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まだMAが取れたわけじゃないし卒論なんか自信がなさ過ぎて凹みまくりです。が、日本に帰るにあたり日記はひとまず閉鎖しようと思うので(実家がダイヤルアップなもので)ちょうど良い機会だと思うので、学生生活を振り返ってみる。平々凡々な生活から足を踏み外し始めたのは大学三年の頃から。自分がいた大学は三年時からゼミを選ばなければならずどこを選ぼうか考えていた際にそれとなく興味を持っていた国際関係史を取り扱うゼミに申し込んでみた。小さい頃からテレビからは世界の色々な映像が流れてくるのを見るたびにそういう世界を見てみたいと思うようになっていた。自分が暮らしていた世界とは違うものへの憧れに加え二年時から続けていたサークルの代表としての仕事に少々疲れ友人が一人で旅行をしてきたという話を聞いて「俺に出来ないはずがない」と思っ事も重なりその夏に東欧の一人旅行を計画する。当時の自分としては結構な冒険だった。当初、5ヶ国程度で終わる予定だった旅行は飽きっぽい性格も重なり(ウィーンに二日で飽きたりとか…)中東欧地域を8の字を書くように10カ国35日で回るという無茶をする。そこで見たのはポーランドでの民族浄化の跡(アウシュヴィツよりも、ルブリンにあるマイダネク強制収容所跡の方が印象的だった)サラエボでの民族紛争の傷跡ベオグラードで空爆によって破壊されたビルなどであった。特に心に残ったのは、サラエボの風景。スナイパー通りと呼ばれる目抜き通りを歩きながらふと目をそらすと鉄柵に弾痕がついていた。街中を「ただ」歩いているだけで撃ち殺される世界がほんの5年前自分が日本で何不自由なく暮らしている頃に起きていた事を思い知らされた。なぜ、そんな事が起きるのか。そういう事を学んで見たかった。そして苦しむ人たちを救ってみたいという気持ちを持つようになった。後者を叶えられるのは国際機関や開発援助などの期間で働く事だと思いその手の雑誌を読んだ。そうして、そういった仕事に就く最低限の条件が「英語+修士号」というのを知り留学を考え始める。(今考えるとそんなに単純な話じゃないんだけど。。。)そして大学一年の時に海外を見て来いと自分をカナダ(一ヶ月だけ)に送り出してくれた両親の後押しもあり留学の準備を始める。2002年9月に英国のとある大学の英語付きのDiplomaコースに入学する。当時の自分にはそれなりにきついコースではあったがほど良いモラトリアムとして色々な事を考える時間になった。開発学で名の知れた大学だったのだが行った初日に中国人のクラスメート(ボンボンなのだが、中国人らしくなく開発学専攻)に「なんで発展した国からわざわざ来て、日本人は開発学を学んでいるんだ?」と聞かれて、「世界中で苦しんでいる人達を助けたいからだよ」と彼に答えながら、妙に違和感を感じる。(僕自身は開発学専攻じゃなかったのですけど)わざわざ苦しんでいる人のところに行って、彼らを助けているという事実で自分の満足感を満たしたいだけなのじゃないのかと。そう考えた上で色々な国籍の人と話し、色んな国を回った結果、今度は興味が内側に向いた。戦後、ここまでの発展を成し遂げた日本という国は自分の祖父母や両親の世代が作り上げてきたものだと思い起こす。自分を育ててくれた環境に貢献していきたいと思うようになる。また、現地に行って一緒に井戸を掘るよりももっと大きなお金を動かした方がよっぽどの援助になるのではないかとも考える。(ここもちょっと短絡的…)何より苦しんでいる人なんか自分の周りにだっているじゃないかと。というわけで昨年の夏に、国会議員の下でインターン活動などをしてみる。衆院選直前と埼玉知事選が重なり雑務と肉体労働の繰り返しだったわけだけどそれでも国政に携わる人たちの仕事を垣間見れたと思った。感想は…0よりは1でした。ただその中で素敵な出会いもあり勉強をする事が出来たのも事実です。そして今の大学に来て国際関係学を学ぶ。一年経って気づくのも遅い事だけどこの学問自体はもともと自分の興味があったこと(開発援助や民族紛争)と違いもっとアカデミックなものだった。MBAなどとも違い実務に役立つものでもなかった。ただ、この先の人生を豊かにする知識は与えてくれたと思う。同時に国際機関に勤める事やNGOなどに専属で働く事への興味は薄れた。世間知らずになるのが嫌だったから。色んな話を聞いたことで逆に迷う部分もあるのだけど長期的な目的としてやってみたい事は定まってきた。そこまでのレールが敷けていないのはちょっとまずったけどまだこれから頑張れるはず。二年間遠回りしたけどいきなり社会に飛び込むよりも少し違った世界を垣間見る事は出来た気がする。実りある2年間だったといえるようにするにはこれからにどうやって生かすか。少しずつでも前に進んでいくのです。(あああ、まとまってない。急いで書いたもので…)こんな気ままな日記を覗いてくださったみなさんありがとうございました24日には帰国します。数日以内に日記も閉鎖しようと思います。日本に帰ってからもよろしくお願いします。
2004年09月19日
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先日の日記で「鬱だ」とか書いて(本当にそうなのではなくて、気分が沈みすぎてるという意味だったんですが)暖かいコメントをもらっておきながらこんな事を書くのもなんなのですが、実は「頑張って」という言葉に抵抗感があるのです。(これは、確実に俺の方に問題ありです。励ましてくださった方々、ありがとうございます。)昔、新聞の投稿か何かで「頑張る必要なんて無い」みたいな文を読んでああ、確かに、(自分なりに)頑張っている人にさらに頑張れっていうのは酷な話だと納得してた。一人一人、能力と状況が違うし、他人には計り知れるものではないのだから。外国かぶれになってしまうけどこっちでは、こういう時はgood luckとかtake careとかもっと軽い言葉を使ってるわけです。日本語でこれらに当たる表現がないから難しい。お大事に?無理するなよ?どうも、しっくりこない…。とりあえず自分の中ではあんまり多用する言葉じゃないなとか思っていた。で、最近、この言葉を言われるのが妙に重い…。いや、もちろん言ってくれる人は心配してくれていて、心底頑張れよという気持ちと励ましで言ってくれているのは百も承知。本当にありがたいのです。ただ、おいらにはどうも消化しづらくて…。(競争社会に不適応…)なんて事を考えていたら、鬱病の人にはこの言葉はタブーらしいという事を知った。って事は、俺は本当にその入り口に立っているのか?頑張れよ、俺。もう既に後悔たっぷりだけど、それでもやれる事やりましょうよ、俺。
2004年09月07日
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鬱におちいっておりました。段々と生活も乱れてまいりました。寝る時間と食べる時間がまちまち。。。もう、どうにでもなれ、と。あんまり勉強してこなかった自分を(いや、したつもりなのだが、努力が足りなかったのは認める)恨んでおりまする。それでは皆さん、ごきげんよう。
2004年09月03日
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