おやっ?
いよいよ年度末を迎えられてと思っておりましたが・・・
どうやら飛び込んだ方の岸辺に引き戻されちゃったかな?

うん 向こう岸からターンって手も有ったんだ?
(2018年04月01日 01時33分40秒)

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2018年03月31日
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カテゴリ: 日々の看護ケア
毎年一回、各職場から看護ケアについての経験をまとめて交流する検討会があり、今年度は私が担当することになった。テーマの提出は昨年の12月末。そして症例の提出は一月末。そして昨日が発表に使うパワーポイントの提出日。

Aさんが亡くなられたのは昨年の10月25日。最後の訪問を担当したのは私で、残された時間はもうわずかしかないと思えた。その翌日の夜に、自宅で永眠された。最後の五日間は誤嚥性肺炎による痰のつまりで呼吸困難が続いた。苦しい処置だけれど、痰を吸引してもまだ肺に残っている痰が多いので何回も姿勢を変えて痰を喉元まで上げて吸引して。38度の発熱もあったので、口からお薬を飲めなくなっていたので座薬の解熱剤を使って解熱して。最後の日には、大好きなカレーライスを食べられたという。

Aさんは104歳。大往生だからなくなってもまぁしょうがないかって、同僚も往診を担当している診療所の看護師もそう呟いていた。

えっ、大往生だからそれでいいの???

Aさんと私どもの訪問看護ステーションの付き合いは足掛け16年。脳卒中の後遺症のために尿を出すための膀胱留置カテーテルの処置を受けているので、その管理のために訪問看護が始まった。16年もあったその看護ケアを振り返ることになった。看護記録の厚さは10㎝近い。この16年間に何が起きていたのか。記録を読み返してみると、Aさんのお人柄がしのばれるような記述があちらこちらに。

初めて訪問する看護師には故郷を聞き、家族構成、好きな食べ物などいろいろと確認してAさんなりのデータベースを作成。いつも同じ看護師が行くわけではないので、久しぶりに訪問すると子供がいるものには「もう小学生になったのか」とか、異動した看護師について「〇〇サンは元気にやっているかね」とか。ちょっとさえない顔をしているものには「今は幸せかい?」と声をかけてくれたり。Aさんを訪問するたびに何か心がホコッとするものを感じて帰ってくる。

そんなAさんが息が苦しいので顔をゆがめて「何とかしてくれ!」とでも言いたげな瞳で私を見つめていたその姿が焼き付いているので、あんなつらそうな様子にならないように何とかできなかったものか、という問いをもって何回も何回もカルテを読み返してみた。

人は誰でも死が訪れる。それは自明の理。だからこそ、その最後が苦しくなく穏やかであることを願う。そのために、何をすることができ何ができなかったのか。

私たちはAさんの最後を予測しての呼吸ケアができなかったのだ。例えば褥瘡の処置は、いくら多くても一日2回。排便のケアも一日数回。排尿のケアはおむつを使えば一日多くても5回くらい。でも呼吸のケアは、刻々と呼吸は繰り返されるので呼吸が苦しくなればなるほどケアの頻度は増していく。息をすることは普段は意識することもない。苦しくなって初めて自分の呼吸に気が付く。しかもその苦しさは本人はもとより周りの者にとっても「死んでしまうか」と瞬時にそのつらさが伝わってくる、死の恐怖に襲われる。見ていられないし、今すぐ何とかしてほしいと願う。



しかし、気管や肺の仕組みや働きは普段意識していないこともあって、少し丁寧に勉強をするひつようがある。苦しい様子を見ていると、特に家族であれば心穏やかにはしていられない。冷静に落ち着いてケアができにくいということもある。

呼吸が苦しくなってから、初めてケアの方法を学ぶのでは対応が遅れてしまう。だからこそ、予測していただき、少しずつ呼吸のことを分かってもらいいざという時の備えをしてもらう方がよいのだ。

特にAさんのご家族は、最後までお世話をすると覚悟していた。そういう覚悟がある方ならばきっと近い将来訪れることに対して、介護の方法を学んでおこうと決断したはず。そういうご家族の気持ちに気が付いていなかったのだ。

Aさんが亡くなった4か月後に遺族訪問をした際に、はっきりとした言葉にはされなかったが「熱が出始めたころには食べる力が落ちていたのですね」と。そのころから誤嚥性肺炎の予防をする必要があったのだ。そしてそのことをご家族も後悔されていた。

発表原稿を数回作り直して、私は何を言いたいのか、Aさんの経過から何を教えてもらったのか、作り直すたびにはっきりしてきて、やっと昨日の22時過ぎに発表原稿が出来上がった。

呼吸ケアに重要さをみんなに訴えていこう。これで決まり。

あーぁ、すっきり。





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最終更新日  2018年03月31日 07時18分30秒
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Re:大好きな、尊敬する大先達。Aさんが文字通り大往生されて、その看護ケアを振り返る。(03/31)  
熊野の男前  さん
おはようございます
先のコメント、私初めてだったのですね
時々読ませて頂いていたのでてっきり 失礼しました

看護、介護のお仕事は様々な事があるのですね
娘から看護で逆の事も聞いています
医師、看護師の方が一生懸命ある患者さんに処置
命が救われたのですが
その家族から誰が今後面倒をみるのか・・・と言われ
私には考えがたい事です

私は変形性股関節症です
生まれて間もなく両股関節脱臼が原因です
田舎ですから様々な目でみられ育ちました
もうすぐ60歳です
貧乏な百姓で産れ、家に帰ったら用事ばかり、しかし当たり前の時代でした
クドで炊飯、お風呂は離れで雨の日は炊くのも大変
同級生達が遊んでいるのが羨ましかったものです

小学校から中学校の昭和40年代
寝たきり祖父母、祖父は2年余りで亡くなりましたが
祖母は10年余り寝たきり生活
小学生の私は
離れの家で寝ていた祖母の箱膳の片づけ 部屋掃除 
便桶におまるの汚物すて、爪切り、肩もみ・・・
親父は出稼ぎ、母親は百姓仕事だけでなく他の仕事もしていたので
私が夕方から母が帰るまで面倒を見ていました

なので治療で命が救われたのに
その家族から、これから誰が面倒をみるって・・・
家族の絆、社会の変化 人の考え方
経済的問題や時間的な問題もあるでしょうが
今の社会がどうも私にはむかないようです

検討会、頑張ってください
手前味噌ですが娘も
何年か前の総合医学会で看護部門のプレゼンをしたようです
看護師の仕事は大変ですね
(2018年03月31日 09時40分13秒)

Re:大好きな、尊敬する大先達。Aさんが文字通り大往生されて、その看護ケアを振り返る。(03/31)  
shin1t  さん

Re[1]:大好きな、尊敬する大先達。Aさんが文字通り大往生されて、その看護ケアを振り返る。(03/31)  
アメキヨ  さん
熊野の男前さんへ

コメントありがとうございます。

治療のための医療機関でのケアを、では設備が整っていない自宅でどのようにするか。治療のためだけの生活から、日々の暮らしを続けていくために何を準備してどういうことを学ぶ必要があるか。

昭和40年代、50年代は病院による治療がやっと日本でも進んできた時代でした。あの時代から、もう30年以上過ぎてしまいましたが、まだまだ住み慣れえた自宅で病や障害とともに安全に過ごす手立てはまだまだ実現していませんね、残念ながら。
(2018年04月03日 07時07分38秒)

Re[1]:大好きな、尊敬する大先達。Aさんが文字通り大往生されて、その看護ケアを振り返る。(03/31)  
アメキヨ  さん
shin1tさんへ

残念ながら、人で不足でもあるので、「やめる」が即退職にはならないんですよ。
でも、日々その気持ちは強まっていまして、いつ退職届を出すかを考えています。

私自身も、いわゆる古参なので、メンバーが退職した後のつらい経験をもしているので、そりゃぁ残された同僚のことを考えます。

新人が業務に慣れて現場で一定の業務をこなせるようになり、夏休みをとりおえた9月末が退職の時期かなって思っています。

でも、気が合わない上司とはさらに気が合わなくなってきていて、どんどん辞めたい、気持ちが増殖していっています。
(2018年04月03日 07時11分42秒)

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