Wonderland

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2006.12.18
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先日、言語交換の相手に日本の地域社会という概念を紹介してもらった際に、町内会と村八分についても聞いた。

特に、村八分のことを始めて聞いたとき、好奇心が強いわたしは宝くじが当たったようにうれしかった。大学院のゼミで台湾人の先生とクラスメートに紹介した。さらに詳しい内容を日本人の友人に聞いた方がいいと思った。

いったい村八分とは、どんな意味なのか、わたしはWikipediaで調べてみたが、日本社会ならではのものなので、長く日本で生活し続けなくては、やはり理解できないと思ぅた。
Wikipediaによると、村八分ということは、日本の村落で行われた村のおきてに従わない者に対し、村民全体が申し合わせて、その家と絶交すること。地域の生活における十の共同行為のうち、葬式の世話と火事の場合(二分)以外の一切の交流を絶つこと。また、「八分」は「はじく」(つまはじきにする)の訛ったものであるとの説もある。
消極的制裁行為とはいえ、昔の日本社会では強い影響を及ぼしたということだ。村八分を課される人は事実上生活が出来なくなって、地域社会から外されてしまったと言える。地域社会に入っていないと、世間にわすれられたと感じ、生きがいを失ってしまう人もいた。

昔の日本社会の現象だが、今も残っているようだ。仲間はずれにするような感じだ。現代社会の中に、人と人の距離は近くなったら、かえって疎遠感が深くなった。村八分は珍しくなっているようだが、現在でも田舎で、特に近所との連帯が必要とされる地域(農村、漁村など)では依然存在する現象で、生活不能な状態に追い込まれることもあると言われている。
ちなみに、いわゆる若者言葉で一人を仲間はずれにすることを「ハブ」「ハブる」というが、これは村八分が語源といわれている。
集団意識を強く持っている日本人は自分自身をグループの中に位置できるように、生きているうちにいろいろな「会」や「組織」に入ったり、作ったりしているようだ。例えば、町内会、自治会、連合会、懇親会、OB会、同好会、同窓会、日本人の会、親睦会、飲み会、二次会等、まるで、「会」の網に縛られながら、生きているようだ。その中には、気の合う仲間や同好と一緒に楽しめる会もあるが、嫌な会もある。
嫌だが、付き合いのために、参加しなければいけないときもある。人間関係を和やかにするように、いろいろな予定に参加した結果はいろいろな雑事に追われることになるのかもしれない。例えば、町内会がもう廃止されているが、近隣住民のコミュニティー組織(地縁団体)として町内会の名称が使用されて、まだ残っている。

もちろん、人間は地域社会との連帯がないと、生きられないには違いないが、いつも「グループ」のことを第一にしている人はちょっと可哀想ではないかと思う。
退職した後、一時でもいいからちょっと今までの社会から解放されて、海外へのロングステイに行く日本人が増えて来たそうだ。もしかすると、我慢したまま集団社会の中にいさえすれば、自分の価値や生き甲斐を感じられるような生き方にもう疲れてしまったという退職者が多くなったのかもしれない。
現在の日本人は、個人意識が濃くなったのか集団意識が薄くなったのか私はよくわからないが、日本人の社会は複雑なものなのだろうと思う。






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Last updated  2006.12.25 11:06:49


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Sandy Miao

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