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しろねこは年明けまでふゆやすみです。故郷でゆっくり、次の小説のお話を考えたいと思います。つぎは祖母のお墓に刻まれたメッセージからはじまる家族の再生の物語をかきたいと思っています。ではみなさんよいお年を。そして、希望の年明けへ。
2003.12.26
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しろは、雪の降る寒い夜に、わたしの膝に抱かれて猫の国へ旅立っていきました。わたしはしろの声が、いつだってわかっていました。舐めてくれる舌ややわらかい真っ白な毛並みや、甘えた鳴き声。いつだって、しろはわたしのことを思って、鳴いてくれました。友達が消えてしまっても、両親に理解してもらえなくも、いつだってしろはわたしの味方でした。しろはネコで、わたしは人間ですが、私達は立派に家族でした。わたしは思うのです。家族ってなんでしょう。血が繋がっていることでしょうか。同じ苗字なことでしょうか。一緒にくらしていることでしょうか。完全な家族なんて、この世にはないのかもしれない。でも、ネコと家族だった人間がいてもいいとおもうのです。わたしにとって家族であることは、気持ちが繋がることことだったのです。言葉ではなく、モノでもなく、お金でもなく。涙を拭う舌や、においを嗅ぎあうことや、暖まるために一緒に眠ることでもいいのではないでしょうか。しろはネコだから人間の7倍のスピードで生きていってしまいました。わたしはとても悲しいですが、しろはわたしに自分の気持ちを伝えることを、ちびしまを残すことによって伝えてくれました。これからもきっと、本当のオトナになっていくまでにわたしをとてもかなしいことやつらいことが襲うでしょう。挫折をしたり、絶望することもあるかもしれません。でも、わたしはひたむきに、本能のままに愛情をくれたしろを思うと乗り越えられそうな気がします。きっとこれからも、ちびしまをはじめとして、わたしは「彼ら」と生活し、家族となっていくでしょう。そして、いつか乗り越える思春期と、きっと手にするであろう自信をもって両親とも「家族」になる日がくるでしょう。追伸:ちびしまは元気です。しろはちゃんとトイレを教えておいてくれました。お利口なしまねこです。
2003.12.19
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それからのしろの毎日は、ちびしまと名づけられた仔猫のお世話をして、眠って、おじょうさんになでられてすごしました。しろはきっと、おじょうさんが本当のオトナになるのみることができないでしょう。おじょうさんはこのあと、きっともっとつらいことがおこってくるでしょう。いままでは、いじめや仲間はずれですんでいましたが、きっと高校生になったおじょうさんは、恋を覚えるでしょう。恋はおじょうさんに、きっと8割の苦痛と1割の動悸と残りであわ立つ切なさを与えるでしょう。しろがシマを待ち焦がれたように、おじょうさんもだれかをみつめていくのでしょう。生きていく間で、他人との感情を交えずにすごすことはできそうにありません。時に、誰も信じられないような思いをすることだってあるでしょう。信じた人に裏切られることもあるでしょう。肉親だって自分の味方をしてくるとはかぎりません。でも内向的なおじょうさんが、夢と意思をもって、ようやく起き上がりだしたのです。しろはそれを見届けただけで、よかったと思いました。そして、ちびしま。しろはもう恋をしたあのシマにはあえそうにないですけど、このちびしまにあえて、仔猫をいつくしんで、母ねこの代わりができてしあわせ、しろにもネコの幸せが最期に訪れた。おじょうさん、おじょうさん、人生はわるいことばかりじゃないよ、きっと。しろだって、ママねこに捨てられて、このお家にもらわれてきたんだよ。おじょうさんは自分のこと、まじめなだけが取り柄な、つまらない女の子と卑下している。でもしろに一番やさしかったのはおじょうさん。泣いたらなでてくれ、そばにいても、いなくてもいつも「しろ、しろ」ってしろを探してくれた。ちびしまもおうちにいれてくれた。しろは愛情に不足のない時間をすごしてきたよ。おじょうさん、おじょうさんは家族でしあわせになることをひどく理想化しているよ。おじょうさん、家族は血のつながりだけではないよ。おじょうさん、しろだっておじょうさんの家族だよ。ちびしまだってしろの仔猫。みんなの家族。おじょうさんだってたくさん、しろやちびしまのことを思い、心痛めて、切なくなっていた。家族って、血がつながっているなんて大きな問題ではないよ。どれだけ一緒に、ご飯をたべたり、月をみたり、おふとんでくるっとなったり・・・しろはおじょうさんとずっと家族だったよ。しろはおじょうさんが大好きだったよ。おじょうさん、おじょうさん・・・ちびしま・・・
2003.12.14
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おじょうさんがおとなの振る舞いを身につけ、水の流れに沿うように学校に漂い、高校受験をめざしていたころでした。しろはあまり動きたくなくなっていました。毎日、シマの夢をぼんやりみていました。しろはあんまり目が見えなくなっていました。でもかまわない。おじょうさんの手触りは感じ取れる。おじょうさんの手のよくすりこまれたいつものハンドクリームのにおいはわかる。だんだんおじょうさんの声はちいさくなっていくけど、おじょうさんがやってきた足音はかさかさした肉球でも感じ取れる。おじょうさん、おじょうさん。しろはおじょうさんが大好き。勝手口の隙間にいつもどおり顔をおしあてて眠っているとなつかしいにおいがした。甘い、ミルクのにおい。甘えたかすかな泣き声。しろは夢中でねだって外にだしてもらった。「しろ、どこいくの?しろ?」おじょうさんの不思議そうな声。仔猫だ!仔猫のにおい!仔猫の鳴き声!どこ、どこ?「おかあさん、しろが仔猫くわえている!しましまの仔猫!」おじょうさん、しろのおねがい。この仔猫、しろの仔猫にして。シマそっくりの捨てられた仔猫。しろがこのお家に来たときといっしょ。キィキィ鳴いている。しろ、おかあさんに、なる。しろは夢中でしましまの仔猫を、ハウスにくわえていって、なめてきれいにして抱え込んで暖めました。しばらくして、おじょうさんが急いで買ってきた猫用ミルクをそっとハウスにいれてくれました。しろに残された時間は、おじょうさんと仔猫でやさしく満たされようとしていました。
2003.12.12
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中学生になって北国に舞い戻ったおじょうさんは、変わりました。今度は逆に都会から来た子ということで疎まれたり、成績がよくて煙たがられたりしました。おじょうさんは気づいたのです。トイレには一人でいけばいい。休み時間は本を読めばいい。放課後は部活に入れば、クラスで必死に顔色を伺って必要が激減することを。おじょうさんはもうわかっていたのです。一人で居ることを選択することと、仲間はずれにされることは違うと。やり過ごしてがまんすること、超然と構えることは違うことを。そんな超然とした振る舞いで、おじょうさんは相変わらず周囲から浮いていました。先生方もおじょうさんをどうあつかっていいかわかりかねているようでした。でも、学校の方針が超管理教育であったので、素行に全く問題がなく、成績が優秀なおじょうさんは、それだけでかなり有利な学校生活をおくることができていたのです。自分を傷つけるものには超然とした態度を。自分と親和するものには穏やかに、ココロ深く。少女にしておじょうさんはそうやって、誰も傷つけない振る舞いを身につけたのです。おじょうさんは、そうやってコドモから旅立っていったのです。しろはオトナのココロをもったおじょうさんを愛情をもって舐めました。おじょうさんはやさしくなでてくれました。もう、しろの毛皮はぱさぱさになっていました。しろは毎日勝手口でくるりとまるまっていました。まっていました。毎日毎日。ふんわりとお日様のにおいをさせたシマを。
2003.12.11
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おじょうさんは小学校の卒業を間近に迎えていました。いじめは相変わらず続いています。男子はおじょうさんと口を利いてくれません。体育の着替えを覗いている、とか鼻の穴が大きいとかおじょうさんを屈辱的な気分にさせることを楽しそうに行っています。おじょうさんはつまらない、と思いました。他人を貶めたり、身体的特徴を揶揄して楽しむなんて。子供のうちからこんな悪趣味なことで楽しめるなんて将来絶対イイオトコになるわけないわ。おじょうさんは自分も子供の癖に、子供が大嫌いでした。子供がというよりは、子供特有のデリカシーのなさや、子供のくせに評論家めいたことを、したり顔でいうようないやらしさを嫌っていました。でもこの手のいやらしさはオトナでもあるわね、とおじょうさんは思ってもいました。そのとき、おじょうさんは自分のおとうさんのことを思い浮かべて、口の中に苦い唾液が流れるのを感じました。おじょうさんは残りの日々の胸苦しい現実を必死でやり過ごし、はやく卒業するのを待っていました。誰もおじょうさんのことを知らない人達の世界で、一からやり直したかったのです。夢をもち、意思をもつおじょうさんとして。卒業式の日、おじょうさんは、こんなにもすがすがしい気分になったのはいつ以来だろうと思いました。また5月にはおとうさんの仕事のせいで北国の地へ戻ることが決まっていました。おじょうさんの新しい旅立ちが近づいていました。しろはそのときネコとしてはだいぶオトナになりすぎていました。ネコは人間よりも生き急ぐイキモノですから。
2003.12.10
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おじょうさんの復讐は、自分が幸せになることでした。自分を見つめなおすことを決めたのです。誰かに何かされた、誰かに言われて傷ついた、誰かにこうやるように指示された・・・おじょうさんは、思いました。確かにおじょうさんは小学生という年齢にしては、ずいぶんと陰惨な思いや感情の縛り付けにあっていました。でも、おじょうさんはいつだってそれを受け入れていたのでした。拒否や抵抗をしなかったのでした。おじょうさんには意思表示という大事なことが抜けていたのです。そして自分には全く非がないように、悲しんでいたのです。事実、おじょうさんに何か非があったわけでもありませんでした。いじめは100%する者がわるいのです。受けるの者が、立ち向かおうが、拒否しようが、受け入れようが、どんな反応をしても絶対にする方が悪いのです。おじょうさんは発見したのです。自分が傷ついたことばかりを思い返しているのではなく、幸せの時を見つけようと。お風呂に入っているとき、しろと遊んでいるとき、大好きな本を読んでいる時・・・一日の中には、つらい気持ちでない瞬間だってあるのです。おじょうさんは、しあわせを見つけること、自分の気持ちを上手に伝えることがおじょうさんの望む生活への道だということを発見しました。しろはとてもうれしいです。おじょうさんといられることがうれしい、おじょうさんの笑顔が、おじょうさんがしろをなでてくれるだけで・・・
2003.12.09
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おじょうさんの復讐は、決して目に見えるものではありませんでした。おじょうさんは決めたのです。自分を傷つける人達に勝とう、と。誰にも文句を言わせないようになろう、と。それからのおじょうさんは、変わりました。毎日大嫌いな計算ドリルを5ページしました。毎日新聞を読んでわからない漢字は辞書でしらべました。図書館からたくさん本を借りました。本があれば、放課後の約束の心配なんて怖くなくなりました。やがておじょうさんは、テストで100点が取れるようになりました。中学受験をしなくてはいけない子達より、テストができるようになりました。おじょうさんをあからさまには、いじめなくなる人もでてきました。でもおじょうさんは、なんだかココロが晴れないのでした。おじょうさんが望んでいたのは、誰かに勝って、有無をいわせないような強引なものではなかったはず・・・おじょうさんの望む生活はこんなのではなかった。おじょうさんの望む人生は・・・おとうさんとおかあさんが仲がいいこと。家族みんなが仲がいいこと。楽しいお友達がいること。時がながれるように、おじょうさんを囲む空間が穏やかにたたずむこと。悩みのない時間をしろとすごすこと。おじょうさんは気がつきました。誰かに憎しみをちらつかせることや、のし上がって相手を見下すことは決してココロを満足させるものではない。おじょうさんは考えました。自分が望む生活をどうしたら手に入れられるか。おじょうさんの復讐は、新たな一歩を踏み出したのでした。
2003.12.05
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おじょうさんを一番いじめた子は医者の娘でも、弁護士の息子でも、芸能人の子供たちや子役たちでもありませんでした。同じ団地に、おじょうさんより1年先に引っ越してきた子でした。きっとその子も1年前同じ目にあっていたのかもしれません。やっと自分が苦痛から逃れる対象ができたと思ったのかもしれません。おじょうさんがニガテな豆パンをわざと床に落としたとか、クラスの女子の悪口をいっていたとか、ちょっと聞いただけではどちらが嘘をいっているのかわからないように、巧妙におじょうさんを傷つけていきました。そして、あまりに事実と違うことにおずおずとおじょうさんが抗議すると「うそつきは泥棒のはじまりだって、泥棒のはじまりだってお母さんが言ってた!」と覚えたての言葉を、鬼の首をとったように興奮してクラス中に言触らしました。おじょうさんは思いました。来年また、転校生がきたら自分は同じことをするのか。答えは絶対NOでした。おじょうさんは立ち向かう力はないですが、人をわざと傷つけるようなエネルギーもありませんでした。おじょうさんには我慢することでやり過ごすことが精一杯でした。でもおじょうさんも人間です。学校でのさみしさ、おうちで味方になってもらえないもどかしさがだんだんこみ上げてくるのです。しろは理解しました。さみしさやせつなさは、積み重なっていくと憎しみに変化することを。あらゆるマイナスの感情は、憎しみに結集していくことを。あのおじょうさんにも憎しみが、ココロに灯っていくのをしろは全身を毛羽立てて見守るしかないのでした。
2003.12.04
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おじょうさんのお部屋の青い絨毯は、毎日ひき抜かれた黒髪のせいでお掃除が必要でした。これはおじょうさんの最初のココロの叫びだったのです。「助けて、おかあさん、助けて、おとうさん」でも、おかあさんはおじょうさんのココロの叫びではなく目の前の散らかった髪の毛を見て、ひどく怒りました。「おなたはとても強い子だから、いじめだって乗り越えられるわよ。おとうさんにもそう伝えて大丈夫だからっていっといたから心配ないわよ」おじょうさんは思ったのです。ずっと自分は強い子だと思っていた、でもそれは本当は違う。おかあさんに強い子であるように振舞わされていたことに。だって、おかあさんはことあるごとにいってたんですもの。「体が弱いから、せめてココロは弱くならないようにしたいと思っていた」でも、もうしっかりした強い子を物心ついたときから振舞ってきたおじょうさんには、いまさら他の自分は表現できないのでした。今の自分は本当の自分ではない。でも本当の自分がわからない。そう、誰もがとおる思春期の悩みをいじめと家族の葛藤によってきづかされたおじょうさんには、だれにも相談できる相手がいないのでした。もう、しろはおじょうさんの動揺にはついていけなくなっていました。だって、ネコはそんなことで悩むことはなかったからです。しろの悩みは、北国にはなればなれになったシマのことぐらいでした。でもきっとネコの遺伝プログラムによって都会に素敵なオスネコが現れたら、しろはきっとシマのことを忘れてしまいます。悲しいけど、ネコは人間ほど強くない。自分の仔猫を残すためにしくまれた、合理的で残酷な本能に従うしかないのです。しろは本能で動けない、人間を、おじょうさんをかわいそうとも思いました。
2003.12.03
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都会の学校での生活は、おじょうさんにとっては苦痛でした。何をするにもイナカモノと揶揄され、イナカクサイとあつかわれました。こんなとき、ある種のオトナは決まってこう言います。「いいかえしてやれ」「やりかえしてやれ」おじょうさんは思います。それができたらどんなに世の中のいじめやいやがらせが減るか・・・また、こんなことを言うオトナもいます。「そんなこという子のことはかまうんじゃない。」「ほっておきなさい」おじょうさんは思います。それをできて学校生活がうまくいくならどんなにいいことか・・・そして、おじょうさんの担任の先生はお母さんはこういいました。「先にいるものの勝ちですからねぇ」お母さんは、その言葉をそのままおじょうさんに伝えました。おじょうさんは絶望的な気持ちになりました。だって、順番といわれたのです。また、いつともわからないイナカからの転校生がくるまでお嬢さんの苦痛はずっと続くことが決定したのです。おじょうさんは全身でわめきたい気持ちをどうしていいかわからなくなっていました。おじょうさんはココロの苦痛をカラダの痛みにすりかえることを思いつきました。気がついたら、おじょうさんはどめどもなく、つややかに腰まで伸びた黒髪を引き抜いていたのです。
2003.12.02
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おじょうさんはこの転校によって、大きく運命がかわろうとしていました。おじょうさんが、もう桜も散った都会の学校に転校したのは5月のはじめでした。北国からやってきたおじょうさんは、元来の色白とあまりの緊張に蒼褪めていました。都会の子供たちは、露骨に好奇心をむき出しにしてくるようなことはありませんでした。でも、その分妙に大人ぶった言動がよけいに嫌味におじょうさんには思えました。「そんなに色白くて、健康なの?」「なんで制服をきていないの?」「あやちゃんよりかわいくない」「また、あそこの団地の子?」四方八方からひそひそと聞こえてくる声は、おじょうさんをますます萎縮させました。おじょうさんの転校した学校は、公立なのに制服がありました。その理由は、通ってくる子供たちの貧富の差があまりにもありすぎるので学校側が配慮したとのもっぱらの噂でした。当然おじょうさんは豊かな方にははいりません。急な転校で用意できなかった制服のせいで、ますます心もとなくなるおじょうさんでした。
2003.12.01
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