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鞍馬寺を下りて行きます。逆に、ここを上がって行くのはなかなか大変ですね。天狗の様にポーンと飛んで下りれればいいですね(笑)《鞍馬駅の駅前にある天狗》ひと際目立ってますよ。登ってきた鞍馬寺。自然のエネルギーが降り注いでいる不思議な空間。天狗というのはこの山の空間に住んでいる精霊ではないのでしょうか。天狗の中でも、鞍馬山の大天狗は全国各地にいる天狗の総元締めということです。九十九折りの参道を下りていると、途中に神社がありました。《由岐神社》鞍馬寺の鎮守社である由岐神社です。この鳥居の後ろにあるのが拝殿。この拝殿が実はすごいんです。割拝殿形式で桃山建築で国の重要文化財に指定されています。拝殿と本殿をつなぐ石段の横には巨大な大杉がそびえていました。なんと、樹齢800年で高さは53mだそうです。『鞍馬の火祭』はたくさんの松明に火をつけて、男衆が参道を練り歩く神事として有名ですが、この祭りは由岐神社が執り行う秋の祭事なんです。さらに九十九折り参道を下ります。九十九折り参道の新緑のトンネル。ケーブルに乗るとここのおいしい空気は味わえないですよ。ついに仁王門に到着です。《仁王門(山門)》もうお腹ぺこぺこ、駅前でにしんそばをいただきました。【鞍馬駅】貴船神社から鞍馬寺まで完歩できたこと、そして鞍馬寺で自然のパワーをたくさんいただき生きていく活力が充電できたことを鞍馬の大天狗に感謝して、鞍馬を後にしました。二両編成の叡山電鉄で新緑のトンネルを走り抜けて帰ります。初めての貴船神社と鞍馬寺、京都のパワースポット巡りとなりました。今度は違う季節に行きたいですね。
2017/06/27
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六甲のくいしんぼうさぎ6月のお菓子は『タルト・ココ・バナーズ』タルト生地にはココナッツファインを入れて香ばしく、クリーミィーで優しい味。これに、キャラメリゼされたバナナのソテーを入れて、トロピカルなタルトができました。ココナッツとバナナの味が口いっぱいに広がって、その風味を思い存分楽しめますよ。そして、デザートは『マンゴのパルフェ』ひんやりしてさわやか。暑い日にぴったりですね。くいしんぼうさぎ達はおいしいお菓子を食べて満足そうですね(笑)
2017/06/22
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貴船神社から鞍馬山を登り、ついに鞍馬寺に到着しました。小さな門をくぐると茶室のような建物があります。与謝野晶子の書斎ということです。《冬柏亭》ここでも一面の新緑のもみじがきれいに光っていました。秋には真っ赤に染まるのでしょうね。この石段を下りると奥の院につながる参道は終わります。下りてすぐ左手に鞍馬寺本殿がありました。《本殿金堂》御本尊は秘仏で、60年に一度、丙寅の年に開扉されます。本殿の地下は、宝殿で信徒の清浄髪が厳かに祀られています。 ここでは狛犬ではなく虎が守護神として守っています。狛犬ならぬ「阿吽」の虎は、本尊毘沙門天のお使いである神獣。毘沙門天の出現が、寅の月、寅の日、寅の刻とされていることから虎になったそうです。子供たちが遊んでいるのは金剛床『金剛床は、宇宙のエネルギーである尊天の波動が果てしなく広がる星曼荼羅を模し、内奥に宇宙の力を蔵する人間が宇宙そのものである尊天と一体化する修行の場です。』本殿からの眺めは最高です。本殿の境内には藤の花が満開本殿からさらに石段をおりていきます。しばらく歩くと中門に到着しました。ここからはケーブルを使わずに九十九折参道を下りて仁王門に向かいます。ゴールが見えてきました。
2017/06/15
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大阪府池田市の水月公園で花菖蒲を堪能した後、歩いて20分ほど西にある池田城跡まで歩きました。兵庫県との県境に位置する大阪府池田市。同市のシンボルである五月山(さつきやま)の南麓に、かつてこの地区一帯を治めた豪族池田氏の居城 "池田城" の城跡を再整備した「池田城跡公園」があります。《大手門とお堀跡に架かる橋》池田城は、池田市城山町周辺の標高50mの高台に位置し、五月山の南麓の東西に延びる尾根を利用し、西側には崖、北側には杉ヶ谷川を取り入れ、東、南には堀(最大幅で25.7m、深さ6.5mという大規模なもの)と土塁を配置し防御効果を高めた、畿内でも屈指の規模のお城でした。《残っている土塁とお堀の後》《南 門》南門を下ると花菖蒲が咲く池がありました。花菖蒲、ここも満開でした。天守や櫓を再現した展望台その展望台からは池田の町が一望できます。池田の先には宝塚の街並みが、さらにその向こうには六甲山系が臨めます。展望台から見た庭園と五月山池田は、摂津の国の豊島(てしま)郡で古代から呉服(くれは)の里と呼ばれていました。現在も呉服神社や呉服町などに名残りが見られます。この辺りは平安時代後期には荘園が成立し、呉庭荘(くれはのしょう)と呼ばれたそうです。そして、呉庭荘が鎌倉時代末期頃より池田荘と呼ばれるようになったといわれています。1334年ごろには、その池田荘を任せられた地元の豪族が池田の姓を賜り池田城を築いたのが始まりということです。池田城はその後応仁の乱に巻き込まれ落城しますが、池田氏は、その後摂津国の有力国人としての地位を確立していきます。しかし、1570年織田信長の信認が厚い荒木村重によって池田氏は所領を没収されてしまい、その後没落してしまいます。そのあと、池田は商業の町として発展していくようになり、特に酒造の町として繁栄していくことになります。城跡内の庭園にある池には蓮が咲き、訪れた人を魅了していました。《西 門》西門から阪急池田駅に向かいます。西側はもともと崖でした。今は住宅が建ち並んでいますが、崖はそのままなので、急な石段を下りて行くことになります。《小林一三記念館》この池田市に阪急電鉄や宝塚歌劇の創設者である小林一三氏の自宅があり、今も保存されています。歴史に翻弄されてきた池田ですが、農村地帯だった池田の発展には阪急電鉄は欠かせないでしょう。今の池田市の発展にはこの方抜きでは考えられないですね。阪急電車宝塚線石橋駅と池田駅周辺を散策。歴史にも触れながらの散策、初めて訪れるところは新鮮で面白いですね。
2017/06/10
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大阪府池田市にある水月(すいげつ)公園の花菖蒲が満開です。仕事も休みということで、早速行ってきました。友好都市である中国の蘇州市から贈られたあずまや斉芳亭を囲むように咲いています。60種6000株の花菖蒲が見事に咲き誇っていました。水月公園は花菖蒲の他に梅、桜、紫陽花と季節によっていろんな花を楽しめます。10日(土)11日(日)は花菖蒲祭り~親と子の集い~が開催されるそうですよ。最寄駅は阪急宝塚線石橋駅です。
2017/06/08
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鞍馬寺西門から登り始めた鞍馬山、ハイキングコースということでしたが、とんでもないちょっとした登山でした。鞍馬寺から貴船神社に向かって歩く人の方が多いようですが、鞍馬寺から叡山鉄道鞍馬口駅が近いので反対のコースにしました。鞍馬寺は鞍馬山自体を尊天の御身体と考えており、大いなる自然の循環を保ち、鞍馬山の豊かな自然を守っているんですね。30分も歩くと見えてきましたぁ『魔王殿』。途中、雷に打たれ根元まで避けている木を横目で見ながら一歩一歩進みます。鞍馬山の気を体中で受け止めながら、全身に活力をいただきました。【魔王殿】魔王殿は鞍馬寺の奥の院です。宇宙から来た神が降臨した場所だとか。降り立った神は「護法魔王尊」、天狗のような姿をしているといいます。そうです!鞍馬といえば天狗ですね。魔王殿は鞍馬寺最大の聖地なんです。道のりは険しかったですが、ここまで上がって来た価値がありました。おいしい澄んだ空気をいっぱいいただき、さらに奥の院参道を上っていきます。【不動堂】不動堂は天台宗の祖である最澄が天台宗開宗の悲願に燃え一刀三礼の礼を尽くして刻んだと伝えられる不動明王が奉安されています。ちなみに、一刀三礼とは仏像を一彫りするごとに三度礼拝することです。不動堂からこの参道を上がってきました。この辺はきれいに整備されていました。【木の根道】木の根が地表面でいろんな模様を描いています。ちなみに、あの牛若丸がここで兵法の修行をおこなったといわれている場所です。この門をくぐると奥の院参道は終わります。西の門からここまで約一時間でした。鞍馬寺側から魔王殿に行くときはこの門が奥の院参道の始まりとなります。ここでも新緑のもみじがいっぱいです。鞍馬寺にようこそと歓迎してくれているようです。
2017/06/02
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次は結社(中宮)に向かいます。奥宮から本宮に向かって引き返すことになります。結社に着きました。結社の御際神は磐長姫命(いわながひめのみこと)、日本神話に登場する女神ですね。結社にはこのような言い伝えがあります。昔々、磐長姫(いわながひめ)と木花開耶姫(このはなさくやひめ)の姉妹がいました。あるとき、瓊々杵尊(ににぎのみこと)が妹の木花開耶姫を娶られる時、姉妹の父である大山祇命(おおやまつみのみこと)は姉の磐長姫も共に奉ろうとなさいました。しかし、尊は木花開耶姫だけを召されたので、磐長姫は大いに恥じました。「我長くここにありて縁結びの神として世のため人のために良縁を得させん」といわれて、この地にお鎮まりになりました。ということで、ここには良縁を願って多くの人が訪れるということです。【結社社殿】ここには『結び文』というものがあります。紙の裏に願い事と名前を書いて、細く折って所定の場所に結びます。この結社にある『天乃磐船(あまのいわふね)』。重さなんと6トンもあるそうです!船は古くは唯一の交通機関で、人と人、文化と文化をつなぐということから縁結び信仰と深い関わりがあります。また、船は神様の乗り物と神聖視されている貴船神社には関わりが深いものなのでしょう。本宮、奥宮、結社とお参りできました。京都に都ができる前からここに存在していた貴船神社。日本最強のパワースポットではないでしょうか。貴船神社から鞍馬寺に向かうには鞍馬寺西門受付所が入口となります。ここからは鞍馬山を登って下りるハイキングコースだそうです。このような道を一時間近く登っていくことになります。まだこの時は軽く考えて登っていました・・・。
2017/05/30
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貴船神社の本宮に参拝です。貴船はもともと気生根、気生嶺と書かれていたそうです。大地のエネルギーが生じる山、気の生じる根源ということですね。体内の気が衰えることを『気枯れ(けがれ)』といいますが、自然から湧き出てくる御神気に触れ、気力が充実することから、古来より多くの参拝者がここを訪れているというのも頷けますね。貴船川に流れ込んでいく水、石垣は苔むしています。体が緑に染まりそうです。中宮を通り越して先に奥の宮に向かいます。途中、同じ根から生えた二本杉に圧倒されました。『相生杉』と呼ばれており、夫婦共に長生きの意味が込められているそうです。なんと樹齢千年です。相生杉を進むと次にあるのが『思い川』昔、夫の愛を取り戻そうと悩んでいた和泉式部が貴船神社を詣でた時、この川の水で手を清めたそうです。これが思い川と呼ばれる由来とされています。その当時は奥宮が本宮で、この川の水は今でいう手水舎の役割を果たしていたんですね。思い川に架かるこの『思い橋』を渡るともう奥宮です。この門をくぐると広い境内に入ります。広い境内は新緑で溢れそうになっていました。境内の奥に本殿があります。古社中の古社といわれ、奥宮本殿の下に龍穴があり、それがパワーの根源龍穴は神が訪れた際に水が湧き出た場所とされ、ここに龍神を祀り、古くから雨乞いの神事が行われた場所です。まさにパワースポットですね。神武天皇の母である玉依姫命が黄色い船に乗って淀川、鴨川、貴船川を遡って当地に上陸し、水神を祀ったのが始まりとされています。『黄船⇒貴船』に転じたということですね。そうです、貴船神社は水の供給を司る神様をお祀りしている神社なんです。京都の北の山奥にある神社の名前に何故船という言葉が使われているのか、一つの疑問が解けました。
2017/05/25
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5月11日、新緑を楽しみに京都の貴船神社と鞍馬寺に行ってきました。京都にはよく行くのですが、ここはまだ行ったことがありませんでした。阪急電車で四条河原町、京阪電車で出町柳そして叡山鉄道で貴船口まで、貴船口からは京都バスで貴船で下車。もうそこは静かで空気の違いを感じる場所でした。聞こえるのは水のせせらぎと鳥のさえずり貴船を流れるのは貴船川。貴船川は鞍馬川と合流し、鴨川そして淀川とつながっています。貴船川の水は最後大阪湾まで流れていくんですね!しばらく歩くと有名な貴船の川床(かわどこ)が見えてきました。手を伸ばせば届きそうなくらいに水面が近いですね。食事の方は、値段を見ると手が届きそうにありませんが・・・。川床のお店の間を通り抜けると、本宮の鳥居があります。正面から入るとこのようなきれいな石段があります。秋になると紅葉がすばらしいのだろうなぁと思いながら、新緑の紅葉のトンネルを楽しみながら一段一段上がりました。石段を上がりきって門をくぐると本殿があります。本殿の背景には新緑の紅葉が白く光っていました。貴船神社には本宮、中宮(結社)、奥宮と三社あります。少しづつ離れた場所にありますが、本宮⇒奥宮⇒中宮の順に参拝します。これが貴船神社の三社詣(さんしゃまいり)と言います。順序良く参拝すると願いが叶うということです。
2017/05/24
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くいしんぼうさぎ 5月は抹茶のムース各地で30度を超えるようになってきました。こういうときにぴったりのヒンヤリ爽やかなムース、最高ですね。ポイントはムースに入っているホワイトチョコレートホワイトチョコレートのほろ甘さとさわやかな苦みのある抹茶の相性は抜群です!中には好みのフルーツが入れましょう。くいしんぼうさぎたちは五月のさわやかな風と戯れています。初夏は抹茶の風味を楽しみながら、ひんやりムースを味わいましょう。
2017/05/21
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宇和島は伊達十万石の城下町として栄えました。藤堂高虎が今治に転封となったあと、伊達秀宗が1615年に宇和島城に入城。秀宗は仙台藩伊達正宗の長子。そうです、あの独眼竜正宗の跡継ぎです。しかし、秀宗は側室の子供で、正宗の正室の愛姫に弟の忠宗が生まれたことで、遠く離れた四国の宇和島に転封することになったようです。秀宗が仙台藩を継げなかった理由はもう一つあります。秀宗の名前に秀が入っているように、秀宗は豊臣秀吉に可愛がられ秀吉の秀をもらった経緯があります。しかし徳川の世では、それが仙台藩主としてはふさわしくないということで、結果宇和島への転封となったということです。ここ宇和島は大阪冬の陣での伊達家の功績に対して正宗に与えられたもので、秀宗はそこで初陣を飾ったということです。宇和島城は1671年に大修理が行われました。その時の姿が現在まで残されています。宇和島城は、松山城など今までのお城と違うところがありました。式台のある玄関や、内部に長押や建具が置いてあることなど生活感が感じられる天守内部でした。今までの天守には鉄砲狭間や矢狭間そして石落としのような敵が攻めてきたときのための武備の要素がありましたが、この宇和島城にはまったくありませんでした。戦の心配もないこの時代を反映された構造になっているということです。どこも天守の階段は急です。天守閣に上がってきました。私以外には誰もいません。重要文化財の天守を独り占めですね。柱や床の一つ一つに江戸時代の様式をそのまま感じることができます。現存十二天守の中でももっとも代表的な江戸時代の様式だそうです。天守から、本丸や宇和島湾が臨めます。宇和島の町並み、雨が止み日が射してきました。二ノ丸の方から下山します。石垣や石段に歴史が感じられます。説明文を読んでみると、この井戸は現存する三つの井戸の中でももっとも重要とされる井戸のようです。ここを井戸丸といい、井戸丸御門、井戸丸矢倉などがあって、有事のときのために厳重に管理されていたということです。別名鶴島城と呼ばれる秀麗な天守は、当時のまま残っている大変貴重なものです。宇和島城、ゆっくりと堪能できました。
2017/05/18
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森林植物園では、珍しい木が花を咲かせていました。それは『ハンカチの木』標高2,000mの森林に自生する落葉高木です。このように下に垂れる大きな苞がハンカチのように見えませんか?まん中の黒い部分が花です。白い部分は苞(ほう)。苞とはつぼみを包んでいた葉のことだそうです。そして、ツツジやシャクナゲ以外にもいろんな花が目立たないように咲いていました。《ヒメウツギ(アジサイ科)》《オオデマリ》そして、歩いていると足元に小さな花がそれぞれに自分の世界をつくっています。こうして花を見てると、心身ともに癒されますね。
2017/05/12
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7日神戸の森林植物園に新緑を楽しみに行ってきました。そこで出会った花々を紹介しましょう。つつじとしゃくなげのコースから歩きました。【しゃくなげ】ツクシシャクナゲ【つつじ】フジツツジベニドウダンキシツツジ一つ一つの花から生きるパワーをいただきました。なにより、見ている人がみんな笑顔であることが花のパワーなのでしょう。
2017/05/09
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宇和島に到着そのころは雨も止み、晴れ間がのぞいてきました。そのおかげ?でこのような瞬間を撮ることができました。JR宇和島駅伊達十万石の宇和島と呼ばれる宇和島、初めて来ました。南国風の駅から宇和島駅から、さっそくお城に向かいます。城山東北川の登城口にある桑折(こおり)氏武家長屋門から登ることにしました。桑折氏は宇和島藩の家老で、その屋敷内にあった長屋門をここに移築したものだそうです。ここからは、ちょっとした山登りですね。登山道の石段の一段一段に歴史を感じますね。途中古い石垣を見て、昔の外郭の大きさを感じながら天守閣に向かいます。宇和島城が現在の地に天守が初めて築かれたのは1601年、藤堂高虎によって築城されました。藤堂高虎はこの後1602年に今治城も築城開始しました。宇和島城は小ぶりですが、千鳥破風、唐破風の配置が美しい独立式の層塔天守で、国の重要文化財です。本当に天守のみで他に何もないんですよ。山の上の本丸からは宇和島港、その向こうの九島が臨めます。少し晴れ間がのぞき陽が射してきました。
2017/05/08
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松山の次の日は伊予大州(いよおおず)に移動。宇和島に行く前に途中下車しました。初めて行く場所はワクワクしますね。【伊予大洲城】肘川越しに見る大洲城、この方向からのお城がベストですね。大洲城は1331年鎌倉時代末期に守護として伊予に国入りした宇都宮氏によって築城されたといわれ、その後藤堂高虎等によって近世城郭として大規模に修築されたということです。地元住民の活動もあって江戸時代からの四つの櫓が残され、国の重要文化財に指定されています。天守は戦後復元されたものですが、国産の木材で造られた天守としての四層四階は日本初ということで、19mと日本一の高さを誇っています。天守の中に入ると、城郭建築特有の迫力ある木組みを見ることができます。この日は、訪れていたのは私一人だったこともあり、本当に贅沢な気分にさせていただきました。天守から見た肘川と大洲の町、JR予讃線の鉄橋が見えます。最初の写真はその鉄橋を渡る車中から撮ったものです。【大洲城三の丸南隅櫓(重要文化財)】三つある重要文化財の櫓の中では最も古いものです。今はお殿様公園に旧大洲藩主の住居とともに残されています。櫓ごしに天守が見えました。【大洲神社】大洲神社の中を通って“臥龍山荘”に行くことにしました。臥龍山荘の土塀と神社の苔むす石垣が風情ある小道を演出していました。【臥龍山荘(重要文化財)】肘川に降りると臥龍山荘全体を見ることができました。個人が明治に建てた別荘だそうですが、数寄屋造りの臥龍院他が平成28年重要文化財に指定されました。優秀な数寄屋造りが高い評価を得たのでしょう。【おはなはん通り】NHKの朝ドラ「おはなはん」のロケがここで行われたことからこの名がついているそうです。もう50年も前のことです。私は高校生の時でした。伊予大洲駅に到着。 ここから宇和島に向かいます。
2017/04/25
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松山はお城に温泉そして文学の町として有名です。松山といえば夏目漱石そして「坊ちゃん」ということですが、伊予鉄道開業の明治21年から67年間に渡り蒸気機関車が活躍していました。その蒸気機関車が坊ちゃん列車として復元され、松山町中を走っています。松山といえば「道後温泉」、その道後温泉駅にも坊ちゃん列車を見ることができました。もう一つのお城『湯築城跡』『道後温泉本館』湯の町の情緒を深める人気のスポットですね。日本三古湯の一つで、なんと万葉集にも載っているんですねぇ。この道後温泉本館は、温泉入浴施設としては唯一の重要文化財です。それにしても雰囲気ありますね~。夜の道後温泉本館、雰囲気が最高!霊の湯、神の湯と歴史ある温泉の古湯を楽しみました。本当に千と千尋の神隠しの世界ですね。いまにも湯婆婆が出てきそうですね(笑)松山ではお城に温泉にゆっくりと楽しめました。また来たいですね。2016年12月26日松山にて
2017/04/21
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大阪で桜見の第三弾!寝屋川橋を渡り大阪城内に入ります。大坂城の桜を見るのは三年ぶりです。京橋口から入り北外堀側から回ります。北外堀からの天守、今日は天気が良く輝いていました。南外堀沿いの桜並木も見事に咲いていました。それにしても大阪城の外人観光客の多さには驚きますね。大坂城を一周して最後は大手門側からの天守伊丹空港に向かう飛行機が・・・飛行機から桜に彩られた大阪城が見えていることでしょう。造幣局に大坂城、人は多いですがそこにいる人は皆笑顔。桜はすべての人を笑顔にしますね。
2017/04/19
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大川の東岸の河川敷を利用した公園で、延長4.2kmも続く桜並木。こちらは人も少なくゆっくり桜並木を楽しめました。対岸に見えるのは造幣局このように桜のトンネルが続きます。京阪電鉄の鉄橋の北側にある毛馬最南端に小さな橋があります。その橋の上からの桜並木が実に見事です。京阪電車の鉄橋下の大川から分かれて流れている川が寝屋川です。高層ビル群と寝屋川沿いを彩る桜。これもまた美しい。寝屋川橋を渡ると、そこは大阪城です。
2017/04/14
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大阪造幣局の桜の通り抜けに行ってきました。桜宮橋西詰の南側の大川沿いにあります。天満橋から大川沿いに人の行列が・・・。すごい人、人、人10時開門に合わせて行ったのですが。それでも午後よりはましだったようです。そして、肝心な桜はまだ30%ぐらいの桜がつぼみでしたが、いろんな種類の桜が楽しめるのがここの特徴かもしれませんね。人を避けて桜を撮影するのは人苦労いや一苦労通り抜けは一週間だけですが、遅咲きの八重桜が多くあるので最後まで楽しめると思います。人込みは別として、なんとかさくらは楽しめました。日曜日になるとどれだけの人出になるのでしょうか・・・。直ぐ近くの毛馬桜の宮公園に向かいます。
2017/04/13
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小天守の南真下にあるのが紫竹門(しちくもん)当初小天守の石垣下に紫竹が植えられていたことからこの名前がついたとのこと。【紫竹門(重要文化財)】竹の茂みに隠れて本丸の様子を見ていたということです。紫竹門を入って左折すると搦手の本丸入口にあたる乾門があります。乾門東続櫓とその石垣が続きます。【乾 門(重要文化財)】乾門を出て振り返ると、乾門東続櫓、南隅櫓そして小天守と連なっています。石垣の周囲を歩いて回れるので回ってみました。見事な石垣が続きます。長者ヶ原に戻ってきました。県庁裏登城口を歩いて下山します。下りたところには二ノ丸史跡庭園があります。松山城 本当に見ごたえがありました。
2017/04/10
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いよいよ天守閣に上がります。本壇に入ると、正面に大天守が見えてきます。【大天守(重要文化財)】この天守は1854年に完成。これは、黒船来航の翌年ですね。ということで、江戸時代最後の完全な城郭建築になります。一ノ門、二ノ門、三ノ門(いずれも重要文化財)をくぐって進みます。本丸に入るときも迷路のようになっていたのですが、本壇も大天守に入るまではさらに迷路のようでした。大天守に入ると急な階段が続きます。柱、床の一つ一つに歴史を感じます。素晴らしいです。ついに天守の最上階に来ました。天守閣は思ったより広かったですね。一瞬だけ一人きりになりました。城山山頂は132m、さらに天守は30mそびえ立っているため、圧倒的な存在感を持っているお城ですね。天守閣から本丸が見渡せます。山上にしては広いですね。鯱に止まっているからす、何を見ているのでしょう・・・松山の市街の向こうに、瀬戸内の島々が臨めます。天気が良ければもっと遠くまで見えるのでしょうね。
2017/04/05
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マンションの入口にある橋のたもとの山桜この桜が開花すると周辺の桜が咲きはじめます。日曜日から咲き始め、今日は満開になりました。仕事の行き帰りが楽しみです。橋の上から川を見ると、毎年木が成長して水しぶきをあびそうになっていました。やっと咲き始めた桜お月さまも待ち遠しかったでしょうね。神戸では次の土日が見ごろになりそうですね。晴れますように・・・。
2017/04/04
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入口にある“戸無門”(重要文化財)ここから本丸に入るまでは迷路のようになってました。敵が攻めにくいように造っているのでしょう。昔から戸が無いために戸無門と呼ばれているそうですが、何故一番目にある重要な門なのに戸が無いのでしょう?戸無門をくぐると次にあるのが筒井門【筒井門と隠門続櫓(重要文化財)】筒井門の奥には隠門があり、その上に隠門続櫓があります。筒井門と隠門続櫓は、本丸正面の固めとして、松山城中でも最重要堅固な所にある門と櫓です。隠門続櫓から侵入者を射撃する仕組みになっており、戸無門に門が無くても、ここで侵入を防ぐことになるわけですね。次に続く門が太鼓門太鼓門は築城時のまま保存された門で、昭和10年までは国宝に指定されていたのですが戦争で焼失、昭和47年に復元されました。太鼓門の上にあるのは太鼓櫓太鼓櫓だけでなく、左右の石垣の上からも攻撃できるようになっているそうです。まさに最後の砦ですね。本丸に出ると意外に広い。正面に大天守や小天守がある本壇が見えます。本丸からの絶景を紹介しましょう。本丸からは松山の街が一望できます。絶景です!本丸から馬具櫓、本壇の天守、乾櫓が一望できる最高のスポットです。そして、屏風折の高石垣がすごい!いよいよ天守に向かいます。
2017/03/26
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いちごが一番おいしい時期は2月から3月と言われます。ということで、“六甲のくいしんぼううさぎ”の3月にケーキはショートケーキいちごは“あまおう” いちごはたっぷりと上に下にそして真ん中にも六甲のくいしんぼうさぎに来られている方達生クリームを塗ったり、絞り出し袋を使ってデコレーションをつくるのに苦労しているようです(笑)ふわふわの生地に、生クリームの甘さと苺の酸っぱさのハーモニー絶品で~す。ふわっと食べちゃいましたくいしんぼうさぎたちもいちごづくりに忙しそうです。
2017/03/18
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四国のお城巡りの旅二日目松山市に入りました。JR松山駅を降りてまっすぐ松山城に向かうと山の上にお城が見えてきました。下から見上げる天守閣標高132mの勝山山頂に建っています。東雲口からロープウェイに乗って山頂に上がります。日本に現存する12天守の一つで、多くの建造物が重要文化財に指定されています。ロープウェイを降りて、長者ケ平から揚木戸門跡に進むと高い石垣が見えてきます。更に大手門跡に進むと石垣の間から天守閣が見えてきました。松山城の創設者は加藤嘉明という武将で、関ヶ原の戦いで徳川家康にその戦功を認められ、1602年道後平野の勝山に城郭を築き始め、完成までに四半世紀の期間を要したということです。松山という地名にしたのもこの加藤嘉明が伊予松山藩を立藩したのが始まりだそうです。
2017/03/13
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今治城は日没後から23時まで毎夜ライトアップされます。石垣や天守が闇に浮かび上がる様子は、訪れた価値があるというものです。全国にあるお城のライトアップの中でも特に美しさが際立っているのではないでしょうか。寒さも忘れ、しばらく見入ってしまいました。しまなみ海道のライトアップとともに、松山方面に行かれたときには、ぜひ立ち寄ってみてください。このライティングの美しさに感動すると思います。今治で一泊して、明日は松山城と道後温泉に向かいます。
2017/03/06
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御金櫓の方向から見た今治城、まさに水に浮かんでいるようです。水面に映るお城も素晴らしいですね。二ノ丸に入るとそこは意外に広く、騎馬の乗る藤堂高虎の銅像が目に飛び込んできます。今治城は1602年関ヶ原の戦いでの功績により藤堂高虎が築城を開始しました。この櫓門をくぐると本丸です。そこに再建された天守閣がありました。五層のりっぱな天守閣です。天守閣からは360℃パノラマ景色が広がります。天守閣から見た瀬戸内の島々と今治港。来島海峡と来島海峡大橋が一望できました。藤堂高虎が徳川家康の意を受けて、瀬戸内の交通の要衝である来島海峡を押さえる目的で築いたといわれています。今治のこの場所が、西国の大名の動向を監視するのに最適な場所であったということなんでしょう。
2017/03/02
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次の訪問地は今治今治市は愛媛県では松山市に次ぐ町で、今治タオルで有名ですね。そして、今治城の城下町として栄えた町でもあります。今治駅に到着。15年前に一度来たことがあるのですが、駅前の印象が随分変わったようです。ちなみに、駅に流れるメロディは“瀬戸の花嫁”です。今治城は海を活用した海城であることから、高松城と中津城とともに日本三大水城と言われています。お堀が広いので水の中に浮かんでるような感じです。これは、なかなか攻めにくいお城ですねぇ。城内につながる土橋が見えてきました。土橋は巨大な内堀に架かる特徴的な橋です。ここを渡って城内に入ります。渡りきると鉄御門(くろがねごもん)があります。つまり表玄関ですね。【鉄御門】名前の通り門扉を鉄板で覆ったものです。これは2007年に復元されたものですが、かつては手前の土橋を渡り切ったところに高麗門があり、枡形を形成していました。これは丸亀城の枡形と同じですね。【勘兵衛石】石垣中央の巨石は今治城最大の石で勘兵衛と呼ばれています。この巨石は鉄御門復元の際に城内に保存していたものをここの石垣に戻されたそうです。鉄御門が見える武具櫓の中に入ってみました。櫓の中から、入って来た土橋がよーく見えました。敵が攻めてきたときは、ここで迎え撃ったのでしょうね。武具櫓内から見た鉄御門よくぞここまで復元したものです。
2017/02/23
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丸亀城の石垣の壮大さ城内にあるグランドの方から見た石垣が最高のフォトスポットです。帰りは搦手口(からめてぐち)から降りて行きました。搦手口の石垣もさらに見事です。御殿表門(重要文化財)藩主居館の正門で玄関先御門ともいわれます。ここから、山下御殿に向かって目隠し土塀が続きます。丸亀城を満喫、次は今治に向かいます。
2017/02/19
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2017年度の「六甲のくいしんぼうさぎ」が2月から始まりました。2月はバレンタインということでチョコレートのお菓子。【ケイク オ ショコラ Cake au Chocolat】 チョコにオレンジピールやレーズンを組み合わせたケーキです。つくってから数日経過してからいたただくと、中のしっとりは変わらず、それぞれの味がなじみ合って、さらにおいしさが増してきます。深みのある味わいをゆっくり楽しむ、そんな贅沢な時間を演出するショコラケークです。めちゃくちゃおいしいですよそして、もう一つ【カリカリサブレ ショコラノアゼット Sable Craquant Noisette-Chocolat】クランブル生地のの上にガナッシュをのせ、さらにその上にノアゼット(ヘーゼルナッツ)をのせて出来上がり。とろりとしたガナッシュとクランブル生地のサクサクカリカリ感の相性が抜群チョコレートとナッツの組み合わせも最高で~す。
2017/02/14
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本丸に上がるとそこには天守閣が・・・。石垣の壮大さと比べ、丸亀城の天守閣は驚くほど小さい。現存する十二天守の中でも最も小さい天守ということです。中に入ると、急な階段に驚きます。この天守は1640年山崎安治によって築かれ、1660年に京極高和によって改築されたものです。この階段は、350年の歴史を実感できるだけの味が出ていました。三層三階の天守は小ぶりで、もちろん三階もこじんまりとしていますが、ここからの眺望は素晴らしいものでした。天守から見える瀬戸大橋入城してきた大手門から丸亀駅方面、その先には瀬戸内の島々が見えます。亀山公園の方から丸亀駅に向かいます。お城の周囲を回ってみると、いかにも古いと思われる石垣がありました。
2017/02/10
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丸亀城の日本一の石垣美しさと堅固さを誇ってそそり立つ高石垣は日本一ですね!本丸に行くには、この見返り坂と呼ばれる坂を上がってこないと行けません。見返り坂を上がってくるとこの石垣が目の前に広がります。丸亀城の石垣は扇の勾配と呼ばれ、下の方は緩く組み、頂へ向かうにつれ垂直になる独特のそりをしています。三日月流扇の勾配ともいうそうです。二ノ丸に上がると讃岐富士(飯野山)がきれいに見えます。讃岐平野の真ん中にある穏やかな山容は、どの方向から見ても美しく、地元の人々から親しまれている山です。1615年の一国一城令により、一度は廃城となった丸亀城現在の丸亀城は1645年に幕府の許可を得て再築したもので、その時に作成した絵図が今も残っているということです。
2017/02/03
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高松から丸亀に移動、約30分で到着しました。丸亀を訪れるのは初めてですが、丸亀は香川県第二の町で丸亀藩の城下町で金比羅宮の玄関口として発展してきた町として有名です。【丸亀駅】丸亀城は標高66mの亀山に築かれた平山城で、「石の城」として有名です。石垣の高さは日本一のお城、とにかく見事な石垣には圧倒されっぱなしでした。丸亀城の内堀が広がります。大手二ノ門から入城します。【大手二ノ門】重要文化財大手門枡形から見た大手二ノ門そして、枡形は、大手一ノ門、二ノ門と狭門塀とよく調和のとれた造り方で、巨石を多く用いた堅固な枡形であり、枡形としては大きいですね。枡形から見た大手一ノ門、枡形の広さがよく分かりますね。【大手一ノ門】重要文化財太鼓門とも呼ばれた一ノ門、櫓門となっており、敵が枡形に入って来たときには、上から弓や鉄砲で攻撃できるようになっています。二ノ門と一ノ門が直角の向きになっているのも、敵のスピードがこの枡形で落ちることを狙ったものということです。丸亀城は、1597年生駒親正が讃岐17万石を与えられ高松城を本城とし、支城としてここ丸亀にお城を築いたのが始まりです。しかし、この時点ではまだ現在の天守閣も石垣もありませんでした。
2017/01/26
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高松城跡にはいくかの重要文化財があります。園内から見た『渡櫓(重要文化財)』、その奥が『月見櫓(重要文化財)』左から『月見櫓』『続櫓』『水手御門』『渡櫓』すべて重要文化財です。1676年に建てられた月見櫓は出入りする船を監視する役割を持ちます。水手御門は直接海に向けて開く海域特有の城門で、現存しているものとしては全国でここだけだそうです。藩主はここで小舟に乗り、沖で御座船に乗り換えて参勤交代などに出掛けていたということです。月見櫓に上がってみました。月見櫓から見た渡櫓、その先には飛雲閣と玉藻公園の庭が見渡せます。玉藻公園の庭に入っていきます。庭の先にあるのが『披雲閣(重要文化財)』大正時代に松平家の別邸として建てられたものです。江戸時代にはこの場所に藩主が政務を行なう場所としてまた生活する場所として披雲閣という名前の御殿が建っていたそうです。【良 櫓(うしとらやぐら)】重要文化財この櫓は1677年に東ノ丸の北東の隅櫓として建てられたものです。北東の方角を丑寅(良)ということで名付けられたそうです。現在の良櫓は昭和42年に解体修理をおこない、太鼓櫓跡に移築されたものです。お堀には鯉ではなく鯛が、さすが海から水を引いているだけありますね。ここ高松で信長の死を知った秀吉は、わずか二日で引き返します。後に中国大返しと言われることになります。そして、秀吉が信長弔い合戦に勝利し、秀吉の天下人への戦いがここから始まることになります。
2017/01/19
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京都は昨日から大雪、市内も積雪というニュース以前から見てみたいと思っていた雪景色の金閣寺、明日は行こうと決意し行ってきました。山門までの境内も真っ白に雪化粧日曜日ということもあって、開門前から長蛇の列それでも一回は見たかった雪の金閣寺人をかき分けたどり着いたベストポジション最高ですねたまに射す光が雪に反射し、いつにもまして金色に輝いていました。本当に素晴らしかったです!
2017/01/15
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高松城跡の中に入ります。二の丸跡から本丸跡に渡る橋の上から見るお堀と天守台天守台本丸跡に入ると最近完成された天守台の石垣があります。その天守台から見た二の丸跡と渡って来た橋高松城はすぐ北に高松港があり、お堀には港つまり瀬戸内から海水をひいています。天守台から海水を引いている水門が見えます。二の丸跡に戻り水門にやってきました。その水門から見た天守台です。ここに天守閣を復元することが考えられているそうです。高松城といえば、秀吉による水責めです。1582年3まっもの塀を引き連れ高松に攻め入ります。しかし、高松城はまわりを沼や堀で囲まれており、攻め込むには細い道を通るしかありません。これでは大軍で攻め立てるのは難しい。ならばと、秀吉は城ごと水攻めにしてしまおうと考えました。秀吉はわずか12日間で、全長4km、高さ8mという巨大な堤防を造ってしまいます。季節はちょうど梅雨どき、高松城は徐々に水浸しになっていきます。高松城が湖に浮いた孤島状態になり、高松城が落ちるのも時間の問題というときに歴史を動かす大事件が起きます、それが“本能寺の変”です。
2017/01/14
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昨年12月に65歳になり、39年間勤めていた会社を退職しました。卒業旅行ではないですが、ひとつの大きな節目としていろんな思いを込めての一人旅。12月25日から28日まで、お城巡りを中心に、その歴史をたどりながら四国を一周してきました。一日目は三宮7時5分発高松行の高速バスで出発、高松までは約2時間50分かかります。明石大橋、鳴門大橋を通り四国に入ります。香川県に入ってしばらくすると屋島が見えてきました。香川県の東北に位置する屋島は、約800年前に繰り広げられた源平合戦の伝説が数多く残るところでもあります。予定通り「JR高松駅」に到着しました。高松駅とその周辺は様変わりしていました。私が仕事で来ていたときはまだ宇高連絡船で海を渡っていた時代ですから、その時の面影はもうありませんねー。ただ、あまりにも懐かしいのでフェリー乗り場の方に行ってみると、何とまだ記憶にあるフェリー乗り場の看板があるじゃないですか!いかにも古い、薄汚れた看板が一つだけ不自然な感じで立てられていました。というか、平成24年に51年の幕を閉じた宇高国道フェリー、これはひょっとして、あえて残しているのかなーという気がしました。今はこの四国フェリーが宇野と高松をつないでいます。そして、高松城跡である玉藻公園は高松駅の目の前にあります。高松城は豊臣秀吉の四国制圧の後、生駒親正によって1588年から築かれた城で、現在見られる遺構は、1642年に松平頼重によって改修されたものです。数多くの重要文化財を始めとした遺構が残る高松城その歴史に触れたいと思います。
2017/01/10
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今日12月12日は65歳の誕生日まだ65歳と思いなさいという人もいますが、やはり私はもう65歳と思ってしまいます。39年間勤めてきた会社も今月で退職。当たり前のように繰り返してきたことが終わるという実感がまだ湧いてきません。神戸市から「すこやかカード(老人福祉手帳)」が届いたり、介護保険のお知らせや公的年金の請求書面が届いたり、次から次に「あなたは老人ですよ」と押し付けられる日常がやってきています。そんな中、10日には孫もやって来て、家族で65歳の誕生日を祝ってくれました。北野にあるL'AVENUE(ラヴニュー)のケーキ 娘たちからのプレゼント65歳になっても歩きますよ~
2016/12/12
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丹生官省符神社から町石道を少し進むと、急な石段が見えてきます。その石段の上には、弘法大師(空海)ゆかりの建物が静かに佇んでいました。【紙游苑】ここでは、弘法大師が伝授したと言い伝えられている高野紙の紙すき体験をすることができるそうです。様々な和紙工芸品も展示されています。弘法大師伝授ということですが、中国伝来ということになるのでしょうか。紙游苑のすぐとなりに山門があります。弘法大師ゆかりのお寺です。【勝利寺】ここ勝利寺は、弘法大師厄除観音を祀るお寺で、高野表参道の玄関口で、貴族や武士から庶民までの宿泊者や参拝者で賑わったと伝わっています。急な石段を下りた後は、高野山町石道に戻ります。ここからは、本格的に山登りの雰囲気になっていきます。3kmほど登ってみました。途中、高野山への道しるべ「町石」がありました。道沿いには柿畑が見事に広がっています。平安時代より天皇から庶民までが、それぞれにいろいろな思いを背負って高野山目指しこの、町石道を登ったのでしょう。まさに、歴史が踏み込まれた古道ということですね。
2016/12/06
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東山に沿って銀閣寺から哲学の道を南下哲学の道の途中には色鮮やかなもみじが、歩く人も思わず足を止め見入っていました。次は、京都の紅葉の名所 “永観堂”紅葉の見ごろ過ぎにできる、もみじのじゅうたんそして、銀杏ののじゅうたん最後は南禅寺三門前のもみじ人の多さには毎年びっくりしますが、やっぱり良いですね。京都の紅葉___
2016/11/28
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25日にやっと紅葉を見に京都に行ってきました。1週間ほど遅かったようで、どこも見ごろは過ぎた感じでした。冬到来を感じさせる紅葉も良いかな・・・と、京都の晩秋を楽しんできました。【嵐 山】【宝厳院】京都の西の嵐山から京都の北東にある八瀬比叡山口(叡山電鉄の終点)まで移動【叡山ケーブル八瀬駅周辺の紅葉】紅葉を、何とかぎりぎりで楽しめました。
2016/11/27
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慈尊院の境内にある石段この石段の先には、空海が慈尊院を創建の時、守り神として地元ゆかりの二神を祀ったといわれる“丹生官省符神社”の鳥居が見えます。その石段の途中には、このような「町石」と呼ばれる高さ約3メートル強の五輪卒塔婆形の石柱が立てられています。石段を上がると丹生官省符神社の境内です。この神社も世界遺産、上がって来た高野山町石道も世界遺産考えたらすごいですね。ここまで来るとほとんど観光客はいません。奥にある社殿三棟は重要文化財に指定されています。ここも、慈尊院同様地元の人に大切にされているんでしょうね。世界遺産 高野山町石道の方向に向かいます。とても高野山までは上がれませんが、世界遺産の古道を少しだけ登ってみました。
2016/11/24
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九度山のもう一つの世界遺産 『慈尊院』慈尊院は空海が高野山を開く時に、高野山で必要な物資を調達するための政所として建てられました。平安時代から続く歴史の重さが感じられる風景です。弥勒堂(重要文化財)弥勒堂は宝形造で屋根は桧皮の低い建物です。安定感のある建物ですね。弥勒堂に祀られている弥勒菩薩坐像は国宝です。平安前期彫刻の基準となる仏像として非常に重要な作品だそうです。りっぱな多宝塔高野山町石道から見た本堂空海の母が晩年移り住み、没後に弥勒堂が建立されたことから、女人禁制の高野山に対して女人高野と呼ばれ親しまれたそうです。高野山にまで会いに行けない空海の母は、できるだけ空海の近くにいたかったんでしょうね。
2016/11/17
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九度山の名物は柿とにかく柿畑がいっぱいみごとな柿が手の届くぐらいのところに枝が折れそうに実っています。家の軒下には干し柿がそして軒先には無人のお店がなんと一袋100円!!もちろん買っちゃいました。奥の箱に100円入れて・・・。帰ってから食べたら、これまたおいしい柿がある風景を楽しみながら歩いていると、突然りっぱな石垣のある場所に出てきました。そこは高野山の登り口にある世界遺産、九度山のもう一つの顔『慈尊院』こんなところに世界遺産・・・、興味深いですね。
2016/11/13
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真田庵の次はすぐ近くにある「真田ミュージアム」今年の3月に完成したもので、幸村の九度山での生活を紹介しています。真田家の家紋“六文銭”が描かれた提灯が入り口にぶら下がっています。この提灯や兜の飾りは、ここだけではなく各家の軒先にも同じようにぶら下がっていました。そして、幸村といえば朱色のイメージが強いですね。甲冑などの装備を同じ色で統一した舞台を「備え」と呼びますが、真田幸村の場合は「真田の赤備え」と呼ばれています。11月6日の放送でこの甲冑が完成して登場していました。それにしても見事ですね。さらに、町中の狭い道を歩いているといろんなものと出会いました。【真田古墳】昭和28年に古墳であることが明らかになったそうですが、それまでは真田庵へと続く抜け穴と言い伝えられていたそうです。「真田の抜け穴」のほうが真田の里としてはそれらしくて良いと思ってしまうのですが・・・。民家の軒先に突然現れた金太郎?よく見ると「米金」と書いています。看板を見てみると、大正の初め頃にできたニメートルを越す陶器の像で、こんな大きな陶像は全国的に珍しいそうです。地元の人からは「米金の金時」と呼ばれ親しまれているようです。【紀ノ川】上流は奈良県の大台ケ原を源とした吉野川で、和歌山県に入って紀ノ川となり紀伊水道に注ぎます。川のあるところに人の営みがあるといいますが、九度山は真田幸村の生きた時代よりも約800年前から高野山のふもとの町として、高野山を目指す多くの人々が行き交った場所でもあります。
2016/11/08
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大河ドラマも最後の大阪冬の陣、夏の陣が迫り盛り上がっている“真田丸”その戦に出陣するまで真田幸村が生活していたのが和歌山県の“九度山”です。九度山駅は南海電鉄の高野線にあります。高野山に電車で行ったことがあれば、必ず九度山駅を通っています。乗換駅の橋本駅のホームは人出溢れかえっていました。これも真田丸ブームの影響でしょうか・・・九度山駅に到着。そこは真田幸村ゆかりの地であることを演出していました。真田の六文銭をあしらった赤い暖簾や幕で彩られていました。隠れ里のイメージはありません(笑)紀の川と丹生川に囲まれた九度山町の真田ゆかりの地を巡りました。せっかくなので“真田のみち”を歩きました。しばらく歩くと古民家を再利用したという“いこい茶屋”町を一回りしてから、ここで一服することにしました。主目的である『真田庵』が見えてきました。戦乱の世を生きた真田親子がかつて隠棲し、再起を誓った場所。豊臣側が関ヶ原の戦いに敗れたことで、幸村が父とともに隠れ住んだ屋敷跡に建てられた寺院といわれています。何故隠棲場所がこの九度山だったのでしょう。実は、真田親子が家康から命じられたのは高野山で蟄居せよということでした。しかし、幸村の妻をはじめ数名の女性が一緒だったことで、女人禁制の高野山に入ることができず、高野山への登り口にある九度山村で隠棲することになったという説があります。この九度山で亡くなった父のために、息子幸村は父の供養のために森の中に宝篋院塔(ほうきょういんとう)を建てました。そして、その後大安上人がこの森に来たときにここ真田庵の地に善名称院を建立したといわれています。真田幸村がここでどのような生活をしていたのでしょうか。
2016/11/06
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金曜日の夜は、佐賀からのお客様 妻の妹ですが、とメリケンパークにある雅苑酒家で食事神戸港の夜景を見ながらの食事はまた格別でした。食事までに少し時間があったので、久しぶりに夜の神戸港を楽しみました。やはり、神戸の夜景は最高ですね。
2016/10/29
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六甲のくいしんぼうさぎ 10月は「アップルパイ」お家でアップルパイが作れたら楽しいですね。ケーキに使うのはもちろん“紅玉”他のりんごより酸味が強く、固くしまっている紅玉はアップルパイにぴったりです。甘酸っぱい果肉に、サクサクの生地いくらでも食べられそう!くいしんぼうさぎのアップルパイ 最高で~す。そして、今年も人気のりんご酢を作りました。
2016/10/24
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当尾にあるもう一つのお寺 “岩船寺”私が訪れた時は7月のはじめで、境内は紫陽花の花が満開でした。その紫陽花目当てに多くのカメラマンや観光客が訪れていました。岩船寺は花のお寺として有名ですが、実は数多くの重要文化財を所蔵している文化財の宝庫でもあります。【十三重石塔(鎌倉時代)】重要文化財この本堂には平安時代から鎌倉時代の仏像が安置されており、その多くは重要文化財となっています。【三重塔(室町時代)】重要文化財三重塔の四隅の垂木を支えるユーモラスな隅鬼(邪鬼)も重要文化財でした。そして岩船寺の境内にも石仏がひっそりと佇んでいます。岩船寺の創立は729年、東大寺の大仏を建立した聖武天皇が行基に命じて阿弥陀堂を建立したのが始まりとされています。歴史が染み渡る岩船寺ですが、静寂な境内には四季を通じて多くの花が咲き誇ります。特に梅雨のこの時期に咲く紫陽花は赤・青・白色と鮮やかな色彩が新緑の境内を染め、訪れた人の心をなごませくれます。いいお寺です。《続く》
2016/10/11
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当尾石仏の里はそれほどアップダウンはなく女性でも歩きやすいのですが、ここだけは少し登りが険しい山道になります。岩船寺への近道でもあるのですが、途中に見たい石仏があります。途中には巨大な石が・・・・・。地震があると転がり落ちそうです。登った先にあるのが不動明王立像、別名一願不動ひとつだけ一心にお願いすれば、その願いを叶えてくださるというお不動さんお花や供え物が絶えないそうです。ここを過ぎると民家が見えてきて、細い道から急に広い道に出てきます。そこは岩船寺の門前でした。岩船寺に入る前に、近くにある六体地蔵まで歩きました。一つの石に六体の地蔵を刻んだもので、とても珍しいものだそうです。岩船寺の門前には石仏の他にもう一つの楽しみがあります。地元の野菜や漬物が並んだ吊り店が数店並んでいます。岩船寺の入り口に、白山(はくさん)神社と呼ばれる神社があり、ちょっと気になったので上がってみました。吊り店周辺は結構多くの人で賑わっていたのに、ここは誰もいなく静まり返っていました。白山神社という名前の神社は全国各地にあります。こんな所にもあるんだと思ってちょっと気になったのですが、国の重要文化財だと聞いて本当に驚きました。もとは岩船寺の鎮守社であったということで、全体の様式は室町時代の特徴がみられるそうです。ここで、毎年10月に京都府登録無形民族文化財指定に指定されているにおかげ踊りが行われるそうです。中世からの歴史ある行事だそうで、地元の人たちが守り続けているんですねぇ。《続く》
2016/10/02
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