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随分と長い間留守をしていました。姉ちゃんが逝って、昨年七回忌が過ぎました。ずっと気になりつつ、ほったらかしていたこのブログ。プロフィールも何もかも編集しなおさなくちゃならないですねぇ・・・たくさんの思い出が詰まったここに、少しだけ戻れる勇気が出てきた今日この頃です。私は元気です。大将もチビも姉ちゃんの歳を越え、大将はママになりました。
September 18, 2018
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お盆が過ぎて秋風を感じるようになりました。姉ちゃんの三回忌も無事終わりました。やっぱり8月に入ってから精神状態は不安定で涙を流すことが多くて・・・少し長めのお休みを頂きました。人手不足の中、心の内を理解してくれた職場に感謝です。 二年前の出来事を私はところどころしか覚えていません。 朝に姉ちゃんから電話が来たとか夕方に連絡を受けて会津に行ったとか・・・病院に着いたら寒気がしたとか・・・・ そんなことは思い出すのに・・・・泣いていたのか笑っていたのか叫んでいたのか覚えていません。 淡々とその時の上司に電話をしたのは覚えています。 「ごめん、瑛美が事故で・・明日の遅番できない」と・・・気がついたら、姉ちゃんが大好きだったコーチや先生や友達が駆けつけてきてくれていて・・ いつ来た?? 修平くんがずっと手を握って名前を読んでいて チビが「おねえちゃん、おねえちゃん」と泣いていて・・・ お葬式が終わるまでの長い時間ほとんど覚えていなくて・・・・ たくさんの人が来てくれていたのは覚えていて病院から家に着いたら友達が動いていてくれたのも覚えていて・・・ あとは??? 長い時間、ただタバコの本数がやたらと多くて そばにはずっと次女がいたことは覚えていて・・・・周りは「思い出す必要がない」とか「瑛美が記憶も持ってっちゃったんだよ」とか言ってます。 人工呼吸器を外して欲しいと言ったのは私で・・・外さなかったら生きていられた?とか思って・・・・(あの状況じゃ無理!と言われましたが) 覚えていないことが多すぎて母親失格だな~とか思っていて・・・・・8月に入ってからずっとそんなことばっかり考えて過ごしてました(^^;テレビドラマや人の話を聞くと最期にも立ち会えないことが多い交通事故で「看取り」という選択肢を与えてくれたドクターと家族が納得するまで待っていてくれた救急のスタッフには頭が下がります。刑事裁判は不起訴・・・不起訴不服の申し出をしてもやっぱり不起訴になりました。よほどのこと(酒酔い運転とか)じゃないと起訴にはならないようです。 民事もまだ終わってはいません。今年もまたたくさんの花に囲まれて、たくさんの友達が姉ちゃんに会いに来てくれました。
August 29, 2013
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今年も福島に桜を観に行ってきました。姉ちゃんとの約束を果たしに・・・「お母さん、お母さん」耳に残るあの子の声と一緒に・・・満開の桜は姉ちゃんの笑顔を思い出させます。
April 17, 2013
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今日はバレンタインデーそして姉ちゃんの月命日・・・いつものように花屋に行き、お花を買ってお墓に・・・雪も降らず、お日様が当たって背中はポカポカで・・・軽く掃除をして花を飾ってお線香に火をつけて・・・今日は好きだったコーンポタージュをお供えしてきました 家の仏壇には大将が作ったチョコケーキとクッキーを・・・友達がチョコとブーケを持って来てくれました。バレンタインの前日は、夜中まで姉妹3人で台所を占領し、ワイワイ言いながら作っていたっけ・・・不器用な姉ちゃんは、大将に泣きついて・・・大将がお手伝い(笑)姉ちゃんが作るのは、決まって「チョコシフォン」「修ちゃんが好きだから・・・」出来上がったケーキを持ってめいっぱいおしゃれをして嬉しそうに会いに行ってたっけ・・・・姉ちゃんがいなくなって二度目のバレンタインデー修くんにチョコを送りました。チビのメッセージ入り・・・・いつか、心癒してくれる女性が修くんに出来るまで・・・三人の気持ちをチョコに詰めて贈るつもりです。
February 14, 2013
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気がつけば年が明けてひと月が過ぎました。今年は雪が多くて仕事に行くのも命懸け横滑りとの戦いですが・・・まぁなんとか事故も起こさず通勤できています。何も変わらない毎日の中で変わっていく自分のココロと身体・・・・無理の効かない歳だということも身体で感じる今日このごろです。寂しいと思うことにも慣れ悲しいと思うことにも慣れ泣くこともなく嘆くこともなく・・・・・頼ることも甘えることもすることなく・・・・いや・・・頼る場所も甘える場所もないってことかな?(笑)結構、私って強いじゃん!って自慢できるようになったかも・・・・遠くから支えてくれる友達に感謝近くでそばにいてくれる友達に感謝早く春にならないかなぁ・・・
February 4, 2013
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姉ちゃんが逝って二度目のお正月喪が明けたから年賀状・・・いつもなら、今時期、子供たちの写真を選びながら年賀状の制作をしている時期・・・子供たちが生まれてから子供たちの写真を入れて成長を見てもらっていた年賀状今年は??「おめでとう」の気分じゃないんだよね・・・それでも必要な年賀状・・・それでも必要なお正月の準備・・・「おせち料理どうしようか・・・」「姉ちゃんの好きだったものだけでいいんじゃない?」「その前にクリスマスだね」「姉ちゃんの・・・」いなくなっても家族の中にはいつも姉ちゃんがいて姉ちゃんなしの生活にまだ馴染めず馴染めないことをそれぞれが口には出さない。 お正月の準備・・・どうしようかな・・・
December 10, 2012
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最近、夜勤が辛くなってきた><歳のせいかな・・・(^^;オールナイトのばあちゃん・・・寝ろよ(T^T)朝、クラッシュ寸前になってた(^^;そりゃあなた、全然寝てないもの・・・私だって気が狂いそうになるわ><いつもズボンとリハパンをご丁寧に脱いで、地図書いて寝てる爺ちゃん今日は、絵の具付きでした(T^T)「おはよ・・着替えよっかぁ(*^^*)」失語症のじいちゃんは「はぁ・・・」と大きな目をクリクリさせて頷きます。 何が起こるかわからないのが夜勤です。無事に朝を迎えられた喜びはひとしおです。「今日は帰るね」と言ったらばあちゃんが「なんで?こないの?」と・・・・「いやいや来るよ。今日は昨日泊まったから帰るの」「仕方ないなぁ・・」なんか嬉しい(((o(*゚▽゚*)o))) 無事に家についてお線香つけて・・・「姉ちゃん、ただいま(*^^*)」散らかし放題の部屋には目をつぶって少し寝ますかね・・・
October 17, 2012
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【1000円以上送料無料】おもかげ復元師/笹原留似子【100円クーポン配布中!】 テレビで偶然見た番組で知った笹原留似子さん。ずっと読んでみたいと思った本です。最後のお別れをきちんとするために・・・・読んでいて涙が出てきます。あの日・・・納棺師の方が、姉ちゃんにウェディングドレスを着せてくれて幼馴染のKくんがヘアメイクをしてくれて・・・姉ちゃんは、まるで眠っているような綺麗な綺麗な花嫁さんになりました。会いに来てくれた誰もが「綺麗だね。とても綺麗だね」と言ってくれました。 あの日を思い出しながら、一気に読んでしまった私です。
October 16, 2012
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暑い夏が過ぎ、コスモスが綺麗に咲き始めました。秋です・・・去年の今頃は、仏壇の前で一日を過ごしていました。ただ呆然と一日を過ごしていました。泣くことも騒ぐこともできずに・・・・・今年は、納骨を済ませ、姉ちゃんはお墓の中です。毎朝雨が降らない限り、夫は自転車で墓参りに出かけ私は休みや遅出の時に墓参りに出かけます。大将は、出勤時、帰宅時に寄ってくるみたいです。チビは、行く手段がないので、私たちが行くときに一緒に行きます。お墓に入れたことで、姉ちゃんに会いに来てくれる人がいます。嬉しいことです。でも・・・お参りをしていると「お母さん、おうち帰ろう」という姉ちゃんの声が聞こえます。涙が一気に溢れ出します。おうち帰ろう・・・姉ちゃんが、いつも言ってた言葉小さい時も、大人になってからも・・・・
September 26, 2012
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娘瑛美が亡くなって1年が過ぎました。多くの仲間や友達が会いに来てくれました。仏壇の周りは花で溢れかえりました。大好きな修くんに抱かれ、娘は家からお墓に引っ越しました。悲しさも寂しさも変わらないけれど、変な気を使わず、また、変な慰めの言葉も言わず、ただ普通に娘がいた時と同じように接してくれる友達や温かいメールや手紙で支えてくれる遠方の友達に助けられて1年が過ぎました。26日は娘が去年出るはずだったトライアスロンのレースがあります。1年経って、仲間たちが走ってくれるとのこと。修くんも出てくれます。みんなが娘と一緒に走ってくれます。「出会いに感謝」お墓に刻んだ言葉です。いろんな出会いの中で、娘も私も支えてもらいました。ここでの出会いも私にとっては支えでした。娘のことをもっともっと更新したいなぁ・・・と思いながら、忙しさの中で思うだけで終わってるのが実際のところです。思い出に浸る時、姉ちゃんとの格闘をここに来て振り返っている私です。
August 22, 2012
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今朝、横断歩道を渡った...。 車が私の真横に止まった瞬間、震えて動けなくなって涙が出てきた... どんなに恐怖だっただろう。 どんなに痛かっただろう。 8月...姉ちゃんが逝ってもうすぐ一年です。
August 3, 2012
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今、東京行きの新幹線の中です。 姉ちゃんが大好きだった先輩のYちゃんの結婚式に大将と修くんと三人で出席します。 「ママ、瑛美と来てね(^^)」 泣かないようにしなくちゃ...おめでたい日ですから(^^)
June 20, 2012
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我が家の大将、ナース2年目なんとか続いてます(^^ゞ毎日、帰りは遅く、ドロドロになって眠りこけてはいますが、最近少し余裕が出てきたような・・・甘い私は、フラフラになって帰ってくる娘が気の毒で、ついつい迎えに行ってしまってますが、車の中での失敗談の話が楽しくて(*^▽^*)笑うのは失礼と思いながら、笑ってしまってます。それでも、優しく厳しい先輩ナースに支えてもらいながら、ひよこ2年目の大将もひよこ1年目が入ったことで、先輩になりました(笑)「お前、大丈夫なの??」「なんとかやってるし!」「いやいや・・患者殺すなよ(^^ゞ」「それはないな!結構デキるナースだから(爆)」「ホントか?」「嘘です(T_T)」息を引き取る患者さんを診て、姉ちゃんの時を思い出すこともあったようです。夫と同じ病気の患者さんを診て、夫の将来を思うこともしばしばだそうです。大将はいつでも事後報告。苦しい時には絶対口に出しません。姉ちゃんが荒れていた時も、姉ちゃんが逝った時も彼女は誰よりも強く、しっかりしていました。すべてが自分の中でクリアになってから話します。彼女の強さに脱帽します。この1年で、彼女はまた強くなりました。 ひよこ2年目・・ナースとしてはまだまだですが、いい先輩たちに恵まれ、生き生きとして仕事をしているようです。「私無理だったから、お願いね~って採血頼まれるって・・・鬼だ(T_T)」そう愚痴りながらも、楽しそうです(^.^)姉ちゃんが生きていたら、きっと言ってただろうな・・・ 「大将、看護師になってよかったね(*^▽^*)」と・・・子供が自分の道を歩いている姿を見ることは親として嬉しい限りです・・・・
May 17, 2012
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東北の桜の時期も終わりました。去年の4月下旬、姉ちゃんと修くんの婚約式が行われ・・・その日は晴れて気持ちのいい日で家族で福島へと向かいました。姉ちゃん達のアパートは福島県矢吹町あぶくま高原道路の矢吹インターで降りたら中学校の桜が満開で見事でした。「綺麗だねぇ・・」満開の桜、風に舞っている花びらいいところに住んでるなと・・・・・・「お母さん、毎年この時期に泊まりにきたらいいよ(*^▽^*)」姉ちゃんは笑ってそう言ってました。毎年毎年一緒に桜が見られる。孫も増えても毎年一緒に桜を見ることができる。そのはずでした。4月下旬、仕事が休みの日、一人で新幹線に乗りました。矢吹の桜を見に・・・・修くんのお母さんと一緒に・・・桜はまだ三分咲き・・去年のように満開ではありませんでした。「約束通り来たよ・・・」これから、トライアスロンのシーズンがきます。毎月毎月姉ちゃんの姿を追って、そしてあの日が近づいてきます。そしてまた、来年も矢吹の桜を見に行くでしょう。
May 15, 2012
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14日は姉ちゃんの月命日です。 午前中に仏壇に飾るお花を買いに行く以外は家からはほとんど出ることがありません。 毎月毎月姉ちゃんに会いに来てくれる人がいます。 ランニングチームのメンバーさんだったり、 私の友達だったり、 姉ちゃんの友達だったり・・・ 今月は・・ 中学校時代の担任の先生 中学1年で担任になって頂いてから、 ずっとずっと支えて貰いました。 姉ちゃんが心を病んでしまったときも、進学したときも そのあとも、ずっとずっと支えてもらいました。 結婚式では祝辞をのべてもらうはずだったのが、弔辞になってしまいましたが・・・ 「ご飯食べに連れてってもらお~~ヽ(*´∀`)ノ」 何度も何度も食事をご馳走になっていました。 先生の支えは姉ちゃんにとって強靭的な回復を遂げる薬でもありました。 「ホントにこいつはわがままで・・・なのに、人を引きつけてましたねぇ・・ちゃんと仲間を見つけて、自分の居場所を見つけて・・これからだったのになぁ・・瑛美・・・」 姉ちゃんに話しかけながら、姉ちゃんの写真をずっと見ていました。 今日は、トライスロンで一緒に頑張ってきた同期の男の子がわざわざ会いに来てくれます。 さて・・一緒に写ってる写真を印刷しなきゃ・・・ 悲しみの中で、ちょっとだけ嬉しくなるひと時です・・・・
April 16, 2012
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久しぶりに仕事ネタです。先日、前のユニットにいた婆ちゃんが他界しました。入所したのは3年前脳梗塞の後遺症もあり、認知症で、ベット策を乗り越えてしまうような婆ちゃんでした。「どしたの??」「チョット来てみようかと思って」「怪我するよぉ~」「あらぁ~大丈夫よ」何度冷や汗を掻いたことか・・・・寝たきりになってからはそんなこともなくなったけどいつでも笑顔で受け入れてくれて癒してくれました。異動になってからも笑顔に会いたくて顔を出していました。「元気?」「あら久しぶりねぇ~元気よぉ~」おっとりと笑顔を見せてくれました。娘が亡くなって、仕事に復帰したときも顔を見せたら「大変だったね」とまるで全てを知っているかのように言葉をかけてくれた婆ちゃん。認知症だったよね??狐につままれた気分でした。最後に会ったのはいつだったかなぁ~・・・確か、救急搬送される1週間ぐらい前の夜勤の前だったでしょうか・・・相変わらずのおっとりした口調で笑顔を向けてくれました。お通夜の後、娘さん夫婦から「お世話になりました。母もこの3年間楽しかったと思います。いつもそばにいていただいて・・・」とお礼の言葉をいただきました。一緒にいたかったのは私の方。甘えさせて貰いました。春のひだまりのような婆ちゃんでした。
April 9, 2012
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今日は友達Kちゃんの命日です。7回忌・・・月日の経つのは早いものです。毎年毎年彼女の命日には墓参りに行っています。今年も行ってきました。今日はチビを連れて・・・「kちゃん、姉ちゃんをよろしくね。」娘のことをお願いしてきました。「ヒロちゃん、大丈夫だよ。わかった(^.^)」って言ってくれたような感じがしました。彼女の愛して止まなかった3人の娘さんたちはそれぞれの道を歩いています。子供たちの笑顔のために頑張るんだと言っていた彼女。長女Sちゃんはママになります。「ママのような母親になりたい」昨日メールが届きました。彼女のお母さんから電話をいただきました。娘を亡くした私を気遣ってくれます。「ゆっくり会いましょうね」もしかしたら、お母さんの前でなら私も泣けるのかもしれない・・・亡くなってもなお、彼女は私のことを心配してくれている。そんな気がしています。「また来るね・・」そう言ってお墓を後にしました。
March 23, 2012
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修くんが姉ちゃんに会いに来てくれて少し長い間仏壇に手を合わせていた。 全面的に自分が悪いと言っていた加害者が「飛び出してきた」と言い始めたという・・・香典とお菓子を修くんのアパートの郵便受けに突っ込んで行ったらしいそれで誠意っていうのだったら前にも増して許せない。 二人のホワイトデーを返して欲しい笑顔の二人を返して欲しい
March 15, 2012
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ちょっと元気…ちょっとDOWN… 精神の波が激しいのがわかる… 立て直すには結構しんどいものがある…
February 28, 2012
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今日はバレンタインデーそして姉ちゃんの月命日です。毎年この時期になると姉ちゃんは妹たちと大騒ぎして 修くんのために「チョコシフォン」を焼いていました。 バレンタイン前日は、狭い我が家の台所は笑い声と 嘆き声と入り混じっていました。 「お母さん、お母さん」 うるさい・・・・ヽ(`Д´)ノ ため息をつきながら、あ~だこ~だと文句を言いながら それでも3人娘の笑い声を幸せだと感じていました。 今年は・・・姉ちゃんはいません。 姉ちゃんの代わりに今年は3人でチョコシフォンを作って 送りました。 「姉ちゃんのの想いを目一杯つめて・・・いつもありがとう」 カードを添えて・・・ 今日で姉ちゃんが逝って半年です。
February 14, 2012
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修くんのお兄ちゃんに赤ちゃんができました。可愛い可愛い女の子です。お兄ちゃんの奥さんは姉ちゃんと同じ名前初めて聞いたときはびっくりしました(笑)姉ちゃんと違って、大人しくてしっかりしていて・・・「お前と全然違うじゃん」そう言ったら「だよ!文句ある??」と膨れていたっけ・・・・赤ちゃんが生まれることを楽しみにしていた姉ちゃん。嬉しいことが二つもあると喜んでいたお義母さん。結局は悲しみのどん底に落ちてしまいましたが・・・・旦那も私も心待ちにしていた赤ちゃん無事に元気に生まれたと写メが送られてきました。「暖かくなったら仙台に連れて行きます」とお兄ちゃん悲しみの中で嬉しい報告でした。生きていれば・・・・やっぱり考えてしまいます・・・・ 修くんの悲しみが少しでも癒されますように・・・そう願いながら、やがては姉ちゃんじゃない他の誰かと家庭を築いてしまうのかと寂しくもなり・・・可愛い可愛い新しい修くんの家族に、私も会いに行きたいと思っています。
February 8, 2012
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姉ちゃんが逝って半年が過ぎようとしています。あれから私はスーパーに買い物に一人で行けなくなりました。姉ちゃんとの思い出が強すぎるから・・・買い物に行く時は、必ずチビか大将と一緒です。でも・・・二人に負担を掛けるのも可哀想になってきてひとり買い物に挑戦してみました・・・・でも・・・・結果はでした本屋にも行けたし、文具屋にも行けたのに・・・店に入ったら苦しくなって、涙が出てきてダメでした。すぐに出てきちゃいました・・・子供たちのこれからを邪魔しないように、自分で乗り越えないと・・・そう思っているのですが、なかなか難しいです
February 6, 2012
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昨日一枚のハガキが届きました。1年遅れの卒業式の案内です。昨年・・・震災の影響で県内の大学の卒業式はありませんでした。「ちゃんとした卒業式を見せてあげられなくてごめんね」と姉ちゃんはメールをくれました。彼女にとって大学の卒業式はとても重要なものでした。いじめを受け、高校を辞め、通信制の高校で単位を取得して挑んだ大学受験。合格が彼女に自信を持たせ、トライアスロンが彼女の人生を変えました。だけど、彼女の中にはいつも全日制の高校を卒業できなかった悔しさと私への罪悪感がいつも渦巻いていたのでしょう。大学の卒業式は辛い過去を捨てるセレモニーであったようです。全日制の卒業式の日、先輩からの手作りの卒業証書を手にして涙したあの日を忘れずに、一番いい笑顔で卒業証書を私に渡すことを楽しみにしていました。送られてきた卒業証書・・・「なんか味気ないね。」って苦笑いしてたっけ・・・遺影を抱いて参加するのはいけないことでしょうか・・・あの子が出たかった卒業式だから・・・多分・・・泣いてしまうだろうけれど・・・卒業式に着るはずだった着物を着て撮った記念写真を抱いて・・・
January 31, 2012
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夜勤中… やっと落ち着いたと思ったらこの時間… パソコンの前には姉ちゃんの写真… 仕事に復帰してから夜勤の時はいつも写真を置いておく… 笑顔でゴールした写真…
January 29, 2012
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久しぶりに一人だけの休みです。 土日が休みだったりすると、まずは旦那がいてチビがいて・・・ 誰かがいる休みって今の私にはちょっときつかった 朝からなんだか涙ばかりが出てきて仕方なかった。 ちょうど昨日JUJUの新曲が出て、 リピートで何度も聴いていたからかな・・・ 姉ちゃんの大好きな先輩が来てくれて、またボロボロと泣いて・・・ どんなに戻っておいでと泣いても戻ってはこない。 日に日に愛しくて寂しい気持ちは増すばかりで・・・ やがては修くんも新しい人を見つけるでしょう やがては友達も娘の存在を忘れる時が来るでしょう やがては・・・ そんなことを思うと勝手に涙が出てきてしまう。 前を向かなければ・・・笑っていなければ・・・ 私が笑わなければ家族は笑えない。 強くならなきゃ・・・ でも・・・ちょっとだけ、泣ける場所が欲しいと思う。 泣かせてくれる相手が欲しいと思う。 強い私でいるための場所が欲しいと思う・・・・ 「頑張って」の言葉はいらない 「立ち直って」の言葉もいらない
January 26, 2012
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年が明けました・・・9日は成人式でしたね。 我が家のチビも成人式のため、朝からバタバタしていました。 「チビはトロいから、私が全部やるっ!」 姉ちゃんが1年も前から張り切っていました。 その姉ちゃんは、チビの晴れ姿を見ずに逝ってしまいましたが・・・ 髪とメイクは小さい頃から行っているところ・・・ 姉ちゃんの同級生のいるところ・・・ 「七五三おめでとうございます」 なんてからかわれながら、少しお姉さんぽく仕上げてもらいました。 着付けは記念写真をいつも撮っている写真屋さん 「姉ちゃんがいたら、賑やかだったよね」 なんて会話しながらこれまた可愛く仕上げてもらいました。 誰もが姉ちゃんを感じて、姉ちゃんを思い出しながら、想いを込めて チビのセレモニーの支度を整えてくれました。 写真の姉ちゃんは笑ってるだけだけど、きっと 「やっぱり可愛いじゃん。私ってセンスあるよねぇ~」 なんて、自分が選んだ着物を自画自賛してるに決まってます(笑) 夜は中学の同窓会へ・・・ 姉ちゃんがお出かけの時に着ていたワンピースを着て、 姉ちゃんが着ていたちょっと大人っぽいコートを着て、 姉ちゃんから貰ったブーツを履いて出かけていきました。 「可愛かったでしょ。チビ」 と写真に語りかけました。
January 11, 2012
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今から外部研修です。 悲しみもせつなさも変わらないけれど、『諦め』という薬と『優しさ』という薬が作用して少しずつ緩和されつつあるのかなと… 会えないけれど『そばにいるからね』とメールをくれたゆいぽんちゃんさん、姉ちゃんとの思い出を話してくれたあかりさん。メッセージをくれた方々ありがとう。 死と向き合う仕事を今でも続けているのはなにかしら理由があるのだろうと思っています。 仏壇の中の姉ちゃんはいつでも笑っています。 泣きたくなると姉ちゃんの小さい時の言葉を思い出します。 『お母さん、にっこーり(^^)』 行ってきます
December 21, 2011
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喪中のはがきを出してから、姉ちゃんの死を知った友達学生時代、バイトで寝食をともにし、男女の境を越えて過ごしてきた。お互いに結婚し、家庭を持っても変わらない友達関係上京した時には大将も含め、4人で飲みにも行った。仕事から戻った私にチビからの書置きがあった「Sさんから電話あり。遅くなってもいいから連絡よこせって」電話したら「一体どうしたんだよ!Hからも愛菜恵からはがき来たけど知ってるか?って電話来たぞ」と・・・事の成り行きを説明した。また涙が頬を伝った。「なぁ・・・ごめんな・・俺、かけてやる言葉が見つからない。辛い話また話させちゃってごめんな」そう言って彼も涙声になっていた。彼だけではなく、知らせを受けてすっ飛んできた友達がいる。電話口で号泣した友達がいる。うわべだけの優しさではなく本気で私のことを心配し、自分のことのように想ってくれる友達がいる。こういう時って人の裏表がわかってしまうって悲しいけれどそれが現実かな…百箇日が過ぎて見えてきたものがある。百箇日が過ぎたから見えてきたのかな…言葉一つでいろんなことを感じている。優しい言葉を並べられても響かないことがある。でも・・・「ちゃんと食べなさいよ!」その言葉一つで嬉しいと思うことがある。 ただ・・・・「頑張ってね」その言葉はかなりきつい・・・・かなりわがままになってる気がするなぁ…私…
December 5, 2011
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先日、チビの成人式の衣装を選びに行ってきた。 前撮りの予約を入れようと電話したら 「着物は決まってますけど、小物が決まってないですよ!!」 と言われ驚いた 着物だけは姉ちゃんが選んでいたけれど、小物は選んでなかった・・・ 姉ちゃんが逝ってしまったことで、すっかり親子して忘れていた。 生前姉ちゃんがチビのためにと選んだ振袖 白地にピンクや赤の花があしらわれている。 「チビは淡い色の方が似合うよ」 そう言って譲らなかった。 試着したチビは満足そう... まるでチビのためにこしらえたかのように似合っていた。 入学式、卒業式、成人式... 必ず記念写真を撮っていた。 必ず姉妹3人で...・ 小物も一緒に選ぶはずだったのに... きっと本人よりも夢中になって選んでいただろうな...
December 3, 2011
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21日は姉ちゃんの百箇日でした。もう百箇日…まだ百箇日…法要は日曜日に済ませ、姉ちゃんも一緒に帰ってきました。 帰り際、ばあちゃんがまるで頭を撫でるかのように姉ちゃんの骨壺を撫でながら泣いていました。お義母さんも泣いていました。短い短い結婚生活だったけどいっぱいいっぱい可愛がって貰いました。「また来てね。」「また来ます。」姉ちゃんが好きだったもう一つの家族をこれからも大切にしていかなければ・・・・昨日はお花が届いたり来客があったり・・・・仏壇の周りは、また多くの花で囲まれています。 一人で泣くと姉ちゃんが心配するから泣くのは我慢しなきゃ・・・でも泣いちゃうんだよね…「一番お母さんが大好きって言ってたよ」お友達から聞く度に「お母さんも姉ちゃんのこと大好きだから早く帰ってきて」と写真の娘に話しかける私です。
November 22, 2011
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生きていれば・・・今日は姉ちゃんの結婚式のはずでした。 みんなの祝福の中 ウェディングドレス姿で父ちゃんと長いバージンロードを歩く予定でした。綺麗な綺麗な姉ちゃんの花嫁姿が今までの苦しみも悔しさも全部流してしまうはずでした。 でも・・・ 主役の姉ちゃんは写真の中で笑っているだけ…・悔しくてさびしくて切なくて…・寝られなかった…加害者が憎い… 今日、姉ちゃんを迎えに行ってきます。
November 19, 2011
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「私ねぇ~プロモーションビデオに出るんだよ」 そう教えてくれたのはいつだっただろう・・・ 福島出身のアーティストのプロモーションビデオに娘が出ると・・・ 「なんで?」 「よくわからん(笑)復興の応援ソングみたいだね」 それから暫くその話題に触れてはいなかったけれど、 娘が亡くなってから、修くんから 「プロモーションビデオの件聞いてましたか?」 と言われ思い出した。 「聞いてたけどどうして?」 「会社から、もし家族の了解が出れば、亡くなったけどそのまま使いたいってメールが来たんです」 「構わないよ」 限定公開という形で見られたプロモーションビデオ 今は限定公開ではなくなりました。 ほんの数秒ですが、 娘が会社の制服を着て楽しそうに笑っています。 会社の人たちと・・・・ YouTube Japan~うつくしまやまねこ~いつもの楽しそうな笑顔 一度も見られなかった制服 会いたくなると訪れます。 笑顔を見たくて...・
November 15, 2011
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ココロがさびしくなると弱音を吐きたくなります。娘が逝ってから、頑張るココロを維持する力が持続できなくなっています。なんで?どうして?「姉ちゃん帰っておいで」仏壇に向かって話しかけているとチビは悲しい顔をします。大将はため息をつきます。仕事でボロボロになって帰ってくる毎日。老いて人生を終えるジジババたちと過ごしていると時々言いようもない寂しさと苦しみに襲われてしまいます。チビが「お母さん、長生きしてね。どんなふうになってもいいから・・・」私の体をマッサージしながらポツンと言いました。「もちろん。姉ちゃんには"まだ迎えにきても行けないよ"って言ってあるから」あの時...娘のあとを追ってしまおうと思うほどの悲しみは残された二人の娘に癒されてきたんだと...頑張らなくては...逝ってしまった姉ちゃんの分も・・・・・「走ろうかね・・お母さんも...」「何年走ってない?まずは歩くことからでしょ><」「その通り!」きっと姉ちゃんはそばで聞いてる。「おかぁさん、自分の歳を考えなさいよ!」ケラケラと楽しそうに笑っている娘の笑顔を思い出す。ありがとうね。お母さんの寂しさを二人で受け止めてくれて...面と向かっては言えないけれど感謝しています。二人の娘たちに...
November 7, 2011
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毎日残業が続き、やっと今日は休みです。休みの過ごし方も姉ちゃんが逝ってから変わりました。仏壇の掃除から始まり、花屋に行き花を選び玄関と仏壇の花を替え…花屋には行けるけれど、相変わらず一人でスーパーには買い物には行けません。用事がなければほとんど家の中で過ごします。今は…姉ちゃんが最後に着ていたバイクジャージで小さなお守り袋を作っています。日本選手権の時に同期の子にあげたお守り。「お母さん、私も欲しい」チビが言った一言で、作れる限り作ろうかと…半分以上切り取られ、血の跡もあるバイクジャージだけど、姉ちゃんが最期まで着ていたバイクジャージ・・・まずは家族の分・・夫と大将、チビにあげました。そして姉ちゃんが信頼していたコーチからのリクエストで先日差し上げました。次は私と修平くんの分…いくつできるかな…袋の中にはバイクに乗ってる姉ちゃんの写真を入れて…・裁縫がへたくそな私が作る物です。きれいにできるはずがありません。だけど、一針一針想いを込めて、仏壇の中の姉ちゃんに向き合いながら作っています。時々姉ちゃんに会いたくなってパソコンの中の姉ちゃんに会ってそしてまた針を持って・・・・目が疲れるので休みの日に一つ作るのが精一杯なんですが…誰もいない休日の過ごし方です。
November 5, 2011
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連勤が続き、今日は午後からの勤務です。淡々と日々を過ごしていますが、いつも頭にあるのは姉ちゃんこと。何をしても楽しくないし、大将とチビに申し訳ないと思いながら常に「姉ちゃんが生きていたなら・・」と思っています。朝起きて仏壇にお参りしてご飯をあげて・・・家族が出かけた後に何気なく見ていたテレビ・・映ったのは小児救急の特集で・・・目に飛び込んできたのは自転車と車の接触事故で運ばれた9歳の女の子その瞬間ダメでした。あの時の姉ちゃんを思い出し、集中治療室の姉ちゃんを思い出し眠りについた姉ちゃんを思い出し…・一気に涙があふれ出してしまいました。あの時…会津ではなく、仙台にいたら・・・あの時・・ドクターヘリでもっと最新の治療のできる病院に運んでいたら…あの時あの時あの時・・・・
November 2, 2011
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姉ちゃんが逝ってからたまに更新する日記も姉ちゃんのことばかりでどうしても前に進めないでいた。いろんな意味でここにいること。日記を書くことそれがとても無意味に思えて辞めてしまおうと思った。なにもここに固執するする必要はない…「楽天やめようかな・・・」あかりさんにメールをした。「つらいなら…mixiもあるし、辞めてもいいと思うけど思い出がたくさんあるから私は残しておいてほしいよ」と返事がきた。 それから数日が経ってしまったけれどまだ削除できないでいる。あかりさんが言ってくれた通り、ここには姉ちゃんの思い出がたくさんあるから…喧嘩したり笑ったり…読み返せば涙が出てくるけどごめんねって言葉しか出てこないけど姉ちゃんはここに残ってる…自分の想いの捌け口に始めたブログ自己満足のブログだったはず・・・・・・・ もうすこし…ブログの中の姉ちゃんを思い出してみようかな・・・
October 27, 2011
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チビが姉ちゃんが所属していたランニングチームに入ることになり、土曜日が初練習でした。生前から自分の後釜として、チビにチームのスタッフを勧めていたので「姉ちゃんの意思を受け継いで・・」とも思ったのでしょうか・・・突然「私走るから」と宣言したのです元々小学校から走り始め(姉ちゃん二人の影響ですが)中学時代は陸上部で中長距離の選手だったので、違和感はないのですが、走るのが嫌いになり、高校は全く関係のない馬術部に籍を置いていたので、「走る」という言葉を聞いて耳を疑った私です姉ちゃんを感じて姉ちゃんの着ていたジャージを着て姉ちゃんと一緒に頑張る彼女の想いは常に姉ちゃんと一緒にあるようです。初参加した土曜日、あいさつで泣いてしまったと言っていました。姉ちゃんとかぶるところには亡くなってから行きたがらなかったので、想いが溢れ出したんだと思います。「でもね・・・ちゃんと練習はできたよ。みんな優しくしてくれたし」いつか、姉ちゃんと一緒にレースに出れたらいいね... ひよこ看護師の大将は、葬儀の次の日吐きながら出勤していました。「行かないと私はダメになる」姉ちゃんがいつも使っていたバックに荷物を抱え、姉ちゃんに黙って線香をあげ、泣きはらした目で出勤していきました。それから二か月余り...日々悪戦苦闘しながら仕事をしています。「勤務先がICUとかじゃなくてよかったよ」迎えに行ったときにポツリと呟きました。救急やICU勤務だと娘を思い出してしまうからと...看護学校の頃は最前線で働きたいと熱望していたのに...・「でもね・・いつか、三次救急のある病院に移って、救命の看護師になる。姉ちゃんの担当だった看護師のように私はなりたい。家族の気持ちを大切に考えて行動してくれる看護師になりたい。今は無理だけど...きっと姉ちゃんもその方が喜んでくれると思うんだよね」娘が運ばれた病院の看護師の行動は、辛い中にあっても私たちに穏やかな時間をくれました。最後のお別れを出来たのは、病院のスタッフのお蔭だと思っています。「そうか・・・」いつになるかわかりませんが、きっと彼女は救命の看護師になってくれるでしょう。強い娘たちです。姉の死をしっかりと受け止めて前に進もうとしています。 私も負けていられないなぁ~・・・一番へなちょこなのは、きっと私です悲しみの中にあって、少しだけささやかな幸せを二人に貰った私です。
October 17, 2011
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今娘と東京にいます。 去年、あと少しのところで切られて悔し泣きをし、今年こそ…と出場することを目標にしていた『日本選手権』 生きていたなら確実に出ていたレースを観に… 娘と親しくしていたYちゃんとMくん二人の応援です。 『一緒に出ようって約束してたんです』 出場権を獲得した二人からのメール… 二人に娘と一緒に走って貰いたくて、最後に着ていたバイクジャージで御守りを作りました。 渡せるかどうかわからない…渡したら彼、彼女の負担にならないだろうか…未だに迷ってますが… 頑張って欲しい…レースを楽しんで欲しい… 『一緒に応援しましょう』 娘の仲間からのメール…嬉しい… 目一杯応援してきます。娘と一緒に…
October 16, 2011
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二度目の月命日です。 朝、おりく膳を作って仏壇の花を新しくして... 毎回同じ料理じゃ飽きちゃうだろうなぁ... お肉大好きだったのにあげられないね...なんて 写真の娘に話しかけたりして... 月命日は仕事はお休み・・・ 私の休みをいつも心待ちにしていた娘。 「ねぇねぇお母さんいつ休み?」 大学の時も嫁いでからも同じように一緒に買い物して ランチして... そんな娘だったから、月命日はお休みにして 一日娘と過ごすことに決めました。 小さいころから一緒に過ごすことを喜んでいた娘だから そばにいてげないとさびしがるから... 写真の娘は嬉しそうに笑っています。
October 14, 2011
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四十九日法要を無事に済ませました。前日に嫁ぎ先である福島に娘と共に出発し、最初に行ったのは二人が住んでいたアパート・・・「瑛美、着いたよ」胸に娘を抱いて車から降り、待っていた修平君に渡しました。どんなに帰りたかっただろうここに・・・二人のアパートには、まだ娘のいた空気が残っていました。台所、寝室、リビング・・・一ヶ月以上経ってもなお娘がいるような感じがしました。家族で撮った記念写真「結婚おめでとう」の色紙・・・娘のお弁当箱愛用していたヘアアイロン・・・悲しいけれど娘に会えた気がして・・・午後になって修平君の実家へ・・・「おかえりなさい」お母さんが出迎えてくれました。おばあちゃんは娘の遺骨を見て号泣しずっと撫でていました。みんなに可愛がっていただいていた。それがどんなに嬉しいことか・・・・ 法要を済ませ、今娘は福島にいます。百箇日法要まで、大好きな大好きな修平君と一緒に・・・・
October 1, 2011
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明日は姉ちゃんの四十九日です。 今福島に向かっています。 二人で暮らして、今は姉ちゃんが大好きな修平くんが一人でいるアパートに、姉ちゃんを連れていって、それからお義母さんやお義父さん達の待つ家に行きます。 仙台の家に戻るのは来月百箇日を過ぎてから…
September 30, 2011
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四十九日を来週に控え、姉ちゃんの幼馴染が会いに来てくれました。ベビースイミングからの幼馴染・・・お互いの家を行き来して、同じように怒られ、同じように笑い・・・進む道は違っても、お互いに離れていても、連絡はとっていたようです。仕事の絡みもあり、葬儀の時は休みが取れなかったとのこと・・・姉ちゃんの遺影を見て「ホントだったんだ・・・・」そう言って涙を流してくれました。二人の間にはきっと懐かしい思い出がぎっしり詰まっているのでしょう。あんなこと・・・こんなこと・・話をしては笑い、涙をこぼしていました。「頑張ってたんだね。かっこいいね」褒められて嬉しくもあり、悲しくもあり・・・
September 24, 2011
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今日は35日・・・五七日でした。姉ちゃんが逝ってから、ゆっくりと身体を休めることができなかったけれど、今日はゆっくりと時間が流れました。もしかしたら姉ちゃんが「ごめんね。少し休んで」と時間をくれたのかもしれません。まだまだ受け入れられなくて頭では理解しているのにココロが姉ちゃんの死を受け入れていない・・・今は、当たり前の幸せも叶えられない現実を受け止められない私です。
September 17, 2011
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9月14日姉ちゃんのはじめての月命日でした。多くの人が姉ちゃんに会いに来てくれました。 あれから一ヶ月・・・悲しみは増すばかり悔しさも増すばかり・・・なんで?どうして?ただ・・・いくら想ってもあの子は帰ってこない・・・・
September 15, 2011
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娘が逝ってから二週間が過ぎました。娘のお骨はまだ我が家にいます。たくさんの花に囲まれて・・・大将は、葬儀の次の日に仕事に行き始めました。相当辛く、過酷な状態で・・・・「仕事をするために、姉ちゃんのバックが必要」娘が愛用していたバックはお守りなんだそうです。チビもなんとか学校に行き始めました。彼も仕事があるため、福島に戻りました。実家で過ごすことを望んだ私たちですが、彼は娘と暮らしていたアパートに戻っていきました。それぞれが少しずつ元の生活に戻ろうとしています。何も変わってはいません。娘が居なくなってしまった以外は・・・・毎朝、ごはんとお茶をあげることが日課に加わりました。花の水を替えることも加わりました。遺影の娘は嬉しそうに(*^^)vサインをしています。今でも「お母さん、お母さん」とうるさいけれど、心地よい声が耳に残ります。バタバタと部屋に駆け込んできて抱きついてきそうな錯覚に泣くこともあります。こんなことになるのなら、もっと抱きしめてあげれば良かった・・・もっともっとそばにいてあげれば良かった・・・いい母親ではなかったけれどいい娘に育ってくれた。可愛い可愛い自慢の娘でした。こうして書く事で、自分に無理やり納得させている部分も、整理をしている部分もあります。へなちょこの母は毎日くじけそうです。
August 31, 2011
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横になった娘にたくさんの人が会いに来てくれました。みんなが「綺麗だね」と娘のウェディング姿を褒めてくれました。通夜・・告別式・・・行なったことは覚えていますが、あまり中身は覚えていない・・ただ・・式場に入りきれないくらいの方々が娘にお別れをしにきてくれていました。遠く沖縄や沖縄からも・・・・「幸せ者だね。あの子は・・・」とても苦しかった高校時代女子高生の制服姿を見るたびに泣いて吐いていたあの頃そんな時に変わらずに娘と接してくれた中学時代の同級生やスイミングの仲間達。それを黙って見守り、サポートしてくれた先生やコーチ大学に入ってからトライアスロンを通じて他大学でありながらも、仲間として支えてくれたS大の仲間たちそして未熟な娘をランニングチームのアシスタントとして向い入れてくれ、娘のコーチとしても力を注いでくれたAさんあげればきりがないほど娘に関わってくれた大勢の方たちが娘にお別れをしに来てくれました。娘を火葬場に連れて行ってから小さくなるまでの間のことを私は覚えていません。ただ・・・気がついたら私の友達が私の脇を固め、チビが「お母さん、まだ私たちがいるんだからね」と涙目で私を叱っていました。アスリートらしい立派な骨でした。頭は・・ヒビが入っていて・・・それでもしっかりと形を残していました。「痛かったね・・・」事故の大きさを思い知らされました。小さくなった娘を膝に抱いたときまだ暖かい娘は赤ちゃんだった頃のことを思い出させ、睡魔に襲われました。きっと娘が「お母さん、少し寝なよ」と寝かせてくれたのかもしれません。
August 31, 2011
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「お母さん、どうしたいですか?」修平君のお母さんに聞かれ「連れて帰りたい・・・」そう答えるのがやっとでした。「じゃあ、瑛美ちゃん仙台に帰りましょう」本来であれば、嫁ぎ先である福島に帰らなければならない娘を彼のご両親は私達の気持ちを尊重し仙台に帰ることを許してくれました。私と夫である修平くんと一緒に娘は仙台へと向かいました。家には私の友達や、旦那の部下が娘を待っていてくれました。リビングに続いた小上がりの和室に娘は浴衣姿で横になりました。顔の絆創膏も頭の頭巾も痛々しかったけど、穏やかに眠っているような娘でした。泣いていたのか、笑っていたのか、自分がどういう状態であったのか覚えてはいません。そんな状態の中で、葬儀屋との打ち合わせが苦痛で・・・ほとんど参加していなかったと思います。彼のご両親が娘のために結婚式で着るはずだったウェディングドレスを買い取って来てくれました。納棺師の方が着せてくれて、娘は棺に入りました。顔の傷も綺麗にしてくれました。娘の幼馴染みが美容師で、ウィックを付けてヘアメイクをしてくれました。「綺麗だね・・最高にお姉ちゃん綺麗だね」静かに寝息を立てているように穏やかな顔です。「良かったねぇ・・ウェディングドレス着れて・・・」だけど、娘は答えてはくれません。修平君はただ、愛おしそうに娘の顔を撫でていました。
August 30, 2011
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8月13日の朝、姉ちゃんから電話がきました。「おかぁさ~ん、仕事行きたくないよぉ~でも、午後からしゅうちゃん(旦那)と試走に行ってくるね。」「気を付けなさいよ。」「はぁ~い」いつもの何気ない電話のやり取り。まさか、それが最後になるとは思わずに・・・11日まで試合前の練習のため、里帰りをしていました。「あんたさ・・仙台に来させてもらえることを感謝しなさいよ」「わかってるよぉ」21日、会津でのレースで日本選手権の切符を取ることを目標に頑張ってきました。会社の全面的なサポート、5月に入籍したばかりの夫と夫の家族の協力があり、姉ちゃんは最高のコンディションでレースに臨もうとしていました。「お母さん、このレースが終わったら福島に来てね」11月19日、郡山で結婚式を挙げる予定でした。ドレスも決まり、あとは打掛を一緒に選ぶ予定でした。バージンロードを父ちゃんと歩くのを楽しみにしていました。「お父さん、泣くかなぁ~」「絶対泣くよ」「私も泣いちゃうな・・・」「あんた泣き虫だから」当たり前の会話・・・あの日は珍しく家族全員休みでのんびりとした休日でした。4時半・・・家の電話が鳴り、彼のお母さんでした。「今電話が来て瑛美ちゃん(姉ちゃん)が事故に遭ったって・・・お母さん、すぐ行きましょう」そんな・・・今朝話したばかりだったのに・・・とりあえず荷物を詰めて、私と大将は新幹線で旦那とチビは車で会津に向かいました。 会津の病院に着いたのは夜8時頃だったでしょうか・・・命が助かると思いながらも病院に着いたとき、とても嫌な予感がしたことを覚えています。うなだれて泣いている彼・・・会社の方土下座を繰り返す加害者・・・・オペ室から出てきた娘は娘じゃなかった・・・・時間は定かではありませんが、ドクターからの説明がありました。話辛そうなドクター「脳のダメージが強すぎて・・・・骨盤も骨折していて・・・」すぐに状態を飲み込めた自分がいました。大将も同じでした。「脳死状態ということでしょうか?」「ほぼその状態です。」「回復の見込みは・・・・」「残念ですが・・・会わせたい方がいましたら・・・」運ばれた当初、瞳孔も開きかけていたと・・・血圧が安定して持ち直したが、あとは落ちてゆくでしょうと・・・・ご家族が納得されたときに呼んでくださいと・・・・集中治療室に寝ていた姉ちゃんは、呼吸器をつけていました。「瑛美、お母さんだよ。来たよ」そう言ったら口元が動きました。多分、聞こえていたんだと思います。チビは「お姉ちゃん起きて。お姉ちゃん」と何ども何ども叫んでいました。夫である修平くんは、名前を呼びながら娘の手を握っていました。スイミング時代のコーチ、中学校の時の先生、修平君のご両親、みんなが娘を見守っていました。挿管され、苦しいだろうと思いながら、大好きな先輩がくるまで頑張って欲しいと思いました。こんな時に・・・・下手な知識がある私と看護師である大将・・・・モニターを見つめながら娘の最期を感じ取っていました。「ママ、可哀想だから呼吸器外してあげよう」娘の大好きな先輩、優ちゃんが言ってくれました。8月14日 0時36分 娘 瑛美は旅立ちました。最愛の夫を残して・・・・病院のスタッフの心使いで大将と優ちゃんも管を外し、私も加わりエンゼルケアをしました。とても事故に遭ったと思えぬほど綺麗な穏やかな顔をしていました。
August 29, 2011
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姉ちゃんが息を引き取りました…結婚式を11月にひかえていました…頑張って頑張ってそして力尽きました…
August 14, 2011
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どうして支え合えないんだろう… 何故に守ってあげられないんだろう… やって貰うのは当たり前で、やってあげることはせず、都合いいように話をする… 仕事を続けていく自信がなくなった…
August 5, 2011
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