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こんにちは。吉祥寺のヒエトル萱沼です。今日は比較的早めの更新ですので、驚いている人もいるかも?それでも、中2日ですけれど・・・今日私が所属し、心から尊敬する「IT義塾」の塾長から届いたメールの中に京セラ創設者、稲盛和夫氏の言葉が書いてありました。『人間として正しい仕事を続けよ仕事を通して美しい心へたどりつく・・・・揺らぐことのない座標軸を持て 』という言葉にジ~ンと来るものがありました。以前から、私が弟子たちや生徒、患者さんたちに言い続けていることが「自分の中に『中心感覚』を持って活き、それを信頼せよ」と言うことです。稲盛氏の言う『座標軸』とは、そのことであろうと感じたわけです。『人間として正しい仕事』と言うのも、また他人本位が自分本位と内在的に繋がるような、自分の魂の『声』に逆らわない楽チンな活き方、活かし方を指しているのではないでしょうか?特に『座標軸』についてですが、自分の中に『中心』が無い場合は、この変化の激しく多様化した現代において他人の評価や価値観に絶えず振り回されることになります。物理的に考えてみてください。例えば、コマがあるとして中心がズレたコマはブレが大きく、すぐに回転が止まってしまいます。回しても回しても、いくら頑張っても倒れてしまうのです。これが人の『こころ』の場合はもっと厄介なことが起こります。中心が自分の『中心』を遥かに離れて、自分の『外』に出来てしまった場合です。回っているつもりが、いつの間にか、自分の『魂』以外の何かに振り回されることになります。しかも、その何かは絶えず変化するので、終いには全く自分のいる位置が解からなくなってしまうのです。この状態では、行きたい場所にはなかなか辿り着けません。これでは『迷子』ではありませんか!「もう何も信じられない」状態です。世間や権威の向いた方向へ、ただただ、いたずらに付いて行くしかなくなるのです。物質的、権力的方向へ行っても「不安」が輪をかけて大きくなる一方です。自分の居場所は誰にでも必ず存在します。自分の『魂』の声に従ってください。『魂』を他人に預けるような生きかたは思いとどまって下さい。本当の『充実感』を得るきっかけは当たり前に目の前にあるのではないでしょうか?以下は塾長から頂いた、稲盛氏の言葉の全文です。『人間として正しい仕事を続けよ仕事を通して美しい心へたどりつく 競争の激しい、弱肉強食のビジネス社会にあって、私たちはすぐ目の前にある利益や目標を必死になって追い続ける姿勢になりがちです。それは毎日食べていかなければならないのだから当たり前でしょう。しかし、精いっぱいやるというのはもちろん大切なことですが、この仕事は何のためにやっているのかといつも自問自答して欲しいと思うのです。 あなたの能力と時間を注ぎ込み、人生を費やしている仕事は人の役に立つのか。人を幸せにすることの一端を担っているのか。その仕事の原点に立ち返ることを忘れずに誠実な努力をして欲しい。私は今日まで多くの仕事人を見てきましたが、成功を収める企業人に必ず共通しているのは、「利他」の心をいつも内に秘めているということでした。私も、考え方、生き方の中心にこの「利他」の心を据えて働き続けてきたのです。 「利他」の心とは、人を思いやる心。自分だけの利益を考えるのではなく、自己犠牲を払ってでも相手に尽くそうという、人間として最も尊く美しい心です。わが社にとってどうすれば利益になるかとか、私個人にとって何が良いかということではありません。それは、一つの企業とか個人の利害得失を超えて、もっと広く高く、人間にとって、世の中にとって何が良いことなのかを考える生き方です。利益はそのあとからついてきます。 そんな理想を言っても、と思うかもしれない。しかし私はこの考え方を京セラ創業以来、全社員に言い続けています。またDDI(現KDDI)を創業した際に強調したのもこの点です。ビジネスも人間の営みですから、人間の純粋な心の持ち方が共感をかちえ、仕事を成功へと導いていくのです。これは国や人種を超えていくことも、私は海外企業とのビジネスの成功で実感しました。「利他」の心は人を動かしていくものなのです。揺らぐことのない座標軸を手に入れよ 人生も世の中も絶えず変化し、また情報もあふれ返っています。その揺れは大きく激しく、一体自分はどこにいて、どちらに進んでいけばいいのか途方に暮れることもあるでしょう。 私はどんな時も人を支えるのはその人なりの哲学、生きていく上での座標軸であると考えています。一度それについて真剣に考え作り上げ、あなたの生き方の中心にきちんと据えておく。自分の身に何が起きても、自信を持って判断できる生き方の基準、つまり哲学を持っていて欲しいと思います。 例えば仏教では、「六波羅蜜」という六つの修行を説いています。人を思いやる「布施」、戒律を守る「持戒」、一生懸命努力を続ける「精進」、耐え忍ぶ心の「忍辱」、心静かに自分を見つめる「禅定」、そしてそれらが身について至る「智慧」。迷い、挫折し、先行きが見えないと思った時、今の自分はどうすれば良いか。こういう教えが力を貸してくれます。 なぜ仕事に打ち込むのか。地位を上げ、お金を稼ぐことが本当にあなたの最終的な目標なのでしょうか。仕事に励んでいるすべての人に考えて欲しいのは、働くことにはそれ以上の目的があるということです。私は、「利他」の心を持ち仕事に打ち込んでいくなら、必ず素晴らしい人生を歩めると信じています。(談)』※「理学気功」や「冷えとり」に関する詳しいことは 「理学気功ドットコム」へアクセスしてください。 「無料治療モニター」など情報が盛り沢山です!◎トップの『BOOKMARK』や『お気に入り一覧』からお入り下さい。
2004年01月30日
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こんにちは!吉祥寺のヒエトル萱沼(かやぬま)です。久々にこころの「冷え」についてお話します。今回は「成功」と「失敗」について以前から思っていて、最近確信に至ったことについて書きます。それは「人生に『失敗』など存在しない」ということです。物事にはすべての生命活動に「摂取」と「排泄」が不可欠であるのと同じように、何かに取り組む過程においては、さまざまな『気づき』が必要なのです。『陰』と『陽』、+と-、男性と女性などのように相反するかに見える存在がお互いの存在をより確かにしているのです。『成功』と『失敗』もまた同じことなのです。『失敗』にあたるような物事によってのみ『気づき』は生まれるので、この場合生き物に「排泄」と「摂取」が不可欠なように、人生においては『気づき』があってこその『成功』なんだと思います。その時点においては、『失敗』はもう『失敗』ではなくなっているのです。もともと、『失敗』など存在しないのですが、「すべての存在」との『一体感』を失ってしまうと、「物事の永遠のつながり」に気づかないために、自ら自分の活動に『終止符』をうってしまうのです。まだ、沢山残っているポイントに気づかずに、勝手に落ち込んでゲームを途中で降りてしまう様なものです。あー、なんて勿体ないことでしょう!どこで自分の状況判断をするか?という問題で言うなら、今日には今日なりの・・明日には明日なりの進展が必ずあるものです。つまり、本当の意味での「区切り」は人生には存在しません。限りなく続いているので、どんな問題であっても終わりはないわけです。したがって、『成功』も『失敗』もほんの一面からの状況に過ぎません。大きな流れの中ではいつも私たちは「『成功』しつつある状態」にいるわけです。その『失敗』というのは、自分のイメージが創りだした幻想に過ぎないということです。そして、そのイメージから抜けられなければ『気づき』は当然起きないのです。そのときこそ、全存在との『一体感』がより重要になって来ることでしょう!『人間万事塞翁が馬』 ー 皆さん、純粋な『失敗』は存在しないのです。◎「冷えとり」「理学気功」についての詳しいことは「理学気功ドットコム」まで ※トップ・ページの左上「BOOKMARK」からお入り下さい。
2004年01月27日
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今晩は。吉祥寺のヒエトル萱沼(かやぬま)です。昨夜は治療自体に興味のある人のための「無料体験セミナー」を開きました。研修生3人と無料セミナー参加者2名でしたが、2名ともに共感して、入学を即決してくれました。(祝)では、お約束どおり、翠泉0228さんに頂いた「無料治療」の感想文を掲載します。「萱沼先生 おはようございます。昨日は無料体験に参加させていただき、ありがとうございました。初め先生に検診していただき体の歪みや呼吸が短いなどのご指摘を受け、それに伴って内臓の各所が弱っていることが分かりました。当日の朝は血圧が高く体の右側が凝っていて腰痛もあり体がガチガチに固まっているような状態でした。次に、研修生の方に全身を施療していただきました。とても気持ちがよくて、初めに頭を手で持ち上げてくださったあと、左側の頭の先から足の指先まで一本の温かなエネルギーがすーっと通った感じがしました。体のねじれを治すために腕を組んで指示どおりに呼吸をしながら力を入れたり抜く方法を数回していただき、ねじれが治り気分も良くなりました。全ての施療が終わったら心地よい眠さが出てきました。すっかりリラックスしたのですね。先生はHPで拝見していたよりもずっとお若くて説明してくださる声も自信に満ちた落ち着いた声で誠実なお人柄がよく分かりました。病院での治療は、薬を飲んで改善できなければ更に薬の種類と量を増やすだけですので疑問をもち、ときどき薬を飲むのをやめてみたり、根本的な治療はないものか、と考えていたところでした。これをご縁に「冷え取り」と「半身浴」を続けていこうと思います。体調がよくなれば少し勉強したいなとも思っています。今後ともよろしくお願いいたします。」※無料セミナー・無料治療のお問い合わせは「理学気功ドットコム」まで。 アクセスはトップ右下「お気に入り一覧」からどうぞ!
2004年01月23日
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こんにちは!お久しぶりです。吉祥寺のヒエトル萱沼(かやぬま)です!先日の日曜日に吉祥寺で無料治療体験会を開きました。参加者は楽天から翠泉0228さん。その他に2名で計3名の参加がありました。私が検査したあと、研修生と弟子がそれぞれの治療に当たると言うスタイルです。ただ、2名の研修生のキャリアは数ヶ月という短さで普通の学校なら、腕の良い弟子以外に任せるようなマネはしないでしょう。効果を確実に出さなければ、モニター参加者の正規での来院は望めないと考えれば、当然かもしれない。しかし、「理学気功」の指導システムに確信があるので、あえて研修生にモニター治療をさせるのです。研修初日でさえ確実な効果がでるのだが、練習相手が近親者や顔見知りだと反って気が抜けて中々覚えられないものです。一度習ったことなら右脳はすべて記憶しているので、適度な緊張と期待感を与えるだけでとてつもない能力を発揮するものです!事実いつも「覚えられない・・」とこぼしているような研修生でも、治療モニターに対しては結構すんなり出来るものなのです。「なんか、結構できちゃうもんですね」とニコニコです。実はこの感覚にさせる事が最も大切で、時間をかけて理論や技術を教えるだけでは、いつまで経っても『確信』は持てません。助手として現場に立たせても、結局は自分で動けるようにはなりません。もちろん確実な治療体系の存在は不可欠です。人を治療してはいけないのです。「自分の知っていることは100%研修生に教える。」という当たり前のことがほとんど行われていないと思うのです。他の学校が研修生に「患者候補」の人の治療を任せないのは、肝心なことは何も教えていないからに他ならないのです。簡単な事を難しくしてしまうことで、研修期間は膨大に長期化します。「簡単な事は簡単に!難しい事は面白く!」することで驚異的に履修スピードはアップします。「理学気功」の研修生だからこそ、僅か2ヶ月(週一)の研修で安心して任せられる訳です。ヒエトル萱沼自身は研修生に活きた経験の場を与えられたことに喜び、研修生も自分自身の治療技術に確かな手ごたえを感じて喜ぶのです。そして、何よりもモニターの参加者は無料で『身体の潜在能力』の存在に触れられたことを喜んでいました。関係者の総てに得るものがあり、誰も損をしないことで『場』が益々エネルギーを持つのです。この体験会参加者、楽天の翠泉0228さんの体験レポートは次の日記に必ず掲載します。どうぞ、お楽しみに!※無料治療体験モニターについては、「理学気功ドットコム」まで! アクセスはトップ・ページ右下「お気に入り一覧」からどうぞ!
2004年01月22日
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こんにちは。吉祥寺のヒエトル萱沼(かやぬま)です。久々に日記の更新を致します。今回もこころの「冷え」について話を続けましょう。最近、患者さんたちの「毒だし」反応にも様々なパターンがあるので、私も対応にはかなり神経を使います。一番困るのは患者さん自身『自然の大法則』に反した行動が現状を招いていることに気づかない場合です。※その法則というのは、あらゆる生命活動を含む物理現象にはエネルギーを「取り入れ」て「排泄」するというサイクルが不可欠である、というものです。それが止まると活動そのものは途端に停止してしまいます。つまり自分で蒔いた伸びた雑草は自分で刈り取るしかないのですが、雑草の存在ばかり気にして自分が蒔いた種のことはすっかり忘れているようです。実際の草なら他人に頼む事も出来ますが、自分のからだに溜めた「毒」となるとそうもいきません。「毒素」を出す時には必ず痛みや不快感を伴うので、多くの患者さんは「楽に毒を出して早く治るようにして下さい」と言うのですが、これでは「面倒くさいから、貴方がが代わりにトイレに行って来てくれ。」と言うようなものです。今も不自然な化学物質の出現による環境汚染が深刻ですが、『自然の大法則』にも限度はあった、ということです。川の浄化作用の限度を越えたから川が汚れてしまったのです。人のからだも限度以上の「毒」は排泄出来ずに溜まってしまいます。川は目に見えるので、環境改善によって浄化作用を取り戻した川もあるようです。ところが、からだに溜まっていく「毒」は見えないために誰も何もしません。からだの中がドブ川のようになっていることに気づこうとはしません。しかも、自分以外に気づいて手を貸してくれる人もありません。「自然の環境問題」に取り組むのは素晴らしいことですが、自分自身もまた自然の一部だということを考えてみてほしいと思います。人間の「からだやこころの汚染」の方が問題では?と思います。なぜなら、環境破壊を生んだ張本人こそ「科学の発展」や「生活の向上」という言葉にすり替えられた、私たちの「自分本位」の「冷え」た「こころ」だからです。どうやら、1人ひとりのこころの「冷え」を取るほうが「環境問題」でさえも解決する可能性を秘めているような気がします。こころの「冷え」を取るためには、からだの「毒出し」が必要なことは、前にもお話しました。ところが、その際の反応さえも拒絶した上で治りたい、というのは「借金を踏み倒す」とか「刑務所から脱獄する」ことを好しとするようなもので全く不可能です。実際には「自己破産」も「恩赦」もありますが、からだの「毒」には例外はありません。どうか、皆さんには自分自身のこころとからだに長年かけて来た無理(ある意味では虐待かもしれません)の後始末が「毒だし」反応だと考えて、清廉潔白な清清しい気持ちで反応を受け入れていただきたいと思います。※「冷えとり」や「理学気功」についての無料体験モニターについては 「理学気功ドットコム」まで アクセスはトップ・ページ右下「お気に入り一覧」からどうぞ!
2004年01月16日
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こんにちは。吉祥寺のヒエトル萱沼(かやぬま)です!暫くは「こころの冷え」についてお話を続けようと思います。『他人本位』になろうとするとき、初めから見返りを期待して行動したのでは、既に『自分本位』ということになってしまいます。でも、そんなことは実はどうでもいい論点かも知れません。なぜなら、知っての通り、心底『自分本位』になってみたところで、思うような見返りなど絶対にないからです。金銭的な見返りなど特にそうかも知れません。ところが本当は行為が思いの結果であるとするならば、必ず変化は起こります。良い思いなら良い方へ、悪い思いなら悪い方へではありますが・・・。ただ、なかなか自分の行動(思い)と結果との繋がりは見えません。例えば、AさんはBさんが困っているときに色々と親身に面倒をみていたとします。ところが不景気でAさんが困ってBさんにお金を借りようとした時、今は余裕のあるBさんは冷たかった ー そんな時、ほとんどの人は自分がAさんの立場なら、Bさんに対して「恩知らず」だと責めるかも知れません。当然、恩があるから貸してくれるのが当たり前ということです。よく考えると、「貸した相手本人から借りを返してもらうこと」に拘ると自らの「こころの毒」を増やすことになるのです。『宇宙全体がひとつの存在』だとすれば、CさんやDさんがBさんの借りを返すのも、Bさん自身が返すのもまた同じ事なのです。人間同士のやりとり全ては、全体の流れとして旨く調和しているように思います。そもそもが『損』も『得』もないのではないでしょうか?ただ、巡り続けるだけです。「生きる」は「活きる」とも書けますが、『活かしあってきた』からこそ今があるんだ、と思います。理由が解からないような大きな『親切』を他人から受けたりしたことはありませんか?当然それは、かつて自分から発せられたものが返って来たにすぎません。自分じゃないとしても、自分の親や親族が元かも知れない。私はよく20代前半の人には、なぜか気持ち良くご馳走してしまうのですが、私自身学生時代に居酒屋などではよく他人にご馳走になっていました。こういうことは、実に多いはずです。一時の状況だけに振り回されて、「一体感」を失うことは馬鹿げていませんか?私たち全員は充分に恵まれているのではありませんか?本質的『損』する人などいないことが分ると「自分」のためには『他人本位』になっている方が物事はよっぽど上手くまわることに気づくはずです。※「冷えとり」「理学気功」のことなら 理学気功ドットコムまで! アクセスはトップ・ページ右下「お気に入り一覧」からどうぞ!
2004年01月10日
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こんにちは。吉祥寺のヒエトル萱沼(かやぬま)です。今回は「冷えとり」を続けることで、なぜ自分と他人との間に一体感が持てるようになるか?についてお話します。「冷えとり」は続けていくうちにからだの毒素排泄活動が活発になってきます。様々な「毒だし」反応は「冷え」が取れて、からだの機能が回復すればするほど、強くなってきます。しかも、見た目は状態が悪くなっていくように思えるので、「不安」を感じてしまうこともあるでしょう。しかし、注意深く状況を見据えると、あることに気づきます。明らかに「気分」が軽ろやかで、不快感がある割には「やるべきことは出来る」し、「からだは動く」のです。確かに内臓に溜まった「毒」というものはあるんだ、という事実に気づいた時から、不快なイメージが薄らいで「毒」のでる状態を「楽しむ」ような気持ちになってきます。その過程で、各内臓はバラバラな存在ではなく、確かに「こころ」も含めた「一体の存在」であることを感じ取るようになります。考えてみれば、私たちの「からだ」はひとつの受精卵から細胞分裂してできているのです。心臓も肺も腎臓も全ては「一体の存在」であることは否定のしようもありません。自らの「からだ」で味わった「一体感」は、やがて自分自身が「宇宙」という自然と「一体」であり、自己と他との関係においても同様であることを感じ取れるようになるのです。それはどんな人たちにも起こっている「真理」です。これを味わったら、『どんな人間関係にも意味がある』気がしてくるから、不思議です。いつも自然との「一体感」を感じられることで、随分と気持ちが楽になっていきます。なぜかトラブルも減ってくるのですが、これを一般には『運気』が良くなるというのでしょう。人間の「からだ」は、まさに「宇宙」の縮小モデルだといえるのです。病気や症状を契機に自らの「からだ」で壮大な実験実習が出来るわけですから、考えようによれば、全くもって運がいいと思えなくもないではありませんか?これを読んでも、ピンと来ない方も多いと思いますが、実際にやってみないことには味わえない感覚かも知れません。※「冷えとり」や「理学気功」についての詳細は「理学気功ドットコム」までアクセスはトップ・ページ右下「お気に入り一覧」からどうぞ!
2004年01月08日
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こんにちは!吉祥寺のヒエトル萱沼(かやぬま)です。最近、私の名前を菅沼(すがぬま)と勘違いされる方が多いので、ぜひ覚えてください。ヒエトル萱沼(かやぬま)です!さて、暮れにも「こころの冷え」は5000倍というお話をしました。『自分本位の考えをやめて、他人本位になれば良い』というのは、確かにそうですが、そう出来ないから苦労するわけですよね?失礼しました。その辺りを詳しくお話しましょう。私ごとで恐縮ですが、かく言うこの私も「冷えとり」開始前は予約のドタキャンや全く言うことを効かない患者に対しては、よくイライラしていたものです。人間というものは、『自分を認められたい』『損はしたくない』という意識は必ず持っています。その真意は『一体感』ではないか?と思います。裏を返せば『分離感』を感じることに対して拒否反応があるということではないでしょうか?私がイライラしたのも『分離感』を感じ、それを持て余した結果に他ならないということです。私たちは、常に他の誰かと繋がっている感覚なしには生きられない存在なのです。極論ですが、純粋に「自分勝手」な言動によって満足を得られる人間はいないと思います。なぜなら、私たち全員はもともとひとつの存在だからです。そのことさえ、確信できれば、『他人本位の考え』が結局は自分にとって一番好都合な結果に繋がることに、当たり前に「気づく」のです。私が知る限り、そのことを確信できる近道が「冷えとり」という包括的科学体系だったわけです。自分自身のからだの中にこの世の全ての「理(ことわり」が凝縮している、と言ってもいいと思います。「からだの変化」が「こころの変化」を生むのです。精神論や「生き方」を説いた本だけでは、決して「こころの変化」は起きません。それどころか、反って自信を失くすことの方が多いのではないでしょうか?私もそういう思い出があります。「宇宙」にもビック・バンという始まりがあります。太陽系、銀河系、そして「地球」にも・・・・もちろん、生命体にも始まりはあります。私たち人類、私たちひとりひとりはビック・バンをひとつの始まりだと考えても、もとは「大きなひとつの存在」だったと思うのです。『無意識』という、こころの領域があります。そこでは、時間・空間を越えて、私たち全員の『無意識』が繋がっている ー という仮説があります。証明することは出来ませんが、そう考えなければ説明のつかない、特殊な「感覚」は誰でも持っているものですよね。『何となく・・・』や『ピンと来る感じ』といった、いわゆる『むしの知らせ』的な感覚もそうでしょう。私たちは『意識』や『自我』を持った存在です。「こころ」といってもいいかも知れません。そして『無意識』は「こころ」と「からだ」を統合しているような存在だと考えられます。「冷えとり」が、どういう経過で『無意識』の領域に働きかけ、『分離感』から「こころ」を解放し、「他人本位」と「自分本位」との区別すら無意味にさせるのか?このことについては次回お話します。※ 「冷えとり」や「理学気功」についての詳しいことは「理学気功ドットコム」 ◎アクセスはトップ・ページ右下の「お気に入り一覧」からお入り下さい。
2004年01月06日
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こんにちは!吉祥寺のヒエトル萱沼(かやぬま)です!今まで日記に日々分けて「冷えとり」についてお話して来ました。、しかし「これでは見にくい」「もっと基本から知りたい」などの要望が多いので、ちゃんとページを作ることにします。単にコピペするだけの所も多いですが、多少は既に日記でご覧頂いてる方にも得る所のあるページにしようと思っています。ちょこちょこ作っていきますので、何かの足しにして下さい。私の特技でもある「顔の骨格から解かる、人間観察法」についてのページも作るつもりです。どうぞ、今年も「理学気功」にご期待下さい。あくまで実用性にこだわって行きます。◎本家HPものぞいて見てくだあさ~い!「理学気功ドットコム」 ※◎アクセスはトップ・ページ右下の「お気に入り一覧」からお入り下さい。
2004年01月03日
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ヒエトル萱沼です。皆さん、明けましておめでとうございます。昨年中はこのHPをひいきにしていただきまして、本当に有難うございました。こころから感謝を申し上げます。今年も引き続きよろしくお願いいたします。さて、暮れ正月と「食べ過ぎ」による「冷え」で体調を崩すかたが必ずいることでしょう。そこでワンポイントアドバイス!食べ過ぎてしまってからでも、「半身浴」は絶大な効果があります。38度前後の「半身浴」は食後であっても問題ありません。消化を促進するには十分です。更に半身浴後に絹・綿靴下の交互履きをすれば、もっといいのですが、綿か毛100%でもとりあえず無いよりましですから、履いて寝てください。そして、就寝時の「湯たんぽ」が抜群に効果があります。無ければ、ペットボトルがとりあえずの代用品になります。湯たんぽの素材は「陶器」が一番で次に「金属」です。「冷え」を取る目的で言えば、プラスチックは落第なのです。前にお話した化繊の靴下と同じ理屈です。2004年第1弾記念として、もっと速攻性のある方法もご紹介します。まあ、簡単な「気功」だと考えて下さい。先ず右手を右肋骨の際の肝臓部分に当て、真後ろを左手を当てます。この時肝臓の毒素がからだの外へ出て行くイメージをして下さい。次に左の際の胃に対して同じ事を行います。手を当てる時間はほんんわか温かみを感じるまでです。「冷えとり」についての詳しいことは、「理学気功ドットコム」まで。 ※アクセスはトップ・ページ右下の「お気に入り一覧」からお入り下さい。
2004年01月01日
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