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4月24日生まれの皆さん:松本清(マツモトキヨシ)、桂由美、Barbra Streisand、つかこうへい、Jean-Paul GAULTIER、金萬福、嶋田久作、加藤久、山咲千里、田島貴男、大鶴義丹、永田裕志、村上てつや(ゴスペラーズ)、田中マルクス闘莉王、獣神サンダー・ライガー、宮沢氷魚2021/4/23 We are saddened by the news of Leslie McKeown’s death. Our thoughts and prayers are with his wife Peko and his son Jubei, their family and friends. Rest In Peace, Leslie.(Bay City Rollers Official)今日は朝から悲しいショックなお知らせが。一時代を築いたあのベイ シティ ローラーズの声…がその世から旅立ちました。4月20日自宅で息を引き取ったとか。詳しいことはまだ分かりませんが、あまりに突然のことで、脳がフリーズして言葉が出てきません。やっぱりレスリーの死は認めなくてはならない…。(いまだに実感できないけれど)。反響が大きすぎて、新聞社からも連絡があった…。(山本さゆり)まさか、レスリーが……。日本とは特に縁の深いザ・ローラーズでした。若い。若すぎます。こんな時期に…どうぞ、安らかに。。。(湯川れい子)ベイ・シティ・ローラーズのレスリー・マッコーエン追悼。チープ・トリックやクイーンと同様に大の日本びいきだった彼ら。紹介に大きな大きな役割を果たして下さったのは湯川れい子さん@yukawareiko と チャッピーさん@SayuriChappy のお2人。一瞬だけレスリーに成り代わって御礼を。ありがとう!永遠のNO.1ヒット『サタデー・ナイト』は実は制作側のミスで『実際の録音よりも早い再生速度でそのまま発売された』。レスリー『僕達は【これが本当の『サタデー・ナイト』だよ】を発売したかった。ところがその前に【間違った版】が世界中で1位になってしまってね 笑』70年代ベイ・シティ・ローラーズ。来日ライヴ版【ハートで歌おう】最後の1分が100%日本の聴衆だけで歌われる。日本人がこんな長時間を英語だけで表現した事は記録上今も昔もこの瞬間だけ。99%が女性。僕もここに居ました。奇跡の1分。今はもうこんな事不可能だろうなぁ。(中野利樹)現役のロックンローラーで、去年は東京と大阪で来日ライブ、今後もツアーの予定があったレスリー突然の訃報に言葉が出ない。ただいろんな曲がグルグルするばかりなので、2013年に行ったライブツイと、ずっと一緒に歌ってきた曲たちをいくつかアップする。2013/5/7 実家の本棚にあったパンフレット2013/11/12 レスリーがバンドを率いて12月にやって来る。今年はKISSにポール、ヴァン・ヘイレン、ボン・ジョヴィ、ボズと昭和のミュージシャンが続々来日。本当に21世紀?(^^;)2013/12/14 BCRブームだった当時、表向きは馬鹿にして見栄を張ってた隠れファンの男子は多かったみたい。カバーの選曲はナイスセンスだし、メンバーのオリジナルソングも名曲が多いのに、アイドル性ばかりが取り上げられ残念だったなぁと思う。今日、レスリーのライブへ行きます♪ ベイシティローラーズのテーマ18:45 開演前。場内BGMは a〜ha〜アル・ヤンコヴィック〜ネーナ。BCRは流れない( ̄▽ ̄)レスリー夫人のPekoさん(大阪人)も飲物の列に並んでる。以前イベントでお会いしたチャッピー(山本さゆり)さんにご挨拶。19:07 うぃ うぉんと ろーらーずψ(`∇´)ψちゃちゃっちゃちゃっちゃ)なう。バグパイプの音と共にレスリーが登場しそう。19:21 ♪Re~me~mber~レスリー、声がよく出てる。アットホームな雰囲気。アラフィフ女子達の黄色い声。気分はティーンエイジャー Remember(想い出に口づけ)19:26 ♪Be my baby(ロネッツのカバー)レスリー初来日の思い出ソングだとか。20:27 BCR レスリーのステージ終了。アンコール待ちの うぃ〜うぉんと ろーらーず(笛付き)BCR レスリー・マッコーエンライブ@下北沢GARDEN ほぼ定刻スタート、16曲+アンコール2曲で1時間40分。セトリの何曲かは会場最後列で歌いながらツイった。10代の頃行った武道館ライブでも二階最後列。今日は近かった。アレンジが変わっていた曲もあるがキーは昔と同じ。掛け合いも楽しく、なにげにビートリーなギターにニヤリ^ ^終演後、Pekoさんに握手してもらった(やっぱりミーハー)オリジナルメンバーでリーダーだったイケメンのアラン兄ちゃん。5年前、来日公演のため成田空港にレスリーと降り立ち、タータンチェックの'70s’ティーン出身のファンに囲まれたところを「Youは何しにニッポンへ?」スタッフにつかまり、若いカメラマンに「おじいちゃん」と呼ばれる。失礼な3年前の他界はショックだった。享年70 中3トリオやマイケルと同い年のイアンも半年前に この世を去った。悲しみ too youngイアンに代わって入ったパットはピンクレディや大竹しのぶさん石川さゆりさんとタメ。あの子もアイドル。今回映像を集めていて初めて知った。ウッディ(黄色のタータン)は両利き。 BCRファンにはお馴染みの応援歌 奥さんは里帰り&レスは来日でバラエティ番組に出演。 最後の最後まで仲良し家族だった。今夜8時からのラジオ日本「M.P.」は、後半をレスリーの声が弾けている元気の出る歌をあえて集めてお届けします。皆様からのメッセージもお伝えしたいので、park@jorf.co.jpまでお寄せください。(山本さゆり)4/24(土)ミュージックパーク(M.P)ラジオ日本 20:00~21:00 (radikoで聴き逃し1週間)胸躍らせたあのメロディ、忘れられないあの歌声。青春の輝きを、音楽に添えて!懐かしい曲を中心とした洋楽を送るプログラム。パーソナリティは山本さゆり。かつて「全米トップ40」でアシスタントをつとめ、チャッピーの愛称で知られる山本さゆりが、往年のファンや新しいリスナーのリクエストにお応えします!(毎週聴いてます。選曲最高 テーマソングは今月、シカゴの「Saturday In The Park」からBCRの「Saturday Night」に変わったばかり。。。) 追記:過去のBCR日記 2007/ 5/26 Saturday Night 2009/10/29 青春に捧げるメロディー・Don't Let The Music Die妹達の影響でオリジナルアルバムから聴き始めたBay City Rollers。テレビで初めて見たのはNHKの「ヤングミュージックショー」だったように記憶している。BCRで「Saturday」のスペルを覚え、洋楽に目覚め、一緒に歌いたくて英語の歌詞を覚え、彼らの故郷(スコットランド)を訪れたり、英語を使う職業に就いた人も少なくないようだ。人気絶頂の頃は洋楽だとQUEENやKISS、ABBA、EW&F、EAGLES、Aerosmith、邦楽だとピンクレディ、キャンディーズ、ジュリー、百恵ちゃんあたりが歌番組の常連だった。良質なポップミュージックの宝庫なのに世代限定のアイドルになっているのは本当にもったいない。この3年で、アラン、イアン、そしてリードボーカルでフロントマンのレスリーを立て続けに失ってしまった。。。もうあの歌声は聴けないが心のジュークボックスにはBCRの曲がたっぷり入っている。ハートで歌おう。今頃天国でタータンハリケーンの思い出話やセッションをしているのかな。R.I.P.アイドルは束の間の時代の徒花(あだばな)のような存在だったりもします。でも、それこそがまさにポプシクル。時代のキャンディ。女の子達の元気のもと。思いやりと感性と想像力のベッドになるのです。(湯川れい子)
2021年04月24日
十代の頃ミーハーしていたアラフィー女子にとって、アイドル外タレの王道といえば、タータン・ハリケーンこと、 BCR(ベイ・シティ・ローラーズ) だろう。同じヨーロッパ生まれの チュッパチャプス やキットカット は、彼等のCMやコンサートとのタイアップで知名度を上げたように記憶している。英国北部の州都エジンバラは、今どきの若者には、J.K.ローリング氏が、幼子を抱え、貧しい暮らしの中、ハリー・ポッターを執筆した地として有名だが、70年代はBCRでキマリだった。ミーハーなマイ実家では、まず、妹達がはまった。LPやRock Show(明星の外タレ版…歌本ないけど)を買い、地元のレコード店が企画した来日公演観戦ツアーに参戦。バスの目的地は海外(岡山)。まだ瀬戸大橋が出来る前で、フェリーで夜の海を渡ったという。十代の子の親となった今、いくら集合場所がご近所だったとはいえ、娘達を、外タレアイドル観戦のバスツアーに送り込む親もなかなか大胆だったのではないかと、改めて思う。初めはお子ちゃま向けのアイドルと馬鹿にしていた私だが、そこはミーハー。やはり流行り物が気になる。せっかくレコードがあるのなら、聞かず嫌いはもったいないではないか。針を落とすと、おお、なかなかいけるぞなもし結局、次の来日時には、タータンチェックのシャツに身を包み、初の武道館でキャーキャー言ってた すっとこどっこい姉ちゃん。東西線車内のタータン風景から始まる便箋数枚の熱い現地レポートをしたため、BCR道(?)の先輩である妹達の失笑を買ったことも、青春の一頁だオリジナルアルバムのラインナップは、ラズベリーズやフォー・シーズンズ、ダスティ・スプリングフィールドなど、売れ線ポップスのカバーの他に、メンバーの作品群。後期は、ほぼオリジナルだったと思う(手元にないので不明)。パンダ似のタレ目ギタリスト Eric Faulkner(エリック)と、おちょぼ口のベーシスト Stuart Wood(ウッディ)コンビが作った曲たちは、今聴いてもいい感じ ただのアイドル外タレと一蹴するにはもったいない。どの曲だったか、「She Haiku Zen」という、意味がありそでなさそなフレーズがあり、ニヤニヤしたこともある。 はなまるマーケットのオープニングテーマ(カバーソング)も大ヒットしたが、今日はバラードの名曲 Dedication(青春に捧げるメロディ)や、一番好きな Don't Let The Music Die(ハートで歌おう)を聴きたい。「dedication」も「dedicate」もこの曲で覚えた単語だ。どちらのメロディも歌詞も泣ける前者は、地元のラジオ局に電話をかけ、あの子に贈りたい曲をリクエストするという内容。青春時代、ラジオのリスナーだった人には胸キュンかも。リクエストといえば、名物DJ Casey Kasem(ケーシー・ケーサム)の American Top 40 を思い出す。「Dear Casey」で始まる「Long Distance Dedication」(遠距離リクエストコーナー)で、葉書の差出人と で話してたっけ。英語があまり聞き取れなくても、アメリカの空気や、曲に寄せる想いは なんとなく伝わってくる。耳を傾け、知っている単語や固有名詞を拾ったものだキー局はFEN(Far East Netwok=現・AFN)で、たしか、土曜の午後の放送。夜には同じ番組をダイジェストにした翻訳版がラジオ関東(同・ラジオ日本)で流れていた。DJは 湯川 れい子 さん。エンディングでは、英語版がkeep your feet on the ground and keep reaching for the stars… 日本語版だと それでは来週まで地面にちゃんとあんよを付けて、星に手を差し伸べて… が決まり文句だった。今でも二人の声が、耳の奥でこだまするが、覚えている人、いるかな? This song I wanna dedicate to you And to everyone who feels the way we do As long as you're a part of me The song will play on endlessly I hope my dedication's getting thru (Dedication) I remember all those days gone by I remember all their faces The old familiar places Don't let the music die No our song could last forever Don't let the music die Don't let the music die When we were young we had our time And we would drink sweet talking wine But now that it's over All the songs sound out of rhyme Don't let the music die And though we said goodbye, We could spend our lives together So as time goes by, Don't let the music die (Don't Let The Music Die)歌詞を見るだけで、レスのボーカルや、オーケストラのバックや、あの頃の思い出が蘇ってくる。スタンダードナンバーとして歌い継がれるといいな、といつも思ってきた、切ない音楽愛の詰まった曲達。Decdication はカーペンターズの Yesterday Once More に、Don't Let The Music Die は、ビートルズの In My Life に通じるような気がする。思えば いと疾し この年月。無邪気な春の語らいや、華やぐ夏のいたずらや、笑い転げたあれこれ 思う秋の日 である。隣の客はよく柿食う客だ今日のメロディーは、遠い町に住む妹達と、あの頃タータンで keep on rollin'していた、ミーハーな 遠い目のご同輩に捧げたい。All of me loves all of you リクエスト 夢の中 歌は心 カバー きっと勝つ 土曜の夜
2009年10月29日
今日は全国的に土曜日ですね。土曜といえば、この曲♪BCRことベイシティローラーズの「Saturday Night」です。当時は、スペルを書くたび「S★A★TUR★DAY」(night!)と頭の中でリズムを刻んでいました。今では英語を書く機会はほとんどなくなりましたが、たまにこの単語を書く時は、やっぱり「S★A★TUR」って言ってます。この習慣は一生続くのでしょうか?最近では、このリズム、「乾杯!ラガー」のCMに使われていました。紅白歌合戦にも出た、ゴリエの「ペコリナイト」の元歌ですね。それでは、つぶやき、スタート!! 歌 詞 S ★A ★ TUR ★ DAY ★ NIGHT スコットランドはエジンバラの騎士・ベイシティローラーズ。古い歴史のあるスコットランドには、日本の家紋のように、何百種類も、家ごとに代々伝わるタータンチェックがあり、メンバーは、ご先祖様の紋章をステージ衣装に取り込んでいました。「エジンバラ」は、土地の言葉で「斜面に立つ城砦」という意味で、高台にそびえるエジンバラ城は、街のシンボルであり、波乱の歴史を持つスコットランド人の誇りでもあります。タータンチェックの衣装に身を包み、バグパイプで、おなじみ「スコットランド・ザ・ブレイブ」などの曲を演奏をする人が、街なかで見られます。ハリーポッターを書いたJ・K・ローリングや、シャーロックホームズの著者コナン・ドイル、電話を発明したグラハム・ベル、名優ショーン・コネリー、「Sailing」でおなじみのロッド・スチュアートもこの地方の出身。「イギリス」とひとくくりに言いますが、正式名称は「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」「イングランド」「スコットランド」「ウェールズ」「北アイルランド」の4つの非独立国に分かれていて、スコットランドは1707年までは独立王国でした。かつてイングランドと戦った歴史があるので、スコットランド人には「イングランドと一緒にするなよ」というプライドがあります。だから、イングランド出身のQueenやRolling Stones と一緒にしないであげて下さい。(何をお願いしてるんだ?)イングランド・リヴァプール生まれのビートルズの祖先は、アイルランド出身だそうです。サッカーで「イングランド」だ「スコットランド」だと燃えるのも、わかるような気がします。きっと、ご先祖様の血が騒ぐのでしょうね。コンサートに行くファンは、お気に入りのメンバーさんちの紋章を入れた「ローラーギア」と呼ばれるタータンチェックの服や小物を身に付けていたので、服の色で、誰のファンか、すぐ見分けがつきました。「この人、黄色!ウッディ!おんなじおんなじ!」と、ごひいき同士を暗黙のうちに結びつける絆の役割も果たしていました。私の武道館デビューは、赤いタータンのシャツを着て行ったBCRコンサートでした。だ~れだ?メンバー交代をたびたび繰り返すあたり、モーニング娘(今何人?)の先輩ともいえますが、この曲が大ヒットした'76年当時のメンバーは、レスリー(ヴォーカル)エリック(ギター)ウッディ(ベース)デレク(ドラム)の4人でした。その後、イアン、パット、ダンカンと続きましたが、ダンカンは顔すら知りませんイアンは「青春に捧げるメロディ(Dedication)」の時、レスリーと入れ替わる形で参加しました。この曲には、レスリーバージョンと、イアンバージョンがあります。始めの「I phoned a local station・・・」の部分のイアンの語りが早口で違和感があったので、私としては、レスリーバージョンの方が好きです。でも、Rosetta Stoneの武道館コンサートにも行ったよ・・・ちなみに、「イアン」はスコットランド名で、「ジョン」という意味。ジョン・レノンの息子の名前でもある「ショーン」も、アイルランド名で「ジョン」彼は、アイルランド人の血が流れていることに誇りを持っていたわけですね。ショーンには「太郎」という日本名もついています。レスリーは関西人の女性と結婚し、来日して和服で挙式しました。一人息子の名前は「リチャード十兵衛」・・・忍者か?キュートな笑顔で大人気だったパットは、脱退後、パット・マッグリンバンドを結成し、「あの娘はアイドル」をヒットさせました。来年3月で50歳になります。学年でいうと、ピンクレディや石川さゆりさん、大竹しのぶさん、そのまんま東さんと同い年です。ベイシティローラーズという名前は、グループ名をダーツで決めようということになり、地図を広げて当たった「Bay City」という町から来ているそうです。まあ、所ジョージさんの番組にある「日本列島ダーツの旅」みたいなもんです。(あのコーナー、大好き。)人気絶頂期に、レスリーが「We don't wanna be yesterday's hero」とシャウトしていた時、私は、いつか、「あの人は今」になるよな・・・と思っていました。でも、人気こそ当時には及びませんが、彼等は今も地道にバンド活動を続けているそうです。みんなオヤジになり、額は後退したけど、誰でもみんな年を取ってゆくのだから、それもまた年輪。50を過ぎても現役バンドだなんて、ただのアイドルじゃなかったということの証明ですよね。まだローラーギアで歌ってるのかな?日本でいうと、さしずめ、紋付きを着てロックンロールってとこかな?Don't let the music die !!
2007年05月26日
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