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11回目のお誕生日を無事迎えることが出来ました![]()
(写真だけのところへお祝いのメッセージ下さった皆さま、ありがとうございました![]()
11年前のこの日のことを少し。
当時自宅は徳島にありました。
私は里帰り出産の為に岡山へ、予定日は12月8日。
生まれた日の前日11月30日は、たまたま夫の大学のゼミの先生のお祝いか何かで(もう忘れた)夫は岡山に来ていました。
予定日までまだまだ1週間あるし、私はホテルに夫を送った後、妹と手芸屋さんに行ったり、ブラブラ買い物などをしていました。
お昼過ぎから 「あれ?」
と思いながら、それが破水という事に気が付かず…夕方まで放置。
夕方・・・やっぱりちょっと聞いてみよう
と。
「入院の用意をしてすぐ来て」と言われ、夫と2人タクシーで病院へ。
診察後「破水してます。お産が進むように・・・」と処置してもらい、そのまま入院。
でも、助産婦(現・助産師)さんに「今日のことにはならないので、ご飯食べたりゆっくりして」と言われました。
夫は、この日に自宅へ変える予定が、予定変更そのまま一緒に病院にいてくれることとなりました。
私のほうは、とうとう出産か・・・
なんだか緊張して
ご飯もロクに咽喉を通らず…。
でも、お腹の一姫には
「出ておいで
パパが抱っこしてくれるよはやく会いたいって言ってるよ
」なんて、話しかけていたら・・・
今日のことにはなりません
何て言われていたのですが23時過ぎ頃から・・・
陣痛というものが
とうとう来たか
ですが、正直よくわからん
痛みは増すけど・・・
その間、夫はずっと背中をさすったり言うことをよく聞いてくれましたよ妊娠中もお姫様扱いゴミ出しはもちろん、荷物もちも![]()
(注:あくまでも 限・妊婦
)
夜中・・・陣痛との闘い
病院も夜勤の人数が少ないし、助産婦さん来てくれない![]()
私のお産…どうなってんのよ~~~![]()
夜が明けてくる頃・・・
「もう我慢できん誰か呼んで来て」
で、出勤してきたK助産婦さん登場
「ほんなら、そろそろ行く」
と分娩室へ移動。
夫は、ココからは別室で待機。
私は立会いを望んでいたけど、夫はイヤだと言っていたし、自宅は徳島、私もしょうがないとあきらめていたの。。。
いよいよって時に、心音がおちてくるし・・・。
微弱陣痛だなんだと、わけわからんこと言われ。
結局最後には、K助産婦さん私のお腹に馬乗りになって、吸引分娩となりました
このK助産婦、私が生まれたときも担当してくれた方でした
親子2代ってことです
オギャー
と言う声![]()
朝、8時ちょうどなぁ
女の子![]()
あの時はカンガルーケアなんてなかった気がするけど、
そのはしりすぐ、私の横に寝かせてくれて肌と肌でふれ合いました。
その時は出ないおっぱいも吸わせてみて、出てるのかどうか?だけど、一姫も吸ってましたね・・・。
実家の父と母・妹もすぐ来てくれて
はじめましてのご挨拶。
写真撮ったり、ビデオにおさまったり…。
そのまま、しばらくいた後に、病室(母子同室)に移動。
お昼過ぎには、高知からお義母さんとはじめまして。
夕方、当時高松に単身赴任中のお義父さん・仕事帰りの実弟・その彼女(今はお嫁さん)、みんなにはじめまして。
私も産後、元気に回復
5時にはもうスタスタ歩いて「ほんまに、今朝産んだん」なんてびっくりされました
お母さんがお母さんになった日はこんな感じ
みんなに愛されて生まれてきて11年。
色々あって今がある。
これからも、色々悩んだり苦しんだりあるだろうけど、楽しいことに変えて行こうね。
一人じゃないよ。それだけは忘れないでね。
みんなに祝福されて生まれていたことを忘れないでね![]()