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2011.08.22
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占守島(シュムシュ島)の戦い・・ロシアとは何か?


太平洋戦争が終結してから65年になるけれど、8月は日本人にとって相変わらず重たい.それは戦後の処理がまだ終わっていないからだ.

沖縄、千島、普天間、占守島、自衛隊・・・など未解決なことが多く、政府もなかなか前進できないでいる.

その中でも私は千島列島の最北端、占守島のことが忘れられない.

日本は1945年8月15日にポツダム宣言を受諾し、無条件降伏した。だから8月15日に戦争は終わった.相手は「連合軍」であり、ポツダム宣言は1945年7月26日に発せられたが、この時にはソ連は日本と1941年に日ソ中立条約を結んでいたので、この時点ではソ連は日本と戦っていないので、この宣言には加わっていなかった.

その後、8月9日、ソ連は中立条約を破って一方的に日本に宣戦布告をしたので、ポツダム宣言にも加わった。だから正確にいうと日本はポツダム宣言を受諾したのではなく、米英支ソ四国共同宣言を受諾したことになる.

ソ連も加わった無条件降伏に応じたのに、ソ連はその3日後の、8月18日未明に千島列島の最北端にある占守島の守備隊に攻撃を開始した。

通常なら、戦争が終わっているのだから、ソ連軍は日本軍守備隊に降伏を促し、戦うことなく日本軍の武装解除をするのが当然である.

それを日本軍が武装解除をしつつあるのを見ながら攻撃を仕掛けてきたのである.そこで、日本軍守備隊(第91師団など)は武装解除を止めてソ連との戦闘になった。



8月21日、日本軍第91師団長が降伏文書に署名し、停戦した。その後、24日までに占守島・幌筵島の日本軍は武装解除された。

これが戦いの顛末であるが、敗戦直前の日本軍の士気は低下していたが、それでも諸外国の軍隊に比べれば強く、日本側死傷者1,018名に対しソ連側1,567名とされる。

ロシアの「火事場泥棒」はいつものことだが、1941年に中立条約を結び、日本が広島の原爆でほぼ敗戦が決まった8月9日に中立条約を破って満州に侵入、守備の関東軍を破るとともに満州にいた日本人(民間人)に暴行を加えた.

その後、いよいよ終戦が近づくと、今度は樺太、千島から北海道を狙って北から侵入しようとするが、準備が整わず、日本の無条件降伏の3日後に千島列島に侵攻してきたということだ。

ロシアは対日戦争には加わらずに、もっぱらナチスドイツと戦っていたが、ヨーロッパ戦線が集結すると、日本と戦いだしたというわけだ。

なぜ、千島に侵入したのだろうか?

江戸時代の終わり、1855年(安政元年)に日本とロシアは日露和親条約を結び、千島列島はロシアの領土であることになった。

その後、すぐ後の1875年(明治8年)、日本は明治政府に変わっていたが、有名な「樺太・千島交換条約」で樺太と交換するかたちで千島列島は日本領になった。

戦いの部隊となった占守島は千島列島の最北端になるので、ここが日本の北の国境となり、守備隊が駐屯する最前線だった。

だから千島は日本の固有の国土である.

ロシアは北海道を占領しようとしていたので、できるだけ早く千島列島を伝わって日本に攻め入ろうとした.ロシアの思惑ではすでに「武装解除」を終わった日本軍はいないも同然だと考え、一気に千島を渡ろうとしたが思わず、占守島の守備隊に敗北してしまったということだ。



事実を整理すると、

1) 占守島の守備隊が時間稼ぎをしてくれた、
2) そのおかげで北海道はロシアに占領されなかった、
3) すでに戦闘は終わっているのにロシアは日本軍をシベリアに連れて行った、
4) このことを正当化するためにロシアでは対日戦争の終わりを9月2日にしている、



ロシアという国は火事場泥棒を平気でする.そういう文化で、日本のように規則正しく正義を守るなどということはまったくない。

特に、すでに武装解除している守備隊に対して戦闘を仕掛け(普通なら軍使を送って降伏を促す)、おまけに武装解除した兵士をシベリアに連れて行った。

戦時中なら「捕虜」ということになるが、すでにロシア自らが日本に呼びかけた四国共同宣言を日本が受け入れているのに、兵士を抑留するなど、国際法に違反すること著しい。

シベリアに抑留された日本人の数は100万人とも言われ、そのうち半数近くが死亡したとされる。

日本では、朝日新聞などが「南京虐殺」を強調しているが、当時の南京市の人口は25万人、そして南京事変のあと、南京の人口はおよそ25万人だったことを見ると、南京虐殺がもしあったとしても1万人以下だったと考えられる.

これに対して、ロシアの虐殺は桁が違う.

占守島の守備隊、戦闘で死した軍人、それにシベリアに抑留されて犠牲となった人たちに、北海道の人とともにこの8月に冥福を祈りたいと思う.

よく守ってくださった。そのおかげで北海道はロシアに蹂躙されず、朝鮮のように分割されることも無かった。

この歴史を知ると「ロシアという国はどういう国か」が分かるし、また「国際的な戦いとは何か」も分かる。そして、なぜ「日本固有の領土」である「千島列島全部」が返還されないのか、それには暴力がいることも分かる。

我々は占守島で命を捧げた将校・兵士の恩を忘れ、あまりに架空の世界で議論をしていないだろうか?

武田邦彦 (中部大学) 引用はご自由にどうぞ

社説:シベリア抑留 後世に伝える仕組みを
毎日新聞 2011年8月22日 2時31分

氷点下40度を下回るような酷寒。意識がおかしくなるような飢餓。厳しいノルマを課せられた労働。徐々に失われていく人間性。シベリア抑留の悲劇は、どれだけ国民全体に共有されているだろうか。

 第二次世界大戦の終了後、旧満州(現中国東北部)などで降伏した日本人兵士たち約57万5000人(厚生労働省調べ)がソ連領やモンゴル領に連れて行かれ、労働を強いられた。うち約5万5000人(同)が抑留中に死去したとされている。

 今年春までに約2万人の遺骨が帰ったが、身元が判明したのは約800人。現在、日本に生存する元抑留者は約7万人と推計されている。

 日本とソ連は1956年の日ソ共同宣言で、互いに戦争に伴う賠償請求権を放棄した。元抑留者たちはシベリアでの労働の未払い賃金を日本政府に求めて裁判に訴えたが、97年に敗訴が確定。このため、立法による補償実現を目指した。

 昨年6月に施行されたシベリア特措法により、抑留期間に応じて、国が生存者に25万円から150万円の特別給付金を支払うことになり、すでに6万人以上に支給された。同法に沿って、今月5日には「基本方針」が閣議決定された。遺骨収集や埋葬地調査、抑留体験の継承を進めていくことが明記されている。

 政治主導で、特措法から「基本方針」へと進んできたことは、一定の評価ができるだろう。しかし、「基本方針」は法の成立前から行ってきた事業を合わせたものだという性格が強く、新展開は期待しにくい。

 シベリア抑留問題については、いまだに、その実態がはっきりとしない。一体、何人がどこに収容され、何人が死去したのか。まず、抑留の全体像を明確にする必要がある。そのためには、ロシア側の情報公開や協力が不可欠だろう。遺骨や遺品の収集についても同様だ。

 同時にシベリア抑留の歴史を後世に伝える仕組みを確立させることが大切だ。元抑留者たちは、スターリンが抑留命令を発した8月23日を犠牲者の追悼日にしており、東京都千代田区の国立千鳥ケ淵戦没者墓苑で集いを開いている。今年は細川律夫厚労相も出席する予定だ。この日への認識を深めたい。抑留問題についての日本人研究者は少ない。子供たちへの教育も併せ、既存の施設を有効活用することも求められる。

 抑留者たちは武装解除してから連行された。シベリア抑留は、捕虜の権利や早期帰国を規定しているジュネーブ条約やポツダム宣言などにも違反する組織的行為だった。私たちの民族の記憶といえるだろう。実態解明を進め、貴重な体験を次世代に伝えたい。







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最終更新日  2011.08.22 20:27:28
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