Happy Heart Room

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2006.12.04
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3年ほど前に母の長兄が無くなり、7人兄弟の母の兄姉はもう一人も存命していません。
兄姉といわれる人で残されているのは、義姉の兄嫁のみ。

その最後に残された兄嫁から10日ほど前に母に電話があり、何かとおもえば、母の上から2番目の兄が戦死しており、その戦没者の遺族年金が、最後に残された兄妹である母に引き継がれるとの事でした。

諸手続きをするために母方の本籍地の役所に足を運び、母方の両父母の戸籍の流れを初めて目にしました。

戸籍には母の両親の婚姻届が記載させれており、年号は明治参拾五年となっており、年代を遡って追っていくと、母の父親も長男で明治四拾七年家督相続と記載があり、母の長兄も昭和拾九年参月に家督相続などと記載されていたりして、ああ~、そうだったのか、長男が家督を継ぐ制度が昭和の時代まで本当にあったんだと、時代の流れと歴史を間のあたりに実感しました。

母から時々戦時中の苦労話や、2人の兄が徴兵制度で連れて行かれたなどの話しは聞いていましたが、戦士した兄のことはあまり語りたくないようで、「優しい人だった」ぐらいしか聞き及んでいませんでした。
これもほとんど実感の無いままで今日まで過ごしていました。

戸籍によると昭和拾九年七月弐拾九日、印度のコヒマに於いて死亡と記載されていました。


しかし、よもや私がこの年になって戦没者の遺族に直接関係するなんて思いもよりませんでした。
こうして年老いた母の元へ、戦没者である兄からの思いもよらぬ遺族年金のお金が、わずかですが入るということは、戦没者がまだまだ自分を忘れて欲しくないゆえに供養をして欲しいと願っているのではと思わずにはおれません。

23歳という若さで死んでいった伯父はどんなに生きたかった事でしょう。

こんにち時を経て、母方の先祖が秋月藩の医者であった等のルーツを辿ることが出来たのも、戦死した伯父のお陰です。

もう秋月には血縁者はいないのですが、聞くところによると、加峯(かほう)診療所という名前だけは20数年前まではのこっていたそうで・・・

機会があれば一度母方の里、秋月に足を運んでみたいものです。

こんな風に身近に戦争を感じたことが無かっただけに、私達に家族のルーツを教えてくれた伯父に感謝すると同時に、戦争の犠牲者の悲しみは残された者の心の奥底には未だ残っていることを母を通して教えられました。


masuko














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Last updated  2006.12.04 19:52:15
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masashi25 @ コメント失礼します☆ ブログ覗かせてもらいましたm(__)m もし…
サーブイン @ Re:いじめすぎですよね(04/25) のんぱぱGOGO!さん >決して良いことで…
のんぱぱGOGO! @ いじめすぎですよね 決して良いことではないけど、記者会見で…
やまもも。@ 驚きました すごいですね。最近屋根がスレートで熱く…
KOBO2003 @ Re:弥生時代にタイムjスリップ?(07/18) これはKITAQ市内ですか、それともF県外で…

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