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February 5, 2018
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カテゴリ: 教授の読書日記
ピエール・バイヤールという人の書いた『読んでいない本について堂々と語る方法』という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。

 この本、冒頭からかなり面白いです。引用します:


 私は本というものをあまり読まない環境に生まれた。私自身、本を読むことがそれほど好きなわけではないし、読書に没頭する時間もない。そんな私がよく、読んだことがない本について意見を述べないといけないという苦しい立場に身をおく羽目になる。
 私は大学で文学を教えているので当然といえば当然かもしれない。多くの本についてコメントさせられるからである。しかもその大半は聞いたことすらない本なのだ。もちろん読んでいないといえば、私の講義を聴く学生たちも同じである。しかしたまに読んでいる学生もいる。そしてそんな学生が一人でもいたら要注意である。講義の最中にいつなんどき窮地に立たされるか分からないからだ。(10ページ)


 どう、これ。衝撃でしょ。私は、この文章、自分が書いたのではないかと錯覚したくらい。

 この本、ちょっと前に少し話題になった本ですから、読んだことのある人もそれなりに居るかもしれませんが、その中に大学で文学を教えていて、同じような立場に身を置く人って、それほど居ないのではないかと。その意味で、この本の読者として私ほどそれにふさわしい人って、日本にそんなに居ないと思います。逆に、私にしたら、超切実な話よ。いきなり引き込まれました。

 で、どうしてそういう苦しい立場に身を置かなくてはならないかというと、読書に関して一般に流布している3つの規範があるからだと、バイヤールは指摘します。つまり「1 読書は神聖なものである」「2 本は最初から最後まで通読すべきものである」「3 本について語るなら、その本のことを読んでいることが前提である」の3つ。この3つの規範があるから、読んでいない本について語る、なんていうことはあるまじきことだ、ということになると。

 だけど、本当にそうだろうか? というのがバイヤールの出発点ね。実に面白い発想であります。

 で、まずバイヤールは「私の経験によれば、読んだことのない本について面白い会話を交わすことはまったく可能である。会話の相手もそれを読んでいなくてかまわない。むしろその方がいいくらいだ」(12ページ)と宣言する。そしてこれ以後、バイヤールは縷々、この自説を説明していく。




 私はジョイスの『ユリシーズ』を一度も読んだことはないし、今後もおそらく読むことはないだろう。したがってこの本の「内容」はほとんど知らないといっていい。しかし位置関係はよく知っている。しかも本の内容というものも、じつはそれじたい本の位置関係とけっして無縁ではない。つまり私は、人との会話のなかで、ふつうに『ユリシーズ』について語ることができるのである。なぜなら私はこの本を他の本との関係でかなり正確に位置づけることができるからだ。私はこの作品が『オデュッセイア』の焼き直しであること、これが意識の流れという手法を用いていること、物語がダブリンでの一日を叙したものであることなどを知っている。この理由から、私は大学の講義でもよく平気でジョイスに言及する。(34-35ページ)


 まったくその通り! 私も『ユリシーズ』を読まずして、何度この本に言及したことか。バイヤールによれば、フランス人のフランス文学研究者ですら、プルーストの全作品を読んだことのある人はまれだ、と言っていますから、日本人のアメリカ文学者がアイルランド人作家の作品を読んでいないことなんて、なんら恥ずかしくないわい。

 とまあ、こういう調子で、バイヤールは、本なんてむしろ読んでいない方がその本について面白く語れる、ということを次々と立証していきます。

 例えばね、アフリカ西海岸に住む「ティヴ族」に、シェイクスピアの『ハムレット』が通じるか、という話題も実に面白かった。

 あるとき、アメリカ人研究者が、イギリス人の研究者から「アメリカ人にシェイクスピアなんてわからないんじゃないの」と揶揄され、そんなはずはない、人間の心理を描いたシェイクスピア劇はアメリカ人はもちろんのこと、人間でありさえすれば普遍的に理解されるはずじゃ、とか思って、西アフリカのティブ族の連中に『ハムレット』を読んでやって、その感想・解釈を聞いてみたんですと。

 もちろんティブ族は『ハムレット』を読んではいないのであって、ただこういう内容だ、と聞かされるだけなんですな。ところがティブ族の連中は、この物語について非常に面白い反応を示したと。

 例えば『ハムレット』冒頭、死んだ前王の亡霊が、歩哨に立っている3人の兵士の前に現れるというシーンがある。これをティブ族に聞かせると、こんな反応が返ってきたと・・・:


 「どうしてその人物はもう彼らの首長ではないのか?」
 「死んでしまっているからです」と私は説明した。「だから彼を見たとき、三人はびっくりして、恐がったんです」
 「ありえない」と年寄りの一人が言い、吸っていたパイプを隣の男に渡すと、今度はその男が年寄りをさえぎって言った。「もちろんそれは死んだ首長なんかじゃない。それは魔術師が送ったサインだ。話を続けなさい」(127ページ)




 とまあ、一事が万事、こんな調子で、『ハムレット』を読んだことのないティブ族の人たちは、この本について実に自由に、斬新な解釈をして見せたと。

 で、バイヤールが重視するのは、この点です。本を読んだことがないからこそ、その本について自由で斬新な見方ができるのだと。

 本を読むって言ったって、個々の人間がある本を読めば、その解釈はすべて異なるわけで、そうなるとある本について語ると言っても、それは理論上、不可能なわけですよ。それぞれの人が、それぞれ別の解釈を持っているんだから。つまり、それは違う本について語るのと同じで、意味がないわけね。それでもそのことに意味があるとしたら、それはもう当該の本のことよりも、それについて語り合う人間同士の関係だ、と。バイヤールはこう言っております:


 書物において大事なものは書物の外側にある。なぜならその大事なものとは書物について語る瞬間であって、書物はそのための口実ないし方便だからである。ある書物について語るということは、その書物の空間よりもその書物についての言説の時間にかかわっている。ここでは真の関係は、二人の登場人物のあいだの関係ではなく、二人の「読者」のあいだの関係である。そして後者の二人は、書物があいまいな対象のままであり、二人の邪魔をしない分、いっそううまくコミュニケートできる。(243ページ)


 なるほど! 



 要するに、本なんて読んだって読まなくたって、自由に語ればいいわけね。少なくとも、読んでないことに引け目を感じる必要はまったくないと。


 バイヤール自身と同様、読んでいない本について語らなくちゃならない立場に身を置く者として、この本、多いに参考になりました。とにかく、本を読むってどういうこと? ということを考える視点として、またブレーンストーミングのきっかけとして、本書、おすすめです。面白いよ!



読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫) [ ピエール・バイヤール ]


 あと、この人はアガサクリスティーの『アクロイド殺し』や、コナン・ドイルの『バスカヴィル家の犬』について論じ、これらの本で犯人とされている人は冤罪で、真犯人は別にいる、ということを論じた本も書いているとのこと。読者は、著者よりも時に正しいわけね。読書の自由を標ぼうするバイヤールだからこそできる芸当で、そちらも是非読んでみたいものでございます。



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Last updated  February 5, 2018 04:49:42 PM
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釈迦楽@ Re[3]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  ああ、やっぱり。同世代…
丘の子@ Re[2]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 釈迦楽さんへ そのはしくれです。きれいな…
釈迦楽@ Re[1]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  その見栄を張るところが…
丘の子@ Re:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 知らなくても、わからなくても、無理して…
釈迦楽 @ Re[1]:京都を満喫! でも京都は終わっていた・・・(09/07) ゆりんいたりあさんへ  え、白内障手術…

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