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それは、一本の電話が幕開けだった…お客様から、注文した花の問い合わせの電話であるその月の予定やら、大口の注文が書かれているホワイトボードを覗き込み、『明日、間違いなく納品させていただきます』と返事すると、相手は怪訝そうな声で『それは来週分よ』と返答した?????そのお客様は、今週と来週の金曜日納めで花の注文を頼まれた方なのだが、それぞれの日にちは、注文内容も花の数量も違うホワイトボードに書かれている予定で、仕事を進めてきたのだが…しかし、依頼した張本人が違うといっているのだから、間違いないのだろう待たせては失礼なので、折り返し連絡する旨を伝え受話器を置き、注文書を探す注文書の内容は、確かに先方が言ったことに間違いはなかったこちらのミスであるお客様が確認の連絡を入れなかったら、間違えた商品を納めるところであったさて、誰がホワイトボードに、注文内容と納める日にちを逆に書いてしまったのか?ホワイトボードに書かれた文字を見ると…それは、先月辞めていった女性スタッフが書いたものだったそもそも、彼女が先月の終わりに今回の注文を受け、ホワイトボードに書き込んだのだそれが単純なミスなのか、故意によるもの(そうは思いたくないが)かは今となってはわからない彼女がこんな記入の単純なミスをしないことが前提ではあったが、それだけを信じ、注文書に目を通さなかった自分にも非がある…この、やり場の無い怒りや悲しみの入り混じった感情は、どこにぶつければいいのだろうか…一言言ってやりたい気持ちはあったが、わざわざもう辞めた人間を問い質したところでどうにかなる訳でもあるまいし、お客様に多少なり不信感は与えてしまったものの、怪我の功名でミスは未然に防げたので良しとするしかないそう自分に言い聞かせる幸いなことに、店にある在庫分で注文も対応できた先方にはこちらの非を詫び、その旨を伝え事なき得たのだった教訓他人任せにしても、最終的には自分で確認を【罠】人をだまして陥れるはかりごと(辞書調べ)
2006年06月15日
最近、自分の身体の異変を薄々は感じ取っていた顔はパンパンだし、身にまとう服も多少なりきつくなってきているもしや?家にある体重計に久しぶりに乗ってみた!!!!!デジタルで表示された数字を見て我が目を疑った一ヶ月余りで、体重が5kgも増加しているではないか!体重計壊れた?…もう一度量ってみたが、表示された数字は一緒である今度はお腹を引っ込めて乗ってみた…体重が変わるわけがない着ている服を脱いで乗ってみた…若干軽くなった一体、この一ヶ月あまりのうちに自分の身に何が起きたというのだろうか?暴飲暴食をしているわけでもないのに…むしろ、ここ最近は気温が高くなってきたせいか、食欲が減退しているほどである考えられるとしたら、不規則な食生活が祟っているのだろうか?もともと太りやすい体質ではあったが、この体重増加は尋常ではないとりあえず、これから毎日体重を測定して、こまめにチェックすることに決めたこの時は、なぜ太ったのか知る由もなかったが、数日後、体重増加の意外な原因を知ることとなる…
2006年06月06日
スニーカーやらブーツやら、靴を60足近く保有しているので、頻繁に履いている靴以外で、玄関に置ききれない靴たちは、クローゼットや本箱の上に箱に入れたまま保管している今日は、どうしても履きたい靴があって、その靴をクローゼットの上に山積みになっている箱のなかから引っ張り出した実はこの靴、一目惚れで購入してから3~4年近く経つが、一度も履かなかったのである箱を開けると…目が点になった確か、ベージュのスエードのブーツの筈だったのだが、青緑色の水玉模様になっている!?黴(カビ)だ!!あ~なんていうことだろう(金田一耕助ばりに頭をかきむしる…)もしや!?と思い、ほかの靴箱も開けてみると…出るわ出るわ…3分の1ちかくの靴にカビが発生していました(涙)とりあえず、すべての靴に付着している黴を取り払い、本当ならば、靴を日に当てたいところですが、出かける為にそうもいかず、通気の意味で部屋に靴を並べて外出するのでしたで、今日は何を履いていったかというと…どうしても履いていきたかったベージュのブーツですカビは取り除いたものの、根が深いのか、うっすらとカビ色が残ってしまいました教訓【靴は履く為にあるべし】
2006年05月30日
早朝、職場へと向かういつもと違うのは、喪服を着ているということだけ手早く仕事を片付けると、親戚の女性の方の葬儀に参列する為に斎場へと向かう昨日の天気とは打って変わって、今日は晴れている告別式は滞りなく執り行われ、いよいよ最後のお別れである供花として飾られていた花を手渡され、柩へと歩む柩の中には、愛用品と思われるバッグや帽子、孫たちが折った折り紙などが納められている列席者たちは涙ながらに、思い思いに花を柩に納め、故人に語りかけたり、触れているまるで最後の別れを拒むかのように…そして最後に、親族たちに洋蘭の女王と云われるカトレアの花がひとつひとつ手渡され、故人の顔の周りを飾る【カトレアの花言葉】あなたは美しい故人を送り出すには相応しい花である自分は、柩の左隅にカトレアの花を置いた20輪ちかくのカトレアの花に囲まれている故人は、だいぶ衰えていたそれもその筈、亡くなって、今日で数えで7日経過しているのだ檀家となっているお寺の諸事情で、今日まで葬儀が延びて、その間はドライアイスで保管されていたからだ柩を取り囲む列席者の泣き止まぬ声を断ち切るかのごとく、柩は蓋をされ霊柩車へ火葬場の炉の中に柩が入り、扉は静かに音を立てるでもなく閉まりましたそれは、現世との遮断を意味していましたもう二度と会うことはできないなんだか、言いようのない哀しさと虚無感が胸を突き上げますただ黙って、固く閉ざされた炉の前に立ち尽くすことしかできませんでした約50分後…再び、火葬場に戻りました静かに炉の扉が開きます赤々と不気味に燃え上がる故人を焼き尽くした炎遺骨が見えました健康体・または歳が若い場合は、骨は丈夫で量が多いそうですが、年配の方や病気を患っていた場合はお骨は脆く、量も少ないそうです故人も闘病していたせいか、お骨の量は少なかったですその骨の山を見て、これが今まで生きてきたうえでの総決算だと思うと、言い様の無い、なんだかやり切れない気持ちでいっぱいになるのでした初七日の法要も終えると、その足で再び職場へそこには、死とはまるで無縁の、変わらぬ日常の光景、スタッフの顔ぶれがありました哀しむ暇さえ与えてはくれず、仕事に追われるのでした…
2006年05月25日
雷鳴轟き、雨が激しく降りしきるなか、しめやかに親戚の女性の方の通夜が執り行われました生前、故人が『菊は嫌い』と仰っていたので、祭壇に飾られている供花には一切、大輪の白菊は使われておらず、白の大輪カーネーションを主に、白やピンクの百合、淡いピンクのスプレーカーネーション、かすみ草などで飾られていました母は『きれいな祭壇ね』と言っていましたが、花屋に勤める自分としては、厳しい点数をつけざるを得ない供花でした一つ一つの篭の花の挿し方と、花の組み合わせが汚いのですちょっと手直ししたい気分ですみんなまとめて飾って、遠目から見てしまえばなんとか誤魔化されていましたが…人生最後のセレモニーなのですから、妥協せずに仕事していただきたいものですできることなら自分の葬儀の祭壇の花は、自分で活けこみたいのですが、そんなことは到底無理な話であって、自分の葬儀の時は、白菊を使う使わないのこだわりはないので、白・青・紫系の花で祭壇を作っていただきたい間違っても暖色系の花は使用しないこと花で綺麗に祭壇を飾ってくれないと化けて出るから親族席から供花を見て、そんな事を思った中央に飾られている遺影は、自分が脳裏に描く、ふくよかな頃のお写真です数年前の娘さんの結婚式のときのものだそうです嬉しそうにこちらに微笑みかけていますガンの闘病生活で体重が30kgにまで落ちてしまった最期とではまるで別人のようです雨が降りしきるなか、たくさんの弔問客の方が訪れました故人のお人柄が伺えます今春亡くなった祖父の通夜の時は、90歳という高齢の為か友人の方は皆無で、弔問客は町内会の方が多く、涙を流している方はいませんでしたが、今日の故人は先立たれるにはまだ早い方だったので、目を真っ赤にして、涙を流す弔問客の方が後を絶えず、涙腺がゆるんでいても涙を堪えていた自分は、もらい泣きするのでした
2006年05月24日
祖父の納骨以来だから、実に17日ぶりの休日であるしかし、久しぶりの休日に胸弾ませるわけでもなく、ゆっくりと静養するわけでもない午後の昼下がり、母に付き添い、2日前に亡くなった親戚の女性宅へと向かったなかなかこんなお宅訪問は無いので、気が重かったが、玄関先でヨレヨレのTシャツを着て洗濯物に勤しむ娘さんの旦那さんを見たら、多少なりとも肩の荷が降りた玄関を入ると、居間続きの狭い和室を半分陣取る医療用のベッドが目に入った花が好きだった故人を偲ぶかのごとく、淡い色調の花が所々に供えられているベッドの前につくられた祭壇には、故人の好物だったものが並べられていた母も、生前好きで食べていたという、桜の花びらの塩漬けがのったあんぱんをお供えしたお線香をあげ、手を合わせ…いざご対面である思い返せば、最後に会ったのは数ヶ月前、病室に見舞いに伺ったときであるどちらかといえばふくよかで、笑顔の素敵な方だったが、闘病生活のせいか、痛々しい程に痩せられていた病室を訪れた自分の顔を見て、弱弱しいながらも笑顔を見せてくれたとき、多少なりとも昔の面影は残っていた今でも、その笑顔は脳裏に焼きついている亡くなる当日の午後、会った母は『だいぶ顔が浮腫んでいた…』と言っていたが、今、顔に被せられている白い布を捲ったとき、その透き通るような白い肌に驚かされるのであった母も『綺麗な死顔』と呟いた綺麗に整えられた髪…深く瞑る目…横たわる小さな身体…決して目覚めることはない、二度と笑うことはないが、不思議とそこには死を感じなかったのである深い眠りについているようであった母と家族の方々は故人の昔話に花を咲かせている2階では、遊んでいる子供たちの無邪気な声が飛んでいる引っ切り無しに訪れる弔問の方々…自分は、母を置いてお暇させていただくことにしたずっと正座していたので、足が痺れていた外に出ると、気持ちのよい青空が広がっていた駅に近いせいか、買い物客で商店街は賑わっている親子連れ、夫婦、カップル、友達同士…人々は思い思いの日曜の午後を過ごしている今自分が目の当たりにした、一人の女性の死がそこにはあったが、一歩外に出てしまえば当たり前の日常の風景がそこにはあった生と死…なんだかそのギャップの差に虚しさを覚えてしまった世界中では、1年に6千万人の方々が亡くなり、1億4千万人の生命が誕生している
2006年05月21日
深夜2時…出勤の為に起きると、居間で母が目を充血させて悶々としていた昨夜、癌で闘病中だった仲の良い親戚の方が亡くなったそうであるその親戚の方は、年明けから治療の為入院していたが、あらゆる治療を施したが結果が出ず、医師から余命ももって今年の夏と宣告されていた本人のたっての希望で、『家に帰りたい』とのことだったので、つい1週間前に自宅に戻ったばかりでだった昨日、家族の方から『容態が変わった』との知らせを受け、母は庭にあったマダガスカルジャスミンの鉢を手にお宅へ伺ったそうなお見舞いには、鉢物は“根付く=寝つく”という語呂合わせからタブー視されているが、甘い香りと可憐な花を咲かせるマダガスカルジャスミンの花を見て、少しでも元気になってもらおうとの母の思いであった起き上がることもできずに、ずっと寝たきり状態で筋力が衰えているので、見舞いに行くと母は必ず脚を揉んであげるのだそうだ昨日も、脚を揉んであげ、反応が返ってくることは無くとも、いつまでも他愛の無い話を話しかけていたそうないつもは病院の見舞いの時でも、一時間ちょっと顔を出して帰ってくる母も、その日に限っては、夕方遅くまでお邪魔し、後ろ髪をひかれる思いで帰ってきたという虫の知らせだったのだろうか……マダガスカルジャスミンの花言葉は【清らかな祈り】・【二人で遠くへ旅を】家族の方々や母の祈り空しく、親戚の女性の方はひっそりと息を引き取りましたマダガスカルジャスミンの汚れない花が、清らかな香りが、届いたかどうかは今となってはわかりません……間違いなくいえることは、今も故人のそばで、マダガスカルジャスミンが彼女を見守るかのごとくひっそりと咲いていることだけです
2006年05月20日
昨日の母の日までの持て囃されようとはうって変わり、今日のカーネーションは全く見向きもされませんひっそりと、脇に鎮座していますきっとお客さんは、“売れ残りのカーネーション売ってるわ”とでも思って見ているのでしょうそのとおりです!!否定はいたしません…それでも、昨日渡しそびれたのか、1日遅れの母の日の為に数人カーネーションを買ってくださるお客様がいらっしゃったのでした
2006年05月15日
鼻パックをした小鼻の毛穴の黒ずみや角質を除去して、ツルッツルの鼻を目指すまずはローション?を塗り、乾かぬうちにパックを塗るこのパック、炭入りなので真っ黒であるで、待つこと10分乾いたパックを剥がすと、激痛が!めくったパックを見ると、毛穴の汚れや角質とともに、皮膚が……鏡を見ると、鼻のてっぺんの皮膚が剥がれて、赤くなり、うっすらと血が滲んでいた綺麗な小鼻どころか傷物に……♪真っ赤なお鼻の~ トナカイさんは~
2006年04月21日
散歩がてらに、職場からちょっと離れたコンビニへと向かう途中、額に何かが触れた気にも止めなかったのだが、しばらくして気づいた雨だ出る時は気づかなかったが、空を見上げるといつの間にか暗雲が立ちこめていた今さら戻るのも癪なので、そのままコンビニへ雨は次第に降ってきた突然の雨に、町ゆく人々は傘を持っていないので足早に歩いているそれでも、余程の神経質でなければ傘は必要が無いほどの降りである買い物を済ませて帰る途中、雨は本格的になってきた神様はいじわるである左手は街路樹、右手は空き地…身を隠す場所が無く、ひたすら雨に打たれるなんだか惨めであるそれでも足早に歩いていたが、とうとう雨の降り方が激しさを増してきたので、マンションの駐輪場に身を寄せた職場まで、あと5分の距離である待てども待てども雨は止むどころか、弱まる気配すらない意を決して、職場まで猛ダッシュ!帰ってきたずぶ濡れの自分の姿を見て、スタッフ達は“何事!?”という目で見るのでしたそこで、年配のスタッフから一言『水も滴るいい男ですね』滴りすぎだよ……夕方には、突然雹が降ってきたりと、不安定な天気の一日でした【水も滴るいい男】つやつやしていて、美しいさま(ネット調べ)
2006年04月08日
また手荒れが酷くなってきたそれも今年最も酷い手荒れである手の甲は、縦横無尽全体的にひび割れ、そこから血がジワジワ湧き滲みでてくるあまりにも傷がたくさんあるので、指の形が変形してきた(もとに戻るかな…)指の皮膚の層ってこうなっているんだぁ…と割れた傷口を眺める自分(身を犠牲にしています)手を洗い、タオルで拭くと血が点々とタオルにつきます(なので、タオルを使わずティッシュで押さえ拭くるようにしました)ちょっとでも指を動かせば、ひびが割れ、血が滲むご飯を食べるときに持つ箸、字を書くために持つボールペン…かなり苦痛な動きで、日常生活にも支障をきたす程だそんな自分の手を見て、百人中百人が『どうしたの、その手』と口を揃えて言う『手荒れですよ』毎日冷水に水を浸し、土を弄くる…花屋は避けては通れない職業病ですそれにしても、我ながら酷い手荒れだと思うもともとが肌が弱いからだろうね一回、軍手をしながら作業したのだが、軍手を外すとき、傷口の固まった血に細かい繊維がくっついて離れず、除去するのに手間がかかって以来、軍手作戦は辞めた以来、荒治療と言わんばかりに、痛みと痒みに堪えながら、手をさらけ出しての生活…薬剤師の方から勧められた、酷い手荒れに効くという軟膏を購入して、毎晩塗っているのだが、所詮回復には追いつかずでも、やらないよりは良いしばらくは辛抱の日々…自然治癒を待ちたい
2006年04月02日
今日は祖父の告別式空は青々と澄み渡っています昼前から始まった式は、淡々と滞りなく進行し、いよいよ故人との最後の別れとなりました祭壇の周りに生けられた菊やカトレアの花を、親族が手に取り、皆、別れを惜しむかのごとく、それぞれの思いで、棺の中に綺麗に並べていきます棺には、祖父が長年記していた日記等が納められました普段は涙を見せない母も、号泣していました早くに実母を亡くした母にとっては、これで両親が天へと召されるのですから、その悲しみは図り知れません棺を持ち上げ、霊柩車へ式場と火葬場が目と鼻の先の至近距離の為、ゆっくり走る霊柩車のあとを皆が付いて歩いていくという、なんとも奇妙な光景が…いままで、悲しみという実感が今ひとつ湧かなかったのですが、棺が火葬の炉に入れられ、その扉が閉まっていく瞬間、はじめて涙を流すのでした数十分後…炉から出てきたのは、真っ白な骨のかたまりでしたちょっと前までは想像もつかない程の、変わりはてた状態です親族からは声にもならない嗚咽が漏れています二人一組で骨を拾い上げ、白磁の骨壺へ…一番大きな骨壺を用意していただいたそうですが、体格が良く、大病も患わなかった祖父の骨は立派なもので、骨壺には収まりきらない勢いの量です(年配の方は、骨壺の半分ぐらいの量が平均だとか…)それでも、係の人はなんとかして(砕いて細かくしたり、隙間に押し込んで)骨壺に山盛りにして全納したのでしたそして、あろう事か自分が骨壺を抱える羽目になりました目一杯骨が詰まっているだけに重いです今、祖父の亡骸は、自分の手中に収まる小さな箱に納められていますその重さを噛みしめ、一歩一歩、踏みしめていくのでした
2006年03月20日
春の嵐か、強風が吹き荒ぶなか、祖父の通夜がしめやかに営まれました通夜開始の1時間前に斎場にはいると、すでに親戚の方達が集まっていました親戚づきあいは全くといって良いほどしていないので、知らない方達ばかりです『こんなに大きくなったのォ』『立派になって』と声を掛けられても、相手に記憶が無いので、愛想笑いしかできません式場に入り、親族側の最前列の席へ祖父の遺影は、だいぶ前に行った慰安旅行の写真だそうです今まさに、祖父の通夜が執り行われようとしているのですが、哀しみの感情が無く、実感が湧いてきませんなんだか他人事のようですどうしたことでしょう自分でも不思議ですお坊さんの読経を耳にしながら、弔問客の方へ頭を下げますふと、向かい側の親族席を見ると、遠方から上京してきたのか寝ている人、カメラで通夜の風景を撮影している人などいますそれを見て、正直驚いてしまいました通夜・葬儀は厳粛な雰囲気で挑むものだと思っていたのですが…あまり、自分自身が葬儀慣れしていないので、経験値不足なのかもしれないのですが、それでも、故人を送り出すのですから最低限の姿勢はあると思いますそんな自分はと言うと…茶髪で通夜に出ました(一番の非常識との声もちらほら…)親族・親戚、弔問客の方々含め、誰もが、祖父の突然の死に驚きを隠せないようでした皆誰もが『百歳までは生きると思っていた』と何より、祖父本人がそれを望み、また、堅く信じていました享年9○歳…その死は早かったのかどうかは、それぞれの胸の内にしか判りません…
2006年03月19日
仕事を終え帰宅すると、昨日倒れた祖父が、今日昼前に亡くなったことを知らされた突然倒れて、その日に危篤状態翌日には永眠…あまりにも駆け足に事が過ぎていったので、正直哀しみという感情が湧いてこない祖父に最後に会ったのはいつだろうか?考えてみたが思い出せないが、最後に言葉を交わしたのは、今年の冬に『なんだ、その頭は!』という、自分の茶髪を非難する祖父であった歩いて数分の距離にお互いの家がありつつも交流は殆どなかった正直、祖父はあまり好きでなかった商売をやっていた為、人の顔を見る度に『店を継げ』と口喧しく言うからである人の話は聞かず、自分の意見だけを押し通す頑固者であった今では、跡継ぎもおらず、店は畳んでしまった祖父にしてみれば、自分が始めた店だけに、さぞ心残りだったに違いない大正一ケタ生まれの祖父…大病らしい病気は何一つせず、亡くなる数日前まで近所を自転車を漕ぐ姿があったという苦しむ間もなく、あの世へと旅立つ…その死は、哀しむ暇をも与えない、あまりにも唐突な別れであった
2006年03月17日
今日はとても寒いもう3月だというのに…こんなに寒いとは思ってもいなかったので、今日はいつもより薄着で来てしまって、ちょっと後悔何人かのスタッフは雪が降っているのを見たと言うが、あいにく自分は気づかなかったしかし、これだけ寒いと手荒れがまた酷くなってしまう案の定、午後にはあちこちの指や手の肌が裂け、血が滲み出してきた指先を曲げる度に、あちこちの傷口が大きく開く『ケラケラケラ……』『クスクスクス……』『おほほほほ……』その傷たちは、まるで大口を開けて笑っているように見えた…
2006年03月13日
朝からバイトの一人の様子がおかしい声を掛けると、風邪をひいて体調がよくないらしいどうしても人手が足りなかったので、そのまま配送に出てもらった『気をつけてね』これが、悲劇の幕開けだったとは、その時は思いもしなかった……しばらくして、体調を崩していたバイトから連絡が入った追突事故を起こしたという事情を聞くと、信号待ちをしていた大型トラックに追突、幸いなことに相手側の運転手に怪我は無く、車もひどい損傷ではないというこちらの車輌はフロントガラスには大きくひびが入り、前面の損傷が激しく、自走は不可とのこと『身体は大丈夫なの?』という問いにも、弱々しい声ながらも『大丈夫です』と言うので、ひとまず安心する警察を呼び事故証明を取らせ、保険会社に連絡したり、レッカー移動の手配、他に配達に出ているスタッフに現場に急行させたり…と、色々な段取りを組む作業に追われる事故の一件を社に報告すると、当然自分が叱責された『管理がなっていない』『体調が悪いのに、なぜ仕事させた』こちらの言い分もあるが、自分の判断が引き金になった事は否めない悔やんでも悔やみきれない“あの時、帰らせていれば…”しかし、事は起きてしまったのだから現実を受け止めざるを得ない午後には、事故に巻き込まれた先方の会社から電話が掛かってきた言っていることは正論なのだが、軽い脅しであるこちらに全面非があるだけに、丁重に謝罪の言葉を繰り返す一筋縄ではいかなさそうな相手である厄介なことにならなければいいが…夕方、彼は帰ってくるなり自分に向かって頭を下げてきたその思い詰めた悲痛なまでの顔を見ると、怒りの言葉は出なかったよく見ると、顔には衝突の際に負ったと思われる打撲痕ができている膝も痛めているらしい“全然、大丈夫じゃないじゃん”なんだか、悲しみにも似た怒りがこみ上げてきて口に出してしまった『体調が悪いんだったら、無理しないで仕事休んでいいんだよ色んな意味で遠慮しているのが見受けられるよ』自分が無理に仕事をさせたが故に起きたのに、半ば八つ当たりのような発言だが、これは、自己主張せず、常に一歩下がっている彼の為を思っての言葉だった今回の事故をどう受け止めるかその答えを出すのは、他の誰でもない彼自身であるそれがいかなる結果であれ、自分は真摯に受け止めようと思うそして、自分は…同じ過ちを繰り返さぬよう気を引き締めるのであった
2006年02月25日
ここ最近、寒さが厳しいのと、乾燥しているせいか手荒れが酷くなってしまいました指から手の甲まで、あらゆる場所の皮膚がひび割れて、血がじわじわ出ています痛いし、痒いし、手先を動かそうものなら、曲げた場所の皮膚がパックリ割れて、血が顔を覗かせます手の甲はまるで、マスクメロンの網目模様のように、真紅の血で模様が出来ていますこればかりは、我慢の一言に尽きます毎年恒例の冬の風物詩ですから帰宅してから、ハンドクリームでケアしようとしたら傷口に染みて、思わず声をあげて悶絶…触らぬ傷に祟りなし自然治癒を待ちます
2006年02月05日
会社へ出勤しようと愛車をガレージから出しているとき、何か違和感を感じていたと、車を見て親が叫んだ『パンクしてるわよ!』見るも無惨に左後輪のタイヤがパンクしている“なんで?”“いつの間に!?”呑気に考えている時間などある筈が無い今、目の前に起きていることが現実であるガレージに車を戻し、始発電車で職場へと向かったのでしたそれにしても、ここ数日間は予想外の出費が多くて悩まされる
2006年02月02日
車の運転中に、スタッフの一人から電話が入る仕事の指示を仰ぐものだったので、的確に指示していると…【ウ~~~……】サイレンの音の方に目を向けると、白バイの人が…!そうです、運転中に携帯電話を使用していた為、白バイに摘発されてしまったのです“仕事の電話だったのに…”と思いつつ、素直に指示に従い、素直に聴取されました最後に指紋をとることになり、『左手の人差し指で』と言われ、差し出すと絆創膏をしていることに気づきました『じゃあ、右の人差し指で』ところが、右手の人差し指にも絆創膏が…職業柄、手荒れが酷くてあちこちヒビ割れていて、7本の指先に絆創膏をしていたのですその手を見た、白バイ巡査部長は『仕事大変なんだね。空いている指でいいよ』と言ったのでしたそれにしても反則金6000円は痛い出費です善良な都民から金を巻き上げるだなんて…(ちゃんと支払いますけどね)そこで金策の解決策…昼食10日間無し!
2006年01月30日
得意先に花を納品していざ帰ろうと車に戻ると、鍵がないことに気づく“エプロンのポケットの中に入れた筈なんだけど…”隅々ポケットを探ると、指が突き抜けてしまいましたそうです、ポケットに穴が開いていたのです鍵が無ければ帰れませんしかし居所の見当は大体ついています車を降りて、自分が歩いたルートを辿れば、途中で見つかる筈なのです血眼になって、歩いた道の周囲を探すこと、数分間…無事、床に落ちている鍵を発見したのでしたこれにて一件落着何食わぬ顔で帰社したのでした
2006年01月29日
24日(火)に日本テレビ系列で放送された『ミステリーの女王・山村美紗物語』をやっと今日観ました以前、花屋に勤めていた頃、山村美紗さん宛に胡蝶蘭の配達の依頼がありました山村美紗さんの小説を愛読していた私は、『帝国ホテルに泊まっているんだぁ。届けに行きたいなぁ』と、恨めし顔でいるも忙しくて願い叶わず…その僅か数日後に、宿泊先のホテルでお亡くなりになられたのですそれから程なくして、私は京都へと旅に出ました山村美紗さんがこよなく愛した京都を、この目で観たかったからです初めて行った京都は、見るもの全てが新鮮でした夕闇の渡月橋の風景は今でも目に焼き付いていますあれから、早いもので十年が経ちました……で、番組の感想ですが、山村美紗さんを演じた浅野ゆう子さん、そっくりでしたよ(特に遺影が!)それだけです(正直言って、内容は期待はずれだったような…)数々の作品を世に送り出し“ミステリーの女王”と謳われた山村さん早すぎた死が、残念でなりません
2006年01月26日
朝から降りしきる雪…だからかどうか判らないけれど、今日も出勤予定のアルバイトの一人と連絡がつかない一人休めば、当然周りのスタッフ達にしわ寄せがいく我が上司がその旨をアルバイトの皆に伝えると、あろう事か一人が拒否を申し出たただでさえ寒い朝なのに、職場は瞬時にして凍り付いた上司からは『バイトの教育がなっていない』と云われ、バイトからは『どうしてもあの人(上司)に従わなきゃいけないの?』と云われ…中間管理職は辛いよ、ホントに…雪はやむ気配もなく、降りしきっている…でも、明日には溶けて無くなってしまうだろうしかし、今日勃発した上司とバイトの関係の雪解けはしばらくなさそうだ
2006年01月21日
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