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亡き父の故郷で、祖父の50回忌が行われる。父の兄である伯父や祖母も亡くなってそれぞれ50回忌に近い年数がたつので、合同で法事を行うと従兄から電話があった。従兄の父親である伯父は、私の事を可愛がってくれたが、父は幼い私を伯父に預け、とんぼ返りで東京へ帰っていった。伯父の子供は多く、従兄や従姉に囲まれ遊び相手は困らない。しかし私の母や生まれたばかりの弟は東京に住んでいた。預けられる月日が永く、四季折々を西伊豆で過ごす。春・・・梅雨の長雨で外に出られず、切れ目のない雨を恨ましく。夏・・・海に浮かぶ灯籠流しが奇麗というより寂しく感じ、伯父の肩車の上で 駄々をこね泣きじゃくる。秋・・・伯父について裏山に登り、柿を貪る。冬・・・薪で風呂を焚き、正月は餅をついた。秋桜、さだまさしの歌詞にあるように・・・うす紅の秋桜が秋の日の何気ない陽溜まり揺れている幼児期に感じた西伊豆の思い出のすべて、その地を再び訪れる。
2015年02月27日
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「認知症の人のつらい気持ちがわかる本 杉山孝博 著」の中にこんな一文がありました。いい悪いよりもこんな考え方があるという事です。 ・・・もっとも大きい原因は加齢、年のせいなのです。認知症は老いとともに現れてくる。自然な現象のひとつです。記憶や判断力、認識力などがなくなっていき、最期は何も分らない状態で死を迎えます。人間にとって死は大きな恐怖です。クリアな意識で死を迎えるのだとしたら、人生最期の時は大変つらいものになるでしょう。認知症があるからこそ、安らかに死ねるのかもしれません。天が用意した、自然現象であるゆえんです。・・・
2015年02月22日
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年賀状をいつからか、書かなくなった同級生がいる。どうせ今年も又会うのだから、いいじゃないかという解釈でお互い書かなくなった。たださすがに去年は公私ともに世話になったので、珍しく俺から新年の挨拶をメールでした。だが返信はない。いちいち返事なんて、俺とあいつの仲なんだからと思いつつ、それでも気にしていたら、 今日あの野郎から電話がきた。日曜日飲むかという主旨だったが、とってつけたように、メールの返事を忘れていたと謝られる。そうは言っても忘れていた訳では無い事は分かっていた。男のかけひきみたいなもので、その時は返事をしたくなかったというだけだ。だから俺も「ああ」で、片づけた。それ以上何もこだわる必要がなかった。酒でも飲むか。おでんでもつついて。
2015年02月20日
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NHKのプロフェショナル・仕事の流儀という番組が面白い。仕事の種類が千差万別だし、その仕事に関する考え方も千差万別だ。学生時代仕事と食べる事を等号する言い方が、好きになれなかった。仕事に理想があって、その食べるという生々しい表現に抵抗があった。しかし実際に食えないと、これは分り易い表現だなと思う。番組を見ていると仕事に奥のまた奥があって、個人や組織で工夫や開発の上書きを重ねる。努力というより己の信じるものへ飽くなき挑戦だ。それが結果的に食べる事にも繋がっていく。すると、グッと仕事が面白くなってくる。
2015年02月11日
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原始の世界で自然環境と向き合っていた人々は、自然を前に何を思い、何を感じ取ったのだろう。自然界から声なき声を聞き、明日へ生きるための道標として、あがなっていてはなかったか。病気や天災、事故、怪我や貧困、愛を失う事。時を隔てても人が人である限り、葛藤という試練は尽きない。答えはない、乗り切るだけ。原始の人々は、きっとあの広い海を眺めて癒され、川の流れを感じ、湖を覗き込んで頷いた。降り注ぐ満点の星空を浴び、慰められ、太陽の力強さを焼き付け、気力を貰う。風は何を後押ししてくれるのだろう。水も火も土も目に見えない確かなパワーを与えてきた。真鶴の海でで真夜中焚火をしたことがある。たくさんの事を語りたくなった。炎が気持ちを燃やしてくれた。
2015年02月01日
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