全79件 (79件中 51-79件目)
今日も空は青く澄み渡り、気持ちのいい天候だった“さて、どこに出かけようか?”基本的に休日は予定を立てていない土壇場で休みが変更になることが暫しあるので、へたに予定を組めないのであるなので休日は、朝起きてからその日の過ごし方を考えることが多い今日は祭日だからどこへ出かけても混んでいるだろうしかし、こんなに気持ちの良い青空を見ていると、出かけないのは勿体無いとりあえず行く先を決めずに、車は止めて電車で出かけようと、最寄り駅まで歩いたすると、駅の構内で1枚のポスター目が止まった【上野東照宮のぼたん苑】期間日程を見ると、今日が最終日これは見に行くしかない!と、ぼたん見物に決定した上野公園は、祭日の昼間だけあって、すごい人で溢れかえっていたその人込みをかき分ける様にして歩くと、目指す上野東照宮・ぼたん苑はあった1980年(昭和55年)に日中友好を記念して開苑されたぼたん苑は、牡丹だけではなく、梅や椿、芍薬といった季節の花を楽しむことができる東京で冬ぼたんを一般公開しているのは上野東照宮のぼたん苑のみで、40品種・約600本の牡丹が、寒さ除けのワラ囲いの中で育てられている入園料の600円を払って、ぼたん苑の中に足を踏み入れた三角錐のような形に組まれている藁の中で、牡丹は見事に花を咲かせていたピンク、白、紅色、絞り模様、なかには珍しい黄色い牡丹もあった今日が拝観終了日とあってか、どの花も若干最盛期を過ぎてしまったようで、花びらの縁がよれているものが多々見られたまた、牡丹を囲う寒さ除けのワラは、雪でも降ればさぞかし画になることだろうが、いかんせん今年は暖冬の気配なので、風情がなく、情緒がないのが残念であるとは言うものの、美人のことを花に例えて、『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』と謳われているように、可憐かつ華やかな牡丹の姿は美しく、見る者の心を魅了するが、40品種あるとはいうものの、正直言って色の違いでしか判断できないので、見ていて少々単調に感じざるを得ない紅白の梅や、水仙や蝋梅、福寿草など園内には咲いてはいるが、添え物程度でしかなく、牡丹のそばに句が添えられていたり、一画に毛氈をひいた長椅子に火鉢が置いてあって暖がとれるような心遣いがあったりと、和のテイストを演出してはいるのだが、正直言って入園料の600円は高いのでは?というのが、一通り見終わっての率直な感想冬のぼたんは栽培が難しく着花率が2割程度と低いことと、今時期はここだけでしか見られないという付加価値を考えれば、この値段も妥当なのかもしれない春になれば、日本と中国の牡丹が3000本ちかく咲き競うというので、今とはまた違った華やかな印象を受けるに違いない自分にはツボに嵌るポイントが無くて少々肩透かしではあったが、それでも希少な冬の牡丹と、和の雰囲気を味わうことができたぼたん苑を後にすると、不忍池を横目にしながら、少し足をのばして湯島天神へと向かった2月8日から梅まつりが開かれているからである男坂から湯島天神を見上げた自分は、湯島天神では男坂と女坂から見る梅が好きなのだが、まだまだ蕾の状態で見頃はだいぶ咲きのようである急な勾配の男坂を上りきると、境内は人で溢れかえっていたさすが学問の神様といわれているだけあってか、合格祈願?に訪れている親子連れが多く見られ、いたるところには受験への並々ならぬ願い事が書かれている絵馬が沢山目に入った境内を散策すると、早咲きのものや、枝垂れ梅など見頃を迎えている梅もあったが、全体的に見れば、まだ鑑賞には早い感じそれにしても、境内は凄い人手で賑わっている露店や、お土産品を売る店舗が数多く出ていて、威勢のいい声が飛び交っていて、人でごった返しているので、とてものんびりと梅の観賞とはいかないかろうじて、咲いている梅の近くに寄ったが、梅の香りはどこへやら、漂ってくるのはソースの香りだけそう、至る所で皆が飲み食いしているので、風情なんてあったもんじゃないもう梅に、ソースや醤油といった香ばしい匂いが移ってしまうのでは?と心配になってしまうほどである人込みが苦手な自分としては、どうやら仕事帰りの夜遅い時間にひっそりと梅見物に来たほうがよさそうとにもかくにも、牡丹に梅、いろいろな花を見てのんびりと休日を過ごしたのであった
2007年02月12日
秩父長瀞にある宝登山の山頂には蝋梅園があり、今年は暖冬のせいもあってか、2月の初めにはすでに見頃を迎えているという蝋梅が好きな自分は、去年初めて宝登山を訪れて、その光景がとても気に入った最近は日曜日に休むことが多く、日曜に訪れても観光客が多いだろうと今年出向くのは諦めていたのだが、急遽休みをもらえたので、宝登山へ蝋梅見物へと出かけることにした秩父へ行くとなると、幾度も電車を乗り継がねばならず、時間も結構かかるちょっとした小旅行であるどうせなら旅気分を味わおうと、ちょっと奮発して池袋から特急電車に乗った池袋発10時30分発ちちぶ11号で、秩父には11時47分着予定であるやはり、普通電車で揺られていくのと、座席スペースがゆったりな特急電車とでは、目的地へと向かう気分も変わってくる頬杖ついて、大きな窓から外を眺める都心から住宅街、やがて田園から山並みへと、左から右へと次々と流れては消えてゆく景色を楽しむ定刻どおりに西武秩父駅を降り立ち、そこからローカル色濃い秩父鉄道に乗り換え、目的地である長瀞駅へ着いた駅に降り立つと、1年振りに訪れたことがつい昨日のことのように思い返される駅からは徒歩15分程で、宝登山の入り口に着くが、少しでも時間が惜しかったので、駅からロープウェイ乗り場を往復している有料バス(100円)を利用したロープウェイ売り場に到着すると、やはり乗車待ちの人の列はできていたが、去年に比べると、半分ぐらいしかおらず、ロープウェイにも予想していたより早く乗ることができた(それでも20分ほどは待ったけど…)自宅を出て4時間後にして、ようやく宝登山山頂に到着そこには、一年前と何ら変わっていない風景が広がっていた早速、山頂にかけて咲いている蝋梅を見物とする去年は寒さが厳しかったせいか、2月の中旬に訪れた時、丁度見頃だったが、今年は暖冬と言われているせいか開花も早かったようで、蕾を探すのが一苦労するほど殆どの蝋梅が花開き、蝋梅特有の艶々とした黄色い花は色褪せ、若干見頃を過ぎている ような感を受けたそれでも、蝋梅特有の甘い香りは健在で、2000本ちかくの蝋梅から放たれる芳香は近くを通るだけでも十分楽しませてくれ、訪れた人々は、その甘い香りに酔いしれているようだった蝋梅園は、山の南側の傾斜地にあるので、つねに日差しが燦燦と照りつけ、まるで春の陽気のようである午後のやわらかな日差しを浴びながら、蝋梅の花と香りを楽しむ開花が早まったせいか、今日がたまたまなのかは判らないが、去年訪れた時に比べると人出は少ないので、近くによって花を手にとってみたり、撮影したりと、のんびりと思うがままに時間を過ごすことができた蝋梅を見ながら歩いていくと、宝登山の山頂(標高497メートル)に到着するちょっとした広場になっているので、時間が昼時と言うこともあってか、訪れた方達が腰を下ろして食事をとっていた自分も、地面から突出した岩に腰を下ろして一休憩した山の上なので寒いと思っていたのだが、日差しが降り注ぎ陽気なので、ポカポカとしていてとにかく気持ちがいい普段東京にいると、一日中建物の中にいて、日差しを浴びないうちに一日を終えることが殆どなので、ここぞとばかりに目を瞑って、太陽の光を浴びる時折聞こえる鳥のさえずりが、なんとも安らぎの時間を与えてくれる山頂付近から望む景色は、なんとも雄大かつ長閑で心が和む今日は、若干霞がかっているので、遠方に望む秩父連峰の山並みの姿ははっきりしないものの、やはりこうして地に足をつけて、大自然に囲まれたなかに身を置いていると、人間の営みなんて小さなものだ…とつくづく思い知らされる宝登山山頂近くには、蝋梅園のほかに、梅百花園もある日本一の種類を誇ると言う園内には、約170種、500本の梅が植えられており、2月中旬から3月下旬頃が見頃だという 去年訪れた際は、蕾すら膨らんでおらず、淋しいかぎりだった梅園も、今年はやはり暖冬の影響か、何本かの梅の木は花を開かせていた足元に目を向ければ、福寿草が芽吹いており、なんだかこうしていると、冬らしい冬を感じぬまま、春が駆け足で来ているような気がしてならない3時間近くは経っただろうか蝋梅と梅をじっくり観賞しているだけだったが、気づけば辺りにいる人の数は疎らで、下山する為に列を成していたロープウェイ乗り場の人影も無くなっていた眼でも鼻でも十分に蝋梅を満喫し、宝登山を後にするのであった…
2007年02月08日
数日前の早朝のニュース番組で、自宅からそれほど離れていない街を散策する放送が流れていたそのなかで、東京で唯一現存するレンガ造りのアーチ橋を紹介していたので、散歩がてら行ってみることにする日本水仙を見に葛西臨海公園を訪れた足で、そのまま目的地の橋・閘門橋を目指した東京都と埼玉県の県境に程近いところにある閘門橋は、車道専用の葛三橋と寄り添う形で並んで架かっているので判りづらく、はじめは見過ごして通り過ぎてしまった近くに車を停車するスペースが無かったので、すぐ傍の水元公園の駐車場に車を停める枝を剥き出しに晒したポプラの並木道を散策しながら、閘門橋へと向かう公園内は、犬の散歩やウォーキングやジョギングをするご年配の人の数より、カラスと野良猫の数が夥しく、ちょっと異空間な感じ駐車場から歩くこと15分程で、今回の散歩の目的である閘門橋(こうもんばし)に着いた閘門橋は、レンガ造アーチ橋としては、東京に現存する唯一の貴重な橋で、橋の名の閘門とは、水位・水流・水量などの調節用の堰のことをいう江戸時代、一帯は古利根川と小合川という2つの川が入り込んだ複雑な地形を有す氾濫地域であった為、この2つの川の逆流を防ぎ、水田の水源確保、さらに街道の流通路として閘門と橋が造られたと言われている現在の橋は明治43年、『弐郷半領猿又閘門』としてレンガ造アーチ橋が造られ、その後、本橋は別の場所に建てた水門の完成により閘門の役割を終え、また隣接する葛三橋に車道を譲り、現在では歩行者・自転車道に移り変わったその改修にあたっては、レンガのアーチ部分は原形のままとし、橋面上の修景のみに留めた(橋の袂にある東京都の説明板より)東京に現存する唯一のレンガ造アーチ橋と、橋の袂の碑には記されているし、ニュース番組でもそのように紹介されていたが、一部では橋は他にも都内に存在すると異を唱えているサイトもあるその真意は自分には分からないただ、レンガ造りの橋を間近で見ると、その風格ある佇まいは歴史を感じさせる長い年月を経て変色しているレンガは所々に苔が生し、見事なまでに美しいアーチ、たおやかな川の流れを見ていると、時の流れが止まっているかのように思えたその造形美たるや、見事としか言いようがないそんな歴史的価値ある橋の欄干に、“好き”だのとくだらない落書きが、スプレーで何箇所かされていたこういうのを見ると、ほんとうに腹が立つと同時に、情けなくて、悲しくて悔しい長い年月を経てきたレンガに、スプレーという塗料だけでなく、恥も上塗りしたのだやっている本人はあまり深く考えずに、その場のノリでやっているのかもしれないが、どれほどの影響や迷惑を与えることになるか考えてほしいものであるバルコニー部分で橋を眺めていると、ひっきりなしに通行人や自転車に乗った人達が行き交うそれは、ごくごくありふれた日常のひとコマで、この閘門橋が貴重な橋であることを忘れてしまいそうであるしかし、今いる自分の足元には、人々を水害から守った明治時代からのレンガが積み重なっているその歴史の重さをどれほどの人が判って、通行しているのだろうか…閘門橋のアーチの橋脚部の2人の男のブロンズ像は、荒れ狂う風雨と必死に闘いながら閘門の堰板を差込んでいる姿だという今の大場川のおだやかな川の流れを見ていると、命懸けで水害から護る男たちの勇姿は到底想像もつかないまさに、閘門橋は人々の水との生活史を今に伝えるものである本来の役目を終えてしまっている今では、人々の生活圏に欠かすことのできない橋となっているいつまでも大事に、そして語り継いでいきたいものが、そこにはあった普段何気なく目にしている光景、生活している地域など、ちょっと辺りに目を向けてみるのもたまにはいいかもしれない以外と身近に、新しい発見が潜んでいるかもそれが、散歩の醍醐味ともいえよう
2007年01月22日
朝方、小雨が降っていた折角の仕事休みなのに…と思っていると、天気はみるみる回復に向かって、昼前には太陽が顔を覗かせたやはり青空を見ると心も晴れる愛車のハンドルを握った目的地は、先週の新聞で、約3万1000株の水仙が見頃を迎えているという葛西臨海公園である“葛西臨海公園を水仙の名所に”という東京都公園協会の事業計画の一環で、海に隣接する埋立地でも育つような植物ということで、海風に強い水仙が選ばれ、水仙の名所で知られる静岡県下田市の協力を得て、2005年、日本水仙の三大自生地のひとつ、下田市爪木崎から寄付された球根を含めた1万3000株を、2006年も下田市や団体・企業、個人から寄付された1万8000株をボランティアの方々によって植えたという公園に着くと、平日のせいか広々とした駐車場は空いていた新聞記事では公園西側の畑と書かれていたので、西に向かって歩く思わず見上げてしまうほど存在感を誇示する大観覧車を横目に歩くと、水仙が見えてきた緩やかな傾斜地に植えられている水仙に近寄ると、水仙特有の甘い香りが漂っていて、自分の身体をやさしく包み込むその香りはまるで、自分のことを歓迎しているかのように思えた国産品種を見てもらいたいと、品種は日本水仙に統一しているというしゃがみ込んで水仙を眺めた全体的に背丈は小ぶりだが、凛とした花をいくつも咲かせていた明け方降った雨のせいか、葉には水滴がいくつも珠となっていて、柔らかな日差しに反射している数える程度しかいないが、お年を召した方や親娘連れの方は、カメラのシャッターを切ったり、花を間近で眺めたりと、思い思いに水仙を楽しんでいるまだまだ寒さ厳しい冬だが、緩やかな傾斜に植えられた水仙のなかをゆっくりと歩いていると、寒さも忘れて一足早い春を感じるのであった少し離れたところにも水仙が植えられているのだが、そこはまだまだ蕾の状態で、見頃はまだまだ先である水仙が植えられている畑の前には、球根を寄付された方や、ボランティアとして球根の植え付けに協力した方たちの看板が出ている何気なくその看板を見て、目が留まったボランティアとして、ある高校の生徒や教師、保護者の方が水仙の球根の植え付けに参加したのだが、なんと、その高校は自分の母校であったのである母校といっても卒業して10年近く経っているが、今か今かと開花を待つ水仙を見て、ちょっとだけ身近に感じるのであった全体的にまだ水仙の名所づくりは始まったばかりなので、水仙だけを目当てにここを訪れると少々物足りなさを感じてしまうことは否めないこれが、今日訪れての正直な感想である水族館や大観覧車、公園に散歩にきたついでに見る分には十分に目を楽しませてくれると思うこの葛西臨海公園の水仙名所づくりの事業は、平成22年までの期間で計画されており、今後も水仙の数は増えていくという今後どのような展開になっていくのか楽しみなスポットである甘い水仙の香りに名残惜しく思いつつも、公園を後にするのであった…
2007年01月22日
目覚めると、空は気持ちがいいほど青く澄んでいた朝風呂にゆっくりと浸かり、外支度をすると、カバンに1冊の小説を忍ばせて電車に乗りこんだしばらくは乗り換えやらで乗車時間が短いので、車輌の扉に寄りかかり、車窓からただ風景を眺める乗換えを経て東京駅に着くと、東海道線に乗り込むここからは約1時間ものあいだ電車に揺られることになる早々と座席に着くと、小説の世界に浸った電車通勤であれば、その乗車時間を利用して行き帰りに小説を読むことができるのだが、自分はマイカー通勤なのでそんな時間は持てず、読書しようものならば、わざわざ少ないプライベートな時間から割かねばならないゆえに、電車に乗る機会がある時は小説を1冊持ち歩くようにしている休日のせいか家族連れやらで賑やかな車内は、横浜・大船・平塚と主要な駅を過ぎると段々乗客も少なくなってきたそろそろ降りる駅に近づき、小説を閉じて車窓に目を向けると、海が見えたいつも目にしている高層ビルだらけの景色とは違い、のどかな風景が広がっている長らく電車に揺られること小一時間…降り立ちましたるは、東海道線・二宮駅でございます何をしに、この地を訪れたかと申しますと、数日前の新聞で、駅から程近いところにある吾妻山公園でおよそ3万株の菜の花が見頃を迎えているという記事を読んで、訪れた次第であります駅舎を出ると、狭いロータリーには客待ちのタクシーがたくさん列をなしていた下調べでは、目指す吾妻山公園は駅から徒歩5分と書かれていたが、目の前には小高い山が見えるだけで、それらしき公園どころか、案内の看板も見当たらない(のちに自分が見落としていたことに気づく…)まあ全国紙の新聞に載るくらいだから、歩いていけば見つかるだろうと思い、直感を働かせて歩き出す駅前の閑散とした商店街を歩いていると、晴れ着や袴、スーツ姿に身を包んだ若者たちとすれ違った今日は成人の日であるその初々しい姿を見て、自分の成人式の時は、休まずに仕事をしていた事を思い出し、すれ違っていく若者の楽しげな表情を見て、少し妬ましくも羨ましくも思いながら歩く程なくして、街道沿いの道端に“700メートル先を左”という小さな看板を見つけて、さらに歩くたおやかに流れる川のせせらぎ、家々に植えられている千両や万両の実、水仙の花、木造平屋建ての建物などを見て歩いていると、なんとも旅情に誘われる気分であるなんの表示板も無いが、住宅街の間の道から人がゾロゾロと出てくるので、その道を逆に辿っていく緩やかな坂道を上がっていくと、次第に緑が多くなり、それにつれて坂道もきつくなってくるほどなく歩くと、吾妻山公園の入口と案内看板が見えたその看板を見ると、公園のメインの入口は駅からすぐ傍にあったようである自分は何も確かめないで歩いていたので、公園とは正反対の方向を歩き、かなり遠回りしてしまったので、現在地から見ると、公園の脇から入ることとなった吾妻山公園と聞いて、普通の公園を想像していたのだが、行く手に見えるのは、登山道のようなくねくねとした上り坂であるなるほど!公園は公園でも、吾妻山という山にある公園なのであるそうとは知らず、自分はコートにマフラー、足元はブーツと、おおよそ山道を歩くには相応しくない格好で、ちょっぴり後悔したが、ここまで来て今更ここで引き返すわけにはいかないので、今にも土に返りそうな朽ち果てた落葉が敷き詰められた道を進む脇から入園したせいか、登ってゆくのは自分だけで、すれ違うのは下山する人々ばかり年配の方や、子供を連れた家族連れが多く、皆、カジュアルな服装に足元はスニーカーと準備万端の装いであるそのなかでの自分の出で立ちは、やはり異色である息を切らしながら一歩一歩進んでいくと、子供たちの賑やかな声が聞こえてきた声の先には数々のアスレチックの遊具があり、子供たちが疲れも見せずにはしゃいでいるそのアスレチック広場を抜けると、目の前に吾妻山公園の展望台が見えた今まで来た道は裏手にあたるのか、さほど人と出くわさなかったので、人気が無いのかと思っていたが、展望台がある広場には大勢の人が休息していた菜の花の写真を撮っている人、風景を見ている人、弁当を広げている人、まったりとしている人、各々がそれぞれの時間を過ごしている展望台につくと、一番初めに水仙の花が目についた見頃はまだ先のようで、花を咲かせているのは数える程度であった水仙を沿うようにして展望台を山側に廻ると、遠くに聳えるは丹沢山系の山々その左には、富士山が見えた頂は雲に覆われていて全体を拝むことはできなかったが、さすがは日本一の山だけあって、そのスケールの大きさは十分に肌身に感じることができた展望台を海と山との中間に位置する西側に廻ると、斜面に咲く菜の花の群生が目に飛び込んできたなんとも目にも鮮やかな黄色である菜の花自体に匂いを感じたことは今までなかったが、3万株もの花が咲き乱れるここでは、甘い香りが疲れた身体を労わってくれるようにやさしく感じた眼下に広がる町並み、午後の日差しを一心に受けて眩しいばかりに煌き輝く相模湾、見上げれると青い空、そして黄色い菜の花…まるで一枚の絵のなかに迷い込んだかのように、その鮮やかな色彩に酔いしれるのであったゆっくりではあったが、20分足らずで登り詰めたというのに、眼下に望む家々は小さく感じ、とてつもなく高い所にいるような気がするのだが、標高は136.2mしかないというこの程度で息切れしてしまう自分を“歳取ったな…”と実感しつつも、360℃パノラマの展望で繰り広げられる、海、山、そして花と…一見の価値はある風景がそこにはあり、十二分に満足するのであった帰りは、縁結びのご利益があるという吾妻神社を通って帰ることにした下りは楽だろうと思っていたのだが、大間違いであったことはすぐに思い知らされたここの道は石段になっていて、その段は自分の歩幅に合っていないので、歩くペースを乱されて、足元はブーツなので何度も段を踏み外してしまい、登りよりも疲れてしまった公園を後にする頃には、すっかり日も西に傾き始めていた帰りの車中、小説を読み始めたものの、思いもしなかった山道歩きで疲れたせいか、小説を手にしたまま眠り込んでしまったのはいうまでもない…
2007年01月08日
当社は休みの予定で、どこか出かける予定だったが、突如仕事のクレーム処理をしなければならず出社クレーム処理は午前中に終わるので、午後にはあがれるかと思いきや、色々な出来事が重なり、結局一日仕事をする羽目に人生って、自分の思い通りにはならない…それでも仕事を切り上げ、いつもよりはだいぶ早くあがれた日中は日が差していたものの、今はあいにくの空模様で、雨がポツポツと降り始めてきていたこのまま家に帰るのはなんとなく勿体無い“さて、どうしようか?”と思い巡らせた時、2週間前に訪れた六義園の夜の紅葉が綺麗で、延長されていた夜間のライトアップが今日までだったことを思い出し、最後にもう一度夜の紅葉を見ようと車を走らせた小降りだった雨脚が次第に強くなってきたワイパーを速め、雨天中止だろうか?雨の中観るのは辛いか?と思いながらも六義園へと向かう幸いにも雨が降っていても、夜間のライトアップはするようである雨が降るなか、ふたたび六義園の紅葉見物をする傘をさしながら、泥濘の道を慎重に歩いていく天候は悪いといえど、繁っている木々たちが大きな傘代わりとなり、雨粒はあまり落ちてこないので、さほど気にならない以前訪れた時は、若干紅葉には早いかな?と思っていたのだが、今日目の前に広がる風景の変わりように驚いてしまった2週間前は色鮮やかだった紅葉が落葉して、無残にも果てた姿をあらわにしていたのである園内の木々は見頃は過ぎていて、全体的に色褪せた感じそれはそれでまた味があるが、見事な紅葉を期待していた自分にとっては少々肩透かしを喰らった感は否めない以前はその幻想的な光景に圧倒されてしまい、ただ見とれてしまったが、今日はそんな事もなく、時間にゆとりもあり、驚くほど人影も少ないので、気が済むまで自分のペースで隅々をゆっくり散策する一度、それもごく最近に訪れた筈なのに、まるで初めて来たような錯覚に陥るそれは日々色づいていく木々たちが見せる風景が刻々と変わっていくので、そう感じさせるのかもしれない同じ景色に見えても、風景は日々変わっていっているのだと実感させられた冷たい雨も手伝ってか、身体が冷えてきたので、園内の中央付近に位置する吹上茶屋で休憩することにしたここでは、抹茶と和菓子のセットを楽しむことができる赤い毛氈がひかれた長椅子に腰掛けると、間を置かずして抹茶と菓子が出された目にも鮮やかな緑色の抹茶と、秋を感じさせる黄色の和菓子である実は、抹茶初体験の自分…無作法なので、失礼を承知してそのまま戴いた抹茶は苦い…というイメージが強かったので、口に含むまでは恐る恐るだったが、薄茶のせいか意外と飲みやすかった冷えた身体に抹茶の程よい温かさが、柔らかく身に沁みていく吐く息が白い…それほど、今日は冷え込んでいるのだろう池を挟んで見渡す日本庭園、静かに聞こえる雨脚の音、そして上品な甘さの和菓子と抹茶の苦味の絶妙なバランス…すべて役者が揃った“これぞ日本!”というなんとも雅な空間に身を置き、このうえない贅沢な気分をひしひしと感じるのであった園内を一通り廻り終わった頃には、すっかり雨はあがっていたすると、雨がやむのを待ち受けていたかのように、徐々に六義園を訪れる人の数が多くなってきた傘に張り付いていた一枚の紅葉をお土産に、六義園を後にした…【抹茶】直射日光を避ける覆下栽培で育てた茶の新芽を蒸して、揉まずに乾燥させたものを石臼で挽いたもの(お茶サイトより)
2006年12月13日
寒い時期の夜空は澄み渡っている車窓から見えるレインボーブリッジが、今日はやけに綺麗に見えるちょっと寄り道をして、レインボーブリッジが見渡せる晴海埠頭に向かった銀座・築地・勝どきと、華やぐ夜の街を抜ける晴海に近づくと、周りは倉庫街や清掃工場が並ぶせいか、人影は殆ど無く、車の行き来も無く、まるでゴーストタウンのよう客一人として乗せていない空っぽの晴海埠頭行きの都バスが闇の中を走っているのが、なんとも不気味さを漂わせている久しぶりに訪れた晴海埠頭大きな倉庫が取り壊されて更地になっていたぐらいで、辺りはさほど変わっていないようだが、以前に増して寂れた光景が広がっていた近くの広大な敷地には、東京オリンピックのスタジアム会場の建設予定地という看板が掲げられていた東京オリンピックは2016年開催までまだ10年もある先の話だが、到底オリンピックで盛り上がるような立地とは、周囲の状況から言って想像がつかない今後、急ピッチに開発が進み、晴海の街は変貌を遂げていくのだろう晴海埠頭の先端に位置する晴海客船ターミナルの近くに車を路上駐車させると、レインボーブリッジが見渡せる広場へと向かうここは、会場の装花の仕事で以前訪れた際、会場の大きなガラス張りの窓から見えるレインボーブリッジの景色に圧倒され、それから夜景というと晴海の客船ターミナルを訪れるようになったのであるここを最後に訪れたのは2.3年前だろうか誰もいない広場に出ると、そこには昔と変わらない景色が広がっていた優雅に運行されている客船浮かぶ暗く深く揺らめく海に、堂々と佇むレインボーブリッジ橋を渡る無数の車のヘッドライトが、小さな光となって右へ左へと流れていく右手には東京タワーと高層ビル群の窓が煌々と輝き、左手ではお台場の賑やかな街や観覧車が色とりどりの明るい光を放っているただ黙って夜景を見ていると、普段は思い返しもしないのに、昔ここを訪れた日のことが走馬燈のように脳裏に甦ってきたあの頃は、毎日が楽しくて、過去なんか振り返ることなく、その日その日を生きていたきらめく夜景は、これからの自分の明るい未来の象徴に映っていたのかもしれないそして今…同じ場所に立ち、あの日見た同じ夜景を眺めても思うは過去のことばかり夜景よりも漆黒の海のほうが強く印象に残る見えない何かに束縛されていて、言いようのない不安が付きまとう今、昔を思い出して現実逃避しているのだろうか過去にばかり囚われていると前に進めないしかし時にはいいと思う良くも悪くも自分が歩んできた人生なのだから、たまには振り返ってみるのも必要である時が経ち、ふたたびこの地を訪れたその時、夜景を前にして自分はどんな事を思うのだろうか…【回想】過去のことを振り返って、思い直すこと(辞書調べ)
2006年12月11日
12月といえば冬のイメージだが、今年の秋は暖かい気候だったせいか紅葉の時期も遅く、今が見頃といった感じなので、まだ秋真っ盛りのような気がするそれでも、朝晩の冷え込みは日に日に厳しくなり、葉も落ちてしまい枝が剥きだしになった丸裸の樹を見ると、冬の足音が近づいてきているのを感じる今週の日曜も配送の人手が足りないので、午前中は花の配達に出る東京都のシンボルの樹がイチョウなだけあって、街道のいたるところでイチョウの木を見かけ、それらは見事なまでに色づいていた前日に雨が降ったせいか、舞い散ったイチョウの葉は地面に張り付き、落葉掃除をしている人々は苦労しているようである車を走らせていると、赤や黄色の木々が美しい公園を見つけたので寄ってみることにした都内某所の公園首都高速道路に沿うかたちにあるその公園は、住宅街の裏手にあり、朝も早いせいか人影は見られない公園に足を踏み入れて、目の前に広がるその世界に言葉を失った地面は一面を落葉で覆われていた黄色、オレンジ、茶褐色、赤…なんともいえない自然が成し得た光景である寒々とした青空に反して、暖色系の色が持つ力か暖かみを感じるまさに自然が生み出した秋色の絨毯昨日の雨を含んでしっとりとした落葉の上を歩くと、普段コンクリートの上を歩き慣れている自分としては、不思議な感触が足から伝わってきた【落地成根】植物の種子が地に落ちて、やがて根をはり、花が咲き、葉が繁り、また落葉となって根に帰る(四文字熟語 調べ)そんなことを思いながら落葉を踏みしめる誰もいないせいか、なんだかいつまでも醒めない夢の世界を彷徨っているよう自然と顔の表情も緩んでしまう美しく色づいた木々を仰ぎ眺めていると、一際目を惹く鮮やかなモミジの木があったモミジの木を見上げた朝の光がやわらかく差し込み、モミジの葉が透けてみえたそれは宝石のルビーにも勝る、赤い輝きであった時折吹く風に、モミジの葉が舞い散るハラハラと散るモミジのその光景は美しくもあり、また儚くもある秋の終わりを惜しむかのごとく散るその景色をいつまでも見ていたいと心底思った今がまさに見頃の秋景色落葉も始まり、刻々と冬が近づいている…【終焉】生命が終わること比喩的にも用いられる(辞書調べ)
2006年12月10日
広尾、麻布、青山と、大人の雰囲気漂うお洒落な街を通り過ぎて、青山通りを走っていると、左手にイチョウ並木が見えてきた明治神宮外苑のイチョウ並木である先月の中頃過ぎに通ったときはまだ緑だったイチョウの樹は、今は見事なまでに黄金色に染まっていた遠くに望む聖徳絵画館はライトアップされていて、オレンジ色に浮かび上がる品格ある建物とイチョウ並木の融合された風景はなんとも美しい車を停めて、並木道を散策することにする青山通りから聖徳記念絵画館までのおよそ300mほどに植栽された146本のイチョウの並木道をゆっくりと歩く天を突き刺すような鋭い三角形の形をしたイチョウの樹は、歩道の両側に植栽されていて、黄色い葉が天を覆い尽くしている時折、やさしい風が吹き、イチョウの葉がカサカサと乾いた音を立てながら、ハラハラと舞い散るなんとも秋の終わりを予感させる風景で、しばし空を見上げる夜なので、本来もつ色を楽しむことはできないが、外灯に照らされたイチョウの葉は、黄金のように輝きを放って、日中とは違う顔を覗かせる歩道にはたくさんの葉が散っていて、まるで黄金色の絨毯のようであるその上を何人もの人が行き交い踏みつけられたのか、葉は粉砕され、コンクリートの目地に入り込んでいた周囲の風景にあった、ちょっとレトロチックなデザインのベンチも歩道のいたるところにあり、まるで外国映画に出てくるワンシーンんのようカップルが寄り添いながらベンチに座って語り合っている姿を横目にしながら、ひとり自分は並木道を歩く…自分は四季のなかで、一番秋が好きである特に、木々が紅葉し散り始める、どことなく憂いに満ちた哀愁漂う今の時期が一番のお気に入りそんな幸せな環境に身をおいている今、一歩一歩終わりゆく秋をひしひしと肌に感じながらイチョウ散る道を歩くこの並木道は、ただ歩いているだけで画になる誰もが主役になれる並木道で、自分もまるでドラマの主人公になったような気がする自分が今、並木道を歩いているシーンに音楽をつけるとしたら、ベートーベンの『月光の曲』か、バッハの『G線上のアリア』だろうか静かな曲が似合うだろう頭の中を無にし、ただ目の前に広がる光景を純粋に楽しんで自然界から活きるパワーを吸収しイチョウ並木を後にするのであった日本には春夏秋冬という美しき四季がある昔こそ、風景にしろ食べ物にしろ旬があり、四季を色濃く感じることができたが、地球の温暖化現象などもあって、年々四季の季節感が薄らいでいくような気がするいつまでも大事にしたい四季、風景が我が国には沢山ある…銀杏(イチョウ)銀杏は、現存する最も古い前世界の植物の一つで、古生代の末期(1億5000万年前)に地球上にひろく分布し生育していた樹種氷河期の到来により、多くの地域では銀杏の樹は絶滅したが、温暖な気候を保ち得た中国では死滅を免れ、生育を続け現在に至る日本の銀杏は、この中国より渡来した樹種である(明治神宮外苑に設けられていた説明板より)
2006年12月04日
東京都23区内の近場で紅葉を見物できる所はないかと探していたら、夜間に紅葉をライトアップする庭園があることを知り、早速仕事帰りに出かけてみたモミジやハゼの木、ドウダンツツジなど550本もの樹が植栽されている、都内髄一の紅葉の名所で有名な文京区駒込にある六義園(りくぎえん)は、川越藩主・柳沢吉保が元禄15(1702)年に築園した“回遊式築山泉水”の大名庭園で、昭和28(1953)年に国の特別名勝に指定された貴重な文化財である近隣にコインパーキングが無い為、かなり離れた所に車を駐車させて六義園へと向かう立派な門構えの染井門をくぐり、入場料の300円を支払う園内はかなり暗めである灯りの下で園内の地図を確認するものの、入り組んでいて分かりづらいので、とりあえずは歩き始めた木々が生い茂り鬱蒼としている足元にある行灯仕立ての灯りは距離を置いて疎らにある程度見上げれば月が顔を覗かせていて、なんとも園内はムーディーな感じどうりで、大人のカップルが多いわけだそんな中、自分は一人で薄暗い中を、小学校の林間学校の肝試しを思い出して、なんだかワクワクしながら歩く園内は思ったより人出はそう多くない人の流れにそって、蛇行した道を歩いていくと目の前に紅葉が見えたライトアップされ赤々とした紅葉は、周囲の漆黒の闇と対比して目にも鮮やか下は池になっているので、ライトに照らされた紅葉が水面に映り、その絵は神秘的で言葉では言い表せない幽玄な美しさ人々は足を止め、その幻想的な美しさに溜め息を漏らし、思い思いにデジカメや携帯のカメラで撮影している左手に紅葉を目出ながら暗い道を歩いていくまだ思ったほど色は深まっておらず、青々としたモミジも多々あったが、それでもライトアップされると絵になる休憩処を通り越し、程なく歩いて趣きある千鳥橋を渡ると、左手に大きな池が見えてくる対岸の中の島はライトアップされていて、妖しく浮かび上がるその景色はそれはそれは見事である庭園も綺麗に手入れされていて、ここが東京のど真ん中とは信じがたい光景まるで江戸時代にタイムスリップしたような気分になるここが撮影ポイントなのか、皆挙って撮影をしていた自分も負けじと撮影を試みたのだが、精度が悪いのか腕が悪いのか、何回撮っても対岸に浮かび上がる紅葉を撮ることが出来ず、とうとう断念したそれにしても夜景を撮るのは難しい画がブレてしまい、なかなか満足のいくものが撮れない今日も何度シャッターを押したことかその後も園内をゆっくりと散策し、閉園を知らせるメロディーが流れてきたので,最後にもう一度水面に映る幻想的な紅葉を見て、園内を後にした夜間は園内の一部の立ち入りが制限されているので、まだまだ園内には見所はありそうそれに夜間で、紅葉以外は漆黒の闇に包まれているので、日中に来たら別の面が見られそうである今日初めて六義園を訪れたが、日本の四季の美しさを再確認し、静寂さ、日本庭園の雅さにすっかり魅了され、お気に入りの場所となった都内の隠れた穴場である夜の幻想的な紅葉も捨てがたいが、明るいときにぜひまた一度訪れてみたいもう少し経ってからいけば、さらに秋色は深まることだろう今年の紅葉のライトアップは、当初は12月7日(木)までの予定だったが、紅葉の見頃が例年より遅かった為、13日(水)まで延長になったそうライトアップされた紅葉は一見の価値があるので、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか六義園開園時間…9時~17時(最終入園は16時30)※12月13日(水)までは21時まで開園(最終入園は20時30分)ライトアップ…日没~21時まで
2006年11月29日
日が暮れるのが早くなったまだ16時半だというのに辺りは薄暗く、西の空の方が若干オレンジ色に染まっている程度であるかれこれ2週間以上休み無しで働いている疲れきった自分が癒しを求めていたのだろういつもより早く仕事が片付いたので、少し静かなところに行きたいと、宛ても無く燃費の悪い車を走らせていた場所は、なぜか大井埠頭道路を行き交うのはトラックやトレーラーのみ空を見上げれば、羽田空港が近いせいか、日常では見ることの出来ない距離でジェット機が飛んでいる辺りを見回しても、人影は無く、倉庫などの大きな建物ばかりで、ちょっとした異空間埠頭を照らすオレンジ色の強烈なライトに見とれながらハンドルを握っていると、一画に何やら球体のオブジェが堂々と飾られている公園を見つけたみなとが丘ふ頭公園である辺りの景観からは想像もつかないほど、緑に囲まれ、静寂に包まれた公園である公園内は暗く、外灯が少ないので、散策路のような舗装された道を歩く園内は殆どが常緑樹だが、所々に黄葉に色づいている樹があり、秋を感じさせる程なく歩くと、枯れ草生い茂る池が見えてきた近くには柳の木があり、なんとも風情がある池の中から飛び立つ野鳥にびくつきながら歩いていると、1本の木を見つけた名前はわからないが、綺麗に紅葉している樹である気づけば薄明るかった西の空も日が落ちて暗くなっていたこの公園、暗くてとにかく怖い枯れ葉が落ちる音や、風で葉がざわめくといった、ちょっとした音にでも過敏に反応してしまうそういえば、この公園に来てから、誰一人とも遭遇していない考えれば、ここら一体は埠頭で住宅は無いましてや日が落ちてから公園に来る物好きもいないだろう夜の利用者は皆無だから、外灯が少ないのか謎は解けた全く外灯のない、ちょっとした庭園を手探り状態で歩いていると、蔦の中に佇む少年の像があった酸性雨の影響だろうか?青緑色の像は変色し、まるで涙を流したかのような黒いシミができていた闇に一人佇む少年は何を見つめているのだろうかふと庭園を見上げると、階段が続いていたしかし暗い中なので、どこに続いているかわからない暗闇と一人というシチュエーションが恐怖を煽ったが、折角ここまで来たのだからと勇気を出して階段を登り始めた“生い茂る樹から誰かに襲われたらどうしよう?”だの、、“ここで悲鳴を挙げても助けは来ない”なんて恐怖に震えながら階段を登りつめると、そこは小高い丘になっていた丘はさほど高くないので、見晴らしは大したことは無いが、それでも大井コンテナ埠頭のオレンジ色のライトの夜景がはなんとも幽玄であるが、その景色をゆっくり楽しんでいる場合ではないくどいようだが、とにかく辺りは真っ暗で怖い!自分の背後から誰かが来そうで、落ち着けないのであるしかも誰一人として人がいる気配が無いので、気持ちはまるで森の中を彷徨う旅人のようもうこれ以上は恐怖心が先行して散策どころではないので、早足で公園を後にした癒しの為に来たのが、心拍数は上がり、変な汗をかいてしまったので、かえって疲れてしまったかもそれでも、自然に囲まれ、何かプラスのものをわが身に吸収したような気がするこれで、明日も仕事を頑張れる……ような
2006年11月22日
文京区の花の五大まつりといえば、3月の梅、4月の桜、5月のつつじ、6月の紫陽花、そして11月の菊である花の五大まつりの末尾を飾る湯島天神菊まつりに行ってきた今年で28回目を迎えるという菊まつりは、境内に約2000株の様々な菊が飾られているという湯島天満宮の入口の一つである夫婦坂の石段には、菊の鉢が一段ごとに飾られていた石段を見上げると、暗闇の中にぼんやりと薄明りが灯る提灯がなんとも風情がある境内は夜間照明こそないが、所々に外灯があるので菊を見る分にはさほど差し障りは無い湯島天神を訪れるのは、3月の梅まつり以来だから、半年以上経っている月日の流れは、ほんとうに早いものである休みが取れず、どうしても活動が夜中心になってしまう自分にとっては、夜間拝観できるのがなんともありがたい菊まつりといえど、やはり夜なので人影は殆ど無く、まつりの盛り上がりはみられないので若干寂しい気もするが、その分じっくりと菊が見られるので良しとするか 賞を受賞した菊、懸崖咲き、盆栽、千本咲きと呼ばれる大作りのもの、小学生が育てた菊、大菊や小菊など様々な菊の花を組み合わせた盆庭など、白や黄色、ピンク、茶系など、様々な種類や色の丹精込めて育てられた菊が境内のいたるところで咲き競っている菊まつりはまだ開催されたばかりだが、花は見頃を迎えていたどの菊も目新しさはないが、そんななか、“一文字”という種類の菊に目が止まった大菊のなかで唯一の一重咲きというその菊は、御紋章菊とも呼ばれており、花姿はガラス細工のような繊細さである花は上に向いているので、自分の背丈でも覗き込なまくてはならないぐらいの花丈なので、少々観賞しづらいのが難点であった暗い境内のなか、明かりが煌々と照らされているところがあった菊人形である菊の花を纏った等身大の人形で、専門の菊師の方が一週間以上かけて作成するそう今年の菊人形は、現在放送されている大河ドラマ『功名が辻』より、主人公の山内一豊と千代がモデルである菊人形といえば、その昔、横溝正史原作で名探偵金田一耕助が活躍する映画『犬神家の一族』で菊人形の頭の部分に生首が置かれていたシーンがあり、その印象が強く残っている今回はじめて菊人形を見たのだが、やはりその映画のワンシーンが思い出された城の背景をバックに立っている山内一豊と千代の菊人形は、目にも鮮やかな小菊の衣裳を纏っているが、その顔立ちは昭和のレトロ感が漂い、表情は笑っているのだが、どことなく薄ら寒く感じた綺麗というより、怖いというのが率直な感想である隣の菊人形の方に目を向けた時、すでに事件は起きていたなんと、菊人形が生首だけの見るも無残な姿で発見されたのである『金田一さん、事件ですよ!』身体は骨組みだけを残し、顔は笑っている…それはそれは、なんとも不気味な絵であるこんな無残な姿を公開するとは、何の意図があるのだろうかどうやら、この菊人形は作成途中の模様それならそうと、何も堂々と展示しなくてもいいのでは?と思ったが、菊人形の仕組みというか、作成過程を窺い知ることができたので勉強になった菊人形丸裸事件、これにて一件落着!こうして、夜の菊まつりを満喫したのでありました【湯島天神菊まつり】11月1日(水)~11月23日(木)まで拝観無料
2006年11月10日
仕事帰りに、上野のアメヤ横丁へ買物へと出かける車を上野公園近くの駐車場に停めたので、アメヤ横丁には向かわず、上野公園を通り抜けて不忍池へ寄り道をすることにした時刻はまだ17時過ぎだというのに、日は沈み、辺りはすっかり暗くなっていたもう11月、まださほど寒さは感じないが、日照時間のかぎりでは冬は近づいているようである不忍池は、はじめは大きな一つの池であったが、今は、鵜の池・ボート池・蓮池の3つの池に区切られている闇に包まれた不忍池の中央で、ライトアップされた弁天堂が幻想的な姿として浮かび上がっていた不忍池弁天堂は、江戸初期に寛永寺が開かれた際に、不忍池を琵琶湖に見立てて、弁財天を祀ったのが始まりとされている弁天堂の脇には上野動物園の園内に位置する鵜の池があるのだが、暗闇で何も窺い知ることができないので、弁天堂を通り抜け、池の中央の遊歩道を歩いていく貸しボートを楽しむことができるボート池と、沢山の蓮が自生する蓮池の間を蛇行するような遊歩道を歩く休憩用なのか、ベンチも所々にあって、カップルたちは楽しいひと時を過ごしている灯りは少なく、ほぼ暗い中の散歩道なので、心元薄ら寂しい時折、池を泳いでいる野鳥が立てるわずかな音に対して、敏感に反応してしまう自分であった遊歩道を抜けると、蓮池が一望できる場所に出る大小様々な蓮の葉が、池一面を覆いつくすかのごとく生えている露を弾き飛ばすほどの瑞々しく青々とした蓮の葉もあれば、枯れてきている葉もある見渡すかぎりどこまでも続く蓮の葉まるで、蓮の葉のジャングルに迷い込んだよう…上野の街のネオンを背にひっそりと佇むその姿は、圧巻の一言につきる光景である蓮池の近くの遊歩道では、秋の骨董市が開催されていた軒先並べた簡易テントでは、アンティークという洒落た言葉は似合わない、まさに骨董品が並べられている自分は骨董品には興味が無いので、正直言って“こんなもん売れるのォ?”と目をキョロキョロさせる店主の人を見ても、商売で儲けるというよりは、人との交流を楽しんでいるように見えたどことなく昭和テイストの空気を感じさせる上野・不忍池そこには、いつ訪れても変わらぬ風景がある…そうそう、本当はアメヤ横丁に買物をするのが目当てだったんだけど、体調が悪くなってきたので、買物せずにそのまま帰ることにした
2006年11月05日
持病である甲状腺の三ヶ月おきの定期健診の為に、朝から表参道にある病院へ…訪れるたびに大混雑している待合室も今日は比較的空いていて、思いのほか早くに自分の診察の順番が回ってきた大抵、病院は午前中いっぱいかかるのだが、今日は早い時間に病院を出ることができたので、寄り道をすることにする徐々に秋色が深まりつつある表参道の景観のなかを歩きながら、明治神宮へと足を向けた明治神宮は、目の前を通りすぎるだけで、いままで一度も足を踏み入れたことが無い場所である玉砂利が敷き詰められた参道を歩く参道の両脇には木々が生い茂り、都会の喧騒からまるで隔離されているよう聞こえるのは、鳥の鳴き声と、自分が踏みしめる玉砂利の音のみである長く続く南参道をしばらく歩くと、大きな鳥居が目に飛び込んできた高さ12メートル、柱の太さが1.2メートルもある日本一大きな木造の鳥居である遠くから見ても勇壮だが、間近で見上げる大鳥居は圧倒される大鳥居に使用しているのは台湾産の檜で、樹齢は1200年以上は経っているというその太い柱に手を触れると、なんとも言い表せない何かを感じるのであった程なく歩いていくと、参道の一画で菊の花が飾られていた『明治神宮秋の大祭 菊花展』協会や団体、園芸高校など幾つかのグループが丹精込めて育てた菊を展示しているのである オーソドックスな仕立ての鉢から、懸崖、盆栽など様々な品種・種類、白・黄色・桃色・オレンジといった菊が咲き競っているまだ菊花展が始まってから間もないせいか、小菊類は固い蕾の状態ではあったが、日本を代表する花である菊の世界を十分堪能することができた菊花展の参道からは御社殿を望むことができるその風格たるや神々しく、近寄ることを拒むような厳格さが漂う手を清めてから足を踏み入れると、押し潰されそうな重圧をひしひしと身体に感じていたふと見ると、式を挙げられたのか、文金高島田に結い、白無垢姿に身を包んだ花嫁が…その姿たるや、なんとも厳かであるここの空間は神聖な場所であり、俗世界とは違うものを感じ、なんだか汚らわしい自分は見咎められているようで居た堪れなくなり、そうそうと退散するのであったあとで知ったのだが、参道の中央は『正中』といって、昔から神さまの通り道とされて、昔の人たちは真ん中を歩かないように心掛けていたそうですそれを知ってか知らずか、広い参道の真ん中が開いていたので、堂々と歩いていた不躾な自分…申し訳ありませんでした
2006年10月30日
ふと思い立って午後から、唯一現代に残る江戸時代の花園、国指定の名勝・史跡である向島百花園に行く車で出かけたのだが、百花園はおろか、近隣にも車を駐車させるスペースが無かったので、少し離れたコインパーキングに車を駐車して歩いた車の往来が激しい明治通りを歩き、一歩脇道に入るとすぐに、目指す向島百花園が目に入った150円の入園料を払って、いざ園内へ…向島百花園は、江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830年)に、骨董商を営んでいた佐原鞠塢が、交遊のあった江戸の文人墨客の協力を得て、草花観賞を中心とした花園として開園されました開園当初は360本の梅が主体でしたが、その後、日本や中国の古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花を楽しめるようになりました(パンフレットより抜粋)今では、春にはかたくり、藤の花、夏は紫陽花、秋は萩や薄といった秋の七草、冬は梅や蝋梅が楽しめるそうである 平日の午後ということもあってか、園内にはご婦人を中心としたまばらな程度の人影しかない緑が生い茂る園内を散策して思ったことは、来た時期が悪かったということ切花でしか見たことがなかった吾亦紅(われもこう)や、ほととぎすが自生しているのを初めて見たが、それも疎らに咲いている程度萩の花など殆どの植物が見頃を終えていて、園内全体的には花の少ない殺風景な光景で、自生を意識しているのか、雑然と植物が生えていている感があり、ちょっと奥まったところに行くと蜘蛛の巣がいくつも張られて荒廃感が漂うそれでも、秋らしいというか、どこか哀愁漂う物寂しげな風景を楽しむことはできた園内には、松尾芭蕉をはじめ、庭造りに力を合わせた文人墨客たちの合計29の句碑・石柱が随所に建っていてる自分は句に興味は無いので素通りしていたが、周囲の寂れた感じと句碑がうまく融合していて、江戸の文人たちの息遣いが聞こえてきそうである園内を一通り見終えて出口に向かう途中、庭門のそばで紅葉の樹を発見したちらほらと紅葉の見頃の便りが聞こえてくるのか、ここの紅葉は、午後の日差しを一心に受けて青々としていた紅葉に色づくのは、まだまだ遠い日のようである園内から空を見上げればビルが聳え建ち、すぐ横には主要道路…周囲の環境からは想像もつかないほど、ここ向島百花園には四季折々の自然が満ち溢れている都会の喧騒、毎日仕事に追われるような生活から、一時でも逃避させてくれる空間がそこにはあった
2006年10月16日
お彼岸の忙しさに追われて、家と職場を往復する日々が続く仕事が追われば、できるだけ早く家に帰って休息したいと思うのだが、それではなんだか味気ないという事で、仕事終わりにちょっと寄り道宛てもなく車を走らせ、御茶ノ水あたりを散策する夜もだいぶ過ごしやすくなり、半袖では薄ら寒い本郷通りからちょっとそれた所に、興味深い坂を発見したその名も幽霊坂東京都23区内には、幽霊坂と呼ばれる坂が十数箇所あるという比較的交通量の多い本郷通りの脇にあるその幽霊坂は、片側が石垣が聳えてなんとも風情がある石垣沿いに、ゆるやかな坂を降りていくと、坂の角に標識が立っていたまるで幽霊を表したような、細く流れるように書かれた『幽霊坂』の文字がなんともおどろおどろしい標識の裏には、幽霊坂と呼ばれるようになった由来が記されているが、読んでもさっぱり判らなかった一つ言えることは、坂と幽霊は関係ないことそもそも、この坂は紅梅坂と呼ばれていたが、いつしかから幽霊坂と呼ばれるようになり、そのまま定着したらしい幽霊坂とは言うものの、坂にはビルが立ち並び、夜遅いというのに、ビルの明かりが煌々としていて坂道を照らしているので、とても陰気な感じはしないそれでも、坂の途中にある道を1本入れば、ビルに埋もれるようにして古い造りの家屋が2件、斜向かいに建っていて、当時の名残を感じさせた時は流れ、ビルが立ち並び、辺りの風景もだいぶ様変わりしたであろうその時代の流れをひっそりと見守り続ける幽霊坂…いつまでも不変なその坂こそ、幽霊のような存在なのかもしれない
2006年09月21日
歴史を感じさせる風景を見に行こうと思い、横浜へと出かけるしばらく訪れないうちに、みなとみらいの地域は高層ビルや様々な商業施設が立ち並び、街は進化を遂げていた街の変貌振りに少々戸惑いながら車を走らせる到着したのは横浜赤レンガ倉庫前々から一度訪れてみたいと思っていた場所で、今日念願が叶った横浜赤レンガ倉庫は『ハマの赤レンガ』と呼ばれ、明治末期から大正初期に国の模範倉庫として建設されたレンガ造りの歴史的建造物である関東大震災での大規模な修復工事以来は、小規模な補修工事のみ繰り返されてきたが、倉庫としての役目を終えた赤レンガ倉庫を、市民が憩い・賑わう空間としての活用計画がまとまり、屋根瓦の改修、鉄骨による補強等の改修工事を実施し、2002年に生まれ変わったという(赤レンガのホームページより)“小奇麗だな”というのが、赤レンガ倉庫を見ての第一印象赤レンガ倉庫自体改修工事を受けたが、周囲の環境も緑地公園のように整備されているので、一見歴史的建造物というよりは、港の近くに立つレトロ風な建物としか印象がなかった自分は荒廃したイメージを持っていたので、ちょっと拍子抜けした2つある赤レンガ倉庫は、それぞれ文化施設と商業施設とに用途が分けられていて、文化施設にはホールや自由な用途として使える空間スペースが設けられ、商業施設には横浜ならではの商品を扱っている店舗が入っている平日だというのに、家族やカップルで思った以上にそれなりに賑わっているしかし、自分が思うに、倉庫の中を施設として有効活用するのはいいが、カフェテラスは果たして必要だったのだろうか?倉庫としての美しい外観を損なっていると思うのだが…これでは、ただの観光スポットの一つにしかすぎず、あえて歴史的建造物をわざわざ予算を割いてまで補修して残す意味があったか疑問であるそんな考えの持ち主の自分は古い人間なのだろうか?現に、赤レンガ倉庫のすぐ近くには、昔の赤レンガ建造物の遺跡(花壇として有効活用)があるのだが、殆どの人は目もくれていない要は、ここを訪れる多くのカップル、観光客は赤レンガ倉庫としての価値は二の次なのである事業コンセプトである『港の賑わいと文化を創造する空間』、横浜らしい文化…これが、現代社会における歴史と現在の共存方法なのだろうか関東大震災後や、平成に入って大幅な改修工事がされたということだが、この赤レンガは当時のものなのだろうか?倉庫といえば無骨な感じがするが、煉瓦のせいか暖かみを受け、積み重ねられた煉瓦ひとつひとつに歴史を感じるのであった本当に味のある建造物である時は流れ、港も周りの景色も変わってしまったが、横浜レンガ倉庫は歴史的シンボルとして、これからもその姿を変えることなくこの地に佇み続けることだろう
2006年09月04日
以前、花菖蒲を見に水元公園を訪れたとき、道すがら気になるスポットを発見したそれは、しばられ地蔵であるなんとも興味をそそるお地蔵さまである気にはなりつつ、なかなか行く機会が無かったのだが、今日時間が空いたので“しばられ地蔵”とは何ぞや?と、足を運ぶことにした今日もいい天気である午後だというのに、、夏の日差しは増すばかりである車で向かうと、交差点『しばられ地蔵前』の表示板があり、住宅街を抜けると突き当たりに、目指すしばられ地蔵がある南蔵院がある大きく立派な門構えのところで、ご婦人方が数人立っていたしばられ地蔵を見に来たのか?と思いきや、境内で数人の子供たちが走り回っている姿が見えたので、幼稚園帰りに子供たちを遊ばせて、お母さん同士で談笑しているのだろうさて、重厚な門をくぐると、広々とした境内が広がっているが、お目当てのしばられ地蔵尊は、真正面に鎮座していたので、すぐに判った江戸名刹というだけに、もう少し見物客がいると思ったのだが、境内で走り回っていた子供たちもいつしか帰ってしまい、自分一人しかいないさて、若干の緊張の面持ちで、しばられ地蔵尊といざご対面たしかに縛られている…それも地蔵尊全体を覆い尽くす凄い数である享保年間に、当時本所中之郷にあった南蔵院の門前で反物が盗まれ、時代劇で有名な名奉行の大岡越前守忠相が黙って見ていた地蔵も同罪と縄を打ったぐるぐるに縛られた地蔵は江戸市中を引廻され奉行所へ…野次馬連中がどんな裁きが始まるか奉行所へなだれ込んだとき、野次馬たちに反物一反の過料(軽い罰)を申しつけ、その反物の中に盗品を見つけ、泥棒を捕まえたという以来、地蔵尊はしばられ地蔵と呼ばれ、盗難除け、厄除けのほか、あらゆる願い事を聞いてくださると人々から崇められるようになり、お願い事をするときは地蔵尊を縛り、願いが叶うと縄を解くようになったという早速、自分も地蔵尊を縛らせていただくことにする地蔵尊の右側に願い縄がぶら下がっている100円を納めて願い縄を手にし、地蔵尊に近づく午後の日差しを浴びているのと、無作法者なので粗相がないかと緊張して、嫌な汗が額にうっすらと浮かぶ荒縄を片手に持ち、地蔵尊を前から抱え込むようにして願い縄を後ろから回す地蔵尊自体が大きいのか、幾重にも縛られているせいか、胴回りは想像以上に太かった願い縄の両端を持ち、胴体のやや上のところで解けぬようかた結びを二度し、それから、手を合わせたお願いするにも順序や順番などあるのかもしれないが、何分無作法不調法者なので、許していただきたいさて、何をお願いしたかは内緒として、願いが叶うと縄を解くという後ろ手に、“解き縄入れ”と書かれた箱があったが、覗いてみると結構な数の縄が入れられていた願いが叶ったのだろう…ここで疑問なのだが、願いが叶って縄を解くとき、自分が縛った縄を解くのだろうか?それとも、縛ってある縄ならどれでもいいのだろうか?少なくとも、これといった特徴もない縄なので、皆同じに見えるわずか数分前に縛ったばかりの自分であったが、もうどこを縛ったか、自分の縄を見失ってしまった…人々の願いが込められた縄に縛られる地蔵尊その姿は、なんとも不思議な光景であるが、どことなく温もりを感じるのであった地蔵尊に縛られた縄だがそのままという訳ではなく、毎年大晦日に縄解き供養があり、縛られた縄が一斉に解かれお焚き上げされるという
2006年08月23日
浅草方面から言問橋を渡ると、国道6号線に出るが、ここの信号待ちが結構長いなので、手前の道を左折することが多々あるその通りの名は見番通りである道の中ほどに置屋の見番所があることから名づけられたというこの見番通りは、大きな国道がすぐ傍を通っているとは思えないほど、下町情緒が溢れており、風格ある料亭が軒を連ねている時刻は18時過ぎ…車を走らせていると、前方に着物姿の2人の女性が見えた芸者さんである髪は綺麗に結い上げられ、目にも鮮やかでありながら涼しげなピンクと水色の着物をそれぞれ着て、しなやかに歩いていたその艶姿にすっかり見惚れてしまったよっ!姐さん、粋だねぇ一人の芸者さんは片手に三味線を持っていた料亭に向かう最中だろうか?踊りや三味線などの日々の鍛錬は、それはそれは厳しいものである向島の芸者も最盛期の頃から比べると、だいぶ減っているという自分とは住む世界がまったく違うので、ちょっと異世界を垣間見たような気がした通りをさらに進むと、遥か前方に自転車にのっている女性が見えた目を凝らして見ると、着物を着た女性である?????着物を着て自転車に乗っている女性は初めて見るかもしれないその女性は慣れているのか、そつなく自転車をこいでいる決して、上品には見えないが…姐さん、そんなに急いでどちらへ?その女性が芸者さんか否かはわからない江戸が息づく街・向島の夜はこれから更けようとしていた…
2006年07月28日
朝からカラスの啼き声が凄い職場の近くにゴミ集積所がある為、早朝から数羽のカラスがゴミに群がっているゴミを出した人間の出し方が悪かったのか、カラスが賢く器用なのか、ゴミを袋から引っ張り出しては、歩道や道路に散乱させていたコンビニに売られている弁当の箱だろうかカラスは鋭いくちばしを使って器用に蓋を開けて弁当箱の隅を突っついていたその器用さと言ったら、なかなかの腕前(くちばし前?)である昼過ぎ、所用で郵便局に行こうとゴミ集積所の近くを通ると、1羽のカラスが道端にいた大抵のカラスは人が近づくと逃げるものなのだが、そのカラスは人が近くを行き交っていても微動だにしないよほど、肝が座っているカラスなのだろうか?自分が近くに行くと、その謎は解けたなんと、子供のカラスだったのである黒々とした羽に身は包んでいるものの、顔は幼く、まるで怯えているように見えたカラスを見て、はじめて“可愛い”と思った瞬間だった郵便局から戻ってくると、その場には子供のカラスはいなかった近くに大きな樹木があるそこから聞こえる数羽のカラスの啼き声その中に、明らかに変な啼き声が聞こえてきた姿は確認出来なかったが、きっと子供のカラスであろう小さなカラスよ…厳しい都会を生き抜き、逞しくなれ!【鳥獣保護法】カラスは野鳥なので、鳥獣保護法という法律により、勝手に捕まえることは禁じられている卵やヒナのいる巣を落とす、又は撤去することも同じく禁じられており、行政の許可が必要となる
2006年06月23日
日照時間もだいぶ長くなり、外が暗くなるのもだいぶ遅くなってきた今日はいつもより仕事が早く終わったので、堀切菖蒲園に寄り道することにした1回も訪れたことはないが、私鉄(京成電鉄)の駅名で『堀切菖蒲園』と銘打つだけに、さぞかし素晴らしい景観なんだろうと、思いをはせマイカーのハンドルを握る堀切菖蒲園の駅からのびる商店街のなかにある有料駐車場に車を停め、菖蒲園と向かう時刻は6時過ぎである商店街とはいうものの、昭和の匂いを感じさせる淋しい商店が軒を連ねている買い物時間のピークも過ぎてしまっているのか、通行人は疎らである商店街には『葛飾菖蒲まつり』のボンボリが、たくさん吊るされているが、まだ薄明るいので、ボンボリに明かりは灯されていない途中、いくつかの店舗で見かけた花菖蒲グッズハンカチ、造花、小物類…それらの土産品を見ると虚しさを覚えてしまったが、日中や土日は賑わって、手に取るお客様がいるのかもしれない歩くこと10分足らず…商店街を通り抜けていくと、堀切菖蒲園が見えてきました園内には人影がありません不吉な予感が…!菖蒲園の正門前に来ると、門は固く閉ざされていました案内板を見ると、通常は17時に閉園されるのですが、菖蒲祭り期間中は1時間時間を延長して18時に閉園されるそうです残念!しかし、このまま帰るのも癪なので、菖蒲園の周遊をグルッと周り、柵越しに花菖蒲を拝見することに堀切の花菖蒲は、江戸名所の一つとして数えられ、その景観は安藤広重をはじめ、多くの画家によって錦絵に描かれているという約7700平方メートルの敷地内に、200種6000株が咲き競います例年の見頃は6月の中旬あたりそうですが、訪れた今日は、すでに白や濃淡の紫色の菖蒲が咲き乱れ、十分見応えがありますそれぞれの花菖蒲の前には品種名が掲げられていて、判りやすいようになっています自分も品種名と菖蒲をじっくりと見たかったのですが、何分柵越しに見て回っているので、怪しまれないようにしながら見物しました(傍から見たら、十分怪しかったかも…)柵越しの遠めからの眺めですが、凛としていて、優雅でありながら、どこか儚げさを感じさせるその花姿花菖蒲に日本の【ワビ・サビ】を感じるのでありました菖蒲園は住宅街の中にあり、すぐ脇には首都高速道路があります夕食の支度時間と重なったせいか、家々から漂う食事の匂いを嗅ぎながら散策し、ゆっくり歩いて20分足らずで周遊終了はじめて訪れた堀切菖蒲園を後にするのでした…【花菖蒲の花言葉】あなたを信じます・うれしい知らせ
2006年06月05日
祖父の四十九日法要の為、先祖の墓があるお寺へと出向く今日はとても清清しい天候である一月前訪れたときは、見頃を終え雨で散り始めていた桜の大木も、青葉が茂っていた天を遮るかのごとく、桜の樹と隣に植えられている紅葉の樹の張り出された枝からの木漏れ日と、時折吹く風がなんとも心地よいごくごく身内だけが集まった四十九日の法要僧侶の方の読経が終わると、納骨の為墓地へゴールデンウィーク期間中にも関わらず、何組かお墓参りに来られている方が見受けられます長年放置していた当家の先祖の墓の手入れをする為に、一月前に雨のなか訪れた時は、その荒れぶりに素人の手ではどうすることもできず、石材屋さんに墓の手入れをお願いをしていたさて、墓はどのようになっているのか?目に飛び込んできた当家の墓は…生い茂っていた雑草は刈り取られ、墓の後ろから生えていた名も判らぬ枝は切られていたが、さほど『変わった』という印象は受けられなかった担当していただいた石材屋さんの話によると、根が張り詰めているので、とにかく大変な作業だったという骨壷を納める墓の中も、草が生い茂っていたそうな……自分は墓に遅れて着いたので、祖父の骨壷を墓の中に納める瞬間は見れなかったものの、無事納骨も済ませ、線香と自分が用意した墓用の花を墓に供え、手を合わせるのでした葬儀のあとの最初の大きな法事が【四十九日】の法要四十九日が重要視されるのは、仏教では、死者はこの日、閻魔大王に最後の審判を受け、極楽往生できるか地獄へ落ちるかが決まるという考えがあり、死後49日間は霊は家を漂っており、四十九日目に行き先が決まり、家を離れるとされているそうです
2006年05月04日
昨日訪れた亀戸天神で見かけた『根津神社つつじまつり』のポスターそうだ、根津神社に行こう勿論、仕事帰りのことなので、連日連夜の花めぐりである根津神社の裏手にあたる権現裏門坂から入ると、自分を待ち受けていたのは露店の数々である参道の両脇に、お好み焼き、水飴、やきとり、フランクフルト、牛ステーキ、かるめ焼き、じゃがバター、唐辛子屋、かき氷、玉こんにゃく、大阪焼、いか焼き、ベビーカステラ、金太郎飴、射的といった様々な露天が軒を連ならせているお腹が空いていたのだが、夜遅くに訪れたので営業している筈もないただ、ごくわずかながらソースの匂いだけはしていた数ある露店の中で、ひとつ気になる店が…それは初めて聞く単語、ドネルサンドであるドネルサンドって何?調べてみたら、ドネルサンドとはトルコの食べ物で、本場ではフランスパンを使用しているが、日本ではピタパン状の半円のパンに、牛肉、千切りキャベツにスライスした玉ねぎやトマトが入っているものらしい時代も変われば、露店も変わるんですね露店も途切れ、暗い参道をしばらく歩くと、右手に目指すつつじの花がありましたさて、つつじ見物といきますか…と思いきや、自分の前に立ちはだかった一枚の看板【つつじ苑 9時~5時半】そして、神苑整備ご寄進として、つつじ苑に入苑する為に【200円】と書かれていたなんと、夜間は開放されていないのであるなので、池の向こう側に広がる段々の立地に綺麗に刈り込まれたつつじの花たちは、ライトアップされていないので、その光景を満喫することはできないそれでも、電燈の薄明かりに照らされる、赤やピンク、白の花を咲かせるつつじは見応えがあったこれが明るい時ならば、2000坪のつつじ苑の敷地内に約50種、3000株の色とりどりに咲き競うつつじを楽しめるのだ折角ここまで来たのだからと、少しでも近くでつつじを見ようと、つつじ苑に沿うかたちにある稲荷道を歩く暗い闇の中を、赤いいくつもの鳥居を背を屈めながら潜り歩いていくどこまでも連なる赤い鳥居なんとも言いがたい異空間であるここらへんは明かりが届かないので、つつじを覗き見ようとも、無理であったさて、この稲荷道の鳥居だが、一基6万5千円でご奉納できるというどうりで、鳥居のひとつひとつに名前が書かれているわけである根津神社を後にするとき、1本の幟に目がとまった【文京 花の五大まつり】2~3月 湯島天満宮の梅まつり4月 播磨坂さくら並木のさくらまつり4~5月 根津神社のつつじまつり6月 白山神社のあじさいまつり11月 湯島天満宮の菊まつりである湯島天満宮の梅は見に行ったので、花の五大まつり制覇!と意気込むも、すぐにさくらまつりに行っていないことに気づいた…という訳で、自分のなかでは【文京 花の四大まつり】と勝手に決定残りの白山神社の紫陽花と湯島天満宮の菊は間違いなく見ようと思うのであった
2006年04月27日
母は藤の花が好きである去年、園芸店で購入した藤は、か細い幹ではあるが、すくすくと蔓を伸ばし、まもなく花を咲かせようとしていた今年買った小さな藤の鉢は、今が見頃で、淡い紫色の藤の花が連なり咲き、花が重いのか、かなり垂れ下がっているという事で、思い立ったが吉日藤の花を観に、亀戸天神へ亀戸天神の境内一面は藤棚で、藤の花の美しさはその昔、安藤広重が錦絵に描いた程である仕事帰りなので、夜藤見物である全体的に境内は暗いが、ところどころに下から藤棚をライトアップしている藤棚に近づくと、かすかに藤の上品な香りがした早咲きのものは見頃を迎えていて、遅咲きのものはまだ蕾である想像していたよりは、藤の花は垂れ下がっていなかったが、それでも境内一面に広がる藤棚は素晴らしいの一言に尽きるまた、境内の中央には赤い欄干の太鼓橋があり、これがまた情緒ある風景和服の女性が似合いそうなシチュエーションである太鼓橋の上から眺める藤棚、薄暗い池の水面にゆらめく藤の花明るいときに見れば、格別な風景なんだろうが、自分はこの夜に見る、薄明かりの中に浮かぶ藤の景色が気に入った藤の花には淫靡さを感じ、夜が似合うと自分自身勝手に思っているのだ今度訪れるときは、藤の花が好きな母をぜひ連れてこようと思う【藤の花言葉】恋に酔う・陶酔
2006年04月26日
実家が商売をしていると、なかなか墓参りに行くこともできず、ここ十数年誰も墓参りには行っていなかった墓地の同じ敷地内に親戚の方の墓があるのだが、その方が墓参りに行ったとき、我が家の墓はだいぶ荒れ果てているとのこと5月初めに祖父の納骨を控えているので、その前にお墓を綺麗にしておこうということになった久しぶりの休日次はいつ休めるかわからないので、あいにくの空模様だったが雨天決行マイカーの後部座席に母と祖母を乗せて、いざ出発!墓地がある最寄り駅まで行けば、そこからは案内をするという母を信じたのが間違いだった!?駅を通り過ぎ、指定された曲がり角を曲がる母『この道を真っ直ぐ行って、つき当たりを右ね』途中、周りの景色を見ては、墓参りが終わった帰りにここの公園で子供達を遊ばせた…等、昔話を聞かせてくるどうやら墓地へと向かう道は間違っていなさそうだ十数年ぶりだというのに、人間の記憶とは素晴らしい………走ること数分、行けども行けども道は続き、道はつき当たらなさそうさすがに、母と祖母も口を揃えて『駅からこんなに離れてはいない』今きた道を引き返すもしかして墓地に辿り着けない!?母と祖母は、昔の記憶を必死にたぐり寄せ、ああだ、こうだ言っている自分は幼少の時に来ただけなので、記憶の片隅にもないただ、しとしとと雨が降っていた…(後から判ったことだが、ここら一帯は宅地開発が進み、だいぶ変わったらしいです)なんとか墓地についた我々に待ち受けていた次なる試練は当家の墓探しある程度の見当をつけて、3人が三方に散らばり、1つ1つ墓石に刻まれた名前を確認していくついに我が家の墓を発見した当家の墓地はというと、名もわからぬような樹が、墓の手前と後ろに堂々と鎮座するかのごとく根を張り、伸び放題の雑草が地面を覆っていた正直言って、酷い光景であるこれが、十数年もの間、放ったらかしにされていたなれの果てであるご先祖様すみません雨風は止むどころか、心なしか強くなってきたような気がする近くにある桜の大木は、花びらを散らせている母と祖母は、ゴミ袋を頭に巻き付け、各々鎌や鋏で雑草除去にとりかかる自分はというと、傘を片手に持ちながらの作業…思いの外、雑草の根は強靱に地を這っていて、なかなか作業が捗らない雨も止む気配なく、身体は濡れて泥だらけ途中で断念して、あとは石材屋さんに任せることにそれでも、来た当初よりは僅かながら見られる状態までにはなったのでした5月の納骨式のときに再び訪れるときは、見間違うほど手入れされたお墓になっていることでしょう
2006年04月05日
仕事帰りに夜桜でも観ようと思い、墨堤(ぼくてい)の桜を訪れる為、浅草へ隅田川をはさみ、墨田・台東の両区にまたがる大公園の隅田公園の桜は、見頃を迎えていました昨日までのあたたかさとはうって変わって、肌寒い夜ですが、カップルや仕事帰りのサラリーマンなど、花見客で賑わっています露店もちらほら営業しています吾妻橋から始まり、言問橋をくぐりぬけ…隅田川に目を向けると、屋形船が何艘も繰り出されています対岸のぼんぼりの灯りが川面に映り、まるで桜が隅田川を染めているかのごとく、漆黒の闇の中の川がピンク色に揺らめいています折り返し地点の桜橋へ…桜橋というだけあって、両岸で咲き競う桜が一望できる大パノラマです夜は夜で素敵な景色ですが、どうしてもネオンに目がいってしまいますぜひ、昼間の桜橋でこの同じ景色を眺めてみたいものですきっと、違う表情を見せてくれることでしょう墨田区側へ…約1.5kmにわたる桜並木は、415本のソメイヨシノが咲き乱れますピンクのぼんぼりが煌々と輝き、ちょっとお祭り気分で心が躍りますぼんぼりの灯りのせいで、ソメイヨシノはピンク色に染まり、桜本来の色が楽しめないのが残念ですが、左に明るい桜並木、右手は闇に包まれた隅田川、その明と暗のコントラストが、なんとも言えません吾妻橋を渡って、元の場所へ…満喫時間、ぶらぶら歩いて1時間弱でしたはじめて、墨堤の桜を観に訪れましたが、さくらの名所100選に選ばれるほどの関東を代表する桜の名所だけに、その景観はみごとですぜひ、今度は明るいときに訪れてみたいものです
2006年03月29日
取引先に代金を振込する為に郵便局へだが、あまりにも気持ちの良い春の陽気に誘われて、わざわざ遠回りして、運河沿いを散歩することに運河沿いの斜面は畑として区画されていて、一般の方々に開放されているらしく、利用者は思い思いの植物を好き勝手に育てている秋にはコスモスが沢山植えられていたが、今は菜の花が丁度見頃を迎えている菜の花は、すくすく伸びる花で『出世花』と呼ぶ人もいるらしい(出世魚で有名なブリみたいに、途中で名前は変わらないけど…)春の日差しを浴びる菜の花は、目にも鮮やかで、眩しいほどに輝くのでした運河の反対側に植えられている桜の樹は、まだ蕾は固いですが、ちらほらと花を咲かせています皆、考えることは一緒なのか、散歩する人、シートを広げて昼食をとる家族連れなど、春の訪れのひとときをそれぞれ満喫しているようですそんななか、一組の家族連れが【シャボン玉】で遊んでいるではありませんか♪シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ……シャボン玉なんて、何年ぶりに見たことか風に吹かれて飛んでいくシャボン玉を追いかける子供…時代は変わっても、そこには古きよき光景があったのでした日差しを一心に受け、煌めく運河のおだやかな流れ桜の花と、極彩色の菜の花のコントラストそれは、東京であることを忘れさせるのどかな光景なのでしたあまりにものんびりした為、本来の目的であった郵便局に振込することを忘れ、その後、駆け足で行ったのは言うまでもありません
2006年03月25日
仕事帰りに、湯島天神へ梅を観にいってきました(学問の神様として名高いだけに、境内には、合格祈願や志望校合格の報告など沢山の絵馬が並んでいました)本当は、昼間に行きたかったのですが、休みが無いので夜梅見物となりました湯島の梅で真っ先に思い浮かぶのは、泉鏡花の『婦系図』ですお蔦と早瀬主税の悲恋物で、劇団新派や山本富士子さんが何度も公演されています(山本富士子さんの舞台の題名は『湯島の白梅』というのですが、実際、湯島天神の敷地内の約9割が白梅だそうです)自分は花組芝居の『婦系図』を生の舞台で観たことがあるのですが、小説本来の主題である『復讐』が舞台の主軸になっていて、なかなか面白かったです(観終わった後、早瀬主税のその壮絶なる生き方に、重い気分にさせられました)梅に話を戻すと、冷たい風が吹く夜だというのに、梅を見にきている方がちらほらいました(年配の方々ばかりでした…)ライトアップされて、遠目からは綺麗ですしかし、間近で見てみると、すでに見頃は終わってしまっていたようです花はついているのですが、ほとんど散ってしまっていて、完全に綺麗な梅の花を探すのに苦労するほどですそれでも梅の花の近くに顔を寄せると、甘い芳香が漂います敷地内には、約300本の梅がありますが、一番のお気に入りのロケーションは、ゆるやかな女坂、段のきつい男坂から見る梅の花です都会の中なのに、確かにそこだけは時の流れがゆったりと流れているように感じました澄み切った夜空、曇りなく煌々と輝く満月、風に吹かれて舞う梅の花…夜見る梅も風情がありますが、ぜひ来年は昼間の、それも満開の見頃のときに訪れたいものです
2006年03月14日
冬に咲く花木の代表・蝋梅(ろうばい)の花を見る為に、秩父長瀞の宝登山にある蝋梅園に行ってきました花がロウ細工のように美しいことから名付けられた蝋梅(名前の由来は他にもありますが…)以前、花材として使用した蝋梅が気に入って、切り花ではなく、自生している蝋梅を見てみたいと思い、今回その運びとなりました空いている思っていたのですが、いざ現場に着いてみると予想は大きく裏切れ、蝋梅園がある山頂まで行くロープウェイを乗るために長蛇の列が…平日にも関わらず、老若男女(ほとんど“老”ですが…)で賑わっています45分待って乗る順番が来たものの、定員50人乗りの『ばんび号』の車内は定員ギリギリのすし詰め満員電車状態…景色も眺めることができずに山頂へ着いたのでした標高497メートルの宝登山(ほどさん)の山頂には、素心(そしん)・和蝋梅(わろうばい)・満月(まんげつ)の3種類の蝋梅が500株、2000本が咲き乱れます今年は寒さが厳しかったせいか、例年に比べて見頃の時期が遅かったそうですが、透き通る黄色の花を沢山開かせた満開の樹もあれば、今まさに花開かせようと丸々とした蕾を抱える樹もあり、まさに今が見頃です蝋梅特有の甘い香りに酔いしれながら、間近で一つ一つの花を見るのもいいですが、西日を浴びて黄金色に輝く蝋梅を離れた場所から見るのも圧巻ですまた、蝋梅もさることながら、関東一のロケーションを誇ると謳うだけあって、山頂から望む景色は荘厳です眼下に広がる秩父の街並み、遠方には秩父連峰…いつまで眺めていても飽きさせませんたまには時間を気にせずに、ゆったりとした時を過ごすのもいいものです
2006年02月14日
全79件 (79件中 51-79件目)