですよ。基本、引き寄せ系の自己啓発本ではあるのですが、その宇宙観/神さま観はちょっと面白い。

 で、神さまご本人の説明によるとですよ、始めに、神さまだけが存在していたんですと。つまり神さま一人が「存在のすべて」であった。



 光があるから、闇の意味が分かるわけでありまして、物事ってのは比較対照する物があって初めて認識することが出来るわけですよ。だけど、当時は神さまが存在のすべてだから、神さまには自分のことが分からないわけね。

 だけど、神さまは自分がどういう存在であるかを知りたいと強く欲したんですな。

 そこで、神さまがどうしたかっていうと、自分の一部を細かく分けて独立させたわけ。その小さい自分があるから、それと比較して大きい自分、すなわち自分本体が分かるようになったと。で、その「小さい自分」ってのが、要するに人間であります。神は人間を自分の似姿に作られた、というのはこういう意味だと。

 で、神さまは、自分の一部であり、同様に創造的存在である人間に様々な体験をさせることによって、自分がどのような存在なのかを知りたいと思われた。それが唯一の、自分を知る方法だったから(115頁辺りを参照せよ)。

 だけど、人間は神の分身であり完全な存在だから、人間もまた自分自身を体験することが出来ない。そこで次善の策として、神は人間を物質界に送り込む際に、人間に自分が神の一部であることを忘れさせたと。つまり、キリスト教のある宗派が主張するように、神は不完全な存在、原罪を背負った存在として人間を作ったのではないんですな。そうではなくて、完全な存在として人間を作ったのだけど、そのことを人間に忘れさせた。だから、この物質界で人間は愚かなものも含めて様々な体験をすることになるのだけど、結果、神さまは自分以外のことを知ることが出来るようになり、それによって自分自身のことを知ることが出来るようになった。

 これが神と人間との神聖な共同作業であり、また人間の生の最終目標は、自分が神(の一部)であることを思い出すことだと。

 だけど、そうは言ってもそう簡単に「あ、思い出した! 俺って神さまだったんだ!」ってなことにはならんわけで、人間はこの世で色々な目に遭います。愉しいこと、苦しいこと、悲しいこと。悔しいこと、辛いこと、笑っちゃうこと。でも、そうした人間の喜怒哀楽を通して、神は自分を理解していくわけ。

 なーるほどー。そうだったんだ~。

 引き寄せ系の自己啓発本を読んでいると、「人間は完全な宇宙の一部である」「人間(及び宇宙にあるすべて)は宇宙を構成するエーテルが冷えて固まったもの」ってな説明をするものが沢山ありますけど、「それはすべて神が神自身を理解するため」という上位概念を提示してきたのは本書の独自なところでありまして、そこは面白いと思いますねえ。

 で、ここからさらにウォルシュを通じて神さまが説明するのは、人間の「自由選択」という概念ね。

 従来のキリスト教の倫理からすると、この世には「正しいこと」と「悪いこと」があって、人間は正しいことを選ぶ義務があり、もし悪いことを選んだら地獄墜ちだと、まあそんな風に思われている。でも、本当はそういうことはまったくないと。



 また神さまは「十戒」のようなルールを決めたこともない(163-164頁)。だから、神さまの教えに従わなくてはならないということもない。もし神がルールを作ったのであれば、「みんな、私の作ったルールに従うかな?」などと成行きを見ているはずがない。だって、神がルールを作るなら、神の創造物すべてにそれを守らせるはずだから。

 「神はルールを作るに違いない」などと考えるのは、子供の時に親から躾られ、親の言うことを聞かないと罰があるぞ、という風に教えられてきた、それを人間が勝手に敷衍したからであって、私自身はそんなこと決めた覚えもないし、人間が何をやろうが意にも介さないと、ウォルシュの神さまは言います。

 それはちょうど、親が子どもに遊ばせているのと一緒。子供が原っぱに行ってかくれんぼうをしようが、鬼ごっこをしようが、野球をしようが、それには興味がない。何をするかは子どもが決めればいいのであって、「これをやれ」と命じることはない。ただ、楽しく遊んでくれていることだけを見守っているだけだと(36頁辺り)。

 つまり神さまは人間に完全なる自由を与えたんですな。もし、「いい選択をしたら天国、悪い選択をしたら地獄行きだ、さあ、お前はどっちを選ぶ?」というのでは、自由選択とは言えない。それに、もし人間に「いい選択」だけしてほしいのであれば、そもそも「悪い選択」を自分が作るはずがない(114頁辺り)。だから、人間は人生において、何一つ怖れることなく、自由に選択していけばいい。そしてその選択によって人間は刻一刻と世界を創造しているのであると。

 だから、人間の魂の目的ってのは、様々な体験をすること。神さま曰く:

 愛とは感情――憎しみ、怒り、情欲、嫉妬、羨望など――がないことではなく、あらゆる感情の総和だ。あらゆるものの集合、すべてである。だから、魂が完璧な愛を経験するには、「人間のあらゆる感情」を経験しなければならない。自分が理解できないことに、共感できるだろうか。自分が経験しなかったことについて、他人を許せるだろうか? そう考えれば、魂の旅がどんなに単純で、しかもすごいものかがわかるだろう。そこでようやく、魂が何をめざしているかが理解できるはずだ。人間の魂の目的はすべてを経験すること、それによってすべてになりえることだ。一度も下降したことがなければ、どうして上昇できるだろう? 一度も左になったことがなくて、どうして右になれるだろう? 冷たいということを知らなければ、どうして温かくなれるだろう? 悪を否定していたら、どうして善になれるだろう? 選択肢がなければ魂は何も選べない。魂が偉大さを体験するためには、偉大であることはどういうことかを知らなければならない。そこで魂は、偉大さは偉大でないところにしか存在しないと気づく。だから、魂は偉大でないものを決して非難しない。それどころか祝福する。そこには自らの一部、別の一部が現われるために必要な一部があるから。(143-144頁)

 しかし、もちろん人間の魂には、一つの欲求があって、それは「出来る限りの栄光を体験すること」。だから、自分の魂の叫びにちゃんと耳を傾ければ、人間ってのは、どんなプロセスを経、どんな道を通ろうとも、最終的には神の元に帰ってくる。だから、辿り着く先のことを心配することはまったくないんですな(151頁)。そうじゃなくて、重要なのは、そのプロセス・道であると(175頁)。神さまは言います:

 あなたがたは人生を使って、真の自分、こうありたいと願ってきた自分を創造する。また、ある行動を拒否する理由もひとつしかない。それが自分にふさわしくなくなった、という理由だ。その行為が、あなたがたの真の姿を表さないからである。正しい自分を示したいと願うなら、永遠のなかに映し出したいと思う自分にふさわしくないものはすべて、変えていくよう努めなければならない。(70頁)

 ・・・とまあ、ウォルシュの神さまがいう世界の仕組み、人間の在り方っては、ざっとこんな感じ。だから、キリスト教原理主義が教えるような、「原罪」なんてものはないし、神が特定の人間を天国に送ったり、地獄に送ったりすることもない(204頁)。だから、安心して自分の人生を歩んで行きなさいってわけなんですな。

 どう? 納得する?

 ワタクシはねえ・・・割と好きかも、この世界観。特に「人間の自由意志による選択」ということの説明として、これ以上、説得力のある説明ってないんじゃないか、とすら思いますね。

 あと、この世に完全に正しいこととか、完全に誤ったことなんてないし、すべては相対的なものだとする考え方も好きかも。絶対的な正邪でモノを判断すると、どうしても束縛されますからね。

 あと、この考え方からすると、自分が間違いを犯すことの意味も、ポジティヴに捉えられる気がする。だって、間違いを犯した体験もまた重要だ、というわけですからね。そうして初めて、その対極にある栄光が理解できるわけだし。また、何か悪いことをやったから、自分は地獄行きだと思う必要もなくなる。自分の行き先(=神の栄光)はあらかじめ分かっているわけだから、結果に不安を抱くことなく、そのプロセスの充実だけに集中できる。これは、いわば、チクセントミハイの「フロー」の考え方に似ております。

 要するに、ポジティヴ思考なわけですよ。ポジティヴ思考を、キリスト教概念の新たな意味づけによって説明していると言いましょうか。自分がやりたいように、また自分の直感と反省に従って自分の道を歩んでいくのを、神さまが喜んでいるんだと言われれば、勇気も湧いてくるというものじゃん?

 で、こんな風に宇宙観/神さま観を決めてしまえば、ここから先は割と普通な自己啓発本的言説になります。

 つまり、人間は自分の人生の創造主であると。だから、まず自分の心に成りたい自分を思い描き、それを言葉で宣言し、行動に移せば、かならずそうなると。また、もし今、自分の置かれた状況が悪いのであれば、それは過去に自分が思ったことがそうさせているのだから、まず自分の思いから変えろという言い方(インサイド・アウトの発想法)も、一般的な自己啓発本に近い。

 それから、この世の悪い状況も、複数の人間の思いを反映しているのだから、人間(たち)は、今この瞬間に、思いを変えることによってこの悪い状況を変えることが出来る、というのも、他の自己啓発本と同じ。

 病気に対する考え方も同じね。病気というのは、すべて自分自身が創り出したものであると。

 あ、あと、苦しみについての考え方ですが、ウォルシュの神さまによると、苦しみってのは基本的に存在しないと。ただ客観的な状況があるだけで、その状況に対して人間が苦しいと思えば苦しいのだと。これ、恋愛トラブルに即して考えると良く分かるのですが、恋人に浮気された場合、そのこと自体は単なる事実。だけど、浮気された側がそれを気に病んだら、それが苦だと。だから、苦しみと思うかどうかは自分自身の選択ということにもなる。

 ウォルシュの神さまによれば、そもそも人間関係のトラブルってのは、相手に期待することから起るんですな。そうではなくて、自己中になって、自分がこの関係の中から何を掴み、どう充実させるかということだけに集中して選択していれば、決して相手から傷つけられることはない。もっと端的に言えば、他人に期待するから「不安」になるので、自分の情熱だけに集中しろと。そういうつもりの二人が結びつけば、結婚関係からも最大限の喜びが得られるよと。

 そうそう、一つ言い忘れましたが、ウォルシュの神さまによれば、神さまが世界を創った時、自分自身が「愛」なものだから、それだけでは「愛」が判らないので、その対極物として「不安」を創った、ってなことを言っております。だから人間のすべての行動の動機には、この二つ、すなわち「愛」と「不安」があると(39&102頁)。

 ちなみに、「愛」と「不安」という二極観は、ジャンポルスキーの『愛とは、怖れを手ばなすこと』という本とも共通しますけれども、実はジャンポルスキーも、本書の著者ウォルシュも、ACIM(『奇跡のコース』という本に影響を受けた人々)系の著者なのね。実際、本書の中でウォルシュの神さまは『奇跡のコース』は、自分が書かせたんだと語っております(154頁)。ということはつまり、この「愛」と「不安」を重視する考え方というのは、『ACIM』から来ているのかもね。私はまだこれを読んだことがないので、今のところ推測に過ぎませんが。 

 ってなわけで、あれこれ書いてきましたが、この本、さすがベストセラーとなるだけあって、結構、面白かったかも。結論的なところから言うと凡百の自己啓発本と同じことを言ってはいるのですが、そこに至るまでのバックグラウンドの構築が見事。読んでいて、付箋の森みたいになってしまった。そういう自己啓発本って、なかなかないですよ。

 ちなみに、本書を書いたことで、著者のウォルシュさんは「これ、本当に神さまと直接対話して書いたの?」という質問を百万回くらい受けたようですが、その問いに答えてウォルシュさん曰く「まあ、それはどうでもいいんじゃないですか? 本書の内容があなたに役に立ったならば」だそうですけど、まあ、そういうことですよね。

 ということで、本書『神との対話』、教授のおすすめ!と言っておきましょう。



神との対話 宇宙をみつける自分をみつける (サンマーク文庫) [ ニール・ドナルド・ウォルシュ ]





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Last updated  January 20, 2018 08:51:33 PM
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釈迦楽@ Re[3]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  ああ、やっぱり。同世代…
丘の子@ Re[2]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 釈迦楽さんへ そのはしくれです。きれいな…
釈迦楽@ Re[1]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  その見栄を張るところが…
丘の子@ Re:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 知らなくても、わからなくても、無理して…
釈迦楽 @ Re[1]:京都を満喫! でも京都は終わっていた・・・(09/07) ゆりんいたりあさんへ  え、白内障手術…

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