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2017年04月02日
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カテゴリ: 日々の仕事雑感
 3月31日、同じ年の同僚が定年退職で職場と去っていった。

 最後の日に、送別会があった。

 私たちが新卒で就職した時の、先輩たちの指導は本当に厳しいものであった。

 初めての深夜勤で朝の申し送り。50名ほどの患者さんの申し送りをする。緊張しすぎて何をどう話したかも記憶できないほど。

 申し送りが終わったとき、看護師長が私にかけた言葉。「何を申し送りたいと考えたの?あなたは夜勤で何を観察していたの?何を申し送ろうとしたのか全く理解できない」

 夜勤に入るためには、日勤業務を出来るようになること。二人の看護師で50人の患者さんをケアしなくてはいけないので、一緒に働いてくれた先輩が必死でフォローしてくれたのだけれども、仕事がのろすぎる私は休憩も取れずにとにかく一晩動きずめだったのだが、患者さんがどういう状態の変化があったかなんて50人すべての様子を理解できてはいない。

 もし送り中も、言葉に詰まる私を横に立っている先輩が小声でアドバイスしてくれたのだが、声は震えるし、20人ほどの先輩に囲まれて何を言っているのかもわからない。

 自分の力が全く足りないことは重々承知しているので、看護師長の言葉を素直に聞くしかない。

 新人の頃の自分を振り返ると、先輩方に「ぐずみやドジ子」って陰口で批判されたことだって、しょうがないと受け止めて、とにかく毎日一つでもできるようになりたいと必死だった。




 「自分の力量がどれほど低いかわかっていたので、その言葉を受け止めて頑張ろうとしか思わなかったよ。ちょっと厳しい指導をされるだけで、パワハラなどと誤解して自分のケアを振り返らないことが理解できない」と返すと、またまた「こわーい」だって。

 「他人様の命を守る仕事で、しかもその仕事でお給料をもらって暮らしているのだから、仕事ができないことを自覚できないことが問題なんだよ」と言い返すと、「こわーい」と言っていた若手も黙ってしまった。若手と言ってももう40代だからベテランと言われる年代なのに。

 医療の仕事は、当たり前だけれど分業で成り立っているので、仕事をした後に患者さんから直接お金をいただかない。自分の仕事によって患者さんがどのくらいお金を支払っているのか、ましてや保険財政からどのくらいのお金が支払われているかも直接は意識しない。

 たとえば食堂でラーメンを注文するときにはその価格を承知の上で頼む、もしその味が満足できなかったらもうそのお店にはいかない。

 訪問看護を受けている方々は、その時のケアに満足できなくってもすぐさま断ることはなかなかできない。信頼という担保があるからこそできているのが私たちに仕事なのに、10分間で900円くらいのお代をいただいている仕事なのに、無責任な仕事をしてもそれが積みあることだという自覚がないことが非常に腹ただしい。

 ある看護師は時間がなかったからと言って、褥瘡のガーゼのテープ固定を一部省略していた。翌日訪問してそのことに気が付き、注意したところ「(私の)言い方が悪いからきくことはできない」とほざいた。こんな輩が同僚でいることが腹ただしいし、自分が管理職だったら即刻退職勧奨をしたいくらい。

 他人様の命に対して、時間がない、という理由はありえない。時間がないから省力するのもやむを得ないという感覚が全く理解できない。

 定年退職まであと3か月なのだけれど、こんな同僚がいる職場で働くのが嫌で仕方がないのだけれども、それもやむを得ない。そのうえ、もらえる年金ではとても暮らせないので、65歳まで嘱託で働く。65歳になったときの年金は現在のお給料の半額くらい。自分がいつまで生きれるのか分からないのだけれども、これからどんどん条件が悪くなる社会保障制度を考えると、とにかく働けるうちは何歳になっても働かないと生きていけない。

 死ぬ寸前まで働く覚悟が必要なんだ、と思う。

 体力が資本なので、とにかくこれからは健康に気を付けて、腰痛やら膝関節症やら、高血圧にならないとか日々の健康管理をしっかりするしかない。



 もうそうそう長く働ける時間がないということもあるのだけれど、毎日の仕事を大事にしていきたいのだ。








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最終更新日  2017年04月02日 08時47分54秒
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Re:同じ年の同僚が定年退職。私にあと3か月で定年。80歳まで働くためには、強健な身体作りが一番。(04/02)  
熊野の男前  さん
こんばんわ

フリーページを読ませて頂きました
私の小さい時とよく似て居ます 特に家の用事です

私は変形性両股関節症です
娘達が看護の道に進んだのも私の事、難病に方の事が大きかったようです
一人は心臓専門、もう一人は腎臓専門の科に従事しています

前のコメントに書いていましたが 
履修科目が多くなったようで
娘が看護学生の時にカリキュラムが変更になり
何年生の時か忘れましたが
今まで習っていない分が発生し、その分を上級学年で勉強
すごくきつかったようです

看護師さんって大変ですね
夜勤明け、非番でも緊急呼び出しに備え待機
一生懸命治療してある程度回復
しかし親族の方からだれが面倒見るのと・・・

頑張ってください
(2017年04月02日 22時28分35秒)

Re[1]:同じ年の同僚が定年退職。私にあと3か月で定年。80歳まで働くためには、強健な身体作りが一番。(04/02)  
アメキヨ  さん
熊野の男前さん

コメントありがとうございます。

私が生まれたのは昭和30年でしたので、まだ戦後の復興が道半ばで結核にり患した父は療養生活を始めていました。

両親が私たち兄弟を育ててくれた年齢を同じ年齢を経験してみると、とにかく子供たちを健全な大人にしよう、無事に育て上げようと懸命になっていたのだと理解できるようになりました。

育児放棄もせず、貧乏ながらできうる限りのことを一生懸命してくれたのだと思います。私が鬱になって自死が頭をかすめた時に、思いとどめてくれたのは両親の姿でした。

還暦を過ぎたこの年になってやっと両親に対して素直に感謝の気持ちを持てるようになりました。

幼いころから、山仕事や畑仕事を「させられた」のですが、そのおかげで筋力はあり腰痛にもならないでいます。

何がどう影響しあって人生が進んでいくかどうかは分からないものですね。

看護学校で習うものは非常に膨大です。私たちの時代もそうだったので、娘さん二人が学んだ頃はさらに大変になってきていたと思います。看護の仕事は過酷なところもありますが、私はやっとこの仕事が好きになりましたよ。

娘さんたちに、機会がありましたら、よろしくとお伝えくださいませ。 (2017年04月04日 04時46分25秒)

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