慈母子-智土しげさんの作品:白檀のビーズが優しく香る羽根
新年明けましておめでとうございます。
どうぞ今年もよろしくお願い致します。
今日は、2008年最初の日記と言うことで、少し長いですが、
加賀美幸子さんの著書より、心に響いたお話をご紹介します。
中村久子さんは、突発性脱疽(だっそ)という病に襲われ、
三歳の時両手両足を失くし、以来十四年間痛みは続き、
秋から冬にかけては昼夜の境なく泣き叫んでいたという。
十一歳になった時、母は将来を考え、一人でも生きていける様に、
猛烈な教育をはじめた。 手足のない子に着物を解(ほど)けと鋏を与え、
針に糸を通せと命令し、泣いても振り向かず、出来なければご飯も食べさせない。
でも中村さんは十二歳の終わりには 口を使って小刀で鉛筆も削り、字も書き、
糸も通せ、反物も縫える様になり、勿論、箸を体に縛りつけ一人で食事も出来た。
二十歳になったときには親元を離れ、自ら「見世物芸人」として生きていく道を選び、
不自由な身体で裁縫、編み物、短冊や色紙に文字を書く芸を人前に晒し、
四十六歳まで続けたのである。 堂々生き、亡くなったのは七十二歳。
その苦節の道と、境遇を乗り越えた光の道は、その著作などで広く知られているが、
「何で自分だけがこんなに苦しいのかと考えれば考えるほど
混沌の坩堝(るつぼ)に陥るばかり。 悔やんだり恨んだりではなお苦しい。
しかしそこから無理して抜け出そうとせず、あるがままを捉え、
腹を括ってしまえば、坩堝は坩堝でなくなる。
「抜け出そうと足掻き努力する苦しみ」と 、
「努力出来ることの有り難さ。 努力させてもらえることの有り難さを思うことの喜び」
とは、何という違いであろう。
「ここまで努力してきた。 頑張った」という意識より、
「ここまでやってこられ、頑張れる魂をもらっていることの幸せ」
を思いたいと、中村さんは言う。
病を得る前は、努力すればどうにかなることに対しての
努力の仕方を経験し
病を得てからは、努力してもすぐにはどうにもならないことに対しての
さまざまなやり過ごし方を、発見してきました。
現状維持出来ることへの感謝の気持ちはありましたが、
それはすなわち、努力(effort)できることへの感謝でもあったのだと
この本を読んで気づきました。
今年も、より深く感謝できる一年になりますように。
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