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“さまよう刃”
★★★★☆
長編。
--- 梗概 -------------
長峰は、妻を亡くして以来、男手一つで一人娘を育ててきた。その甲斐あって娘も立派に成長した。ある日、娘は友人と花火大会に出かける。しかし、いつまでたっても帰ってこない。心配した長峰は警察に捜索願を出す。無事で帰ってきて欲しいという願いも虚しく、娘は全裸遺体で発見される。愛娘は、不良少年たちに連れ去られて陵辱され、そして殺害されたのだった。娘を亡くした悲しみと、犯人への憎悪で仕事も手に付かない日々を送る長峰に、犯人を教える匿名電話が・・・。そして、長峰は犯人の少年に復讐を開始する!!
時宜に合ったテーマです。
犯人は救いようのない悪少年。今までにも女の子をレイプしてはその様子をビデオ撮影し、警察に通報しないよう脅すという手口を繰り返している。(そもそも、こんなあくどい手口で女の子をレイプする人間を少年と言うことができるかどうかも疑問です。手口はもはや狡猾で劣悪な大人でしょう。)
そして主人公の娘も、その被害に遭ってしまう。こんなガキは捕まっても結局未成年ということで大した罪にもならず、いけしゃーしゃーと社会復帰する。そのことに堪えられない主人公は自らの手で犯人を裁くことにするのです。
少年事件の再犯率の高さは驚くべきものですよね。ということはやはり更正は難しいということなのかもしれません。
私はいつも思うんですが、いくら未成年と言えど、救いようのないやつはいると思います。だって、救いようのない大人がいるわけでしょう?その人たちはきっと小さい頃から救いようがない悪いやつなんですよ。
だから、救いようのない悪いガキがいてもおかしくない。それなのに人権派といわれる人間は、未成年を手放しに更正可能だと評する。んなばかな。
世の中には更正なんて不可能な根っからの悪は大勢います。また、更正可能性があるとしても、更正する権利を与えるべきでないような人間もいると思います。
例えば、無辜の民を何人も刺した連続通り魔が逮捕されたとします。その犯人は反省もしているし、更正可能性があるとする。そうすると、弁護士や人権派はいうのです。反省もしているんだから更正できる。だから死刑は回避すべきだと。
私はいつも思うんですよね。反省していること・更正可能性があることと、自分が犯した罪の責任をとることは別次元の問題なんじゃないかって。
自分がやったことを反省することは大切です。だからといって反省したら犯した罪に対する責任が軽減するなんてバカなことないでしょう。
反省は反省。責任は責任。それをごっちゃにして論じるから死刑廃止なんて理論が出てくるんです。
被害者遺族にとってみれば、犯人が反省しようとしまいと自分の家族は戻ってこないんだから。
この本は、未成年犯罪の被害者側、加害者側、そして、その加害者を追う警察側という、三視点で進んでいきます。
少年と、長峰の両方を追う警察。少年を捕まえれば長峰の罪は軽くなる。しかし、凄惨な事件を起こした少年は数年で社会復帰する。だからこそ、警察も世間も心の奥底では長峰が復讐を達することを望んでいたりする。でもやはり仇討ちを許すわけにはいかない。警察も世間も、長峰の心情は十二分に理解できても、野放しにすることはできない。こういったジレンマを抱えているのです。
さすが東野圭吾さんですね。どの視点もすごく鋭く描かれています。加害者少年の身勝手さ、反省のなさ、幼稚さ。被害者の父親の苦悩、悲しみ、憎悪。警察のジレンマ。
すべて見事に描ききってます。素晴らしい。ただ、オチが・・・私としては許せなかった。仕方ないとはわかっていてもすっきりしない。だから★4つです(;^ω^A
=== 46冊目 読了 ===
東野圭吾 『聖女の救済』 2012年05月06日
百田尚樹 『永遠の0』 2012年05月06日
東野圭吾 『分身』 2011年10月17日