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2017年07月11日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
昨日で定年を迎えたが、「定年延長」制度を使ってあと3年間は働く。

 自分では、昨日と今日はそうそう違うはずがないと思っていたが、たった一日のことなのに、気分が全く違う。

 看護師として働き始めて、元来の不器用さもあってとにかく必死で過ごしてきた日々であった。そのくせ、患者さんのお顔は覚えているのにすっかり名前を忘れている人が圧倒的。

 定年になって、改めて自分の職業人生を振り返ると、何をしてきたのだろうという感想だけ。

 看護という仕事は、形として残らないし、医師のように固有名詞で仕事をするわけでもないので、自分自身で自分の仕事を覚えていない限り、誰の記憶にも残らないし、記憶に残っているかどうかを確かめるすべもない。

 この春から、3年間とか5年間とかお付き合いのあった患者さんが次々と亡くなられ、自分の中にぽっかりとした虚しさのようなものが広がっていた。仕事だけには何とか出かけられるもの、帰宅すると何もする気がなくただただ休息の日々。お休みの日も出かける元気がなく、ジッとしていることが苦痛でもなく、ぼんやり考え事をしているうちに一日が終わってしまう。でも、そういった時間を過ごすことが無駄とも思わず、あれやこれや取り留めもなく思いにふけることで時間が流れていく。

 そして、ぼんやりしながら、今までずっとくすぶっていた自分への問いの答えが見つかったりする。

 私は、DVの家庭で育ったこともあり、小学生の頃からずっと家出をすることを夢見たり、朝目が覚めたら知らないよその子供になっていたとか、そういった空想をしていた。早く自立し、親兄弟に頼ることなく暮らせることを夢見ていた。リアリストでもあるので、自立できる年齢まで我慢することも覚悟していた。

 職業生活を始めると、目の前の仕事をしっかりするために自分の力なさが嫌というほど分かり、お給料をいただける仕事をするためにずっとずっともがき続けてきた。



 そして、はたと自分のストーリーが明確になった。私は、幼いころの苦しさや辛さから離れることだけを目的にして生きてきたのかも、って。お金持ちにも、大きい家や宝石、出世や名誉。そういったものに対して魅力を感じてきたことは一度もない。私を育ててくれた家や故郷。そういうものと離れて独り立ちすることだけ。そして離れたいと思っていた家や故郷が自分の中で生きている。


 DVはあったが、それでも父も母も祖母も、兄弟姉妹。自分を育ててくれた親兄弟にやっと素直に感謝する気持ちも。

 私はこれから何をしたいのだろうか。

 もう、独り立ちをしたことについては、自分でも十分認められる。そして、その後何をしたいのだろうか。これから、その答えを見つけていきたいものだ。





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最終更新日  2017年07月11日 06時16分21秒
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Re:定年の日に考えたこと。62年生きても、自分のことをわかっていない。(07/11)  
hyde さん
定年ですか…私なんぞは定年過ぎてからタクシードライバーとして第二の人生を歩き始めましたが根が楽天家と言うか能天気な性分で、貴女みたいに考え込んだ事が無かったこれ迄でしたが、突然いまになって終活なる言葉に敏感に反応する様になってる自分に気がつき始めてます。

Re:定年の日に考えたこと。62年生きても、自分のことをわかっていない。(07/11)  
おめでとうございます。少しはノンビリできるのでしょうか。私は退職後精神障害施設のボランティアを続けていますが気持ちの優しい方が多く自分のほうが救われています。20年になりますが近いので健康の間は携わっていたいと思います。自分の心のハリになっています。 (2017年07月17日 23時21分25秒)

Re[1]:定年の日に考えたこと。62年生きても、自分のことをわかっていない。(07/11)  
アメキヨ さん
hydeさんへ

コメントありがとうございます。
私は、小学生の頃から悩みっぱなしですけど、いろいろ悩んだとしても決断は直感的にしてきました。

何が根本的な動機なのかって、自分のことでも不思議でしたが、その答えがハタと分かったときには、「なるほど、腑に落ちた」ってすっきりしました。

目の前に人に対して怒りを感じていたとしても、その根源にはもっともっと昔の自分の経験に端を発していたりということもあるんですね。

訳の分からない自分の感情のもとに触れただけで、ずいぶん気持ちは楽になります。
(2017年07月19日 01時26分40秒)

Re[1]:定年の日に考えたこと。62年生きても、自分のことをわかっていない。(07/11)  
アメキヨ さん
灯里☆さんへ

コメント、ありがとうございます。

この年になってやっと仕事の面白みが分かってきました。と、同時に患者さんや家族の方の気持ちが心にしみてくるようになって、一日の仕事が終わると結構疲れ切ってしまっています。

定年ってある意味必要なことなのですね。一億総活躍社会なんて言葉で、一生働き続けなければならないような日本になっていますが、現役を一生続けるというのもハードです。

これからどんな自分を作り上げていくか、私にとっては結構なハードルです。

(2017年07月19日 01時31分27秒)

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