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自分で言うのもなんだが、結構遠慮するタイプ言いたいことがあっても、“これを言ったらどうなるだろう?”と、頭のなかでまず考えてしまい、あれこれ考えた末、結局言葉をグッと呑んでしまうあまり自己主張をせず受け身の態勢で構えているから、損な役回りを受けることもしばしば頼まれ事をされると、断ることがなかなかできない御人好しな性格の持ち主でも自分的には、それで損をしているとは思っていない“誰もやらないなら、自分がやるしかないじゃん”といった感じん!?結局は、良いように利用されてるだけか?そんな自分を見て、周囲の人は結構気を遣ってくれる“大丈夫?”“無理してない?”とかもうね、これが当たり前のようになっているから、何とも思ってないこういう性分なんだろうね、きっとだから、これからもこのまんまだと思うただ、周囲に気を遣うことによって、自分のことをついつい後回しにしてしまうのだけはなんとかしないと利口でもなければ器用でもないことは自分自身がよく判ってるから…【御人好し】何事も善意に捉える傾向があり、他人に利用されたり騙されたりしやすいこと(辞書調べ)
2010年02月26日
家を出てから数分して気づいたあ!忘れものした…歯を磨きながら、今日はアレを持っていかないと…着替えながら、アレ忘れずに持たないと…と、何度も確認していたにもかかわらず、靴を履くとき、玄関の棚にちょっと置いたら、それを持たずに出てきてしまったハァ~我ながら何してるんだろ?ほんと情けないいつも朝用意するからダメなんだよね前日の夜のうちにやっておけばいいんだよけれども、疲れて帰宅すると、明日の朝やればいいや…と思っちゃうで、その結果がコレほんと、毎回毎回同じ過ちを繰り返すも、まったく進歩が見られない男です
2010年02月11日
今、自分のまわりでは風邪をひいている人が多い職場もそうだ何人か欠勤しているので、その穴埋めをするためにてんてこ舞い風邪をひくな!とは言わないけれど、風邪の予防対策や体調管理はしっかりとしてほしいものだと、偉そうなこと言っているけれど、自分はどうなのかって?ハイ、元気です!いや、元気じゃないなすっごい疲れてるし…けれども、風邪をひく気配は全くと言っていいほど無い健康体なわけではない自分なりの風邪予防?そんなもの、何もしていないマスクも装着してないしね無防備状態それでもひかないんだよなぁこれだけ周りの人間が風邪をひいているのに、自分だけピンピンしていると、なんだか取り残された感じがするだからって、皆と一緒に風邪なんかひきたくないけど…そういえば、こんな言葉があるね『馬鹿は風邪をひかない』これ、一体何の根拠があって言っているんだろうでも、自分は賢くないから、案外当たっているのかも!?
2010年02月01日
すごく掌が冷たいあまりの冷たさに自分でもビックリする子供の頃は、どちらかというと、掌は温かいほうだったんだけれど…どうしたんだろ?体調の変化なのだろうか「掌が冷たい人は、心は温かい」という言葉を耳にするこれって、何の根拠があるんだろ自分に照らし合わせてみると、合っているような、合っていないような…心の温度は時と場合によって変わるから、一概にはなんとも言えないこの掌と心の温度の関係に興味を持った自分は、ちょっと調べてみたすると、ちょっと興味深いことが記されていた“掌が冷たいのは、血行不良が原因しかし、掌と心の温度は意外と密接な関係を持っている”掌は基本的には外気温など物理条件では発汗することが殆どない興奮したり、緊張したり、感情の極度な変化など、精神的な作用によって汗が出る汗というのは皮膚表面で蒸発し、それにより体表面の熱を奪い体温を下げるという役割を担っているすなわち、感受性が強かったり、すぐに緊張や動揺をしてしまうような人は、掌に汗をかくことが多く、よって掌の体温が奪われ、掌が冷たいという図式が完成する(某サイトより引用抜粋)思わず、なるほどォ!と唸った果たしてこの説になんの根拠があるのかは定かではないが、たしかに自分は感受性は強いと思うし、すごく緊張するだから、掌が冷たいのか!納得!!って、この掌の冷たさは、やっぱり血行不良が原因なんだろうね
2010年01月14日
疲れが抜けきらないからだろうか気分の問題だろうか自分のことなのに、自分のことがよくわからない理解できていないとにかく、だるくて仕方ないまったくやる気がおこらないのだ気力が湧かない…この現象は、昨年の暮れ頃から度々現れていた環境が変わり、丁度忙しくなり始めたころからだやりたいことやらなければならないこと自分の前に山積みにされたそれらのもの一つ一つ片付けていっても、到底追いつかない次から次へと、課題が積み上げられていく焦燥感…苛立ち…時間の使い方が下手なのだろうか?いや、そんな筈はないだとしたら、あれもこれもと、欲張りすぎなのが原因なのかもしれない今、自分が抱えているもののなかから幾つか手放すことができたら、きっと楽になるはずん?楽になりたいのか?いや、そうではないすべて大事なものなんとかする!と言いつつも、何一つ出来ていないのが現状悪循環…悪足掻き…自分で自分の首を絞めているそんな余裕の無い、許容範囲の超えた生活を送っていたからだろういつの頃からか、気力が沸かないことが間々あるようになった何もしたくない…とは言っても、何もしないわけにはいかないむしろそんな状況だからこそ、一層自分を奮い立たせたそれがまた、よくなかったのだろうこれからは自分のことを苛めるのは程ほどにしようそうじゃないと、心のバランスが崩れてしまいそうで怖いちょっとしばらくの間、ゆっくりめのマイペースでいきます
2010年01月05日
新聞を読まないテレビも見ない仕事に追われる毎日日々変わらぬ暮らしつまらないわけではない惰性で生きているわけでもない充実はしているけれども、淡々と過ごしている“仕事第一”に考えて、自分なりのペースを無意識のうちに守っているのかもしれないそんな生活を送っているせいか、自分のなかで曜日の間隔が完全に失われていたカレンダーを見て初めて、「今日、火曜日なんだ」と思ったぐらいビックリした色んな意味で…曜日を忘れている自分に月日の流れの早さに多分、こんなことじゃダメなんだろうねわかってはいるんだけれど…
2009年12月08日
最近ね、恋してます一目惚れ一方的な片想い四六時中、その人のことを想っているからなのかは分からないけれど、連日夢に登場するようになった夢にまで出てくるだなんて、どんだけ想いが強いんだって話それだけ、好きなんだなこんなに人を好きになったの、久しぶりまぁ叶うはずもない恋なんだけど…自分のなかに、情熱的な感情がまだまだ宿っていたんだと、ちょっと驚いていたりしているあまり惚れっぽくないから…叶わぬ恋とはいえ、切なかったり、息苦しく感じたり、身を焦がすなんてことはないむしろ、生活にハリが出てるくらいなんて言うのかなぁ潤っているというか、満たされているというか…恋することによって、自分のモチベーションが上がるような気がするこの情熱、いつまで続くかな意外と、熱しやすく冷めやすいんだよね
2009年12月06日
目に違和感のようなものを覚えたので鏡を覗くと、右目が真っ赤に充血していたそろそろ疲れが溜まってきたところだったので、それが原因だろう医学的根拠は分からないが、自分は疲労がピークにさしかかると、なぜか目が充血するのだいわば赤い目は、疲労の度合いを知るサインのようなものであるここのところ目の充血が頻繁に起こるので、ドラッグストアで目薬を購入した目薬ひとつとっても色々な種類があり、どれが自分の求めているものなのか迷ったのだが、なんとなくのインスピレーションで決定『バイシン プラス2』疲れを癒してクリアな瞳疲れ目にビタミン充実目の新陳代謝・血行を促進し、目の疲れ、充血などに優れた効果を発揮するそうこの目薬をさすと、目が熱くなるというか、すごくヒリヒリする某目薬のコマーシャルのセリフを真似するわけではないが、「効くゥゥゥゥゥ!!」と、言葉を発したくなるほどこんな刺激的な目薬、初めてだよそれだけ浸透しているということなのかな?早く充血が治りますように…それにしても、目薬をさした後に口の奥が苦く感じるんだけれど、あれ、なんとかならないかなぁ考えられる点としては、点眼する量が多いと、目頭にある涙点から鼻との間にある涙のうと呼ばれるところを通って、鼻や口、喉へと入るらしいんだけれど…
2009年11月16日
寒いのは苦手暑いのはもっと苦手個人的にはちょっと肌寒いぐらいが好きなので、季節のなかで秋の気候が一番過ごしやすいけれどもだんだんと秋も深まってくると、朝晩の冷え込みが厳しく感じるようになってきた朝目覚めて布団から出るとき湯舟から出るとき蛇口から出る水の冷たさ冷え切った愛車に乗り込むとき夜遅くに帰宅したとき布団に身体を潜らせたときその都度、自分に襲い掛かってくる寒さに身体を強張らせている今日はほんと寒かった遅くに帰宅すると、あまりにも部屋が冷え切っていたので、今秋はじめて暖房を入れたけれども、ちょっとでも暖まるとエアコンはOFF寒がりなのだが、暖房の暖かさが苦手なのだ暖かいところにずっと居ると、頭がボーっとしてくるその状態がイヤ顔は火照っているが、手足は冷え切った状態“頭寒足熱”ならぬ、“頭熱足寒”温まっているのか、寒いのかよく分からないのだ今日は身体の芯まで冷えているから、お風呂にでも浸かって温まろうっときっと長風呂になるな…
2009年11月12日
自分の幼少時代の頃の写真は、一枚しかない保育園でお遊戯をしている際に撮られたものだ現存する写真では、それが一番古いもの本来なら写真は何枚かあったそれでも、合わせても十枚も無いから、かなり少ないと言えようデジカメやビデオといったものがある今の時代と違うとはいえ、成長の記録が残されていないのはやはり寂しい数枚の写真…記憶のなかに残っているのは、四つん這いして砂浜を歩いているもの、父と一緒に写っているもの、誕生日ケーキを前に大泣きしているもの、食事をしているときのもの、保育園入園を記念して自宅の前で撮ったもの、この5枚のみ自分は写真嫌いではあるが、いくらなんでもそんな小さな頃から撮られることを嫌がりはしなかっただろうそもそもうちの両親が、写真とかそういうことに興味がなかったのかもしれない裕福な家庭でもなかったから…そんな数枚の写真も、いつの間にか紛失してしまったもう長年のこと、いくらどこを探しても見つからないのであるなんだかこのまま永久に出てこないような気がする自分の幼少時代…形としては残っていないが、おぼろげながらもなんとか記憶に留まってくれているその愛くるしい笑顔は、決して忘れることなく、また、いつまでも自分のなかで色褪せることはないだろう
2009年10月25日
二連休を貰ったけれども、何も予定は入れていないこの休みの日にしたいことそれは、ただひたすら眠る…これも日頃の睡眠不足のせいだって今日一日寝ていたって、明日も休みだモンッ!あぁ…我ながらなんて自堕落な考えなんだろうでも仕方ない常日頃から睡眠不足なんだからやりたいこと、やらなければいけないこと、沢山あるけれど、今日だけは眠らせてください“寝だめ”という言葉があるこれは、過去の睡眠不足を補うことであって、これから先の分まで寝るということではないこの「休日に寝だめをする」ことに関して、逆効果と謳う意見がある多く寝ることによって体内時計のリズムが狂い、“不眠”や“抑うつ”を訴える割合が高いという調査の結果が明らかにされているのだ自分は休日に寝だめをする生活をもう長らく続けているとは言っても、そんなに長く寝ているわけでなはい仕事があるときの平均睡眠時間は3~4時間休みのときは目覚まし時計をかけないで就寝するので、自然と目覚めるまで眠り続けることになるが、それでも8時間程度日頃に比べたら約倍近く寝ていることにはなるが、時間にしてみれば決して長い眠りとは言えないこれが自分のなかでは寝だめとなって、睡眠不足のバランスをなんとか保っているのだろう本来自分は、睡眠大好き人間だから休日の長い眠りから目が覚めると、身体がリフレッシュしたような感覚になるのであるここのところ色々と忙しくて、睡眠不足と疲労に襲われている自分今はとにかく身体が欲するままに眠りにつきたい…いつものように昼前に目覚めると、長風呂へ風呂上りにサッパリしたかと思いきや、相変わらずまどろんでいて再び就寝…目覚めたときにはすっかり陽は落ちていて、夜になっていたよく寝たぁぁぁぁ!!これで不足している睡眠を取り戻せたかな?折角の連休の一日をただひたすら眠り続けたが、疲労困憊だった自分にとっては有意義なものとなったこれでリセットできたはずまた明日から活動します!
2009年10月17日
モノが捨てられないなんでだろ?やっぱり、勿体ないと思うからだろうねそんな生活を送っているので、当然のことながら部屋のなかはモノで溢れかえっていく一番多いのは本お気に入りの作家の小説や漫画などは、いくつもある書棚にビッシリ!一度読んでしまったら、必要ないと売ってしまう人もいるけれど、自分にはできないだって、好きな作品なわけだからたまぁに読み返したりもするしねそれから雑誌花、ファッション、演劇、ボクシング、車、鉄道、写真…若かりし頃はいろいろなものに興味があって、専門の雑誌を買っていたで、読んでもこれまた捨てないけれども、さすがにあまりにも膨大な量になってしまったので、引越しをする際に、必要な記事だけ切り抜いて全部廃棄そんな過去があるので、今では殆ど雑誌を買うことはなくなった唯一買い続けているのはテレビ番組の週刊誌ぐらい朝刊が届くよりも早くに家を出てしまうので、テレビ欄が載っている雑誌は必需品なのであるその週が終われば用無しなんだけど、やっぱりこれも捨てないんだよねすでに一年分ぐらいは溜まってるかな?あと、最近溜まりだしたのは、舞台のチラシこれ、観劇に行くと貰えるのだけれど、公演によってはズシリと重みが手に伝わるぐらい大量に貰うことがある劇場で回収しているので、必要なければその場で置いて帰ることもできるんだけれど、貧乏性なのか、自分は「折角貰ったのだから…」と嵩張りながらも持ち帰りチラシを見て情報を得ることもあるから一概に無駄とは言わないけれど、家に持ち帰ったところで見直したりはしないんだよね観劇が趣味だからその度にチラシを持ち帰り、今ではかなりの量に…いい加減処分しないといけないなと思いつつ、今日に至る買い物したときのビニール袋や紙袋これも捨てない紙袋なんて、何かに使えるだなんて思って取っておきながらも、一度も使ったことがないそんなもんだよねけれども捨てないんだなぁ他にも着ない衣類など、考えてみたらほんと沢山の要らないものに囲まれて生活していることがわかるこんな事を書くと部屋が散らかっているように思われるかもしれないけれど、一応整理整頓はできている物が増えてしまうことが分かっているので、今ではなるべく余計なモノは買わないように心がけているからだそれでも、ちょっとずつ、ちょっとずつ確実に増えてはいるんだけど明らかに捨てるしかないものもあれば、いくら不要とは言え躊躇いがあるものもあるでもそんな事を言っていたら、いつまで経っても片付かない思いきった潔い決断をしないとねいつかは…
2009年10月16日
何をするにも、“きっかけ”というものがある誰かの生きざまだったり、何気ない一言だったり…感動、興奮、妬み、情け…さまざまな感情に彩られて、自分の心は突き動かされる今までも色々なきっかけを貰い、また見つけてきた自分だけの考えのなかに閉じこもっていると、どうしても護りに徹したり、視野が狭くなりがちになってしまうそんなとき、周囲からの刺激を受けることによって、新しい回路を見い出すことができる今日も、素敵なきっかけがあったそれは、一人の青年との出会い不器用ながらも懸命に生きる姿に、心打たれたここのところ忙しくて、余裕が無いこともあり、自分の心はささくれ立っていたつまらない事で苛々している自分が情けない青年を見ていたら、そんな風に思えた次第に、心の襞が取れていくのがわかると同時に、このままではいけないという気持ちが湧き起こった青年と出会ったことによって、自分のなかで駆り立てる何かが生じたのだ様々な出会いを通して得るきっかけを、上手く活かすこともあれば、またその逆もある自分は利口でもなければ器用でもない失敗を繰り返しては、悔いてばかりいるような気がする人生、なかなか自分の思うようには進まないそれでも、きっかけは訪れるそのきっかけを見つける眼、感じる心だけは持ち続けていたいそのことを失わなければ、少しずつでも人として成長していけるに違いないいや、そう信じたい
2009年09月21日
“無関心”って、言葉の響きはあまりよくないけれども、自分は無関心なことって結構ある興味がないんだから仕方ないのかもしれないけれど我ながら視野が狭いなぁ…と思う人間関係でも、自分はかなりの無関心ぶりを発揮している無神経?いやいや、無関心だな昔は相手のご機嫌や顔色を伺いながら振舞っていたけれど、人間関係って色々と煩わしくてね傷つき傷つけられ…の繰り返しをしてきたら、なんかどうでもよくなってきちゃっていつの間にか人間関係に無関心になっていた一人の方が気を遣わなくて楽だし色々な人がいると、当然のことながら自分と合う人、合わない人がいる自分のことを嫌う人が、取り巻きを作って悪口を言っていようが、全然お構いなし全く気にならない何故か?相手にして苛々したところで、良い思いなんて何一つしないからだ初めから相手にしなければそれで済む言いたい奴には、勝手に言わせておけばいい根本的に、自分のなかで学生の頃イジメられていたというトラウマが深く深く根付いているせいか、気にしていないと言いつつも、潜在的に人間関係にナーバスになっているのかもしれない人との距離に一線を画しているのも、そんなところからきているのだろうそんな自分だから、傍から見ると、「素っ気無い」とか「冷たい」と思われることもしばしば誤解されたり、損している面もあるだろうけれど、これが自分だから…【私は私。そのままを受け止めてくれるか、さもなければ放っといて】(ロザリオ・モラレスの言葉より)
2009年08月26日
若い頃は、仕事にしても、色恋の話にしても、嫉妬という感情がつねに自分のなかで渦巻いていた嫉妬しているからといって、特に行動を起こすことはないただひたすら悶々とするのである自分の力の無さを嘆いたり、運命を呪ったり…その苦い思いをひたすら抱え込むものだから、時には嫉妬のあまり息苦しさを覚え、気が狂いそうになることもあったしかし、歳を重ねて、人生の酸いも甘いも噛み分けてくると、自分のなかから嫉妬という言葉が色褪せていった嫉妬という感情は、人を強くもするが、その逆に、弱くも、醜くもする少なくとも自分のなかで、嫉妬という力は良い方向には働いていなかった嫉妬することの辛さ、虚しさ、悲しさ…だからこそ、自分のなかでその感情を封印してしまったのだろうところが、今、自分は嫉妬をしている突如、自分の目の前に現れた青年生まれ持った天性、眩しいまでの若々しさどう足掻いても今の自分には手に入れることのできないもの嫉妬した…才能に、若さに嫉妬するだなんて、なんて滑稽なんだろうけれども、今自分が抱いているこの嫉妬は、決して醜いものなんかではないむしろ、今は活き活きとしているこの嫉妬の炎、自分の身を滅ぼすのではなく、活力となるエネルギーとなっているのだ他人は他人自分は自分他人を羨む暇があったら、他人に羨まれるようになるぐらいの気を持ち、日々精進すべし!【他人と比較して、他人が自分より優れていたとしても、それは恥ではない。しかし、去年の自分より今年の自分が優れていないのは立派な恥だ】(イギリスの探検家・ラポックの言葉より)
2009年08月04日
夏だから暑いのは当たり前なんだけれど、ほんと暑い…夏の入り口にして、すでにグロッキーヘトヘトバテバテ毎年夏が来るたびに思う“夏って、こんなに暑かったっけ?”地球の温暖化により、温度が年々上昇しているからか?それもあるだろうけれど、自分のなかで暑さに対する免疫力が明らかに低下しているような気がするほんと辛いなぁ炎天下のもと、身体を動かしていると、面白いほど汗が滴るTシャツが絞れる勢いなほど、背中もビッショリスポーツなどで、汗を流そう!と思って流す汗は気持ちいいけれど、仕事中にかく汗は嫌だなもともと汗っかきな体質なんだけれど、そのかき方が尋常じゃないから、尚更だ自分は「バセドウ病」という病気を抱えているこの病気はホルモンを過剰に分泌してしまうので、放っていると、激しい動悸や息切れ、多汗や指先の震えなどといった症状が現れるなので、この病気に侵されていることを知らずにいた時は、一年中汗をかいていたから、夏場は特に辛かった肥大化した甲状腺の摘出手術や、アイソトープ(放射線))治療などを経て、今では薬を服用してコントロールしているのだが、それでも数値はなかなか安定しないそんな病気を抱えているものだから、自分が暑さに参っていて、周りがそうでもない反応を示していると、“病気が思わしくないのか?”と、ついつい勘繰ってしまうバセドウ病はなかなか完治する病気ではないので、自分のなかではうまく病気と向き合って付き合っているつもり血液中の甲状腺ホルモンの量を正常にコントロールしていれば、健全な人と全く変わらない生活が送れるのだが、自分はいまいち数値が不安定なので、夏場だけは厄介今日はあまりに暑すぎて日中までで体力を消耗してしまい、夕方からの用事をキャンセルしてしまったほんと申し訳ないけれども無理をする気力すら残っていない夏の暑さに屈しっぱなし暑い季節はおとなしく過ごします
2009年07月26日
どうしたんだろ?全然言葉が浮かんでこないパソコンの画面を前にして、キーボードを打つ指がまったく動かない書きたいこと、いや、書かなきゃいけないはずなのに、それがうまく言葉にならない調子が良いときは、最初から最後までスラスラとダラダラ文章を綴ることができるのに、なぜかここ最近の自分は、頭の中に蠢いているものを、うまく文字にすることができない疲れているのか?気力が欠けているのか?自分でもよく分からないのだが、ブログを書かなきゃ!と思いつつも、思考回路が停止していて、頭と指が思い通りに動いてくれないそんな状況のなかにあっても、“どんなに遅れようとも1日も漏らすことなく日々のことを書く”という自分の勝手なポリシーに縛り上げられて、もはやブログをやり続けることに苦痛を感じ始めていたそれと、最近時間に余裕が無いことが、ブログ離れに拍車をかけていた生活のリズムがちょっと変わり、私生活の面において、前にも増してやりたい事、やらなきゃいけないことが増えてしまったそうなると、必然的に時間が足りなくなってきて、全てが全て自分の思うように満足がいく時間を使うことが出来なくなってくる思えば、ブログを始めた頃はゆとりがあっただからこそ、始める気になったのかもしれないそれから数年が経ち、自分の置かれている立場や状況が変わってくれば、ブログを続けることが億劫に思うのも無理はないかもしれないそんな時間の余裕の無さと、本調子ではない体調という要因が重なって、知らず知らずのうちにパソコンの画面を覗くことから遠ざかってしまっていたちょっと重荷になりつつあるブログけれども、不思議と止めようとは一度も思わないそれは、このブログが自分の人生を記録した日記だからである大した日記じゃないんだけれど、神経をすり減らして言葉にしているだけに、すごく愛着がある誰かに向けてメッセージを発しているわけでもなく、誰かに読んでもらいたいという思いもないこれはある男のごくごく平凡な日記なのであるならば、何も無理してまで続けることではないのかもしれないが、やはり“1日も漏らすことなく日々のことを書く”というルールだけは守りたいそれがあるからこそ、信念を持ってブログを続けられるのだそれと、こんな他愛も無いブログを通じてお知り合いになった方々との交流も、これからも続けていきたいなんだかんだいっても、自分はブログが好きなんだな心の拠り所のひとつでもあるし…しばらくはちょっと儘ならない状態かもしれない遅れを取り戻すにはかなりの労力と時間がかかり、気張ると疲れてしまうので、マイペースでやっていくつもりと、言葉が浮かばない…と言いつつも、今日も振り絞って言葉を生み出し、気づけばいつものようにダラダラと書いているのであった
2009年07月22日
自分ひとりの時間を好むひとりで過ごす時間を大切にしているひとりだと、ありのままの素の自分でいることができるからだ気張ることも、肩肘張ることも、自分を偽ることも、自分に欺くこともない自分のペースでいられるだから、自分ひとりで過ごす時間が好き自分ひとりの時間を大事にしたいこんなん言うと、“なんて寂しい人なの?”と、思われるかもしれないが、自分は全然寂しくなんかないいや、決して強がりじゃなくて…一人でいることに慣れてしまったからかもしれない自分の心の奥底には、あるトラウマがつねに潜んでいる子供の頃はイジメられ、社会に出てからは大人たちの汚い一面を嫌と言うほど目の当たりにしてきた普段は仲良さそうにしているのに、陰では互いの悪口を言っている人もいる平気で人が人を欺き、だますそんなのばかり見てきたせいか、自然と、人と一定の距離感を保つようになっていたそして、ひとりでいることが当たり前のようになり、一人でいることの楽さに居心地の良さを覚えてしまったやっぱり、こんな人間は悲しいのかな?でもさ、これが自分なんだよ良い出会いも勿論たくさんあったが、辛いことも多かったそんな色々な人との出会い、それらの答えが導き出したものが今にある自分自身はこれが当たり前のように生きてきたから、何の疑問にも思っていない数々の傷みを負って、ちょっとやそっとじゃ挫けない心を持つことができたと同時に、人の思いを素直に受け入ることができない捻くれた心も持ち合わせるようになったそんな傷だらけで皺くちゃな心を胸に、今日も生きています
2009年05月21日
今日はこどもの日そんな事もあってか、花の配達のために運転している車のカーラジオから流れてくるのは、“子供たちは将来何になりたいのか”というアンケート結果の話題男の子は、野球選手、学者・博士・サッカー選手がここ数年は人気の上位を占めている女の子は、食べ物やさん、看護士、保育園・幼稚園の先生といった具合皆、幼いながらも夢をもっているんだねちなみに自分はというと、子供の頃はあまり夢を持っていなかったなりたい職業がないというよりは、そんな将来のことまで考えられなかったんだと思うそんな自分だが、将来何になりたいか自分の夢を絵で描いた文集のようなものがあるいつ書いたのか記憶に無いのだが、たぶん小学校低学年ぐらいのときだろうそこには、ヘタクソながらも懸命に描いた車の絵に、これまた幼い字で、「タクシーの運転手になりたい」と書かれていたへぇ~…自分は子供の頃、タクシーの運転手になりたかったのかぁって、全然記憶にない!!自分のことなのに、まったく身に覚えがないなんでタクシーなんだろ?子供の頃は、車より電車の方が好きだったのに…不思議だでもまあ、これを描いた時はそんな将来に憧れていたんだろうね、きっと子供の頃、タクシー運転手になりたかった男の子は、今は花屋に勤めています別に花屋になりたかったわけではない農業高校に通っていたので、その流れで花屋に就職したのであるそれからは、大人になってから夢を抱くようになり、自分に過信して、いくつもの夢を見ては破れての繰り返し…結局は花屋に再び納まった今では、自分にとって花屋は天職だと思っている夢と現実は違うねでも、夢を見続けることはいいことだと思うこのまま花に関わった仕事をしていくつもりの自分でさえ、心のどこかではチャンスさえあれば…と、夢を抱いている人は生き続けるかぎり、夢も見続ける生き物なのだ!と、我は思うわけです
2009年05月05日
あるスタッフが、メモ紙に記していた一文“失敗したっていいじゃないか、にんげんだもの”相田みつを氏の、『つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの』という詩をもじったようだこの一文は誰かに宛てたものなのだろうかそれとも、自分へ言い聞かせているのかその真意は知る由もないしかしながら、そのお世辞にも上手とはいえない文字で書かれていた一文は、自分の心のなかに小さな波紋を投げかけていた人間は誰しもが完璧ではないどんな人でもミスはする自分も間違いはするし、過ちも犯すけれども、間違いや過ちは、決して許されるものではない自分はそう思うその傾向は、特に仕事の面において強く現れる自分は責任ある立場にあるので、その思いは尚更だそのせいか、これまでの自分は、肩肘を張り、自分で自分を追い詰め、かなり無理をしてきたように思うそんな自分だからこそ、メモ紙に記されていた、“失敗したっていいじゃないか、にんげんだもの”という言葉を目にしたとき、今までの自分が否定されたような気がして、全身から力が抜けていく脱力感のような感覚を覚えた別に逃げ道をみつけたわけではない自分を甘やかすつもりもないこれまで通りに、自分は自分らしく、そのまま生きていくことだろうけれども、この言葉によって、自分のなかでちょっと考えが変わったことは事実であるだって、にんげんだもの
2009年04月19日
報告をしない連絡をしない頼んだことを忘れる自分が何をすべきか分かっていないそのくせ、言うことは一人前しかし、言うことと行動が伴っていない仕事に支障をきたすようなミスばかり、毎回毎回やってくれるその度に厳しく注意していたのだが、気づいた怒ってもまったく懲りていない…そして、自分の怒りが、彼のために何も意味をなしていないと…ならばどうしようか無視する?辛く当たる?いやいや、それじゃ何も解決にならないそれじゃあ、一体どうすればいいというのかそして悟ったのである“愛”だと…押してだめなら、引いてみろ怒ってダメなら、優しくしてみろ世話の焼ける大きな子供だと思って、接すればいいのではないか“この子をなんとかせねば!”まるで我が子を護る母親のような感情が自分のなかで生まれた自分のなかで母性が目覚めたのであるいや、男に母性があるのだろうか?これは父性なのか?守り育てようとする気持ち…自分が抱いているのは、やはり母性だろう以前は萎縮していた彼も、最近ではちょっとは自身を取り戻しつつあるようだ何をするでも、自分が目と気を配る相変わらずミスは多いものの、徐々にではあるが、改善の方向へと歩み寄ってきている彼の為というよりも、これ以上足を引っ張られない為という思いが強くて、自分のなかに生じた母性この気持ちは、偽善か、良心か自分でもよくわからないしかし、この母性に澱みは無いということそれだけははっきりと断言できる
2009年04月09日
人間生きていると、人生の岐路に幾度となく出くわし、大なり小なり決断を迫られることがある今日の自分がそうだったある一つの決断を迫られたしかも突然に…答えを出すために与えられた猶予は3時間今後の自分の人生を変えることになるかもしれないというわりには、考える時間が少なすぎるでもかえって、考える時間が長ければ長いほど、それだけ悩むことになるわけだから、逆にこれでよかったのかもしれない選択肢は2つ多少の犠牲を払って、安泰の道を行くか…多少の犠牲を被って、未開拓の道を行くか…答えは簡単かもしれない自分自身が一番に大事なのであれば、周囲に多少なりの迷惑をかけてでも、安泰の道を進んでいけばいいしかし、自分の意思に背いてまでも貫いたところで、果たしてそれは安泰といえるのだろうか?それなら、自分が正直に思うがままに、この先どうなるかわからないが、可能性を秘めた方へチャレンジしたほうがいい今まで、そしてこれからの生活に疑問を感じていたこともあってか、反対の結論を出していたインスピレーションで選択したものの、結論を出す時間までの間は、大きく気持ちが揺らいだ自分の選択は間違っていないだろうか一時の感情に振り回されていないだろうか思いは、ふたつの選択肢の狭間で、最後の最後までグラグラと揺れ続けた結局、多少の犠牲を被ってでも、未開拓の道を行くことに決めたこの決断による答えは、すぐには出ない半年後、一年後、あるいはもっと先かもしれないし、一生答えが出ないかもしれない正直、不安や後悔が無いといえば嘘になるが、それ以上に今は希望に満ち溢れている不安を打ち消すように、後悔しないように、ただ邁進あるのみ【希望は強い勇気であり、あらたな意志である】(ドイツの神学者、マルティン・ルターの言葉より)
2009年04月06日
世の不景気の煽りを受けてか否かは判らないが、昨年末あたりから我が花屋の業績は芳しくなく、また仕事が減少傾向を辿っているので、体制の見直しを迫られて人員削減をすることとなった誰かをクビにしたところで、問題の根本的な解決にはならないだろうが、現状においては人手が余っていることも事実社長から解雇するスタッフを挙げるように言われた自分は、その場で即答せずに、後日になってアルバイトの一人の名を挙げたそれは、個人的な感情は抜きにして、色々と考え悩んだ末に出した答えだった企業が派遣社員など非正社員の雇用を打ち切る“派遣切り”の話題が世間を賑わせているなか、うちも例外ではなかったことに、今更ながら強く危機感をひしひしと感じている労働基準法では、企業が労働者を解雇しようという時には、原則として少なくとも30日前に解雇の予告をするか、30日分以上の平均賃金(解雇予告手当)を支払わなければならないと規定されている今回解雇するアルバイトに対しては、1月中に解雇予告をし、実質の勤務は1月末までとして、2月一ヶ月分の賃金(解雇予告手当)を支払って2月末日付けの退職という段取りを組んだそれらの事情は、社長自らがアルバイトの彼に説明をするというので、後はすべてお任せしたそれは1月中旬を過ぎた頃の話だった…今月も残すところ、あと数日そろそろ来月の勤務表を作成しなくてはならないので作成していると、「2月に休みの希望があるんですけれど…」と、スタッフの一人が声を掛けてきたその声を聞いて、自分は我が耳を疑ったというのも、そのスタッフは、解雇予告を受けて、来月は出勤してこない筈のアルバイトの彼だったからであるこれは一体どういう事だろうか!?考えられる理由はただ一つ解雇の件を社長がまだ本人に切り出していないのだ!水面下でそんな動きがあることなど全く知る由もないアルバイトの彼は、来月も当然のことながら働くつもりで休みの希望を出してきたまさか、社長が解雇の件をまだ話していないとは思ってもいなかった自分は、不意打ちを喰らって、彼の言葉に対して何と言ったらいいのか返す言葉を失ってしまっていた彼の顔を見たら、さすがに「来月からは…」とは言えなかったので、彼から2月の休みの希望を聞いたそんな自分に、心の中で激しい嫌悪感を自身に抱いていた事実を隠して平静さを装う自分嘘だということがバレることを知りつつも嘘をつかなくてはならない自分言いたいことがあるのに、その言葉を言えない自分彼を解雇に至らしめる陰の首謀者が自分だという後ろめたさもあってか、自分でありながら自分でコントロールすることができない意思に、苛立ちと歯痒さと心苦しさといった苦い感情が、大きな渦となって身体のなかを駆け巡っていた事実を隠すばかりについた嘘どうせ遅かれ早かれいつかは明るみになる事なのだから、自分の口から明かした方が良かったのだろうか?いや、話が話しなだけに、やっぱり自分の立場で言うべき事柄ではないなぜ社長は早く解雇予告をしないのだろうか?きっと、早めに解雇を告げると仕事のモチベーションが下がるし、場合によっては翌日から顔を出さなくなる恐れがあるから、ギリギリまで引き延ばしているのだろうでも、遅れれば遅れるほど、事態は悪化するように思う社長!早く彼に解雇予告をッ!!解雇することになってしまった彼に対して申し訳ない思いで胸を痛める一方で、こんな事を願ってしまう自分に、またもや自己嫌悪結局は自分が大事ってことか
2009年01月28日
今日は、成人の日昔は1月15日が成人の日だったが、ハッピーマンデー制度の導入により、1月の2週目の月曜日に移行したのだ花を配達するために、車を走らせていると、街のいたるところで、真新しいスーツ姿や羽織袴姿に身を包んだ青年、晴れ着姿の艶やかな女性の姿を見かける若者たちのなんともいえない初々しさは、自分の眼には眩しく映った若いっていいなぁ…自分も通ってきたはずの道なのに、彼らを羨望の眼差しで見るのであったカーラジオから流れてくる番組では、今日が成人の日ということで、ラジオを聴いているリスナーの方から届けられた成人の日の思い出を紹介していたそれを聞いていて、ふと、自分が二十歳を迎えたときの成人の日の事を思い返したといっても、何も思い出はない成人式には参加せずに、仕事をしていたからだもともと式に参加するつもりは無かったので、淡々と過ごしていたように思う高校を卒業して、ちょっとは名の知れた花屋に就職した右も左もわからない青年が、ひとり、放り出されるようにして社会の荒波に飛び込んだ自分からしてみれば、親や祖父のような幅広い年代の人たちとの人間関係はとても難しく、それに加えて、社会人としての責任、任された仕事の重圧、若くして色々な欲と陰謀が渦巻く世界を垣間見て、それまでの自分の世界観がガラッと変わった良くも悪くも、自分が変わらざる・受け入れざるを得なかったのである貴重な体験もいくつもして、色々と勉強になったことは事実だが、その反面、嫌な思い、辛い思い、厳しくそして汚れた現実にも直面してきた今にして思えば、それらのことは当たり前のように思えるが、当時の自分は若さゆえというか、受け入れる許容力がまだまだ足りなかったのだろうおかげで、すっかりと荒んでしまったそんなこともあってか、成人を祝う二十歳といっても、社会人生活2年目を迎えていた自分のなかでは“何をいまさら…”と、冷めているところがあった二十歳になったといっても、選挙権が与えられ、お酒が飲め、煙草が吸えるぐらいのもので、自分としては特別な線引きはなかっただから成人式といっても浮かれることがなかったのだと思う今年から、平成生まれの若者が成人式に参加するというニュースを聞いて、えっ!?と思ってしまった考えてみれば、今年は平成21年なのだから当然の話なのだが、その事実を知って、自分が生まれた昭和という時代が、ものすご~く遠くなったように感じたそれも当然のはずだって、自分が生まれてから、昭和より平成の時代の方が長く生きているんだもんね時々立ち止まりたくても、平成という時代の流れは容赦なく自分の背中を押し、平成生まれの若者たちの輝きに眼が眩む昭和生まれの自分のなかに、なんとも言いようのない一抹の寂しさと、翳りを感じずにはいられなかった
2009年01月12日
夏の茹だるような暑さのなかにいると、冬の寒さの方がマシだと思うしかし、こうして冬の季節を迎えて寒さに凍えていると、冬の寒さも身に堪えるだけれど、その寒さに震えながらも、「夏の暑さの方がマシ」とは思わないところからすると、やはり自分は夏の暑さの方が苦手なのだと実感する「寒い、寒い」と、身体をブルブル震わせている今日この頃寒がりではあるものの、ほとんど暖房は使用しない暖房の暖かさが苦手なのだ言葉ではうまく説明できないのだが、暖房が効いたところに長く居ると、心地の悪さを覚えるのであるとはいえ、暖房をまったく使わないわけではない仕事から帰宅して、冷え冷えとした部屋の中にいるのは辛いので、はじめだけ暖房を入れ、ちょっとでも部屋が暖まったかな?と思うと、すぐに切ってしまうもともと肌寒い陽気が好きなので、暖かいよりは、薄ら寒さを感じながら生活しているほうが、自分にとっては心地いいのだ今日は、定期健診の為に病院を訪れた待合室に入った瞬間、モア~ンとした暖かい風が勢いよく自分の身体にぶつかってきたもしや?嫌な予感は的中した待合室は暖房が効いていたのだが、それが尋常ではない室温なのである暖かいを通り越して、暑いぐらい一体設定温度何度にしてるの?半袖で過ごせるぐらいだよ冬の装いなので何枚も着込んでいたのだが、急いで服を脱げるだけ脱いだそれにしても、暖房が効きすぎていて居心地が悪い暑さのせいで、カーッと頭に血が上ったみたいに自分の顔は紅潮していたとにかく顔が火照ってしかたないそれなのに、足先や指先といった先端は冷えたままこの“頭寒足熱”ならぬ、“頭熱足寒”状態がイヤなのだあぁ…なんだか、頭がボーっとしてきたよ他の患者さんたちは平気な顔しているけれど、暑くないのかな?自分が暑がりなだけなのか?暑がったり、寒がったり、我ながら忙しい男だでね、改めて思ったやっぱり暑いの嫌い…
2009年01月05日
「あなたは優しすぎる」と、非難されたこれ、よく言われるその言葉を浴びせられるたびに、“優しくて何が悪いんだ?”と、思う優しいことは、決して悪いことではないと思うしかしながら、その優しさが、己の欠点であることを、自分自身は知っているそれは、優しさが、時として仇となることがあるからだ優しさゆえに、人を傷つけてしまったり…またあるときは、その優しさにつけこまれて、うまく利用されたり…優しいことが、決して良い結果を生み出すわけではないのだが、ついつい優しくしてしまうだって仕方ないじゃんコレ、性分なんだもん優しいという性格は、自分でも自覚しているが、それは、別に優しくしようと心掛けているわけでも、狙っているわけでもない自分のごくごく自然の振る舞いが、そう取られるのだそれゆえに、優しすぎると非難されると、自分自身が否定されているようで、悲しくもなるし、怒りも覚える優しすぎることは罪ですか?優しくしなければいいんですか?いやいや、それはそれで、また非難するでしょ一体どうすりゃいいのさ程々に優しくすればいいのか?程々って?どのくらい?あぁ面倒臭い!!何を云われようが、自分は自分これからも優しさに一喜一憂しながら生きていきます
2008年12月14日
これから、すごく仕事が忙しくなりそう不景気が叫ばれる今の世の中のなかで、仕事があるということはありがたいことなのかもしれないが、喜んでばかりはいられないというのも、ただ単に、人員を削減して、一人に圧し掛かってくる仕事の量が増えているだけなのだ貧乏暇なし状態一体、どれだけ働かせれば気が済むの?って感じ体力が無くても、気力があれば、なんとか踏ん張れる気力が無くても、体力があれば、なんとか持ち堪えられる自分のなかで、気力と体力が満たされることはなく、つねにアンバランスな状態にあるが、今まで幾度となく迎えてきた局面は、その日自分が持っている力で、なんとか対応してきたしかしながら、今の自分は、これから迎えるべく局面を乗り切れるかどうか、いささか不安を覚えていた実は、ここのところ体調が思わしくないそれが、自分が抱えている病気が原因だということは分かっている痛いとか、苦しいとか、具体的な症状があるわけではなく、ただなんとなく漠然と、慢性的に灰色の靄のようなものが身体を覆いつくしているのだ“病は気から”という言葉ではないが、なかなか完治することがない病気を抱えていると、時々、ふと不安や焦り、苛立ちといった感情に乱されることがある今まさに、そのサイクルに入っているのかもしれない自分自身である筈なのに、なかなか思い通りにならない自分の身体普段、自分が病人であるという認識は殆ど持っていないし、その事によって周囲に甘えようだなんて気持ちは微塵も無いのだが、ふと自分が身体を酷使してまで頑張らなければならない現状に佇んでいると、疑問と苛立ちが募るさらには、職場内でのストレスも引き金となっていた確信犯なのかどうか判らないが、“自分勝手な行動をする”、“頂いた仕事を未処理のまま放置する”等といったトラブルメーカーが居て、日々様々な出来事を引き起こしてくれ、その後始末に追われていると、「キィィィィィィィ!!」と、金切り声を上げて発狂したくなるその矛先をどこかに向けることはできないので、自分のなかに押し込めるしかなく、やり場のない感情に押し潰されそうになるそんな、心も体の状態も不安定な時に、仕事が忙しくなる話を切り出され、「これからが正念場」なんて事言われたもんだから、今の自分には、不安しか抱けなかったとはいえ、今までも幾多のピンチをクリアしてきたのだから、なんだかんだ言っても、自分の性格からして、自分を押し殺して無理をしてまでも、なんとかして乗り越えるんだろうな目の前に聳え立つのは、いつにもまして高い高~い壁だけれど…とりあえず、今の段階では体はちょっと無理がきかないが、、気力だけは自分次第で如何様にもなる忙殺な日々を過ごすあまりに、心のバランスを崩さぬよう、気分転換をしたり、ストレスを発散させて、うまく乗り越えるしかないか頑張れ、自分!!負けるな、自分!!【暗澹】将来の見通しが暗く、何の希望ももてず悲観的なさま(辞書調べ)
2008年11月08日
“ローマは1日にしてならず”“継続は力なり”そやねなんでも続けな、アカンねでもね、これが意外と難しいのだ自分が好きなことなら続けられるんだけれど、やりたくないことだったり、苦手なことだと長続きしないやらなきゃ自分は変わらないという事は、頭では分かっているんだけれど、自分のなかに相反する思考を持つもう一人の自分が存在していて、どうも言うことをきかない「今日は疲れてるから…」なぁんて、自分のなかで言い訳を作っては、チャレンジすることから逃避してしまう「明日から…」「明日こそは!」と、明日、明日言ってばかりいて過ごしていたら、気づけばすごい月日が流れていた自分は、どうしてもすぐに結果を求めてしまうところがあるので、やり始めたことに対して成果が表れないと、やる気が失せてしまう“継続は力なり”という言葉の通り、何事も継続していれば自分の身になるんだろうけれど、なにぶん自分はヘタレなので、そこまでの忍耐力と根性が無いなんだか、ほんとダメ人間だな、こりゃこんなことじゃアカンね今日、ある人との刺激的な出会いを通して、自分の中にターニングポイントが生じた崖っぷちまで追い詰められた今、ようやく遅まきながら気づきました!いや、前々から分ってはいたんだけれど、愚か者の自分に目を逸らしていただけなんだよね自分、頑張りますワ!という事で、小さな小さな、はじめの一歩を踏み出しました行き着く先に描いているものはあるんだけれど、それが現実のものになるのか、それとも一人勝手に描いていた蜃気楼の世界なのかは、辿り着いてみないとわからない長く険しい道のり…今は、不安よりも、希望の方が自分のなかでウエイトを多く占めてるかな?とにかく、やるしかない!“我は1日にしてならず”苦難を乗り越えたとき、何が待ち受けているだろうか?どんな結果を迎えようとも、そのことに挑んだ自分に対しては誇らしく思えるだろうし、人として成長しているに違いない今日踏み出した、はじめの一歩長い人生の道のりのなかでは、その一歩はあまりにも小さいが、一歩を踏み出さなければ前には進めない一歩一歩、焦らずゆっくりと、歩んでいこう【他人に勝つより、自分に勝て】(柔道家・嘉納治五郎の言葉より)
2008年11月04日
【幸せを手に入れるんじゃない。幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ】(ロックシンガー・甲本ヒロトの言葉より)甲本ヒロト氏という方は存じ上げないのだが、この言葉には感銘を受けた自分の胸に刻んでいる言葉のひとつそうなんだよね幸せって、自分で見つけるもの自分で気づくものなんだよねそもそも“幸せ”ってなんなんだろう?美味しい食事をすると幸せを感じる欲しいものを手にすると幸せを感じる好きな人と過ごす時間に幸せを感じる要は、自分の欲求が満たされたとき、幸せを感じるのではないだろうかそう、欲なんだよね欲が絡むとロクなことはないだから、幸福のために執着心が沸き、それが、ときには醜い嫉妬心をも生むのだ人間、誰しもが幸せになりたいに決まっている自分もその一人仕事が忙しい日々で、平凡な生活を送っている自分だけれど、それなりに満足した人生を送っている他人からしてみれば、向上心の無い男のつまらない人生…なんて風に映るかもしれないそりゃあ、自分だって裕福な暮らしがしたい、好きなことして生活したい、って思うよ?でもさ、上ばっかり見上げていたって、キリがないんだよねそれに、他の人と自分を比較して幸福くらべをしたって、仕方ないじゃん“羨ましいなぁ…”“あの人よりは、自分は幸せ…”そんな事で一喜一憂していたって、なんにもなりゃしないむしろ卑屈になって、嫌な人間になるだけだよそれなら、自分で自分自身を見つめて、今自分が身を置いている環境のなかで、何が出来、何を感じ、何を得ることができるか?と、足もとを見つめて生活したほうがよっぽどいい「健康でいられること」「朝日を浴びて、清々しい一日を迎えること」「綺麗な花を見ること」「一日を終えて眠りにつくとき」他愛も無い日常の一コマであるが、これらのことで、自分は幸せを感じる完治が難しい病気を抱えている自分の身にとって、体調が良い事はすごく幸せなことだし、気持ちのいい朝を迎えると、今日一日はどんな一日になるのだろう?と希望が持てる花を見ていると心が和むし、眠りにつくときは一日のなかでもっとも安堵する“当たり前のことを当たり前と思わない”そういう思考を持つと、平凡な日常の生活のなかでも、幸福のキーワードが沢山散りばめられていることに気づくことができるのだと思うこうして書いていると、なんだか、自分は血眼になって小さな幸せばかり探し回っているように思われるかもしれないが、そんな事はない一日のなかには、良いこともあれば、悪いこともあるたくさんの感情が入り混じったなかで生活をしているでは、なぜ平凡な生活を送っていても、満足を得ることができるのか?きっとね、それは自分の幸せに対する偏差値が低いせいなんだと思う母子家庭で育ってきたせいか、生活は裕福ではなかったし、社会人になると、働いたお金は一家の生活費に当てていたので、贅沢することに対して免疫力がないんだよねだから、花を見て「幸せ~」なんて、言っていられるんだと思うでもね、いいんだよこれが自分なんだもん幸せのカタチは人それぞれこれが自分の幸せのカタチ今日も小さな幸せを感じつつ、生きています【自分自身を幸福だと思わない人は、決して幸福になれない】(紀元前のペルシア王・サイラスの言葉より)
2008年10月21日
鏡に自分の姿を映すたびに思っていた「髪、のびたなぁ」こんなに髪のばしたの、生まれて初めてかもしれない吉田拓郎氏の『結婚しようよ』という歌で、“僕の髪が 肩までのびて…”という歌詞があるが、自分の髪は、ゆうに肩に届いているイヤ、それ以上かも…別にのばしたくて長い髪にしていたわけではなくて、ただ単に髪を切り損ねていただけここのところ、長い髪が鬱陶しくなって、ずーっと切りたかったのだが、仕事が忙しくてそんな時間もなく…先日の月曜、やっと半日休めたので、髪を切ろうかな?と思ったら、自分が通っている理容室って月曜定休なんだよねで、今日ようやく一日丸々完全なオフを取れることになったので、やっと髪が切れるというわけ子供の頃からの行きつけの理容室に顔を出すと、ご夫婦が口を揃えて、「ずいぶんと髪のびたわねぇ」と、挨拶代わりに言ったそりゃそうだよ、髪切るの久しぶりだモン床屋独特の大きな椅子に腰掛ける大きな鏡に映る自分の顔を見て、改めて「髪の毛長いなぁ」と思ったここ最近は、髪の毛をかきあげるのがクセになってたからねその煩わしさも、今日でお別れバッサリ!といきたいところだが、短髪は好みではないので、程ほどの長さにしてもらうことにさすがは小さい頃からお世話になっているだけあって、椅子に座って「いつもの感じで」の一言だけ言えば、床屋のご主人は髪を切ってくれる長年のなせる業やね奥さんは植物を育てるのが好きなので、髪を切っている最中は、植物の話をしたり、他愛もない会話を弾ませるそんなアットホームな雰囲気が心地よくて、一度も浮気することなく、同じ理容室に足を運んでいるそれにしても、床屋のご主人、だいぶ歳取ったなぁ鏡越しに見るその姿は、明らかに年月の流れを感じさせた腕は確かなんだけれど、顔を剃られているときなんて、剃刀の刃が小刻みに揺れるんだよ顔に当たる刃がプルプル震えていたときは、なんや怖くて、こっちもブルブル震えちゃったとはいえ、向こうはこの道ウン十年のプロ丁寧な仕事をしていただきましたう~ん、サッパリ!いつもと変わらない仕上がりにしてもらったんだけれど、ここのところ長い髪の毛の自分に見慣れていたせいか、すごく新鮮な感じこれなら、まだまだ“爽やか青年”で売り込むことできるな
2008年10月03日
嘘を一つついた人を守るために、嘘をついたそう仕向けさせた人物が許せなくて、嘘をついた自分が自分らしくあるために、嘘をついた他人の幸せを踏みにじってまでも、自分の幸せを手に入れようとは思わない他人を踏み台にしてまでも、のし上がろうとは思わないそこに、真の幸せは無いのだから…なので、嘘をついた弱き者を守るために嘘をついた強き者を欺くために嘘をついた嘘が嘘と暴かれなければ、それは真実となるすべての真実は、自分の胸のうち…これが嘘と暴かれることは決してない正義を貫くための嘘なのだから嘘をつくことはよくないことそれでも、時として嘘が必要なときもある“口が虚しい”と書いて、“嘘”嘘をついているときの自分は、たしかに虚しかったでも、心は晴れ晴れとしていたなぜならば、嘘一つで、弱き者を守れたから嘘一つで、強き者を欺けたから【良い結果をもたらす嘘は、不幸をもたらす真実よりいい】(ペルシアの諺より)
2008年09月25日
今日は自分の誕生日といっても、今年も浮かれることはなかった誕生日を迎えたからって、もう喜ぶような歳でもないしね一日の仕事を終えて遅くに帰宅、翌日も朝が早いので、そのまま就寝…いつもの日となんら変わりなく過ごしたそういえば、ここ一、二年のことだが、自分の歳がすぐに思い浮かばないようになった歳を聞かれると、「あれ?いくつだっけ?」と、詰まってしまう西暦から自分の生まれた年を逆算して、ようやく答えられるこれは、どうしてかな?たぶん、それは自分が、自分の歳を意識していないからだと思うあんまり意識しすぎて、自分の年齢に振り回されたくないんだよね誰だって、いつまでも若くありたいもの哀しいかな、ある程度歳を重ねていくと、外見や体力は下降線を辿っていく今の自分も、下り坂に足を踏み入れはじめたかな?だからといって、「自分は歳だから…」「もう若くないから…」というセリフを逃げ道の口実にするのはイヤだ年齢に囚われることのない自分で、自由に羽をのばして生きていきたい年齢というのは、生きてきた年数の目安なだけあって、人生において、なんの判断材料にもならないと自分は思う年上だから偉いだとか、もうそんな歳なんだから…なんてことはちっとも意味がない要は、今生きていてどうかってことが大事年齢の呪縛から解き放たれたとき、前向きにいられるんじゃないかなぁ?と思うそんな考えだから、自分の誕生日を迎えたからといって、特別浮かれることもないのかもしれないとはいえ、父と母との愛の結晶から生命を授かり、今こうしてこの世に生きているのだと思うと感慨深いものがある誕生日って、自分がこの世に誕生した日というお祝いの日でもあり、と同時に、この世に産み落としてくれた両親への感謝の日でもあると思う産んでくれてありがとう今、心底そう思うそうそう、話は変わるが、今日仕事の合間に、東京駅近くの八重洲ブックセンターという書店に寄ったのだが、そこで面白い機械を見つけた『あんぷり』(“Anniversary News paper Print Box”の略)と呼ばれるその機械は、自動販売機型の新聞発行機明治から現代までの新聞記事のデータが入っており、好きな日を入力すると、A3版の紙面に毎日新聞のその当時の新聞記事をプリントしてくれるというもの誕生日や、思い出の日など、記念の日の新聞を求める人が多いんだとか奇しくも、今日は自分の誕生日なので、今から遡ることウン十年前の自分が生まれた日の新聞記事はどういったものなのか、興味があったので試してみることにした操作方法はタッチパネル式で、まず始めに、自分が欲しい新聞の日付を入力次に、一面記事と、テレビ欄のどちらかを選ぶ自分は一面記事を選んだそして、1回の料金である400円を払うと、十数秒でプリントされて出てくる1回400円というのは高いような気もするが、まぁ記念のものだしいいのかな?折角なので、テレビ欄もプリントしたさて、自分が生まれた19××年9月9日の一面のトップ記事はというと…“臨時国会、駆引き本格化”政治にまったく興味のない自分としては、読んでもサッパリ分からんあとは、昭和天皇が初のテレビご出演、ソ連(現・ロシア)の領海に侵入した日本の漁船が銃撃に遭った、といった記事が一面を飾っていたテレビ番組はというと、特に目立った番組はないのだが、今と違って、ドラマは時代劇やホームドラマが主流だったんだねぇ主演を張っている役者さんは、森繁久弥氏、三船敏郎氏、萬屋錦之介氏、池内淳子氏、松方弘樹氏といったそうそうたる顔触れそれから漫画は、サザエさん、ゲゲゲの鬼太郎、カリメロ、みつばちマーヤの冒険などが放送されていたようだう~ん、自分が生まれた年とはいえ、すごく古いなぁこうして新聞に目を通していると、すごく時代の流れを感じることができるどおりで、自分も歳を取ったわけだよなぁ
2008年09月09日
「髪の毛、染めているんですか?」と訊かれることが多いその度に染めていないと答えるのだが、なかなか信じてもらえない今日も、ある女性の方から、「キレイなオレンジ色に染めていますね」と言われた傾きかけていた夕日を浴びていたからそう見えたに違いないと思ったのだが、そう言われて自分の髪の毛を見てみると、たしかに、まるで夕焼けの空の色に染まったような色をしていた自分が高校在学時のときからだから、かれこれ10年以上は髪の毛を茶色に染めていたが、去年の秋、ふと黒髪に戻そうと、髪を黒く染めたのである鏡に映った、黒い髪の自分十数年ぶりに見るその姿は、あまりにも似合わなすぎていて、軽い眩暈を覚えたほど髪の毛の色だけで、人の印象ってこうも変わるんだねぇ自分が黒髪に戻したことは、周囲の人たちからは「似合ってない」と、かなりの不評を買ったそんなん言われなくてもわかってるっちゅうねんッ!本人自身が一番似合ってないと思ってるんやからそれでも見慣れてくると違和感もなくなり、黒髪の自分はすっかり定着したのであったあれから約1年…髪の毛は染めていないが、なぜか茶髪疑惑が自分につきまとう染めた当初の話であるならば、色落ちしたという事も考えられるが、もう一年経っているんだよ?第一、それだけ月日が流れていれば、髪の毛だって伸びているでしょでもねぇ…髪の毛茶色いんだよなぁ染めていないのに元々は黒髪だったのになんでだろ?ずっと長い間、茶色に染め続けていたから、髪質に異変が起きたのだろうか?染めてもいないのに、「染めてるの?」と言われると、なんだか咎められているような気がしてならない今でこそ茶髪にしている人を多く見かけるようになったが、なかには、「社会人なのに…」と、髪の毛を染めていることを快く思っていらっしゃらない方々もいるからだそれらの疑惑を払拭するために、髪の毛をわざわざ黒く染める?いやいや、それはおかしいでしょだって、これは地毛だもん…若い頃は黒髪がコンプレックスで悩まされたけれど、まさか今度は茶髪で悩まされるとはね…ほんま因果やわ
2008年09月07日
久しぶりに意地を張った何年ぶりだろうか?若い頃は、勢いにまかせて傍若無人に振舞ってきたところがあったけれど、ある程度歳を重ねると、冷静に物事を考えるようになり、自分の中で抑制心が生まれるなので、意地も張らなくなっていた自分を無理に押し通したところで、その結果得るものよりも、失うもののことを考えてしまうからだしかし、今日にかぎって言えば、どうしてもゆずれないことがあったなので、意地を張った相手も当然のことながら意地を張ってくる真正面でぶつかり合う両者互いが譲らないもんだから、平行線を辿るばかりどうなるんだろ?でも、この一件に関しては、自分は引き下がるつもりはないしばらく膠着状態が続いていたが、結局は根負けしたのか相手側が妥協をしてくれて、自分の申し出を受け入れてくれるかたちとなったなので、自分ひとりだけが我を通すのでなく、相手側の意見にも聞く耳を持ち、歩み寄ることによって、両者納得の上で万事解決ヨカッタ、ヨカッタ“意地っ張り”って、あまり良い意味では使われない言葉だけれど、ときには意地を張るのも必要だね【意地】自分の考えを通そうと思う気持ち強情な気持ち(辞書調べ)
2008年08月17日
毎度のことながらの睡眠不足それと疲れが溜まってきたみたい身体は起きているのに、頭のなかが起きていないなんだか、ふわふわ、ゆらゆらした感覚のなかにいるこの感覚、疲れてくると出てくる症状なんだけれど、まどろみのなかにいるときはすごく気分がよくて気持ち良いんだよねぇあまりの気持ちの良さに、このまま瞼を閉じたらすぐにでも寝てしまいそうそんなことができないというのは百も承知なので、まどろみの心地よさと、現実との境目の間を、まるで綱渡りでもしているかのように、ギリギリのところに立っている疲れてくると、自分のなかにゆとりが無くなってくる自分自身の精神と身体のバランスをコントロールするだけで精一杯になってしまうのだそんなところに、追い討ちをかけるようにして、仕事が重なったり、いくつものクレーム処理に追われるそれらの出来事はいつもの事なので、自分のなかでは、ごくごく当たり前のように振舞っていたのだが、やはり疲れていると、歪みが生じてくるのだろうスタッフの一人が、心配して声を掛けてきた自分では気づかなかったのだが、だいぶ顔つきが強張っていたみたいだ周囲に心配をかけさせまいと思っているし、そのことをアピールして自分の存在を知らしめるつもりなど毛頭無いので、自分の振る舞いによって、周囲の空気を張り詰めさせていたのかと思うと、なんだかとても悪いことをした自分としてはいつもとなんら変わらずにいたのだが、知らず知らずのうちに嫌なオーラを出していたんだね“美しい花にはトゲがある”という言葉があるように、美しいバラの茎にはトゲがあるそのトゲは害虫から身を守るためもしかしたら、自分のなかにも、トゲが生えていたのかもしれない周囲からの煩わしさから身を守るために、大きくて鋭いトゲを無数に突き出させ、無意識のうちに寄せつけないようにしていたのだろうでも、そのスタッフの一言によって気づかされ、自分を改めて戒めた疲れているのは自分だけの問題であって、それは周囲には関係のないことそのことで、周りに不愉快な思いをさせてはならない一呼吸を置いて、心の襞に生えていたトゲをひとつひとつ取っていくのであった
2008年08月11日
文芸社から出版されている『O型 自分の説明書』この本、始めはB型が出版されたのだが、これが評判を呼んで、A型、AB型と相次いで刊行されたそこで血液型がO型の自分は“なんでO型が最後なんだ!?”と思いつつ、発売日の8月1日を待っていたで、家の近くにあるわりと大きな書店にいったのだが、お目当ての本が置いてない!A型とB型の本はあったんだけれど…もしかしたら、自分が住んでいる地域はO型の人が多いのか!?興味はあるものの、そんな血眼になって探すほど読みたいわけでもなかったので、いつか読めればいいか…ぐらいに思っていたそしたら今日、駅の構内にある書店で販売されているのを見つけたのである話題になるほどの本なんだから、面白いんだろうね、きっとちょっと立ち読みしてみようと思ったのだが、如何せん場所は駅の構内なので蒸し暑いこうして立っているだけで汗がじんわりと浮かんでくるので、とても立ち読みできるような状況ではない結局、目も通さずに本を鷲掴みすると、そのままレジへと駆け込んでしまった『O型 自分の説明書』は、自分を知りたいO型の、O型の実態を知りたいO型以外のための、O型説明書コレを読めば、自分のことが分かるし、O型の人間とどう付き合っていけばいいのかわかるのだ自分のことって、分かっているようで、実はよく分かっていない自分自身と、周囲の人間が自分に対して抱いているイメージは、必ずしも一致するわけじゃないしね自分が思っている自分が自分なのか、他人から映っている自分が自分なのか一体、本当の自分は、どんな人間なのだろうか?数多いる人間を、A・B・O・ABという4つの血液型の枠だけでくくって人間性を見るということに、いささか疑問を感じるが、自分の身体のなかに流れている赤い血によって、自分はどんな人間として形成されているのか自分自身を見つめるために、本のページを繰った本のなかでは、思考や行動など、いくつかの項目に別れてO型人間の特徴が綴られているそのどれもが箇条書きにされていて読みやすく、なんといっても言葉の畳み掛け方がユニーク自分に当てはまる、当てはまらないは別問題として、ちょっと棘があって、ちょっと毒のある世界観が、かなり自分のツボにはまって、読んでいて何度も吹いてしまったこの血液型別の自分の説明書の本が売れている理由がなんとな~く、わかる気がした自分のことを客観視することはなかなか難しいので、本を読んでいても「コレは当てはまらないな…」なんて、まるで自分の血液型はO型じゃないみたいな目で本を読んでいたが、いくつか、自分のことを言い当てているのでは?と思ってしまうほどにピッタリあてはまるものがあったので挙げてみる“散歩するのが好き”うん、好き「趣味は散歩です」“雑貨屋が好き”うん、好きって言うか、コレ、血液型に関係あんのか?「時間ができたら買物行きたいな」“気づくと身に覚えのないアザがある”あるある!いつのまにか、腕や脛にアザができているんだよねO型の血液型が原因だったのか「どこにぶつけたんだろ?」“記憶があやふや”なるほど!昔のことをあまり覚えていないのは、O型だからなんだ納得!?「記憶にございません」“パソコンの入力は速いけど、指使いは自己流”その通り!指使いはデタラメだけれど、キーボードを打つのは早い!「指が勝手に動いてくれるんです」“メールの返信が遅いでも、送ったメールの返事が遅いとイラッとする”自分勝手でゴメンナサイでもO型なんで許してください「忙しいからメールの返事が遅いんだヨ」やっぱり自分は、良くも悪くもO型なんだね自分のなかで流れている赤い血に逆らうことはできないんだこれからもO型人間らしく生きていきます文芸社【O型 自分の説明書】1000円(税別価格)
2008年08月06日
最近、五百円硬貨を貯金することにハマっているキッカケは、不気味な貯金箱を購入してからそれまでは小銭を貯金することなんて興味が無かったのだが、いざ貯め始めてみたらこれが意外とクセになったのだ使っている貯金箱の容量が少ないので、よって、入れるのは五百円玉のみ20枚も貯まれば1万円だから、結構大きいはじめはお釣りなどで五百円玉を貰うと、そのまま貯金箱へ直行させていただけなのだが、最近では少しでも五百円玉を手にしようと、ちょっと欲をかいている例えば、お釣りで貰う小銭に五百円が入るように計算をしてみたり、支払いが五百円以下の買い物をして、財布の中にある五百円玉を出せば済むのに、わざわざ千円札を出してお釣りの五百円玉をゲットしてみたり…といった具合それから、飲料水の自販機や乗り物の券売機などに千円札を入れて、出てきた小銭が全部百円玉だと、何でやねんッ!って、ちょっと苛つくようになった前まではそんなこと何も思わなかっただけに、五百円玉に対する執着っぷりは、ちょっと異常ですな貯金といえば、今日から一日百円ずつ貯金していくことに決めたというのも、自分のこのブログを書籍化するにあたり、今、着々と編集作業を進めているのだが、如何せんどうでもいいようなことを長ったらしく綴ってしまうのでページ数が嵩んでしまい、あとは月替わりで本をまとめたいという自分なりのこだわりもあって、1冊の本には2ヶ月分の記事を収めることしかできないつまりは、1年分で6冊一昨年分は、画像が無かった分だけページ数が少なくて済み、4冊でまとめることができたので、去年分を合わせると10冊になるさらには、今年の上半期分が3冊1冊の価格は大体6000円前後だから、2年半分に値する13冊を書籍化しようとすると、総額は8万円ちかくにものぼる少ないお小遣いのなかで、やりくりしている自分にとって、そんな金額をまとめては到底払えないとはいえ、早く自分の手元に欲しいのも確かでも、やっぱり無理しちゃダメでしょ楽しみながら、自分のできる範囲内でやっていかないと…そこで思った2ヶ月分の出来事を収めた本が6000円ということは、日割りで計算すれば、1日百円ということになるということは、1日百円ずつ貯めていけば、ブログを書籍にするお金が用意できるというわけ一日百円なら、缶ジュース1本我慢すればいいんだから、お安いご用でしょということで、夢のために、貯金頑張ります!
2008年07月24日
『何のために生きているんですか?』そんなセリフを、ある人から投げつけられた世に不満ばかり抱いているその人からしてみると、何も考えずにのほほ~んと生きているように見える自分の姿が歯痒く、また腹立たしく映ったのだろう何のために生きているか…そんなこと考えながら生きていないから、すぐに答えなど思いつかない愛する人の為?そんな人いないし…会社の為?そうでもないな…世の為、人の為?何も貢献できていないよじゃあ、自分の為?それも違うな自分は何のために生きているか結局のところ答えを出すことはできず、質問を投げつけてきた人に対して返す言葉は無かったハァ~なんか考えていたら、自分のことが無性に生きる価値のない男に思えてきただって、何のために生きているかわからないだなんて、言葉を変えれば、生き甲斐もなく、ただただ日々を過ごしているだけでしょ?そりゃあ、そんな人生に価値なんてないわなつまらない男と思われても当然でもさ、当の本人にしてみれば、日々懸命に生きているわけ生きている意味を見いだせなくても、自分ひとりでは何もできなくても、自分が必要とされていないとわかっていても、自分の存在、生きた証をこの世に残せなくても、それでも生きているんだよねそれは、“生きている”というよりも、“生かされている”という思いの方が強いから父と母が愛し合い、その結果愛の結晶が生まれ、自分という生命がこの世に誕生したそれは自分の意思ではないまた、命の炎が燃え尽きるときも、寿命は自分では決められない生きるときも、死ぬときも自分の自由にはならないそう、まさしく生かされているのであるどんなに苦しいことや辛い目に遭っても、決して人には言えない秘密を抱えていても、暗く重くのしかかる宿命を背負い続けても、完治が難しい病気を患っていても、今までこうして生きてきた“生きている”と思えば、自分ばかりどうしてこんな目に?と思えてしまうが、“生かされている”と考えれば、数々の苦行を強いられたとしても、試練として受け入ることができる生かされていると思うことによって、だいぶ楽に物事を考えられるようになったのだだから、何のために生きているか?という問いかけに対しては、『生かされているから生きている』と答えることにしようでは、『何のために生かされているのか?』その質問の答えは、きっと生きているうちにはそう容易く見出すことはできないだろうだってそれは、一生涯を終えてみないと解けない問題だから老いたとき、命の灯が消え入ろうとしているとき、人生を回顧して、自分は何のためにこの世に生を授かって、生かされたのかがわかるのだと思ういや、明確な答えは出ないかもしれないが、それでも自分なりに解釈した答えはきっとでるだろう【賢者は、生きられるだけ生きるのではなく、生きなければいけないだけ生きる】(フランスの哲学者 モンテーニュの言葉より)生かされている…だからこそ、どんなことがあっても生きなければならない
2008年07月17日
仕事がひと段落つき、他のスタッフたちは皆帰っていった自分以外誰もいない事務所に一人残って、事務仕事を片付ける何やら背後に感じるものがあり、気になって振り返るのだが、そこには誰もいないそんな薄気味悪い気配を幾度か感じたときだった不意に何者かに襲われた視界が霞んだように白み始めてきて、意識が遠のいていくのがわかる身体の中には熱いものが流れている抵抗しようにも、まるで催眠術にでもかかっているかのように、身体がいうことをきかない段々瞼が重たくなってきたこのままどうなってしまうのだろうか…そこで、自分の意識は完全に無くなってしまった気づいたとき自分は、事務所のデスクの上に頬をついて突っ伏していたどうやら、眠りこんでしまったようだ時計を見ると、1時間ちかく針が進んでいた会社で居眠りするだなんて…よっぽど疲れてるんだな、きっと実は今、かなりの睡眠不足朝が早いので、慢性的に寝不足なのだが、7月に入ってから仕事が立て込んでいて、いつにもまして起床時間が早いのだ睡眠時間は長くとれて3時間2時間という日もざらにあるそれじゃあ、疲れもとれないわなそんな日々が10日ちかく続いているわけだから、居眠りしてしまうのも致し方ないかと、弁明してみる寝ることが好きな自分にとって、睡眠時間がじゅうぶんに確保することができない今は、ほんと辛い四六時中、睡魔と死闘を繰り広げている仕事している間は気合も入っているせいか大丈夫なんだけれど、車の運転中の信号待ちとか、デスクワークなど身体を動かさないでいると、不意討ちを喰らうんだよねぇ大抵は打ち勝つのだが、さっきは、なす術なく完全に睡魔に負けてしまった…それだけ、身体が休むことを要求しているということかなんとか気力で乗り越えようと思ってはいるものの、やっぱり身体は正直だね若いときは、多少寝なくても頑張れたのだが、歳には勝てへんわまだしばらくは忙しい日が続くので、とにかく頑張るしかない!睡魔さん、お手柔らかにくれぐれも変なときに襲わんといてください
2008年07月10日
ちょっとね、期待していた話がダメになってしまった一縷の望みを懸けていたのだが、それも絶たれた普通なら凹んでしまいそうなのだが、今の自分は違うなんだか、自分でもよくわからないのだが、沸々とした何かが身体のなかで沸きあがっていたのだそれは、まるで春の陽炎のように、ゆらゆらとしていたクヨクヨしている場合ではない自分がもっと頑張ればいいのだ!そして見返してやればいいのだ!自分のなかに、生きることへの気力が漲っているのがわかる初夏の暖かな日差しも後押ししてくれたこともあって、実に清清しく晴々しい気分でいた自然と笑みがこぼれるこんなに胸がワクワクするのは久しぶりかもしれない一つの夢が絶たれてしまったことはとても残念そのことに関して、吹っ切れたか?と言えば、それは嘘になる今でも心の片隅にそれは存在していて、忘れようにも忘れられそうにないしかしながら、いつまでも立ち止まってはいられない無理に忘れようとしなくてもいいじゃないかむしろ、それは自分にとって生きるパワーの源になるはずこのことを糧にして、次の一歩を踏み出すとしますか今回のことでは、心に傷が残ったけれど、生きる気力を自分に与えてくれたことには大いに感謝しているまだまだ頑張りまっせ!【人は望む通りのことが出来るものではない。望む、生きる、それは別々だ。くよくよするもんじゃない。肝心な事は、望んだり生きたりすることに飽きない事だ】(フランスの作家、ロマン・ロランの言葉より)
2008年06月14日
5枚の花びらからなる花の姿が、星の形に似ていることから名付けられた『ブルースター』可愛らしい花なので好きなのだが、ブルースターは、茎を切ったり、葉をむしると、白い粘着質の液が出てくるこの液に触れると、ベタベタと手が汚れてしまうのが難点人によっては皮膚がかぶれてしまう場合もある“美しい花にはトゲがある”なんて言葉があるが、可愛い花には毒があるのだブルースターの花言葉は“信じる心”信じるって簡単なことのようだけれど、考え出すと、ものすごく難しいことなんじゃないかな?と思えてくるちなみに自分は、そう易々と人を信じないこんな事書くと、“なんて寂しい人なのッ!?”と思われてしまうかもしれないが、まぁこれには色々と事情がありまして…裏切られたり、騙されたり、それなりの年月を生きていると様々な経験をする人間のいろいろな醜い部分を目の当たりにすると、どんどん人間不信になっていくわけで…そんなこんなで、“人を見たら泥棒と思え”ではないが、ちょっと歪んだ心を持っている人を信じないといっても、決して独り善がりになっているわけではない人間誰しも一人では生きていくことはできない仕事を任せる、出された料理を食べる、病院で診察してもらう…これらの行動は、ある意味、相手を信じているからこそできるもの自分が云う、易々と人を信じないということは、気を許さないということ家から一歩出れば、自分というものを止めて、仮面を被って一日を過ごすことが多い社会の中で生きていくうえでは、遠慮や妥協もすれば我慢を強いられる自分の思いや感情を押し殺さなくてはならないことが多々生じてくるそんな生活を送っていると、自然と心に襞ができ、本来の自分を見失いはじめ、いい人であろうと自分を偽るがゆえに、だんだんと人間関係が煩わしくなり、人と距離を置きたくなるようになるそうなってくると、上辺だけで人と向き合うようになってきてしまうゆえに、気を許さないことが、人を信じないという歪んだ方向へと思考を駆り立ててしまうのだう~ん、こうして自分のことを文章に起こしてみて客観的に読んでみると、やっぱり自分って寂しい人間かもしれないでもこればっかりは、今まで歩んできた人生のなかでの様々な出来事によって形成されたのが、今ある自分なので、そう簡単には思考のスイッチを替えることはできないこうして、鮮やかなブルースターの花を見ていると心が休まり、信じる心を取り戻せそうな気もするが、長年かけて浸透され冷え切った我が心を融解させるまでには至らなかったブルースターの花言葉は、“信じる心”というほかに、“幸福な愛”というものもある信じる心を持てば、幸福な愛も掴める というわけかなるほど!だから、自分は信じる心を持っていないから幸福な愛も掴めないのか!ブルースターの萎れた花を摘むと、摘んだ茎のところから一滴の白い液が出たそれはまるで、ブルースターが、愚かな心の持ち主の自分のことを憐れんで流した涙のように見えた
2008年05月16日
食べ物を頂くことが多いで、それらは皆が示し合わせたかのように、どれもこれも甘いものばかり確かに自分は甘いものが大好きだけれど、実に不思議な話…周囲に甘いもの好きを公言しているわけでもなく、要求しているわけでもないかと言って、モノ欲しそうな顔をしているわけでもないのに、なぜか自分の周りには甘いものがつきまとう今日は福島土産を頂いた創業嘉永五年の“柏屋薄皮饅頭”あら、こしあんですか?つぶあんが苦手なことよくご存知で…って、単なる偶然か普段生活していると、まずお饅頭を買うことはないので、お土産として頂くと嬉しいお饅頭はほんと商品名の通り薄皮のなかに、これでもかッ!と上品な甘さの餡子がぎっしりと詰まっている素朴だが、実に美味しいそれにしても、自分ひとりの為に10個もの詰め合わせありがとうございますまさか、これぐらい1回で食べきるだろうなんて思ってないですよね?その他にも、仕事関係の方から、高速道路のパーキングエリアで美味しそうなものを見つけたから…と、ピーナッツフロランタンという小洒落たお菓子、スタッフからはなぜかドーナッツ、仕事の失敗をした懺悔の意味からなのかチョコレートと、次々と甘いものが手元に届く極めつけは、スタッフの一人が、「ロッテのチョコパイ買ってきました」と、自分に向かって一言???頼んだ覚えもないし、何を言い出すんだろう?と思ったら、以前、何らかの話のなかで自分が「ロッテのチョコパイはウマイ」と言ったことを覚えていたらしく、それで、たまたまチョコパイが激安価格で販売されていたのを見て、買ってきてくれたんだとかそんな話をしたことなんて当人ですら忘れているのに、どんだけ記憶力いいねんッ!っていうか、ほんと、どうして皆甘いもの、そんなにくれるの!?教えてェェェ!!
2008年03月21日
朝出勤して、花を保管している保冷庫の扉を開けると、なんともいえない強い芳香が自分の身体に覆い被さってきた芳香の正体はストックである一晩中保冷庫の中で香りが充満していたので、扉を開け放った瞬間、まるで逃げ道を見つけたかのごとくドッと流れ込んできたのだろう1本1本ではさほど嫌味に感じない花の芳香も、さすがに大量にあるとまるで大合唱しているかのように香りは賑々しく、かるい眩暈を覚えるほど息苦しさを感じながらもストックの香りに包まれていると、ある遠い過去の記憶が甦ってきたそれは、高校を卒業して初めて就職した花屋のことである…元来の勉強嫌いが祟ってか学業の成績はすこぶる悪く、それは、卒業も危ぶまれる程だったゆえに就職活動も遅れをとっていたのだが、幸運にもある大手の花屋に就職することができた同期は自分を含めて8人花の知識が秀でている者や、家業が花屋の者など皆兵ぞろいそんななか自分はというと、農業高校卒といっても、鍬や鎌を持って土を耕したり野菜を育てていたので、おおよそ花屋とは無縁の出そんな花の名前すらろくに知りもしない自分が現場に立っても即戦力になるわけがないが、手取り足取り教えてもらえるわけでもなく、“見て覚えろ”、“自分で勉強しろ”の世界日々罵声を浴びせられながらも、それでも耐えた月日は経ち、はじめはなにひとつ満足にできなかった自分も、次第に、花束やアレンジメントといった接客注文に始まり、パーティー会場の装花、出張の活け込みなどといったものも任されるようになっていく花屋の仕事は、自分から望んだ仕事ではなかったただ、自分の学力が低く、進学できる高校が農業高校しか選択の余地がなかったので進み、その流れでなんとなく花屋に就職したいわばおぼろげながらも敷いてあったレールの上を、ただ漠然とながら歩いていたような気がするしかしながら、花屋で色々な経験を積んでいくうちに、花屋で働くことの楽しさや素晴らしさを知り、自分にとって天職だったのかな?と思い始めていたが、高校を卒業して、なんの免疫もないままいきなり社会の波にひとり放り出されると、嫌というほど世間の醜い面を目の当たりにすることとなる結局は、色々な柵に縛られ、若気の至りというか、自分の至らなさが原因で不本意なかたちで現場を去ることに…最後辞める際、上司から、『キミに辞めてもらって、本当にヨカッタよ』と面と向かって言われた言葉は、今でも胸に深く深く突き刺さっているなぜストックの花の香りを嗅ぐと過去を思い出すかというと、自分が就職した4月は、丁度ストックの市場流通の時期と重なり、就職した当初、ストックの花を大量に扱っていたからであるなので、ストックの強い芳香に一斉に囲われると、遠い過去とリンクし、自分的にはちょっとほろ苦い当時の思い出が甦ってくるというわけそれと同時に、『キミに辞めてもらって、本当にヨカッタよ』というセリフが頭の中で木霊するもう十年ちかく経とうというのに、自分に向かって吐かれたこの言葉だけはどうしても忘れることができないはじめは怨みもしたが、今となってみれば、その言葉をバネにして頑張ってこられたのかもいつか見返してやるぞッ!みたいなねえぇ今では感謝していますともおかげで、負けん気の強い逞しい大人になりましたとさ美しいストックの花の芳香には、そんな自分の様々な思い出が詰まっているそんな古傷が疼く思いを抱く自分のことはお構いなしに、ストックは今日も甘い香りを湛えていた…
2008年03月09日
仕事中は、自分の携帯電話は持ち歩かないというのも、以前電話に出ようとしたとき、手が滑って花桶の中に落としてしまい、水没してダメにしたことがあるからそれに仕事専用の携帯電話を2つ持っているので、そう何個も持ち歩きたくないというのも理由のひとつそれゆえに、プライベートの携帯電話にタイムリーに出ることはまず少ない仕事の行き帰りの車の運転の最中も、以前、白バイに取締りを受けて違反キップを切られて以来、出ないようにしているので、自分が電話に出られるといったら、極々限られた時間だけたとえば…仕事の合間の休憩とか帰宅して、就寝するまでの時間それぐらいだけである一日の仕事を終えて帰り支度をしながら携帯電話を見ると、友人からの着信履歴が残っていた留守番電話にメッセージが残っていたので聞いてみると、『また後で掛ける』の一言のみどうせなら用件を吹き込めばいいのに…そう思いつつも、自分から電話を掛けてみたが、これが出ないなんで出ないんだよッ!と、自分が電話になかなか出ないことを棚に上げて、ちょっとイラついてみる相手が電話に出ない場合、用件がある時はメッセージを吹き込むし、特にこれといって急ぎでない場合はそのまま切る友人は「あとで掛ける」と言い残したのだから、何か用事があるのだろうしかしながら、とうとうその日友人から電話が掛かってくることはなかったいったい、何の用事だったんだろう……すっごく気になるが、連絡を寄越さないところをみると、たいした用じゃなかったんだろうな、きっと
2008年02月25日
友人との食事を終え帰宅すると、すでに日付は変わっていた今日は久々の完全なオフ久しぶりにゆっくり眠ることができるとりあえず、思いのまま眠るだけ眠って、起きてから休日をどう過ごすか考えようかいつもなら、あと何時間しか眠れない…と思うところだが、その気兼ねがないだけでも幸せである目覚まし時計がOFFになっているのを確認すると、冷え切った布団に身体を滑り込ませ、吸い込まれるようにして眠りについた…夢の中の出来事だったのだろうか?それとも、寝ぼけていたのだろうか?遠くのほうで微かに何やら音が鳴ったような気がしたバッハの「G線上のアリア」のメロディーが流れているということは、会社から持たされている携帯電話だ鳴り始めたかな?と思ったのも束の間、運悪く携帯電話は充電切れを起こして、ピーッと音を立てて切れてしまった切れたなら仕方ないか…日頃から蓄積されている疲労と、猛烈な睡魔に打ち勝つことはできず、頭のどこかで電話のことが気になりつつもそのまま深い眠りについた目が覚めたのは、時計の針が11時を回っていた頃だったよく寝たぁぁぁ部屋の出窓からは、気持ちがいいくらいの青空が覗けた日差しがあるせいか暖かく感じられ、絶好のお出かけ日和そういえば、携帯電話が鳴ったような気がしたんだけれど…鞄から携帯電話を取り出してみたが、どのボタンを押しても微動だに反応しないあぁ…充電切れてるもう長年使用していてバッテリーが弱っているので、すぐに充電切れを起こしてしまうのであるということは、夢うつつの中で聞いた電話のコール音は夢じゃなかったんだあいにく充電器は会社に置いてきてしまっているので、充電する術は無く、誰が電話を掛けてきたのか知る由もないたしか、部屋が真っ暗な時間帯だったから、そんな夜明け前に電話を掛けてくるのはスタッフの誰かだろうあまり深くは考えずに、そのまま浴室へと向かった長風呂に浸かり至福の時を過ごすと、朝昼兼用の食事を軽く戴くその後は、ほとんど居ることがない部屋なのに、なぜか散らかっていたので、部屋の掃除ふぅ~掃除も終えて、やるべきことは全てやったって感じさて、じゃあどこに出かけようかな?と思ったのだが、なんだかはりきって部屋の掃除をしたら、疲れてしまっただから何処へも出かけたくないえっ!?いや、頭の中ではどこかに出かけたい気持ちなのだが、如何せん身体が言う事を聞いてくれないのだ日々の仕事で疲れているのに、遊びに出かけて疲れて帰ってきたら、一体いつ疲れを取るんだ?って感じなので、今日は一日出かけないでおとなしくすることに決めたという事で、お天道様は燦燦としていて、その暖かな日差しが窓から差し込んで気持ちがいいなか、ふたたび眠りにつくことにした医学的には寝溜めはできないそうなのだが、常日頃から寝不足気味だから、寝られるときに寝ておかないと身体がもたない他人様からしてみれば、なんと勿体無い休日の過ごし方!と思われるかもしれないが、疲労の塊といってもいいぐらいに疲れている自分からしてみれば、眠れるということは贅沢に満ちたひと時なのである結局、今日は一日中寝て過ごしたせいか、なんだかあっという間に一日が終わった感じそれでも、身体には幾分の活力が戻っていたたまには身体を労わってあげる休息日を設けてあげないとねもう若くはないんだから…よぉし、これで明日からも頑張ろう!!
2008年02月11日
昨日は24時過ぎに帰宅睡眠時間が2時間足らずということで、ものすごく眠いわけで…身体を動かしている分には気が紛れて眠気もどこへやらところが、ちょっとでも気を許すと、奴はつけ入る隙を見つけては眠りの世界へと誘惑してくるよほど相手は強敵なのか、冷たい水で洗顔しても、眠気を晴らすことは一向にできなかったあぁ…一発で眠気を解消する薬なんてないかなぁ?あれば愛飲するのに…と、夢みたいなことを言っていますが、ちゃんと起きています!!午後になっても、睡魔の呪縛から解かれることはなかったそんなときに限って、急遽仕事の打ち合わせが入ったりする眠気が酷い状態で、大丈夫だろうか?打ち合わせの場所に行くと、そこは、これでもかと云わんばかりに暖房が効いていた部屋だった寒い場所から入ったので、余計にそう感じたのかもしれないいざ打ち合わせが始まると、はじめのうちはよかったものの、次第に暖房の暖かさが心地よくなってきて、睡魔が襲ってきた必死に堪えるも、打ち合わせがなかなか進まずに膠着状態であることが、拍車をかけたうぅ…眠いよォォォ身体を動かして気分をリフレッシュしたいところだったが、そんなことをしたら怪しまれるので、自分の身体を抓ったり、瞬きをしないように眼に力を入れたりと小細工をして、なんとかその場を凌いだのだった一日中睡魔と闘いながら、なんとか仕事を終えると、芝居を観に行くために電車で横浜へと向かった丁度帰宅時間帯と重なったせいか、車内は結構混雑しているそれでも、自分のスペースは確保できるほどの若干の余裕はあった吊革に掴りながら、何をするでなく、車内の中吊り広告や、流れゆく夜の町並みを見ていたふと気づくと、電車は間もなく自分が下車する駅のホームに滑り込もうとしていた???あれ?いつの間に?現状を把握することができず、ちょっとした軽い混乱に陥った記憶を辿ると、降りる駅までたしかまだ数駅はあった筈なのに、もう電車は到着しようとしているう~ん…どうも信じ難い話ではあるが、どうやら立ったままで、眠りに落ちてしまったらしい自分としては、ほんの一瞬瞬きをした程度の空白しか感じていないのだが、数分は立ち寝をしていたことになる立ったまま寝ていて、よく倒れたりしなかったねよほど吊革をしっかりと握って、安定したバランスで立っていたんだろうねって、感心している場合じゃないかそこまで、自分の身体と脳は睡眠時間を欲しがっていたんだねぇ十分に睡眠時間が確保できなくて、ごめんなさいそれにしても、いざ自分が立ち寝をしていた事実を掌握すると、急に周囲の目が気になりだした隣に立っている人にぶつかったり、膝が折れてバランスを崩し無様な姿を晒したりと、なにか失態をしなかっただろうか?顔は動かさずに、視線だけを左右に動かすと、周囲の乗客は何食わぬ顔をしているどうやら、何事もなかったようだほんと、よかった電車は駅に到着し、扉が開くと、一斉に人が流れ出るようにホームへと降り立っていくその流れに混じって、自分も下車した車内の暖房にすっかり身体が慣れてしまっていたせいか、外は身震いするほどの寒さだったこれで、少しは目が覚めたかも!?
2008年01月11日
年下の男性のスタッフと話をしていた時のこと話のなかで唐突に、『陰険ですよね』と、云われた【陰険】表面はよく見せかけて、裏でこっそり悪いことをするさま(辞書調べ)なんだ、見抜かれていたか…って冗談はさておき、陰険だとォ?確かに、善と悪の両方の心は持っているから、少なからずとも悪巧みは考えてはいるが、別に表面上は良いように取り繕っていないから、そういうのって陰険って云わないんじゃない?それにしても、自分は傍から見ると陰険そうに見えるんだまぁ食べ物や異性のタイプなど、人それぞれ好みが違うように、人は誰しもが同じ考えや趣向を持っていない肯定的な意見もあれば、逆の考えの意見を持っている人も当然いるなので、若いスタッフが、自分のことを「陰険そうだ」といっても、それは相手がそう思い、感じ抱いているのだから致し方ないことで、別に腹は立たないそれどころか、陰と陽でいうならば、自分は陽のイメージばかり持たれるので、陰険呼ばわりされて心外と思いつつも、ちょっと新鮮な気分になったほど歳を重ねて、ようやく自分も陰が見え隠れする男になってきたってことですか???ところで、自分のどういうところが陰険に見えるのだろうかスタッフにはあまり優しい表情を見せないから?淡々としているから?参考までに聞いてみると、若いスタッフは、別にこれといった理由はないが、なんとなくそう感じるのだと言ったそして、最後にこう一言添えた「皆が、陰険そう…って言ってますよ」ハァ?陰でそんなことを言っているお前らの方が、よっぽど陰険だろうがッ!!誰にどう思われようと、自分は気にはしないだって、良くも悪くも、今までこれで生きてきたんだから自分は自分これからも自分自身に偽ることなく、自分のままで生きていく他人の顔色やご機嫌ばかり伺って生きていたら、それは自分の為でなく、他人の為の人生になってしまうときには、同調や協調といったことも大事だが、流されることなく、自分のなかで、芯となるべく揺るぎないものを中心に据えて、自分というものを見失わないでいきたい
2008年01月08日
2007年も、残すところあと一日となった一年を振り返ってみると、あっという間に過ぎ去ってしまったような気がするのだが、こうしてブログに綴られている自分が歩んできた道を辿ると、一日一日、喜怒哀楽が散りばめられた日々を過ごしてきたんだなぁ…と思う思えば、今年の浅草・浅草寺への初詣で引いた御神籤は“凶”だったしかもそこには、自分の悩みのタネを的中しているかのような内容の忠告するものが書かれていた今年一年どうなってしまうのだろう?なんて、新年早々暗い気持ちになったものだたしかにその忠告に関しては、実際に大きなうねりが訪れ、自分もその渦に巻き込まれて、大変な思いをした今にして思えば、凶の御神籤を引いていたからこそ、覚悟というかなんというか、ある程度の気持ちの整理ができていたので、それらの事実を甘んじて受け止めることができ、また、立ち向かうこともできたのだと思う『禍を転じて福となす』とでもいうのだろうかヘタに“大吉”の籤を引いて浮かれるよりは、自分のような心配性は“凶”の籤を引いて、つねに気を引き締めていたほうがいいのかもしれないでも、やっぱり凶の籤を引くよりは、大吉の籤を引きたいけれどね【禍を転じて福となす】災難にあっても、それをうまく活用して幸せになるようにすること(辞書調べ)
2007年12月30日
【情けは人の為ならず】人に親切にすれば、その相手のためになるだけでなく、やがてはよい報いとなって自分にもどってくる(辞書調べ)なるほど!そういう意味だったんだ自分は、今の今までちょっと解釈を間違えて いて、“情けはその人の為にならない”とばかり思っていたハイ、勉強になりました自分は基本的には情け深い方ではないのだが、時には手を差し伸べてあげたくなるような人が自分の周りにいる困っている人、悩んでいる人…ちょっとでもその人の手助けになれるのならと、多少の自己犠牲も厭わない別にそのことに対しての看かえりを期待してのことではなく、また、“自分はいい人だ”という自己陶酔の為のものでもないただ、どうにもこうにも放っておけない性分なだけなのであるそのお節介が、力になれたかどうかは知る由もないので、結局のところは“良い事をした”という自己満足にしか過ぎないのだが、自分も色々と周囲から手助けしてもらうこともあるので、結果的には、回り回ってで、諺どおり『情けは人の為ならず』になっているのかもしれないしかしながら、時には、自分の厚意を無碍にする者もいる良かれと思ってのことだったのに、有りがた迷惑だった?それとも、手助けしてあげることによって、甘えが生じているのだろうか?なんだか自分が手を差し伸べていることがかえって逆効果になっているような場合もある自分はお人好しではないので、厚意を無碍にするような真似を度々繰り返すのであるならば、あとは自分の力でなんとかしなさい!と突き放すそうするとね、これがまた、“助けてください”みたいな顔をするんだ弱いんだなぁ、そういう顔されると…それでまた手を差し伸べるのだが、また手痛いしっぺ返しを喰らわされるその繰り返し自分も馬鹿じゃないから、もうその手にはのらないよいくら泣きを見ようと、ここはグッと堪えて、心を鬼にして、あえて見ぬフリ“仏の顔も三度まで”というでしょ?最近そんな事があったので、『情けは人の為ならず』情けなんて人の為にはならない!なんてしみじみ思い知らされていたところでもその解釈は間違っていたんだよねいずれは自分の身に返ってくるのだから、誰にでも親切にしなさいかぁだったら、もう一度だけ手を差し伸べてチャンスをあげようかな万が一、また自分の善意を無碍にするようなことがあったら、その時はほんとに愛想を尽かそう
2007年12月08日
ガソリンの価格が高騰していて、驚かされる先週、都内のガソリンスタンドで給油したレギュラー満タンでお願いして、いざお会計手渡されたレシートを見ると、なんとレギュラーガソリンが、1リットル・158円!えっ!?一瞬我が目を疑ってしまったそ、そんなに高いのォ!?真夜中に利用したから、変な手数料取られたのかなぁ?深夜ともなると、なかなか営業しているところが少なくて、見つけた!と思って慌てて入ってしまったのだが、ガソリン価格の表示を提示していないところは危険で、給油できないねそんなこともあってか、今日はいつも利用している自宅近くのスタンドで給油レギュラーガソリン1リットル・147円と表示されているのでその点も安心それでも高いよねぇ自分が免許取立ての時は、1リットル100円しなかったもん約1.5倍も値上がりしているのかぁ…なんてことを考えていたら、車の窓を拭いていたスタンドの青年に、「ENEOSカード作りませんか?」と、声を掛けられたいまいちカードを作ったことによっての特典がわからなかったが、まぁ作っても損はないだろうと申し込みする事に申し込み用紙に、氏名・住所・勤務先とペンを走らせていく自分の名刺など何も見ずに、勤務先の郵便番号ですらスラスラ書けたのに、あるところでペンが止まってしまったそれは、自分の歳あれ?今、満何歳なんだろう?まったく思い出せない数えるのが大変なほど歳をとっているわけではないんだけれど…考えてみれば、人に歳を聞かれることもないし、自分でも意識していないので、大体の漠然とした歳はわかっているものの、はたしていくつなのか正式な歳が思い出せないのであるそうだ!西暦から歳を計算するか???はて、今年は西暦何年だっけ?そんな単純なことですらわからない考えれば考えるほど深みに嵌ってしまい、まったく考えられない状態に陥ってしまったそうこう悩んでいるうちに、店員の方が「書けました?」なんて聞いてきたまさか、「自分の歳がわかりません」だなんて言うわけにもいかなかったので、大体の数字を書いて提出するのであった自宅に帰ると、自分の歳がいくつなのか冷静に考えてみた………今年で、もうそんな歳なんだ!って、久しぶりに自分の歳を意識するのであったひょっとしたら、歳を重ねるのがいやで、知らず知らずのうちに、自分の意識から歳のことを消し去ろうとしていたのかもしれないちなみに書類に書いた年齢は、実年齢よりサバを読んでしまったでも、1つだけねしかも実年齢より1つ上だから、若く見せようと年齢を誤魔化すつもりでなかったことはわかってくれるよね?【サバを読む】鯖が大量に捕れ、かつ鮮度低下が激しい為、漁師や魚屋が数もろくに数えずに大急ぎで売りさばいたことが起源となり、歳を誤魔化す時などに用いられるようになった
2007年11月17日
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