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2011.02.28
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カテゴリ: カテゴリ未分類
私の分ロブにコメントを書いた人のブログを見に行ったら、こういう記事がありました。
書いてあることがよく分からないのですが、従軍慰安婦問題というので一応資料として、メモしておこうと思いました。

? 民主党の朝鮮人擁護論の嘘っぱちが国会で証明されたがマス塵は一切報道していない。(既出の記事の再掲載) | メイン | yutakarlson君のコメントの修正 “滓”供が捏造した嘘出鱈目に惑わされるな。 ?

2010年7月17日 (土曜日)
従軍慰安婦問題は朝日新聞の懸賞小説【朝鮮人慰安婦と日本人】が発端だったとは
 この小説の作家は吉田清治という得体の知れない男である。日本民族で無いことは間違いあるまい。ではこいつの正体を暴いてみよう。

1氏名
 本人の陳述 吉田清治
 実際    本名は吉田雄兎、別名は東司、栄司


 陳述 1983年に70歳(新聞)
 実際 1913年10月15日

3本籍地
 陳述 山口県(I,p19)
 実際 福岡県芦屋町西浜

4学歴(A)
 陳述 -
 実際 1931年門司市立商業学校卒(卒業生名簿には死亡とある)

5学歴(B)
 陳述 「東京の大学を出て」(I,p7)
 実際 法政大学専門部法科中退(?)


 陳述 1937年、満州国地籍整理局(I,p7)に就職
 実際  同上

7職歴(B)
 陳述 1939-40念中華航空上海支店(I,p62)
 実際 1992年5月の中華航空社員会で吉田を記憶する者なし(上杉p58)。


 陳述 東京生まれの金を1937年に養子として入籍。吉田永達は37年12月10日満州で小川京子(小学校教員)と結婚、翌月小倉連帯へ入隊、38年9月1日間島省で戦死(I,2~6章)
 実際 1937年4月30日李貞郁(1917年生れ)を養子として入籍(吉田の本名だ。ということはこいつはチョンだ。道理でこんな捏造をした訳だ)、42年結婚、戦後九州で労組運動の幹部として活動、1983年死去。

9入獄
 陳述 金九(朝鮮独立運動の首領)を輸送したかどで1940年6月憲兵に逮捕され、軍法会議で懲役2年の刑、42年6月諫早刑務所を出所(I,7章)。
 実際 本人は96年秦へ、金九ではなく重慶軍の大佐と訂正、罪名は阿片密輸にからむ「軍事物資横領罪」と述べた。

10結婚
 陳述 1944年2月上旬9I,p156)
 実際 1944年5月18日大野フサエと結婚(上杉,p48)

11労務報国会
 陳述 1942年9月、同郷の先輩の世話で労報下関支部に動因部長として、就職(I,p71)
 実際 吉田の勤務を記憶している人(複数)あり。

12済州島の慰安婦狩り
 陳述 1943年5月15日付の西部軍動員命令(要点は妻の日記に記載、II,p156)により、43年5月17日下関発、翌日済州島着、兵士10人の応援で205人の女性を慰安婦要員として強制連行、暴行したものもいた(II,第三話)。
 実際 1944年2月(I,p156、実際は44年5月18日)に結婚した妻の日記に動員命令の要旨が記載されているはずがないので、全体が虚構と思われる。

13戦後の略歴
 陳述 I、IIとも一切の言及がない。
 実際 47年4月下関市議に共産党から出馬して落選、70年頃門司の日ソ協会役員をしていたほかは、職歴不明。

(注1)カッコ内のIは吉田の第一作『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社1977)、IIは第二作『私の戦争犯罪』(三一書房1983)、上杉は植えすぎ千年『検証従軍慰安婦』(全貌社1993)を示す。

(注2)「実際」の諸事実は、1993-96年にかけ、秦、板倉由明、上杉千年らが、下関を中心に吉田のwんじゃ、知人などを通じ調査した結果である。

(注3)5の「学歴(B)」については、朝日新聞が法政大学卒と報じ、吉田は秦へ同大中退と述べていたが、法政大学には在籍記録がない。

『著作権台帳』 (1990年版)には法政大学卒とある。96年3月27日に吉田は秦へ勤労しつつ法政大学専門部法科に在籍したと述べた。

クマラスワミ報告書は、吉田を東京帝国大学卒業と記しているが、本人には心当たりがないとのこと。
以上 『慰安婦と戦場の性』秦郁彦、新潮選書1999年、p245 表<7-3>より

更には、

この詐欺師について多くの方が糾弾してすでに1992年には決着がついています。

板倉由明氏(『諸君』1992年7月号)によると、吉田が昭和十五年(1940年)より中華航空株式会社に入社し、上海支社の営業所主任として勤務中にフランス領事館より頼まれた中国人が朝鮮人テロリストの「金九」として上海から広東行きの臨時便中島式AT機に同年に乗せたとするのはウソで、金九は昭和十三年(1938年)十月に上海から重慶に潜入しています。

吉田はこのことにより、憲兵隊に捕まり、軍法会議にかけられ、法務官は少佐と二人の大尉で、その少佐から「懲役二年」を宣告され、南京の桜井部隊本部の軍刑務所に送られ、昭和十七年六月二十日に出所したことになっています。(P69~70)

出所後は、同郷の先輩の世話とやらで、山口県労務報国会下関支部の動員部長として就職しています。(P71)

 ところが、中川八洋氏はその著書『歴史を捏造する韓国』にて下記のように指摘しています。

 二年間刑務所にいた前科者が、直ちに内務省系の動員部長に任用されることは万が一にもありえないと指摘し、中華航空の社員である民間人の吉田が軍人のみを裁判する軍法会議の対象にはなりえないし、共産主義などの思想犯を取り締まる治安維持法の法律違反者は地方裁判所で裁かれる。(P229)

と、こんな具合である。此れを縁に売国民主チョン滓岡田は今月十六日にマラチョン菅首相を韓国に行かせてこの問題についても謝らせると言っているのだ。






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最終更新日  2011.02.28 17:02:23
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