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まだMAが取れたわけじゃないし卒論なんか自信がなさ過ぎて凹みまくりです。が、日本に帰るにあたり日記はひとまず閉鎖しようと思うので(実家がダイヤルアップなもので)ちょうど良い機会だと思うので、学生生活を振り返ってみる。平々凡々な生活から足を踏み外し始めたのは大学三年の頃から。自分がいた大学は三年時からゼミを選ばなければならずどこを選ぼうか考えていた際にそれとなく興味を持っていた国際関係史を取り扱うゼミに申し込んでみた。小さい頃からテレビからは世界の色々な映像が流れてくるのを見るたびにそういう世界を見てみたいと思うようになっていた。自分が暮らしていた世界とは違うものへの憧れに加え二年時から続けていたサークルの代表としての仕事に少々疲れ友人が一人で旅行をしてきたという話を聞いて「俺に出来ないはずがない」と思っ事も重なりその夏に東欧の一人旅行を計画する。当時の自分としては結構な冒険だった。当初、5ヶ国程度で終わる予定だった旅行は飽きっぽい性格も重なり(ウィーンに二日で飽きたりとか…)中東欧地域を8の字を書くように10カ国35日で回るという無茶をする。そこで見たのはポーランドでの民族浄化の跡(アウシュヴィツよりも、ルブリンにあるマイダネク強制収容所跡の方が印象的だった)サラエボでの民族紛争の傷跡ベオグラードで空爆によって破壊されたビルなどであった。特に心に残ったのは、サラエボの風景。スナイパー通りと呼ばれる目抜き通りを歩きながらふと目をそらすと鉄柵に弾痕がついていた。街中を「ただ」歩いているだけで撃ち殺される世界がほんの5年前自分が日本で何不自由なく暮らしている頃に起きていた事を思い知らされた。なぜ、そんな事が起きるのか。そういう事を学んで見たかった。そして苦しむ人たちを救ってみたいという気持ちを持つようになった。後者を叶えられるのは国際機関や開発援助などの期間で働く事だと思いその手の雑誌を読んだ。そうして、そういった仕事に就く最低限の条件が「英語+修士号」というのを知り留学を考え始める。(今考えるとそんなに単純な話じゃないんだけど。。。)そして大学一年の時に海外を見て来いと自分をカナダ(一ヶ月だけ)に送り出してくれた両親の後押しもあり留学の準備を始める。2002年9月に英国のとある大学の英語付きのDiplomaコースに入学する。当時の自分にはそれなりにきついコースではあったがほど良いモラトリアムとして色々な事を考える時間になった。開発学で名の知れた大学だったのだが行った初日に中国人のクラスメート(ボンボンなのだが、中国人らしくなく開発学専攻)に「なんで発展した国からわざわざ来て、日本人は開発学を学んでいるんだ?」と聞かれて、「世界中で苦しんでいる人達を助けたいからだよ」と彼に答えながら、妙に違和感を感じる。(僕自身は開発学専攻じゃなかったのですけど)わざわざ苦しんでいる人のところに行って、彼らを助けているという事実で自分の満足感を満たしたいだけなのじゃないのかと。そう考えた上で色々な国籍の人と話し、色んな国を回った結果、今度は興味が内側に向いた。戦後、ここまでの発展を成し遂げた日本という国は自分の祖父母や両親の世代が作り上げてきたものだと思い起こす。自分を育ててくれた環境に貢献していきたいと思うようになる。また、現地に行って一緒に井戸を掘るよりももっと大きなお金を動かした方がよっぽどの援助になるのではないかとも考える。(ここもちょっと短絡的…)何より苦しんでいる人なんか自分の周りにだっているじゃないかと。というわけで昨年の夏に、国会議員の下でインターン活動などをしてみる。衆院選直前と埼玉知事選が重なり雑務と肉体労働の繰り返しだったわけだけどそれでも国政に携わる人たちの仕事を垣間見れたと思った。感想は…0よりは1でした。ただその中で素敵な出会いもあり勉強をする事が出来たのも事実です。そして今の大学に来て国際関係学を学ぶ。一年経って気づくのも遅い事だけどこの学問自体はもともと自分の興味があったこと(開発援助や民族紛争)と違いもっとアカデミックなものだった。MBAなどとも違い実務に役立つものでもなかった。ただ、この先の人生を豊かにする知識は与えてくれたと思う。同時に国際機関に勤める事やNGOなどに専属で働く事への興味は薄れた。世間知らずになるのが嫌だったから。色んな話を聞いたことで逆に迷う部分もあるのだけど長期的な目的としてやってみたい事は定まってきた。そこまでのレールが敷けていないのはちょっとまずったけどまだこれから頑張れるはず。二年間遠回りしたけどいきなり社会に飛び込むよりも少し違った世界を垣間見る事は出来た気がする。実りある2年間だったといえるようにするにはこれからにどうやって生かすか。少しずつでも前に進んでいくのです。(あああ、まとまってない。急いで書いたもので…)こんな気ままな日記を覗いてくださったみなさんありがとうございました24日には帰国します。数日以内に日記も閉鎖しようと思います。日本に帰ってからもよろしくお願いします。
2004年09月19日
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先日の日記で「鬱だ」とか書いて(本当にそうなのではなくて、気分が沈みすぎてるという意味だったんですが)暖かいコメントをもらっておきながらこんな事を書くのもなんなのですが、実は「頑張って」という言葉に抵抗感があるのです。(これは、確実に俺の方に問題ありです。励ましてくださった方々、ありがとうございます。)昔、新聞の投稿か何かで「頑張る必要なんて無い」みたいな文を読んでああ、確かに、(自分なりに)頑張っている人にさらに頑張れっていうのは酷な話だと納得してた。一人一人、能力と状況が違うし、他人には計り知れるものではないのだから。外国かぶれになってしまうけどこっちでは、こういう時はgood luckとかtake careとかもっと軽い言葉を使ってるわけです。日本語でこれらに当たる表現がないから難しい。お大事に?無理するなよ?どうも、しっくりこない…。とりあえず自分の中ではあんまり多用する言葉じゃないなとか思っていた。で、最近、この言葉を言われるのが妙に重い…。いや、もちろん言ってくれる人は心配してくれていて、心底頑張れよという気持ちと励ましで言ってくれているのは百も承知。本当にありがたいのです。ただ、おいらにはどうも消化しづらくて…。(競争社会に不適応…)なんて事を考えていたら、鬱病の人にはこの言葉はタブーらしいという事を知った。って事は、俺は本当にその入り口に立っているのか?頑張れよ、俺。もう既に後悔たっぷりだけど、それでもやれる事やりましょうよ、俺。
2004年09月07日
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鬱におちいっておりました。段々と生活も乱れてまいりました。寝る時間と食べる時間がまちまち。。。もう、どうにでもなれ、と。あんまり勉強してこなかった自分を(いや、したつもりなのだが、努力が足りなかったのは認める)恨んでおりまする。それでは皆さん、ごきげんよう。
2004年09月03日
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某大学院留学雑誌に載る事になりそうです。9月下旬発売だそうで。チェキラ。英国大学院留学についてなにやら小難しい事を言って…いたつもりなのですが、大分削られました。なんか、こざっぱりと、あたりさわり無い内容にまとまりました。詳しく説明して欲しいのだか、興味を持つように説明して欲しいのだか、どないやねんと。こちらに来る前にそういう本を読むと、1でしかないものが5くらいに思えてしまい、「何か難しそうだな」という印象をもちがちですが、実際には大した内容をやらなかったなというのが感想です。留学前に、大学の先生に「MAくらいで専門家なんて言えませんよ」と言われたのですが、その通りかなと。英国(うちの大学)のMAはそんなに高いレベルを要求しているようには感じませんでした。高い目標を掲げて頑張る人は頑張っただけの成果が得られるし、頑張りきらなかった人はそれ相応の成果が得られるのが英国のMAっていうものかと。僕は後者に入ってしまうのかな…。それなりに頑張ったつもりだけど、きっと工夫の余地はあったんだろうな、と反省しきり。さて、卒論。行き詰ってます…。一年ぶりにペシミっ気が出てきました。
2004年08月27日
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大学時代のサークルの後輩から、慰安会をやりますというお知らせがきた。大学の頃は(今でもだけど)あんまり勉強もしないで、この少し大きめ(100人弱)のサッカーサークルの代表なんか張り切ってやってた。あまり良い思い出が無いのは、それだけ上手くやれてなかったからだろう。妙に肩肘張って、「自分が犠牲になれば」的な気持ちと、そのわりに「誰も苦労を知ろうともしてくれない」って不満を持ってたりした。自分が楽しまなきゃ、周りも楽しめないっていうのを学びました。さて、OB会。正直、中学やら高校やらのと比べてそこまで惹かれるものでもないのだけど、せっかくの後輩の計らいなので参加してきます。この歳にしてまだ学生。また話題についていけないんだろうか…。
2004年08月23日
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日本より一足早く秋の気配。長袖を一枚着ないと外に出られない日が続きます。この前持ち帰らなかったTシャツたちは出番を迎えずに返送されそう。先日、クラスメートの日本人の方が帰国しました。自分の英国生活も残り一ヶ月を切りました。友人に帰りのチケットの事を聞かれたけど、相変わらず実感がわきません。もう帰りたいような、帰りたくないような。きっと目前になると、帰りたくなくなるんでしょうね。まぁ、まだ総括するには早いか。とりあえず、目の前の事を終わらせよう。
2004年08月21日
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友人から教えてもらったものですが、インターネット電話なるものを見つけました。http://www.skype.com/お互いがインストールしていてインターネットに繋げてさえいれば国内・国外問わず、完全無料だそうです(使用済)。日本語版も落とせます。去年もどこかのやつを使っていたのですが、それでは今の大学のファイアーウォールに引っかかって使えませんでした。このソフトは厳しいと思われるうちの大学のファイアーウォールを見事に突破しました。しかも、音質良しです。多少、声が届くのが遅れて、会話がかみ合わなくなりますが、国際電話が無料というのを考えればご愛嬌。こんなの無料で提供されて通信会社とかは今後どうするんだろうか・・・今のところトラブル等は聞いていません。何か知っている人は教えてください。毎日声が聞けるようになると、今度は顔が見たくなるもの。人間の性ですね。
2004年08月19日
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腰の調子が悪すぎる。前回のサッカーの最中に、なぜか腰に激痛が走り、そのまま退場。「すわ、24にしてぎっくり腰か??」と思ったけど、一応歩けるということは、多分、肉離れか筋肉を傷めたかだろう。そして、今、ストレッチをしていたら、また激痛が。ストレッチも出来ないって事は、どうしたらいいんだろう…。この腰痛、おそらく中学時代に起因する。万年一回戦負けの、超弱小サッカー部に所属していたわけだが、(どのくらいかというと、二つ上が一回戦突破した時に顧問が泣いてた)冬場、空っ風が荒れ狂う関東平野で妙にフィジカルの練習が多かった。走り込みが中心だったのだけど、加えて、朝7時過ぎに学校に行ってタイヤを引いた。よくスポ根野球漫画にある、意味があるのかわからないトレーニング。あれをやっていた。しかも、なぜか冬場も半ズボン。このかいがあったのか、春あたりから勝ち始め(それまで引き分けていた相手に9-1とか)、夏の大会ではなんと地区準優勝。あの万年一回戦負けチームが!!顧問は泣いていなかったわけだが。ところが、大学あたりから腰痛に悩まされ始める。聞けば、二つ上の先輩も腰痛に苦しんでいるとか。医者に行ったときに、成長期に無理をしなければ、あと5cmは身長が伸びていたはずだと言われた _| ̄|○うーん、当時は勝てて嬉しかったけど、やっぱりリバウンドはどこかにくるもんなんだなぁ。生活は清く正しく美しくしていかないとね。。。
2004年08月18日
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以前、この日記にも書いたのだけど、大学時代のバイトの友人とロンドンで会ってきた。俺より一つ年上のこの女性、とある本屋のパリ支店長なのである。日本人社員は彼女一人で、あとの社員は全部フランス人。折衝事もフランス人とフランス語で。働くという事に対して文化の違う土地で、ほかの社員のスケジュール管理までやっているそうで。フランス語もあんまりしゃべれないのに、そして色んな障害もあるとの事であったけど、それでも一人でしっかり店長をやっているわけである。尊敬します。しかし、悔しいのもまた事実。自分も頑張らねばと思わされた一日でした。
2004年08月16日
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高校時代の友人からメールがきた。高校三年の時のクラスは仲が良く、大学になってからも時々飲み会をやったりしてた。最後の飲み会は、俺が英国に来る直前の一昨年8月かな。なんだかんだでみんなに会いたかったので、自ら企画した飲み会だった。それにも参加してくれた友人が、先々月に亡くなっていたという知らせのメールでした。同い年の25歳なのに、眠ったまま、くも膜下出血で亡くなったらしい。去年の夏も飲み会やろうって呼びかけてみたけど、いまいち反応が悪くて、みんな忙しいんだろうと思って納得してた。せっかく作ってもらったメーリングリストも上手く機能せず、高校の友人たちとは去年あたりから連絡がほとんど取れなくなった。こういう事がないと気づかないってのが皮肉ですよね。会える時にあって、ちゃんと話しておかないと、何が起こるかわからないっていうか…。この日記をこそ見している高校同級生諸君、年始年末、そこが忙しけりゃどこでもいいや、飲み会やりますよ。帰ったら企画します。ちゃんと出てこいよー。さて、やりたい事をやらせてもらえる環境を与えられている自分は、精一杯楽しみながら、でも頑張っていかなきゃなんだろうなって思わされました。ここのところだらけ過ぎだったけど、しっかりやります。後悔してからじゃ遅いもんね、しらねさん。
2004年08月12日
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先日、Wivenhoe Runと呼ばれる隣町にある7軒のパブを飲み歩くというイベントを友人とこなしてきました。ここ何日か体調が芳しくなく、それが快方に向かっている最中の強行参加。6時半くらいから始まり、一軒につき約40分程度をかけて、1パイント(ちょっとだけずるしたけど)を飲んでいったわけである。しかも、そんな日に限って嵐。稲光と英国らしくない雨の中、着々とこなしていく。4軒目くらいまでは口も快調。しかし、段々と飲む事が義務的なものに・・・。なんだかんだで、オーダーストップのベルがなっている最中に最後のパブに滑り込み、一応は目標達成。帰りは歌なんか歌いながら、陽気に隣町から帰ってくる。しかし、ここからが修羅場だった…。「じゃあ、二次会ねー」とか言いながら別れたまでは良いが、部屋に帰ってベッドに寝転がったとたんに込み上げてくるものが。大学時代以来のこの感じ。気持ち悪すぎ・・・。トイレに駆け込んで、面倒くさいので指を突っ込む。ケロケロケロケロ自分の場合、ここからがたちが悪い。一回もどしてしまうと、もうだめぽ。次に気づいた時には、自分の周りに○○だまりが点々と(トイレ内ですよ)。お行儀よく洗面所にもちゃんともどしている・・・。あぁ、遠くで二次会のお誘いの電話が鳴っている・・・。しかも、ん?あれ?なんで、俺、「下半身だけ裸なの???」・・・・・・・・自分の新しい可能性を発見できた日でした・・・。
2004年08月10日
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膝の違和感にもめげず、今日もサッカーをしてきました。明日のお祭りの前に、前哨戦。astro pitchの方で、6-6くらいでやっていたのだけれど、今の人たちはレベルがちょうど良くて楽しい。膝が痛いから、本気の切り返しとかできなくて、100%じゃないし。それにしても、日本でやっていた時はあんまり感じなかったのだけど、どうもチェックにいって相手に触ったときの汗が気になる…。ちょうど競り合った時とかも、ぬるっとするのよね…。欧米人の汗ってさらっとしてないの。汗というか、変な汁。そんな理由で、接触プレーを極力避ける潔癖プレーヤーなのでした。そうそう、明日の日中戦、違うところで、また面白い事になっている。以下、他の方の日記にあった経過説明をお借りします。*********************内容は中国人と日本人が喧嘩してるだけなんだが、その内容が大変いかしている。日本人が『イケメンは日本における最大級の侮辱用語だ』と発言。↓すると勘違いした中国人が、日本人に対して『IKEMEN!IKEMEN!』と連呼し始める。↓日本人が調子にのって『イケメンと言うな!戦争にしたいのか!!』などと煽る↓中国人、面白がって『IKEMEN!IKEMEN!』と叫び続ける。↓その内、『イケメン以上に使ってはならない言葉がある。それはヌルポ・がっ!だ。』と煽る。↓中国人『IKEMEN!NULLPO!』を連呼。↓日本人が『明日のサッカーで、イケメンや、ぬるぽ がっ!といった横断幕が出たら、私は中国人を一生許さない』などと煽り立てる。********************このほかに、CHOUIIKANJI, OSHIO, HIROSHIDESU,MOEが出てきたらしい。うーん、お茶目な奴等め。
2004年08月07日
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アジアカップ、日本対バーレーン戦を、大学のファストフードの店で友人と一緒に見ていました(ちなみに地上波でなくケーブルテレビ)。素直に感激しました。あんなに選手を酷使する自○子監督の采配はともかく、実際に動いている選手たちには、気づかないうちに頑張れと呟いてました。さて、次は中国戦。中国といえば、そのホスト国らしからぬ対応が注目の的。日本の友人たちはテレビで見ていてブーイングが凄かったと言っているのですが、店で見ていたからなのか、こっちではブーイングはあまり聞こえませんでした。(バーレーンがボールを持った時に盛り上がっているのは聞こえた)ただ、テレビの解説者は中国人のブーイングの意味まで解説してましたよ。日本はサッカーで納得させなければいけないって。試合終了後、グラウンドにゴミが投げ込まれたらしいですがね(笑)礼節の国・中国の人たちの礼儀の無さっていうのは、こっちにきている一人っ子のボンボン達だけかと思っていたけど、本国の人たちもそうなんですかねぇ。それとも本当に一部だけなのか。まぁ、国歌にブーイングしたり(日本もW杯の初戦でベルギーに対してやってたしなめられたけどね。二戦目からは無かった。)、日本の取材陣に中指立てたり(中学生くらいでよくやりましたね)という事を、ここまで色々なメディアが報道しているということは、それだけスポーツの大会に相応しくない事をしているようですね。もちろん良い奴もいるけど、元々俺は彼らの事があまり好きじゃないので、納得なんですけど。さて、日本について、ちょっと思い出したことがあります。少し前に、うちの学部のMAの日本人で集まって昼食を食べた時、政治系の学部なだけあって、最初の雑談から段々と話が政治的なことに逸れていった。その時に、メディア系の人が「日本の右傾化が顕著」って言っていたのが印象的でした。(ちなみに、いわゆる右寄りな会社に属している人がわざわざ前置きつきで言ってました)簡単に言うと、今の日本では、愛国心なるものが流行っているとの事。つまり、反北朝鮮や反中国の勢いで、日本について語る事が「格好良い」風潮があるんじゃないかということでした。そういえば、日本がどうの、北朝鮮がどうのと、熱く語る友人が増えたなぁと思い出す。学生闘争の頃、マルクスについて語ると女性にもてたから流行に乗った人が多かったように(聞いた話ですけど)、今も、nationalisticに国際関係や政治を見る事が流行になっているんじゃないかって。まー、北朝鮮に強硬だったっていうだけで、その政治家に人気が出ちゃうわけですし(最近の選挙ではイマイチだったけど)、流されやすい国民性であるのは本当じゃないかと思う。今回のアジアカップの件で、日本自体が変な方向に行かなきゃ良いなと一抹の不安を覚えるわけで。さて、決勝は友人と日章旗でも持ってテレビを見にいこうかな(冗談です)。あ、でも、もめごとが起こった時のために催涙スプレーは持っていかないと♪
2004年08月05日
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アラビックな友達と例の映画について話していたら、やっぱり、911自体がブッシュ以下首脳陣と彼らの石油会社、さらにはCIAとモサドの仕業って話になってしまった…。彼いわく、「911起こす事で、テロリストたちが何をしたかったんだ」とか、「アメリカの利益になる結果しか出ていないじゃないか」だそうです。うーん、「それは『結果だけ』から推測された『意図』じゃないのか?プロセスが抜けてるんじゃないの?」といっても聞いてくれない (´・ω・`)。例えば、911が起きてしまった。その後、その事件を使ってでもアメリカの利益にもっていこうとする事こそが「外交」であり「政策」であって、それによってもたらされた結果だけを見て、最初から全て陰謀だって言うのは強引だべさと。あのビルの崩れ方がおかしいとか、あの事件で持ちきりの時に、イスラエルがパレスチナ人虐殺してたとか、いろいろ話を聞いているけど。それでも民主主義国家において、国家ぐるみで数千人の自国民を殺して、その情報が外に漏れてこないなんてのはありえないでしょ。結局、30年経った頃にはわかるだろうってことで落ち着いた。(落ち着かせてくれるあたりは大人)…いや、わかんないでしょ。911が陰謀だったなんて文書が普通に出てきたらやばいでしょ。ま、彼、一応外交官だし、何か握っているのかもね…。
2004年08月01日
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キャンパスがイタリア人に占拠されている。聞くところによると、12-16歳くらいの子達が、英語を学びに来ているんだそうな。そういえば、英国に戻ってくる時にアリタリア航空を使ったのだが、マルペンサにもそんな子達が溢れていた。English Learningと書かれた特徴的なリュックを持っている子達です。お陰でミラノ→ロンドンの飛行機内は賑やかだった…。以前、「世界で最も一緒に飛行機に乗りたくないのはイタリア人の子供」という報道を見た事があって、ああ、この子達の事なんだなと納得。それにしても12-16歳って、新幹線で京都に修学旅行に行くって喜んでた頃だ…。なかなかスケールが大きいじゃないか、イタリアン。*********************金曜夜。どうも外がうるさいと思ったら、近くでパーティー(屋外)。すぐ横でうるさいのだけど、金曜の夜だし、まだ止める事もないかな(10時半)と思ってたら、フラメが「混ざるぞ」って。行って来ました。しゃべってみたら、ほとんどHuman RightsのMAだって。( ゚∀゚)アハハハハ八八/ ヽ/ ヽ/ \ / \人権学んでいるやつらが、人に迷惑かけるようなことすんなよ。すると、セキュリティーが登場→なにやら交渉。「こういうの嫌いな人もいる事もわかってね」と言い残し、見逃す。その後、student tutorと呼ばれる、棟のまとめ役が登場してやめなさいと。結局、うるさいとの苦情に負けて、逆側に移動。やめたくないらしい。ここで退散してきました…。少しとはいえ、ご迷惑おかけしました…。
2004年07月31日
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つくづく思うのだけど、自分の寝起きの機嫌は本当に悪い。寝ているのを起こされるのがどうも気に入らないらしく、「あー」とか「うー」を繰り返した後に、相手が状況に気づいて切ってくれる。これに後でごめんなさいを言うのが常。昨日の夜もクラスメートから電話をもらった。やっぱりとっさに言葉が出てこなかったのだけど、あまりのテンションの低さにびびったのか、「また明日かける」と、すぐに切ってくれた。まぁ、内線とはいえ、2時にかけてくる方もどうかと思うけど。決して悪い子じゃないんです。皆さん、めげずに声掛けてね。
2004年07月27日
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話題の映画『Fahrenheit911 』を見ました。非常に興味深い映画でした。徴兵のくだりはわろた。マイケル・ムーアさんの映画で見たのは二作目なのですが、なんと言うか、前作『Bowling for Columbine』と見た時に感じた違和感が蘇ってきました。とりあえず気づいたところは、1、社会科学をたった2時間の映画にまとめるのは厳しい。2、映像を通して視聴者を操作しようとする意図が露骨。1に関しては、理論を組み立てる上で、根拠というのはある程度のqualityを持っていなければならないわけで、一般の人のインタビューを論拠にするのは無理がある。(今回のはかなりqualitativeではあったけど)なんて知ったかぶり。2に関しては、要所にちりばめられている感情的になった人たちの映像。子供を亡くして泣いている母親の映像を見れば、誰しもが感情移入したくなる。その感情移入が、彼の理論が真理であるかのように導いているように受け取れる。基本的にはマイケル・ムーアさんの映画は面白くて好きです。あのシュールというか、シニカルなギャグ良いですよね。前作の「恐怖による米国式資本主義社会」というのも、自分にとってはとても新鮮な考えでしたし。(その後、テキスト等でもよく見かけた。)今回は本人があけすけに政治的意図があるって言っているわけですし、この映画を見て、彼が言っている事だけを根拠に、鬼の首でも取ったかのように「やっぱりブッシュと共和党は危ないんだ!!」と思い込んでしまう人の方が危ないというオチでしょうか。(いや、まぁ、おかしいとはおもうけど)見る方がどれだけ覚悟して見るかによるのかなーと思ったのでした。
2004年07月26日
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昨日、うちの寮の庭にオブジェが届いた。post graduateしか住んでいないので、基本的には静かな寮である。そんな景観をぶち壊しにするオブジェ。どの角度から見ても、明らかに浮いている。しかも真っ黄色!?そんなものおかれても、落ち着かないじゃん。やはり、この国の人のセンスは理解できない。俺が凡人なのだろうか。いや、きっと、英国人が超越しているのだろう。そういえば、誰か「beautiful」とかぬかしてたな。何でも褒めりゃいいってもんじゃないだろ…。
2004年07月23日
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うー、酷暑の日本(しかも熊谷の辺り)から帰ってきた翌日に、半袖ハーフパンツで布団の「上」で寝ていたのがたたったんだろう。風邪引いた。鼻水が止まらない。しかも、まだ懲りずに布団の上で寝る奴。→寒くて二時間後くらいに目が覚め、やっともぐりこむ。何やってんだ、俺は・・・。
2004年07月19日
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久しぶりに隣町まで走ってきました。なんと、左ひざの痛みが(ほとんど)無い!!実は、日本に帰ったその日に、行きつけの整体に行ってきたのです。そこの先生は、かなり怪しい。どこが悪いと言って、押したり、針を刺したり。それが怪我とかならまだしも、腸が悪いとか、肝臓が悪いとか、内臓系になるとかなり怪しいもの。しまいには、「気」の流れが悪いとか。ぶつぶつ言いながら治療をするものだから、怪しさも二乗。ところが、悔しい事に、いつも調子が良くなる。だからこそ、つい、繰り返し通ってしまう。今回は試しにと、4ヵ月も苦しめられた膝をどうにかしてくれと頼んでみた。相変わらずぶつぶつと「ここだ」とか言いながら針をさすのだが、今まで経験しなかったくらい痛い。まじで痛い。続けて、もう一箇所。ここも痛い。「はい、じゃあ、立ってみて」といわれて立ってみると、痛みが無い。本当に驚いた。「凄いですね」といってみると、「膝が痛いっていう人は、大体ここをやると治るんだよね」って。!!?確信があったわけじゃないのかよ…。でも、実際、本当に治っていた。いてまえ君の膝やよっぺさんの足の件を考えると、NHSよりは信頼できるのかもしれない。うーん。西洋式の治療じゃ説明できない部分って、本当にあるのかもしれないなぁ。
2004年07月18日
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一昨日の深夜、英国に戻ってきました。そんなに英国好きでないはずなのに、このゆったりとした雰囲気に安心してしまうもので。職探しには、一旦、敗れました。最低でも7月いっぱいは日本に滞在していないと厳しいですね。企業側の留学生採用というのは、「7月中に決着をつける」といったもので、基本的にはアメリカの学生向けの配慮です。英国のマスターの事情は考慮してもらえない会社が多いです(対応してくれるところもある)。万人に都合よくというのは難しいし、企業側の採用活動の事情もあるだろうから、今後の日程をこちらに合わせろとは言わないまでも、翌年度の試験で新卒扱いするくらいの事は出来るだろうと思うのだけどなぁ。でも、チャンスをくれた会社で上手く出来なかったのも事実。ちゃんと決めてきた人もいるのだろうし、何をいっても言い訳にしかなりません。あとは自分で努力するしかないわけで。これから、企業にこつこつとメールや電話をしていく予定です。まずは、頭をアカデミックモードに戻さないと。。。
2004年07月17日
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半年振りに帰国。でも、年末に帰っているから、あんまり実感がない。お金の面を除けば、飛行機に乗るのも、電車に乗るのと大して代わらない感じです。でも、ヒースロー泊まりはきつかった・・・。さて、四日連続で、スーツを着て就職活動してきました。手ごたえは・・・あったのかな?面接であまり緊張しなくなってきたり、少しずつは前進している気がするのだが、やっぱり留学生を取り巻く状況は厳しいです。とある商社の方に、採用日程に関して、「本来の春採用の人たちと同様に、みなさんを『特別扱いをしません』」といっていました。7月いっぱい日本に居られなくて、今回採用試験を受けられないのですが、既卒になった来年の春採用でも、『特別扱い』はしないんですね?」と質問して、黙らせてしまいました・・・。まぁ、企業側の都合もありますしね。。。それでも、わざわざ、僕一人のために午後をほとんど費やして、説明から面接までしてくれた企業もあって、対応は企業次第ですね。さて、今日の夕食は何じゃろか。やっぱり、何を食べてもおいしい日本は最高です。
2004年07月03日
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試験に通り、フランスも負けたところで、就職活動のために、日本に帰ります。日本は気温30度以上に加えて湿気ですか。今、英国は20℃前後と快適、どころか寒い…。去年は直前までチュニジアへ行っていて、暑さに慣れてから帰れたけど、今年はギャップが凄そうだな …(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブルさて、あと三時間もしたら(日本時間27日2am)部屋を出ます。安いチケットだから、朝のフライトなので。ホテルを取る金すら惜しみ、ヒースローのベンチで寝る事にしました。実家に着くのが28日2pm位だろうから、36時間の移動をした後に、翌日にはキャリアフェアです。いい加減、このむちゃくちゃなスケジュール調整は改めようと思うんだがなぁ…。我が家はナローバンドなので、帰国中は日記を書きません。>日本にいる友人たちへ以前の番号と変わっていないので、携帯に連絡を下さい。では、三週間後に。。。
2004年06月26日
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ん?あれ?試験に通ってしまった…。喜んでいいのか、な? ∩( ・ω・)∩ ばんじゃーいこの大学のこの学部、英国でも厳しくて有名らしい(自称)。自殺者が出たとか、半分くらい落ちるとか。とまぁ、実は、それも去年までで、今年は事務方から圧力がかかったのか、pass markが下がりました。それでも、去年までの基準でもギリギリpassしていたみたいだし、多少の自信はついたかも。(Ph.D.に行けるほど素敵な点数ではないのですが)。心の片隅で応援してくださっていた方々、ご心配おかけしました。私は、病んできつつも、健在であります。何はともあれ、さらに2ヶ月もの間、片田舎に引きこもる事になった。あんまり通る気もしていなかったので、卒論も上の空だったし、また忙しくなりそうです。まずは、明日の夜から、日本に帰って職探しをしてきます。微妙な学位があっても、職が無けりゃ、ただのプータロー。疲れた… ・゚・(ノД`)・゚・p.s. 仲の良いクラスメートたちも通ったようです。 良かった良かった。
2004年06月25日
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また、ユーロを見てしまった… _| ̄|○今日は、ものすごくドラマティックでした。BBCで、デンマーク・スウェーデン戦の方も点が入り次第速報入れていた。途中、デンマークがリードして、イタリアは単に勝てばファイナルに行けることに。ところが、ラスト五分。アナウンサーが、デ×ス戦が2-2になった事を告げる。、イタリアが勝っても決勝トーナメントにいけない事を説明した直後、カッサーノが逆転ゴール。同時に、デ×ス戦が2-2で試合終了。カッサーノが満面の笑顔でベンチに駆けていく。「なんと言う皮肉でしょう」と、アナウンサー。次に、カッサーノの呆然とした顔がアップで映る。キックオフ後、それでもボールを追いかけるディバイオ。カッサーノは呆然としたまま、動けない。まるで、脚本があるような最後。今回のユーロは、衝撃的な展開が多くて見逃せない。だから、俺の勉強もはかどらないんだよ…。
2004年06月23日
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ルーニーは凄いですね。なんで、若くて凄いのがこんなに出てくるんでしょう。日本なんて、未だに、ゴール前でパスするFWが代表入りするっていうのに。ところで、昨日クラスメートから聞いた話によると、例のフランス戦の夜、アンダーの学生が多い方のパブにて乱闘騒ぎがあったそうです。フランスを応援していた人に、試合後、イギ人が絡んだとか。ビール瓶で頭殴ったりして、bloody fightだったらしいです。もはや、痛いですね。
2004年06月22日
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ユーロで騒がしいですね。イタリアの(DQN)王子様の他にも、スイスの選手もやったとか。そういえば、どこかの国の代表監督も、昔、ボールに唾かけてたな。サッカーをやっているものとして、なんであそこまで熱くなってしまうのかと不思議になる。趣味と仕事の違いか。それにしても限度があるとは思うのだが。確かに、日本のサッカーはお行儀が良い気がする。大学のサークルで4年間やっていたけど、イエローなんてめったに見なかった(あ、僕はもらった事あります…)。でも、こっちでは、日曜サッカーにもかかわらず、普通に足を削ってくる。というか、最初から狙ってんだろというくらい、スライディングが全部足に入る。後方からのスライディングも球にいけばOKなので、こっちではけっこう来る。これは殺気を感じながらドリブルしていないと、まじで怪我する。でも、日本では、ほとんどファウルになってしまうので、あまりやらない。正直、欧米人みたいになって欲しくは無いので、お行儀良いままでいいかも。あ、でも、昔、横浜FMの松○が副審に「やんのかコラ?あ?」って言っているのを、マイクが拾ってたな。どこの国も一緒か…。
2004年06月20日
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前にも書いたが、試験の結果も出ないうちから、dissertationのreadingをはじめなくてはならない。これに加えて、いくつかの企業に、六月下旬からの一時帰国の際に試験を受けさせてくれるよう、個別にアポイントメントを取っている。この同時並行が厳しい…。何がって、一生懸命企業研究して電話やメールしても、「もう採用枠が埋まりました」の一言で、それまでの時間が吹っ飛ぶ ・゚・(ノД`)・゚・スタート台にすら立てないのなら、企業研究の時間を卒論の時間に当てた方がいいのに、それも許されない。幸いながら、昨日も一社アポイントメントが取れたが、いやはや、試験が終わってもストレスフルな毎日であります。♪トンネルを抜けると 次のトンネルの 入り口で~♪それでも、試験中に、顔に大量発生した出来物はかなり消えてきた。いや、中学以来だわ、あんなのが出来たのは。ストレスなのか、単に栄養剤の飲みすぎだったのか。ま、それだけぬるい人生送ってきたって事なんだろうな。
2004年06月18日
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朝日新聞の記事より『民営化反対で大統領地元を「選択停電」 仏電力労組 』政府が欧州統合に備えて電力事業を民営化しようとしたところ、リストラを恐れた労組が反発して、大統領や政治家の私邸を狙って、停電させようとしたらしいのです。ところが、一軒だけというのが技術的にできず、その地域一帯を停電させたそうです。んー、欧州っぽい出来事ですね。イギリスも、この前に教職員組合によるストがあってうんざりしましたが、(だって、被害を被る生徒に対して、「成績がどうなるか私たちにもわからない」「文句は雇用側に言え」っていうんだもの)フランスはこれに輪をかけてすごいと聞きます。この件の感想を、是非、日本の労働組合の人に聞いてみたい。
2004年06月16日
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昨日、テレビを見ていてふと気づいたのだが、ゴール裏あたりに「NT○ communications」の看板があるのです。名だたるGlobal企業と、欧米の企業に並んで、なぜに日本の通信会社が???ユーロって、欧州の大会でしょ???サッカー見ている一握りの日本人にアピールするの???この会社に勤めていたという友人いわく、ドメスティックな会社だよって言ってたのに。まだ、ビジネスの世界がイマイチ理解できないおいら。
2004年06月15日
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友人宅で、ユーロ2004のイングランド×フランスを見させてもらいました。以下、思ったことなのですが、1、ルーニーやんちゃだなぁ。でも、フィジカル強すぎ。そのうちオーウェンが取って代わられるか??2、ランパードはいぶし銀ですね。ディフェンスでかなり効いてた。3、ベッカムの上手さがわからない…。4、ジダンきれすぎ。誰も懐に入って行こうとしないし、入っていってもほとんどファウル。この人は髪。そして何といっても、パブ行かなくて良かった…。なんか投げつけられたりしていた気がする。ジェラード好きな選手なんだけどなぁ…。
2004年06月14日
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昨日の続きさて、偶然出会った香港人女性と共に、メインイベントであるサハラ砂漠へ。ここで問題が。どうやら彼女は日にちがないらしく4WDを借りて、砂漠を突っ切り、直で次の町に行きたいとの事。どうせなら、中の方まで行きたかったおいらもこの話に乗ったのですが、相手がしたたか。「日がない」のと「急いでいる」のを知った途端に、値段を吊り上げ始める。さらに、最初の「口約束」のサービスを、次第に有料にしていく。この香港の女性、仕事で米軍相手の交渉事している割にはわきの下が甘く、次々に条件を飲まされる。しまいには、全部前払いにしろと。払おうとしてしまう彼女。ここで、おいらがきれる。途中からなぜか合流した英国人女性も、穏やかに怒る。そんなこと要求するなら、契約条項全部書いた領収書もってこいと。結局、相手がおれました。考えてみたら、最初からこうしなきゃいけないんですよね。こちらの弱みを見せない。契約条項は紙に書いて、サインさせる。東欧・東南アジア旅行では特に必要なかった事なので、うっかりしていました。旅行中は「騙された奴が悪い」のが鉄則ですし。いやいや、アラブ式商法恐るべし。おいらはというと、念のため、やつらのオフィスと外観をカメラに収め、後に文句を言えるように備えておいた。皆さんも気をつけて。ここの掲示板の写真は、その時に取ったサハラ砂漠の写真です。…といっても、サハラ砂漠のほんの一部。ドラえもんで仕込まれたステレオタイプによると、見渡す限りあのような砂丘の連続が砂漠なのですが、実は、大半の部分がただの小石と砂・土の荒野。あのような砂丘は、風で運ばれた砂が一部分に積もった現象なのです。さて、ノラ・ジョーンズを夜空を見ながら聴くことはできなかったのですが、始めてみた砂漠はなかなか感動的でした。続く
2004年06月13日
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アンダーの友人たちが続々と日本に帰っていく。寂しいものです。かまってくれる人がいないと、段々鬱になっていく…。そういえば、去年は、自分もこの時期に英国を離れたなと思い出す。向かった先は・・・チュニジアなんでまたそんなところに、というところだが、理由は簡単。1、イスラム圏を旅行したかった2、アフリカ大陸に上陸したかった。3、とあるショップの夏物のチュニジアンシャツが格好良かったので、どうせなら本場で買おうと思った。4、サハラ砂漠で夜空を見ながらノラ・ジョーンズが聞きたかった。ろくな理由がない…。とにかく、BAのセールを利用し、往復2万5千円でチュニジアへ。古くはカルタゴの時代にさかのぼる歴史を持つこの国。イスラムの国というよりは、地中海沿岸の国という印象が強い。住民の多くがムスリムだが、世俗的で、例えば男女が手をつないで歩いているし、お酒も飲める(ただし、「室内」のみ)。旅行中に会った、JICAのシニアボランティアの方の話によると、選挙はあるのだが、投票用紙が一般市民まで届かないらしい。そのうえ、99・9%が現職大統領に投票という、素敵な民主主義国家。チュニス市内もインスペクターがうろうろしていた。ただし、親欧米なため、どの国も政治体制に文句を言わないのです。さて、こんなチュニジア。旅行中も色んな事ありました。それはまた、少しずつ書いてみます。。。
2004年06月12日
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テスト中の大学への行き帰りによく聞いていたのだが、Mr. Childrenのアルバムの曲で、「だから自分のせいと思わないとか言ってないで、やってみな」という部分がある。「ごちゃごちゃ言ってないで、やってから文句言え」という響きがあって、↓な時に役立った。ちょっと違う話ですが、中学時代の経験から、人に何か言う前に自分がやれる事をやって、その根拠を持ってから、他人に要求していこうと思ったものです。ただし、今度は、大学でサークルの代表をやっていたときに、自分の中でいくらこんな美辞麗句を並べても、societyの中では、回りの人と意思疎通が出来ていなかったら、自分だけが潰れるだけなのだと実感しました。根拠も何も、相手がそんな事を認識していないのですから。周りの人がとる行動と、自分の考えに基づいて一方的に相手に期待している事とのギャップに、愕然としたものです。そんな経験から大分学んだつもりですが、それでも相変わらず、まずは自分が頑張ろうと思ってしまい、ストレスがたまるだけの毎日だったりもするわけです。こういうときの気分転換の方法が一人旅行だったりするわけですが、さすがに今は行けないなぁ _| ̄|○
2004年06月09日
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4日で試験が終わりました。一つだけやばめのがあって、6月25日以降書き込みがなかったら、その科目に引っかかって落ちたという事でご了承ください。さて、何はともあれ、試験が終わった。その日は、昼からクラスメートと飲みに出て、一回散会後、再度うちの学部のPGで簡単な飲み会。そのまま、キャンパスでやっていたお祭り騒ぎに突入。昼からずっと飲んでたなぁ…。翌日、朝7時おきで、昨年いたNorwichへ。去年の友人たちと二ヶ月ぶりくらいのサッカーをやりました。いや、相変わらず、左足がずっと痛いんです。しかも、どうやら膝じゃなくて、その少し下、すねの左側の筋肉か筋なんですよね。そろそろ4ヶ月。僕の足に何があったのでしょうか…。結果は…散々だったけど、久しぶりに友人たちとサッカーが出来た事と、自己満足なパスが一本通ったので、お腹いっぱいです。さて、その後、Colchesterへとんぼ返り。その日の夜は、サマーボールなどと呼ばれる、一大イベントに参加。TDL並みのチケットの値段にして、町祭りと大して変わらないような…。あれのために頑張っちゃう英国人学生とかいるんだろうな、と思うと、この国の娯楽の少なさを実感してしまう。ちなみに、初めてタキシードに着られました。朝起きると、かなりの喉痛。今はすっかり、体から熱がほとばしっています。疲れでしょうね。間髪いれずにdissertationですが、ぼちぼちやっていきます。
2004年06月07日
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なんか、この文化的生活のかけらもない毎日は、どうにかならないのだろうか。起きる→朝飯→勉強→図書館で勉強→昼飯→図書館で勉強→帰る→家で勉強→夕飯→ネット見る→勉強→寝る。このサイクルが、この三週間は続いているのだが。街なぞ、ここ一ヶ月以上出ていない。それも来週の金曜までか…。あと一週間、頑張らなければ。。。
2004年05月29日
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大学の頃、家に帰ったら、机の上にぽつんと県職の願書が置かれていた事がある。我が家は両親ともども公務員で(ちなみに兄貴も)、親からしたら、勝手知ったる世界に子供を入れたかったのだろう。試験に向けて勉強をしていたわけではないから、結局、見事に散ったわけだが。さて、公務員。今や、良きにしろ悪きにしろ、大人気の職種である。しかし、うちの両親の頃は、そんな事はなかったらしい。景気が良い時は「何をこつこつやってるの?」と、バカにされていたらしく、最近の人気を見ると違和感を感じるらしい。親に言わせれば、「何を今更」なのだそうだ。まぁ、概して定時であがってくるし、年功序列で給料もほっときゃ上がっていくようで、民間の方が厳しい仕事をしているのは確実なのだが、それ以外の部分でも、それなりのプレッシャーがあるらしい。例えば、うちの隣町に場外舟券売り場なるものが出来た。その着工の最後の認可を出すのが、うちの父親だったらしい。しかし、まかり間違っても賭博場。住民が反対運動をして、父親のところまで押し寄せたそうだ。判を押すな、と。でも、父親のところに来られても、全くなす術がない。民間だって、良心に基づいた行動だとしても、職務に背いちゃったらクビなはず。父親のところまで下りてくるころには、裏でいろいろ決まっているのである。しかしながら、この人たちの不満は、うちの父親に向かう。なんで認めたのかと。結局、父親は翌年度に部署を変えました。母親いわく、「これ以上そこにいたら、家に火をつけられる」と、父親に部署がえを頼んだそうです。まぁ、実際に脅しがあったのかどうかは、わからないのですが。今は景気が悪いから、安定性という点で大人気の職業ですが、景気がよくなればそれなりの位置に落ち着くだろうし、働くからにはそれなりのリスクもあるのですという話。景気悪くなってから、報道がしこたま公務員叩きをやっていますが、話題づくりのスケープゴートの部分もあるのかなと考える、税金使っての留学生であります。あんまりいじめないであげてください。
2004年05月27日
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うおおおーん ・゚・(ノД`)・゚・昨日、初めてWivenhoeまでジョギング。3ヶ月ぶりくらいのまともな運動。左膝が痛いから、無意識のうちにかばって走っていたらしく、帰ってきたら今度は右ひざに違和感。とうとう、たった5・6キロ走っただけで、ボロがでる体になったか…。さらに、一日過ぎたあたりから筋肉痛が出始めてきて、今は絶頂。そんな自分にヘキサゴン。
2004年05月25日
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この映画、ご存知ですか?前から見たいとは思っていたのですが、友人から借りて、最近やっと見ました。何年か前のパルムドールを取っているそうです(巷で噂の)。内容は、第二次大戦中、ある男が、ユーゴに侵攻してきたナチスから、人々を地下室にかくまった。そして、彼らに武器の密造をやらせていたのだが、数十年が経ち、ついにその地下室が崩壊。そして、民族紛争が始まる。てな感じです。む…映画のあらすじを面白そうに書くのって難しいな…。いや、もう、役者さんが凄すぎ。演技に見入った事なんてめったにないのに、これは別。圧倒的存在感。そして、音楽が素晴らしい。あと、ところどころにちりばめられた、憎らしい限りの演出。ユーゴの問題の事を、また考えさせられてしまいました。観る機会があったら、是非、ご覧あれ。
2004年05月24日
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小泉首相が北朝鮮に行きましたね。結果だけ見てみると、やっぱり日本は外交が上手くないんですねぇ。政治家主導で会談の道筋つけて、「おお、やるじゃん」と思ったけど、結果は、北朝鮮がおいしいところ取りになってしまいました。外交問題を国内政治のダシに使うなら、官僚に任せておいた方がいいじゃない。読売新聞を参考にしながら結果を見てみると、支出・米25万トンと1000万ドル相当の医薬品(モニタリングなし)・曽我さんの家族三人・北への制裁案凍結(平壌宣言遵守の条件付だが)・「日本は今後、在日朝鮮人に差別を行わず、友好的に対する」との約束→朝鮮総連等への圧力がかけづらくなる・核問題の確たる収穫なし。・残りの拉致被害者への調査の確約無し収入・拉致被害者家族5人の帰国。・日朝国交正常化交渉再開の言質・平壌宣言遵守の「口約束」支出が多い。首相自ら行った割には収穫が少なすぎる。まさか、本当に拉致被害者家族を迎えにだけ行ったのか!?ちゃんと裏で何か持って帰ってきたよな?以前の報道によると、首相が行くというのは日本側のアイディアだったとか(ソース不確定)。その割にはひどい結果だな。自分が始めた日朝交渉を、自分の任期中に終わらせたいという腹の底が透けて見える。だから、向こうも強く出てきやすい。うーん。失敗でしょう、これ。ちゃんと参議院選挙に反映されるのだろうか。ところで、北朝鮮はやっぱり外交が上手いですね。世論というものが存在しないからなんでしょうけど。逆にいうと、民主主義国家の外交に、世論が与える影響がどれだけ大きい事か。特に、日本人は熱しやすく、冷めやすい。そんな世論を国内専門の政治家が利用してしまっている。さらに、報道の自由がある以上、テーブルにのる条件が基本的にオープンである。外交が上手くいきづらいことの一因でもあるのかな、と思う。米中国交正常化みたいなことは、日本には難しいのかな…。日本に帰ったらウォルターリップマンでも読みなおしてみるかな。
2004年05月23日
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テストが半分終了しました。昨夜は寝られなかったり(まぁ、昼寝しすぎたからなんだけど)、顔には妙に吹き出物(二十歳過ぎたので)が出来たり、ストレスフルな毎日からしばし解放。と思ったら、supervisorから、dissertationのドラフトを書いて持ってきなさいって。そんなにいっぺんに出来るかい…。先日、英国の新聞デイリーミラーが、兵士による虐待の写真が捏造だと一面ででかでかと認めましたね。その日の売り上げを軍に寄付し、さらに編集長を解雇。軍による調査には全面協力だとか。元々、反戦色の強い新聞だったと聞きますが、間違ったところをちゃんと認めるあたりは度量の広さを感じます。とっとと認めて、責任者を切って、傷口を広めないようにとの配慮もあるんでしょうけど。この事で、日本のマスコミの方と話をしてみて、「日本の新聞でこんな事出来ますかね?」って聞いたら、「無理だね」って。やっぱりしがらみとかが多すぎるんでしょうね。まぁ、でも、情報を売っている以上、誤報や捏造にはしっかりと対処していって欲しいものですね。さて、自分は微妙に就職活動再開していきます。負けてたまるかいね。
2004年05月22日
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昨年の夏にインターンをしたときの後輩からメールが来ていて、男性の方は、どうやら就職先をN○Kに決めたとの事。女性の方も、広告会社に決まりました、と。本当におめでとうございます。・・・おい、お前はどうなんだよ、と。彼らに偉そうに演説ぶっていたのも、もはや過去の事。とっくに追い越されていたようです。もちろん、やりたい事、やってみたい事はあるのだけど、キャリアパスが正確に描けていないのがまずいのだろう。勉強不足、度胸不足なんだろうけどなぁ…。それでも、今はExamに通らなきゃいけない。後ろ向いている暇はないのです。
2004年05月18日
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時間を見つけて、就職活動をしています。活動といっても、企業にエントリーシートを出して、それに紙を添えて、「一時帰国する際に会ってください」という事しかできないのですが。あとは、テスト終わってからもう一回、電話でプッシュしてみようかと。いやいや、このエントリーシート。クラスメートの元N○Tの方に見て下さいってお願いしたら、「書きなおしてきなさい」と言われました (´・ω・`) ショボーン難しいですね。来る前からわかってはいたのだけど、日本の企業に申し込むには、海外にいるのがとてもデメリット。そもそも、年度始が違うのが(日本4月、その他9月)痛すぎ。そして、当然のことながら、日本の学生の時間に合わせてますから。海外大生でも、日本の学生と同様に扱いますって。絶対無理なのに・・・。両方経験しているおいらからいうと、確実に海外大生の方が中身のある勉強をしている(日本でも理系は凄いけどね)。大票田中心に動くのは当然ですが、もっとたくさんの企業がもう少しフレキシブルに対応してくれたらな、と思ってしまう。まぁ、与えられた情況の中で精一杯やるしかないですな。
2004年05月17日
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昨日、クラスメートにお前も来いと言われて、UN Independent Expert on the Right to Developmentという肩書きの人の講演を聞いてきた。インドではちょいと有名な人らしいが。会場はお声のかかったGOV、LAW、SOCのPost Graduateでいっぱい。内容は…すごく簡単に言うと、水やら食べ物やら教育やらの最低限のニーズをまとめてRight to Developmentとし、ICESCR(国際人権条約の一つ)の一部とする。ICESCRを批准している先進国が、発展途上国のrightsを保障していくべきとの事。そもそも、先進国のGDPの合計の1%で、世界の貧困は無くなるのだと。ふむふむ。隣では、米国亡命ハイチ人(なんで英国にいんねん)が(・∀・)ニヤニヤ。そこで、GOVの生徒から鋭い質問。「たかが1%といっても、民主主義各国の国内政治との間には摩擦が起きるんじゃないか」さすが政治系だけに、ちょっとpractical。すると、「マニフェストに掲げて、選挙を闘う。だめなら…どうしようもないね。」工エエェェ(´д`)ェェエエ工歯切れ良すぎだろ。その後のやり取りもはあったのですが、この辺に関してはかなり突っ込まれ、そして逃げている印象がありました。教訓理想主義のない現実主義は無意味である。 現実主義のない理想主義は無血液である。ロマン・ロランちゃんちゃん
2004年05月15日
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まじめ話ばかり書いていると、人が寄ってこなくなるけど、元々自分のストレス発散に書き始めた日記なので、いろいろ書いてみます。先日、シリア人外交官のクラスメート(親父が元在日本大使らしい)と話していて、正直切れ者とは思えない彼が、「日本の政治家は暴力団と結びついている」って言っていて、驚いた。実際問題として、日本の政治は昔から暴力と結びついているのだろうと思う。戦前も戦後も、それはきっと変わっていない。例えば、汚職問題で与党議員を追及していた野党の議員が殺されてしまう。ほんの少しの間はそれが大きな話題であるけど、すぐに関心が逸れていってしまう。マスコミも圧力がかかって取り扱わないし、(もしくはvoluntary censorshipといったところか)一般の人は、さっさとそんな事は忘れる。何か問題が起こっても、それが自分にとって不利益になる事であれば、人は見てみぬ振りをするものである。それ自体は、至極当然の反応である。自分に危害が及ぶのであれば、基本的には暴力沙汰は避ける。身の回りの人を守りたいと思うのは、当然の反応だと思う。だけど、長い目で見たときに、よろしくない方向に向かっていってしまうのは、やっぱり怖い。政治に暴力が介入してくるのを防ぐ最善の手段は、現段階では、やっぱり選挙しかないのかなと思う。西欧型民主主義が、理論の上では民意を反映する手段であるが、ここに極端なcapitalismが関わってくると、少しねじれてしまう気がする。本来、それに歯止めをかけるのが、中産階級の性質なはずなのだが、どうにも恵まれていて、外の見えない国では、上手く機能しない(米国、日本などなど)。シリアの情報機関が優れているとは思えないのに、そんな彼らでさえ日本の構造的欠陥がわかっているのだから、もっと情報収集がすすんだ国では、日本の政治家の弱みを握る事も簡単なものでしょう。というか、あるんでしょうね、そういう事。町村合併で自分の町の名を残す事よりも、あぶく銭のために票を集めることよりも、ろくに車の走らない道路を自分達のためだけに舗装するよりも、何か考えられる事ってあるのかな、と思う。あー、学生が何を言っても、説得力がないのが痛いなぁ。。。
2004年05月13日
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ふと思い出す事がいくつかある。初めて一人での旅行をしたとき、以前書いたボスニアの後に、ユーゴに入った。当時、まだミロシェビッチ独裁政権下。NATO空爆後一年半なので、欧米人は入れず、日本の多角外交(八方美人ともいう)のお陰で、日本人だけは入国できた。ボスニア入国の際、パスポートが指差し確認だったからスタンプがなくて、ボスニア出国・ユーゴ入国がこじれたのだが、その後、解放されて、バスに乗り込んで寝入る。少しすると、バスがドライブインに止まった。みんなトイレ休憩に降りて、腰が痛いおいらもバスから降りて、その辺をぶらぶら歩く。ふと、空を見上げると、すごく夜空がきれいだった。バスに乗っていた外国人がおいらだけだった(他は完全に地元人)のもあるけど、なんか、妙に遠いところに来た気になっていて、「あー、それでも空は日本と繋がっているんだなー」とか、思った。ベトナムのハノイからラオスのビエンチャンへ23時間バスの旅をしたときは、途中から豪雨になり、道端にしか電灯がないから周りは真っ暗ななかで、畑の向こうに落ちる雷がすごく綺麗だった。眠い目をこすりながら、ぼんやりと外を眺めていて、妙にわくわくした。英国生活にも慣れてきてしまい、日常があまりにも普通で、最近はそういうドキドキもなくなったな。海外にいるという部分では一緒だけど、やっぱり、バックパッカーやって、夕飯とか次の日の心配しかせずに、毎日違うものが見られる喜びと、ここで勉強しながら、知識として新しい事を知った時の喜びって、ちょっと違う。どちらも素敵だけど、最近は、また、どこかにぶらりと出かけたくなってきた。次は、中東かアフリカかなぁ。
2004年05月10日
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クラスメートとサッカーしてきました。たまには体動かさないと、と思ったのだけど、またもや左膝が…。なんで、3ヶ月間も同じ症状のままなんでしょうか…。さて、今日のサッカーには、おいらは取っていないのだけど、他の連中が取っているクラスのレクチャラーが来ていた。まだ若くて20代だと思われる。クラスメートは、大体が20代後半というところ。生徒といっても同年代か年上だし、どうやら断りきれなくてきたのだろう。っていうか、仮にも大学の先生を誘うって、やっぱり日本じゃあんまり見ないすね。一人、トンでるFrench-Englishがいて、彼が多分、Do you wanna play football? Come on, man!程度のノリで誘ったんだろうな。キーパーやらされたりしてたのに、来週また来るとか言ってた。忙しくないのかな… (´・ω・`)教師と距離が近いというのは、こっちの文化の良いところだと思うけど、儒教文化にどっぷりつかってたおいらは、かるーく違和感を感じたもので。
2004年05月09日
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日本の日暮れのイメージというと、夏、虫が鳴く中で、静かに太陽が沈んでいくというイメージがある。田舎だけに、外で遊んで帰るときに見ていた風景。これを書いている今、ちょうど日が沈んでいっていて、夕焼けが見える。虫の声も聞こえる。なんとなくホッとする。日本に一時帰国することにしました。6月終わりから7月中旬まで、intensiveに就活する予定です。時間が取れたら、日本のみんなとも飲めたら良いかと。
2004年05月06日
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家からのメールを見てみると、小・中学校(一緒なんです)の同窓会のはがきが来ているとの事。成人式以来だから、五年ぶりですな。8月14日。うむ。みんなお盆で帰ってきていて、なかなか考えた日程じゃないかって、俺、こっちじゃん (´・ω・`) 年末にしてくれって、言ったじゃん…Mよ…。高校が男子校のおいらには、あんな田舎とはいえ、中学の同級生の女の子が、突然きれいになってたりするのを楽しみにしてたのに…。というわけで、年末に、真・同窓会を開催しようと画策しているのであった。
2004年05月05日
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TBSのウェブ版で、例のアメリカ兵によるイラク人囚人の虐待について、当事者のアメリカ兵が答えたインタビューを紹介していた。元ネタがどこか不明で、実際にそのインタビュー自体を聞いていないから、発信元がTBSだけに信憑性は微妙だけど、その中で兵士が「囚人をどう扱うかなんて、訓練されていない。」って、言い訳をしていたらしい。ほんとなの、これ?不謹慎だが、わろた。
2004年05月04日
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