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娘と期間限定のりんごまるごとスウィーツを食べに行った。数年前まで、こんな時間が持てるなんて夢だった。ウェスティンホテル大阪の中庭は、真冬の木々にも輝きがある。何種類もの緑色と枯葉の茶色は、絵の具に変えてしまいたいような衝動に駆られる。一本の木に止まる葉っぱの蝶が、幻想的で見惚れた。紅玉をまるごと一個、1時間もかけて焼き上げている。底にはバスクケーキ。何層もの紙のように薄いパイに包まれている。アイスクリームはほぼ最後まで溶けなかった。たっぷりの生キャラメルソースは、まさにカラメルソースだ。苦味と控えめの甘さがクセになる。たっぷりと使っても、素材の美味しさを生かしてくれる。毎年、この時期にあるようだ。何でもないような木に少し残った赤い葉。冬の庭だからこそ、主役になれる。そういう存在感が、たまらなく愛おしい時がある。昭和の一コマ。部屋の窓から見える中庭は、贅沢な景色だ。冬の庭は一見、色づくものが何も無いように見える。けれども、繊細な色彩の存在に気づく。枯山水に通じる日本らしい静の美しさを感じる。数時間前の悲しみが、こんな景色に癒される。カメラで捉えた時のときめきが、別の形で息吹を与えてくれることもある。そして、今日…「あん」を見た。河瀬直美監督の映像は、一枚たりとも逃したく無い写真の連続のように感じる。あんの一粒までが生きている。ハンセン病療養所という重い題材に、不慮の事故で傷つけてしまった償いに縛られる人生を重ねる。絶望の中でさえ、人は光を見出して生きていく。辛さを輝きに変える魔法を、この映画が教えてくれた。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2022年01月16日
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いつものご飯、炊飯器にお餅一個小さく切ったものをいれてスイッチを入れるだけで、おこわができます。炊き上がったらよく混ぜるだけでOKです。3合の米に一個で充分です。小豆をゆでて煮汁をいれたら、赤飯も簡単。私は玄米にお餅一個で炊いています。今年のお餅は、網で焼くとくっ付いて弾力性が無くてたよりない。土鍋で炊いたお粥に入れて余熱で炊くと、とろけなくて美味しい。人も物も 適材適所って大事ですね。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2022年01月05日
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以前に買ったままになっていたDVDを見た。20年くらい前のドラマだけれど、今、社会にある問題とさほど変わっていない。当時、このドラマが好きで、息子も一緒に見ていた。心の傷を抱えている精神科医を演じる竹野内豊は、そのまま、現実の医師と対面している錯覚さえ覚えさせる。今回、久々に見て、主人公の心動きに向き合いながら、いつしか心を癒されていることに気づいた。サイコドクター第一話年末から腰痛が酷くて、用事も進まず、掃除もおせち料理も中途半端なまま年越しを迎えた。年賀状も書けず、寒中見舞いをゆっくりと書くことにした。そんな話をメールで交換していた学生時代の友人も、年末に転んで骨折して入院している。お正月休み明けには、リハビリが始まるそうだ。還暦って、こういう年齢なんだと納得もする。若いと思っている心が、老化した身体機能の認識を誤った歪みで起きるアクシデントの数々。今日3日に息子が一泊するというので、昨夜、おせち料理の続きを作った。田作りを作るつもりが、合わせ調味料の醤油を入れ過ぎたので、大豆も一緒に炒って、さらに、乾燥ワカメやあらめも絡めた。おつまみにちょうどいいものになったけれど、今年はお酒を一滴も飲まない。アルコールが食欲をそそって過食気味になるようで、年末に酒粕をつまみ食いしていて食欲が止まらなくなったからだ。手羽中の照り煮だ。売り場に息子の好きな手羽元が無かったので、初めて手羽中を使ったけれど、大好評だった。ホイルで作った落し蓋の上にサツマイモを載せて蒸しいもにした。クリスマスに作った照り焼きチキンの調味料を半分残して冷凍しておいて漬け込んだものを煮ただけなので手間が少なくて済んだ。ホイルの穴から滲み出た煮汁がサツマイモに浸みておいしい。明日はもう三が日でもないけれど、たきごぼうを作る予定だ。私の大好物なのに、どういう訳か正月にしか作ったことがない。温故知新先人の知恵に気づいて感心させられる出来事がいくつかあった。特に旬の食材を使う料理には、保存や殺菌の意味が込められていたりして、なるほど…と思うことが多い。でも、食材の旬も変化してきている。伝統食は好きだけれど、こだわりを捨てれば、もっとプラスになることもいっぱいある。「型通りのお正月でなくていいんだ」と思える時代が到来していることを嬉しく思う。今年は大いに柔軟に臨みたいと思う。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2022年01月03日
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兵庫県立フラワーセンターへ行った。もうすぐ30歳になる息子が2歳の時に言って以来だ。当時はベゴニアが全盛だったけれど、今回はポインセチアが咲き誇っていた。水に浮かぶ花々もきれいだった。池の周りを初めて歩いた。バラの花も鮮やかだった。この葉っぱになぜか懐かしさを感じた。輝く夕日を久々に見た。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年12月25日
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ウェスティンホテル大阪にある中自然の森は、真冬の朝も美しく、差し込む陽射しは温かい。何度訪れても写真を撮りたくなる場所だ。これから赤くなろうとしている実の愛らしさに口元が緩む。お茶の実を初めて見た。紅葉の色は実に様々で、空の青も無機質な建物の白も彩りを添えている。紅葉の定番の真っ赤なもみじ。葉の種類によって、大きさも形も違うようだ。色とりどりの落ち葉は、この庭のキャンバスの絵具の一部だ。ここに来ると、思い出さずにはいられない。初めて出逢った日のように にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年12月20日
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怒涛のような秋の訪れは、緊急事態宣言後の心の渇望を五感のすべてから満たしてくれた。台風の修復工事のために11月からの閉園が決まった長居公園にも行った。好きだった古代の木々は、少し元気を取り戻していたのでほっとした。バラ園はもうほとんど咲き終わりのようだった。この日の曇天が、意外にも白いバラを綺麗に演出してくれた。この日、カメラのメモリ切れで画素数の少ない携帯で撮ったことも逆に良かったようだ。全くの素人写真だから、反って、天候や機能性の悪いことが良い結果を生むこともあるんだと気付いた。人生に似てる気がしてホッとする。代わりにダリアが満開だった。バラの高貴さは無いけれど、ダリアにはおどけたような笑顔を感じて心が躍る。「肩肘張らないで、もっと自由に楽しめばいいんだよ。」なんて、囁きかけてくれてる気がするのだ。人間として生きてる私たちは、言語を中心に五感で日常を生きている。ただ、聴覚も視覚も言語も味覚も触覚も持てない人もいる。だからこそ、植物も動物も共通の意思疎通のツールが存在するはずなのだと思ったりする。ダリアの囁きもきっと、そんなツールの一つかもしれない。京都にも行った。桂離宮近くにある筍亭の竹林だ。京都での話は、主人の事務所のブログで紹介している。紅葉の季節になると、外出も二の足を踏む。私も主人も、人出の多いところが苦手だからだ。それに加えてコロナ禍だから尚更のことだ。近所の神社でプチ紅葉を味わった。晴れた日の朝は、光との共演が素晴らしい。桜紅葉という言葉があるらしいけれど、花の慎ましさとは違って、葉の一枚一枚がしっかりとしていて鮮明な色を様々に発している。食卓にお皿として使うと風流なのだそうだ。ランニング中、道端で懐かしい雑草を見つけた。子供の頃は、当たり前のように見ていた雑草も見られる所が貴重になった。水換えをルーズにしていても、雑草はしっかりと生きている。やっぱり頼もしいんだなと思う。英字新聞を置くおしゃれに見えるけれど、日本語の新聞だそうはいかない。英語コンプレックスのせいだろうか・・・それとも、外国人からはおしゃれに見えるのだろうか・・それとも、日本語コンプレックスがあれば、もっと素敵に見えるのだろうか・・ にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年12月05日
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小麦粉の分量を極力抑えて、粘り気もあってさっくりとしたパンを試作中です。今回は、卵を加えてみましたが、卵は豆乳や水に置き換えると少し小さめのもっちりとしたパンに仕上がります。今回、焼く前に二つに分けたかったので、生地の硬さとくっつきにくくするために、ゴマとごま油と紅茶1パックを途中で加えました。ホームベーカリー任せにすれば手間はかからないのですが、その都度、硬さや混ざり具合が気になるので、足したり、箸でかき混ぜて混ざりやすくしたりすることも楽しいのです。食パンにすると、2/3斤のボリュームで作ってみました。A 粉類を計量する。 ①全粒粉30グラム、薄力粉30グラム ②米粉100グラム、そば30グラム(手で小さく折る。)、高野豆腐一丁あるいは16グラム(おろし金ですりおろしたもの)、おから粉大さじ1、重曹小さじ1/2弱、オリーブ油小さじ1、ドライイースト6グラム(小さじ2)、甜菜糖大さじ1、茹で小豆、レーズン、紅茶などを適宜用意する。 重曹は、米粉の膨らみの悪さを補助するために入れています。 油を胡麻油にすると 生地が取りだしやすいという利点があります。オリーブ油は食材になじむので、撥水効果が少ないのです。 そば、高野豆腐は小麦粉や米粉に置き換えてもいいし、おから粉を入れない場合は水分量を少し減らせばいいと思います。B 水分を作る ①温州みかんの汁を絞って、絞りかすは 別にしておく。 ②ニンジン20グラムをすりおろしておく。 ③卵一個を溶きほぐす。 ④ヨーグルト大さじ1を用意する。 ⑤、酒、酢を大さじ1ずつ混ぜておく。 C 水分をホームベーカリーにセットする。 ⑥ ①から④までをよく混ぜてから、⑤を混ぜる。 ⑦ 水分量が150ccになるように、水または豆乳を足してホームベーカリーにセットする。 ⑧ 最後に①の搾りかすを細かく刻んだものと寒天を少しを入れる(糸寒天を小さくちぎったものや粉寒天など) ②、③、④は水や豆乳に置き換え可能です。①を水に置き換える場合は、繋ぎの意味で卵を入れるほうがいいと思います。 酢はpHを酸性に傾けることでカビの防止ができると思い加えています。酒は好みですが、梅を漬けた酢に加えることでワインに近い味になります。 搾りかすはペクチンが含まれ、寒天とともに水分を保持してくれます。冷めても、翌日になっても、パサつくことがありません。 適宜に加えるものは、今回、かたゆで小豆、レーズンを大さじ1くらいずつ入れ、捏ねが始まってから 水分を吸わせて硬くしようと思い、紅茶1パック入れました。 D 粉類をセットする 1 全粒粉、薄力粉を水面全体を被うように入れる。 2 米粉、高野豆腐、そば、おから粉、重曹、具を混ぜてから、1の上に載せる。 3 砂糖、ドライイースト、オリーブ油を入れる。 4 ホームベーカリーによって癖があると思うのですが、私は早焼きでセットしています。 先日、ぶりのアラでおでんを作りました。大根が辛かったせいか、煮込むほどに甘味が消えてがっかりしたのですが・・・思い立ったのは逆転の発想でした。煮ると甘い淡路玉ねぎとキャベツとにんじんを一緒に煮込んだら、大根も美味しくなりました。そばと高野豆腐をパンに入れようと思い立ったのは、糖尿病予防のそば粉のお菓子を雑誌で見たからです。そば粉は手に入りにくいけれど、そばなら簡単です。高野豆腐も同様に、大豆粉の代わりになると思いました。生の豆腐もいいのですが、水分量の計算も面倒なのと乾物は常備できて手軽だからです。今、玄米粉もなければ、玄米おかきという方法も有りかと考え中です。私がこんな発想を思い立ったきかけは、ずっと昔に聴いた森公美子さんの料理にポテトチップスを入れるという話が発端だったかもしれない・・認知症の母を見ていて思うことですが…母は、昔から四角四面な人でした。料理の名前と材料はいつも一定で、同じ野菜がたくさん採れても新たに調理法を考える気持ちもあまりないようでした。一方、姑は発想が柔軟な人で、暑い季節は肉じゃがにトマトを入れるのです。ちらし寿司の具もバラエティーに富んでます。姑は、脳梗塞を発症する84歳まで、認知症の症状が無かったのです。私も思考回路が母に似ているので、敢えて発想の転換をするようにしています。料理やお菓子作りは、楽しみながら発想転換の訓練になるので、認知症の予防や精神疾患の予防に良いのではないかと思っています.にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年10月25日
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時々、デパ地下の鮮魚売り場に行く。魚のアラが目的だ。切り身や刺身では手の出ない高級魚もコロナ禍では珍しくない。先日も出かけた。北海道の秋鮭が今が旬で、大振りのものがあった。アラであっても、一度に食べきるのはもったいないと思う。まず、塩麴少しとお酒少しで一日置いた。翌日、 ① 鍋に、昆布、干しシイタケ、たまねぎの薄切り、にんにく、胡椒、ローリエ、イタリアンスパイス、レモンの輪切りなどを一緒に入れる。 ②酒と水を足して、鮭が水面すれすれになるようにして、ホイルに穴を数個あけて落し蓋にしてから鍋のふたをする。 ③弱火で鮭がピンク色になってほぼ煮えたら火を消し、蓋をしたまま冷めるまで放置する。 ④鮭を取り出し、大まかに身をはずし、皮と大きな骨は身が少しついたままで、煮汁と一緒に別の器によける。 ⑤ソースを作る。(今回は、レモン汁、白みそ、マヨネーズ少量、しょうゆ少量、酢、豆乳ヨーグルトを混ぜて作りました。①とは別に薄切りたまねぎも添えて。 翌々日、骨と皮から細かい身を外し、残った骨と皮は、スープをとるために、昆布、干しシイタケ、にんにく、塩少量、酒少量、香辛料を加えて弱火で沸騰後、10分余り煮ます。そのまま冷まして、スープだけを濾し取ります。 カボチャが冷蔵庫にあったので、薄切りの玉ねぎと一緒に炒めて軟らかく煮たあと、冷めてからミキサーにかけて、豆乳を加えてかぼちゃのポタージュスープを作りました。 細かい鮭の身は、ポテトサラダの具にしました。また、④の煮汁は玉ねぎなどの具と一緒に鮭の小骨が残っていることもあります。 カレー粉、白みそ、酒粕、豆乳などを加えてカレールーにリメークしたりします。 乳幼児でなければ、しっかり噛むことで骨は食べることも出すこともできるからです。食品ロスの問題もあって、ホテルでも残り物を有効に利用する取り組みがなされているようです。鮭から出るスープは、コラーゲンでゼリー状になります。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年10月04日
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⑴卵一個を卵黄と卵白に分ける。 手のひらに卵黄を乗せて水で手を洗いながら転がして、薄い膜の一部を破って落とすときれいに取り出 せる。 ⑵卵白に卵白と同量くらいの豆乳と好みの砂糖を入れて泡だて器で軽く泡だて、大さじ3くらいの米粉と大さじ2くらいのおからパウダーと適量の重曹をいれて混ぜる。 ホットケーキくらいの固さになるように、粉を調節する。⑶フライパンにキッチンペーパーを二枚重ねて敷き、くっつかないホイルで作った容器を並べ、生地を流し込む。⑷フライパンに水を入れる。 容器の一部が少し浸かるくらい。⑸中火で沸騰させてから、濡れ布巾をかけて、蓋をする。 10〜12分くらい待つ。表面がしっかりしていて、竹串が通れば出来上がり。卵黄は… ⑴鍋に卵黄を入れ、砂糖を加えて混ぜる。他に混ぜたいものがあれば、混ぜる。 ⑵さらに豆乳を加えて、二人分の分量にし、溶かした片栗粉も小さじ2くらい加える。 ⑶弱火にかけ、木じゃくしでこびりつかないように木じゃくしでまぜて、とろみがでたら火を消す。 ⑷粗熱が取れたら、容器に入れて冷凍庫へ。 ⑸時々混ぜながら凍らせる。 今回は手作りした小豆餡があったので、⑴でーそれも混ぜました。とてもアバウトなレシピなので、好みに合わせて調節してみてください。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活L
2021年09月28日
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コロナ感染対応のほとんどが、大金が誰の手に渡るかで動いている。日テレが入手したという幽霊病床リストの存在もそうだ。ちゃっかり補助金だけは受け取っているが、億単位のお金だ。いったい、何病床あるんだという話だ。パソナの人材派遣に始まって、緊急事態宣言中のオリンピックなど色々不思議なのは、不要と思われる緊急事態宣言の間に感染数を増やす何かが行われて行くことだ。次の緊急事態宣言が出たら、ワクチンパスポートを条件に行動緩和するというが、一番は、海外からの入国者もワクチンパスポートを考慮することだ。経済界=大企業の要望だ。対応できない中小企業も飲食店も、おそらく置き去りなのだろう。私は学生時代、政治経済の勉強は苦手だったから、理系に進んだ。けれども、コロナに関連して新聞記事を隅々までよむようになって、漸く、政治経済の仕組みがわかってきた。その中で気づいた疑問と矛盾がいっぱいあった。少しずつ分かり始めている。政治家にとって必要なお金は大金だ。資本主義経済にとっても同じだ。大金を生み出す企業を優遇することで支持を仰ぎ、見返りとして大金が入る。正当な形で税金として入ったところで、日本経済が潤えば、公務員全般の給料にも、福祉のための費用にもなるのだ。一見、何の問題もないように見える。けれども、その後ろに社会から葬られていく人々が必ず居る。コロナの療養死もそうだ。すべての人が同じ医療を受けているわけではない。療養死の裏で、軽症であっても手厚い医療を受けることのできる人が必ず存在する。私は、今まで、この偏った資本主義を民主主義だと勘違いしていた。嫌いな政治経済の勉強を拒んで知ろうとしなかったからだ。知ることから、すべてが始まっていく。コロナ禍は、私にとって「知ること」「考えること」「工夫すること」をおしえてくれた。政治経済の知識が全く無くて、興味すらなかった私に勉強の機会を与えてくれた。それこそが、コロナに遭遇している理由かもしれない。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年09月08日
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古着屋さんで、古いギフトのハンカチを見つけた。5色であざやかだったけど、ただ一枚、白色に茶系のシミが…白だから目立つ。玉ねぎの皮で綺麗に染まるらしいことは聞いたことがある。玉ねぎの調理のついでにに皮を鍋に入れた。水と塩を適当に入れて、しばらくグツグツとしながら箸で混ぜた。少しの煮汁と一緒にハンカチを別のボールに移して、水少量と酢を適当に落として混ぜた。塩が混ざってると、色止めの効果も落ちるかと思い、水をもう少し入れて、絞って、濃いめの酢水につけて放置したのち、絞って一旦干した。翌朝、洗ってみたけど、色は落ちないし、色鮮やかに染まっていた。きちんと準備すれば、かえって面倒な時がある。その場の思いつきで動くと、そこら辺にあるもので適当に、そして、ダメ元でって思えるので、楽にできる。ところで、もうすぐ、インフルエンザの季節がやってきます。インフルエンザワクチンは、昨年よりは供給量が少ないらしいのです。とは言っても、型の予想が当たらなければ、無いのも同然。それよりも、このままでは受診が危ういかもしれない。インフルエンザ予防のためにも、これからも季節、きちんと感染対策をするのが一番でしょうね。コロナかもしれないと予測して、風邪藥もどちらにも安全なものを選んでおいた方がいいかもしれない。体内での貯蔵が難しい、乳酸菌やビタミンは、毎日の食事で少しずつでも取っておく方がいいし、食べ過ぎに気をつけて内臓に負担をかけないことも感染の予防になる。私のように、1缶のビールやカクテルで胃を痛めて、それが腸に響いて風邪を引くという体質の人は、やっぱり、お酒はやめた方が無難かもしれない。女の人は、月経前後が要注意。抵抗力が弱まるそうだ。それまでに、コロナが5類に変更になれば、受診に悩まなくていいのにと思う。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年09月07日
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*まさにこの一年半、野戦病院のような状態で、自宅の医院の横でテントを張ってコロナ患者を診てこられた。だからこそ、一言一句に説得力を感じる。産経新聞記事今、逼迫しているのは、医療が最後の砦だからだ。重症化を待って治療するのではなく、最初の砦という開業医のもとで重症化を防ぐべきだ。光がすぐそこにあるのに、政治が邪魔をする。そこにあるのは、様々な人々の思惑だ。どんなにしがみつこうとも、結局、自国を守れるのは、自国民だ。簡単にl見捨てられたアフガンの兵士たちは自国を守るために今も戦っている。脱炭素、ワクチン、自動運転、デジタル化、ゲノム編集、他国の望みをすべて叶えて、必死でしがみついたところで、いずれ終わりが来る。アフガンは日本の未来でもある。目の前に医者がいて、扉がそこに開いていても、診てもらうことすらできない。5類ではないインフルエンザだからだ。たったそれだけのことなのに、黙って重症化するのを待てという。待たなければ、また元気に暮らせたはずの人々の命が無駄にl消えていく。日本を守るのは、日本なのだ。コロナ患者を純粋に救うために、寝食忘れて生きている人もいる。政治家も純粋に国民人のためを思って欲しいと思う。愛ある声を聞いて、本気で応えて欲しいと思う。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年09月06日
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秋が足早に近づいている。夏の暑さに耐えきれず、ミニトマトは数個の実をつけたきりで、花はどんどん咲くのに落ちてばかりだった。ところが、今になって…二つ見つけた!こんな足元にも、また二つ。これから赤く色づくかはわからないけど、嬉しいものだ。過ごしやすい気候になってきたので、やっと、裏の草引きができた。ところが、雑草の種類が大幅に変わっている。一番蔓延っている草は、今まであまり見かけないものだった。毎年、手を焼いていたはずのドクダミは弱々しい葉があるだけ。「背高秋の麒麟草も見かけなくなったね。」と裏の奥さんが仰った。確かに昔はアレにも手を焼いていた。ところで、今年になって蚊が異様に黒くてしつこい。以前の蚊を見かけなくなった。そういえば、ゴキブリも随分強くなった。以前なら、手作りのホウ酸団子で充分だったのに、今年はコンバットさえ怪しい。小さなゴキブリを見かけると、いったい何匹の子供が成長し始めているのかと思う。もう夏は終わるのに…どちらも、殺虫剤に対する耐性種なのだろう…1980年代の終わりだったと思う。耐性ブドウ球菌の発現で、院内感染の恐怖に晒された。抗生物質乱用が原因だと言われている耐性菌は、あれから、どんどん増えていった。コロナの変異株、デルタ株には、さらに変異が進んだ+1から+4までの4種類があるそうだ。トルコでは、+3が確認されたらしい。これらは、人間に感染することでできるらしい。ワクチン、カクテル抗体と言った、コロナと闘うためのアイテムが耐性的なコロナを生み出すことはないのだろうか…この世で生きる目的はみんな、種の保存のはず。生きながらえるための努力は人間に限ったことではないはずだ。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活t
2021年09月05日
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木村盛代氏のTwitterの発言を追うようになって日は浅いけれど、毎回、その賢明さに驚いている。なぜなら、この方の発言は、専門の医学に留まらず、日本経済のことに及んでも的を得ているからだ。今回もデータについての効率的な提案である。地方自治体が独自にこんな意見を柔軟に取り入れていけば、問題解決の早道になるんじゃないかと思う。形式的なデジタルにこだわるよりも前に、デジタルのソフトの部分からどんどん活用していけば、デジタル化されていないこともスムーズにに運ぶのではないかと思う。世の中で起こることも人も、何一つ不要なものがないはずだ。それが自然の摂理だと思う。ここからは少し別の話だけれど…難聴の女の子が、歩道で事故に遭って亡くなった。障害者だから、慰謝料は安くなるらしい。生涯における収入が少ないから、損失も少ないということで…人の命の値段が人によって違うというのだ。命の重さが人によって違うというのだ。たとえば、家庭の大黒柱を事故で失ったから、家族の生活が困るとか、そういうことなら、実際の収入に見合った分を、命の値段とは別に上乗せ分にすればいいのではないか。実際に交通事故で怪我をした時は、そういうことになっている。今の法律では、障害の程度によってそういうことが起こるらしいし、おそらく、専業主婦や老人の場合ももっと安くなるということなのだろう。命の値段が将来的な収入によって変わる世の中って、果たして正常なのだろうか…既存のものが正しいと考えることに、疑問を持ち始めている。SDGsも、最も身近なところでこぼれ落ちる人が続出してる。ワクチン未接種を理由に切迫早産での受診を断られ、流産した妊婦もそうだ。ワクチンパスポート自体が、ワクチン拒否者だけでなく、他の理由で未接種で取り残される人への制裁になるだろう。未接種の国へのワクチンの無料提供を拒んだ製薬会社も、三回目の平気で接種を平気で決行する先進国も、すでに途上国を見捨てている。パラリンピック会場で起こった自動運転の事故は、障害者の集団に遭遇するという認識が元々ないらしい。それでも、何事もなかったように自動運転が再開された。何のためのSDGsだろうか…SDGsによって、多くの経済的利益を得る人たちが存在していることだけは確かだ。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年09月04日
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石破氏が野党どうよう、今回、コロナ対策を議論する国会を望んでいたが結局、開かれなかった。石破氏のコロナを5類へ変更すべきだという考えは、安倍前首相にもあったようだ。インフルエンザの治療薬タミフルができてからもそう日は浅くない。それまで、私たちはインフルエンザとも日常的に共存していたのだ。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年09月01日
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政府分科会の尾身茂氏が理事長の公的機関の病院が、コロナ補助金ぼったくりという記事を見つけた。今朝、朝刊にいきなり、人口10万人中のコロナ新規感染者が、東京を上回ったという記事が出た。普段は人数のみの発表だった。(何か理由があるはず…)そう思っていたら、今度は、コロナ病床が逼迫のはずの東京都で、コロナ専用病床の空きがあるという。しかも、空き病床には、当然、補助金が支払われているという。大阪に目を向けさせるための、統計操作だったのか…⁉︎いずれにしても、空きがあって、入院できない人がいて、全く理解できない話だと思う。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年09月01日
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山中教授の6年前の卒業スピーチをYouTube で偶然見つけた。手術が下手だと言われ、ジャマナカと呼ばれていたことは聞いたことがあったが、その期間が二年間ずっとだったというだけで驚くが、それだけではなかった。卒業生の真剣な表情が映像に映し出されていたが、私も同じように真剣かつ大笑いもしながら聴き入ってしまった。主人が会社を辞めることになった時に、会社の先輩が贈ってくださった故事でもあるけれど、長い人生の間には、常に存在するものであると思えば勇気づけられる言葉だ。経験から生まれた、山中教授の一言一句が人生を楽しむ術を教えてくれた。ほぼ同年代の山中教授を褒めると、「じゃあ、山中教授と結婚せーよ!」と言われてしまいました(笑) にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年08月31日
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以前、大阪商業大学の朝活に参加したことがある。谷岡学長の講義で目から鱗だと思ったのが、統計の話だった。話の上では理解していても、実際に遭遇する機会は少ない。興味のある事柄なければならない。そんなとき、コロナ感染が数字で伝えられるようになった。最初に思ったのは、世界の感染者数だ。それぞれの国によって人口は違うのに、換算されていない。2020年の世界の人口を見ていくと、日本 1億2500万人アメリカ 3億3100万人 2.648倍イギリス 6790万人 0.543倍フランス 6530万人 0.522倍ドイツ 8380万人 0.670倍8/30の新聞紙上での感染者数は。日本 145万9319人アメリカ 3876万 548人 イギリス 672万9919人フランス 681万3516人ドイツ 393万3585人日本の人口に換算すると、日本 145万9319人に対して、アメリカ 1463万7669人イギリス 1239万3957人フランス 1305万2712人ドイツ 587万1022人 になる。換算してみて初めて、欧米でも少ないドイツで日本の4倍以上、アメリカでは10倍以上であることがわかる。アメリカに至っては、死者数が日本の15倍になっている。そして、欧米はもう経済活動は正常化しているらしいのだ…??統計の面白さと同様に言葉の表現も面白い。たとえば、新聞の解説に出ていた「ワクチンの効果は減少するけれど、すぐにゼロになるわけではない。」もそうだ。書く人の意図や動揺は、言葉の端々に出てしまう。嘘がつけない人の言い訳に似ていて、その人の人間性が出ていて微笑ましい時もある。ips細胞の山中教授のコメントもそうだ。本当に実直な人だなあと思う。統計は、市場操作などにつかわれることが多いけど、言葉はもっと奥い。新聞記事一つに堂々と書くことが許されない記者の気持ちが言葉の中に見え隠れするとき、記者の苦悩が垣間見えたりする。 今、プロになるほど、表現の自由は難しくなっているようだ。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年08月30日
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今朝、すべての痛みが嘘のように消えた。少し前に、順天堂大学の小林先生の自律神経の本を読んだのも良かった。図書館で予本だったが、タイミングよく入ったのdr主人に借りて来てもらった。深呼吸を意識しすぎると、かえって緊張してしまうので、ゆっくり動くことを優先することを優先した。今朝、久しぶりに買い物に行った。食材がほぼなかったので、買い物の量も半端ない。買い物袋を抱えて、自転車に載せるだけで腰痛に襲われた。周りの視線よりも、今は歪みをとることだ。そう思って、ゆっくり深呼吸すると、自然治癒力が働き出す。周りから見れば、おかしな人だろうが、構わず身体が揺れるのに任せてスッキリしてから家に帰った。明石家さんまがワクチン接種しない理由を主人が教えてくれた。今までに感染症にかかったことがない。ワクチン接種で、この丈夫な身体の体質が変わるようなことがあったら嫌だから。おそらく、飢餓体質なのだと思う。うちの娘と息子は、生まれながらにして飢餓体質だ。出産時の体重が2500g前後なのだ。娘の場合、昔なら未熟児として保育器に入るはずだったが、元気なので要らないと言われた。あの頃、低体重児と呼ばれる子供達が結構、多く生まれた。二人とも少食で大きくならないので無理に食べさせようとすることも多かった。もう成長してからだったが、市民講座で農学部の恩師の講座を受けたことがある。その時、そういう子供のことをおっしゃって、たくさん食べると逆に糖尿病になることを知った。成人した今も一食抜けても苦にならないという。私が食べ過ぎる方なので、お腹が空いたら水を飲めばいいとアドバイスしてくれる。今回の不調で飢餓状態で自然治癒力がよく働くことがわかった。コロナ菌も生存のために変異株となっていく。変異株はどんどん弱くなるのが常らしい。人の自然感染による免疫抗体は日々強くなって変異株にも柔軟に対応できるらしい。世の中の戦争は、人為的なものだ。菌と人も同じだろう。戦争ではなく共に恩恵を与えあうはずなのだ。「シンゴジラ」で見た映像がまた浮かぶ。この世界から争いが消えることが理想のはずだ。食品ロスを減らすのもそうだけれど、食べ過ぎないことも、世界の飢餓を救うという。現に、今、アフガニスタンの難民の飢餓状態はひどいものだったようだ。飢餓体質の子供とコロナ…変わりゆく世界に順応するように現れたような気がしてる。発酵食品を作り始めた若い世代の生き方もそうだろう。近所の高齢者は、みんな元気だ。戦争での飢餓経験と発酵食品の恩恵かもしれないと思う。ワクチン接種のおかげで外出を気にしなくて良い人が増えて、自然に吸い込む菌の量も増えているはずで、少しずつ自然抗体も増やしているのかもしれない。コロナの先にある共存の世界が微かに見え始めたらいいなと密かに願っている。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年08月29日
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大木提言ずっと疑問に思っていたことだが、安倍政権から交代後、なぜコロナ感染対策がおかしな方向へ向かい出したのか…そもそも安倍首相はウィズコロナ政策で経済も停滞させることなく、医療逼迫も起こらないことを目指していたそうです。そういえば、最初の緊急事態宣言も政府側の提案ではなかったはず…今の問題点が首相交代後で、中川会長の名が全国に知れ渡った日本医師会と尾身先生で有名な分科会にあることだけは、はっきりわかる。日本医師会は、医療逼迫を叫んでいるだけで、コロナ感染の治療に当たっている医療従事者とは全く関係ないらしいのです。そして、日本医師会がコロナの受け入れを承諾すれば、医療逼迫も起こらず、重症者も安心して入院できるそうです。今も日本にはドラマ赤ひげやJINのような町医者は存在する。コロナの治療に当たっておられる長尾医院や九州から破綻して公立病院が無くなった夕張市へ移られた森田医師もそうだ。その一方で、生活習慣病患者に薬を与え続けるばかりで、マイナスになる感染病に関わらないようにしている大多数の医療機関がある。大木提言(慈恵医大外科学講座・教授・統括責任者 コロナ対策・院長特別補佐 大木隆生(Takohki@msn.com)) にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年08月28日
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コロナかもしれない全身の痛みと微熱が出てから8日が過ぎた。葛根湯を飲み始めてから6日目の夜には、熱も6度代の後半になった。今朝は、少しでも走って汗をかこうかと思って起きたが、そこまでの回復ではなかった。近所の開業医に娘を診てもらった時に、「熱が下がっても火事の火消しと同じだから…」と毎回のように言われていた。少し楽になるとじっとしていられないのだが、もうしばらく我慢することにした。元々、熱に鈍感なので風邪を引いていても気づかず、なんとなく身体がしんどいような…と思いながら動いていることの方が多い。コロナ感染疑惑を持つことで自己管理できたようなものだ。少し前から昼食時刻を午後2時ごろにして、おにぎり一個で軽く済ませるようにしていた。朝晩は粗食ながら、栄養のバランスは気をつけているし、ぬか漬けと味噌汁は必ず食べている。今回は買い物にも行けないし、時々、必要なものは主人に頼むのだが、食材を頼んでも夜になって調理できる状態かもわからない。出来るだけ、買い置きで済ますことにした。そうすると、乾物中心になり、漬け物も野菜の補給には一番楽だったので、いつもよりも多く食べた。腸は第2の脳だとも言われているが、菌の状態が明確ににわかる。善玉菌が優勢なのか悪玉菌が優勢なのかが、トイレの臭いでわかるのだ。昨夜から今朝までは、善玉菌と悪玉菌が拮抗し合っていたようだ。無臭だったのだ。今夜になって、やや善玉菌が優勢になったとおもった。やはり、熱も平熱に戻っていた。左耳の耳たぶの痛みも引いた。背中とl腰の痛みがあともう少しというところだ。最近になって、整体が勝手に始まるようになっている。寝転んで丹田呼吸をしていると、身体が動き出して歪みを矯正し出すのだ。自然治癒力の為せることだと思うけれど、昼食までの空腹状態の時が有効に働くようだ。インフルエンザの高熱で食べられなくなるのも、ひょっとしたら身体が自然治癒のために飢餓状態を作り出そうとするためなのかもしれない。症状が軽いわりには、回復までの期間が長いのでコロナなのかもしれないけれど、この間に痛んだ箇所は元々歪みのあるところばかりだったようだ。毎日、1時間以上の整体のお陰で、普段から辛かった箇所が楽になってきた。菌の研究者は、必ず、共存という言葉を使われるが、どんな菌からも恩恵を受けているのかもしれない。不調になる少し前から、漬け物も発酵臭が変わってきて、乳酸発酵に戻すの手間どった。結局、いつもよりも大量に食べて新しいものを漬けること、にんにくも漬けては食べして新しいものを入れ、ゴボウも毎日漬けることにし、糠も少しずつ加えていった。おそらく、私の身体の菌が悪玉菌だったのではないかと思う。発酵食品とよく言われるが、すべては菌の恩恵だ。数字にも、電気にも、プラスマイナスがあるように、世の中は2極で成り立っている。 結局は、中庸なのだ。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年08月27日
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10年以上飲み続けた薬をやめてから、もう6、7年が過ぎた。飲み始めたら、一生飲むしかない薬だ。けれど、ある時、血栓ができる副作用のリスクを知った。親切な先生だったが、治療と副作用は切り離すことが現代医学の常識だと知った。薬を止めるという選択肢が先生には無い以上、自分で解決するしかないと思った。禁断症状の出る薬だったので、先生には黙って少しずつ減らし飲まなくなった後も数年通い、症状が安定していることを確認して打ち明けた。再発のリスクと副作用のリスクを天秤に掛けた時、私にとってのリスクのおおきさは副作用の方だった。それ以来、安易に病院へ行くこともなくなった。いつの間に風邪薬を買うことさえ無くなっていた。幸い、仕事が自営業の手伝いなので、体調が悪くてもそれなりに動けばいいというのもあって、自然治癒に任せている。今回、コロナに備えるために、麻黄湯と葛根湯を常備しておこうと思って数年ぶりに薬を買った。コロナにかかっても、ワクチンを打っても、「感染増強」が起こる可能性があると言われている。「感染増強」って、一体どういうことなんだろう…と検索していたら、大阪大学の研究結果にたどり着いた。感染増強抗体の産生が重症化を引き起こしているが、それが検査によって明らかにできるという。そして、感染増強抗体を産生しないワクチンを作ることが可能になるという。また、日本医療開発機構の7/5のプレリリースによれば、コロナ感染した回復者は、軽症、重症の程度にかかわらず、獲得した抗体が、変異株にも交差結合して抗体を作ることが確認され、それが時間の経過とともに強化されていくという。これは、今後のワクチンの開発においても可能らしい。当初は、感染しても抗体はできないと言われていたが、抗体はできるし、変異株にも交差免疫として働くということがわかったのだ。私のコロナなのかわからないような弱い症状もひょっとしたら、当初のコロナ感染で獲得した抗体のお陰かもしれない。あの頃、同じような不調が何度かあった。あの頃は、インフルエンザの抗体がコロナに対する交差免疫抗体になっているのかもしれないと言われていた。自然治癒力って、すごいなと思う。日本の医学もまた日進月歩で、治療薬もワクチンも研究がどんどん進んでいるようだ。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年08月26日
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「あんたの声、熱出す前はもっと綺麗な声やったのに、熱だしてから声かわったんや。」子供の頃、母にそう言われたことがある。私は子供の頃から、年中、痰が絡みやすく特に夏場は、鼻と喉の間に痰が絡んで息苦しいときがあったので、水泳の時間がつらかった。やはり、子供の頃から両耳には耳鳴りがある。原因は知らない。知ろうと思ったこともなかった。ただ、不思議に思うことがあった。風邪の前触れがわかるのだ。耳の中が痒くなるからだ。ところが・・数週間ほど前、突然、左耳に空気が通るような感覚を覚えた。その少し前から外部の音が大きく聞こえるので気になっていた。そして、左耳の耳鳴りがいつのまにか消えていることに気づいた。音が大きく聞こえると思ったのは、もともと聞こえにくかったからのようだ。今、左だけが良く聞こえるため、どの音も左から発せられているように聞こえる。今、コロナかもしれない症状が一週間以上続いている。コロナの後遺症が色々語られるようになり、その中のいくつかはインフルエンザや熱中症でも起こると聞く。罹患後の自律神経の乱れが原因のものもあるようだ。そんなことから、耳の痒みはインフルエンザの際の中耳炎の痕跡ではないかと思い始めた。20年以上前に、母が肺のレントゲンに影が見つかった際、過去の肺炎の痕跡だとわかったことも思い出した。症状が軽いので病院にも行っていなかったようだ。子供の頃、インフルエンザが流行したのでは・・・私が生まれた1960年代に二つの大流行があった。A2型インフルエンザ大流行-同症誘因死亡者2万3000人に(50年前) 1962年(昭和37年)1月~5月この年の届け出患者数47万4723人、直接の死亡者は57年に次ぐ7014人。実際に罹った患者数約1800万人余、肺炎、心臓病などインフルエンザが誘因となった死亡者は約2万3000人余と推定された(62年5月末推定)。(出典:厚生白書昭和37年度版付属資料)インフルエンザ大流行、25万人が発症しピークに(40年前)[追補] 1965年(昭和40年)3月1962年(昭和37年)の29万2708人/月に次いで2番目の3月届け出患者数24万8293人/月を記録した。これは年間届け出数の60.7%に当たっている。またこの年の2番目のピークは翌4月で、同じく11万6766人とまだ流行は静まらなかったことを示している。翌5月はさすがに7247人と少なく流行は終わった。この年の届け出患者数40万9391人と62年に次いでまた40万人台を突破した。直接の死亡者は5021人。62年と同じ率で推計すると実際に罹った患者約1550万人余、インフルエンザが誘因となった死亡者は約1万6500人程度と推定される。(出典:厚生省統計調査部編「昭和40年伝染病及び食中毒統計」痰が絡む症状も数年前に消えていることに気づいた。歴史の中に答えがある。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年08月26日
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自宅で倒れた62歳の男性が、病院が見つからず亡くなった。救急隊員が30もの病院に断られたそうだ。午後9時代に救急車を呼んだのに、受け入れ先の病院が見つかったのは翌日だったという。熱が出たら、コロナが疑われるから…で片付ける。何人かの医師が言われるように、コロナが特別扱いの2類ではなく、5類だったら病院は断ることができなかっただろう。先のコロナ感染の妊婦の場合もそうだった。病院が受け入れてくれれば済む問題だ。ワクチンを接種すれば良い問題にすり替えれば解決できる問題でもない。先頭を切って医師会に働きかけている長尾医師は、開業医として多くのコロナ患者を治療されている。初期であれば、ほとんどが軽症でイベルメクチンで治っていくそうだ。私は何年も前に、この先生の本を読んで町医者としての人間性に感動した。この先生の影響で、東京医師会と大阪医師会が動きだした。開業医がコロナ患者を治療してくれることになったのだ。最近、熱っぽい状態が続いていたので、もしコロナなら早めに漢方薬で治療しようと思い、葛根湯の飲み方をネットで検索していた。ここでも見つけたのだ。コロナを治療してくれる漢方医を!初期の治療をしてもらえなくて困ってる人のためにと、薬局で購入した漢方薬の成分麻黄の使い方と注意点を詳しく記してくれていた。葛根湯を飲み始めて6日目になるが、身体の痛みもほとんど取れかけてきた。北海道のホームページで患者の経験談も読んでみたが、軽症の場合はそれと分からない症状の場合もあるようだった。私もやはり熱っぽいと言っても、7度止まりで先に鼻水が2度。熱のせいか、お腹は張っているけれど、家事は適当にできる。コロナを疑いつつ、薬は選んだけれど、わざわざ、検査に出向いたりすれば、休息も取れず悪化すると思った。こんな時、本当は開業医に診てもらうのが一番なのだと思う。もう亡くなられた近所の開業医が、世間話のように色々なことを教えてくださった。娘には「おじいちゃんの嫌いなものを食べなさい。」と。当時は、意味がわからなかったが、体質が同じだから改善するようにということだったのだろう。「女性は生理前後によく風邪を引く。」これも抵抗力が落ちるということだった。コロナで感じたことは、治療って病気にするんじゃなくて、人にするんだってことだ。一派一絡げに「ワクチン」と叫ばれることに嫌悪感さえ感じてしまう。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年08月25日
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フランスでは今もずっと自由のためのデモが続いているようです。「ワクチンパスポートに反対なんじゃなくて、ワクチンパスポートの義務化に反対なだけ。」そう語る男性の言葉は、とても穏やかなもののようだ。民主主義をずっと自由なものだと思っていた。けれども、日本もコロナの数年前から少しずつ窮屈な世の中になっていってると感じていた。各家庭で決めるべきことまで、条例になっていく。未成年者の外出時間の制限などもそうだ。未成年者に関することで言えば、かなり多くの制限があるように思う。規則を作って制限したところで、人の生き方は変わらない。今、政府がしなければいけないことがあるとしたら、自分で判断できる人を育てる教育なのでは…マスコミに振り回される大人も、他人の目を気にしてしか行動できない大人も。日本の教育が作り出したものdrはないのか…フランスには、自分で判断できる人たちがいっぱいいる。デモの人数はどんどん増えているらしい。自分にとって必要なものが他人にとっても必要なものとは限らない。生き方にはもちょ選択肢があっていいはずだ。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年08月08日
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娘からメールが来た。「ワクチン接種者との接触による感染に気をつけて」と。実際に ワクチン接種者と接触して感染した人がいるらしい。アメリカでも、クラスターの発生は、ほとんどがワクチン接種者だという記事を数日前に新聞で読んだばかりだ。ワクチンを接種したという安心感が先に立つのだろう。ワクチンイコール万能のような図式が、行動を大胆にさせるのかしれない。ワクチン接種が進むにつれて、感染の脅威が増すことになりそうだ。ワクチン接種者からの感染は、元々、珍しいことでもないらしい。なんとなく、そういう話を耳にしていたので、ずっと、感染対策は怠らないようにしている。娘にも 心配要らないからと伝えておいた。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年08月01日
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フランスのコロナ対策を見ていると、どんどんワクチン接種対策が強制的になって、自由の無い世界の縮図に見えて怖かった。ワクチン接種って、自分自身が決めるべきことなのに、まるで軍国主義の世の中みたいで…とうとう、反発が始まった。16万人の人々が、一斉に動き出し、パリの街はまるで戦場のようだ。フランスだけじゃない。透明人間に強制されているようなワクチン接種の圧力に耐えきれない心は、きっと動き出す。今年、還暦を迎えた私が生まれた60年前にも世界が動く出来事が起こったそうだ。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年07月27日
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フランスのコロナ対策を見ていると、どんどんワクチン接種対策が強制的になって、自由の無い世界の縮図に見えて怖かった。ワクチン接種って、自分自身が決めるべきことなのに、まるで軍国主義の世の中みたいで…とうとう、反発が始まった。16万人の人々が、一斉に動き出し、パリの街はまるで戦場のようだ。フランスだけじゃない。透明人間に強制されているようなワクチン接種の圧力に耐えきれない心は、きっと動き出す。今年、還暦を迎えた私が生まれた60年前にも世界が動く出来事が起こったそうだ。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年07月27日
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あと数日で還暦を迎えるが、赤いちゃんちゃこは着たくない。先日、偶然にも赤い柄のスカートを買ってしまった。30代の焦り、40代記憶力低下、50代の容姿の老化まで、それなりに受け入れることができたのに・・老年期を受け入れる準備は簡単にはいかない。体力の低下、うっかりミスの頻発、有り得ない行動とケガの連続、ど忘れなど、少し前の自分とは明らかに違う自分へと猛スピードで入れ替わっていく。しかしながら、私にはまだ取り戻したい若い日々の時間がある。子供の頃から、派手なものが苦手で選ぶ色はいつも淡い色だった。大学生になってやっと一歩踏み出し、ピンク色に目覚めた。派手な色が決して嫌いだったわけじゃないと気づいたのは、その頃だった。たった4年の自由な日々でもあった。結婚が決まった24歳の夏、一面に真っ赤な柄のあるワンピースを初めて買った。意を決して買った、少し派手めのワンピースだったが・・嬉しそうに見せる私に母は言った。「そんな甘えたみたいな服、〇〇ちゃんにあげ!」結局、一度も着ることはなく、4つ下の妹のものになった。記憶からも消え去ったと思っていた遠い昔の出来事だ。結婚して、度々襲う母の呪縛と姑の顔色伺いから、再び、自由に服を選べない日々が続いた。今、50歳を過ぎて呪縛から解き放たれ、やっと取り戻せた日々の中にいる。偶然にも再び、赤い柄の服を選んでいたのだ。手元に置いてはみたものの、遠い記憶が甦り、私を後退りさせていた。紺色のスポーティなトップスを組み合わせるなど、抑える方法を思案していた。瞬間に、閃いたのだ!還暦なんだから、堂々と赤色を着よう!落ち着いた服を・・なんて、また還暦からの呪縛を自分にかけてしまいそうだった自分がいたのだ!年相応なんて、いったい誰が決めたんだ!私達は、いつだって自由なはずなんだ! にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年07月07日
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この場所には、過ぎ去りし日々のたくさんの思い出が詰まっている。この季節がやってくるといつも眠りが浅くなる。そして、ここウェスティン大阪に来ると、落ち着くし、よく眠れてしまう。アマデウスでの朝食は、食事の美味しさ、吹き抜けの明るさ、そして、中自然の庭を満喫できる。生憎の雨で、庭の紫陽花はいっそう鮮やかさを増していた。ひと気のない朝の滝見小路で、レトロな出合いもゆっくりと…雨篭りをしたり、歌って踊ったり、幼馴染みと過ごした日々を思い出す。雨が止んだ庭を散策する。きっと、ヨンハくんも…そんな風に感じることが、私自身を優しく包むきっかけにもなる。忘れかけていた大事な何かを取り戻すことができる。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年06月22日
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いつものパンを焼こうと思った。食パンのレシピを自由に変えて、様々なものを入れていくパンだ。今日は、そこに卵を一つ足してみた。卵の分は、いつもの水分量から引き算だ。食パンのレシピ通りなら、フランス生まれのブリオッシュになるのだけれどたった一個の卵が、パンの表面をパリッとさせてくれるし、ケーキのスポンジみたいな感触も与えてくれる。たった一個の卵が、全く別のパンを作り出してくれるのだ。卵の魔法に感激して、その味をしめた私は…夕食にも一個の卵を使うことにした。(骨を抜いて塩麹に漬けておいた)サゴシのピカタだ。卵液は使い切りたいので、三度豆、ズッキーニ、しいたけ、エリンギも仲間に加えた。卵液には、コショウと粉チーズを入れておいた。小麦粉に少量の片栗粉を混ぜて、ビニール袋に入れておいた。フライパンに油を敷いて温めている間に、サゴシ(サワラ)に粉をまぶし、卵液をくぐらせてフライパンに乗せる。同時に火加減を弱火にし、タイマーを5分にセット。次にズッキーニを同じように乗せ、次は三度豆を、次はエリンギを、次はシイタケを…と乗せていく。ほぼ5分くらいたった頃、サゴシの片面がパリッと焼けているので、裏返すし、タイマーを5分でセットする。乗せた順に裏返していき、焼き終えたら取り出す。あとは、ケチャップをつけて食べるだけ。サゴシのふんわり感もさる事ながら、三度豆の感触に感動した。カラッと揚がった天ぷらのようで、油は吸っていないのでサラッとしてヘルシーでもある。料理をしていると、手間の魔法がよくある。鶏肉に、ハーブミックスをかける。蓋をせずに両面を焼く。このふた手間もそうだ。蓋をすれば早いけど、表面がパリッとはしないので全く違う味になってしまう。だから、料理は面白いのだ。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年06月16日
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紫の大きな花が咲いた。少し遅れた母の日のプレゼントだ。緊急事態宣言の最中ということもあり、玄関先でこの花の名前シコンノボタンを画像で見せて帰って行った。初めて咲きかけた日、開ききる寸前で花が落ちていた。その時は、蕾の形状が確かに猫が好みそうなものなので猫が猫じゃらしにしていたようだ。幸い、強烈な匂いの香水を付けておいたら来なくなったようだ。そして、次の蕾も開きかけた。その日は、用心して家の中に入れた。けれども、今度は家の中で起ってしまったのだ…数分前に「初めて咲いた。」と、息子に画像を送ったばかりだったのに…つまりは、主人が引っ掛けて気付かず…スリッパ事件で始まった結婚だが…まだまだあった。結婚前、遊園地に着いたら、買ったばかりの靴を左右色違いで履いていた。玄関の靴や草履は、端っこに置かない限り、踏ん付けるのは日常茶飯事。そういうことは回避できるよう、常に配置には気を配っている。今回も予測済みで端っこに置いたのだが甘かったやっと咲かせた花だったので、流石にショックで息子にメールした。そして、「花は摘んだ方がたくさん咲くらしいよ。」と慰められた。息子の言葉通り、今はどんどん咲いている。交互に、左右対称に咲くようだ。そして、夜中の大雨で再び…これが自然の本来の姿なのだ…いろんな出来事がとても些細なことに過ぎなかったのだ… にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活?
2021年06月14日
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警察に電話する前に、駐輪場で証拠写真を撮っていたら、主人が興奮気味に呼んでいる。蝶は苦手だけれど、初めての出来事に恐る恐る近づいて写真に収めた。薄緑に見えているのが蛹だ。今朝、水遣りをしようと駐輪場に来たら、猫の餌のようなものが自転車の下に置かれている。門も駐輪場の扉も、夜間は締めているから侵入者は間違いない。これだけのことなら、誰かが猫に餌…で済むのだが…この数日前、玄関前にこの餌らしきものの吐瀉物が落ちていた。その時は、主人がただの吐瀉物として処理ぢていた。そして、さらに…私が、ずっと前の出来事思い出した。やはり、吐瀉物がゴミ箱の前に落ちていた。この時の物も、この餌の形状が崩れたものだった。ひょっとして、餌に毒物??!ミステリーも読み過ぎ?でもでも、新聞で見る殺人事件にも、最初は小さな出来事だと警察も気に留めていなくて、あの時、だから相談していたのに…っていうこともよくあるし…ストーカー殺人事件もかなりの頻度でそういう話になっている。だから、このあと、猫の連続死事件が発生するかもしれない…そういえば、前に猫の連続虐待死みたいな事件もあった。あの時も、最初は小さな出来事で気にとめられていなかった。無いに越したことはないけれど…という訳で、警察に連絡することにしたのだ。それにしても、鍵はなくても、閉まっている門や扉を開けてまで侵入すること自体が怖いことでもある。とりあえず、門にも扉にも施錠することにした。黒澤明監督の映画「クリーピー偽りのの隣人」なんて、決して架空のものと言い切れない怖さが今はある。そんな世の中でも、蝶は華麗に孵化していくのだ。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活p
2021年06月12日
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食べるだけのつもりで戻った主人ですが・・・まだ、この状態です・・・この日の材料は・・ 小さめの剣先いか、きのこ色々、玉ねぎ、にんじん、ピーマン、しし唐、青梗菜、干しシイタケ、ショウガ、昆布、塩、コショウ、みりん、酢、水溶き片栗粉(大さじ1の片栗粉を大さじ1の水で溶いたもの)そして、今回は、主人が鶏がらスープの素を買っていたので、使ってみようと思います。① 200ccの水に鶏がらスープの素、みりん大さじ2、酢大さじ2を入れて味見して、塩、こしょうで調整。ここに、手で裂いたきのこ色々を入れておく。② 次に、イカを一口大に切る。③ ①を沸騰させてイカを入れ、サッと煮たら、イカとキノコを網で掬い取る。④ 残った煮汁の中に、小さく切った昆布と干しシイタケを入れておく。⑤ 野菜を切る。 この時、三つのかごに材料を分けて入れていく。 1のかご ショウガは、薄切りしてから、さらに細切り。 2のかご にんじんは、縦二つに切ってから、さらに、縦に薄く切り、最後にまとめて半分の長さに切る。 2のかご 玉ねぎは、くし状に切る。 3のかご ピーマンは縦切り、しし唐は横切り。 青梗菜は、3のかご 葉っぱをまとめて切り取り、洗ってから横切り。 2のかご 茎は一つずつ手で離してから洗い、縦半分か三分の一に切る。 ⑥ フライパンに油を塗ってから、ごま油を少量入れたら、1のかごのしょうがを入れてから、火をつける。⑦ しょうがの香りが出たら、強火にして2のかごの野菜を炒め、軽く塩、コショウを振り、 ほぼ火が通ったら、3のかごの野菜を加えてさっと炒める。⑧ ④の煮汁を入れ、沸騰したら,③で掬い取ったいかときのこを入れる。⑨ いったん弱火にして、水溶き片栗粉を入れてゆっくりまぜながら火を強めて仕上げる。剣先いかは、たまたま見つけて、前日に酢味噌で食べた残りです。今回、初めて使いました。茹でるとプリプリして、いい出しが出るので、炒めずに茹でることにしました。ゆで汁用に煮干しや削り節、干しエビ、するめなどの入った出し汁を用意しておけば、鶏がらスープの素は無くてもよいと思います。禅の中華料理では、昆布と色々なキノコだけでスープを作るらしいのです。マイタケを干しておくと、独特の風味が出て中華出しを作るのに便利です。豚でも同じような使い方をすると、素に頼らなくても美味しいスープが取れるのでは…と思います。 青梗菜の茎は縦切りにした方が火の通りも良く、美味しいので、手間に思えてもお勧めです。 実際、葉っぱを先に切り取ること、茎を根元から包丁ではなく手ではずすことで、処理が早くできるので、負担にはなりません。元々、仕事で遅くなった時、時短するために思いついたことですから。かご分けもそうですが、作業を一旦分解してみることで処理が明確になり、動作が速くなることがよくあります。禅で言うところの、今ココに集中できるのです。実際に、料理初心者の主人(一月半ばから、味噌汁と炒めものを中心に昼ごはんを作ってもらっていた。)も作り始めてから食べ始めるまで30分でした。時間に追われて料理するから、意外な発見があって、心のリフレッシュに一役買ってくれるってこともある。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活E
2021年06月10日
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ミニチュア大好きの私にとって、この出合いは衝撃的だった。「テントみたいなフードカバー」眺めているだけでも、心が満たされる。アウトドア用として考案されているので、機能性も抜群。食卓にもちょうどいい大きさだ。さらに、収納袋も付いていて、錘も一緒に収納できる。詳しい形状と使い方は、こちらフードケース代わりにも使っていた電子レンジを買い替えたのを機にフードカバーを探していた。不織布の安価なものがあるのだが・・・最近、不織布を使った衣装ケースのカバーが粉みじんになって零れ落ちたりしていたので、気が進まなかった。そんな時に見つけたものだ蒸れないように窓を開けることもできるし、虫の入りそうな隙間もできない。扉を開いてカーテンのように固定することもできるので、食べ物の出し入れもしやすい。錘が付いているので、風のある日も安心だ。傘みたいに袋に収納できるので、ホコリで汚れてしまうのも防げる。これを作っている会社が、商品の企画を持ち込んでも製作してくれるらしいことを知って、ワクワクしてる。そういう会社があるということが、明日への希望に繋がっていくように思うのだ。テントの中をのぞいてみると・・・カーテンを開いて、さあ、どうぞ・・・ にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年06月05日
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昨夜の食べ過ぎもあって、胃に優しく、栄養もあるものを。時間もかけたくない。そんな時に作った朝食です。材料は、冷ご飯、麦茶、いりこ、かつお節、きのこ色々、乾燥わかめ、水煮大豆、トマト、キャベツ、ニラ、卵。土鍋に材料を入れて煮立てば、卵を回しかけて蓋をして火を消せばいい。すぐに混ぜて食べてもいいけれど、30分くらいおいた方が、味がなじんで美味しい。キャベツを切るのが面倒なら、手でちぎって小さくすればいい。ニラもハサミで切ればいい。トマトもミニトマト丸ごとでもいい。きのこは、もともと、手で割くほうがいい。麦茶で無くてもいいけれど、ビタミンB1を補えるという利点はある。黒豆や小豆はもとのご飯に入っていたものだ。材料の準備と煮る時間を合わせても15分もあれば充分だと思う。煮立ててる間に、横でコーヒーを沸かしたり、毎朝飲むヨーグルトを作ったりしているので、実際は材料の準備と器に入れる時間で済む。キノコは、ほぐしたものをかごに入れて冷蔵庫で保存している。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年06月04日
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12時に事務所から戻った主人に、まず、材料を見せた。1月から、主人に味噌汁や野菜炒めを毎日のように作ってもらっていたので、基本的なことができるようになった。これからは、時々、ゲリラ的に料理教室を兼ねて新しい料理を覚えてもらおうとと思いついた。 第一回目は、 お好み焼き風の卵焼きだ。材料はキノコ色々、長芋(酢水につけている。)、卵、キャベツ2枚、お好み焼き用の粉カツオ(使うのは一振り)ジャガイモ、ちりめんじゃこ、納豆のだし醤油、ニラ そして、順番に指示を出す。まずは、卵を溶いて、長芋を洗って拭いてすりおろし、ジャガイモをナイロンたわしで洗ってすりおろす。次に、キャベツを大まかに切ってから、重ねて揃えて細く切って、少しずつ束ねて方向を縦に変え、みじん切りにする。ニラは大きく二つに切って、まずは、茎の方から短く切っていく。全ての材料を混ぜる。ここで、少しだけ、片栗粉を入れる。硬さによっては多めに。小麦粉でも米粉でも、おからパウダーでもかまわない。フライパンに油を敷いたら、強火で温めて、生地を入れたら弱火の強めにして蓋をして5分。次に裏返して、また5分。蓋を取った方がパリッと仕上がる。裏返す方法は、フライパンに入る大きな皿をフライパンの中の生地に被せ一旦皿の上に生地を載せて、再び、フライパンの上に滑らせる。以前、料理番組で知った方法だけてど、失敗が無いので助かる。納豆の出汁醤油が入っているので、そのままでもいいし、お好み焼きのようにしてもいいし、だし醤油で食べてもいい。材料を先に並べて処理ぢていくと、初心者でも作りやすくなる。卵もう一つと小麦粉を加えればお好み焼きにもできる。一人で食べ物に困ったら、一度に栄養補給できるので是非作って欲しいと思う。ちりめんじゃこは保存に困ったら、ペットボトルに入れて冷凍保存しておくと、必要な分だけ振り出して使える。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年06月01日
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昨年は陽に当ててしまい、花が緑色になるという残念なことになった。今年は、昼は玄関脇に、夕方からはおもてに、水を切らさないように…と細心の注意を払ってやっとここまでという感じだ。息子が昨年の母の日にくれたものだ。「ちょっと変わってて、綺麗やろう。」と言っていたのに、日向に置いてしまい、みるみるうちに緑になってしまったのだ。忘れっぽい私なので、まだまだ油断できないのだけれど… ミニバラなのだけれど、今年の花は大きかった。これも何年か前の母の日にもらったものだ。今年緊急事態宣言が長引くので、長らく息子にも会っていない。花をくれるようになったきっかけは、学生時代のスーパーのバイトの深夜責任者の方影響だった。母の日に奥さんに花をプレゼントするという話を聞いて…隣にある事務所の庭には、サツキが色々咲いている。赤い大輪のサツキは、数年ぶりに咲いたものだ。諦めなけれ、花もまた咲くってことを今年はいっぱい感じてる。花の好きな息子が、花の好きな私に花をくれる。花を通して気持ちをもらっているような温かさを感じてる。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年05月30日
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この数年間、毎朝走っているコースには色々な花が咲いている。デジカメを持って歩くと、種類の多さに気づく。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年05月30日
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梅雨入りが早いのと同じように、食べ物の旬もどんどん早くなっているような気がします。追いたてられるように、らっきょうも漬けおえたところです。本漬けにすると乳酸発酵ができるというので、今年も2週間塩漬けしました。この時にできる漬け汁を少しだけ、ペットボトルで保存しています。以前にぬか床が変になって困った時に、この漬け汁を加えてやっと回復できたことがあったからです。今年は新玉ねぎを一枚ずつ剥がして、ポリ袋に入れて、この漬け汁を少し入れて漬物を作ってみました。うす塩の甘い漬物になりました。薄切りにして、サラダに混ぜても、炒め物アクセントに使っても美味しいです。そして、傷みやすい新玉ねぎを丸ごと袋に入れて、漬け汁を少量いれて、保存するのにも使っています。表面だけが漬物ものなので、普通に使えます。あるものと無いものは、各家庭によって色々だと思いますが…ブロッコリーをピーナッツ和えみたいにできる食材の代用に思いついたのがきな粉です。白味噌とお酢とハチミツで作った簡単酢味噌にきな粉と少量のすりごま、少量のアマニ油を加えたものをしつこく混ぜてから和えてみました。食材の正体を明かさなければ、ただ美味しいの一言でおわるかと思います。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年05月23日
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「生け花を飾るか?」と聞かれ、飾らないと答える理由が花代の高さにあるらしい。食卓に花があるだけで気分が違ったりするけれど…私が飾るのは高価な花ではない。今朝も花がどんどん開いていくガーベラの蕾を隠していた花を切って小さな花瓶に挿してみた。ガラス工房で、友達と一緒に買った花瓶だ。彼女はその時、折れてしまった庭の花を生けるのだと言っていた。今朝、部屋の窓際で化粧をしていたら、表から話し声が聞こえた。数人のママ友のようだ。「見て。綺麗やろう。」「ホント、タンポポもこんな風にしたら…」乳幼児らしき子供たちが「タンポポ、タンポポ…」としきりに呟いている。(待てよ…この近所にタンポポなんて咲いてたっけ?」そこで漸く気づいた!玄関先にあるコレだ↓彼女たちと同年代の娘にこの話をしたら無反応。主人に話したら、「ガーベラの原種はアフリカのタンポポやからな。」なるほど…私が好きなガーベラの力強さは、雑草本来の強さだったんだ。彼女たちは、先入観の無い真っさらな心だからこそ、本質が見えたのだ。知ることは決してわるいことではないけれど、 真っさらな心の目を失わずに過ごしたいものだ。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年04月25日
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昼食の支度を主人に任せるようになってから、3か月になる。最初は、多少のことは目を瞑ろうと決めていた。けれども…衛生上良くないとか、材料費がかかりすぎるとか、残った食材を雑に保存するとか、同じものばかり作るとか、色々…時とともに不満も増えていくのだ!そんなある日… そんな気持ちを立て直しにかかった。衛生上の問題については、「私は大家族で育ったから多少の菌には強いけど、あなたは都会の核家族だったから心配。」と一言。他は、自分でフォローすることにした。1.食べたいものがある時は、朝に作って一品あることを伝える。2.材料費がかかり過ぎた時は、夕食を粗食にする。3.夕食を保存が悪い食材や中途半端に残った食材を使い切るレシピに変更。困ったことのはずが、2では楽になる。3では斬新なレシピが誕生したりして、次回の状況がワクワクの素になる。そして何よりも、昼食を作ってもらうことがずっと続いていくことだ。主人に「仮病だ。」と言われてもいるけれど…私にとっては、昼食時間が唯一の休憩なのだ。腰痛と脚の痛みの悪化を予防する手立てなのだ。主婦の労働時間は寝る間にも及んだりする。夫婦でお互いの状況を融通し合うことも大切だと思う。娘には何年も言われ続けていたことが、今やっと形になり始めている。現代人は若いと言われている。けれども、身体の変化は昔と変わらずやってくる。進歩したのは医学であって、身体の老化の節目は変わっていない。母と姑の60歳の時の体調の変化が今の私にも起きている。同級生の友人とも同じ話になる。高齢出産で染色体の先天性異常が増えることも同じだ。だから、年齢に合った働き方でいいんじゃないかと思ったりする。寿命が伸びる分、それなりの生き方ができればいいと思ったりもする。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活p
2021年04月17日
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還暦間近になって、様々な身体の変化に戸惑っている。その一つがトイレ事情だ。もともと頻尿で困ることが多かったけれど、それどころじゃなくなることも出てきた。最初は、腹筋が弱くなったのかと思ったけれど、腹筋は強い方し、更に鍛え直したけれど効果がない。そこで思い出した…以前、自彊術を習っていたとき、「小指の側を鍛えなさい。」と先生に言われた。経絡のことだ。足の小指に力を入れて 少しかかとを浮かせて 下腹を持ち上げてみた。少し、改善されてホッとした。クレマチスが大輪の花を咲かせた。初めて花が咲いた日のことを思い出す。咲くまでは、いつも大丈夫かなぁ?とドキドキしてる。長居公園から持ち帰った日から、もう6年も経つというのに…ガーベラは4つの花が咲き揃った。初めてのことだ。蕾が腐ってしまうことが多いし、咲いても虫で汚れてしまう花なのだ。けれども、一度咲いた花は強いのだ。ガーベラを見るたびに、こんな風に強く生きたいと思うのだ。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年04月16日
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仁淀川町の蕨地区にあるくらおう神社の門井宗吉の彫刻が見たくて訪れた。主人の曾祖父に当たる人で、長州大工だった人だ。花桃のきれいな花と澄み渡る青空を背にして神社がひっそりと佇んでいる。境内には、原種と思われる大振りの草花が咲き誇っている。白いタンポポレンゲソウ一番見たかった龍だ。主人も義父も息子も、動物好きで可愛らしいものが好きだ。この龍の映像をネットで見たとき、同じものを持ってるんだと感じた。いたずらっ子のような目をした猫には、遊び心を感じる。鳳凰の表情は素直に見える。そして、緻密な仕事ぶりに感動した。私の祖父と父も丁寧な仕事をする大工だったから・・ にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年04月13日
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ガーベラが咲いた。例年にない暖かさに蕾が早く膨らみ過ぎて、寒の戻りが来るたびにハラハラしたけれど。今年の花は大きい。成長とともに、地にしっかりと足をつけていくところは人と同じようだ。入れ替わるように、咲き誇っていたシクラメンは日ごとに花を落としていく。卒業シーズンと重なるように・・大阪よりは一足早く収穫された長崎の新じゃがと新たまねぎでポテトサラダを作った。ゆでたジャガイモ、ゆで卵、薄切りの玉ねぎ、千切りのにんじん、ゆでたブロッコリー。調味料は、塩、こしょう、酢、オリーブオイル、アマニ油、豆乳ヨーグルト、白みそ、マヨネーズ、レモン汁。少し水分が出始めたころ、乾燥わかめをハサミで小さく切って入れたり、おからパウダーを入れたり。元気が欲しくなったら・・・するめを少しいれてみたり、にんにく卵黄の粉末を入れてみたり・・クセが気になるときは、カレーパウダーをプラスして。盛り付けには、ポテトチップスみたいにパリパリの乾燥玉ねぎを砕いて振りかけて、今、どんどん伸び始めてる日本ハッカの葉っぱもあしらって。大家族だった子供の頃、おかずが一種類ってことは珍しくなかった。初夏の頃はいつも、畑で収穫したばかりのジャガイモが料理のメインになる。煮っころがしとポテトサラダが数日おきで・・大き目のボールよりも大きなタッパーウェアに入ったポテトサラダは、食べ放題になる。私が手伝うのは、まるごと茹でた鍋いっぱいのジャガイモを皮をむく作業だった。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年04月05日
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学生時代から噂に聞いていた京都府立植物園へ初めて行った。枝をいっぱい広げて咲き誇るミツマタを見たのも初めてだったので、心が躍った。鴨の存在が、気持ちを和ませてくれる。チューリップは、曇り空の下でも変わらず色鮮やかだ。一気に満開を迎えた桜の豊満な美しさは、やはり初めて見たように思う。ここの桜は、伸び伸びと惜しげなく咲いているように見えた。川端康成の「古都」に登場するという楠の並木は、樹齢100年近いものもあるらしい。人気の無い夕暮れ時に歩いたら、趣きも違うかもしれない。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年04月02日
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京都府立植物園の温室の植物の多さに驚いた。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年04月02日
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神社の境内では、桜が様々な姿を見せてくれた。新芽の誕生を湛える花びらたち。散りゆく花が、別の木を可愛らしく飾ってる。木の窪みに散った花も 躍動する生命を最後までみせてくれる。神社の鳥居をくぐった時、最初に目についたのが散った花だった。雨に濡れることもなく、踏まれることもなく、そのままで存在する花の美しさにハッとした。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年04月02日
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快晴の大阪城公園は、この日、多くの人で賑わっていたようです。念願だったニューオータニのいちご狩りの前に、人のまばらな川沿いを散歩しました。咲き始めたばかりの桜は、まっさらな薄絹のよう。蕾はまだまだ時を待っている様子。椿の花は今が見頃のような鮮やかさです。ビルと並んでそびえ立つのは、はなもも。子供の頃、いちご狩りは初夏だった。高2の時、プールの授業の後で読んだ英語の教材は「ストロベリーシーズン」だった。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年04月01日
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高校受験の前だった。私は、のんびりした田舎の高校への受験を決めた。けれども、進学校を望む母は、後々の進路が心配だったようだ。あきらめきれない母は、占い師のところへ行った。帰ってきた母に「何て言ってはあった?」と聞いた。母は、「どっちに進もうが道は開けるって。」と言った。「道は開ける!」の一言が、私の人生を変えた!占い師にとっては、無難な言葉だったのかもしれない。けれども、中学三年生の私には、希望の光のように思えた。自分がどんな状況に陥ろうとも必ず希望が持てた。時を経て、その言葉は・・・「道を開く!」に変わっていった。それは、松下幸之助の言葉でもある。一歩でも前進する気持ちがあれば、いつかは進むことができる。還暦を迎える今年、年明けから腰痛と足の痛みで数歩進むことさえ困難になった。(膝痛をやっとの思いで克服したのに、またしても辛いリハビリになる。)と思うと心が萎えた。それでも気を取り直せたのは、これらの言葉に支えられた日々があったからだ。手探りで始めた「正しく歩く」ということから、突破口がみつかるまでに一カ月を要した。けれども、この経験が・・・新しい夢を与えてくれた! にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2021年02月25日
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