美しい朝の国 そして私の毎日

美しい朝の国 そして私の毎日

2009.10.23
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
やっとエンジンがかかり始めたので、日本のことをしるしておくことにします。

事実は事実として認識しておいたほうがいいと思って…。


さて、今回は「父の入院編」です。


大腸がんと診断された父。
9月30日に入院し、術前の検査をあれこれうけて
いよいよ明日が手術になった10月5日の夕方、6時30分。
空港からバスに乗り、モノレールを乗り継いで病院に着いた母と私とウーは、
わずかな時間の面会を済ませ、家に戻った。


執刀開始が9時半、病室を出るのが8時半。
家族は8時までに来てくださいということで、
到着翌日の私たちは無理だと判断し、母が一人で病院へ。
私とウーはゆっくり起きて洗濯や洗い物を済ませ、スーパーで昼食を買ってから病院へ。

手術中は、家族の誰かが常駐していなければならなかったのだが、
待合室はこぢんまりとしていて、子連れで長居するような場所ではなかった。
なので、母に昼食を差し入れ、すこし話してからショッピングセンターに行く。
手術後迎えに行く予定にしていたけれど、妹とその娘が来るということだったので、
送ってもらうと電話があった。
手術は予定より早く終わり、意識が戻って集中治療室に入ってからの面会は、原則1回だけということ。
まず母が入り、その後に妹が来ることを話すと了承してもらえたらしく、妹が一人で入ったらしい。子どもは入れなかった。



手術翌日。

午前11時に一般病室に戻るということで、午後に母と3人で病院へ。
行ってみると、まだいろんなチューブがつけられたままだった。
それでも無理やり起き上がろうとする父。こんなときぐらいおとなしくしとけばいいのに。
トイレに行くときは看護婦さんを呼ぶそうで、しんどそうだったけどやせ我慢してるのがみえみえだった。


歩きなさいといわれているとはいえ、手術翌日の夜から公衆電話で電話してきたのには心底驚いた。
入院中は朝晩毎日電話をかけてくる父。
それだけ聞くと「やさしいのね」と思うかもしれないけど、
電話してきて「今日の夕飯は何にしろ」「今日のテレビは何があるぞ」などと
いちいち指示するので嫌で仕方がなかった。
病気だからそんなこともないだろうと思っていたのに…。

なので、手術翌日に見舞ってからは2日ほど行かなかった。

その後、点滴もはずれ、病院着からパジャマに着替えるようになり、
面会も病室ではなくて面会室に行けるようになってきた。
ウーにあえてうれしくてたまらない父は、
すこし元気になると、1階の売店まで一緒に降りて、
ウーにお菓子とジュースを買ってあげるのが楽しみのようだった。


でもね。
駐車場で車が出るまで、ゲートのすぐそばまで出てきて座って待ってるんだよ。
もー、どこまでがんじがらめにすればいいのやら…。


それでも、日本の病院は完全看護だから長居する必要もないし、
ガン病棟だからちょっと遠慮する気持ちもあった。
帰国2週目には、毎日10分でもウーの顔を見せてあげたほうがいいかなと思えるようになり、
気持ちも軽くなった。


父は、「先生に話して外泊させてもらう」などととんでもないことを言っていたのだけれど、
母も食事なんかの問題もあって怖いし、私も嫌だったので大反対した。
でも結局、帰国当日に外出許可をもらうことができたらしく、
帰国する日の朝に私が病院まで迎えにいって、そのまま送ってもらうことになった。
そのときは、帰国の3日後に退院すると決まっていたので、それならまあ大丈夫かなと思えたし。



父がいなかったけど、入院していても毎朝晩電話してきてその日の予定を聞いたり、
病院から家に直帰すると分かっていたら、着いたころを見計らって電話してきたりするのが
嫌で嫌で仕方なかった。
厄介なのは、口調が束縛するようなものではなく、一見愛情あふれたものであること。
過保護や過干渉は、目に見えない虐待なんだと何度も何度も思い知らされた。
それならまだ、殴られて体に傷があったほうがましかもしれないと思った。
外に出れば、あの人かわいそうって一目で分かるから。
愛情だと思い込んであれこれやることを子どもが批判したら
「親不孝者」という一言で片付けられてしまうもの。


父は、父の父が酒飲みで仕事もせず貧乏で、とても苦労したらしいので
私たち娘には苦労をさせたくないと強く思っていたのだと思う。
かわいくて仕方がなかったのだろうし。
でも、思春期になったらその手を離してあげなければ、
子どもは自立した人生を送れないと思う。
大金持ちで、何一つ不自由しなくて、親が死んでも子どもが何の苦労もしないぐらいの準備が整っているなら
それはそれで勝手にすればいいけれど
そうじゃなくて、親が子どもの将来に責任を持てないのなら、
子どもが一人で生きていくための力をつけさせるのが、親のつとめってものじゃないだろうか。


愛情をたくさん注いでくれたことには感謝しているけど、
いつまでも束縛し続けるのは本当にやめてほしい。
そしてそれが、今度はウーと妹の娘に向けられているのがおぞましい。
妹もきっと同じように思っていると思う。



今回の帰省中に、母がこんなことを言った。

「お父さんね、自分たちが死んで、あんたたち(私と妹)が死んだら、あんたたちのお骨もすこしもらって一緒のお墓に入れるって言ってたわよ。そうしてくれるように孫たちに頼んでおくって」


それを聞いて、私は驚愕した。
死んでからも、まだ束縛するつもりなのかと。
父は愛情と思っているかもしれないけど、それは「束縛」であり「依存」以外の何物でもないと思う。
そんなこと、死んでも嫌だ。



だけど。
いろんな人の話を聞いていると、孫はものすごくかわいいものだという。
それに、夫にも、「もうお年寄りなんだから、合わせてあげなよ」と言われた。
確かに、いつもいつも会うわけじゃないのだし。
叔母(父の妹)に会って食事をしたときにちらりとこんなことを話したら、

「でもね。そんな悩みも生きてるときだけよ。死んだら何にもなくなるよ」

と言われた。はっとした。

父のことを、愛情ではなく依存だと認識することは、
私が子育てをしていく上で同じ過ちを犯さない教訓になると確信している。
実際、それぐらい強い意志を持って実家に帰らなければ、
また前のだめな自分に戻りそうになるのだ。


実家は、娘であると言う名目で、ただで泊めてもらえる宿。
親も、今となっては他人。

それぐらいの気持ちで帰らないと、また爆発して辛いだけ。
家族だからみんな和気藹々、なんて幻想だと思い知らされた。


でも、父が生きているから、私が海外にいても心配が少ないのだと思う。
母一人になったら、もっと心配になるだろう。


母国語で話ができて、生まれ育った街で買い物ができても、
外国語で話して外国の文化で暮らすほうが気持ちが楽だなんて。
複雑だけれど、仕方がない。私に与えられた運命なのだと思う。


日本にいるときはあれほど窮屈だったのに、
戻ってきたら、日本のいろんなものが良く見える。
やっぱり「隣の芝は青い」のだろうかと思う。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2009.10.23 15:57:46
コメント(2) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

プロフィール

saki18

saki18

カレンダー

コメント新着

ペット総合サイト @ アクセス記録ソフト 無料 楽天 アクセス記録ソフト! http:/…
ペット総合サイト @ アクセス記録ソフト 無料 楽天 アクセス記録ソフト! http:/…
saki18 @ Re:お疲れさまでした(02/07) happyさん ずっと不満をためていたので…
happy@ お疲れさまでした 同じ国際結婚でも、お国柄、行事や家族と…
saki18 @ Re[1]:漢字知らないよね(01/25) hanuru2さん 日本は名前に使え…

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: