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2000年5月13日 この日に『怪物』ジャンボ鶴田が逝きました。
スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディーらとの戦いは今でも伝説となっています。
天竜をはじめとした一連の流れで、レスラーがSWSへと移籍。
唯一残った全日本プロレスのスターは、ジャンボ鶴田ただひとり。
当時の全日本プロレスは、俗に言う『鎖国』状態で、他団体との接触を断っていたこともあり
全日本プロレスが潰れるのではないか?と心配されたが、ジャンボ鶴田がひとり決起!
三沢光晴をはじめとした若手を連日バックドロップで鬼の形相で沈め続けた。
この当時のニックネームは『怪物』。
ケタ外れの強さを秘めていたジャンボ鶴田の封印が解かれた時代だった。
しかし、後輩たちがジャンボ鶴田に追いついてきたその頃、病魔もジャンボ鶴田を蝕んでいた。
肝臓疾患。
B型肝炎だったそうです。
これを機にメインイベンターとしての怪物はファミリー軍団との明るく楽しいプロレスへと移行するのでした。
レスラーの第二の人生を生きる見本となるべく、大学院へと進学。
現役レスラーと大学院生~非常勤講師へと転身をはかってみせた。
この時の様子は、NHKが取材してテレビ番組として放送されていたのでよく覚えています。
その後、アメリカの大学へ客員研究員として渡米。
しかし、ジャンボ鶴田の肝臓の時限爆弾が爆発寸前に・・・。
肝臓移植をに夢を託してオーストラリアへ行くも、そこで日本からの移植待ち患者たちの現実を見たジャンボ鶴田は
彼らのために・・・当時家電話しかなかったために「いつ移植の電話がくるかわからないので、オチオチ家から離れら得ない」というもしもの為に!と移植待ちの家族たちにポケベルを買ってプレゼントしているそうです。
そこから「 ジャンボ鶴田基金
2000年、フィリピンで肝臓移植の手術中に大量出血を起こし、死去。
「もしものことがあったら友人の記者に」と奥さんにスクープの話を手術前、冗談混じりに語っていたと言いますが
ニュースで一報が流れ、奥さんの許可もえないままに、教会に安置されていた棺桶がテレビで放送されてしまうなど
親しかった友人記者のスクープにもならなかった事など、ジャンボ鶴田さんの奥さんもこの時は人間不信に陥ったのことでした。
日本の空港で当時プロレスリングノアを旗揚げしたばかりの三沢光晴さんが奥さんを車で迎えに行ったものの
「タクシーで帰りますから」と断ったなど、この当時はまさに混乱でした。
ジャンボ鶴田さんがもう少し生きておられたら、日本のプロレスの歴史は変わっていたのだろうなぁ。
本当に残念な出来事でした。
夫の没後、奥さんは「子供たちに父親の大きさを知って欲しかった」との理由で、お墓の高さを196cmに作ったと言われております。
やはり、一番残念だったのは想い半ばで逝ってしまったジャンボ鶴田さん自信だったでしょう。
我らのスターレスラー、ジャンボ鶴田さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
合掌
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