売り場に学ぼう by 太田伸之

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Nobuyuki Ota

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2022.09.05
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1999年に亡くなる直前、東武百貨店社長から会長になった山中鏆さんはキリスト教に改宗しました。奥様がクリスチャンなので葬儀やその後の仏事で奥様に負担をかけないよう配慮しての改宗だったとか、このことでも山中さんの人柄がよくわかります。

1998年12月最後の日曜日、競馬有馬記念のちょうどテレビ中継が始まる時間帯、私は繊研新聞編集局長松尾武幸さんから新宿駅前の談話室滝沢に呼び出されました。グラスワンダーが優勝した有馬記念、私はろくに馬券の検討ができず新宿に向かいました。松尾さんは私にとってニューヨーク時代からメンター、墨田区ファッション産業人材育成戦略会議の同志でもあります。急に何の用事かと思えば、山中さんから託された重要なメッセージをどうしても年内に伝えておきたかった、と。


​​ 1994年9月IFIビジネススクール第1回夜間コース



松尾さんはこう切り出しました。「山中さんの体調から考え、そろそろ次のIFI学長を決めておかなければならない。太田くんがどれだけIFIに貢献しているかは山中さんもわかっているが、あなたはまだ若い。ここは年長者に譲って、次の次に学長になってくれないか。これは山中さんの遺言と思ってくれ」。

私は答えました。「勘違いしないでください。私は人材育成をライフワークのつもりで一生懸命やってはいますが、それを本業にしようと考えたことは一度もありません。教育のお手伝いはするけれど、その責任者になることはありません。次の次もないです」。

ミスター百貨店を書籍にまとめようと取材をしていた松尾さんと私の関係を頭に入れ、このタイミングでIFI学長人事のことを松尾さんに伝言されたのでしょう。でも、それは取り越し苦労。私はマーチャンダイジングのプロになりたくてニューヨークへ渡り、帰国して若者たちにマーチャンダイジングを教えてはきましたが、それはあくまでボランティア活動、人材育成を本業にするつもりは昔もいまもありません。

1999年正月明け、根津公一さんの東武百貨店社長就任が発表されましたから、この頃山中さんは身辺整理を急いでいたのでしょう。松尾さんから「山中さんの遺言と思ってくれ」と聞いたので、癌はかなり進んでいると受け止めました。だから、年明けに全日制マスターコースの受講生に一度は学長特別講義をして欲しいとお願いし、最初で最後の学長講義が実現しました。

​ミスター百貨店、あるいは百貨店経営の神様と尊敬されている大経営者、山中さんは気配りの人であり、そのサービス精神から重要な話をポロリと漏らす人でもありました。マスコミ関係者に山中ファンが多かった理由の一つはこのポロリ、記事が書きやすい取材対象でした。私もオフレコをよく聞きました。

ある夜料理店に到着するなり珍しく「今日は早く帰るぞ」。その理由を訊くと、「明日は朝一番◯◯のところに行って伊勢丹の株を買わないでくれと頼みに行くんだ」。マンション販売で有名な秀和は業績が急激に悪化、株式市場で買い占めた伊勢丹の株を大手量販店に渡すのではないかとメディアで話題になっていた時期です。伊勢丹元専務のOBとしては黙っていられなかったのでしょう、山中さんは動きました。

結局、秀和所有の株式は◯◯会長の大手量販店には渡らず、メインバンク三菱銀行のグループ各社、伊勢丹系共同仕入れ機構ADO(伊勢丹、松屋、東武、丸井今井、岩田屋、藤崎、名鉄百貨店らが加盟)の百貨店、伊勢丹の取引先などが引き受けました。山中さんが特に信頼していた馬場彰社長のオンワード樫山は全面協力、オンワード樫山は一時期伊勢丹の筆頭株主だったと記憶しています。


1996年3月夜間コース「デザインの理解」修了式

この直後、IFIビジネススクール理事長兼学長就任が決まっていた山中さんと学校を実質的に取り仕切る専務理事の候補者について話し合っていたとき、私は「山中さんに近い人物、できれば小売業が望ましいのでは。伊勢丹の小柴和正専務(=当時)はどうでしょう」と提案したら、「小柴はダメだ、これから忙しくなる」とピシャリ。それからしばらくして伊勢丹小菅国安社長が退任、創業家以外では初めて小柴さんの社長就任が発表されました。1993年のことです。

小柴さんの社長就任が発表される直前、伊勢丹社員の間では秀和問題で奔走する東武百貨店の山中社長が実は伊勢丹に復帰したくて動いているのではないかという噂が流れ、私にストレートに質問する人まで現れました。「ご自分が伊勢丹社長に戻る気はないでしょう。山中さんはそんな人ではありません」と私は説明しました。

伊勢丹社長に就任した小柴さんは山中さんのところに相談に通っているらしいと聞いていましたが、なるほどそういうことなのかというシーンもありました。IFI幹部の米国教育機関視察旅行、フィラデルフィアからニューヨークに戻るチャーターバスの中で突然、「伊勢丹の武藤くんはどんな男かね」と質問されました。「ファッションの話だけでずっと一晩私と付き合える、現時点では唯一の百貨店マン」と答えたら、「そうか。わかった」。おかしなこと質問するなあと思いましたが、会話はすぐ終わりました。余談ですが、武藤さんが伊勢丹に就職するときの面接官は山中常務(当時は後方部門担当)、武藤さんは「怖そうな人の前で緊張して頭の中が真っ白になった」そうです。

米国視察旅行から帰国すると武藤信一さんの伊勢丹取締役就任が発表されました。そして1994年秋にプレオープンしたIFIビジネススクール第1回目夜間プロフェッショナルコース最終日、私が担当したリテールマーチャンダイジング・クラスの最終演習は、伊勢丹新宿1階ショップ「解放区」の次のプランを責任者の武藤取締役にぶつける、でした。数チームに分かれた受講生たちは考案した解放区構想を発表、しかしことごとく武藤さんに酷評されました。講師と受講生の熱いやりとりを仲介しながら、「これが山中式実学だなあ」と満足でした。

第1回プロフェッショナルコースが終わると、アパレルマーチャンダイジング・クラス講座主任を務めたジュンコシマダの岡田茂樹さんと私は山中さんに池袋でご馳走になり、東武百貨店がフェアのために海外から仕入れたワインを半ダースずついただきました。気配りのミスター百貨店らしい配慮でした。

IFIビジネススクールで私は多くの受講生と濃密に接してきましたが、ミスター百貨店から「経営者とは」を実学で教えてもらった受講生は私でした。





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Last updated  2023.05.01 12:42:26
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