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24日は、 亡き母の49日忌でした
。
前日23日に父の家に着いた。すでに、次弟一家が来ていた。
入院給付金の書類に、相続の署名捺印をしてもらった。
そして、母がこつこつ貯めた少額の父名義の貯金を
下ろすことにした。父の財産の整理をしたかった。
父が字を書けなくなると困る。
父と自分と次弟と3人で、中央郵便局にいった。
しかし、 大チョンボ、父が健康保険証を忘れた。
本人確認ができない~~~
帰りました。そして、また来ました
。
そして、少額の数枚の貯金証書を下ろした。
その手続きの間に、亡き母の入院給付金申請をする。
無事受理された。父の郵便貯金に振り込まれるはずです。
次弟が、簡保の名義変更の手続きについて聞いた。
今書いてある書類で変更できそうだ。
それで、帰って出直すことにした。
3人で車に戻った。
そこで、 下ろした金を受け取っていないことに気づいた。
急いで戻ると、ちょうど準備できていた。
200万円ほどですが、苦笑いで帰った
。
自分は、これで、仕事が終わった。
弟は、中央郵便局に、書類を持って行った。
しかし、電話がかかってきた。
何と、ウェストポーチを忘れ、免許証がない。
また帰ったのだ。
結局、17時頃に終わった。
朝早く、関東から来た次弟だ。 途中から疲れていた。
4回通って無事終わった次弟は、嬉しそうでもあった
。
かみさんは、今日のホテルにテェックインしていた。
皆で、回転寿司を食べに行くことにした。おいしかった。
24日は曇り空だった。
10時に行くと、末弟も来ていた。
総勢12名が揃っていた。
この狭い家で、法要は大変だ。
幸い今回は 近くの「 石亭
」で法要と御膳ができることになった
。
10時30分に、家から、骨壺と写真と花を持って、歩いた。
5分もしないで着いた。
営業は11時からなのだが、スタッフが出迎えてくれた。
上がると、仏壇と祭壇が置いてあった。
御膳の部屋は、別にあって、札を置いて席順を決めた。
11時前に、お寺さんは来られた。
自分の長女夫婦と3女がぎりぎりで着いた。
親戚の人が来て、御霊前を持ってきた。
事前の案内で断っていたので、
菓子箱だけは受け取って、お引き取りいただいた。
その代わり、引き出物も用意しなかった。
11時からお経がはじまった。総勢23名だ。
お寺さんが、 父の仕事が市電だったので、
市電の話を含めて、母は多くの中でも
自分の息子を見つけられる。それが母の愛だ
。
思わず自分が市電の整備工場に父を迎えに行った少年時代を思い出した。
思わず涙してしまった。
11時45分からマイクロバスで寺町の墓まで行った。
墓に骨をおさめて、お寺さまに経をあげてもらった。
終わって、お寺様が帰った。
お布施とお膳代とお車代を渡した。
帰ると、 12時30分だった。そこで御膳となった。
広い部屋でテーブルだ。一つずつ、出てくる。
温かい物は温かく。手の込んだ加賀の料理だ
。
親戚のおばちゃんと、いとこと孫の話などをした。
全部食べ終えたのは、14時30分だ。
おいしく食べました。
陰膳は自分の長女の旦那が喜んで食べた。感謝。
かみさんは、いつも通り過ぎるだけで、
初めて食べて嬉しそうだった。
弟の嫁さんも、喜んでいた。
すべてコミコミで一人1万円にしてもらった。
飲みもの代もあったが、町内会の人が、
「 石亭
」にバイトにいっていた。
その人から、社員割引の10%割引にしてもらった。
「 石亭
」さん、皆さんに感謝です。22万5千円だった。
終わると、丁度、 母の涙雨が降っていた。
家に帰り、嫁3人で母の着物などを見て貰った。
それぞれ、2品ほどを持って帰ることになった。
これで、しばらく凍結だ
。父が亡くなるまで、このままにしておこう。
無事に終わった達成感があった。
自分たちは、白山市のかみさんの実家に行った。
ここでは雨があがっていた。
義父母も、亡き母と同年代で淋しがっていた。
夜はフィギュアスケートを見ていた。
キムの2回転倒は予想できた。
真央ちゃんのトリプルアクセルに感動した。
美姫の安全な面白みのないスケートにも感動した。
面白みはなくても、きちんと技を決めることは
素晴らしいことだ、爆。
25日は9時前に起きた。朝食を食べ終えた。
かみさんは、化粧しだした。
義父は用足ししていた。
9時42分に窓がガサガサ言い出した。
横揺れが続く。突風かと思った。
しかし、長い。立ち上がりストーブを消した。
30秒ほどだろうか、結構長かった
。
幸い皆無事で、古いが農家の柱のしっかりした家は大丈夫だ。
長屋の狭い家の父が心配になった。
電話してみるが、全く繋がらない。
何度も電話するが、携帯も家の電話でも繋がらない。
心配になって、自動車で見にいくことにした。
急遽荷物をまとめて、出た。
道路は普段どおりであった。
パトカーも1台だけだ。火事の煙も見えなかった。
ただ、広坂周辺は混み合っていた。
家に着くが、父は一人で淡々とした。
「おう、揺れたぞ~~~」。
安心して、そこから帰りました
。
途中で、ラジオを聞くと能登では被害が多かったようだ。
かみさんは、次弟、末弟、娘にメールした。
それはスムースに繋がった。
途中、木之本から敦賀はトンネルで事故なのか?
反対車線は、封鎖され、車が止まっていた。
JRも止まっているらしい。
昨日、 長女と3女は帰ったのだ。
良かった。亡き母が守ってくれたのかもしれない。
何があっても、亡き母を感じてしまう。
それが1年くらい続くのだろう・・・
それが親の死だ。そう思ってしまった
。
家に着いて、夜に父に余震も心配で電話した。
相変わらず、淡々と「揺れた」「大丈夫」
「切るぞ」だった、笑い。
テレビドラマは見ています。
「ハゲタカ」は最後は、上手く皆が協力していく
。
松田も、中尾さんも協力するなんて~~~笑い。
勿論、職人の加藤が、物作りの職人vs作らないファンドの
対決だ。金は紙切れだ・・・それに対して 99.9%は金で決まる、
しかし、今回の仕事で0.1%の部品が全てを変えることも
できると鷲津は言い切る
。
日本対アメリカの図式でまとめた。
感動だけど、都合いい~~~とも思った。
それにしても、中国資本との提携は抵抗があるけど・・・
でも、ドラマとして凄みがあった。
難しい経済も、ちょっと理解できそうになったかも・・・
真剣に見ても、分からない。
最初から録画をみることにしたヨ。
最終回は柴田恭兵さん、迫真でした。
病気あがりで、死ぬ気の演技みたいだ。
大森さん、良いですね。
シビアなキャラも、人情味あるキャラも 魅せてくれます。
NHKならではのドラマでした。ありがとう。