ジーンと響く、エンジン音。重厚でありながら、胸をときめかせる何かがある。俺にとっては官能そのものだ。10代の半ばでハーレーダビッドソンの黒く、美しいフォルムとこの音に魅せられた俺は、今まさに自分の夢を実現している。アメリカのハイウェーをハーレーダビッドソンと一体になりながらブッ飛ばす夢をだ。俺の旅には勿論予定などない。俺とこの相棒が心地よいコラボレーションをしているなら、真夜中まで突っ走り適当なモーテルに倒れる。どちらかが機嫌が悪けりゃ、そのときいる町でぶらつく。それでも一応旅の目的はある。あの砂漠の町、パリ、テキサス。
とりあえず飯をと思って入った、ハンバーガー・ショップ。グリーンのエプロンに、赤いストライプのシャツ。セミロングのブロンドのキュートなウエイトレス。
「ご注文は何?」
ブッキラボウな聞き方。まあ、これがご当地風か?
「チーズバーガーとコーラ」
そうですかとも言わず、さっさと行っちまう。
「はい、どうぞ」
と彼女。相変わらず、素っ気ない。
「あれ、このsunny-side-up頼んでないよ。」
「アンタみたいなのはもっと栄養つけなきゃ。わたしのおごり。」
なんだ結構いい奴じゃないか。
「あのハーレー、あんたのでしょ?」
「ああ。」
「その代りといっては何なんだけど、ちょっとあとで後ろにでも乗っけてよ。」
「勿論、構わない。」
ハーレーのエンジン音の中でキュートな彼女のブロンドが乾いた夜風になびく。そんな情景を想像するだけで、幸せな気分になれる。
「私もうすぐ、上がりだから。外で待ってて。」
エンジンをかけようとしたが、変な振動でうまくいかない。よく調べないとわからないが、厄介なことになりそうだ。そうこうしているうちに、ダークグリーンのコンパーチブルの彼女。
「どうも後ろに乗っかんのは、無理みたいね。」
「そうみたいだな。」
「わたしのアパートに来る? 変な想像しないでよ。わたし、姉と住んでんだけど、一部屋あいてるから。あんたお金ないでしょ。」
「ありがとう。世話になろうかな。」
「あんた、名前は? 私、ジョーン。」
「ヒロシ。」
「じゃ、ヒロでいいわね。」
「 ああ。ジョーン、世話になるよ。」
壊れた部品によっては、かなり長い間世話になることになるかもしれない。
「ジャズでも、どう?」
「いいね。」
「かなりイカレテるけど、すごい音を出すピアノ弾きがいるの。」
「へぇ。」
何が幸いするか、わからないものだ。ジャズクラブはかなり暗く、しかも煙でかなり息苦しい。客席にいる数はよくわからないし、どうも薬でラリっているのもいそうなほどいかがわしい。そんな隈雑な雰囲気のジャズクラブも、あの男のヘビーな演奏によって神の世界に生まれ変わる。そう、ブルースの情感をたたえたジャズ。力強く響きながら悲しくてたまらない。この世のものではなかった。
「ジョーン、あの男の名前は?」
「ヒデ・キムラ。」
どこかで聞いたことがあるような感じだ。
「10年程前、まだ彼が40にならないかどうかの頃、いい線までいいたんだけど。転落のお決まりのコース。才能がどうのと云いながら、ヤクと女。結構アブナイ連中とつきあって、もうヤバイの。キムラ本人とは関係なく、あのピアノの音みんな好きだから、何度もお金集めたりして、立ち直らせようとしたんだけど。結局、ヤバイことにつぎこんじゃう。あそこにいる、いやな目つきの男たち。きっと借金取り。」
俺は演奏の後、ヒデ、キムラのアパートへ。
「なんだ、お前は? 奴らの手下か? もうカネはないぜ。」
キムラの震える手の先には、ジョーンの言っていた通り、散らばる白い粉。これだけ見ると、才能の残がいといった感じ。
「いや、あんたの演奏にすっかりマイチマッタ野郎さ。」
「ほう、変わったのもいるもんだ。近頃は借金取り以外、この部屋に来たのはいないんだが。」
「まあ、俺が言っても無駄だろうが、アンタの才能はすごいのにドブに捨てんのか? ヤクさえやめ・・・」
「ガキのお前に言われる筋合いはない。」
キムラのかすかに震えた声が俺の青二才の声に重なる。ヤクで震えているのだろう。
「まあ、ゴタゴタ言ってもしょうがないな。酔狂なお前さんに一曲聴かせてやるよ。」
彼は隣の部屋のピアノを弾き出す。先のクラブの曲とはうって変わって、メロウでゆっくりした流れ。まさにブルースそのものだ。力強くはないが、やはり俺を突き刺す。キムラも昔は、人を愛したことがあるのだろう。そんなせつない情景を思わせる音色に、俺も自然に涙が流れる。
「何て曲なんだ?」
興奮の中でやっと口にできたのは、その一言だけ。
「『ラスト・ソング・フォー・ユー』」
キムラは震え出す。明らかにヤクのせいだ。
「出て行け!!俺の苦しむ姿は誰にも見せない。」
かなりもみあったが俺は結局、部屋から押し出される。
次の朝、キムラは新聞の隅に出る。
「ブルースのピアニスト、ヒデ、キムラ、撲殺さる。」
そう、『ラスト・ソング・フォー・ユー』が本当に彼のレクイエムとなった。記事によると、散々殴られて、脳内出血が彼の死因らしい。町の片隅のごみ箱が彼の死に場所だった・・・。
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