小さなkitchen-Garden

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2017/06/10
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大阪府池田市の水月公園で花菖蒲を堪能した後、歩いて20分ほど西にある池田城跡まで歩きました。



兵庫県との県境に位置する大阪府池田市。同市のシンボルである五月山(さつきやま)の南麓に、かつてこの地区一帯を治めた豪族池田氏の居城 "池田城" の城跡を再整備した「池田城跡公園」があります。

《大手門とお堀跡に架かる橋》


池田城は、池田市城山町周辺の標高50mの高台に位置し、五月山の南麓の東西に延びる尾根を利用し、西側には崖、北側には杉ヶ谷川を取り入れ、東、南には堀(最大幅で25.7m、深さ6.5mという大規模なもの)と土塁を配置し防御効果を高めた、畿内でも屈指の規模のお城でした。
《残っている土塁とお堀の後》


《南 門》


南門を下ると花菖蒲が咲く池がありました。花菖蒲、ここも満開でした。






天守や櫓を再現した展望台



その展望台からは池田の町が一望できます。池田の先には宝塚の街並みが、さらにその向こうには六甲山系が臨めます。







池田は、摂津の国の豊島(てしま)郡で古代から呉服(くれは)の里と呼ばれていました。現在も呉服神社や呉服町などに名残りが見られます。
この辺りは平安時代後期には荘園が成立し、呉庭荘(くれはのしょう)と呼ばれたそうです。そして、呉庭荘が鎌倉時代末期頃より池田荘と呼ばれるようになったといわれています。
1334年ごろには、その池田荘を任せられた地元の豪族が池田の姓を賜り池田城を築いたのが始まりということです。
池田城はその後応仁の乱に巻き込まれ落城しますが、池田氏は、その後摂津国の有力国人としての地位を確立していきます。しかし、1570年織田信長の信認が厚い荒木村重によって池田氏は所領を没収されてしまい、その後没落してしまいます。
そのあと、池田は商業の町として発展していくようになり、特に酒造の町として繁栄していくことになります。

城跡内の庭園にある池には蓮が咲き、訪れた人を魅了していました。





《西 門》


西門から阪急池田駅に向かいます。
西側はもともと崖でした。今は住宅が建ち並んでいますが、崖はそのままなので、急な石段を下りて行くことになります。

《小林一三記念館》

この池田市に阪急電鉄や宝塚歌劇の創設者である小林一三氏の自宅があり、今も保存されています。


阪急電車宝塚線石橋駅と池田駅周辺を散策。
歴史にも触れながらの散策、初めて訪れるところは新鮮で面白いですね。





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Last updated  2017/06/11 09:11:53 AM
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