気まぐれな夢旅人【本館】

気まぐれな夢旅人【本館】

2011/11/25
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さッ。

ToSしーの個人情報は抜きにして、
早速やっつけちゃいましょう。
ま、結構このブログにてさらけ出しちゃっておりますけれども。


本日の風景印 愛媛中予篇 でございます。





愛媛県松山市 松山中央局です。

こちらはリコさんのご提供でございます。

本日の風景印は??
道後温泉本館「振鷺閣」、松山城、道後の姫だるま、正岡子規の句碑

道後温泉本館「振鷺閣(しんろかく)」
道後局 にて詳細説明済みですので、
ここでは省略いたします。


さ、初めは 松山城 !!
こちらもキタッ!!
これまでね、沢山のお城シリーズをお送りして参りましたが、
2006年、日本百名城の81番に選定。

平野の中にある山、丘陵等に築城された(平山城) ことで有名であり、
松山城の場合は勝山の山頂に本丸を構えた事から、
別名:勝山城と呼ばれました。

また、日本に12箇所現存する天守の一つであり、





1602年、伊予国正木(まさき;現在の松前町)
10万石城主・加藤嘉明さんが、
関ヶ原の戦いでの戦利により20万石に増され、
二の丸や三の丸がある平山城を築城開始。
翌年に、嘉明さんは

とし、地名として公に発しました。

松山城完成直前の1627年、
嘉明さんは会津藩に転封され、
蒲生忠知さんが松山24万石藩主となります。
忠知さんは1634年に亡くなり、跡継ぎがいない為、
加藤泰興さんが城在番を任されます。
翌年には15万石の藩主に松平定行さんがなると、
それ以降、松山藩は親藩となって、
四国を引っ張っていくこと235年。
明治維新を迎えることとなりました。






これは 正岡子規 さんが日清戦争に出征するため、
1895年、東京から帰郷して詠んだとされ、
その際、松山城に上り、城下を眺めながら、
ふるさとに思いを馳せて懐かしんだのだと思います。

正岡子規さんの 句碑 は市内に2箇所存在しますが、
今回の句碑はJR松山駅前にあるもので、
司馬遼太郎さんの小説「坂の上の雲」の
第一部の冒頭に登場して参ります。

正岡子規さんのプロフィールなどは今度の機会に。





同じく、松山中央局です。

こちらはかなっぺさんのご提供でございます。



さて、最後は 道後の姫だるま
「姫だるま」と言えば、
大分県竹田市の民芸品が思い出されますけれども。


道後の姫だるまの起源は諸説ありますが、
神功皇后(日本初の女帝)が道後温泉にて
ご懐妊されたことを記念し、
奉り作られたことが最も有力です。

赤い衣はその神功皇后のご懐妊当初のお姿を模されたとされ、
対する「錦だるま」は神功皇后の男装のお姿を模しておると
言われております。


古くから、愛媛県では「姫だるま」は子供の健やかなる成長や
幸せを祈るシンボルとされ、
結婚祝、新築祝、誕生祝、節句などの
お祝いごとに欠かせないものでありました。

現在では、その郷土玩具・民芸品のことを
知らない若者が多いそうで、
関係者は非常に残念がっております。

そこで、近年はお守りやストラップなど、
若者でも親しみやすいモノを
可愛らしいキャラクターにアレンジした
商品が愛媛県内で販売されております。

絵柄は「マタニティーマーク」のようなものであり、
柔らかなイメージがします。


さて、本日はこれくらいにしておきましょうかね。


へんば


Last Update=2011/11/25 02:00





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最終更新日  2011/11/27 04:00:32 PM
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