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私は今まで『足るを知る』という言葉がとても強制的な言葉だと思っていました。どちらかというと、「あなたは少しは自分の分をわきまえなさい!」と強制されている言葉としか捉えられてなかったんです。小林正観さんに学んだ、【吾唯足知】(われ、ただ、足るを、知る)・・・京都・竜安寺に水戸光圀公が寄進された円形の石に刻まれた文字。で、どうやら私は大きな誤解をしていたことに気づかされました。だって、その意味は『私は、ただ、満足することを知っているだけだ』という禅の極地を書いたものだということを知ったからです。小林正観さんはおっしゃっています。『幸せ』になることの根源というのは、ただ満足することを知っているだけ、それによって『幸せ』になれるという禅の奥義のことらしいです。外から、満足を知れ、分をわきまえろ! なんていうメッセージとして捉えるから反発していた意識があったのかもしれませんが、『幸せ』になれる奥義が、【満足することを知っていさえすれば】という内的な意識だということさえ知れば、なんて凄い言葉なんだ!!と思わず歓声をあげてしまいました!!凄い気づきをいただきました!!感謝追伸、ところでこの話、面白いエピソードがあるんです。。。それは、私の会社の後輩にS君がいまして、彼はとても私をしたってくれていてある日こんな話をしてきました。「僕も、竹○さんがよく言う【自分との約束】として、毎日少しずつでも本を読むことにしたんです。「ほう、で、どんな本?」「禅の本です」「へぇ~」「何でまた 禅の本あの?」「竹○さんが、いう【空】の極地にちなんだ本が読みたくて。。。」「あはは」そんな彼が先日の会社の朝礼でのスピーチでその自分との約束の話をしていました。「禅」について学んでいると。。。そしてスピーチの最後にこう言ったのです。「これからも現状に満足せずにがんばっていきたいと思います!」と。。。後でS君を呼んで、ことの経緯を話して2人で大笑いしました。(彼は苦笑いでしたが。。。)現状に満足しなさいではなくて満足することを知るだけで、、、同じことのようで全く違う気持ちになりますね。。。感謝
2007.01.31
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正直にいいます。実は久しぶりに悩んでいます。「最近のりんりん竹ちゃんさんの日記、なんかいつもと違う!!」そんなふうにメールをもらったりもしました。悩みを持たなくなる、持つ必要のない方法を一生懸命学んできたのですが、実は、そうなんです!!今、あえて『悩む』を選択していました。なぜ、あえて悩むを選択したか、、、どうやら、そろそろ次の学びが用意されているみたいなんです。そんなふうに言ってはみたものの、ブログとして書き出してしまえば、「なーんだ、そんなことか!!」みたいなことだったりするのでしょうが、、、どうも前世のブログが削除されたあたりから、必要、必然的に削除というイベントが用意されていたような気がします。勝手に師と仰いでおります、世界遺産・薬師寺の大谷和尚のさらに師匠の故・高田好胤和尚のことばに、こんな言葉があるらしいですね。。。「法話は所詮、理屈ですから。。。」と。ここ数年、私はいろんな出会いとご縁から、本当にいろんな学びをさせていただきました。本当に、体感していない、でもきっとそうなんだろうな。。。と思えるようなこともどんどん吸収させていただきました。なんてったって、究極、世界遺産・薬師寺の大谷和尚とインドに6000キロの巡礼にいったくらいですから。。。でも、、、、所詮、理屈でしか理解できてない部分が多いんですわ。。。もちろん、自分で体感して、そして自分の言葉で、さまざまな場面で講演させていただくことも本当に増えてきたのですが、、、、どうしても、一点、ようわからん部分があるのですよ。。。それがね、、、、【夢や希望】なんですわ。。。夢や希望が自身を向上させるのに絶対必要だという価値観の中で育ってきた私にとって、倫理でも、小林正観さんとの出会いでも、大谷和尚を通じて出会った仏教の教えでも、いわゆる【欲】のコントロールについていえば、理屈で学んできたのですが、どうも本音では自分がコントロールできへんのですわ。。。と、いうことで悩んでいます。。。というか【悩む】を選択してみます。。。ただですね、私の場合、理屈ではない部分で、『悩むのやーめた!!』という選択権が自分にあることは今までの学びの中で掴みましたから、いつでも『悩み』からは抜けれます。。。ほんとかいな???あはは、しばらく、悩みを選択している私の様子を観察しててくださいね。。。きっと何か、見えてくると思っています。。。。感謝
2007.01.31
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『【成功】とは、閉ざされていた可能性を開くということだ。』あるメルマガで目にした、私にとってはとても共感する言葉でした。私はこの楽天日記でのプロフィールに【成功】=【成長】だと当初から記している。そんな私にとって『成功とは、閉ざされていた可能性を開くこと』という言葉は、まさに成長とも読み替えることができる、これ以上ない言葉であったのです。【真剣に生きる】の“真剣に”とは、いったいどういう意味なのか?本当に考え込む毎日を過ごしていたわけですが、そんな中、大きな気づきを得たのは同僚のK君(といっても私より4つ上の人)との車の中での雑談からでした。その日、私たちはかかえていた仕事での大きな共同案件の最後の詰めにある企業の経営者に方を訪ねていました。6月の段階で、ほぼ私たちご提案にご賛同いただき、あとは金額を決めるまでの段階までこぎつけていました。その経営者の方からは、「7月に入って10日くらいには良いお返事が出来ると思います。。。」とまで言われていたその案件、、、実は最後の最後に、顧問税理士、そして会長さんの反対にあって話が暗礁に乗り上げてしまったのでした。その事実をその経営者さんから聞かされた帰りの車の中、そりゃーもう醜い言葉のオンパレードでした。「あの素人税理士め!」「会長は何もわかってない!」そして何よりあんなに味方になってくれてた経営者さんのことも「あの経営者さんが決断力がないから悪い!」などとそりゃ醜い言葉の羅列でした。。。そして、それも悪態つき飽きたころ、今度は「でもさぁ、俺たち良くやってるよなぁ~ 他の営業なんてここまでやってねーよなぁ~」などと今度は他の同僚と比較して自分たちを慰め始めていました。。。お互い、なんとなく気まずくなり始め、車の中は無言の空気が流れ始めました。。。しばらくして、ほとんど同じタイミングで口を開き始めたんです。。。「でもなぁ~俺たちに隙があったよなぁ~、あの経営者さんの言葉に油断して本来すべき手立てをなにもしなかったよな~」「そうやなぁ~、日ごろやれてることをやってなかったよなぁ~油断とか言いたくないけど、自分たちでこれくらいしとけばいいやろうみたいな感じでしかなかったなぁ~」「念には念を、そう、今の心、目の前にあるこtに一生懸命になることを忘れていたな。」「他の営業と比べていくらがんばってたって、自分たちの中で余力を残したままで結果がでなかったら意味ないわな」「がんばったかどうか、一番知っているのは自分だもんな!自分はごまかせないよな!他人は関係ないわ、他の奴と比べたって、自分をごまかすのは無理だよな。。。」そんな会話の中で、私は思ったのです。。。【真剣に生きる】の“真剣に”という意味は、自分をごまかさずに、【自分に嘘をつかずに生きる】という意味ではないんかなぁ???って。。。もし本当に自分の魂が、今世での学びをプログラムしてきているのだとしたら、自分の成長の為に作ったはずのプログラムを否定してしまうことになるんではないか?真剣に生きていないとすればそれは、成長の為のプログラムだったのに、その成長を自分から下りるのに、自分をごまかして、偽って、嘘をついて、その下りる理由を他人や環境のせいにしてしまっていることになるのではないか。。。もともと成功が閉ざされていた可能性を開くということだとすれば、真剣でないということは、自らその可能性を不可能にしてしまうことをになるのではないか?そこには他人との比較はないですよね。。。私とK君はまさに他人と比較してがんばっているつもりになり、まだ余力をの越していながら、自分たちのスケールで7割の力で胡坐をかいていただけ。。。真剣に生きるということは、もともと自分でプログラムしてきた学びに対して、その閉ざされた可能性を打ち破り、生まれてくる前の自分との約束を守ることなのかもしれないなぁ。。。そんなふうに思ったのです。。。きっと私は成長するために生まれてきています。成長するには、真剣に自分のスケールの100%を使ってやらずしてことはなせません。。。そこに気づかせてくれた今度の世界遺産・大谷和尚の講演会のテーマ【真剣に生きる】の意味は、私にとってはまさに【自分との約束を守る】ことだったんです。。。感謝
2007.01.30
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【調御丈夫】という言葉。私の師匠である、薬師寺の大谷和尚の大好きな仏教の言葉らしいです。今日の私は心が乱れていました。まだまだ未熟です。思い通りにしようとするから苦しくなる。。。そう、自分の心をコントロールできる術を3次元的に理解できているのに。。。以前読んだ、「はるあきら」の中で、安倍清明の意識体はこう話しています。『距離感が近い人に対しての関係には、情が混じる。感情が流れ込む。だからやっかいだ。感情に浸りすぎて抜け出せなくなる』今日の私は正にこれ。。。この情がかなり厄介で、コントロールを不能にしてしまいそうになりました。はるあきらは、こう言っています。『距離感が遠い人に対しては、あなたのエゴはあまり表面に出てこない。その人にも執着していない。だから、その都度、見るだけで済む。距離が近いとこれが逆になる。感情を流しすぎて収集がつかなくなり、相手を受け入れないことに混乱する。エゴを是が非でも通したくなり、それがままならぬことに常にいらだっている。。。』特に距離が近い家族なんていうものはそんな感情に陥りやすいのかもしれませんが、近い距離の家族以外の人にも同じように感じてしまうことがあるのかもしれません。。。で、師匠、大谷和尚の好きな仏教の言葉、【調御丈夫】についてなのですが、その言葉の意味を話す前に、大谷和尚はこんな話をされました。『私たちは外側と内側を整えなきゃいけないんだよ。。。外側は目に見えるものだから整えやすい。だけどもこちら側の安らかな心、これを勉強しなくちゃいけない。。。。』と。ある時、迷える大谷和尚を救ってくれた言葉、それが【調御丈夫】という言葉だったらしいです。「調御」の調は調べるという字。調べるのほかに何と読むかといったら、調(ととの)えるという意味があります。調整するという言葉がありますね。次に御というのは制御の御らしいです。制御というのは抑えるということ。「丈夫」というのは「勇ましい人」という意味でこれが仏さまの別名らしい。。。ということで、この言葉の意味は「仏さまは丈夫な人だ」、勇者だと書いてある。。。どういう勇者かというと、、、『自分の心を調え、抑えることができる。自分のことを調整できる人』という意味らしいですね。。。あああ、お釈迦様だからそりゃできるわな!!!なーんて思ったりしたのですが、大谷和尚は言いました。「あのね、今の話をひっくり返して考えてみると、お釈迦様は元々は調整できなかったということなんだよ!!!」えええええ???そういえば、私は今年の初め、インドに巡礼の旅に行ったとき、お釈迦様が悟りを開くまでの苦悩の日々のことを学んできていました。。。「確かに。。。」その時、私はつぶやきました。「竹○、お釈迦様は苦しんで苦しんでそれをお超えになった人だから【調御丈夫】とつけられたなんだよ。最初から勇者になっていたわけではないんだよ、安らかな心をマスターする方法に気づかれた、そしてそれを何度も何度も練習された。。。」そんな大谷和尚の言葉が、今日、ふーっと私の頭に浮かんできました。。。まだまだ修行が足りないなぁ。。。今日の私の心の乱れは、そんな自分の心の向き、そして在り方を問う一つのお試しだったのかもしれません。。。はるあきら、そして大谷和尚、そしてお釈迦さま。。。本当に大きな気づきをありがとうございました。。。。感謝
2007.01.29
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『人間って本当に弱い生き物でさぁ~・・・ちょっとしたことでガタっていっちゃうんだよね。。。』私の車の助手席で、世界遺産・薬師寺の大谷和尚はそうおっしゃった。。。私は夢にまで見た大谷和尚との時間に心は少しトリップしていたのかも知れません。。。別大マラソンで有名な別府と大分を結ぶ通称「別大道路」の海岸線を走っている時に大谷和尚は私にこう質問されました。。。『竹○さんね、どうしてガタっていっちゃうと思う?』私は、突然の質問に驚いた。。。いつも同じような質問を周りの人にするのだけど、今日は質問される方だったから。。。不意の質問と、それが大谷和尚ということもあり、私は固まってしまっていました。。。『なんででしょうね。。。』私はそう答えると、大谷和尚の答えを待ちました。。だけど、大谷和尚は答えてくれません。。。長い沈黙私は耐えられなくなりまして、こう答えました。。。『自分をもってないからじゃないでしょうか?他人との比較の中で生きてるから、他人の意見に左右されてしまいがちで・・・』間髪入れずに大谷和尚は一言こうおっしゃいました。。。『ガタっていくのはね、それは決心が足りないからだよ!』がーーーーーーーーーーーーん!!!それって私が常々、きくりん1518に言ってることじゃないですか!!!私は大谷和尚との問答のその場の空気に圧倒されました。。。『人間がね、ガタっていっちゃうのはね、事を起こす時の決心の度合いによるの』うーん。。。何度も何度も自分でわかってるつもりで、その一言が出なかった自分、そして何よりもショックだったのは、答えることが出来ずに、沈黙を待ち、大谷和尚が答えを教えてくれることを心のどこかで期待して消極的になってしまっていた自分。。。すべて見透かされていたような大谷和尚の“間”の取り方、そして優しい中に力強い言葉。。。私は出会って5分で圧倒されてしまいました。。。決心全てはここから始まるんですね、積極的な自分、消極的な自分、それも全部 決心の差 なのかもしれません。。。
2007.01.28
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ほぼ一週間の海外生活から帰国しました。27日、23時を過ぎていました。ロスのホテルを出てから23時間経過していました。いやー、長時間の移動は堪えますね。最後は空港から自宅へ帰る高速道路で、ガス欠というなんとも珍道中な旅でした。今回の旅、といっても会社で毎年恒例の海外表彰式がメインだったのですがそこでの気づきはやはり内的なものばかり。。。ちょっと考え込んでしまうことばかりでした。ゆえに、ロスでの夜はほとんど寝ていません。眠れずにいろんな思考をめぐらしていました。仕事のこと、夢、人生、愛などなど。。。なんのこっちゃなんですが、必要なタイミングで日本をはなれたんでしょうね。。。過去の日記に遡りながら、そして写真を掲載しながら一週間を振り返りたいと思います。無事に帰国できましたことに感謝
2007.01.27
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今朝のEQセミナーは、先日のOSSでの大谷和尚の講演を聞いて、心のあり方の重要性に興味をもったH君が初参加のEQセミナーでした。OSSと朝のEQセミナーをごっちゃにしてる同僚も中にはいるみたいで、急にこのEQセミナーも注目を集めています。。。さて、今日のテーマは【選択と集中】というテーマで参加者全員での輪読の後、各自のアウトプットを行いました。私達、保険コンサルに限らず、コンサルという職種の基本は、企業経営の成功、失敗の真因を探り当てること。。。このことは何度か参加させていただいているF総研のセミナーで口酸っぱくなるほどお話いただいています。。。毎週の輪読とその後のアウトプットは、その文章の中にある、著者の意図を短時間に読解し、自分の言葉でビジネスに表現していく訓練につながるのでやっているのですが、これがまた本当に勉強になるのです。今朝の参加者は10名でしたが、やはり十人十色のアウトプットになって出てきます。講師をさせていただきながらそのアウトプットから更に派生させた講義に流れていくのですが、私もその講義がその日どう展開していくか全く検討もつきません。。。今日は、その選択と集中というテーマから、色即是空の話にまで発展しちゃいました。。。この色即是空についての私の考えは、後日またアップする機会があればさせていただきたいと思います。。。さて、選択と集中というテーマですが、著者の牛尾治朗氏はこう話されています。「・・・情報化社会の進展で、経営者は以前にも増してたくさんの情報に囲まれて事業を営んでいます。儲け話も山ほど舞い込んでくるため、ついつい手を出したくなるのが人情です。しかし、いくら魅力的な話でも、少しでも自信のない話、不安を感じる話は、一敗の意味の重大さゆえに見送り、休むことが大事なのです。大相撲でも十四勝一敗よりも九勝六休で勝ち越すことが、優れた経営の行動様式といえます。・・・(中略)・・・また野球でもストライクにすべて手を出すのではなく、自分の得意な球が来るまでじっと待つのが名打者だと言われます。経営も、少しでも危険を感じる時には見送るということが、経営判断の重要なポイントだと思うのです。」(以上抜粋)今日のテーマの中で、野球を例にあげてあった為に、みんなもわかりやすかったと思いました。営業でも、押すところと引くところ、じっと待つところ。。。などいろんな場面に当てはまることが多いのですが、じゃーどうやってその的確な判断をしていくか?ということが次の大きな課題になると思います。。。私が講義の中で話したそれは、まさにこのEQセミナーの第一回目からお話している、自分のスタンス(軸)の確立にあると断言しました。野球で例えても、仮に自分の好きな球が外角外の高めだとしても、バッターボックスでそのスタンスが決まってないと、つまりバラバラだと、好きな球でさえ捉えることは出来ないと思うし、また、軸がしっかりしていさえすれば、誘い球は、カットして好球がくるのをじっと待てると思います。ビジネスも自分が今何をすべきか、何の為にこの仕事をやっているのか?という確認作業(軸の確認)さえちゃんとやっていれば、目先のおいしい話などに惑わされることもなく、まさしくきっちりした選択に基づいて、集中して取り組むことができると思います。。。朝のEQセミナーも、その本来のスタンスを忘れることなくここまで何とかやってこれているのも、参加者全員の目的意識を毎週波長合わせ出来ているからだと思います。。。選択と集中、その前にスタンスですね!!!先日講演させていただいた仙台で、ご縁いただきました タカノエイサクさんが、薬師寺の大谷和尚と私についてアップしてくださいました。。。恐れ多くも、大谷和尚の講話と私の講演と並べてアップしてもらってまして、少々照れますが感謝です!!!以下クリックしてみてください。。。・大谷和尚とリンリン竹ちゃん
2007.01.26
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今回の旅で、一番心に沁みた風景です。サンディエゴの港って軍艦がいっぱい止まってて、アメリカ海軍の港なんですね。なんと、あの映画「TOP☆GUN」の撮影もこの地でなされたとか、、、実は、トムクルーズが町のショットバーで飲むシーンがあるのですが、その撮影があったバーの前を通りました。写真は上手く撮れてなくて掲載できないのですが、夕方、夕日が水平線の彼方に堕ちてゆく風景はとても感動的でした。
2007.01.25
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♪サンディエゴフリーウェイを南へ走ってる国境線越えたら砂埃舞うメキシコ♪ロスに来て3日目は、私はメキシコに足を伸ばしてみました。距離にして片道400キロくらいだったでしょうか、、、私のiPodからは、浜田省吾の『夏の終わり』という曲が流れていました正直、なんでロスまできてロス観光もせずにメキシコだったかといいますと、その浜田省吾の曲、「夏の終わり」の歌詞に出てくる、サンディエゴフリーウェイを走って国境線を越えたかったからでした。。。なんともミーハーな感じですが、私は多大に浜田さんの曲に影響されて育ってきましたので、こんなチャンスはないと思ってのアクションだったのです。。。でも結果的に、私は今回の旅で一番楽しかったのは、このメキシコでした。アメリカからメキシコへ入国するのはめちゃくちゃ簡単だったのですが、逆にメキシコからアメリカへの入国はとても厳しかったです。車で国境を越えようとするドライバーがなんと多いこと!!長蛇の列でした。私はメキシコといっても国境の町、ティファナでの観光だけに留めました。ガイドの方の話によれば、アメリカが犯罪レベルがAランクならば、メキシコはSランクだといわれ、、、、ちょい怖かったです。写真アップしますね感謝
2007.01.24
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大分の自宅を出たのが1月22日の6時半、大分空港に向かい、空路、約一時間半で羽田空港へ、リムジンバスで1時間、成田空港へ移動、9時間かけてロサンゼルス国際空港へ、1時間かけてアナハイムにあるヒルトンホテルに到着、その後表彰式の後、パーティー、、、と忙しい1日目の次の日、私は、世界遺産のグランドキャニオンの観光を楽しみました。ロサンゼェルス空港近くの小さな空港から、またまた小さな飛行機にのって片道600キロ、往復1200キロの移動でしたが、そこにはとても魂を揺さぶる光景が現れました。。。以下、グランドキャニオンの説明です。 グランドキャニオンはアメリカが世界に誇る空前絶後の国立公園であると同時に、 “地球を代表する観光スポット” でもある。もちろんユネスコの "世界遺産" に登録されていることはいうまでもない。 壮大、雄大などという言葉ではとても形容できない想像を絶する空間と、数億年という途方もない歳月が造り上げたこの大自然の造形美は、地球上のいかなる場所にも存在し得ない 「巨大な時空キャンバスに描かれた芸術」 といってよいだろう。 世界各地には観光客をガッカリさせるような著名観光スポットが少なくない中、このグランドキャニオンだけは例外だ。これを見て感動しない者は千人に一人もいるまい。 眼下に広がる偉大なる光景を目の前に呆然と立ちつくす者、感動のあまり涙を流す者、今までに体験したことのない驚きに誰もが言葉を失うことだろう。そして写真などからは想像し得ないグランドキャニオンの不気味なまでの静寂とオーラに包まれたその巨大な空間の中に身を置くと、人間の一生のはかなさを感じると同時に、地球という惑星の偉大さと人類誕生の奇跡などをなぜか再認識させられてしまう。 老若男女、国籍、人種を超えて感動できるこのグランドキャニオンはまさに地球という惑星の遺産といっても過言ではないが、そんな 「大自然の象徴的存在の観光スポット」 が、「人工都市の代表・ラスベガス」 の近くにあるところがなんとも奇妙で不思議なコントラストを形成している。そしてそのコントラストを体感することこそラスベガス観光の最大の醍醐味といってよいだろう。 以上抜粋今からボチボチ写真を掲載します!!感謝
2007.01.23
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本日より一週間、ロサンジェルス・メキシコに行って参ります。ちょうど一年前、インド巡礼の旅に参加する為に昨年の辞退した会社の海外表彰なのですが、今年はちゃんと出席してまいります!!またまたいろんな経験をしてきますね!!!今日は日記を3つ書いたのですが、今日の日付までを埋めることは出来ませんでした。あはははそれでは一週間後!!!感謝
2007.01.22
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先日の朝のEQセミナーの中で私が話したことなんですが。。。【営業マンが陥りやすい罠】というテーマの一つに、【やれる範囲】でがんばりますという言葉を挙げた。これは私自身の苦い体験からきている話。。。私は、二年前のある同僚への一通の年賀状の中で、何気なくその言葉を使った。。。しかし、あることをきっかけに、実はその言葉に、「逃げている自分」がいたことを思い知らされた。できない理由を探すことがみんな大好きだ。。。でも、本当にいろんな世界で一つのことをやり貫いている成功者は、【できない理由】を10個探す暇がったら、一つの【できる方法】を探して、やり抜いている。。。私にそのことを気づかせてくれた、前にも書いたFマネージャーの奥様。。。本当にありがとうございます。【やれる範囲】でがんばります。。。などと書いた自分のその時の気持ちは、すでにその字を書いた時点で負けている。。。まるで負けることをイメージして、負けたときの言い訳を用意するみたいに。。。そんな言葉をこともあろうに、年初の年賀状に書いてしまっていたことを本当に後悔した。。。で、私は翌年のその彼宛の年賀状には、去年の言葉【やれる範囲】は撤回します!!今年はバリバリやりまっせ!!!と書いた。。。な~んの根拠もなかったが、逃げ道だけは塞いでいた。。。【やれる範囲】。。。自分で勝手に決めてしまっていた【枠】ただ、それだけ。。。な~んの根拠もないことをいう人がいて、やっぱり結果何も成さない人がいるけど、そんな人は必ずどこかに逃げ道を用意しているはず。。。あはは、実はこうして日記に書いてることで私はまた一つ自分の逃げ道を塞いでしまっている。。。。今日も一つ、自分の選択で大きな第一歩を踏み出した。。。誰も知らない第一歩だけど、私の人生を大きく変えるかもしれない第一歩なのだ!!!【やれる範囲】ではない、【やる】のだ!!!
2007.01.21
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『…働きが一切であり、働きが人生である。この働きには、そのままに、必ず「報酬」がついている。金銭でうける「報酬」は、多少があり、不公平があったりするかもしれぬが、この自然にして当然に受ける報酬は、必ず働きに比例して、落ちもなく、忘れられもせず、必ず直ちに与えられる。それは「喜び」という報酬である。ま心で働いた時、必ず喜びがわく。何の期待もなく、予期するところもなく働いた時、おのずからに感ずる喜びは、他のどんな喜びにもかえることは出来ない…』 【勤労歓喜】より私が毎週参加している、倫理法人会の中で輪読している栞の中で、私は最近この部分が大好きなのです。正直にいうと、金銭でうける「報酬」については、自分に都合のいいような言い訳をしてみたり、または否定してみたり。。。または正当に評価されないことに怒りを覚えたり。。。まだまだな自分の存在に気づかされることが多いのです。。。でも、上に紹介した文章を読むと、まだまだわかっちゃいないなぁ!!!自分は。。。と思い知らされるのですよね。。。以前、過去に【がんばったら、がんばったぶん】という日記を書いたことがありました。。。>この自然にして当然に受ける報酬は、必ず働きに比例して、落ちもなく、忘れられもせず、必ず直ちに与えられる。その報酬とされる、【喜び】。。。これもまた、私たちの心のあり様で感じることが出来る人もいれば、感じることの出来ない人もいるのですよね。。。私は、まだまだ中途半端なものですから、ついついその「感じる心」を忘れちゃって、すぐ金銭でうける「報酬」で他人との比較を始めるわけです。。。【幸せ】っていう現象に対して、小林正観さんも、その【幸せ】っていう現象は存在しなくて、じつはその【幸せ】っていう現象を感じる心があるかどうかだ。。。ということを話されていました。。。【喜び】という報酬、私は知らないうちにいっぱいいっぱいもらっていたのに気づけていなかったのだなぁ。。。と今日、つくづく思いました。。。今日、法人会の事務局でこんなことを言われたのです。。。事務局のYさん:「竹○さんの話(スピーチ)を聞きたいっていう人が多いのよ、今度、一般会員さんの前で話してもらえない?」私:「私が?何を話すのですか?」Yさん:「若いのになんであんなに一生懸命法人会のお世話をされているのか、みなさん竹○さんのお話が聴きたいらしいの」私:「えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」Yさん:「あとね、竹○さんのHPを密かに楽しみにして読んでいる方もいらっしゃるのよ。。。」私:「ええええええええ???」私:「あの~、なんという方なのですか?」Yさん:「○△×さん。。。」私:「私、お会いしたことありますか?」Yさん:「さぁ~?でも、偶然見つけたのかな?すっごい為になるっておっしゃってるそうよ!」Yさん:「それだけじゃないのよ、先日竹○さん達が大分に呼んでくれた薬師寺の大谷和尚さんのお話をきかれて、嫁姑問題が解決された方もいらっしゃるのよ、同居が問題になってた家庭だったんだけど、竹○さん達が呼んだ大谷和尚さんの「よっぽどの縁ですよね!!」っていう言葉を、涙を流しながら嫁姑のお互いで頭を下げて話したんだって。。。今じゃとても中のいい関係らいいのよ」私は唖然としました。。。正直いいまして、8月、9月は本業そっちのけで、OSSや法人会の活動に打ち込んでいましたから。。。おかげで結果、本業の時間が割かれて最期は死ぬ思いでやりあげたのでした。。。でもまさか、こんな形で、【喜び】という報酬をいただけるなんて思いもしませんでした。。。そういえば、大谷和尚さんがこんなことをおっしゃっていました。。。『人間ね、ガタッといくのは決心が足りないから!!!そして決心がなぜできないかというと、それは、、、、【喜び】がたりないからだよ。。。』と。こんなところに繋がるなんて・・・。。。大谷和尚!!!やっとわかりましたよ!!!!実感できましたよ!!!!!!感謝
2007.01.20
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常々私がいろんな方にアドバイスさせていただいていることに、【あなたのその時の心の状態がわかる「物差し」を持ちなさい!】というものがある。。。私の場合は、それが実は早起きなのですが、実はそれ、めちゃくちゃ単純なものがよい!!!私は、その早起き一つで自分の心の状態がわかる。私の場合、心の状態が消極的な時は、早起きできない!!!いや、早起きできない時、できない理由を考えはじめていれば、それはすでに自分の心の状態は、すでにマイナスに振り始めている兆候だと認識しています。実際、当たるんだなぁ。。。これが。。。そして、これ他人を見る時もよくわかる!!!たまーに見かける仲間の一人に、「軸がブレはじめてるで!」と私は言うのですが、大方、外れてはないようです。自分も体感してるのでよーくわかる!!!その彼だけのことではなく、周りを見渡して【自分との約束】を破り始めたら要注意ですよ!!!言い訳するのは簡単なんですから、、、自分との約束は!!!あはは。さて、今日はまたまた、桜井先生から同じような言葉を発見し感激しています!!桜井先生によれば・・・桜井先生は麻雀をしながら、自分の生活のゆがみを直すのだそうです。例えば、「悲しい時に、どれくらい悲しいのか、自分ではわかりません」桜井先生でも悲しい時があるらしいのですが、そういう時こそ先生はパイに触れるらしい。。。「この悲しみはどのくらいのものだろうと思ってパイに触れると、その度合いをあらわしてくれる。」らしいのです。。。その時の心をありのままに映す鏡がパイだったということなんでしょうね。。。それが私の場合は、【早起き】なんですよ!!!芸術家は自分の作品を見ながら自分の気持ちの鏡にするらしいです。宮本武蔵は、仏像を彫りながら、仏像をじっと見ていた。どうしたらいいものが彫れるかを見ているのではない。できるモノで、自分の気持ちを確認していたのだ。自分が決めた、一つの「物差し」からその時の己の心の在り様を教えてもらうことが出来るようになれば、きっとブレない自分の確立に一歩近づけるような気がします。。。感謝
2007.01.19
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みなさまは、いったいどんな時にやる気がでてくるでしょうか。やる気が湧くとき、それはまず、間違った人生観を修正した時ではないでしょうか。人を傷つけ、自分の思うままに生きてきて、何か疑問も抱かなかった自分を振り返り、自己保存欲、自己顕示欲、怒り、憎しみなど、数多くの心の曇りを出して生きていた生き方をやめ、一つひとつの思いと間違いを反省し、心の曇りが取れて、神の許しの光が燦々と射してきたとき、「ああ、もう一度生まれ変わって、人生をやり直そう」そういう気持ちになれます。また、愛を発見したときもそうでしょう。自分の心のなかに、人を愛そうという強い願いを感じたとき、私たちは「生まれてきてよかった」と、心底思えることでしょう。またその逆に、今まで未熟な自分であったのに、自分の周囲にいた人が、どれほど自分を守り、愛し続けてきてくれたか、その有り難さを実感したとき、私たちは感謝に打たれ「何とか、この愛に報いていかなくては」と、報恩の思いでいっぱいになります。また、神理に遠く生きてきた自分であったのに、その自分でさえも見守ってくれた神がおられ、守護霊がいたということに気づいたとき、「なんとか今までの遅れを取り戻さなくては」と、そういう気持ちになります。人は、やる気が出たら働けます。ところが、働きかけないことには、やる気も出てこないものなのです。自分の働いたものが成果として残り、それを喜ぶ人がいてくれたならば、人はもっともっと、生き生きとするのです。宝地院 畠中住職の言葉より毎回、私の講演DVDをご覧頂いている方にmichelle5113さんがいらっしゃいます。今回、先日の仙台講演のDVDをご覧頂きましてなんと、三つの日記に取り上げていただきました。上記のやる気ということを思えば、私は日々、こうして全国にいらっしゃるブログ仲間の方々からの有り難いメッセージから、たくさんの元気・やる気をいただいています。本当にありがとうございます。michelle5113さんのこの三つの日記本当に素晴らしいです!!!私の方がたくさん学ばさせていただきました!是非!是非!是非!読んで見られてください!!!きっと いっぱい、いっぱい生きるヒントをいただけますよ!!!・choice・投げた石の行方・出来る事を探す努力michelle5113さん!本当にありがとうございました!!!感謝
2007.01.18
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そこで見た風景は、今から2500年前お釈迦さまが見た風景と同じものでした。その当時と同じ家屋の作り。今でも裸足で生活している、貧しい村の子供たち。舗装されていない道。朝は霧に包まれて幻想的な朝靄の中、鳥の声だけがまるで楽器を奏でるように耳に入ってきました。夕日の美しさは、言葉になりませんでした。何度も何度も唱えた般若心経。なぜかお釈迦様のお骨の前では涙が止まりませんでした。あれからちょうど一年。私はインド巡礼の旅で、観た、聴いた、感じた それを思い出しています。仏教のことなど何も知らずに渡ったインドでの2週間超の巡礼の旅。ある人は言いました、お釈迦さまは宗教の教えを説いたのではなくて、人間の生きる道を説いたのだと。私にとってのこの一年は、それまでの物質的幸福信者から、精神的幸福信者へと変わるちょうど転換のきっかけをいただいたような気がします。すべては自分の心が決めることができる!!選択権は自分がもっている!!これからの人生がとても楽しみなんです!!まさに、りんりん竹ちゃん、人生を楽しむ!?感謝
2007.01.17
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【今】を受け容れるとはどういうことなのでしょうか?今、目の前にあることを、いる人を大切にするということ。念を入れて生きるということ。私が学んできた倫理という学びの中で、究極の、そして魔法の言葉があります。それが『これがよい』という言葉です。私は最近、講演させていただいく時に話すのに「あれがあったから“こそ”と思える自分の心作り」の話をさせていただいています。最終的には「あれがあったからこそ」と思える自分がある!!ということが前提の話なのです。ところが、この【これがよい】は、今、このこの瞬間に、すべてを肯定してしまう思考になれる魔法の力が宿っています。幸せになる法則を発見した丸山敏雄伝からの引用です●魔法の言葉「これがよい」これは、ある家庭の実話である。半年くらい前、ある事情から家屋敷を他人にゆずって、その十分の一にも足らぬせまぐるしい一隅に、おしこめられてしまった、十人近い家族が・・・。その時はさすがの豪放な主人も、明朗な夫人も、快活な家人たちも、全く悲しみにとざされた。かくして幾日かのもだえの後、ふとしたことからの「これがよいのだ」と思い至った主人は、一家の人たちにこれを語った。皆よく納得して、これから先々、「・・・がよい」ということを、家の標語にしようと約束した。それからである。「お米がない」とお母さんが言い出すと、「がよいのですよ」と娘さんが言う。「部屋が窮屈で困るね」とでも、ついうっかり主人が言い出すと、「がよいんでしょう」と坊ちゃんが言う。去る年の二度の大患の後、ご主人のおなかには、いまだに胆石の固まりが残っていた。いつとはなしに思い出してさすりながら「まだ固まりがとれぬ」と独り言のようにいう。そばにいた奥さんが、「がよいのでございましょう」と。さっそく一本まいって、「ハハハ!」と笑い出す。いつの間にか固まりがとれてしまった。こうして一家は、日に、月に明るくなった。家の中の細かいこと、朝夕のこと、食物のこと、来客のこと、そして、いろいろの外のことまで皆、順調にすらすらと運んでいった。(中略)「百難に効果てきめんの、 “がよい”の標語を、私の一家で独占するのはもったいないようです」とにこにこしながら婦人は語った。以上抜粋『これがよい』という言葉が魔法の言葉であることの理由はその瞬間瞬間に、その現象や状況、境遇に対して自分の主観を挟まないということ、いや、この言葉さえ使ってしまえば、その色づけ、性格づけをする暇がないということ。今、ここに、ある自分は自分として100点満点なのですよね。自分がしてきたことの責任回避とは違うと思うのです。『受け容れる』ことが一瞬にできてしまう魔法の言葉、【これがよい】私の最近のお気に入りの言葉です。感謝
2007.01.16
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私たちは日ごろ、自分たちで勝手に『ある枠を決めてしまっている』らしい。ですね。そういえば先日お会いした、読書のすすめの清水克衛さんも面白い話をしていました。それは、「私たちは本屋さんで何か本を買おうと、書店の本棚に向かった時、自分の好きそうなジャンルの本、好きな作家の本しか視界に入らない。だから本当は、その自分の視界(枠)に入っていない本との出合いが実は一番大事で、新しい気づき、出会いが待っているんです」と。。。なるほど、と思っていました。先日の法人会のモーニングセミナーでの話は、その『枠』を【超える力】の話だった。勝手に決め付けている自分の力。そこにもってきて、枠を作ってしまい、やる前からあきらめてませんか?という問い。聞いてるうちに、これまた講師の松○さんは私に言ってくれてるに違いない!!と思いました。バランスがどうのこうのとか、いろいろ考える前に、自分で枠を作らずに、まず全力でやってみること。全力でやってみないとたどり着けない域がある!!と。マラソンランナーが一番苦しいといわれる35キロ地点、苦しくて苦しくてたまらないという、その『ランナー・ハイ』と呼ばれるその瞬間。。。“すこーん”と貫けきるその瞬間を日常の生活の中で体感できる。。。まさにこの瞬間が『火事場の馬鹿力』と呼ばれる枠を超えきった瞬間らしい。。。常にランナー・ハイを維持することは不可能でも、いつでもその状態に導ける自分を作りたい。。。その方法。。。何だと思います????それは・・・・【難を取れ】だということです。そしてそのポイントを4つ挙げていましたが、私が一番すーっと心に入ってきたポイントは無駄だと思えることにいかに心を込められるか!?というものでいた。どっかで聞いた言葉。。。そう、あの鍵山先生との人生問答の時に聞いた言葉でした。結果の約束されたことをやるのが一番簡単だ!ということでした。結果の見えないことをどれだけ真剣にやり貫くか?今回の学びは、またまたここ最近の総決算みたいな感じでした。恵まれてるなぁ。。。私は。。。気づかせてくれる人たちに囲まれています。。感謝。※ 仙台での講演会の様子がDVDになりました。そのDVDもまた全国のブログ仲間の方からお問い合わせいただきまして何人ものブログ仲間の方にブログを通じて、ご感想をいただいています。昨日も楽天ブログ仲間の ぶらっく。さんが日記の中ご紹介いただいていました。以下、抜粋です>正直、講演の途中までは「なるほど~」「ふ~ん」という感じで聞いていましたが、最後の最後の部分でグサっと来る一言がありました。。。>物事の事象をどう捉えるか、どう感じるは選択出来るんです。そう感じた瞬間にフッと楽になりますよ。でも逃げちゃだめなんです。>ワタシが考えていた事をズバっと言い当てられた感じがしました。。。確かに辛い事や苦しい事はたくさんありますが、その辛い事や苦しい事に対する感じ方を「決めるのは自分」であって、その事から逃げる口実に使ってしまっては意味がないんですよね。。。以上抜粋ぶらっく。さん、本当にありがとうございました。今回の講演会、自分の中では過去最高の出来栄えでした。なぜなら、アドリブでどんどん湧いてきた言葉が、後で聴いてみて、観てみて自分の心を振るわせるようなそんなメッセージがたくさん詰まっていたからです。詳細は私の私書箱にお願いします。SSS(仙台セミナースクール)さんが主催していただいた有料の講演会でしたから、プレゼントっていうわけにはいきませんが、ご興味があればご一報くださいね。
2007.01.15
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迷故三界城悟故十方空本来無東西何処有南北迷いがあるから壁に囲まれる自分のものに執着するが悟りを開けばすべて十方は空だもともと東も西もないどこに南や北があるというのか。世界最先端だと思われる精神世界の学びをさせていただいています。そこで学んでいることは、とても今の自分のレベルではついていけないほどの領域。しかしながら、まさしく知識として学んできているものが科学という形の中で実証されはじめています。古代テクノロジーのグラビトンご縁をいただいていますことに感謝です。そして魂の学びをさせていただいていますことに心から感謝いたします。今日も、畠中住職にお声をかけていただきました。ありがとうございます。
2007.01.14
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今日の瞑想の後読んだ文の一節に、先日からの私の思考が文章にされていて、ひどく納得したので、紹介します。日記にならないけど。。。「・・・己自身の命の存在を確認していくと、私はただ今、果てしもない広い、広い地球上の上のただ一つの点、ここに立っている。皆さん方の命もそれぞれの点にたっている。この地球の上、横の場を宇という。宇とは天地四方、無限の空間という意味がある。 同時に、ずーっと昔から、終わりのない未来に向かって、流れ続けている時の流れ、時間の一秒の中に生きている。この縦の軸である時の流れを宙という。宙とは、時間の流転、時の流れ、つまり大古来今という意味がある。 この横の場である宇は、人間の五感の働きで把握することができる。これは顕界、あらわれた世界で、陰陽でいうと陽の面である。それに対して、縦の軸である宙は、幽界であり、陰の面である。顕界と幽界、陽と陰。それが交わったところの一点に私たちの命は存在している。いつでもどこでも宇と宙の交差点に生き続けているのが私たちの命である。・・・(中略)・・・宇と宙の交差点で生き続けている人間の命。この命は目に見えない命の絆によって、あの偉大なる宇宙大生命に直結している。人間の場合は現在、約61億の命の絆が存在するということになる。 そして、この命の絆が切れたとき、私たちの命は元に返る。これが死ぬるという。生と死、生きる死ぬるは人間の領分ではなく、まさに天の領分である。この世に必要な命であれば生かされ、必要がなくなれば元に返されるということになる。絶対信頼して、任せきるということが、すべてに優先する重大事である・・・」私はこの一文を何度も何度も読み返しました。最後の【絶対信頼して、任せきるということが、すべてに優先する重大事である】という言葉にあるような意味の本が巷にあふれていることもどうやら間違いじゃないみたいです。。。そして、この世に必要な命であれば生かされ、必要がなくなれば元に返されるということになる。という言葉、以前、私の楽天同志のTatsu1965さんが、私の日記に対するコメントで書いていただいていた意味を思い返しました。。。私の使命それを追及していくこと、それが本来私が、いや私の魂が求めている「私らしさ」じゃないんかな?と思います。それに気づけたこともどうやら私の魂は喜んでくれてそうですし、私はそこを探して生きたい!!そう思いました。。。
2007.01.13
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「竹○先輩、ちょっといいですか?」会社に帰るや否や、いきなり後輩のY君に呼び止められました。私:「なに?どうしたん?」Y君:「はい、実は今日、お客さんからご紹介いただいてある方にお会いしてきたんですが、ふとしたことから、自分を磨いていかないとね!!っていう話になりまして、、、」私:「うんうん、それで?」Y君:「いえ、私も実はこれこれこうでこんな学びを会社の先輩の、竹○さんという方が主催されている勉強会に出て学んでいるんですよ!!」って話しましたら、Y君:「『えっ!もしかして、あのインドに行った竹○さん??? 私、去年、竹○さんの講演会にお友達から誘われて参加させていただいたんだけど、凄く感動してね、、、あの、世界遺産の薬師寺の大谷和尚さんのお弟子さんでしょ?』と言われたわけなんですよ!!」私:「あの~、、、どんな人なん?その人は、、、あと大谷和尚のお弟子さんだなんて、、、」(とか言いながらちょっとうれしかったりしました)Y君:「はい、年配の方ですが、えらく先輩の講演に感動されていました!!」私:「え~!!あの時の講演は、自分では今まで一番不出来なんだけどなぁ。。。」「で、僕に何か?」Y君:「はい、その方が、『あなたの保険の話はいいから、今度、竹○さん連れて来て!!』って言われたんですよ!!」私:「はぁ~?????俺が???何を???」Y君:「とにかく話がしたいみたいですので、どうぞよろしくお願いします!!」《いやいや、そうは言われても。。。。》Y君:「あの、竹○先輩のことはよく見かけるらしいですよ!!」私:「え?どこで?」Y君:「ト○ハ(デパート)のスターバックスコーヒーで。。。」私:「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」《や、やばい!!かなり仕事時間中のサボりが見られてる。。。》Y君:「だから言っておきました!!今度勇気をもって竹○先輩に話しかけてみてはどうですか?って。。。」《おいおい、やめてくれよ!!俺は人見知りなんだから。。。トホホ》Y君:「とにかく、今度一緒にいってくださいよ!!」私:「う、う~ん、、、」最近の私は不思議なご縁が広がり始めています。予想もしなかったことがどんどん始まっていたりして、、、今朝は、ブログ仲間の凛子さんが、大々的に私の仙台での講演DVDを取り上げて日記にされていました。。。恐ろしいのは、凛子さんの日記のパワーです!!ちょっと観て見てください!!→ その日記。。。なんと私の講演のエッセンスが、解説付きで書いてありました。。。うーむ!!わかりやすい!!!何だか恥ずかしいですね、自分の講演の内容が解説されてるなんて。。。【決めていたのは自分】このテーマで講演したのは、3回です。仙台で、2回、大分で1回。その講演がきっかけで、この2日でいろんな展開ですよ。。。あと二年前の講演会のCDを購入いただいたHさんから、テープ起しされた小冊子が届きまして、その校正を手がけています。。。最近、自分の本業が何なのかわからなくなってきました。先日の会社の新年会での席で、指名をいただいて最後に決意表明をさせていただきましたが、、、同僚のみんなが、仕事とプライベートを分けて決意していましたが、私はこんな話をしました。今までは、この一年、この仕事をどうやっていくか?ばかり考えてきましたが、そろそろこの仕事を通じて、自分の人生をどう表現していくかということを念頭に今後の人生を生きていきたいと思います!!と。はっきり言ってみんなキョトンとしていましたが、私はどうもそんな感覚なんです。。。何があるかわからない、でも、魂は何があるか知っている!!私は、そう、魂が知っている自分の問答集を、あえて解答を見ないで、いや、生まれた瞬間に一切忘れて、そして一生かけて解いていくことを、今やっていっているんじゃないかと。。。本業もプライベートも、全部意味があって顕れている現象でしかないのなら、その現象に身を任せて生きていこうと思っています。。。ステキな解説書付の日記を書いていただきました、凛子さん!!本当にありがとうございました!!!感謝
2007.01.12
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最近私が触れているいろんな書物、そして講演の中に共通しているテーマがあります。それが【受容】。昨日の小林正観さんの講演、前回同様私が感じたことは、人間の物の見方、考え方一つですべてのことが逆転してしまう。。。不幸だと思っていたその瞬間が、実は本当に幸せな瞬間だったということ。。。・がんになった。・がんと闘ってはいけない。・がんを受け容れる。がんと闘ってはいけない!なんて保険屋の私からすれば、どこぞやの保険会社の「ガンと闘う保険」は、その名前そのものが間違いになってしまう!・こどもができないと悩む女性。・いつもやさしく、大切にしてくれるご主人やお姑さん。・できない、できないと、ないものねだりをする前に、そんな恵まれた環境に一度でも感謝したことがあったのか?・患者さんの痛みをとってあげる、気功師。・患者さんの邪気を吸い取って、自分の中に溜め込んで自分ではその痛みをとれないと悩んでいる。・それまで痛くない体のすべての部位に感謝したことがあったか?すべて、考えを逆転してしまえば、すべてに感謝の気持ちを感じることが出来れば状況は一変する。。。小林正観さんの話にはそうした徹底的な一貫性がある。先日、紹介した河村先生のお話された、【はい】の実践の、まさに【はい】の意味。。。「はい」の中に在る、その陰、と陽の意味を考えると、・【陽:存在】(はい!と大きな声で返事することで、自分の存在をまわりに知らしめる)・【陰:受容】(はい!と間髪いれずに返事することですべてを受容する心)ここで大事なのは、片方だけではパワーを生まないということ、陰と陽二つが合一したその瞬間に、人間の肉体のすべての細胞が活性化され、積極性を帯びた私たちの肉体はすべてプラスの方向に導かれていくという。。。できない理由を探しているとき、それは【受容】を拒んでいる。。。【はい!】と返事ができない時、損得で返事を考えている。。。低次元な話ではなくて。。。(物理的に無理な場合などにハイがいえないなどの)深い、深いのです。。。そして、究極の【受容】である、死を宣告されて、果たして自分がそれをすぐさま【受容】できるかなんて、まだ判断できません。。。でも、いつしか自分がその時を迎えた時、それをちゃんと【受容】できる自分で在る為に、本当に一番【受容の基本】である、【はいの実践】を淡々とやって生きて生きたいです。。。生きて、生(行)きたい。。。。
2007.01.11
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以前、私はこのブログで一日が48時間欲しい!と書いてしまいました。。。そう、書いてしまっていたのです。。。今朝も、モーニングセミナーの後の食事の時に、過去のその日記を読んでいたマイアさんに『竹ちゃんは一日48時間欲しいのよね~???』と言われました。。。《しまったぁ。。。。!!!》これ、本当にしまった!!!なのです。。。先日、 『時間はまぼろしにすぎない。。。』という日記にも書きましたが、すごくガツン!とくるメッセージが届きました。それは、こんなメッセージでした。“・・・もしあなたが、時間を重荷のように感じているなら、それは十中八九あなたが表面的な問題にとらわれてしまっている証拠です・・・”と。《表面的な問題にとらわれてる???はぁ?》そう思いました。メッセージは続きました。“たとえば上司から、いついつまでに報告書を提出するように、と命じられたとします。あなたは、その期日までは間に合わないと感じたとします。しかし、あなたが、もしほんとうに、心から期限までに報告書を準備したいと望むなら、その為に必要なアイデアやインスピレーションは、面白いようにポンポン飛び出してくるはずです。しかも、なんの努力もしなくてもです。そんなときは、時間なんてあってないようなものです・・・”《そう、そうだよ、必要な情報は、私に必要なタイミングでポンポン飛び出してくる経験をいっぱいしてきたよ!!》私は心の中でそう応えました。《でもまてよ、そうじゃない時も確かにある、これって何でだろ???》“・・・もし、あなたが、上司の指定した期日までに報告書を仕上げるのは、絶対に不可能だと感じているとするなら、これはあることを意味しています。。。”《え?いったい何?何なんだ?》“あはは、それは何かというと、あなたは、何らかの理由があって、報告書を期日までにしあげたくないんだ!”《そ、そんなことがあるんかいな???自覚ないよ!!》“表面的な気持ちはどうあれ、それがあなたの本音だよ!時間がプレッシャーというかたちであなたに不快感を与えているなら、それは【サイン】だ!!”《えええええ???何のサインだっつーんだよ!!??》“あなたが自分に対しても、上司に対しても、【だしおしみしている】というサインなんだよ”私ははっきりいって、最初、その意味が全くわかりませんでした。。。ただ、何となく、自分でも観たくない自分の心の裏側を抉られたような感じがしました。。。そして、次の瞬間。。。そのことが、そのメッセージが当っているような気がしてきたのです。。。【時間はとても重要なものー。】こう信じている人は、この信念に一致した出来事を作り出すといいます。反面、時間を貴重だと見なしていない人は、時間が重荷やプレッシャーになるような出来事を作ったりしないらしいです。。。先日からのテーマ、時間について、私はこれを機会に今までの固定概念を捨てることにしました。何よりも、 【だしおしみ】をやめたいと思います。。。感謝
2007.01.10
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それは9日の早朝でした。私はそれまでの2泊3日の東京出張で前日帰宅したのは夜の10時半でしたが、翌日は早朝より朝のEQセミナーでの講義、夜は異業種EQセミナーでの講師としてまたまた慌しい一日が始まろうとしていたところでした。眠い目をこすりながら、6時半くらいでしたか、車を運転して出かけていましたら、なんとなんと、目の前に現れたのは、右側は一面、黒のじゅうたんが、まるでいったんもめんのように空を覆いつくし、でも一線を画して左側は、雲ひとつない空で、月の光をそのまま映し出していました。。。なんという光景!!!はじめてみました!!!思わず運転を止めて写真を携帯カメラで撮影したのですが、なにせ、暗がりの中でしょ?携帯でしょ?こんな写真しか撮れなかったのですが、私は直観で、これは絶対、何かのメッセージに違いない!!と確信していました。。。。で、驚いたことに、その日の空は、その早朝だけではなかったのですね!!!同じ日に、その後、3時間後、同じ大分の空を写真で撮っている人がいました。。。しかも、その方を私は良く知っていました。。。ブログ仲間のチョコチョコ0222さんです!!彼女のブログに掲載されている写真は、今度は上と下で雲が別れています。。。ありえないですよ!!小林正観さんとの国東ツアーで、雲のことを学びましたが、ここにきてこんなすごい状況にでくわすなんてびっくりでした。また、同じ感覚で写真を撮ってくれていた、チョコチョコ0222さんの感性にも、すごく喜びを感じました。まず、まちがいなく何かありますよ、これ!! → その写真今度正観さんに聞いてみます!!それから、チョコチョコさんのブログの写真ですが、雲と空の境界線に、うっすらと波動の境がみえるような気がします!!どうぞご確認くださいませ!!ああああああああ不思議現象に感謝!!
2007.01.09
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ある会社の営業コンサルを担当させてもらっています。ある時参加した営業会議の中で、ある営業マンの一人の方が『いろんな業務がどんどん溜まっていって処理できない』『期日に間に合わせることが出来ない』と悩んでいました。私は先日の朝のEQセミナーで、最近私が考えている【パイプ理論】なるものを参加者の皆さんに発表したところ、かなりの反響をいただきましたので、その理論を話そうかとも考えたのですが、しばらくその営業の方(Aさん)の声に耳を傾けました。(パイプ理論とは・・・気の流れと同じようにビジネスチャンスの流れにも法則があるという私の持論)Aさんの言葉を聴いていて私が感じたのは、正に心配しながら仕事をしているということ。【間に合わなかったらどうしよう!?】【起きれなかったらどうしよう!?】【ご提案が通らなかったらどうしよう!?】過去でも未来でもない、今の心はどこかに置いていて、過去の失敗と未来の不安の中で仕事をしているということ。。。【明日起きれるかな?】と思考をめぐらせた瞬間、起きれなかった状況を想定してしまっている。。。私の場合、起きることを前提にしか物事を考えない、思考を巡らせない。。。です。しかし、もっと驚く言葉が、私のバイブルとも呼ぶべき本の中に書いてありました。それは、、、、《時間はまぼろしに過ぎない!!》“…わたしたちは、時間を「現在」「過去」「未来」の3つに分けて考えます。これが世間一般の常識ですが、だからといって、これが真実かというと、そうではありません…”実際に存在するのは、ひとつの時間だけです。それは、-「いま」-です。いまだけが、唯一の現実です。存在するのは、これまでも、これからもずっと「いま」しかありません。この真実は永久に変わらないのです。その本の中には、面白い問答があるのですが、それがかなりドキッとする言葉があるのです。私もその言葉には触れられたくない部分にスポットを当てられたような気持ちになって、かなりショックを受けました。。。きっとAさんにも当てはまるんじゃないだろうか。。。。明後日の日記に続く感謝
2007.01.08
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守護天使様からのいただいた私へのメッセージ思い浮かんだことを書き留めましょう。それはあなたへのメッセージです。気のせいと打ち消したりしないでください。そのひらめきをメッセージと受け取るか気のせいと受け取るかを押し付けたりはしませんが断言します。気のせいではありません。あなたの魂は何かを書くことを望んでいます。思いがけない発見があるかもしれませんし、ストレスの解消法になるかもしれません。日記を書く、詩を書く、記事を書くなど。このことから本の出版に導かれるかもしれません。あなたのポジティブなアイデアを書いておきましょう。加藤雄詞さんのグループ、元気会のパーティーでは全国から500人もの人たちが集まっていました。加藤さんや、有名なヒーラーさん以外でも、マスターからのメッセージをキャッチできる人がたくさんいらしたり、海外の有名なヒーラーの方も多く参加されていました。また、海外のスピリチュアル雑誌との共同出版の話もあり、ますますスピリチュアルな世界になっていくんだなぁ。。と感心しています。ちなみに私は加藤雄詞さんのグループ、元気会大分の主催をさせていただいていまして、今回はステージでご挨拶をちょっとだけさせていただきました。不思議なご縁で繋がっていた500人もの参加者の方々。なんと私の友人(過去世から何度も深いかかわりのある友人)が、パーティーの途中でステージに上がって素敵な歌声を披露されていました。あまりのステキな歌に、会場のみなさんも聴き惚れていました。。。ステキな空間、ステキな仲間とのステキな時間、、、600年もの時を経た、スペインでの過去世からの再会でした。感謝
2007.01.07
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実はこの日から2泊3日でまたまた東京出張に行ってました。先月から何度目の出張でしょうか。。。しかも、全部プライベートな活動です。今回は、加藤雄詞さんのスピリチュアルグループ、元気会のパーティーに参加する為に東京に行ったのですが、、、たぶんはじめて新幹線で東京まで行きました。。。この時期は、飛行機よりも新幹線の方が安いらしかったのですが、、、しかし最近の新幹線は速いですね!!!大分を朝6時のソニックで出発したのですが、北九州の小倉に7時半過ぎに着いて、ほとんどドンピシャの連絡で、東京に着いたのは昼の12時半でした。朝出て、昼には東京にいたのですからかなりビックリでした。そんなこんなで日記もなかなか書けなくて、、、前世の日記では考えられない記入率です。。。75%ありえません。。。今はアウトプットの時間より、インプットの時間のウェイトが多いみたいです。。。いずれ怒涛のようなアウトプットの時期が来るのだと自分でもワクワクしています!!!感謝
2007.01.06
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今日の大分東でのモーニングセミナーは、講師の松枝副方面長の講話だった。お題目は『苦難の捉え方』「皆さんは、あれさえなかったら…ということがありませんか?」そう唐突に聞かれた時に、私が思い出したものは。。。ナント!?実は“あしたのジョー2”での、ウルフ金串の言葉だった。全日本新人王戦で、ジョーに敗れたウルフは、そのまま引退。期待の新人だったのが、一転、ヤクザの用心棒に成り下がる。。。そのウルフが、チンピラにこう話す、、、『あれさえなかったら・・・・』そう、ジョーとの戦いで敗れたことで彼の人生はそれまでとは全く逆に走り出してしまった。。。経営者が集まるモーニングセミナーでの中で、まさか漫画でのワンシーンが外在化してくるとは思わなかったが、当時中学生だった私には、とても印象的なシーンだった。一つの出来事がその人間の人生を根底からひっくり返してしまったのだから。。。その頃私が中学生ながら考えたことは、自分はウルフ金串みたいに、後悔しない人生を送ろう!!送りたい!そんな風に思ったことを思い出しました。ただ、後悔しない道、いわゆる、生涯、障害を避けてうまく生きていくことが果たして出来るだろうか?とも思っていました。さて、お題目の『苦難の捉え方』漫画の世界でなくてもその捉え方一つでその後のものごとの流れを一変させてしまうことが多い。最近になって、こうしたいろんな学びから私自身もそのコントロールを意識的にできるようになってきた。。。松枝副方面長の話・・・あれあさえなかったら・・・という過去の否定を認知してしまうとどうなるか。。。時間の流れは言うまでもなく【過去】⇒ 【現在】 ⇒ 【未来】である。だから【過去】⇒ 【現在】 ⇒ 【未来】において、過去を否定してしまうと、現在を否定してしまい、また未来をも否定してしまうことになる。(なぜなら現状はその「あれさえなかったら…」の延長線上であるから)魔の『負の連鎖』が発生してしまう。ということだった。なるほど。。。私も以前の日記で、負の連鎖の話をしたことがあるが、まさにこの『あれさえなかったら・・・』という言葉を吐いた時点で、あの恐ろしい負の連鎖が始まるのだと再認識できた。では、いったいどうすればいいのか?ここで、単純に、そのことを前向きに捉えましょう!!なら、そこら辺りの成功本にいくつも書いていますよね?もう見飽きました。。。今日、私が面白いな。。。と感じたのは、松枝副方面長がたとえ話で、シロアリの話をしてくれたのです。世の中で、一番多く存在する生き物は?ゴキブリもそうだけど実はシロアリらしいです。なぜ、シロアリはそんなに多く存在するのか????存在しなきゃいけない理由があるのです。驚きました。ちゃんとした学者さんの理論らしいです。お聞きしたい方は個別にご質問ください。さて、シロアリが存在しなければならない理由があるように、実は、私たちの目の前に現れる、苦難もその存在はその必要性から目の前に現れる。。。ということ。目の前に嫌いな人がいたとしても、その嫌いな人が目の前に現れたのにはちゃ--んと意味があるらしいのです。最近の私もその意見には大賛成です。なぜなら、最近の私の目の前で起こること、起こっている事、全部必要性を感じるし、ナイスタイミングで発生してきてるからです。もう一つ面白い話をしていただきました。それは、例えば物事を起こそうとする時、うーーん、そうですね、自分の発案で、あるプロジェクトを組もうとした時、必ず3タイプの人間が現れるとのこと。。。1.批判する人2.無視する人3.協力してくれる人ふむふむ。私としては、1の人も2の人も、居なくていい存在の人のはずなのですが、実は、1の人も、2の人も必ず必要な人らしいのです。なぜか???3の協力してくれる人に向って、1や2の人はこう言います!!『何馬鹿なこと言ってんだ!止めとけ止めとけ!!』確かにいますね!ある場面では私自身が1や2の場合だってある。そこで、3の人はまた二つのタイプに分かれます。『やっぱそうかな?』とやっぱり協力をやめる人。『いいや、俺はそれでも協力する!』って協力する人。。。1と2の人の存在は、3の協力してくれる人を、協力してくれる人たらしめてくれる人らしいです。正に『あるものはある』精神。存在すべき存在。もう少し詳しく話すと、、、『あれがなかったら…』から『あれがあったから、今がある』へのパラダイムシフト本当に自分自身にとってよかった。 ↓自分を成長させてくれた。 ↓ 感謝すべき存在。ということになる!?とのことなんです。要は『心の在り方(捉え方)』の問題なのだということ。そして、その目の前に現れる【苦難】は、その時点での“大いなるヒント”を持ってきている、年中無休のサンタさんなのかも知れません。(松枝副方面長はこんな幼稚なことは言いませんよ!あくまで私の表現です。)その昔、あしたのジョーに登場していたウルフ金串を見て、あんな風には後悔しないように障害をできるだけ上手く避けて生きていくんだ!そんなふうに思っていたのは全く逆だったのですね?(笑)年中無休のサンタさんからの『大いなる気づき(ヒント)』を、自分の心の在り方一つで、もう一つ上のステージに上がるキッカケとして捉えることができるよう、自分自身の精神(心)を鍛えていかなければならない!!そう思いました。
2007.01.05
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去年はおみくじを引いては、大吉が出るまで引くわ引くわで、なんと!!!17回目にしてやっと大吉に有りつけたのを覚えています。大吉が出るまで引いてみよう!!と教えてもらったのが加藤雄詞さんからだったのですが、今年は、一番最初に出たおみくじを受け容れることにして初詣でに行きました。結果は、、、、末吉でした。加藤さんは、おみくじ一つだって、自分の人生だって自分で決めることができるんだから、大吉が出るまで引いてみよう!!そういって安心させてくれたのです!!!自分の人生は自分で決める!!!まさに去年、私が心に決めたことではなかったか、、、と考えています。同じく、小林正観さんから教えてもらったこと、、、それは、ものごとの捉え方も自分で決めれるということ。。。本質は同じなんですね。。。で、私は、今年引いたおみくじの「末吉」が今の自分にとって一番のメッセージ!!幸せを感じる心を養うには、一番ふさわしい一年をあらわしたおみくじだという捉え方をすることを選択しました。。。ああああ、なんて幸せでしょうか。。。何があっても、幸せを感じる心さえあれば、どんな人でも、どんな場所でも幸せになれるんですもんね。。。今年の私は、強いぞ~!!!あははは感謝
2007.01.04
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兄貴は俺等とは全く別世界な生き方しはじめてんなぁ。。。弟がぼそっとこぼしたのは、私の近況について話をした時でした。まぁ、確かに弟や両親にしてみれば 過去どうしようもなく、そう、勘当状態で過ごしていた私がその頃の話をひと様の前で講演させていただいて、なおかつ、それがCDになっては全国で聴いていただいて、DVDになっては見知らぬご家庭のテレビでご覧頂いてしまっている中で、、、今回はなんと、私の最初のCDを聴いた方がわざわざそれをテープ起こしされて小冊子にまでしていただいた方が現れたからでした。。。もうびっくりです。60ページにもなってました。私の手元にちょうど帰省直前に送られてきましたので、それを両親、兄弟に見てもらいました。で、出てきた言葉が、兄貴は俺等とは全く別世界な生き方しはじめてんなぁ。。。それでした。。。帰省してから昨日の日記にも書いたとおり、スピリチャルなことを口にした私は家族みんなから笑われちゃいましたが、少々がっかりしながらとうとう最後の日になりました。30日、31日と過ごして、1日家族全員でおせち料理をいただき、甥っ子にはお年玉を渡しながら、「あああ、自分もおっさんになったもんだ。。。」と感じたものでした。帰り支度がすんで、いよいよ帰ろうとした時、4歳になる息子(長男)に私はこう言いました。「あぁ、そうそう、ちゃんと仏壇の曾々祖父ちゃんと曾々祖母ちゃん、そして曾祖父ちゃんにご挨拶をして帰ろうね。。。」と普段から毎朝、神棚に手を合わせ、そして念持仏さまに 般若心経を唱えているのを観ているせいか、長男は手を合わせたり、お参りすることに抵抗なく、すっとやるのです。いつものように手を合わせて「曾々祖父ちゃん、曾々祖母ちゃん、曾祖父ちゃん、いつも本当にありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます・・・・」とお礼を言っていました。息子も続けて唱えています。私は息子の耳元でこう言いました。「ゆうきです、今年一年一生懸命がんばります」すると息子は私の言葉を真似て言います。「竹○ゆうきです!今年一年がんばります!!あなたたちもそっちでがんばってください!!」それを聴いた両親、弟家族、妹家族は大爆笑になりました。。。父が言いました。「あなたたちって、曾爺ちゃんたちのことね? そっちでどこでしゅか? 曾爺ちゃんたちはもうがんばれんとよ?」と。(長崎弁です)でも続けてこう父は言ったのです。「でもあっちでもがんばっとっとかも知れんね、、、本当そうかもしれん。。。」なんと前日あんなに馬鹿にしていたスピリチュアルな話を父から認めたのですよね。。。私はもう、びっくりでした。まずは、自分の息子ながら、ヘンテコなことを言ったゆうきの言葉に、、、そして最初は否定しそうになったけど、あとで、そうかもね、、、と笑いながら言っていた父の笑顔。。。私は、きっとこれは、あの世の曾爺ちゃんたちが、ゆうきを使ってそこにいた私たち家族に、スピリチュアルな思考をちょっとだけプレゼントするために演出したんじゃないかな。。。と考えました。。。息子のゆうきはケロッとして笑っていましたが、子供の無邪気な発想には、変に理屈っぽい私の言葉と違って、周りを和ませながらそれでいて、ふとステキな意識を芽生えさせる不思議な力があるなぁ。。。と感心したのでした。息子に、そしてあの世から私たちをいつも見守ってくれているご先祖さまに感謝です!!!※ 仙台での講演会の様子(決めていたのは自分)がDVDになります。自分の中では、過去最高の出来栄えでした。なぜなら、アドリブでどんどん湧いてきた言葉が、後で聴いてみて、観てみて自分の心を振るわせるようなそんなメッセージがたくさん詰まっていたからです。詳細は私の私書箱にお願いします。SSS(仙台セミナースクール)さんが主催していただいた有料の講演会でしたから、プレゼントっていうわけにはいきませんが、ご興味があればご一報くださいね。
2007.01.03
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何がスピリチャルで何がそうでないのかよくわかりませんが、今回の帰省でとてもがっかりしたことと、ビックリしたことがありました。実家の両親と、兄弟3人のそれぞれ家族が同時に帰省したのは始めてでした。かなり賑やかで、私の家族らしく食事以外の時間は子供以外の大人はそれぞれがそれぞれにやりたいことをし、関知せず過ごしていました。テレビが空いていれば、私がすかさず徳永英明のDVDを流し、それが終わると妹が角松敏樹のライブDVDを流していたり、父はパソコンで囲碁をやっていたり、、、なんて自由な一家なんだ!!!私の育ってきた環境を客観的に観察できて面白かったです。そんな皆が気ままに過ごしていた時に事件は起こりました。母との会話の中で、前回プレゼントした小林正観さんの本の話になりました。実は先日、正観さんと国東半島ツアーに行った時の夜の茶話会の席で、それまで母に何かをプレゼントして「ありがとう」と言われたことがなかった私に、初めて母が「いい本をありがとうね」と言ってくれたことがとてもうれしかったという話をさせていただき、正観さんはじめツアー参加者の皆さんに盛大な拍手をもらっていたので、母にそんな話をしていた流れでこんなことを話したのでした。「実は、母さんと僕は前世では兄弟だったみたいなんだよね、僕が兄貴で、母さんが妹だったみたい。。。」「ふ~ん、誰がそんなことを言ってるの?」「チャネラーさんがいて、僕の前世を見てもらったときにわかったんだよ!」「私が妹ねぇ。。。」否定はしないまでもあんまり興味なさそうな反応。。。「でね、もっと面白いのは、僕と父さんの関係なんだよね!」「どんな?」「父さんと僕は、親子とかではなく、師弟関係だったみたい」「何か学問をやってたみたいなんだけど、父さんは教え通りのことしか認めない、融通の利かない人だったみたいなんだけど、僕がすぐその教えをアレンジして我流にしては成果がでてたもんだから、師匠だった父さんとは、よくぶつかってたみたい。。。(笑)」その話を聞いて、さっきまで興味なさそうだった母は急に、「わはははは」と大笑いしていました。「確かにお父さんは、昔から融通が利かないし頑固だったものねぇ~、でもやっと最近、退職してからとても同じ人とは思えないほど人が変わって素直になってきたのよ、ねぇお父さん。。。」父は、返事することもなくパソコンで囲碁をやっていました。「前世でね、果たせなかったそんな小さな些細なことでも、きっと今世ではクリアーするために生まれてくるんだよね。。。」ここまで話と母は大笑いしながら今度は新聞を読んでいた弟や子供と遊んでいた妹にその前世の話をしはじめました。ところが、、、、妹は「はぁ?兄ちゃん何いってんの?」弟は「だれがそんないい加減な話をしてんの?」と まるで私とは180度違う現実社会人間(悪いとはいいませんが)な発言。そしてしまいには、とうとう父が参入してきまして、「お前(私)は何を言いいよんのか、前世で兄弟とかそんなことがあるわけないだろうが、、、のぼせん!(のぼせるな!)」と一喝されちゃいました。。。とほほいいです。いいんです。私はそんなスピリチュアルな考えをこの現実生活に取り入れていくことを選択してるだけですから。。。そんなちょっとだけ、落ち込んでいた私の心に、そしてスピリチュアル完全否定だった私の親兄弟が思わず笑ってしまう、それこそスピリチュアルな出来事が起こったのでした。つづく
2007.01.02
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自分の中で密かに一年に一回だけ、振り返っていい日を決めています。それが大晦日。特にこだわった意味はないのですが、振り返ってばかりいても先に進まない気がするので、最近の私は振り返ってばかりはやめました。ああ、そうそう、 【念】という意味もありますし。。。※念とは今の心、過去でもなく、未来でもない、今、目の前にいる人を大事にし、今、目の前にあることを大事にすること。(小林正観さん)で、大晦日だけは大手を振って振り返ることを自分に許しているのですが、、、去年は、いえ、去年も本当にいろんなことがありまして、、、いろんな喜びを感じることができました。先日友人がこんなことを言っていました。「自分で決めたことを、むやみやたらに口に出さない方がいい、、、」と。確かにそうだよなぁ。。。と思ったりもし、、、(スピリチュアル的に魂の応援がある話も含め)ここ数年の私を振り返れば、 【自分との約束】という言葉を自分の肝に命じて事にあたってきました。で、結果ですが【自分との約束】 ← 去年の日記それは、自分が決めたことを守っていくということ。他人との約束ではないので、ごまかしやすいし、ごまかしにくい。。。一番自分がわかっているんですよね。。。ごまかそうとしても。そんな【自分との約束】を意識して毎日を過ごしてきて気づいたこと。それは、かつてすっかり自信を失ってしまっていた過去の自分とはまったく別人の自分がいました。【自信】とは、自らを信じること。自らが、自らを信じることができること。それは、自分で決めたことを淡々とこなしてきた結果でした。あるところで、こんな話を聴いたことがあります。「こうしたい!」「こうなりたい!!」では苦しいだけ。。。「こうなりました!ありがとうございます!!」「こうなれました!!ありがとうございます!!」現在完了形で決めてしまえばいい!!!実は私は毎朝、そんな感じで自分との約束をしています!!!まだ現実化していないことでも、完了したこと前提でありがとうございます!と。。。決めたことも苦しくないように口にどんどん出していけたら、気づいたら全部、現実になってたりします!!!よかったら、新年早々にみなさんも試してみませんか?今年の大晦日に、 「あらら、現実になってたよ!!!」みたいなことってかなり出てきてるはすですよ!!今年もどうぞよろしくお願いします!!感謝
2007.01.01
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