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1月30日の毎日新聞紙上に「長生きは、禁煙。禁酒、太め…厚生労働省のメタボ健診に疑問」と言う記事が掲載されていた。その記事を下記に記してみたいと想う。がんや心筋梗塞(こうそく)などの循環器疾患を起こさないで今後の10年間を生きる可能性が最も高いのは、「禁煙、月1~3回の飲酒、BMI(体格指数)25~27」の人であることが、厚生労働省研究班による約9万6000人の調査結果に基づく推計で判明した。禁煙や節酒の取り組みは生存率を向上させるが、BMIだけ下げても変化はなかった。主任研究者の津金昌一郎・国立がんセンターがん予防・検診研究センター予防研究部長は「がん、循環器疾患を減らすには、肥満対策より、まず禁煙、節酒を推進することが重要。国民全体の健康対策として取り組む場合、肥満中心の手法は適切ではない可能性がある」と、肥満改善を重視する現在の特定健診(メタボ健診)に疑問を投げかけた。調査は、全国8県に住む40~69歳の約9万6000人が対象。生活習慣に関するアンケートをし、約10年追跡した。調査対象年齢の人が、10年間にがんか循環器疾患を起こすか、死亡する可能性が最も高いのは、男性が「1日40本以上喫煙、週に日本酒2合相当以上の飲酒、BMI30以上」、女性が「喫煙、同1合相当以上の飲酒、BMI30以上」だった。たとえば50~54歳の男性で、最も不健康な条件の人が10年間にがんを発症する割合は、健康な条件の人の2.8倍、循環器疾患は4.8倍に達した。がん、循環器疾患にならないで生存している割合は81%にとどまった。一方、BMI30以上の人が同25~27に下げても、平均的な生活習慣の男性の生存率とほとんど変わらなかった。ところが、禁煙や節酒の取り組みを組み合わせると、大幅に向上した。【ことばの説明】BMI国際的に肥満度を示す指標として使われており、体重(キロ)÷身長(メートル)の2乗で算出する。日本肥満学会は「18.5未満」をやせ、「22」を標準、「25以上」を肥満とする。政府が推進する「健康日本21」やメタボ健診では、25以上の人にやせることを推奨している。そんなような新聞記事であった。息子達には老後(将来において)迷惑を掛けたくないと想う気持ちがあるらしくよってエクササイズで飛び跳ねカラダを鍛え元気でいたいと想うようなのだが上記に記載があった太め(小太り)の体型であるよりは見た目のほうをかなり重視してしまう傾向にあるようで引き締まった綺麗な見た目にもかっこよく見える美しいボディーラインでありたいと想うらしい。BMI20と言う今現在の数字も19ほどに引き下げたく想うふしがある。(と言うのもスリムでいる方がジャズダンスが踊りやすく情熱的に見せたい振り付けもかっこよく映るように感じられるらしい。)しかしながら何が何でもガムシャラにと言うか闘志むき出しの競い合いを好むかのような体育会系人間ではないので好きなジャズダンスでカラダに汗し情熱的に踊るうちに(好きなウォーキングエクササイズで汗し歩かせて頂いているうちに)次第に余分な脂肪がとれ筋肉が綺麗に引き締まり美しい姿勢(立ち姿)と美しいボディーライン(美しい背中)が出来上がってくれば心嬉しく想うようである。昨日もジャズダンスエクササイズで大いに汗をかいた後互いに指圧を施し合ったフィトネス仲間の先輩達から先輩がた「ららさんは下腹(お腹)がぺっちゃんこで全然出ていないからいいね。」と嬉しい言葉を掛けて頂いていたのだったがそうした言葉掛けに対し心からの感謝を表わしそうした嬉しい言葉を励みにさせて頂きながら今後共様々なエクササイズに対処し仲間達と一緒に楽しく取り組ませて頂きたく想うようであった。昨日は朝のトーク番組(この人にときめき!)の中で鋭い人間観察とユーモアに富んだ文章作家で知られる文化勲章受賞者の田辺聖子がテレビ出演していた。80歳になられた今もとても可愛らしい雰囲気を持った田辺の含蓄ある言葉の1つ1つが自然な形で脳細胞の中に刻まれて行ったように想う。田辺聖子「どうもね。書いていくうちに書いてる途中であれもこれもといろいろなことを思い出すんですわ。頭の中が童話的と言うかね。昭和3年生まれで小さい頃から男女別々の教育で育って来たでしょう。今の男女共学はいいことだと想うのよ。僕はこう想うけど君はどう想う?って今の子は聞き合いますもん。いいことですよ。私らの時代にはそういったところがなかったし女性ってこんなふうに考えているんだってことを男性にもっと知ってもらえれば嬉しいなあと想って昔っから恋愛小説ばっかり書いてるんですよ。女性を理解し得なくては真の男性の幸福はあり得ないだろうし男性をわかろうとしなくては真の女性の幸福もまたあり得ないと想うから。ときめきのない人生なんてつまらないわよ。相手を愛する気持ちには自分の中に核がなければならないわけだから。」80歳を超えて尚矍鑠(かくしゃく)としてお元気な姿に感動の情を覚えながら耳を傾けていたように想う。田辺聖子「大阪弁の恋愛小説を書こうと想ってるんで大阪がとっても好きやけど…こんなこともありましたわ。…東京男にくどかれたら東京に行くんか~?…行かへん~…じゃあ物凄い男前やったらどうするん~?…ちょっと~考える~。(インタビュアー爆笑)」上記の発言を聴かせて頂いて齢(よわい)80歳にして脳細胞が非常に若々しいなあと心嬉しく感じたようであった。クリームカラーの大きな花柄のワンピースもそれを象徴していたように想う。脳内を幾つになっても若く若く保つと言うことが若々しさにとってとても大切なことのように感じた素敵な日であった。(田辺聖子の言葉にありました「何となく良かったと想える文章。何となく気に入ったと想える文章。何となく面白かったと感じる文章を、書き綴りたいなあ。」と言う台詞(気持ち)は、同感の想いを、強く心に、感じることが出来ました。「するりと、心の中に入って来る、なめらかな言葉。可愛がって頂けるような言葉を、選択して書いていきたい。」と言う想いもまた、同じだなあ、嬉しいなあと言う共感の気持ちを強くいだきながら、お話を伺うことが出来たように想います。人生の先輩の貴重なお話に、耳を傾けることが出来たことは、大変有意義なことであり、且つまた有難いことでもあったように想いました。) (昨日の歩数記録。6457歩。)
2009.01.31
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最初の数分間は上着を着てウォーミングアップに取り組ませて頂いていても壇上のインストラクターから「そろそろカラダが温まって来ましたか。上着を脱げるかたはここで脱いでしまいましょう。フロアの隅に脱いだ衣服を置きに行って来て下さい。」と声が掛かる頃にはカラダにウォーミングアップ終了のサインが出ているようであった。そそくさと上着を脱ぎ捨て素早く立ち位置に戻って来ると更にエアロビクス(エクササイズ)は速度を増した形で激しく行なわれ続けられるのだった。そう言えば今し方脳細胞がそのシーンを思い出したのだが昨日は指導に熱心な余りインストラクターが踊っていながら振り付けの説明をしていて狭い壇の上から転落しそうになってしまった。詳しく申し上げると壇の後ろへと片足を滑らせてしまったようだった。ガタっと大きな音がしたので受講生の多くが驚きの声を上げていた。壇上のインストラクターは「大丈夫です。びっくりさせてすいません。続けましょう。」と言って素早く体勢を整えると何もなかった風にその場を繕ってみせことなきを得ていたようだった。ああ、良かったなあとホッと胸を撫で下ろしていた。その後も激しいエアロビクスは水分補給を挟(はさ)んで足を止めずに(その場足踏みで)続き約45分に及んだ有酸素運動は大汗を伴なって終焉を迎えていたように想う。内股内腿の筋肉を鍛えるスクワット。足を揃えてつま先立ちを何回も繰り返して行なうふくろはぎの筋トレ。両手を胸の前で押し合ったり引き合ったりすることで出来るバストの引き締めとバストアップの運動。下腹部分を美しく引き締める腹筋2種。同じく美しい背中の筋肉を作る背筋(はいきん)運動。下を向いて行なう腕立て伏せ。有酸素運動の室内ウォーキングエクササイズを行ない使った筋肉を解きほぐす入念なストレッチを行ない心とカラダを静め自己と向き合う瞑想タイムをとり教室は終了と相成った。インストラクターとの交信記録(今日のレッスンの感想をインストラクターに対し提出しインストラクターから様々なアドバイスや指導の言葉を頂く用紙)に書き込みを済ませ汗で濡れたダンスドレスを着替えて外に出た。外に出てみると暖かい陽射しが降り注いでいた。昨日は仲良しのハナミズキさん(フィトネス仲間のお友達)と一緒に自宅から作って来たお弁当を暖かな陽射しを目にしながら室外のベンチで広げることが出来た。(ハナミズキさん。ありがとう。)おしゃべりしながら頂くお弁当の味を噛み締めながら有意義な楽しい会話を2人して交し合っていたように想う。お弁当を食べ終わるといつものウォーキングロードを2人で歩きお地蔵様の建つ場所までエクサイズさせて頂いていた。長い距離であっても話しながら歩くと短く感じられて来るからとても不思議な心地がしたようである。1人には1人の2人には2人の時間が作り出す趣き深さと言うものが存在するように想う。阿吽(あうん)の呼吸と言う言葉がある。2人以上で一緒にものごとを行なう時の微妙な気持ちや上記が一致すること自体を指す言葉であるように想う。阿吽(あうん)の阿(あ)とは口を開いた時の状態を言い吽(うん)は反対に口を閉じた状態のことを指すのだと言う。神社仏閣の入り口付近に見られる仁王や狛犬(こまいぬ)は口を開いた阿形(あぎょう)と口を閉じた吽形(うんぎょう)の一対(いっつい)の形で建っていることもよく知られた事実である。阿吽(あうん)とは吐く息と吸う息のことであり2つのものに対して言う語であるらしい。阿吽の呼吸と言うものを心の中でそっと大事に大切にしていたく想うようである。吐く息と吸う息と言うものを大切にしながら心の中に大事に想う方がたと接していたい。深い呼吸を心掛けつつ大切な人と笑顔を携えて温かい会話(言葉)を交わし合いたい。上記を心の中に想い描いた素敵な日であったようだ。(もうすぐ(もうじき)睦月(むつき・1月)が終わってゆきます。睦月・如月(きさらぎ)・弥生(やよい)と続く「月」の名前に、美しい日本の風情(情緒)を(とても心嬉しく)感じるようでございます。美しい風情に対し、心の中に、優しい想いを寄せ、美しい風情を心からいとおしみ、美しい風情に対し、新鮮な感慨を覚える、温かい心でありたいと想っております。未熟な身であっても、研鑚と精進を心掛け、日々を、新たな感謝の念を重ねて、過ごしていたく想います。これから週最後のジャズダンスエクササイズで、情熱的に踊って参ります。カラダを鍛え、自己を、ダンスの中に解き放ち、情感豊かに表現して、情熱的に踊ってみたく想っております。) (昨日の歩数記録。16021歩。)
2009.01.30
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言わずと知れたことだが男女が愛し合ったから(結果)子供が出来る。(授かる。)上記をよくよく考えてみると実に趣き深いことのように想われる。少子化が進む社会にあり結婚しない男女が増える傾向にあるのだと言う。結婚自体個人の自由選択であるわけなのでここでとやかくもの申すことは差し控えたい。が子供を産み育てることがそんなにも面倒臭く面白味のないものなのだろうか。答えは否(いな)であるように想うようだ。前々回も文章の中でそれを含む英語のことわざを記載させて頂いていたのだが結婚の選択は自由であったとしてもである。昔人がもの申すように人間は結婚して初めて1人前と言った感は否めないし自然界のほとんどの生物が子育てにいそしんでいるのと同じように結婚して家庭を持った男女が子育てに携わり関わり合うのは至極当然の自然の摂理であるように想われた。「子を持って知る親心」とはよく言ったものだと想う。子育てしながら親育てをさせてもらっているのだと考えるのであれば大層趣き深いことのように感じられるものである。人間は自然な形で子育てから(子育てを通して)様々なことを学ばせてもらえるように想うようだ。せんだって下の小学生の弟クンが学級だよりの「223号」を担任の先生より頂いて来た。こう言う類(たぐ)いのお便りを読ませて頂くと自然にこちらも小学生の頃に戻るような気がして来るから不思議なものだと想う。脳細胞のほうも若返るように感じられた。息子達の学校はクラス担任のそのほとんどが家庭人である男性教師で構成されている。男性の先生に教えを請うことは息子達にとって(彼女にとっても)都合がよく嬉しく有難く感じるらしかった。男性の優秀さを立てる女友達に対し共感の情を覚え親しみを感じる傾向があるからだろうか。男性の中にある特質と言うものを理解し敬意の念として(心が)感じ取るからであろうか。家庭教育の場で母親(女性)と多く接する息子達にとって学校教育の場は異性である男性教師と向き合うことが両性のバランス感覚もとれ都合がよろしいように心嬉しく想像するようであった。そうした弟クンの担任の先生は学級だよりの中でこう綴っていて下さった。「フランスの哲学者オスカー・ブルフィエさんが小学校で哲学をやってみたいと考えそれをフランスのナンテール小学校で実際に授業として行なった時のテキストが出版されています。それを使ってクラスの皆に「自分って何?」と言う哲学をしてもらいました。その哲学とは「当たり前とされていることを疑ってみるまなざし」と「ものごとを深く考えてゆくための力」を育てていく為の学問ととらえ次の6つのテーマについて自分のこととして皆に深く考えてもらいました。」と記していて下さった。その6項目とは1. 君は、動物?2. 早く、大人になりたい?3. 君は、皆とおんなじ?4. 親に感謝するのは、どんな時?5. 鏡を見るの、好き?6. 自分のこと、自分で決めてる?と言うものでその中で自分で考えてみたいものを選び子供が文にしていきましたと綴られていた。「以下何人かの4年生の哲学者の文を紹介します。」と書き綴って下さってあったので先生がプリントに綴って下さっていた子供達の趣き深い文章を下記に記載してみたい。テーマ「早く大人になりたい?」大人になれば車を運転したり買い物したり出来る。でも大人は仕事があって遊ぶ時間がないからそれなら子供にも勉強があるよ。だけど子供のほうが休みが多いしまだ夢が見られる。でも大人のほうが多くお金を持っているしいつどこでも自分のお金だから何に使ってもいい。それにお酒も飲めるし家も買える。テーマ「君は、皆とおんなじ?」自分には得意なことがあったり苦手なことがあったりするし他の人が出来ても自分には出来ないことだってある。でもその逆だってある。だから自分と他の人は違うと想う。テーマ「自分のこと、自分で決めてる?」今の自分は、ああしなさい、こうしなさいと言われて自分で決めることはできない。でも、自分はまだ小さいので親が1番いい時に1番いいことを教えてくれているのか。でも勉強などを自分からやろうとした時に親から「勉強やりなさい!」と言われるとぎゃくに、やる気がなくなってしまうので、親も無理に「ああしなさい、こうしなさい」と言わない方がいいのか。それでも、言われないとやらないこともある。テーマ「親に感謝する時は、どんな時?」いっつも感謝している。パパがちがったり、ママがちがったりしたら、私は産まれていないから。それにママはおこるけど、やさしくしてくれるし、パパは仕事もがんばってくれるし、やさしくしてくれる。1番感謝するのは、誕生日の時。産んでくれてありがとうって思う。テーマ「早く大人になりたい?」うん。だって1人でいろいろできるから。理由は1人で車に乗れるし、家族が増えるかもしれないし、1人で働いて、そのお金で1人で好きなものが買える。でも、今は景気が悪くて、仕事がない人がたくさんいるそうだ。もし働けなかったら・・・。食べ物に困ったりするのだろうか。なんで仕事をしたいのにできないことがあるのか・・・。未来の僕が、どうなっているか、早く知りたい。テーマ「早く大人になりたい?」私はいや。だって死んだら、なにもかも終わるんでしょ。そんなのいやだよ。死んだらこの世界をもう見られなくなる。死んだら、私の命も消え、焼かれて骨と骨の粉だけになる。ぼろぼろにされてさようなら。おじいちゃんが亡くなるのを見た。死ぬ前は病院で死ぬ時はなんか細くなっていた。でも笑っていた。絵本なんかには、たましいだけが残ると書いてあったけど、本当にそうなのかな?本当にそうでも、もうその人はいないし、死んだら何もかも忘れて楽になるのかも、お母さんに、ひどいことを言われた時は、いなくなってしまいたいと思ったことがあった。でも死んだら何もかも終わり。テーマ「君は、皆とおんなじ?」ぼくは、ぼくだと思う。身体の大きさだって、ちがうし、重さだってちがう。考えていることもちがうんだから。でも人間というところはいっしょなのかもしれない。しかしやっぱり頭の中や性格は、みんな別々だろう。みんなが同じだとしたらつまらない。だってみんな考えていることがいっしょだったら、新しい事や新しい答えはみつからないだろう。だからみんなとちがってよかった。 いかがだろうか?ご自分も小学生の頃に戻って考えてみられると1段と趣き深く感じられるように想う。どの子も迷うことなく書いていたそうである。上記の学級だよりには偶然たまたま不肖の息子の弟クンの名前も(彼の文章と共に)プリントに記載されてあった…ので記録に残してみたくなった。彼の選んだテーマは「君は、動物?」と言うテーマだったようである。弟クンの文章から「当然、動物です。理由は、動物という漢字の意味が「動く物(もの)」だからです。でも、おかしいところは、動物は動く物なら、何でもいいと言う事だから、機械で動く物も動物という事になってしまいます。だから、人間は、ライオン、シマウマ、キリン・・・などの動物を動く物と、言っていないかわかりません。すると、動物園は、機械で動く物も、入れていいことになってしまいますね。なので、「動く物」としてではなく、「生きる物」の方がいいと思いました。」以上が彼の文章であった。(ジイジ・バアバへ。上記はいかがだったでしょうか?ジイジへ。実は一昨夜弟クンの感想用紙の中の1枚にこんな文を見つけ大笑い致しました。≪感想を見つけた場所≫おじいちゃんの家≪見つけたこと≫兄がある理由でおじいちゃんにせっきょうされていた。≪思ったこと・感じたこと≫意外と優しいせっきょうだった。ネ、大笑いでしょ?)いやはやこの弟クンやんちゃなだけでお恥ずかしい限りに想う。(^^)さて昨日はインストラクターが選曲しオリジナル振り付けを考えて下さったEXLIE(エグザエル)の歌う「♪銀河鉄道999」と言うナンバーで情熱的に汗を流しながら繰り返し繰り返し踊らせて頂いた。汗ばんだダンスドレスを新しい衣服に着替えてから会場を後にさせて頂いていた。入念なストレッチを激しいエクササイズの前後に行なうこと朝晩の湯船でのマッサージ(指圧)を忘れないことをこれからも心掛けてゆきたいと想うようである。(お寒うございます。空気が乾燥する時期には、温かなスープなどは、いかがでしょうか。5種類の野菜(玉葱・トマト・ピーマン・キャベツ・セロリ)を細かく刻んで火に掛け、トロ~リするまで煮込み、コンソメで味付けした野菜スープなどを、この季節、よく作ります。野菜嫌いのお子さんであっても、野菜から溶け出した抽出成分と旨味成分で、野菜を食べたと同じような効果があるように伺いました。5種類の野菜を刻むのは面倒だと、お考えのお方には、1人分(少量)のセロリだけを細かく刻み、お鍋に火を点(つ)け、コンソメと七味唐辛子で味付けし、アツアツを、ふうふうしながら頂けば、カラダが温まり、カラダの血流(血行)も良くなって、水分補給にもなり、健康につながるように想いました。寒いからと言って、自宅にこもることなく、元気よくウォーキングエクササイズすることも、健康にはよろしいように実感しています。そうした際には、特に、腰を意識し、腰から前に歩くようなイメージで歩かれますと、姿勢が良くなって、歩く姿が、かっこよく見えるように想いました。是非、お試しあれ!(^^)これから、ハナミズキさん以下約100名の受講生の方がたと、フィトネスで飛び跳ね、カラダに汗して参ります。) (昨日の歩数記録。8978歩。)
2009.01.29
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大きな書店が大好きであるように書かせて頂いていたのだったが何せ書物は高価であるように想う。無料で好きな本が楽しめる図書館と言う場所を憩いの場にして久しくなるようであった。文字を夢中になって読み進むうちに時間(とき)を忘れてしまうのがちと厄介なようである。文字の世界に没頭するうちに不思議の国のアリスが如くになってあっと言う間に「え~?もうこんな時間~?!」と言う羽目に陥(おちい)るようだ。折角ライブラリーに立ち寄ったのだからあれにもこれにも目を通していたいと想うらしい。どの作家と言う特別な入れ込みはないようなのだが幅広くいろいろな(ジャンルの)書物に目を通していたいと想うようである。今回書棚に曽野綾子の本を見つけた時友人の1人がいつぞや友人「曽野綾子が書いた太郎物語の高校生編と大学生編は僕の青春のバイブルみたいな本だった。」と静かに語ってくれていたことを脳裏に思い起こしたようだった。その言葉を思い出して何気なく手に取ってみたく想ったらしい。たまたま手にした書物の内容は曽野の主な書物の抜粋を掲載し紹介した本であったようだった。その本の中で印象に残った項目を少しばかり記しておきたくなった。「年をうまくとるためには中年から準備をする。1人には1人の2人には2人の良さがあると考えよう。老親に尽くしすぎると生きるたくましさを奪う。~完本 戒老録より」「夫婦としてだけでなく個として生きる。寛大さこそ夫婦をつないでいく最初で最後のもの。当てにしなければ寛大になれる。相手がしあわせならいいと考えれば肉親のようになれる。会話のない夫婦は人間としての役目を果たしていない。~夫婦、この不思議な関係より」「不良っぽい人ほどいい夫になれる。~青春の構図より」「もし人を愛するならその人が失意の底にある時がいい。~親子、別ありより」「平らな道を歩いてもおもしろくない。~残照にたつより」「葬式の参列者がいなくても不幸なことではない。~旅立ちの朝により」「自分の運命を知って受け止める。~夜明けの新聞の匂いより」「運命に流されるまま神の声に耳を傾ける。祈りだけが愛を伝える術。~この悲しみの世により」「他人を許すことを愛と呼ぶ。~あとは野となれより」「神と対峙する場所を持つ。~永遠の前の一瞬より」「滑稽な夫婦は安定感がある。運命は大らかに受け止める。女たちをうまく操れなければ男ではない。嫁と姑は今の状態を生き抜く以外に道はない。理解し合えなくてもいたわりの心を持つ。~誰のために愛するかより」「互いの性格の違いを受け入れ合う。~私の中の聖書より」「無理強いするより励ますこと。~円型水槽(下)より」全部を全部載せ切れないのであるがその中でもやはりこの書物の中に書かれてあった「太郎物語(高校編)」の中の「女の子にはふられるもの、学校は落ちるもの」と言う項目の1節が趣き深く感じられたようだ。こんな文章であった。「ねえねえ、父さん、ほら、軽井沢へ行くと、いろんなところで、若い男と女がさア、抱きあったり、ひっついたりしているでしょう。僕も、そろそろその年頃になったんだけど、ああいうこと、やって楽しいもんかねえ」「楽しいことなんかあるもんか」山本正二郎は苦虫をかみつぶしたような表情で言った。「初めは、どうもしっくりしないんだけど、これも浮き世の義理だと思ってやってるんだ」「そうだろうねえ。僕この頃、この世のこと、何でもそんなに楽しくないんだっていうこと、わかって来たよ。」「それが肝心よ」母の信子が脇から口を出した。「その見極めがないと、ろくなことにならないのよ。女の子にはふられるもの、学校は落ちるもの、スポーツは負けるもの、と思ってりゃいいのよ」「そう思っちまうと、この世はそれよか少しましだよね。僕だって、勝つこともあるもんね」太郎はやっと僅かばかり幸福感を覚えた。そんなような1節であった。昔拝読させて頂いた折りとはまた違った別の感覚で今回は上記の「太郎物語(高校編)」の1節を面白く読ませて頂いたように想う。曽野綾子は著書「あとは野となれ」の中でこう書き記していた。「私は二十歳か二十一歳ぐらいの時まで、最も純粋な女の生き方は、好きな人の子だけもって、ひとりで暮らすことだと考えていたのである。」親がなくとも子は育つと言う言葉がある。女性(女親)のほうの立場に立って考えてみると好きな人の子供を授かる喜びと言うものは共感出来理解が出来るように想う。が逆に生まれ来る子供の側から上記をとらえ子の立場からこれを考えるとどうして僕はお父さんと一緒に暮らせないのだろうか一緒に楽しく暮らしたいなあと想ってしまっても不思議なことではないように想われた。結婚に関して言えば予め若いお2人が話し合うことが大切でどう言ったふうなご家庭を共に手を携えて作ってゆきたいと考えているのかそうしたことを互いに語り合ったのちにお子さん(命)を授かる方がお子さんにとっても望ましいように感じるようである。社会全体が強者の理念で回ってしまうのではなく自立出来ず自分1人では身を守れない赤ちゃん(いたいげなベビー)の立場に代表される社会的弱者の身の上に立ってものごとが考えられるような心優しい(心温かい)社会的通念であって欲しいなあと感じた趣き深い日であった。(文字で書かれた書物を読むと言う面白さ(楽しさ)を想います。文字世界には、映像の中には感じ得ない、特殊な趣き深さを、脳細胞が、心嬉しく感じるようでございます。以前、実家の父が「元気よ。硬いもの(書物)も、柔らかいもの(書物)も(両方共に)読むと言うことが大事だよ。」と、申しておりましたが、本当に、その言葉の通りであり、幅広く、様々なジャンルの文芸に親しむと言うことが大切で、心を豊かに、人生を豊かに、広げてくれるように感じます。文字(言葉)の持つ奥深さを味わうことは、感性と言うものを、自然な形で、より豊かにしてくれるように想いました。本に向かうことも大好きですが、カラダを動かしてエクササイズすることも、大好きであるように実感しています。これから、大好きなジャズダンスで、情感豊かに自己を表現し、楽しく激しく汗して踊って参ります。感謝の気持ちを大切に、明るい笑顔で、日々を、過ごしていたく想っております。昨日の朝ドラ「だんだん」の中では、双子の、のぞみのヴォイストレーナーの女性が「石橋ちゃんが言ってたわよ。京舞は、心をうちに秘めて踊るんだってね。でもね。感情を表に出さないと、お客さんには伝わらないわよ。心を、もっと、外に出して頂戴。」と、のぞみに向かって話していたシーンが印象に残りました。また、今朝の朝ドラ「だんだん」のシーンにあっては、介護施設で暮らしている女性が、再び介護施設で働き始めためぐみに向かって「めぐみちゃん。あんた、ひとかわ、むけたなあ。」と、呟くように語ったひと言が、印象的に感じられました。ヒトは、ヒトから、見えないところで支えられ、生きているように、想うようでございます。) (昨日の歩数記録。7654歩。)
2009.01.28
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週初めのフィトネスで思い切り飛び跳ねた昨日は風の強い1日であった。仲良しのハナミズキさん以下約100名の受講生の方がたと共に45分間のエアロビクス(有酸素運動)と無酸素運動45分間の(筋肉トレーニングや入念なストレッチを含む)計90分間エクササイズに取り組ませて頂いていた。寒い季節だからだろうか。汗ばむほどの運動時が1番カラダに心地良く快く感じられるように想う。静かに瞑想タイムに入る折りなどは段々とカラダが冷えて来てしまうせいで1枚も2枚も多く上着を羽織る為か快感の気持ちからは掛け離れてしまうようであった。エアロビクス時の多くは激しいロック調のイングリッシュバージョンナンバーが会場いっぱいに流される場合が多い。耳にしたことのあるヒット曲がたまたま偶然掛けられると脳細胞が歓喜するようでダンス自体にも自然な形で力が入るように感じられた。音楽からパワーをもらっている。そう実感出来る素敵な瞬間であるように想う。たとえ♪プリティー・ウーマンのテーマ曲のような優しい感じのメロディーであったとしても聴いたことのある懐かしさとカラダがリズムを刻みやすく感じる耳に快く響くテンポアップしたメロディーであるならばダンスナンバーとしてエクササイズする上で効果的に感じるようであった。昨日のエアロビクスではインストラクターの考案により力強い振り付けが多く登用されていたようだ。パワフルに感じられるナンバーが(特に低音のビートが力強く雄雄しく感じられる曲想が)力強さと言うものを上手にアピールしてくれるようでそうした振り付けにはふさわしく感じられ普段の情熱的なダンスにも一層想いを込めた力強い踊りが出来るようであった。インストラクターはつくづく大変だと感じたらしかった。壇上で模範演舞をしながら耳につけたマイクを使用しほとんどしゃべりっぱなしであるからだと想う。以前にもお話申し上げたがダンスしながら歌を歌うには大層な技術を要するように空想する。ダンスがなおざりになるか歌が下手に陥(おちい)るかそのどちらかに傾きやすくなるように想う。4人いるうちのインストラクターも模範演技のさなか勢い余って狭い壇の上から転げ落ちることがあったりダンスの振り付けを途中で間違えてしまったり説明する言葉と振り付けがチグハグになって説明の言葉として可笑しくなってしまったり…と様々なご苦労がしのばれるようであった。昨日も壇上で踊りながらランニング姿のインストラクターは同時にこんな説明をところどころで加えていた。インストラクター「ステップタッチしながら4歩で斜め前に進みます。1歩ずつカラダを斜めにさせて前へ進み同時に両手は前で大きく広げながら拍手します。4歩進み終わったら今来た方向に4歩で斜めジグザグに後退します。その時にはかっこよく片手を斜め上から斜め下に押し付ける動作を4回行ないます。左足から前に踏み込む動作をする時ヤーと大きな掛け声を掛けましょう。ヤーと言う掛け声と共に両手を上から下へ押し込みます。これを左右2回繰り返します。左右の方向へグレープヴァインステップで往復して来たら前へVの字を描くようにVステップ。その時の手は力強く肩肘を曲げてドアを打ち鳴らすように。続けて後ろ方向へAの字で開くようにAステップ。この時は手を広げて上から下へ髭ダンスをするように。これを2度繰り返します。次にステップタッチを2回。両手で拍手。腰をひねってゆっくりのツイストを2回。早いツイストを3回。手は顔の前で片方ずつ交差し前後に開閉2回。ツイスト3回目で左右が入れ替わり左バージョンと右バージョンとを同じように左右対称にしながら繰り返して行ないます。」上記の内容を各フレーズで区切り音楽に乗せて1つずつの動作(振り付け)を組み立てながら前にやった動きを次の動きに重ねつつ復習を加え完全に最後まで踊り切ることでカラダにダンスを染み込ませ1つ1つの振り付けをつなげて覚え込ませ全体としてのダンスの流れを作り上げてゆくのである。いつも毎回こうした折りの最後の最後の部分(つまり有酸素運動のラストに当たる箇所で踊りが完全になった頃合い情熱的なダンスナンバーに乗せ激しく妖艶に踊り込む時間帯)がどうも楽しみであるらしい。カラダにとっては汗がひっきりなしに流れる場面でもあるのだから大変なシーンなのだとは想うのだがどうしたわけなのかそうした汗をかきかき踊るような踊りの最高潮の部分(激しい動きのある山場の箇所)が1番好みに感じるようなのである。1番体脂肪が燃える時間帯だからなのだろうか。よくはわからないのであるが踊り込めば踊り込むほどにメラメラとダンス魂が心底から燃え上がって来るように感じるようであった。愛車の中にあってもダンスナンバーを耳にするとクラシック曲にはない斬新な情熱や今この時この瞬間を生きていると言う新たな気持ちを心が嬉しく感じ取るように想う。安らぎとパワフルを音楽の中からバランスよく取り入れてゆきたいと想った素敵な日であった。(昨夜は、夕餉の時刻に、小学生の弟クンが大好きなテレビアニメ「名探偵コナン1時間スペシャル」の放送がありました。彼は、すぐに、リビングに行き「名探偵コナン」の番組をビデオ撮り致しますので「偉いなあ。ありがとうね。お兄ちゃんの為に、コナンをビデオに撮ってくれているんでしょ。」と声を掛けました。すると、やんちゃな彼は、一生懸命ビデオ撮りしながらも、こう申しました。「仕方なくやってあげてるんだよ。」(^^;)そのひと言を耳にし「あはははは。」と大笑いし、彼にそっとアドバイス致しました。「そのひと言がなければ、もっと、偉かったんだけどね。」(^^)彼は、わかっているよと言いたげに、微笑んでおりました。余分なひと言に感じられる言葉を、親も子も言わないようにありたいものだと、改めて、嬉しく、心の中に、刻むことが出来たように想います。) (昨日の歩数記録。12021歩。)
2009.01.27
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「初心忘るべからず」と言う素敵な言葉があるのをご存知であろうか?Don’t forget when you were a beginner.とかDon’t forget your first resolution.などと言うのだろう。せんだって国語科が苦手の兄と一緒にNHK放送文化研究所日本語プロジェクトチームが作成した国語力に関する新書を偶然たまたま拝読させて頂いていた…ら上記の「初心忘るべからず」と言う言葉が記載されていた。「初心忘るべからず」と言う言葉が室町時代に能を大成した世阿弥(ぜあみ)の言葉であったことを初めて知る機会になり「知るは楽しみなり」と言う言葉の意味合いをつくづく実感したようだった。世阿弥は花鏡と言う書物を記したことでも有名なのだがその花鏡の中で初心には3つあると示し最初は若い時の初心次には人生の中期に初心最後には老後の初心があると説いていたらしかった。人生の初期でも中期でも後期であってもそのすべてに初心と言うものの存在があることには変わりがないように感じたようであった。そうした1番最初の想いと言うものを大切にする心の存在はどんな場合であったとしても当てはまることのように空想され非常に大事であることを新たに心の中に刻んだようだった。初心を忘れないで大切にすることはHumble hearts have humble desires.とも言うようであった。上記の1文の訳のほうは「謙虚な心はつつましい望みをいだく」と言うふうに訳されるらしい。なるほどなあ素敵な言葉だなあと感じながら目にさせて頂いていたように想う。英語を今し方書き綴らせて頂いていたらお兄ちゃんが昨日こんなことを愛車の中で話していたなあと思い出した。中1生「お母さん。英語でもしもしは何て言うか知ってる?」と尋ねるので素直にこれに応じ彼女「普通にハロー(Hello)でいいんじゃないの。」と答えていた。兄「ピンポ~ン!正解です。では電話で私は太郎ですは何と言うでしょうか?」と再度尋ねて来たようであった。そこで彼女「マイ ネーム イズ タロウ(My name is Taro.)かな?」と答えると兄「ブ~!違います。」(^^;)彼女「じゃアイ アム タロウ(Im Taro.)かしら?」と言うともう全然ダメと言う感じで兄「ブブ~!違うでしょう。こちらはと言う感じを打ち出すとディス イズ タロウ(This is Taro.)が正解!」彼女「あっ、そうだったね。」そんなような会話を昨日は運転席と後ろのシートとの間で交わしていたようだった。国語科大好き人間の彼女とは違い英語のほうがスマートでわかりやすいと感じているらしいお兄ちゃんのほうは情感でものごとを考える彼女と違って論理でものごとをとらえる脳細胞の作りをしているようである。そんな彼は大好きであるパソコンの内部が英語と数字(01・001・0001など)で出来ているからなのかかなり英語に対し執着を持ち興味関心をいだいているように見受けられる。そこで今回は彼女のほうも英語に着目し英語のことわざをほんの少しだけ記してみたく想ったようである。「へ~そうなのか~なるほどなあ~。」と納得するような含蓄ある言葉ばかりであったように想う。(^^)Health is better than wealth.健康は富に勝る。A person is known by the company he keeps.誰と付き合うかで、そのヒトがどんな人かはわかる。Birds of a feather flock together.同じ羽の鳥は集まる。(類は友を呼ぶ。)A merry heart makes a long life.陽気な心は長生きをもたらす。All things come to him who waits.待つ者には良いことがやって来る。(果報は寝て待て。)A man without a wife is but half a man.妻のない男は、半人前である。昨日は「ようこそ先輩」と言うテレビ番組を拝見する機会に恵まれた。その番組の中で中学生達に大切な者は何かを絵で描かせた後描いた絵を1人ずつ燃えている火の中に投じさせ地震などの災害で自分自身を含む大切な人達がもし亡くなってしまったらと考えさせる仮体験をイメージ化させることにより生きていることに対し歓びの気持ちを考えさせる授業が行なわれていた。死と言うものを考えさせた上で生きる喜びをとらえさせる授業に感動の情を覚えながら拝見させて頂いていたように想う。この地球上に自分1人だけが生きていたとしてもとても虚(むな)しいように想像空想してしまう。人々の命(周囲の方がたの命)と言うものの存在があったればこそ温かな幸せを実感出来るように想う。そう改めて強く想った素敵な日であった。(昨夜は「海外ネットワーク」と言うテレビ番組の中で「肌の色の違う双子チャンが、2度続けて生まれた」と言う100万分の1の確立で生まれたお子さんの映像を、拝見することが出来ました。国際結婚は、これからも、情報化時代の中で、更に増加してゆくように感じます。オバマ大統領の演説ではありませんが、人種を超えて、人々が手を携え合い、平和の社会を築いてゆくことが、大切であるように想います。国際化が、結婚から進化してゆくことは、様々な障害を越えて、望ましいことであるように感じながら、拝見させて頂いておりました。また、昨日は、米国ハドソン川不時着事故の折り、航空機を操っていた機長とその妻(ワイフ)が、テレビニュースで映っておりましたが、互いに相互を労わり合い、恥ずかしがることなく、温かくハグし合う姿が、感動的でした。年を重ねても、ああ言った場にあり、自然な感じでハグし合えることは、素敵なことであるように感じます。諸外国の良さに学ぶべきことは、沢山あるように想いました。「ようこそ先輩」と言うテレビ番組の課外授業では、命について改めて考えてみようと言った内容が、印象に残りました。大地震などの、避けて通ることが出来ない災害の場面を想像させ、不幸にも、大切にしている者の(自分も含め)命を失うことを空想化させ「一寸先は闇である」と言うことを、実技仮体験させる授業に感じ入り、拝見しておりました。今、この瞬間を、与えられた命に感謝して生きると言うことの大切さを、強く、心に感じます。) (昨日の歩数記録。7857歩。)
2009.01.26
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お寒うございます。毎日、寒い日が続きますネ。おカラダのほういかがでしょうか?お風邪など召しませんように。どうか温かくなさってお休み下さいネ。…と本来ならば読者の皆様に向けて敬語で語り掛けるのが筋であるように想う。文体に丁寧体(です・ます調)と普通体(だ・である調)が存在するのは遠い昔国語科の授業で学ばせて頂いていたように思い出す。ブログ自体ブローガーが自分の好きなように文章を作成し文章作りを趣味の分野として楽しみながら書き進めればそれはそれで結構であるように想うようだ。たまたま10000字と言う字数制限がかせられてあるせいで猛烈なスピードを持ってキーボードを打ち進むうちいつしか知らず知らずのまに字数制限を突破することがあったらしい。丁寧体を使用していると1文が長過ぎてしまうせいで制限字数以内に文章が入り切れなくなりそうしたことが負担に感じられて(どうもそうしたことから)丁寧体から普通体の文体に文章作りが移行し文体がこうした形に落ち着いてしまったようだ。丁寧語を始めとする尊敬語謙遜語を含めた敬語の存在を大切にしたい気持ちが大いにありながら作家気分に浸り普通体のほうの文章作りにいそしむことになって他愛もないことをああでもないこうでもないとつらつら書き綴っていることが不思議にさえ思えて来るようであった。文体の形は違っていても日本語を愛する気持ちにはいささかの変わり(変化)も感じ得ないのであるからそれはそれでいいようにも想うようである。今上記の2文に存在した「不思議」と言う言葉と「変わり(変化)がない」と言う言葉を脳裏に同時に想い描いていたら世の中には(人間には)摩訶不思議に想える(説明自体困難を極める)様々なことが存在すると言うこととずっと不変で変化がなく静かに寄り添うかのように見守り安心感を与え続ける応援者の如くの様々な在り様の存在も同時に脳細胞の中に空想世界の一環として心嬉しく浮かんで来たようであった。4文字熟語の中に曖昧模糊(あいまいもこ・はっきりしない様子)と言う言葉があったのを更に思い出して懐かしさを覚えたのだったが上記の4文字熟語は悪いことばかりを意味していないように想われた。曖昧模糊であっても快や歓喜楽や嬉しい気持ちを心の中に感じるのであればグレーカラーの中にある種の美しさを見出せた時の歓びの気持ちにも似た感が漂い出て神秘の気持ちや不思議の存在をそっと静かに味わうかのような感覚が脳内に心地良さとなって感じられるように想う。昨日の朝はテレビニュースの中で特集が組まれオバマ米大統領の就任演説の様子がキング牧師の名演説「I have a dream.」(私には夢があると言う言葉に象徴された感動的な演説)の言葉と共に映し出されていたようであった。前回の文章で「皆違って、みんないい。」と言う1文を綴らせて頂いたばかりであったのでオバマ大統領の就任演説の中で数多く使われていた「自由」(freedom・フリーダム)と言う鍵になるワードが特別印象に残ったようだった。自由でありメンタル面で自立(independence・インディペンディンス)であることの素晴らしさを改めて脳裏に心嬉しく想い描いたようであった。そうしていたらワードとして今し方脳細胞の中に好きな単語であるaccept(アクセプトゥ・認める)と言う言葉やappreciate(アプリシエイトゥ・高く評価する)と言う言葉も浮かんで来たように想う。相手サイドの自由を真摯に「認める」と言うことの大切さを脳裏に心嬉しく想うようである。どんな人間関係にあっても相手の側に対し過剰な期待を掛けることのないように相手サイドの自由と言うものを常に尊重することが大事で互いが互いの自由をいつも尊重し合って相手に大きな期待を掛け過ぎないでいることが大切であるように想うようだった。ヒトと言うものは時に自分に甘くヒトに対してからくなりやすいものだと言うことを常に常時頭に置きそうしたことを踏まえた上で格別な配慮を持ってヒトに接していたいものだと想うらしい。そうするのであれば相互が互いに気持ち良く爽やかに心地良く心温かに過ごせるように空想するらしかった。ただし気が付いているようで本当に気が付いていないと言った場合も考えられるように想う。そうした場合には何かしらに気が付いた時点でものごとを改めてやり直したりヒトに対して謝ったり感謝したりすればいいように感じるようである。何ごとについても当てはまるように想うがものごとをスタートさせるのに遅すぎると言うことはなく気が付くのが遅いから全くダメであると言うようなことは何ひとつないように空想するようだ。きっとそれはダメだと想うそうした弱きの気持ちこそがダメなのだろうと想うからもしれない。気が付くと言うことの大切さ(気が付かなかったことに対しても明るい気持ちでダメなのだとは想わないと言うことの大切さ)を心の中に改めて嬉しく想った素敵な日であった。≪へ~そうなんだ~!≫小学生の弟クンの脳細胞は時として非常に面白くユニークな発想を示すようだ。彼女「女のお子さんは真面目で言われたことを実践し一生懸命に勉強する子が多いから君達の将来はもっと女性が管理職に登用されるようになって女性の下(もと)でお仕事をする機会が増えるのかもわからないわ。」そんなの平気だよと言う風な少年曰くである。弟クン「あのね。お母さん。女王蜂のことを考えてみて。自然界だって女王蜂に従うオスの蜂がいるわけでしょ。」なるほどと想わざるをえない彼女であった。(^^)こんなこともあった。ドラえもんの本から顔を上げた小学生は顔を紅潮させたままこんな言葉を呟いていた。弟クン「お母さん。未来の野球はね。もっともっと科学が発達するからビックリするようなルールが出来るかもしれないよ。」彼女「へ~。どんなルールになるのかな?」よくぞ聴いてくれましたと言った弟クン「そうだね。ホームラン性の当たりでも竹コプターみたいな器械を飛ばしてアウトにしちゃってもOKみたいなルールだとかだよ。」彼女「ヒェ~!そんなのアリ~って言うような驚きのルールね。」(^^)夢の世界を大人も子供も終生忘れないでありたいものだと想うようである。(^^)(大きな書店は、大好きなプレース、お気に入りスポットであるように想います。(^^)書物を読むと言う行為自体、好きなのですが、それだけに留まらず、どうも、ただ単純に、書くと言う行為が、大好きであるように、実感しています。(^^)昨日、目に致して参りました書物の中に「ブログを書くことは、健康にとっても、とても良いもので、脳細胞を活性化する効果がある。」と言うように綴られた(謳われた)文章がありました。左記を見つけ、大変心嬉しく想いながら、拝読させて頂いて参りました。カラダを動かすことは、とても大切なことだと感じておりますが、時間を区切って、ひと時「つれづれなるままに」書くと言う行為を、心から楽しんでみるのも、一興であるように想います。書くと言う行為が、様々に脳内を活性化し、メンタルヘルスに、好影響を及ぼすように想いました。(^^)また、昨夜は、夕餉の折り、動物の気持ちを考えるテレビ番組を拝見し、脳の病気でカラダが動かなくなったワンちゃんの様子を観て、感涙致しておりました。子育ての折りにも、このワンちゃんの飼育同様「褒めてあげること、抱きしめて(抱いて)あげること」の双方の大切さを、改めて心の中に、嬉しく感じることが出来たように想います。) (昨日の歩数記録。9987歩。)
2009.01.25
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よく小学生の弟クンが火曜日の夕餉の時刻に教育テレビジョンで放映されている渡辺徹がナレーションを務めるイギリスBBC放送製作の「地球ドラマチック」と言うテレビ番組を観ているものだからどうしてその番組を観てみたいのか彼に尋ねたくなった。彼女「地球ドラマチックと言う番組のどこが好きなのかな?」すると彼は弟クン「今特にシリーズとしてCGを使った恐竜のことをやっているからだよ。CGの恐竜映像がとっても迫力があってリアルに感じるものだから本当に現代に今も恐竜が生きているみたいに感じられるからだと想う。」と率直に教えてくれた。そこで尚も彼女「恐竜が出て来る映像自体そうした特撮のシーンが特別な感じで上手に仕上がっていることはわかるし迫力を感じさせたりリアル性に富んでいることは理解出来るの。でもね。何故君がそうした恐竜のテレビ映像を観てみたいと想ったのかを聴いてみたかったの?」尚もそう重ねて小さな紳士に対し問うていたように想う。すると彼は静かに笑いただひと言だけ彼女の質問に答える素振りを見せた。弟クン「だってさ。恐竜ってとってもかっこいいじゃない!」(^^)実を言うとその場で内心うんそ~か~そう~なのか~と納得し唸(うな)ってしまっていたのだった。せんだってもTVで男性脳と女性脳の感じ方の違いを(ものごとのとらえ方の相違を)脳みその一体どの部分が強く反応を示すかと言ったことで判明し科学的分析に基づいた解明を行ない示していたようだったが…がそうした男女差の違いはあっても人間として終生かっこいいものを追い掛けていたいと想うある種のハンティング精神の存在は人間にとって年齢にも性差にもあまり関係なく健在なように想えたらしい。こんな幼い小学生の折りからかっこいいものに対し憧れの気持ちを抱(いだ)くのであるから(脳裏に想い描くのであるから)大人のわたくし達のほうももう年だからとか良いお爺ちゃん(お婆ちゃん)でありさいすれば多少かっこ悪くてもダサくてもどうでもいいやなどとは言っていられないように想像してしまったようである。そう言えばそうした想いに更に追い討ちを掛けるようなラジオ番組の内容を昨日はたまたま偶然耳にしていたように想い出した。昨日も週最後のジャズダンスエクササイズで飛び跳ね全身に大汗をかきながら情熱的に踊り「♪ダンシング・クィーン」と言うナンバーのオリジナル振り付けに一生懸命取り組ませて頂いていた。壇上のインストラクターの姿を燃えるような瞳で見上げながらインストラクターとただ2人きりで踊っているかのように熱い視線を投げ掛け真正面に立ったインストラクターからも熱く見つめ返されているように想像しながら大量の汗をかいて情熱的に踊っていたようだった。汗まみれになったダンスドレスを新しい洋服に着替えお化粧を直した後愛車のハンドルを握り何気なく手元のスイッチを入れラジオのFM放送に照準を合わせた時のことであった。そうしたらである。その折り偶然にそのラジオ番組のゲストがたまたま作家の瀬名秀明だった。瀬名の名前を聞いた瞬間不思議な脳細胞は真っ先に家康の正室であったお姫様の名前を思い出し(瀬名姫であったように想う)同時に瀬名と言う地名を脳細胞内に想い起こしたらしかった。そうして次の瞬間には瀬名秀明が確か薬学が専門であったことを思い出し彼がそうした専門分野を生かした小説(SFホラー小説「パラサイト・イヴ」だったと想う)を書いていたことを記憶の中に呼び起こしていた。そこで何やら不思議な趣きを感じた脳細胞はFM放送の中の瀬名の話に急速に没頭し始めた。何かしらの面白そうな予感を覚えた脳みそは耳を研ぎ澄まして瀬名の話に短時間耳を傾けることになったようだった。作家である瀬名は母校の後輩だった。がラジオ内ではあまり当地のことを話題にするようなことをせずに彼の出身大学である東北大学のことを語っていたようであった。そう言えば以前お隣りの家のお兄ちゃんが母校卒業後そちらの医学部に進学していたようだったなあと脳細胞が同時に思い出し始めていた。とっても優秀なお兄ちゃんでショパンのピアノ曲をいとも簡単に上手に弾きこなしていた。彼の母上が「あの子からピアノをとったら何にも残らないから下宿にピアノを入れて与えているの。」と話していたことまで思い出し仙台は青葉区片平一帯に想いを馳せていた…らである。瀬名がラジオ放送の中で前年平成19年に東北大学がめでたく100周年を迎えた話題を話し始めたようであった。100周年を祝う記念のお祭りが開催された(ステージイべントでは稲垣潤一やさとう宗幸らが呼ばれコンサートを開催したとのことだった。)ように伺っていた。そのラジオ番組の中でデスクジョッキーを務めるアナウンサーらしき男性が瀬名さんはもし頂けるならどんな賞が欲しいですか?と瀬名に尋ね問うていたのが印象に残った。と言うのも瀬名の答えがとても面白く趣き深かったからだと想う。瀬名秀明「そうですね。目線がずれてはしまいますが僕にはサルサダンスを踊る妹がいるんです。僕自身ダンスミュージックは聴いてもダンスが踊れませんからね。それで想ったのですが科学の分野や小説の分野文芸においては一応満足な想いがあるけれど今後老後に向けてダンスを楽しめたら凄く素敵だろうなあと想ったんです。ダンスが出来るとかっこいいだろうなあと想うんですよ。ですから「ダンスが出来るでしょう」(ダンスが出来るで賞)と言う賞状を頂いてみたいと想いますね。」そんなような瀬名の返答であったからだった。将来の彼の願望がかっこよくダンスしたいと言う想いであったことを脳細胞が印象的に感じたらしかった。大学の先生であり作家でもある彼が最終的には人生の終わりにあってかっこよくダンスを踊りたいと考えているらしい。今かっこよくと言う言葉を書き綴った瞬間昨日の朝テレビの中に古畑任三郎が当たり役になった俳優の田村正和が出演していたのを脳細胞が想い出した。田村自体がかっこいいと言うのではなく田村のトークの聞き役に回っていたジャーナリストの鳥越俊太郎が語った言葉の中に鳥越「65歳の田村さんにはお孫さんがいらっしゃるのですがそう言ったイメージがほとんどと言っていいほど漂って来ないしともかく凄く体型がスマートですよね。カラダのラインがとっても細い。身長が174cmもあるのに体重が56キロ弱ぐらいしかないらしいですよ。僕が朝食にミルクティーとヨーグルトを食べると言ったら彼は僕は毎朝紀州の梅干に上等な玉露ですって言ってました。」と語るほど(田村の)見た目がスマートに映り年齢を重ねても細身であることが賞賛に値したようであった。美しく綺麗にかっこよくあることが年齢を重ねても大切であるように想うらしい。美しく綺麗でかっこよくある為にはある程度の細身を上手にキープすると言うことと中高年になってもカラダのラインを美しく保ち太らないでいることが必要不可欠であるように感じたようだ。食べたいと言う願望は(そう脳細胞が感じるのは)目が食べたいと欲するだけで実際は案外胃袋が欲しているとは限らない場合が多いらしい。少食を心掛け腹8分目に医者要らずを実行する重要性を中高年には感じるように想う。食べ過ぎ飲み過ぎ飽食などが健康によろしくないことは言うまでもないことのようである。食べたら動くを改めて実行(実践)しようと想った素敵な日であった。(1日1回、全身に大汗をかくことは、気持ちがいいものでございます。左記を、情熱的に踊る、ジャズダンスエクササイズで、実感しています。昨日は、小学生の弟クンが、クラスメートの男の子達を、放課後、自宅に連れて参りました。「美味しいです。ありがとうございます。」彼らがそう言って、褒めてくれたおやつメニューは、温かなスパゲッティーと、小豆の入ったアツアツのお汁粉でした。(お友達を、車でお迎えにいらしたお母様からは、美味しいお菓子を頂いてしまいました。)ギャングエイジの子供達を、親の目の届く範囲で、大いに遊ばせることの大切さを想いました。一緒に、手作りのメニューを食べさせ、仲良く遊ばせることは、少年達の心の結束にも、大いに良い影響を齎すように感じています。親も子も、人生の宝物である、お友達の存在を、今後共、大切にさせて頂きたく想うようでございます。) (昨日の歩数記録。7887歩。)
2009.01.24
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前々回の文章では趣味の時間を持つことつまりは好きな世界をお心のうちに持たれることに関してのお勧め的内容のお話をさせて頂いていた。過ぎ去ってしまう人生の貴重な時間と言うものをお仕事だけに没頭し終わってしまうことのないようお金至上主義能率主義はこの際横において置きたとえ短く少ない時間であってもご自分のお好きな趣味の時間に当て貴重な人生を有意義に楽しくストレスを上手に発散解消しながら過ごしてみてはいかがだろうかと言う提案であったように想う。「大丈夫。俺楽しみながら仕事しているから。」そうおっしゃる殊勝な心掛けの方がたにあっても賃金を頂いている以上仕事への責任は付き物で必ずお心のどこかにその責任がストレスの因子となって巣くっているように空想する。更に申し上げれば人間生きている以上誰しもが現代社会の片隅で幾多のストレスにさらされながら生きていると言っても過言ではないように想う。よってそうしたご自分のストレスをその日のうちに上手に昇華し解消することが望ましいように想像するようであった。お好きな趣味などの時間を1日のうち短時間でも持つことは脳内に心地良いアルファ波が形作られご自分でも気付かないうちに不快であった気持ちが快の方向へと一転(一変)し爽やかな解放感を脳裏に想い描くことが出来るらしい。お好きな趣味の時間を持つことは脳内の健康(メンタルへルス)にとって実に結構で有効な時間であると言えるように想う。前々回のほうはそう言った内容であったが前回のほうの文章では永続的な人間関係の構築と題してヒトとヒトのあるべきコミュニケーションを説きヒトはヒトと快く明るく交わる中で互いが互いに人間性の向上を目指すような人間関係を構築することが肝要ではなかろうかと問うて来たように想う。要するに前々回の文章で綴っていた「趣味の勧め」がお1人様時間の堪能であるならば前回の文章で綴らせて頂いていた「ヒトとのコミニュケーションの勧め」のほうは仲間意識信頼と敬意を伴なった友情を始めとする人間関係の構築の重要性の話(内容)であった。幾ら趣味が高じてもオタクに代表される閉じこもりであっては健康的とは感じられずカラダ(健康)に関して観てみてもクレスチョンに感じられるらしかった。オタクのすべてがいけないなどと一様に申し上げることは出来ないがどこかでお心のうちに一線を引きオタクの世界だけに没頭しないほうがヘルスケアにはモアベターでよろしいように想像するようである。やはりヒトと上手に交わり人間関係を上手に構築してゆくほうが健康的であるしモアベターでもあり上手に構築してありたいものだと想うらしい。そう言った意味で前回の話も前々回の話もそのどちらも(両方)がバランスがとれてあることが望ましいように感じるらしかった。上記の2点(好きな世界(時間)を持つことと人との素敵なコミュニケーションを永続的に構築すること)を実践するならば自暴自棄(やぶれかぶれ・やけくそになること)に陥(おちい)るなどと言うことにはまずならないように心嬉しく想像するようだ。人間と言うものは苦しむ為にこの世に生まれて来たのではないように想う。ヒトはヒトと歓びを共有し合い自分でも楽しむ為…嬉しさや楽しみ感謝の気持ちを伝える為にこの世に生を受けたのだと想いたい。ヒトはみんな違って皆いいのである。付和雷同(自分の考えを持たず人の意見に従うだけのこと)であっては困りものだ。そうした付和雷同にならない為に…鉄は熱いうちに打て(Strike while the iron is hot.精神が柔軟で吸収する力のある若いうちに鍛えるべきであると言うたとえ)とはよく言ったものだと想う。いやはや昔人は素晴らしかった。古典や人類の歴史を勉強する面白味もそんなところに存在するように想われた。若々しい脳細胞である為にも人生はすべて勉強であると言う姿勢を忘れず最後までそうした姿勢を貫(つらぬ)くべきだと感じるらしい。自分自らも(進んで)学び周囲の方がたからも謙虚に学びたい。そう改めて感じるようである。(今日は、1月23日。1・2・3(ワン・ツー・スリー)と、語呂(言葉の調子のこと)がいいですね。とても快く、とても爽やかに、その数字の音が、心の中に、響き、届くように感じます。ジャズダンスエクササイズの折り、チャチャチャのリズムをとるインストラクターの口癖が、この「ワン・ツー・スリー・ワン・ツー・スリー」と言う言葉であったように想い出しました。昨日も一昨日も、そうしたフィトネスで飛び跳ね、カラダに大汗をかいて、踊って参りました。軽運動の時間には、ダンベルなど様々な体育器具を使い、カラダの筋肉を引き締め、エクササイズを致しますが、一昨日は、紐(ひも)を使用した運動をしておりました。紐(タオルでも良い)を、ピンと張り詰めた状態で、両手を頭上から後ろへ、グ~ッと、そるような動作をして頂きますと、美しい姿勢を意識出来、綺麗なボディーラインに効果的な運動になるように実感致します。短時間でも出来ますので、勤務先で、ご家庭で、お気軽に、取り組まれてみられたら、いかがでしょうか。普段から、ジャズダンスエクササイズだけでなく、ウォーキングエクササイズのほうにも、取り組ませて頂いておりますが、歩く折り、女性のかたは、手荷物を持たず、リュックにし、軽く、背中に背負うようにされますと、手元が自由になり、両腕が、振りやすく、歩きやすくなるように想いました。昨日は、もっと歩いて欲しいと想っております実家の母の元へ、軽量の「ウォーキング用小型リュック」を届けて参りました。気に入ってもらえたようで、心嬉しく想っております。) (昨日の歩数記録。8654歩。)
2009.01.23
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日本の大学で学ぶ学生の多くが自分の意見を表現することが苦手で参考文献を頼りに誰かしらの文献を模倣する形で文章作成に着手していると言った実態を以前耳にさせて頂いていたことがあった。日本の多くの学校が幼少の砌(みぎり)より机にお行儀よく座り先生のおっしゃる話をただ黙って静かに聞くと言う受身の姿勢を重視していた為そう言った受身の姿勢に終始完結され過ぎていてそうした授業形態に対し疑問の気持ちを抱(いだ)くことなく受身の授業形態のまま育って来たからではなかろうかと分析させて頂いていた。小学校の時から積極的に自分の意見を多くの友達の前で発言させ共に互いの意見を聴き合い語らうと言ったことが根本的に身に付いていないからではなかろうかと想像するようであった。ただおとなしく静かに座って授業を聴いているだけでは本当の意味合いにおいての学問と言うものは身に付いて行かないのではないかと空想するらしい。人の真似ではオリジナリティー(originarality・独創性)やインディビジュアリティー(individuality・個性)と言うものは育たないように想ってしまった。何が人間に大切かと言って上記の2点の存在は人間の本質を構成するとても大切な項目であるように想うようである。人真似を続ける限り上記の2点の重要項目は心のうちに育成出来ないように空想してしまったようであった。教育と言うものは長い目で観なければなかなかわからないものである。確かに高学歴と言うものの存在はその子にとって誇りと自信の気持ちを心のうちに形づくってくれるものかもわからない。だからと言って高学歴であることを他人(周囲)に誇示したり自慢したりする子に育ってしまっては軽蔑の情を相手側に与えるだけで大切な敬意の念になって相手サイドの心うちには届かないように想像する。今敬意の念と言う言葉を書き綴ったら絆(bond)や愛情(love)友情(freindship)と言う大切な言葉を瞬時に思い描いたようであった。上記の3つの項目には必ず上記の敬意(尊敬の念・敬愛・respect)と言った気持ちがその根底(心底)に存在しているように想うようである。なんて優秀なのと言った感嘆・賞賛の気持ち…人間性に優れていると言う賛美の気持ち…凄いと言った感動・感激の気持ちも大いに関わっているように空想するようであった。そうした重要な気持ちが根本にある知人・友人が周囲に存在していて更にその双方が互いを互いに心から大切にしたいと想い合う気持ちが存在する人間関係と言うものは見えない友情の絆で固く結ばれているせいで大変貴重なとても尊い人間関係であるように心嬉しく空想するようだった。自分が1番偉くて立派であるようなことを(無意識のうちにも)心の奥底で考えている人物にはこうした本当の意味合いでの敬意の念と言う尊い感情は感じ取ることが難しいように想像してしまう。そうした大切な想いと言うものは交し合う会話や言葉、文字の中に必ず隠されて存在し潜(ひそ)み表われ出るものであるように心嬉しく確信するようだ。互いの個性の存在を認め尊重し合い相手サイドの独自性に対し敬意の念を持ち合える者だけが素晴らしい人間関係を永続的に構築出来るように心嬉しく空想するようである。学校教育においても家庭教育においても当てはまることだと想うのだがやり抜く意欲と思いやりの心生きる力の育成は教育活動の最大の項目であるように想う。どんな人間関係も直情的にならず好きは言っても嫌いと言う言葉を言わないであるべきでその根底には与えたい分かち合いたいと言う尊い気持ちが存在し人間関係を交し合う中で互いの人格が向上し合うような関係が素晴らしい人間関係であるように空想するらしかった。夫婦関係しかり親子関係しかり友人関係しかりであるように想う。(^^)そうした温かい人間関係をこれからも周囲の友人と構築してゆきたいと想った素敵な日であった。(昨日、帰宅した小学生の弟クンは「今日ね。ちょっと友達とトラブルがあって、酷いことを言われて僕少し泣いちゃったの。」と素直に話してくれました。よく彼の話を聴きますと、彼だけが泣いてしまったのではなく、もう1人のお友達も泣かされていたようでございました。泣かした子も、先生のご指導のもと、多くのクラスメートからの発言で、反省し、泣いてしまったように聴きました。学校生活、集団生活ならではの、ある意味、素晴らしい体験が出来、そうした体験が出来たことへの感謝の気持ちで、昨夜は、感動の面持ちでおりました。担任の先生は、昨年12月の参観会と懇談会の折り、保護者の皆様がたに対し、性教育の分野で、命の大切さを扱った授業を組みたいので、ついては、お母様がたに、協力をお願いしたい旨、語られ、お子さんへの手紙を書いて封をし、僕に提出して下さいと、全員の保護者宛てに、宿題を出しておられました。まだ、その授業は、行なわれてはおりませんが、保護者の手紙のほうは、もうほとんどのお母様がたが、頼まれた宿題を、学級担任の先生の元へと、提出なさったように伺いました。先生の注文は「お子さんが手紙を読んだ時、感涙するような内容にして頂ければ有難い。」と言うものでした。(^^)昨夜のテレビニュースでは、そう言った命の大切さとは、相反するような報道が、世を賑わわせておりました。「お金を愛すること」に執着した人間の愚かさを、昨夜のニュースでは、報道していたように想います。貴重な人生でございます。そのテレビニュースを拝見しながら、お金より、気持ち(或いは、時間)の存在のほうを、これからも大事にしたいと、改めて感じました。昨日は、誘って頂いた、仲良しの、同窓生のお宅のキッチンに立たせて頂き、食事前に、一緒に祈りを捧げ、楽しくランチをして参りました。ジャズダンスで飛び跳ね、いっぱい汗をかいた後でしたので、いつもより、多めの食事量であっても、友人と楽しく語らいながら、明るく朗らかに頂くことが出来たように想います。有意義な時間を、互いに楽しく共有出来ましたことは、有難いことであると感謝しています。大切な方がたが、長生きなさって下さることこそ、真の幸せなのだと感じております。) (昨日の歩数記録。7858歩。)
2009.01.22
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年をとることは案外素敵なことであるように想うようである。小学生の弟クンが弟クン「♪ポーニョ ポニョ ポニョ 不老不死~♪」(^^;)と言う彼オリジナルの替え歌を作り明るく歌っていたのをたった今脳細胞が想い出したようであった。「不老不死」はいつの世にあってもその時代に生きた人々の願望であったようだ。生命体には必ず終わりがやって来るものとは言え「♪キャンドルの灯が~そう~消える~時まで~」命の灯(ともしび)を最後まで赤く燃やし続けて生き生きとして生きていたいものだと想うようである。医学も薬学も文学も芸術も科学も皆すべて「不老不死」と言うワードを基にして進化進歩を遂げて来たと聞く。その不老不死にはいまだ遠く届かないけれど不老不死と言うミステリアスな言葉に似た言葉で「永遠」とか「永久」とか言ったロマンティックなワードの存在を心に想う。永遠とか永久と言った言葉の存在はわたくし達の心の中にほんわかとした安らぎの気持ちやときめきにも似た素敵な気持ちを育み育ててくれるように感じるようである。現実をしっかり把握し見つめることは正しいことであろう。だがなんどきも正しいことばかりが良いことばかりでもないような気がするらしい。現実だけをただ単に把握することばかりに夢中になり躍起になって年を重ねるうちにハッと気付いたら(浦島太郎のような)お爺さんになっているとも限らないのである。毎日の生活の中にうずもれただただ普段の生活におわれてしまうのではなくフルタイムで働いていらっしゃるお忙しい方がたにあっても1日のうちのどこかでひと息つきご自分を上手に解放されホッと出来る「和み」の時間を持ち更にはストレスを解消して楽しむ「ゆとり」の時間を持ちたいものだと想うようだ。身内のことであるので大層気が引けるのだが…今にして想い起こせば…実家の父がクラシック音楽にのめり込みよく夕食後に自分の好きなレコードを掛けて目をつむり聴き入っていたのも納得出来るように想われた。そうした時間が彼なりの上手なストレス解消法であり完全リラックスの為に欠かせない方法であったように想う。1日のどこかでご自分を上手に解放出来る素敵な趣味の時間を持つことは喜ばしいことであるように想うようだ。(健康面から考えてみても喫煙の習慣は言うに及ばず…飲酒の習慣にあっても適量を守り少なめ少なめにを心掛け休肝日を必ず取り入れるなどご自分の健康をご自分の手で守られる工夫をすることが若々しさや美しさの為に大切であるように感じるようだった。)(^^)今し方大好きなジャズダンスのことを脳裏に想い描いたら…踊りにもロマンスやストーリー性が大切でロマンスが踊りの上に漂い出て来なかったら本当にかっこよくは感じないだろうと空想したようである。(^^)「美しく」更に「かっこよく」踊るにはどうしたらよいか。その1つのキーワードはお色気の有無なのではないかと想像したようだ。(^^)そう言えば大昔実家の母が若かりし頃浴衣(ゆかた)姿で仲間の奥様がたと共に踊りの発表会に出た折りのこと。(母は既に娘に対して掛けた言葉を忘れてしまっただろうが…)踊り仲間の奥様から踊りの仕草を誉められた母は愛娘に対し母「あなたの踊りにはお色気があるって言われたわ。」と明るく朗らかに話してくれていていたのを今し方脳細胞が心嬉しく懐かしく想い出したようであった。(日本人の悪い癖だと想うのだがお色気と言った言葉を使用したり耳にしたりすると何人かの方がたは幾分下品な方向性でその言葉をとらえる傾向があるのではないかと心配になるらしい。)お色気と言うものがたとえセクシーな存在であったとしても…同じ女性として生まれて来てセクシーでないよりセクシーであった方が魅力的なのではなかろうかと心嬉しく想像するらしい。そう言った意味においてエレガントなセクシーさつまり清潔なお色気の存在と言うものはいつの時代にあっても望ましく感じられるものであるように空想するようであった。(^^)よって…ジャズダンスを踊る折り「美しく」かつ「かっこよく」感じられるためには「お色気」のある・なしがかなりのウエートで関わって来るように感じるらしかった。その「お色気」には美しい姿勢と曲線を感じさせるくびれた綺麗なボディーラインの存在…口角を上げ優しさを伴なったにこやかな笑顔…控え目であっても敬語が使える風情と教養のどれもが大切でどれもこれもが必要不可欠であるように感じるようである。何故そんなふうに感じ取るのであろう。とても不思議な脳細胞であるようだ。(^^)今し方「♪オンナは~ いつ~も~ ミステリー~♪」そう言う明るいフレーズがかっこいい紳士の歌声に乗って爽やかに耳に届いたように心嬉しく空想したようであった。(^^)≪あるお馬鹿な母子の会話≫彼女がバスルームを薔薇の香りで満たし優雅に入浴していると…浴室のドアが元気良く開いたかと想ったら…28キロボディーらしき可愛い小学生「しっつれい。私はムスカ大佐だ。」と言って侵入する輩(やから)がやって来た。(^^;)バスルームのムードは激変一転である。(^^)彼女「ムスカ大佐殿。今日は学校でどうでしたか?」弟クン「今日は学校でね。音楽の時間に矢島美容室(男性ユニット3人組)の歌を皆で歌ったんだよ。」彼女「へえ~。あの♪だけどみ~か~た~(味方)って言うあの曲でしょ?」弟クン「うん。そうだよ。」彼女「あのパオ パオ パオ パオって象さんみたいに歌う気色悪いけど面白い3人組の歌だよね?」弟「そうだよ。俺矢島美容室を矢島核施設って言ったんだ。」(^^;)大受けする彼女「あ~はははははは。」しかしながらである。馬鹿受けした後そっと弟クンの首を明るい表情で絞める仕草をしてしまった(^^;)彼女でもあったようだ。(^^)(心の中に、明朗な希望を描くと言うことが、気持ちを上気させ、ひいては、健康に繋がって行くように想います。何かを読んだ時、言葉を聞いた時、良いほうへ良いほうへと、モノゴトを明るくとらえ、考えてゆくことが、幸せに繋がってゆくように感じます。いつも明るい笑顔を携えてありたい。そう想うようでございます。カラダを、柔らかく、しなやかに、情熱的に動かすことが、明るい脳細胞を、作り出す鍵になって行くように、嬉しく想像します。これから、そうした動きが沢山入っているジャズダンスエクササイズで飛び跳ね、情熱的に踊って参ります。「しなやかに踊る。」…?!「♪しな~やかに 歌って~ あの~歌を~♪」(^^)) (昨日の歩数記録。8955歩。)
2009.01.21
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1月20日の声を聞くと真っ先に「大寒」と言う言葉を思い出す。これから15日間ほどが1年で1番寒い時期であると言われているらしい。24節気では「小寒」と「立春」の間を指すとされているようだ。日本海側では雪が降り積もり太平洋側では(空気が)乾燥した冷たい風の吹きすさぶ晴天の日が続く場合が多い。空気が乾燥し気温が低くなって来ると風邪の菌がパワーを全開しインフルエンザ菌を始めとする悪性の病原菌が猛威を奮う冬風邪の全盛期がやって来る。よってこうした時期は空気が乾燥しないように部屋の換気と湿度(対策)に気を配り帰宅したら真っ先に充分な手洗いとうがいを習慣付けカラダの中へ病原菌を入れないような工夫を施すのが望ましいように想う。また寒いからと言ってカラダを全く動かさないでいると体力の低下に繋がって行き血流が悪くなってしまうせいでカラダの循環機能が衰えてしまいがちになる。こうした厳寒の時期には乾燥を防ぎ便秘などにならない為にも充分な水分補給に注意した上で1つ所へ静かにしていないで(1箇所に座っていないで)立ったり座ったり歩いたりを心掛け満遍なくカラダを動かすようにした方が健康的であるように想うらしい。昨日も仲良しのハナミズキさん以下約100名の受講生の皆様がたと一緒に90分間のフィトネスで飛び跳ね汗まみれになったダンスドレスを新しい衣服に着替えてから会場をあとにさせて頂いていた。水分補給の折りにもその場足踏みを行ない心拍数を落とさないように気をつけながら45分間ぶっ通しの激しいエアロビクスで有酸素運動に取り組ませて頂いていたように想う。無酸素運動であるところの筋肉トレーニング(腹筋背筋スクワットヒップリフトバストアップのエクササイズと(昨日は)股関節周囲の筋肉を鍛えコア(体幹)部分に働き掛ける運動)に(インストラクターの指示で)全員が真摯に取り組んでいたようだった。水分補給には毎回人肌に温めた体脂肪燃焼に効くサプリメントを溶解したものをチビリチビリと500mlから850mlほど頂いている。(夏場にあっては1リットルほど愛飲していたようであった。)毎朝小学生を外した人数分(3人分・金曜日は4人分)のお弁当を作っているのだが自家製弁当にしておくとそれ以上余分なものを口にする心配がなく栄養のバランスに気を配り低カロリーに抑えることが出来るので時間短縮にも繋がり経済的でとてもヘルシーであるように感じられた。昨夜の夕食にはカラダが温まる冬メニューの定番アツアツのクリームシチューを3種作っていたのだったが…どうしてまた3種のシチューを作ることになったのかと申し上げるとである。息子達は定番の定番のようなシチューが大好きで彼女のほうはお肉とじゃが芋を使わないヘルシーなシチューメニューのほうに興味を覚えるからであるらしかった。(^^;)定番中の定番のほうのクリームシチューの具材は…沢山の鶏肉(腿肉)じゃが芋人参玉葱ブロッコリーなどで作り…そうでないほうのクリームシチューは1種類目のお鍋のほうが海鮮シチュー。具材はエビ貝柱牡蠣玉葱(ほんの少しの人参とブロッコリー)と言う組み合わせで…2種類目のお鍋のほうがきのこシチューでマイタケ椎茸エノキエリンギ玉葱(ほんのちょっとの人参とブロッコリー)と言うような具材の組み合わせであった。寒い風が吹きすさぶ時外から帰宅した身にとっては(バス通学と自転車通勤であるがゆえか)温かいアツアツのクリームシチューの存在がポリフェノールたっぷりの赤ワインとカマンベールチーズ(海苔を挟んでパセリで装飾)などのお酒のつまみと相まって冷え切ったカラダをカラダの中心から温めてくれる食べ物であるように感じられるらしかった。このような水分の多いメニューの存在は水分の補給には欠かせないようで普通の(一般的な)味噌汁を始めとし七味唐辛子を使った野菜スープコンソメに溶き卵を落としてコーンスターチでトロトロにした中華スープなどと共に温かい汁物を毎回どの食事においてもテーブルの上に欠かさないようにしているらしかった。そう言えば島根県の大きなしじみがスーパーで売られていた折りには朝ドラ「だんだん」を思い出してしまいすぐさましじみ汁を作っていたようである。新陳代謝を上手に上げてゆく為にも温かな飲み物をこの時期には特にお勧めしたく想うようだ。昨日はフィトネスの最後のモップ掃除の時会場いっぱいにインストラクターが流行りのヒット曲を流して下さった。中学生になったお兄ちゃんが下記のナンバーを大層気に入りリビングでも何回か彼が流していたので下記のメロディーを脳細胞が暗譜してしまったらしい。GreeeeNのヒット曲「♪キセキ」と言うナンバーをご存知のかたがいらっしゃったらどうぞご一緒に下さいネ。(^^)「♪明日~ 今日よりも 好きに なれる~あふれる 想~いが 止まらない~今も~ こんなに 好きでいるのに~言葉に 出来~な~い~君の くれ~た~ 日~々が 積み重なり~過ぎ去~った 日~々 2人 歩い~た 軌せ~き~僕らの 出逢~いが もし偶然ならば~?運命ならば~?君に 巡り合え~た それ~って 奇跡~2人 寄り添って 歩~いて~永久の 愛を 形に~ し~ていつまでも 君の よ~こで~笑~って いた~くて~ありがとうや Ah~ 愛してる~じゃ~まだ 足りない~けど~せめて 言わ~せて 幸せで~すと~いつも~ 君の 右の 手の平を~ただ 僕の ひだ~りの~ 手の平が~そ~っと 包んでくそ~れだけで~ ただ 愛を 感じて~いた~日々の 中~で~ 小さな 幸せ~見つけ 重ね ゆ~っくり 歩いた 軌せ~き~僕らの 出逢~いは 大きな 世か~いで~小さな 出来~事~巡り合えた~ それ~って 奇跡~うまく 行かない 日だ~って~2人で いれば 晴れだ~って~強がりや~ 淋しさ~も~忘れられるか~ら~僕は 僕で~な~ら~僕で 居れ~るからだから いつ~も そば~に いてよ~ 愛しい 君へ~2人~ ふざけ合~った~ 帰り道~それも 大せ~つな~ 僕らの 日~々想い~よ 届け!と 伝え~た 時に~初めて 見せ~た 表情の 君~少し 間が~ 空~いて君が うなず~いて僕らの ここ~ろ~ 満たされてく 愛~で~僕ら まだ~ た~び~の~ 途中で~また これから~ 先も何十年 続いていけるような 未来へ例えば ほら明日~を~ 失いそうに 僕~ら~ なったと して~も~2人 寄り添~って 歩~いて~永久の 愛を 形に~ して~いつまでも 君の よ~こで~笑~って いたく~て~ありがとうや Ah~ 愛してる~じゃ~まだ 足りないけど~せめて 言わせて~ 幸せ~ですと~うまく 行かない 日だ~って~2人 いれば 晴れだ~って~歓びや 哀しみ~も~すべて 分~け合~える~君が いるか~ら~生きて いけるか~ら~だから いつ~も そばに いて~よ 愛しい~ 君へ~最後の 1秒まで~♪」「奇跡」(普通では起きそうにない不思議な出来事)を信じる気持ちはとてもロマンティックで素敵であるように想う。今指先が「ロマンティックで素敵」と言う言葉を書き綴ったら何故だろう脳細胞のシナプスが開いて2つ年上の女性から頂いたKAT-TUNのCDの中にある5曲目のナンバーの中途のフレーズを想い出したようだった。「♪U~nder the street lights 離~れても~た~った ひとつの~ 記憶さ~名~前 呼~ぶ~ その~ 声が~そ~っと~ ず~っと~ そ~ば~に~ い~た~U~nder the street lights この~光~た~った ひとつの~ 「絆」さ~ …♪」「絆」と言う言葉も大好きであるように想う。目には見えないものであるから余計に「神秘的」(mysterious)であるように感じられ魅力を覚えるようである。(GreeeeNと言う男性ユニットは、歯医者さん達であるように伺いました。今日は、歯科医に出向き、年に2度、お願いしている「歯のクリーニング」を受診して参ります。口腔の中を、いつも綺麗に清潔に保つ為には「食べたらすぐに磨く」と言うことを、心掛けることに尽きると感じています。「食べたら即刻歯磨きする」習慣を身につけますと、歯磨きしたせいで、食後、余分なものを口にしなくなり、食べ過ぎ防止と、ダイエットにも、通じるように想いました。3食後、必ず、歯磨きを励行し、口腔を、健康に清潔に保ちたいと、考えております。ジャズダンスで踊る際には、笑顔からこぼれる綺麗な歯と共に、大きく開いた首元と胸元(デコルテの部分)の存在を大切にして踊るように心掛けています。そのデコルテの部分に対し、朝晩の湯船の後、適切なマッサージを試みることは、顔の血流が良くなり、お化粧のりにも、効果的であるように実感しています。「健康プラス美」の意識を高めたい女性の皆様がたには、デコルテへのソフトタッチを、お勧めしたく想いました。) (昨日の歩数記録。12987歩。)
2009.01.20
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今日は小豆粥を煮る習慣があると聞く小正月だと言う。小正月までを松の内とするように聞き及ぶのだが俳句の会に誘って頂き少々句を嗜むので俳句の歳時記にも小正月と言う季語が存在したことを今し方脳細胞が心嬉しく想い起こしたようであった。この季語を使って様々な方がたが面白い句を詠んでいらっしゃるようだった。「小正月湯船に深く肩沈む 堤節子」小正月の頃と言えば「玄関」ではなくて(スイマセン)「厳寒」である時期なので(^^;)バスルームの湯船にあっても肩までしっかり浸かりカラダをよ~く温めたいと言う心情が句の中に上手に表われているように想うらしかった。「小正月だるまを作る宿にをり 今井久良子」だるまは縁起物であると言うから素敵なお宿に宿泊されたように想う。縫いぐるみのキャラクターが近くにゾロゾロいるリゾートホテルではこうしたような趣きを感じさせる風情はなかなか持ってかもし出されないように空想するようだった。「長々と電話の続く小正月 加藤君子」この情景は小正月でなくても見受けられる光景であるように空想するようである。「小正月」として詠んだところに松の内のめでたさがふんわりとかもし出される感じがして電話の内容が楽しいがゆえにどうしても切ること叶わず長電話に陥ってしまっているように想像するらしかった。女性の句ばかり3句が続いたように感じられたので男性の句も2句ほど紹介させて頂きたく想ったようである。「長老の夜這ひのはなし小正月 内藤三男」長老とおっしゃるからにはご自身(作者)が年下であることには間違いないようである。長老と言うからには村の偉い老人のようなイメージが先行する。よぼよぼとなさった古老の男性(昔のことをよく知っている老人)が夜徘徊(あてもなく歩き回ること)することではなさそうだ。(^^;)現代社会ではパソコンを巧みに操る小学生の弟クンでさえも情報化の波と国際化の波を受け「夜這ひのはなし」の意味合いを彼らなりに翻訳し「ヤバイはなしなんでしょ。」と直感するくらいのユーモア精神はどうも持ち合わせているのではないかと推測するらしかった。(ちなみに夜這いの慣習は暖かな西日本地域に観られ北関東地方より北の地域では寒さの為か観られない現象だったようだ。)小正月で村の長老が美味しいお酒を頂いたのかどうかはわからないがご機嫌なほどの心地良さからだろうか少々羽目を外され地元の若い衆に対し昔話を語り聞かせたのだろうと推察した。よく聖書を学ぶ女友達とも話し合うのだが息子達に向かって「君達は決して汚いところから生まれて来たのではないのよ。」と伝え話して聞かせたいネと語り合うことがある。彼らには「ヒトとヒトが愛し合うことは自然なことでヤバイことでも汚いことでもエッチなことでも恥ずかしいことでもなく温かな美しさと優しい光に満ちた綺麗で素敵な誇らしいことなのよ。」と語り教えてゆきたいと想うらしい。そう言う意味合いから言えば老人になって年を重ねても若々しい脳細胞を携えていらっしゃるこの「長老」の男性は徘徊などの行動からは縁遠く空想され頼もしく心強く感じられる古老であるように想像したようであった。「小正月誰か遊びに来ませんか 保坂加津夫」拝読した瞬間ウ~ンと唸(うな)ってしまった。こんな句もあるんだ。こんなように作ることも出来るんだ。そう想いある意味驚かされ感動の情を心の中に覚えたようである。形式や常識に拘らない…そうしたアイディアや発想がとても新鮮に目に飛び込んで来たらしかった。個性重視の4文字が脳裏に嬉しく浮かんだ瞬間であったように想う。皆様は小正月のこの時期を一体どんな想いで過ごしていらっしゃるだろうか?昨日はジャズダンスエクササイズで情熱的に踊り汗ばんだコスチュームを新しい衣服に着替えてから会場を後にしていた。アバのヒット曲「♪ダンシング・クィーン」の次にインストラクターがセレクトしてくれたナンバーはEXILE(エグザイル)の歌うゴダイゴのカバー曲「♪銀河鉄道999」であった。「♪ダンシング・クィーン」のほうは完全にすべての振り付けをカラダに覚えこませ1曲丸々インストラクターが考えて下さったオリジナル振り付けを情熱的に踊ることが出来るようになった。2曲目の「♪銀河鉄道999」と言うナンバーのほうのオリジナル振り付けも何パターンか存在する振り付け部分を繰り返し繰り返し練習し始まってまだ間もないのであるが習った箇所までのジャズダンスの振り付けをどうやら完全にカラダが覚えてしまったようである。インストラクターの真正面に立ち位置を定めインストラクターを情熱的な瞳で見上げほとんど自己集中して踊りに熱中しているとかなり早い段階でオリジナル振り付けをカラダが覚え覚える行為を脳細胞が歓び踊ると言うこと自体にカラダが歓喜の気持ちを示すように想われた。踊ることが大好きだと言う一念から無我夢中の境地に自然な形で入ってゆける(溶け込んでゆける)ように実感するらしい。インストラクターと2人だけで踊っているような錯覚を脳細胞に嬉しく感じながら美しい姿勢に気を配りメロディーに乗って踊ることが出来た素敵なひとときであったように想う。(お寒うございます。今日はこれから、仲良しのハナミズキさん以下100名の受講生の皆様がたとご一緒に、水分補給に気をつけ、90分間のフィトネスに、汗して参ります。美しい姿勢に十二分に気を配り、寒さが吹き飛ぶよう、情熱的に踊って参りたいと想っております。) (昨日の歩数記録。17423歩。)
2009.01.15
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前回に引き続き旅の様子を振り返りながら記してゆきたく想うようだ。「♪旅は 道連れ世は 情け♪」であったろうか?!旅と言うワードから「♪旅愁」と言うタイトルの懐かしいナンバーがあったことを脳細胞が今急に想い起こしたようだった。西崎みどりが歌う必殺仕事人のテーマ曲であったように(脳細胞は)覚えているようである。(間違っていたらごめんなさいね。)こんなメロディーであったような?気がしている。「♪あなたを 探し~て ここ~まで 来た~の 恋しい あなた あなた~ 今~ どこ~に~ 風に ゆ~れ 雨に ぬれて~ 恋は 今も 今も 燃えているのに ああ…… 白い ほほえみ~も うしろすがた~も 遠い 夢の な~か あなた~は いな~い♪」旅と言う言葉から懐かしい名画のタイトルが今急に脳裏に浮かんで来た。「旅情」映画音楽のほうも素晴らしく感じられて素敵であった。前置きが長くなってしまったがたまには旅に出ること(旅立つこと)が望ましいように想うらしい。それも宿泊を伴なった遠出であることがより望ましく感じるようである。普段の生活(日常)から切り離され普段とは違った空間に身を置いてみると普段とは違った目線で様々なものごとをとらえることが出来普段とは違う環境に感動の情を覚えるものらしい。五感(見る 聞く 嗅ぐ 味わう 触れると言う5つの感覚)が研ぎ澄まされ培われてゆくように嬉しく実感出来るようだ。普段とは違ったものを見違った話を聞き違った空気を嗅ぎ違った食べ物を味わい違った空気感(雰囲気)に触れる。そう言った1つ1つが旅の醍醐味であるように感じるらしい。旅の初日に可愛らしい可愛げのあるキャラクター達と相対していたのがまるで嘘であったような違った空気感(雰囲気)に身を置いた次の日は歴史や信仰を感じさせる神社仏閣に立ち寄り参拝させて頂いていた。太平洋戦争の話をする機会に恵まれた菊のご紋がまぶしく感じられる大きな神社の境内では両親(彼と彼女)の口から「戦火の中を生きて来た両家のジジババ達が生きていられなかったらパパやママ達もこの世に存在せずよって君達もこの世には命(生命体)として存在すること叶わなかった。」と言うような内容の会話を話して聞かせることが出来たようだった。続いて訪れた湯島天神は学問の神様を祭っているので周囲が大学だらけであったことも重なり息子達にはおあつらえ向きの素敵な信心スポットであったらしかったのだが科学的根拠のあるものは信じても神自体の存在をあまり心底脳裏に想い描くことのない少年2人にとって科学館見学のほうが遥かに素敵なスポットであるように見受けられたようである。派手で賑やかなイメージのある神田明神では楽しい恵比寿様が参拝客を迎えてくれていた。神田の本屋街では周辺に散在するノッポビルの大学(校内)巡りと共に趣き深いものが感じられとても面白かったように想う。理科系人間であるらしい男3人衆の大好きなスポット(電気店の続く秋葉原商店街散策)はパソコン大好き人間にとっては関心と興味が湧くスペースではあってもあんな悲しい大事件があっただけに文系人間である彼女にとってはあまり好みに感じられないスポットであるらしかった。首都東京をどんどんと歩いてみよう!そう銘打った東京巡りの散策も小学生の弟クンにあっては叶わないらしかった。弟クン「東京メトロに乗ってみよう!」と言うことに落ち着き国際人の多くが江戸散策に訪れるらしい人気スポットに足を踏み入れることになったようである。雷門と言えばもうどこであるか一目瞭然であるように推測する。お兄ちゃんの方は小学校時代の修学旅行(品川プリンスホテル2泊)で好きなコースをセレクトしていたらしく仲見世通りにはお友達と既に来たことがあり兄「お正月の混んだ時期は来るところじゃないと想う。」と言う感想をふう~っと漏らしていたようだった。観るモノ聴くモノがすべて珍しい弟クンの下見の為?!線香の香りと江戸文化の香りを体験しいろいろなお店散策に歩くことが出来た素敵な日であったように想う。車を使わず自分の足を使って歩く目的は達成されたようでこの日も2万歩を越え速足で大都会の真ん中を歩いていたようであった。神社にお参りも出来(お願いごとをし)東京メトロに揺られ駐車していたワゴンまで戻るとチラホラ小雪が空から舞って落ちて来たようだった。下記のナンバーが流行った頃に脳細胞がタイムスリップし始めたらしかった。「♪汽車を 待つ 君の 横で 僕は 時計を 気に してる季節外れの 雪が 降ってる東京で 見る雪は これが 最後ねと淋しそうに 君が 呟くなごり雪も 降る 時を 知りふざけすぎた 季節の 後で今 春が きて 君は 綺麗に なった去年より ずっと 綺麗に なった動き始めた 汽車の 窓に 顔を つけて君は 何か 言おうと している君の くちびるが さようならと 動くことがこわくて 下を 向いてた時が 行けば 幼い 君も大人に なると 気づかないまま今 春が きて 君は 綺麗に なった去年より ずっと 綺麗に なった君が 去った ホームに 残り落ちては 溶ける 雪を 見ていた今 春が きて 君は 綺麗に なった去年より ずっと 綺麗に なった去年より ずっと 綺麗に なった去年より ずっと 綺麗に なった♪」今感謝の気持ちで筆を置きたく想う。(小学生と中学生の2人が同時に休校であった今日は、様々なショップ達が集まる大型商用施設に、3人で出向きました。メルヘンの世界、ファンタジーと夢の世界が好きな弟クンが、今までに何度となく観て来た、宮崎駿のアニメ映画「天空の城ラピュタ」と「紅の豚」を、リビングに流しておりましたので、久しぶりに眺めること、叶いました。いつまでも、心の中に、温かな浪漫の灯を、絶やさぬようにありたいと感じながら拝見致しました。これから立春まで、1年で1番寒さが厳しい時期にあたります。風邪が流行る時期でもあるように想います。風邪に掛かりやすくしてしまうのは、人間の中枢である脳に、ストレスを感じさせ、ため込ませてしまうことだと伺いました。逆に、安らぎの気持ちや和みの気持ちを脳内に送り込むことが大切で、そうした快感を脳内に伝達することで、ストレスを撃退させ、快の想いをふんわりと脳内に作り出してゆくことが、風邪などの病気から身を守る秘訣であるようにお聞きしました。充分な休息と、バランスの摂れた食事、それに、適度の運動が、大切だそうでございます。今日もこれから、脳内に心地良いアルファ波を作り出してくれる運動をしに、仲間の皆様がたと共に、ジャズダンスエクササイズで飛び跳ね、情熱的に踊り、カラダに汗をかいて参ります。皆様、季節柄、どうぞ、おカラダ、お大事に!(^^)) (今日の歩数記録。12032歩。)
2009.01.14
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行って来ました~。ただいま~。この連休を利用しお泊りして来た旅の様子をまとめて記憶に残してみたく想うようである。お付き合いのほどよろしくお願い申し上げる。さてさて…自然に触れさせ自然の中をクロカン(クロスカントリースキー)でもやろうやと言う親の想いはどこへやらやんちゃな小学生の弟クンの願いを聞き届けるべく自然ではなく大都会へとパパ運転のワゴンは方向を定め早朝まだ真っ暗なうちにカーポートを静かに離れたようであった。かくして小さな旅はスタートしたようだった。今日はその初日の在り様をつたない文章にて綴り振り返らせて頂きたく想うようだ。25アニバーサリーと銘打った大きな娯楽関連施設(大きなリゾートランド)に開園時刻と同時に大勢の人達と列をなし雪崩れ込み寒さがしのび寄る夕刻の時間帯まで広い園内を広範囲に渡り散策し歩き回ることが出来たようだった。お陰様でこの日の歩数記録は22000歩を越えていた。「♪ポップコーン 頬張ると 今も~他愛無く 笑いたく な~るの~♪」そう明るく歌いたい気持ちが自然に心の中に浮かんで来る陽気な雰囲気がアメリカンリゾートには存在するように想われた。以前にもお邪魔したことはあったのだが朗らかな洋風お化け屋敷あり賑やかな海賊屋敷ありミニジェットコースターなどの楽しい絶叫をついつい上げたくなる様々な娯楽施設が完備された園内はお子さん連れやカップルには好評で面白く感じられる遊技場であることに相違ないように感じられた。日没まで小学生の弟クンに先導された形で(来年の11月に行なわれる修学旅行の下見も兼ねてのことなのだそうで)10箇所以上の遊技体験(巡り)を1日で経験出来たとても満足な日であったように想う。アドベンチャーランドでは水しぶきを浴びたり精密な生き物の模型に笑わせてもらったり水上陸上と緻密に計算された園内を地上から地下から愉しんで見つめることが出来た楽しい日であった。小さな紳士所望のメリーゴーランドやゴーカード(カーレース)ミニジェットコースターなどの乗り物体験は素敵な思い出になったようである。ファンタジックでメルヘンティックな明朗なアメリカンリゾート施設はピースフル(平和的)でナイスな心情を少年少女達の胸にそっと灯(とも)してくれているようであった。平和な世界和やかな世界穏やかで争いごとがない明るい世界を未来を担う少年少女達が共に手を携え仲良く作り合っていって欲しい。そう想うようであった。アウトドア好きなファミリーであるようなのでそう何回もこうした人工的な楽園へは足を踏み入れることがないように空想するようだったがファンタジーやメルヘンの心を大切にすることは幾つになっても尊く貴重なことであるように脳裏に想像するらしい。大人になっても幾つになっても(年齢を重ねても)心の中に優しい気持ちを(メルヘンティックでファンタジックなロマンティックな心情を)持ち合わせていて欲しい。(自身もそうありたい。)そう想うようである。平和で和やかな世界を大切にしてゆきたい。そうも想うらしかった。そんな温かな想いをそっと心の中に静かに念じながら夕闇迫る楽園を後にした日であったように想う。(この3日間、沢山歩くことが叶いました。明日は、この旅の続きを、つたない文章にて、記録に残してみたく想っております。買い求めて参りましたお土産を、昨日は、両家(双方の実家)へ、届けて参りました。義兄夫婦は、遠出して、初詣でに出向いたそうで、厄除け団子(5本ずつ一塊になっている名物団子)をお土産にしてくれておりました。その、5本1組でつながった、名物の厄除け団子を頬張り、ご利益(りやく)を頂くことが出来たように想います。(^^)今日から3日ほど、兄弟2人して、小学校中学校が休校(入学学力試験の為)に入ります。今朝は、テレビニュースの中で、子を想う親の弱みに付け込んだ、振り込み詐欺の手口が報道され、取り上げられておりました。ご自分が働くことなく、ヒトの弱みに付け込んで、盗みを平気で行なう人達の存在に、改めて驚かされながら、伺っていたように想います。今朝の朝刊には「アパートに80歳女性の(白骨化した)遺体」と言う悲しい見出しがありました。この女性の息子さんと見られる男性のコメント内容が「母親とは、ここ数年、連絡をとっていなかった。」と言うものであったこと(記載)にも驚かされながら、読ませて頂いていたように想います。) (10日11日12日の合計歩数記録。58148歩。)
2009.01.13
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昨日は冬将軍到来と言う言葉がぴったりのとても寒い日であった。昨日は激しくジャズダンスエクササイズで動いても不思議とあまり汗をかかなかったように想う。気温が低いせいであるように想われた。1日じゅう冷たい雨が降りしきる日であった。普段カロリーの高いお酒を口にする習慣がないのであるが昨日はあまりに寒く感じられたせいで(車での送り迎えがなかったこともあり)午後のひとときに帰宅していた小学生の弟クンと団欒しながら温かな梅酒をほんの少し頂いてしまった。お酒の効能は少量(適量)であるから健康効果が高まるように聞き及んでいるのだがその言葉を改めて実感したらしく少量の温かなお酒が血行を良くし血流を促し寒さを和らげてくれることをカラダで実感したようであった。毎日の飲酒の習慣がそんなに健康的なことであるとはあまり感じないようである。がたま~に美味しいお酒を頂いてみるとその芳香や味わいに感激し酔いがもたらす快感と言うものにカラダが感動を覚えるようであった。飲みやすいお酒ほど後からジンワリと効いて来るように実感する。自分自身のカラダで効果的な適量を把握し本当に健康的な量であるのかをじっくりと見定め見極めたほうがよろしいように感じるようである。飲酒は快の気持ちのある範囲で留めそれ以上は「♪飲んで~ 飲んで~ のまれて~ 飲んで~♪」(by 河島英吾 「♪酒と涙と男と女」)と言うようなことにならないように気をつけ自制することをお勧めしたく想うようだ。世の中には魔物(麻薬)とも感じられる様々なものが満ち満ちているようである。前回にも綴らせて頂いたように「常に若々しい脳細胞を保ち俺はまだまだこれからや~。」と想う若々しい気持ちや生き生きした気力(活力)が若さにはとても大切であり中高年の皆様がたには仙人が如くにまだまだなって頂きたくはないのであるが食事を中心に節制を心掛けることは健康的な生活には大切な要素になるように想われ時と場を踏まえて自制の心掛けが時には必要になって来るのではなかろうかと(お勧めしたく)感じたらしかった。昨日はお正月3が日を外して久しぶりの飲酒であったのでふと脳裏に深酒の習慣がもたらす怖い1面を想い描いたようであった。一昨日日本フィトネス協会の男性インストラクターが話して下さっていたのだが運動を良くしているからと言って食事を節制することをしないと美しいボディーラインを綺麗に保つことが出来ないようである。見苦しい体つきであるよりはかっこよく気持ちの良い綺麗なボディーラインであるほうが毎日の生活も張り合いがあり快適に過ごせるように心嬉しく空想するらしい。それには食事と運動を見直すことがまず持って大切であるように感じるようだ。ストレスのない気持ちの良い心情を保つ為にも食事内容と運動効果の実感は貴重なものであるように想うようであった。昨日は朝ドラ「だんだん」の中でシジミジルのバンド仲間のうちタンバリンを担当する康太が康太「SJは4人で1つだけん。」と仲間の団結を強調していた場面が印象に残った。康太「俺は石橋さんを信じるけん。」と言う心優しい台詞に感動しながら見入っていたように想う。また別の場面では地元の島根大学に合格した双子のめぐみのほうの弟健太郎が実母の喜子(鈴木砂羽)から喜子「がんばったね。」と言われカラダをギュ~ッと抱きしめられるシーンが感動的に感じられた。嬉しい気持ちをハグなどと一緒にこうしたカタチでカラダで表現すると一層歓びの気持ちが増し嬉しさも倍増するのではないかと脳裏に嬉しく空想想像するようであった。素直に自分の気持ちを上手に表現してゆくことの大切さを心の中に嬉しく想い描いた素敵な日であったように想う。(9日の時事通信の中に、イギリスの人が、カラオケ機器を、あまり好みに想わないような報道がありました。カラオケは、歌を歌うことによる健康効果が期待されているだけに、残念な報道に聴こえてしまったように想います。よく愛車の中で、1人大声でカラオケダンス?!を致しますが、快と言う情を覚えこそすれ、嫌悪の想いを、いだかないように感じます。昨日の朝ドラ「だんだん」の中で、バンド仲間の山田康太が上記のように話してくれておりましたが、仲間の絆を信じ、共に、カラオケを楽しめると言うこと自体、とても喜ばしく、とても素晴らしいことであるように想います。音楽が大好きなものですから、これからも、多くのナンバーを、幅広く聴きながら、夢のある、癒し系文章を心掛けることにより、素敵な音楽(歌詞)を、綴らせて頂きたく想いました。昨日は、インストラクターがセレクトしてくれた、EXILE(エグザイル)の歌う、ゴダイゴのカバー曲「♪銀河鉄道999」と言うナンバーで、オリジナルのジャズダンスの振り付けを、繰り返し繰り返し練習し、情熱的に踊って参りました。せんだっての日曜日の夜に、この1月からスタートした大河ドラマの「天地人」を拝見しておりましたが、そのドラマの中で、主人公、直江兼続の子役時代、与六を演じる、加藤清史郎クンの演技の上手さに、大感動致しました。母親お藤(田中美佐子)との別れのシーンでは、想わず、あまりにも可哀想で、大泣きして観ておりました。(お恥ずかしい限りに想います。)今日土曜日の午後1時5分から、その大河ドラマの再放送があるように想いますので、もしよろしければ、どうぞご覧下さい。こんな小さな子役のお子さんでも、演技力のある子には、感激の情を強くいだくように感じました。この子役の男の子さんは、役者が天職であるように空想させて頂きました。今日から3連休と言うかたも、多くいらっしゃるように、嬉しく空想想像しております。この連休で、少しばかり足を伸ばし、遠出(泊)をして参りたく想っております。自分のティアトリーを遠く離れることもまた、健康によろしいのではと想うようでございます。では、気をつけて行って参りますネ。素敵な連休でありますように。(^^)) (昨日の歩数記録。7545歩。)
2009.01.10
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昨日もハナミズキさん以下約100名の受講生の皆様がたと共に90分間のフィトネスに取り組んでいた。45分間ぶっ続けに行なわれるエアロビクス(有酸素運動)とダンベルを使用した筋肉トレーニング腹筋背筋など(無酸素運動)が上手にミックスされ有意義な内容であったように想う。午後にも一昨日ジャズダンスエクササイズに一緒に取り組んだ同年代の女友達が「一緒にやろうよ。」と誘ってくれ別会場で(日本フィトネス協会の男性インストラクターの手ほどきで)室外ウォーキングエクササイズを執り行なっていた。美しい姿勢に気をつけ美しい背中を作ることが美しいボディーラインを形成してゆくように実感するらしい。週4回行なっている激しい有酸素運動の在り様は上記を肌で実感するのに満足な手ごたえを与えてくれているように想う。そう言えば昨日は朝のニュースの中で女性バーテンダーが美しい姿勢を心掛け綺麗な笑顔を携えお客様を接待する様子がテレビ画面上に映し出されていたのを脳細胞が今思い出したようであった。23歳の時にバーテンダーになって以来10年の時が経過したと伺った既婚の女性バーテンダーが今回男性しか優勝したことのないバーテンダーの技量とテクニックを競う第36回世界大会へチャレンジする為に大会が行なわれると言うドイツへと出国することが報じられていた。美しい仕草と美しい姿勢美しい接客マナーを身につける為にご自分の趣味として茶道を嗜む様子もテレビ画面に映し出されていたように想う。黒いタキシードに細身のカラダを包んだ姿勢の良い女性バーテンダーの姿は格好良く目に映っていたようだった。ただ1つだけ気になったことがあった。それはバーテンダーとしての接客業の営業時間が午後6時から午前2時と言う深夜の時間帯であったことだった。当ブログが健康維持を目的にしている為だろうか美人が作られるであろうと推察されるそうした深夜の時間帯に眠らずに毎日毎晩働いていることは(つまり毎日毎晩深夜午前2時過ぎまで起きていると言うことは)カラダの健康維持と美の在り様に関して観た場合いかがなものであろうと懸念の情を脳裏に描き出したらしかった。また同時に深夜に働く方がたのご苦労を心の中に想像したようであった。きっと気力と言う2文字がこの女性バーテンダーの心を支えているのであろうと空想させて頂いた。今し方気力と言う言葉を指先が書き綴ったら昨日の朝ドラ「だんだん」の中で語られていた中高年の男性2人の会話(気力についての台詞)を脳細胞が思い出したようであった。双子の姉妹田島めぐみと一条めぐみ(元舞妓)には京都で呉服問屋を営む祖父一条隆康(夏八木勲)がいる。また隆康と親しい友人にはこの双子を取り上げた産婦人科医後藤辰夫(伊武雅刀)の存在があった。上記の中高年男2人の会話が印象に残ったようである。隆康と辰夫が仲良く盃を酌み交わすシーンであったように想う。辰夫「安全に子供が産めん国なんか近い将来滅びるで~。そろそろ俺も生きて来た証しを立てたくなったんや。どうやかっこいいやろ。」隆康「お前なんぞ京都から早ういなくなればええんや。」辰夫「ふ~。俺達はな。まだまだこれからやで~!」最後の2行「俺達はまだまだこれからやで~!」と言う辰夫の台詞が妙に心の中に残ったようだ。それは一体何故なのだろうと考えてみた。いつのことであったかどこかの書物で拝読していたらしいのだが日本の中で1番自殺(自分を追い込み)しやすいのは退職後くらいの中高年男性であると綴られていたのを覚えているらしい。同年代の中高年女性達は皆元気が良くそう言うこと(自殺願望)は考えないように書かれてあった。中高年の女性達にはそうした考えは滅多に見られないようだった。(あるとすればうら若いお嬢さん世代だと聞き及んでいた。)つまり日本経済を支えた中高年男性がたは肉体的にも精神的にもお疲れモードであるように綴られていたらしかった。そこで・・・上記の2人の台詞が生きて来るように想われた。「俺達はまだまだこれからやで~!」と言う言葉である。どんなに年をとろうが年輪を重ねようが「俺達はまだまだこれからやで~!」と想えるヒトは若々しいように嬉しく空想するようだ。「俺達はまだまだこれからやで~!」と言う(朝ドラでの先輩がたの)言葉をいつも頭上に高く掲げ精神的に若く美しくありたいものだと改めて感じた趣き深い日であったように想う。(昨日、冬休みの課題の書き初め(美しい里と言う字)を2枚提出した、小学生の弟クンを観ておりますと、人生には、遊び感覚や、ご褒美と言うものが、とても有効で、大事であるように想えます。健康であるだけでなく「健康プラス美」と言う精神が、とても大切で、いつも若々しくありたい、そう想うようでございます。今日はこれから、週最後のジャズダンスエクササイズに出向き、アバの大ヒット曲「♪ダンシング・クィーン」と言うナンバーで、インストラクターが考案してくれたオリジナル振り付けを、情熱的に(激しく、汗し)踊って参りたいと想っております。昨日は、100を超える嬉しいアクセスを頂戴致しました。心より御礼申し上げます。) (昨日の歩数記録。15987歩。)
2009.01.09
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1月6日の日であったか朝ドラ「だんだん」を小学生の弟クンと拝見していたらそのテレビドラマの中で酒屋問屋の7代目が「俺は親父を抜くことが出来ない。同じ酒の味をただ守ってゆくことしか出来ないや。」と零し嘆いていたようだった。日本男児としてはちょっと弱気な台詞を吐露していたように想う。小学生の弟クンは冬休みが漸く終了し今朝は休み明けの為友達に逢うことを楽しみにお昼までの早お帰りの学校へ登校して行くようである。6日の日から学校が始まったお兄ちゃんと2人今日は朝1番から楽調(学力調査)のテストが真っ先に控えているらしい。パソコンを切ってみたこの数日彼らの勉学風景にほんの少し付き合いを試みたのであるが上記の酒屋問屋の7代目の台詞はどちらのご家庭のお子さん(男の子さん)にとっても当てはまる言葉ではないだろうかと想われた。男子たるもの志を高く掲げおやじの背中を追い抜き追い越したいように感ずるものらしい。イヤイヤ昨今は男女を問わず女性であっても同様であるようだ。お正月元旦の日に集わせて頂いていた中学生の折り通わせてもらっていた学習塾関係の新年会の場で高校の同窓生同士で結ばれたとあるカップルの高3になったと言う1人娘さんが今春の大学入試で某有名大学を受験するように伺っていた。彼女「某有名大学って、もしかして東大?」酒豪で愛煙家でもある同窓生の紳士「うん。そう。」上記の言葉を軽いノリで頷かれ伺うことになり想わず脳裏に「♪ポ~ニョ ポニョ ポニョ ハヒフヘホ~♪」と言うおめでたいフレーズが浮かんで来てしまったようだった。が一生懸命勉学に励んでいらっしゃるであろうそのお嬢さんに対しては一心不乱に今この時を頑張り生きているであろうと空想されるのでただもうスンバラシイと言う賛美の言葉しか貧しい脳細胞には浮かんで来ないようであった。どんな些細な小さなことでもいい。自分が得意とする分野を開拓し自分の興味関心の鉾先を深く掘り進め自分が好きな分野の仕事に従事すること叶うなら幸せで結構なことではないかと脳裏に嬉しく想像するようである。親が先に先に道を整え先回りにして子のゆく路線を安全なものに仕上げてしまうとこじんまりとした面白味に欠ける子供らしさのない子供に育ちやすいように空想され家庭教育も紙一重の部分が多々存在するようだなあと言う感慨を脳裏に持ち得た感があった。個性の違う彼ら(息子達)2人と上手に上手く接していたいなあと感じるらしい。この数日彼らとの他愛無い会話の中で面白いなあと脳細胞が感じ取るものがあった。どちらかと言うと国語科の苦手な彼らであるが小学生の弟クンと接する際には書くと言う分野を重んじお兄ちゃんのほうと接する機会には主に読むと言う行程を中心に一緒になって楽しみ執り行なっていたように想う。PC操作に慣れ親しみパソコンのOSにかなり詳しい兄の頭脳がどうも理系向きだと感じて久しいようである。が彼女と違って情感(ハート)からものごとをとらえず頭脳それも1個1個文字や言葉を記号化した上でものごとをとらえるような彼の脳みそが目を使い視野で文字を拾い黙読したであろう書物の1冊はかくの如きサイエンスエッセイであった。その項目を覗いてみることにした。≪はじめに≫科学から命を考えてみよう第1章体内宇宙への旅細胞 遺伝情報 遺伝子第2章わたしたちは宇宙の子供第3章生き物のはじまりはたった1つの細胞から第4章お母さんのお腹の中の命と奇跡第5章みんなに無限大の可能性第6章笑うことのふしぎな力第7章みんな違ってみんないい第8章あせらず自分を信じよう≪おわりに≫世界全体が人類家族以上のような書物であった。彼女のほうはこうしたサイエンスの分野に対し理数的センスを持ち合わせていないらしい。それでもどうにか有難いことに神様は速読の技量だけは与え授けてくれたようで息子よりもかなり速いスピードで彼が読み終えた1冊の書物を彼を追い掛けるように最後まで読破出来ていたようであった。上記の書物を読み終えてみて印象に残った箇所は1組の男女から生まれる子供が何通りかと言う計算の方法と江崎玲於奈博士の言葉らしかった。1組の男女から生まれる子供が何通りかと言う計算の方法とは全部で23組の染色体を持っているお母さんから子供が受け取る染色体の組み合わせが2の23乗(2を23回掛けること)通り同じようにお父さんの23組の染色体からも子供は1本ずつ受け取るので2の23乗通りそれで結果お母さんの23組お父さんの23組から受け取る染色体を1本ずつ受け取る子供(1組みの男女から生まれる子供が何通りか)は(2の23乗)×(2の23乗)=約70兆通りと言う答えが導き出されるようであった。もう1つの江崎玲於奈博士(筑波大学長・ノーベル物理学賞受賞)の言葉のほうは「常識と言われることをただ信じるだけではダメでなぜ?どうして?と考えることが大切である。」と言うものだった。そう言えばダライ・ラマ14世が「すべての人々が幸福な人生を求めていることすべての人々が苦しみを求めてはいないことがすべての人間の共通点である。」と述べ宗教や考え方を越えて語り掛けていたのを脳細胞が今思い出したようである。科学もミステリーであるとするならば冒険探検はずっと続いてゆくように空想するようだ。英知と仁愛と勇気を熱いハートに携えて人は共生の道を模索し合いたいと想うようである。(この数日、国語科を苦手とする兄が、新潮文庫の「O・ヘンリー短編集その1」を読んでおりましたので、彼と共に、数節を音読し合い、文章を味わい合いました。6日と7日は、小学生の弟クンがまだ冬休みであったので、彼と街中まで、ロングウォーキングし、母子デートを愉しんで参りました。「寒いから。」と言いながら、彼女のほうに身を寄せて歩く小さなカラダの少年(紳士)と2人、大きな書店巡りをし、今しか経験出来ない、貴重な時間を、共に楽しく過ごし合うことが出来たように想います。昨日7日の朝は、春の七草をお鍋に入れて煮込み、アツアツの七草粥を頂きました。今朝も、お米からお鍋に入れ、温かなお粥さんを作りました。) (5日6日7日の歩数記録。45231歩。)
2009.01.08
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お正月休みも今日で終わるところが多いように推察する。昨日は郊外のハイキングコースをセレクトし家族で山歩きを楽しんだ。澄んだ清らかな空気を胸いっぱいに吸い込みながら郊外の自然を愉しみ歩いていた。風もなく空は気持ち良く晴れ渡り絶好のハイキング日和であった。山道でのハイカー同士のすれ違いは相互が相手サイドを思いやり「こんにちは。どうぞお先に。」「こんにちは。ありがとうございます。」と言い合って明るく清々しい挨拶を交わし合う。子供達をそうした山道に歩かせる機会に恵まれると自然な形で挨拶すると言うことが学べるようだ。やり抜く意欲と思いやりの心自己肯定力の育成は学校教育の場だけではなくこうした自然な形での家庭教育の場にあって身に付けさせてゆきたいように感じるらしい。山々に囲まれた風景も風光明媚な展望が広がる点で大好きなのであるが山があり海もあると言う風景もまた味わいが深く心豊かな気分になれるように想う。今山と海と言う爽快感のある言葉から古事記の「海幸彦山幸彦」(ひこは男性の美称)の話を脳裏に想像した。 神の国で天照大神(アマテラスオオミカミ)が邇邇芸命(ニニギノミコト)に「稲の穂と鏡,曲玉,剣の3つの神宝を持って地上に行き,国を治めなさい。」と言った。ニニギノミコトは筑紫の国の高千穂の峰に降り立った。これが日向神話に言う天孫降臨である。高千穂に降り立ったニニギノミコトは近くに家を建てて住んでいた。ある時,笠沙の岬(鹿児島県)でとても美しい女性に出会った。その女性は木花佐久夜比売(コノハナサクヤヒメ)と言った。ヒメと結婚したくなったニニギノミコトはヒメの父親の大山津見神(オオヤマツミノカミ)に願い出た。父親は神の子からの申し出に大変喜び「結婚したいのなら姉の石長比売(イワナガヒメ)も一緒にもらってほしい。」と願った。そして二人のヒメをくれることになった。しかし,姉は醜い女性だったので,ニニギノミコトは姉を家に帰してしまい,妹のコノハナサクヤヒメとは夜を供に過ごした。オオヤマツミノカミはそれを知って大変残念に思った。イワナガヒメと結ばれれば岩のごとく永遠の命が約束され,コノハナヒメと結ばれることで花が咲くがごとくに栄えるという意味があったからである。しかし,姉を返してしまい,片方とのみ結ばれれば,その命は木の花が散るように短くなってしまうのだ。 やがて,コノハナサクヤヒメに赤ちゃんができたが,そのことを神の子であるニニギノミコトに報告しても、ニニギノミコトは喜ばなかった。結婚してすぐにできた子なので,自分の子ではないと疑ったためである。その様子を見て,コノハナサクヤヒメは悲しみのあまり「この子があなたの本当の子なら生き残るでしょう。」と言って,大きな産屋に入ると入り口をふさぎ,中に火をつけてしまった。燃えさかる火の中で出産し,最初に火照命(ホデリノミコト),2人目は火須勢理命(ホスセリノミコト),そして3人目は火遠理命(ホオリノミコト)が生まれたのだった。 3人のうち,火が照り輝く時に生まれたホデリノミコトは海で漁をして暮らしていたので海幸彦と呼ばれるようになった。火が弱まってきた時に生まれた弟のホオリノミコトは山で狩りをして暮らしていたので山幸彦と呼ばれていた。 ある日のこと,弟のホオリノミコトは兄のホデリノミコトには互いに釣り竿と弓矢を取り替えてみようと提案した。そして,兄は山へ,弟は海へ出かけた。しかし,二人とも獲物をとることはできなかった。そこで兄は弟に「やはり本来持つべき物を持って,本来の場所へ出かけないと何も得られないから,道具を返すことにしよう。」と言った。ところが,弟は魚がとれないばかりか,兄の大切な釣り針を海でなくしてしまっていた。それを聞いた兄は激怒してしまい,とにかく返せと責めてきた。そこで,自分の剣をこわして500本の釣り針を作り,それを持って行って償おうとしたが,「なくした釣り針以外はいらない。」と言って許してはくれなかった。次に1000本作って持って行っても「元の針でなければだめだ。」と言われて困ってしまった。 どんなに探しても元の針を見つけることはできなかった。困り果てて泣きながら海岸にたたずんでいると,潮路の神で塩椎神(シオツチノカミ)という老人と出会った。山幸彦がわけを話すと,老人は竹で編んだ籠を作って小舟とした。そして「この船に乗って海の国へ行きなさい。」と言った。「私が小舟を押し流したらそのまま進みなさい。そのうちよい潮にぶつかるので,その流れに乗れば魚のうろこのように並ぶ宮が見えてきます。そこは綿津見の神(海神)の宮殿ですから,門まで行ったら,傍らにある泉のほとりの桂の木がありますから,その木の上で待っていなさい。ワタツミノカミの娘があなたを見つけて取りはからってくれるでしょう。」ホオリノミコトはその老人に言われるまま海に出た。 海神の国に着くと,ホオリノミコトは海神の家の前にある大きな木の上に登った。そこへ,海神の娘,豊玉比売(トヨタマヒメ)の侍女がやってきて,木の上のホオリノミコトを見つけた。ミコトが「水がほしい。」と言うと,侍女は持っていた器に水を入れて差し出したのだが,ミコトはそれを飲むことなく,首にかけていた玉をとり,口に含んでから器の中に吐き出した。すると,この玉は器にくっついたままとれなくなり,侍女はこれをトヨタマヒメに差し出した。その玉を見たトヨタマヒメは門の外に誰かいるのかと尋ねると,侍女はありのままを報告した。トヨタマヒメは自分の目で確かめようと門の外へ出ると,素晴らしい容姿のホオリノミコトに一目惚れしてしまった。宮殿に戻ったトヨタマヒメはそのことを父のワタツミノカミに報告した。ワタツミノカミはホオリノミコトが神の子とわかり,宮殿に招き入れた。そしてホオリノミコトを座らせると,たくさんのごちそうやきれいな踊りで歓待した。しばらくして,ホオリノミコトはトヨタマヒメと結婚し,海の神の家で暮らした。 それから3年の月日が経った。ホオリノミコトは時々ため息をついた。トヨタマヒメがそれを見て尋ねた。「もしかして,あなたは家に帰りたいのではありませんか。」ホオリノミコトは自分の気持ちを語った。トヨタマヒメは父にホオリノミコトの思いを話した。ヒメから話を聞いたワタツミノカミは「なくしたお兄さんの針を見つけてあげましょう。」と言って海の中の全部の魚を集めることにした。すると「鯛が『口が痛い』と言ってここに来ていません。」と魚たちが言った。そこで鯛をよんでのどの奥を見てみると,釣り針が引っかかっていた。ワタツミノカミはこれを取り出し,清めてホオリノミコトに渡した。その時「この釣り針をお兄さんに返す時,『この釣り針は,おぼ針,すす針,貧針,うる針』と唱えながら返しなさい。そして,後ろ手に渡すのです。もし,お兄さんが高いところに田を作ったら,あなたは低いところに,もしお兄さんが低いところに作ったなら,あなたは高いところに田を作りなさい。水をつかさどっているのは私ですから,お兄さんは3年は貧しくなりましょう。もしそのことでお兄さんがあなたを恨んで攻めてきたら,この塩盈玉(しおみつたま)でおぼれさせ,もし『許してほしい』と言ってきたら今度は塩乾玉(しおふるたま)を出して助けてあげなさい。お兄さんを懲らしめるのです。」と言って2つの玉を渡した。帰る時,ホオリノミコトは一番早いサメに乗って1日で元の海岸にたどり着いた。サメに礼としてひも付きの小刀を首にかけた。ホオリノミコトは兄に釣り針を返す時,ワタツミノカミに言われたとおりにした。すると,兄はだんだん貧しくなり,そのことで弟を恨むようになった。そして,とうとう弟に攻め込んだ。弟は2つの玉で兄を繰り返し苦しめた。すると,降参した兄は弟に謝った。兄は弟に「これから先はあなたの警護の役を勤めましょう。」と誓った。これ故,兄のホデリノミコトを先祖とする隼人族は朝廷の守護をしているのである。それからしばらくして,トヨタマヒメがホオリノミコトを訪ねてきた。トヨタマヒメは身ごもっていて出産することを伝えたのだ。そして,海岸に鵜の羽根で屋根を作り,産屋を建て始めた。しかし,まだ完成しないうちに生まれそうになった。そこで,トヨタマヒメはホオリノミコトに「私は今から出産しますが,それを見ないで下さい。」と言い産屋に入った。ホオリノミコトはこの言葉が気になり,中をのぞいてしまった。すると,大きな鰐(わに:サメ)がのたうち回っている姿が見えたので,恐ろしくなって逃げ去ってしまった。 トヨタマヒメはこれを知って恥ずかしくなり,生んだ子を置いたまま海の国へ帰っていった。そして,地上の国と海神の国との境をふさいでしまった。 後に,トヨタマヒメは生んだ子の養育係として,妹の玉依比売(タマヨリヒメ)をつかわした。この時生まれた子は天津日高日子波限建鵜葺草萱不合命(アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)と名付けられ,後にタマヨリヒメと結婚し4人の子を生んだ。4人目の子は若御毛沼命(ワカミケヌノミコト)といい,またの名を神倭伊波礼比古(カムヤマトイワレビコ)といい,初代天皇の神武天皇となる。美しい霊峰と湾とを同時に眺めながら心豊かな気持ちになり頬に優しい風を受け古代浪漫に想いを馳せた日であった。(海幸彦山幸彦の神話は、浦島太郎伝説のモデルであるように伺いました。木花佐久夜比売(コノハナサクヤヒメ)を祭る神社に詣でましたので、神武天皇に続いてゆく、この女神様のことを同時に、趣き深く感じたように想います。癒し系の文章作成(オリジナル・フィクション・ストーリー製作を含む)が、大好きですので、とっても残念に想うのでございますが、子供達に付き合いまして、現在、リビングに3台、2階に2台使用しておりますPCを含みまして、彼らの学習の場を新しく整備する為、3、4日、日記をお休みさせて頂きたく想います。いつも当ブログを可愛がって下さり、本当に有難く嬉しく想っております。また、よろしければ、いつでも、気軽に、お立ち寄り下さいネ!(^^)) (昨日の歩数記録。11451歩。)
2009.01.04
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