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今日は妹のダンナが東京から遊びにきたので(いつもこの人は夜中の飛行機でくる。しかも滞在はギリギリ24時間ってとこ)で、夜中の10時にメキシコ、ペルー料理のお店を予約した。なんせ本日は(正確には昨日、1日ずれてる。0時過ぎて書くと)週末は店長ミゲエルさんが直々にサルサの踊り方を教えてくれるって言うので出かけました。で、シュラスコ料理なるものをおなかパンパンになるいまで食べその後、動くのもままならないのにサルサを躍りまくった。可愛い、スペイン語ペラペラのわか~~いウエイターのお兄さんが踊り上手で魅惑の腰つきで教えてもらった(爆)1時間ほど汗だくになったあとは、3人でお約束のプリクラを3枚とり帰宅ぅ~~。街は、忘年会シーズンのように混みまくっていた。景気回復してるんだね。本当に。
2004.02.29
一:韓国って使い捨て禁止なのねっ! レストランで金属製のお箸が出てくることは知ってたけどそれも『使い捨て禁止文化』 から来てたとは知りませんでした。よってホテルには無料の使い捨て歯ブラシも付いていませんでした。心なしか、道にもゴミが落ちてないような印象でした。日本も真似して欲しい文化の一つだと思いました。旅行の際は買い物用、エコバックやこっちのスーパーでもらう買い物袋も必需品かも。というのも、コンビニでも袋をあまり好んでくれる傾向ではなかったし有料だと言う話し。レシートは清算する前に必要だと伝えておくべきことだそうです。 二:SUMSUNG MANは韓国の女性に大人気?英語も堪能で入社するのも大変なエリート会社員と評価されているSUMSUNGの社員は韓国の女性の間では『SUMSUNG MAN』と呼ばれ合コンでも人気だそうです。ちなみに医者や弁護士と結婚するには『3つの鍵が要る』そうで、1:車の鍵(しかも半端な車でなく高級車)2:家の鍵3:事務所、もしくは病院の鍵 三:釜山ロッテホテルはやはり最高だったそこで働くほぼ全員が堪能な日本語を喋り滞在に苦労しなかった。展望台があると聞いてはいて楽しみにしていましたがもうなくなっていました。8階にスポーツジム、サウナ&風呂、ネイルサロンなどがある。サウナの利用料は一人8000ウォンホテルの鍵を見せてチェックアウトの際に支払うことも可能。朝鮮人参風呂が心地よかった。 四:韓国は基本的に家賃は払わない?!ちょっとした興味からガイドさんに『釜山の家賃はいかほどですか?』と聞いたところ、『韓国では家賃を払うという感覚はあまりありません。ソウルとか都会では家賃も払うようになってきてますけど、みんな基本的に買ったりしています。家の両親は大家さんに1千万円払ってその金利を大家さんは受け取っています。出るときにその1千万円は戻ってきます』 おぉ~!カルチャーショックでした。
2004.02.28
いつもはヤ●オクばかりで出品していたので楽天のことはあまり知らなかったんだけど、最近になってホムペの存在を知りました。で、今日、思いつきで思いつきのホムペを作ってみましたが、マイナーなSHAWNなので人が遊びにきてくれるかは不明。でも前作、最新絶叫計画ことscary movie2も割と日本でヒット?したから人気でてきてるかも。
2004.02.27
代引きでなかなか受け取ってくれなかった落札者から評価下げられたぁ★★ ↑この話しの続きです 11月8日今、めーる拝見しました。 3日延長させて頂いてご迷惑おかけしたかもしれませんが、代引きですので、仕事を持つ人は受け取るのに到着してから一週間ほどの有余は持っていただいたほうが良いのではないでしょうか?拒否ではなく3日の延長ですから・・昨日の夜 お電話頂き、今日ですから文面がもう少し柔らかくてもと、思います。言い訳のようですが、丁寧に梱包していただいてありがたかったのですが、梱包が仕事帰りに取りに行けるほど小さくなかったので(最初に電話で大きさを確認しておりましたので、)日曜になってしまったのです商品もとても気に入りましたのにこのようなめーるで残念です。 11月10日電話はすみませんでした 何度もご連絡頂いていたとは知りませんでした。昼も夜も働いていますのでたまたま仕事中だったかと思います。いたずらとゆうか、Q2につながる電話が多いので普段より登録していない番号が入っていても折り返しはいたしません すみませんでした。留守電を入れていただいた日、留守電を確認した時間も遅かったのでお電話では失礼かと思い、めーるでご連絡いた次第です。ゆうぱっくの期間が一週間だとゆうことも知っていましたし、不在が届いてから、郵便局には3日の延長願いを電話で入れていましたので、そちらに返送される手続きなどもなかったかとおもいますが?・・わたしが残念に思ったのは文面の問題です。受け取れない一週間の間にメールで(もしくは留守電に)ご連絡いただき私がそれを無視していたなら前々回頂いためーるの内容でも納得できます。それにさきほどのめーるで 仕事が忙しくても電話できる っと頂きましたがわたしは前々回のメールで郵便局に電話を入れていたことはちゃんと書き入れましたそれも見落としているとゆうことではないでしょうか?上にも書きましたが、もしメールを頂いた上でお電話を頂いていれば見知らぬ番号が電話にのこっていたなら深夜であってもご連絡したかと思いますが、実際、私は●●様が何度も電話を入れていただいていることも知りませんでしたし普通 見知らぬ番号が携帯に入っていても折り返ししないとおもいませんか?留守電も3軒しか入らないのでもしかしたら留守電に切り替わらなかったのかもしれませんが、そうならばなおさらメールでご連絡をとも思いますし、しかも受け取った次の日にお返事を書いて受信しためーるの確認をしたらいきなりあの文面でしたので残念に思いました。わたしは代引きでも振り込みでも商品を受け取ったあとはお取り引きさして頂いた方には必ず連絡を入れています。それくらいの常識は持ち合わせて居るつもりです。わたしも買うばかりではなく売る立場になることもありますがもしわたしが●●さんの立場でもあのような文面のめーるは送らなかったっと思います。感覚の問題でもあるかとは思いますので押しつけるつもりはありませんが、そんなに不安におもわれるならば代引きはおやめになった方がいいのではないでしょうか?自分で注文した郵便物を拒否するような人が手数料だけを振り込むとは考えにくいと思います。長々とお返事いたしましたが商品はとても気に入って使わせて頂いています有り難うございました。 11月10日おっしゃっている意味が分かりません最後のお取り引きのメールをしてからは、メールは一度もきていませんよこの次点で、送信BOXにあるメールを2度にわたって送信しました。 11月10日こんな言われかたしてなっとくできるわけないじゃないですか?●●様と10月26日にめーるにてお取り引きして次にメールを頂いたのは 簡易裁判の手続きにっとゆう、11月7日のメールです。7日は帰宅が遅かったのでめーるはかくにんできませんでしたので、実質、商品を受け取ったのは7日ですが受け取った時間が深夜12時を過ぎていたので、私が商品を受け取った連絡を入れたのが 11月8日の朝です。メールを無視したなどとゆうのには1日以上たってからゆう言葉ではありませんか?おかしですよ だから、2回も送信したメールをヘッダーつきでおくってるでしょ~~がってかんじです。しかも今までメールにまったく返答なかったのに急に饒舌です。評価でもいい対三昧。っていうか、やはり強硬手段に出るといわれなければ支払う気はなかったのかも、、。 書いたらちょっとスッキリというか、これ以上相手にしないほうがいいよね、、って気になってきました。まぁ、評価はマジメにやればついてくるし。ちなみにオクやビダーズではこんな問題にあったことないです。 ちょっと後悔していることは、この人の饒舌なメールに反応してしまったことです。今度からこうゆう方には反応しないよう反応しないようにします。 とりあえず今回の経過も含めて楽天に通報してるので、この結果も伝えておきました。本日11月11日も、この落札者がなにやらしつこく悪い評価を送ってきた。10日以上こっちのメールも電話も無視していたと思えないくらい急にマメになっている。もう読む気がしないというか、相手にしても仕方ないと思うし何か言っても気分悪くなるだけなので無視している。とっくにトラブルユーザ登録しているわけだし、本当放っておいてほしいなぁ。まぁ、なにもれす付けなければ消えてくれるかな?
2004.02.26
私にはコッカスパニエルの愛犬チャピがいる。1991年 9月6日生まれ。現在13歳ですが、毎日子犬のように走り回る元気な子です。チャピはNYブルックリン生まれでそして4歳までブルックリンで育ちました。チャピが4歳のときに譲り受け私が3代目の飼い主です。チャピとの出会いのキッカケは『BUY ’N SELL』という雑誌のペットあげますコーナーに掲載された、『コッカスパニエル4歳。息子が喘息の為、手放すことにしました。SWEET HOMEを探しています』といった記事でした。私はすぐいそこのご家庭に電話をしてチャピを見にいきました。チャピはとても大きな家のプエルトリカンの大家族で飼われていました。シャンプーをされてドライヤーまでかけてもらったチャピはフワフワでとても綺麗な毛並みをしていましたが、彼の第一印象は『馬みたいな顔の犬。う~~ん。好みではないかも』4歳、もう大人になってしまった犬を飼うのは初めてでしたし慣れるのかとか不安はありましたが、犬を飼う時は、ペトショップではなくて、『家を必要としている』子を飼おうと心に決めていました。でも、そんなチャピが遊んでもらおうとボールを持ってきた瞬間に彼の魅力に気が付き、やはりこの子を飼おうと思いました。そう伝えるとそこのファミリーのご主人が口を開きました。『この子は、ボクで2代目の飼い主なんだけど、最初の飼い主が奥さんをABUSEする人で、男が殴る姿を見て育っているから男の人は嫌いだと思うよ』と言われました。少しそのファミリーとお話しして、地下鉄の駅まで送ってもらって車から降りる直前に『私にちゃんとついてくるかなぁ??』とご主人に尋ねると『ちょっと心配だよね』と言われながら車を降りるとチャピはトコトコと嬉しそうに地下鉄の階段を降り始めました。その瞬間、なんとなくチャピと出会うのは運命だったのかな?と感じました。地下鉄の一番すいている車両に乗り、QUEENSの私の家を目指していました。チャピは大人しく座っていましたが、私は心の中で『チャピはあんな立派な家の子だったのに私の狭いボロ家で大丈夫かいな??』などと心配していましたが、その心配をよそにすぐに私の家にもなついたようでした。けれど、何度かリビングにオシッコするという粗相をしたのでそんなに怒るというほどではなく、おしっこのところに連れてきて『ここにしちゃだめでしょ!』などとさとしていたときの事でした。チャピは、突然私の腕に噛み付いて歯を剥き出しにしていました。そして震えていました。私はおしっこの粗相ではなくて飼い主に歯向かったことで体罰を加えることにしました。棒で叩きましたが、チャピは相変わらずスゴイ形相で私を睨み付けていました。そして震えているのです。その日はそれで終わりましたがチャピはどこかショボンと小さく丸くなっていました。そういったことが数回ありました。そのうちチャピの元の飼い主『奥さんを殴っていた』という飼い主にチャピも殴られていたかも、そして人間に又自分が傷つけられるのではないかと恐れていること、、を私も学習しました。それから、私はチャピに噛みつかれても、体罰を加える代わりにチャピの目線まで下がって、歯をむいているチャピの体をギュッと抱きしめてやることにしました。4年間よそで暮らして、急に飼い主ヅラされてもチャピだってこまるだろう、、信頼関係が大事だよね、、、と思うようになったのです。チャピはだんだんと私に信頼を寄せてきてくれました。その後、ルームメイトのゲイの子にチャピを託して私が道を分かれてどこかに行こうとしても振り向き振り向きで素直に私のルームメイトにも連いて行かないほどチャピはとにかく私にべったりの子になりました。その後、プエルトリカンの家族の方がチャピに一度だけ会いにきたのですがチャピはお気に入りのぬいぐるみを加えて出迎えたもののぬいぐるみを取られたくないのか、威嚇の声を出してそのまま引っ込んでいきました。あんまり前の家庭好きじゃなかったのかな??と思いました。チャピは面白い子で、私がつきあっていた当然ストレートの男性が家に遊びに来ると、ヤキモチからなのか、それとも、チャピが嫌いな『男』から私を守ろうとしているのか私の膝に乗り、その男性に威嚇の声をあげ、近づけないように試みたりしていました。けれども、私のルームメイトのゲイの彼にはそんな事はしたことありませんでした。1999年、家の父が死去したので、日本に帰国ということになりました。急なことでしたが、必要な書類などを獣医などから集めて日本に連れ帰ることにしました。チャピを$160で飛行機に乗せ福岡の検疫所?で20日ほど拘留された後、熊本までやってきました。今は13歳になりました。今も元気で真冬の川に飛び込んで泳いだり走り回ったりしています。このまま現役で20歳までは生きていてくれると信じています。
2004.02.25
イザベルは、私がNYで暮らしたルームメイトの中で一番気を使わずに暮らせたルームメイトでした。彼女と初めて出会った夜に、私は彼女に一緒に住まないか?といわれ、その夜に泊まりに行き、すぐに気に入って、翌日には荷物を運び込んでいました。当時、とても治安の悪いホテルに滞在していましたが(この話は、又詳しく書きますが)他に、選択主はなかった上に偶然にもその次の週から突然そのホテルの家賃の値上げも通告されていたので途方にくれていたところでした。私は彼女と出会えたことに感謝しましたし、今でも感謝しています。 彼女の職業はストリッパー、2人の子供のほかに3人彼女の故郷ドミニカ共和国にいたようで、子供の父親が世話をしていたようでした。イザベルも巨大なファミリーの出身者で父方に12人、母方に8人合計20人ほど兄弟がいたようでした。そのうち数名はドラッグディーラーになったりあまりよくない事をしていた兄弟もいたようで殺された兄弟もいたようでした。イザベルはラテンの血が騒ぐとでも言うのでしょうか?恋をすると瞬間的に燃え上がるのも早いのですが冷めるのもあっという間でした。大体、ボーイフレンドの周期は2,3ヶ月というところでした。その中で、一番気の毒だったのはエディというコインランドリーを経営していた妻子持ちの男性だったのですが、イザベルの魅力と情熱でしばらくのあいだは家族とすごす時間よりもイザベルと過ごす時間が多かったようでした。 ある夜(明け方5時くらい)、外で争う声が聞こえてきたので窓から顔を出すとそれはイザベル、イザベルの妹?、エディししてエディの嫁がもめていました。エディの嫁はプエルトリカンだったのですが、喧嘩はスパニッシュと英語がごっちゃになっていました。まぁ、日本語に直したら、『この泥棒猫!!』みたいな内容だったのですが、後で話を聞いて分かったことにはどうやらエディの嫁が、イザベルが働いているストリップバーを嗅ぎ付けて乗り込んできたらしいのです。暴力沙汰にはならなかったようですが、エディは嫁に離婚されてしまう羽目に、、車なども取り上げられたようでしたし、彼にとって一番つらかったのはまだ小さい娘とは月1度しか会えない事になったようでした。そんなことはあったのですが、イザベルがエディに対して興味を失うのにそんなに時間はかかりませんでした。イザベルはキッパリ『男はね、お金とSEXだけで利用すればいいのよ。男はね、良い子は嫌いなの。男が好きなおはBAD GIRLなのよ。』と、言い放っていました。エディを家に呼び付けておいて、違う男の人と部屋でしけこんでいるような事もしていましたが、エディはイザベルに『彼は仕事先のマネージャーで肩がこってるって言ってたからマッサージしてたの』などと言われると納得してしまうのでした。まさに、不二子ちゃんにもて遊ばれるルパン状態??でした。(注:ルパンは本当は不二子ちゃんに遊ばれてくれていると思ってますが)エディもイザベルに捨てられてしまい、家族も車も財産も親権も全て失いました。 そんな彼女でしたが私にはとてもナイスでしたし、大好きなルームメイトでよく一緒に遊びにも行きました。子供たちも私によくなついていたので一緒にNINTENDOしたり映画見たり日本の童謡を教えてあげたりとしていました。メキシコ人のベビーシッター兼ホームヘルパーのルペもいたので、美味しい料理も食べさせてもらっていました。 そこを引っ越そうと思ったのは、イザベルの妹?とかいう女性が越してきたりまたその女性が見知らぬ人を沢山連れてくるので心休まる時間がなくなったということでした。どうも私はこのイザベルの妹もどきとソリが合わない感じでした。そろそろ一人で暮らそうかな、、、そんな時期に来ているのも感じたので私は引っ越しました。 それからしばらくはイザベルとの交流は続いていました。私のGAYの友人REUBENが同棲していた彼氏と別れて暮らす場所がなくなりしばらく故郷のインディアナに帰郷していたもののNYに戻りたくなったそうでイザベルのアパートにルームメイトとして入ることになったこともありしばらくはイザベルとの交流は続いていました。そしてイザベルに新しいボーイフレンド、リッチーができました。リッチーという新しいボーイフレンドと出会ったのは近所の道端だそうです。イザベルはある日私に泣きながら話しました『リッチーはね。不治の病だって言うの。後、何年いきられるか分からないって』イザベルがボーイフレンドの事で泣くのを見るのは初めてではありませんでしたが私はリッチーと会った事もありましたし、とても彼はそんな病気を患ってるとは信じられませんでした。リッチーはとても嫉妬深い男性でイザベルがストリップをしていることも気に入らなかったようで仕事にも行かせなくなりました。ウエイトレスの仕事も、客がイザベルに色目を使ったらいけないから、、、という理由でさせないようでした。リッチーの『不治の病』もどうやらイザベルの心を自分にむけておく作戦だったようです。 イザベルはリッチーの子を孕みました。 今までになく切迫した生活難でイザベルとリッチーの痴話喧嘩は絶えなくなっていたようです。仕事に行かない、リッチーには甲斐性ない(リッチーも仕事してない)そうなると、家賃も払えない、、、その頃のイザベルに会ったことが会ったのですが昔はスーパーに出かけるのに支度に1時間かけて艶やかで美人だったのに、髪はぼさぼさでみすぼらしいオバさんになっていました。生活はルームメイトから入る家賃を当てにしていたようでREUBENの他に2,3人ルームメイトを入れてその家賃を、大家に払わずに生活の糧にしていたようでした。 REUBENはそのことに腹をたてて家賃をイザベルに納めなくなりました。REUBENの人間性は又詳しく書くことにして、多分REUBENは家賃を払わないでいい口実を探していたのだとは思いますが『ぼくは人生でずっと人に利用されてきた。これ以上誰かに利用されるのは沢山だ!これ以上誰かに利用されるくらいなら死んだほうがマシだ!ボクを追い出したいのならイザベルは僕の屍を乗り越えてからにすればいい!』と主張していましたが、あっさり、ナイフをもったイザベルに追いかけられて非常階段からつたわって逃げて私の家に転がり込む羽目になったのですが、、、。 それからしばらくイザベルとは音信不通になりましたが、数ヶ月した頃イザベルの友達にバッタリ会いました。『知ってる?イザベル死んだんだよ。リッチーがね。臨月のイザベルを蹴って殺したんだよ。でも、子供の世話とかさせなくちゃいけないから誰もリッチーの事は通報してないんだよ。イザベルは病院で死んだけど、運ばれてきたとき押しても反応なくて植物みたいだったよ。死んだけど、遺体を運び出すのにお金がなくてね、、』という話を聞いた。そしてメキシコのホームヘルパーが私に連絡を取ろうとしていたとも聞いた。悲しいとか涙が出るとかそうゆう感覚ではなかった。ただ、時がたつにつれて『あ~。もうイザベルと遊びにとかいけないんだな』と感じるし、今でも思い出すし、楽しい事も沢山あったと思う。1セット$1000以上する鍋は買ったし、何かと高級志向だったし浪費家でおっぱい$3000かけて大きくしたのに死ぬときはご遺体を運び出すお金もないなんて、、、、あんな艶やかだったイザベルなのに、、、そんなことも思った。 リッチーにも道端で数回会った。『イザベル死んだんだって?』聞いてみた。『そうなんだよ。医者が臨月のイザベルに変な薬を処方したみたいでさ。医者を訴えようかって考えてるところなんだよね』彼はそういった。誰が本当のことを言ってるのは分からない。
2004.02.24
私が初めてShawn Wayans の事を知ったのは1990-1994までやっていたIn Living Color という大人気のTV SHOWを見たときでした。このTV SHOWはJennifer Lopez やJim Carrey (当時はJames Carreyだった)が出てた今見てもかなりツボにはまれるコメディ、バラエティ番組でした。Shawn Wayans は当時SW1という名前で番組のDJのフリをしていました。え~~なぜフリかというと、当時も見たら回してないのは十分分かってたんですがConan O'Brien という番組でゲストで出たときに『本当にDJしてたわけじゃないよ。僕はActorなんだからDJを演じていたんだ』と言って笑いをとっていました。そもそもIn Living Color のクリエーターはKeenen Ivory Wayans 、彼の一番上のおに~~さんなので、Keenen Ivory Wayans のおかげでこのSHOWに出演できるという印象を常に私は受けていました。WAYANS FAMILYは10人兄弟で元もとNYのプロジェクト(アメリカの低所得者用アパート。一般的に治安もあまりよくない)で貧しい生活していたのですがそこを抜け出せたのはKeenen Ivory Wayans のお陰だと兄弟たちは感謝しているようです。兄弟たちは幼い頃からとても密接な愛のある環境で育ったようで一番末の二人Shawn Wayans とMarlon Wayans が喧嘩をすると母親はKissさせて仲直りさせてあげていたようです。実際に私がLAのGower StudioにShawn Wayans とMarlon Wayans のTV SHOWの撮影現場を見に行ったときも撮影の合間にHUGとかKISSとかしてました。本当に仲の良さそうな兄弟でした なにせ兄弟が多いのでベットも雑魚寝状態なので誰かがおねしょをする年頃でなくなってもまた誰かがする、、、つまりいつもベッドではおしっこをかけられてた、、なんて後にKeenen Ivory Wayans は語っていました(笑) と、話がズレましたが私はIn Living Color を見ていた頃はShawn Wayans が一番男前だとは思っていましたが、DJはしてるフリだけだし出番もそれ以外ないし、今いち才能ないんじゃ???みたいな気持ちがあって魅力を感じながらもDamon Wayans のファンでした。その当時、Nell's でShawn Wayans とMarlon Wayans と見たよ~~。二人ともスッゴイいい子だったって!!なんて話を聞いたりもしてましたがDamon Wayans じゃないと興味ないや!と、軽く流してました。友達はNYヒルトンホテルの前でDamon Wayans を見かけてじっとみてたら手ぇふってくれた~~なんて話も聞きました、、その時は少しJelousしたもんでした(笑) なぜだかShawn Wayansの事はむしろ嫌い、、、なんて気持ちになりShawn WayansとMarlon Wayans のTV番組WAYANS BROTHERS(1995-1999)も最初は全く見ていませんでした。 そうこうしているうちに私は好きな男性ができて少し付き合ってたのですがまぁ色々問題があって忘れたほうがいい感じになりましたがなかなか忘れられないなんだか毎日とっても悲しい気持ちで過ごしている時期がありました。まぁ、今思い出してもロクな男性ではなくて周りにも『なんであんなの?』といわれてしまうような対称だったし、言うならば手に入らないから欲しいだけの、好きだとか愛だとかそんなものではなかったんですよね。でも、当時は本当に切ない毎日でした。他の男性とデーロしてみて忘れようとしてみましたが無理でした。 そんなある日、なぜか私はShawn WayansとMarlon Wayans のTV番組Wayanas Brothersを見ていました。どんなエピソードだったか忘れたのですがその番組を見ている時にふと『私この人好きかも~~』そう感じました。その瞬間からこれまで好きだったロクデナシ男性のことは頭からも心からも吹っ飛んでしまいました。なんだか不思議な感覚でした。 気が付くとなんだかどきどきしながらDon't Be a Menace to South Central While Drinking Your Juice in the Hood (1996) をレンタルしに行きました。今でも覚えているのはなんかShawn Wayansが寒い冗談したらどうしようなんて身内の映画を見るような気分になったことです。ドキドキしながらみていました。思いのほかDon’t Be a Menace,,,はよくできたパロディ映画で私は一日最低3回は見るようになりその頃にはWayans Brothersも欠かさず見るようになっていました。 (続く)
2004.02.23
今回のソウル旅行はとても格安旅行で29800円、食事は最終日の朝ごはん以外は全部ついていてかなり格安の内容で、ホテルがぼろかったこと意外は、大変に満足した旅行でした。かなりのハードスケジュールで一日に2,3件の免税店を回ったり~なんてこともありましたが、SHOPPINGが嫌いな人でなければ十分楽しめると思います。ただ、今回旅行の代金を支払いに行く際に、『出入国カード』作成費用4500円なるものがありました。もちろん、自分で書くのであれば払う必要はありませんがツアーの参加者のおじさんおばさんたちは支払っていたようです。ちなみにこれが出入国カードの書き方です。難しいものではありませんので依頼する必要はないです。 今回は前回、釜山に行ったときと違って、屋台では食べないようにとガイドさんに言われていました。食べたかったのですが、いずれにしても3回もタップリとお食事がついていたので食べれるような時間もなかったです。それと釜山よりも物価が若干高いような気もいたしました。道路の事情は、やはり車優先、坂道が多く、あまり日本人の感覚からは安全には見えませんでした。ただ韓国でのガソリンが日本などよりも高く、現在レギュラーで135-145円するそうなので、バスや電車を利用する人が増えていて、今現在は、車の数が減っているそうです。ガソリンが高いのに、TAXIなどの初乗り料金なども150円ほどと安いそうでどうやって商売をしているのかが不思議ですよね。それと、釜山では気がつきませんでしたが、配管があまりよくなくて飲食店などでは紙を流さないようにと書いてあり、排泄の際に使用した紙は横のゴミ箱に捨てるようになっているところが多かったです。でもついウッカリ流してしまうことも、、、。観光地にでかけるとみな、日本語が上手なので、韓国人はみな日本語をしゃべれるのでは?なんて錯覚しますが、少し離れると当然、しゃべれる人は少ないし、英語もあまり通じないのでコミュニケーションに困ることも、、、。でも、みなとても親切な印象を受けました。今回は、ロッテワールドにも出かけたので子供たちにも会う機会が多かったのですが、みな、礼儀正しいように見えました。儒教の教えが根底にあるからなんでしょうか?ガイドさんが、日本のお客さんで、韓国のことを朝鮮と呼ぶお客さんがいますがそれは間違えだといっていました。韓国は韓国なのです。それと朝鮮人参、これもやはり間違えた呼び方で『高麗人参』これが正解だそうです。ガイドさんはやはり同じ民族なのに分断されてしまった悲しい歴史の事を語ってくれました。ガイドさんのお父さんの家族は、みな北朝鮮に残されていて、今では連絡も取れない、安否もわからなくなっているそうで、時々ひっそりと涙を流しているそうです。その心を察したガイドの金さんと弟は相談した上で、あるときに売りに出された、北朝鮮が川をはさんで見渡せるお墓の土地を父親に買ってプレゼントしたそうです。父親は大変に喜びましたがあるひ『おい!金!あそこの土地を売れ!』『どうしたの?お父さんあの土地気に入ってたでしょ?』『あの土地が3倍に値上がりしたんだ!売ろう!』ちょっと笑ってしまいました。でも、離散家族、悲しい歴史、そしていまなお続く切実な問題、ちょっと見えましたような気がしました。こっそり愚痴
2004.02.22
今回の旅行の同行者Nさんの愚痴をここに書き込みすっきりさせていただきます。結果からいうと、今回の旅行は何を差し引いても楽しいものでしたしツアー旅行は2人以上で行かないと安くならないので、やはりNさんと出かけることは必須でしたし、そもそもは彼女が見つけていた旅行でした。でももとより、この人がちょっと癖のある人なのは知っていたのでかなり覚悟して出かけました。Nさんは46歳独身、年齢よりも老けて見えますがGYMに通うだけあって体力はあるように見えます。でも女性から見てもあまりアトラクティブな人ではないです。割とサパサパした男勝りを演出していますが実は結構、お局的ねちっこさも感じさせる人です。この方とそもそも喋るようになったのはGYMの駐車場代を払うのに、財布を忘れたから100円貸してください、、、ってことから始まりました。それから彼女は海外にも興味があることを知り、一度YMCAのラテンパーティーに誘ったのが初めて一緒に出かけたときだったのですがこのときも、当日連絡しあって一緒に出かける予定でいたのに、6時からのパーティーなのに5時までなんお連絡もないので、電話してみると寝ていました。結局彼女は30分ほど遅れてパーティーに現れました。彼女は駅前留学していたとのことで、かなりイタリア語と英語には自信持っているようですが、実際のところどこまで喋れるかは今のところ不明です。パーティーが終わってから食事をすることになって、私が知っているイタリア料理のお店に行きました。MENUを見て一言『リーズナブルだね』と言いました。Affordableの方が正解かな?と思ったりしながら中に入って3品注文できるコースを注文することにしたのですがNさんは、相談もなく、さっさと2品決めたあとに『最後の一品決めていいよ』と言いました。そのときに、ちょっと我侭なのかな?と思いました。人間、こうゆうちょっとしたことで人間性が垣間見えるものですよね。忘年会での待ち合わせでも40分ほどの遅刻~。今回の旅行は、年末に申し込みで時間がほとんどない中でやりましたので、私が出かけ(これも本当は二人で出かけるはずだったけどドタキャン~)、旅行代金も立替、立て替えたお金も、正月早々ファミレスまで私が回収にいかねばならなかったし(風引いてたのに)、こりゃぁ~、今回の旅行は相当覚悟しなくちゃ、、、なんて思っていました。旅行の書類を私が持っていくので忘年会の帰りにファミレスで彼女は書いていたものの不備がたくさんあったので私が手直しをしたのですが、書類を持っていく前夜に『書類の確認をしたいから今夜会いたいんだけど』『今、お母さんがきてるんでしょ?わざわざ確認しなくてもいいよ』と私。すると『いいよいいよ。お母さんの事は気にしなくて』って言うか、彼女が自分の書類をチェックしたいってだけで会うのかったりぃ~な~いいよ、いいよじゃないよぉ~なんて思っていたものの待っていましたが、結局、その晩は連絡ありませんでした。そのあとも、旅行の打ち合わせ云々で待ち合わせても、すっぽかされ連絡がないこと3回以上~。う~~ん。この人大丈夫かなぁ?などと思い、飛行場へは一人で行くことを決意していましたしそれを彼女に伝えると『いいよ、いいよぉ~。そんな遠慮しないでくださいよ』とこっちは一人で行くなんて言ったら角が立つかな?なんて心配しているのになんか能天気な答え~少し安心してみたがやはり心配は心配~~でも当日はなんと待ち合わせの10分前には到着したので見直しました。旅行の間はも~彼女のおしゃべり好き、聞くのが苦手、人には厳しく自分に甘い性格が炸裂していました。私たちだってツアーバスに戻るのは最後のほうだったのに(しかもその遅れる原因のほとんどは私でなくNさんだったのに)子連れの姉妹が一番最後にくるのを見るたびに『ホラ!あの人たちまた最後よ』『足手まといにならなければいいけど』などと繰り返していて、結構、相手にも聞こえていそうで恥ずかしかったです。夜は夜で、自分が付き合っていた男性にウン百万貢いでもらっていた話(嘘だと思うけど)、バラエティ番組で仕入れた海外の情報、ブラピのルックスはあ~だこ~だという見ればわかる話もここにいたるまで何度も聞かされたネタなのですが、いざ私が何か話そうとするとあくびをしてその場を離れてしまうほど聞きべたです。私は韓国の俳優さんはペヨンジュンとイビョンホンくらいしか知らないのですが、Nさんが詳しいんです。でもその割りには私が『ヨンさまって上品な雰囲気ですよね』とか褒めると『私は外人にしか興味ないから』『ヨンさまも外人ですよ』『でも東洋人でしょ』だそうです。ツアーで10年以上前に行ったイタリア旅行で、イタリア人に『お嬢さん』と呼ばれただけで、イタリア人と結婚したくなったみたいです~。そういった発言は外人と一人でもつきあってから言ってくれよぉ~といいたいところですがここで愚痴らささえていただくだけにしておきます。で、スッゴ~イ知ったかぶりなんです。お陰で、道に迷うわで大変でしたぁ。知らないなら知らないっていえよぉ~ってかんじでした。韓国も初めてなのに、『美しき日々』かなんかで仕入れた中途半端な知識を振りかざし、私が『ホテルのそばにスーパーがなかったですね。』なんていうと『ほら。市場にいったでしょ?韓国の主婦はね、ああゆうところで買い物するのよ』と、ありえないいいかげんな事までいってしまう人でうざかったです。知ってることであろうがなかろうが、自分が何でも知っているってスタイルを保ちたい人みたいでした。根拠のない自信と、出所不確かな、虚栄とプライドの持ち主でした。そんな彼女にも、20代に8年間付き合った男性がいたそうなのですが、その彼とは1,2年でセックスレスになったそうなのです。というのもとても真面目な人で、妊娠させてしまったら親に申し訳ないから、、、とのことですが、ホンマかいな?と内心思ってしまいました。でも、その代わり?とてもお金を使ってくれたそうです。しかも何百万もです。『私って、気に入らないと絶対にほしくないの。 バイクで気に入った色がなかったからって、わざわざその色を 探してきてくれて現金で買ってくれたり。エアコンも買ってくれ くれたり、、、』内心、この人は虚言癖のある女性なのか若い頃は魅力的だったのかなぁと思いました。多分、前者でしょう。そんなお金のかかるい女性なら、今、このあふれ出る生活感と貧乏くささは説明がつかないからです。『でね、別れたくなったけどここまでお金を使ってもらってると別れにくくって』で、霊能者の先生に相談して先生の力で男性から別れを言ってくるようにしてもらったそうで、その際に、ためてきた貯金を半分もらってくれるように頼まれましたが、断ったそうです。そういやぁ~外にのみに行っても、20代のイケメンを逆ナンして一緒に飲んでおごらせるとか言ってたなぁ、なんで46歳のおばちゃんに20代のイケメンが奢ってくれるんだろう??綺麗とかならまだしも、、、、黒木瞳さんみたいなひとだったら奢ってくれるだろうけど。で、旅先での話に戻りますが、私はホテルについて最初にすることはいつも非常口がどこにあるかを確かめるのです。というのも、これまで人生のうち何度か怖い目にあっているので人間がパニックに陥ると何もできなくなることを知っているからです。乗っていたTAXIの窓をバッドで割られたり、乗っていたTAXIの前を車で横にふさがれて前からデカイ男が出てきたり、と説明していました、そうゆう時って人間、車のドアさえあけられなくなるんですよね。で、最後に、NYでTAXIの運転手に痴漢というか運転手に乗っかられた話をしました。するとNさんが間髪いれずに『DASHIKIさんの弱さが他人から見えてそうなるんじゃないの?』その言い方が、ど~も外人と付き合ってみたいNさんにとっては、外人に乗っかられたことを自慢しているとでも解釈したような言い方でした。っていうか、Yellow Cabの運転手に乗っかられたことなんて自慢にもなんねぇし、怖くて腹たっただけだよ!と、思いました。それと、今回泊まるホテルがあまりにも汚かったのでその話から『ラブホって、回転率とかあげるためにとかで掃除がかなりずさんで、コップとかも洗ったりしなくてシーツも変えないらしいよね』というと、Nさんは誰かにラブホに誘われて『そんな勇気もないくせに』と断った話をはじめました。それを聞いてなんとなぁ~く『もしかしてこの人ラブホいったことないのかな?』と思いました。本当は46歳処女だったりして、、、と思ったりもしています。ありえます。それと、韓国料理を食べていると、サンチュに巻いて食べるのよとか、これをつけるのよ、、、とか知ったかぶりの嵐~っていうか、なんにつけても知ったかぶり。それが本当にウザウザでした。韓国人のガイドさんが、キムチやご飯はいくらでもお代わりしていいから恐れずに注文するようにといっていました。そのときは『ご飯チュセヨ~、葉っぱチュセヨ~』と、大きな声で言ってください。『葉っぱって、韓国語でなんていうんでしょうね?』と私は何気なく言いました。別に答えを期待していたわけではなかたったのですがNさんが『葉っぱってきっと韓国語でもハッパなんじゃない?英語でいうSo Soと一緒よ』と、知りもしないことを自信たっぷりにいっていました。っていうか、何がsosoと一緒なんだ?それと、ホテルで毛抜きをしているNさんにさりげなく『毎日毛抜きしてるんですか?』と聞くと『毛を抜くのが趣味なの』で、間髪いれずに、『自分のだけね!』と、抜いてっていわないでね!的かなり強い口調でいわれましたが頼むわけねぇ~だろ、、と思いました。ってわけで?教えていただいた姓名判断のサイトでこのひとの姓名判断をしてみました。かなぁ~~り当たってるんです。ビックリ!主運 ;当人の一生の中心を司ります。結婚により姓が変わると主運も変わりますが、中年以降に強く現れます。26画:波乱英雄変怪な霊位を示す凶運数英雄的な親分肌で、情も厚く大物に見える反面、片意地で偏屈な好き嫌いの強い個性があるため、こちらが表に出ると、不和が生じ不利不幸を招き、波乱の人生となります。個性が活かされ良い意味に作用すると強い発達運となるのですが、多くは個性が活かされず不和波乱の多い人生になります。また、父親と意見の合わない者もあり、こういう人は相手の立場に立って報恩の念を養う努力が必要です対人運・社交運 ;対人関係や家族・夫婦関係、友達関係に現れてきます。14画:孤独神経質の霊位を示す大凶数破兆があり、浮沈多く神経質、潔癖過ぎて他人に厳しく、そのくせ自分は身勝手なため、家庭運も悪く、夫婦親子の争いも生じやすい。自らが素直になって自分の限界を知り、人との和合に努める事が自らを救うことになります。対人運にこの数字があるあなたは特に注意が必要です。性格 ;当人の外面的な性格を現します。自分が他人からどう見えているのか参考になります。侠気象望型 重厚雅量で、温和なるが意外と反発力強く決断力に欠け、小さな事に心悩ます。豪快偉人の風格を備うる人、ぼんやりして頼りない人などあり。人の制約を嫌い嫉み心と疑い深い。主運6画、16画は天徳晩成なれど、主運26画、36画、46画は英雄的波乱変動で浮沈が多い。晩年運 ;50歳前後から強く現れてきます。ただし、主運と基礎運に左右されますので注意して下さい。名前って大事なのねぇ
2004.02.21
私がNYで最初に暮らした相手は日本人でした。DANCEの仲間で一緒に部屋をシェアすることになったのですが女同士で暮らすにあたって、やはりちょっとした決まり事がありました基本的に、人の食事や、シャンプーリンスには手をつけないことなどは言うまでもなく、トイレットペーパーなどの共有して使うものは折半して買うとかそうゆうことです。それで私が最後まで主張していたことなのですが、男の子は連れてきても泊めてはいけないと言う事でした。というのも、お互いに鍵のない部屋に住んでいて、やはり海外でよく知らない男性が泊まると言う事への不安と、トイレや風呂の共有スペースに男性が入ると言う事はあまり好ましくないと思っていたからです。私の周りでも、ルームメイトの連れてきた男性に物を盗まれたとかそういったトラブルも耳にしました。もしも、そういったトラブルが起きた場合、お互いにどう責任を取るとか曖昧にするよりかははなから泊めないほうがいいと思ったからです。しかし、最初はそれで納得していたルームメイトも、好きな男性その他、親しい男友達などが出来ると、規則を守れない守りたくなくなってきていたようでした。何度か男性を泊めるようになっていたので、何度私から話てみても『家賃は私の分払ってるんだし、私の部屋に誰を泊めてもいいんじゃないの?』『遅くまでここで遊んでいいのなら、泊めても同じなんじゃないの?』というのが言い分でした。彼女の意見も最もだとは思うのですが、私には私の主張もありました。そのうちに、私の同郷の同級生もNYに来ることになったので、あいている一部屋にルームメイトとして入ることになります。彼女にも一応、そのルールを伝えましたが、やはり女性は誰でも一緒です。好きな男性が出来ると連れてきて泊めちゃうんですよね。男の出来ない女のやっかみと思われてもいいのですが、本当に何かあってからでは遅いし、女性だけ3人で暮らす家に男性が泊まるというのは、しかも鍵もないんだよ~お互いの部屋に、、とちょっと頑張って私なりに主張していました。そうこうしているうちに、そうこうしているうちにちょっとした事件が起きました。一人のルームメイトがどうやら付き合っている彼氏と別れ話がこじれ始めて、暴力を振るわれるようになったらしいのです。最初はTAXIの窓から傘を投げ捨てられたり、道端で酒のボトルで殴られたり、首に根性焼きをされたり、、だったようです。それは彼女をかばおうとして同行するもう一人のルームメイトにも飛び火したらしく、そのこも彼の自転車でわざとぶつかられて青タンをつけられたりしていたようです。盗んだアドレス帳から彼女のご両親にも電話されたりもしたそうです。私はその頃は、あまり自分のルームメイト二人に関わらないようにしていたので最初はこのことに気が付きませんでした。しかし、私も知らずにはいられなくなりました。というのも、その彼は、そのこのかばんから住所録、鍵、その他のものを盗み出して夜な夜な家にやってくるようになったのです。来る時間は、深夜3時半頃と決まっていました。音もなく忍び寄って階段で聞き耳をたてているらしく、最初は気が付きませんでしたが、留守の間に、なにやら家にあるカレンダーに見覚えのない落書きなどがしてあったこともありました。危険を感じたので最初は、私たちのAPTのドアの鍵だけ変えました。そして、私はそのストーカー被害にあっているそのこを、知り合いの板さんの家にしばらく置いてもらうように手配もしました。いつ来ているか分からないけれど毎夜決まった時間にやってくるので、その時間まで私ともう一人のルームメイトは喋ったりしながら待って、きた気配、帰った気配を確認してから寝る習慣になっていました。私たちの喋り声を聞いて、その中に彼女の声がするかしないかなどを確認してから帰っていたようでした。ある日、階段の電気がついているのに気がついた私は何気なく消しました。すると、そのときがまさに彼がやってきていた瞬間だったらしくバレたと感じた彼はその日、階段に盗んだ鍵を置いて帰っていました。そしてその晩電話があり『M子の鍵がおちてたから持ってきたよ』とミエミエの嘘をついたのでした。その日を境に一階に住む大家さんにも相談し、1階の鍵も変えました。ここに至るまでも、何度となく警察に相談していましたが現行犯でもない限り警察は早々動いてくれるものでもないようでしたがようやく、なんとかオーダープロテクションとやらを彼に対して施行することに成功したようでした。彼女の家、または彼女のそばに近づいてはいけないという命令です。その後、それを破った彼は確か一晩くらい留置場で夜を過ごしたと思います。詳細は忘れましたが、なんとか事件も収まって彼女は家に戻ってきました。しかし、夜仕事をする私と、朝から学校に行く彼女との時間がなかなか会わないようで、帰宅して軽食を台所で料理するときにに野菜を刻む音で眠れない、、、などと文句を言われたりしてかつての親友はもう親友ではなくなっていました。やはり私の気持ちの中で『アンタの男は毎晩、3時半にやってきていてこっちはしばらく怖い思いさせられた上に眠れなかったんだよ!野菜の音くらい!』って思ってたんでしょうね。言えばよかった。そういやぁ、何年か後に、その男が私が働いているバーにやってきたんですよね。その男は私のこと知らないんです。違う日本人の女性と一緒に。で、その女性の目を盗んで私にウインクとかしてくるんです。その女性にその男の事、どんな奴なのか知らせたかったけど結局出来ませんでした。その後も、その子の受難は続きました。もう一人のルームメイトの子(男に飛び火で怪我させられた子)といつもつるんでいたのですがそのもう一人の子にアメリカ人の彼氏が出来ました。で、その二人でその男性のうちに遊びに行った時、その男が自分の彼女?に『おい。ワイン買ってきて』と使い走りに出したそうです。その隙に、なんとその男は、自分の彼女?の友達に乗っかってきてキスしたそうです。これまでの男に暴力、および性的暴力を受けて、まだ怖さが抜けていなかった彼女は、暴力から逃れるためにキスを受け入れたそうですが勿論最後まではしていないようです。それで、この話は終わりなのですが、その後彼女がバイト先で知り合った日本人女性と友達になり、家にもつれてくる位親しくなっていたようなのですが、そのこがきた直後に彼女のトラベラーズチェック、その他の金目のものが紛失しました。どう考えても、その遊びにきた女の子が犯人としか思えないような状況だったので問い詰めるとその女性は『人の彼氏を平気で寝取ろうとする女だから当然の報い』と、↑で起こった事件のことを持ち出したそうです。悪いことって続くときは何かに魅入られたように続くものなんですよね。私にもそんな経験はあります。どう脱していいか分からない時もあります。その後、その子はフロリダに越して行きました。もう10年以上前のことなので、今はどこで何をしているのか知りません。昔は仲良しだったし、私が赤点とった時は、勉強教えてくれたり親切にもしてくれたので残念な気持ちもあります。親しい人とはルームシェアするものではないのかもしれません。ちなみに、もう一人のルームメイトはその友達に乗っかろうとした男性をずっと信じて?愛していると言っていました。魂は一つしかないのだから彼の愛も本当は一つだとか、スピリチュアルになれれば、どんなことでも乗り越えられるとか色んなことを言っていたのを覚えています。今、これを書いていても、このシチュエーションで男性を泊めるなと言っていた私の主張は正しかったと思います。
2004.02.20
もう10年以上前なんだけど、一緒に一度しかないだろうって大失恋した事がある。こうゆうのって種痘だかなんだかのワクチンと一緒で、一度大きいのをやっておくともうひどいのは今後来ないと思う。おたふく風邪とかに似てるのかな?まぁ、そんな感じ。初めて彼氏と思って誰かと付き合った。それまでデートしてるほかの人とかはいたけど、その人が出来たからもう全部切った。彼氏らしいことは全部してくれたというか、二人でしてたつもりだったというか、毎日会いにきれくれた。無防備だったけど、付き合い始めて一週間で私の自宅の鍵も渡して出入り自由にしてた。今思うと、時期尚早すぎたね。でも、昼も仕事の休みを抜け出して会いに来てくれたり夜も殆ど毎日泊まって帰ってた。彼の職場から5ブロックしか離れていなかったこともあったけどね。こんなに会ってるのに、電話は一日に5回くらいかかってきてた。電話で『I LOVE U』って言ってみた。本当に愛してると思ったから。すると彼は少しマジメな口調で『君の事はとても好きだけど、愛は少しづつ育てていくものだよ』と言われて、軽率すぎた自分お言葉を恥じて、同時に彼のことをもっと誠実な人だと思うようになった。彼のもと彼女はイタリア人で、同棲してたけど、ある夜友達と遊んで遅く帰ってきた彼を責め立ててそれが元で別れたっていってた。こんな彼を信じてあげられないなんて、、、ってそのときは思ってた。毎日が本当に幸せだった。スカートが短すぎるとか、ブラジャーちゃんと付けてだとかそういう事言われる事にさえ、なんだか嬉しく感じてたし一日に20回位kissしてて、道歩いてても、電車に乗っててもバカップル丸出しでいつもkissしてた。幸せすぎて怖いって感じた事があった。でも怖いほどの幸せは、分不相応と言うか、何か不自然な幸せなのだと思う。幸せは空気のように感じない、目に見えない肌にも普段は感じられないほどの幸せのほうが調度いいものなのだと思う。初めて結婚したいなぁ~なんて思った人だったかもしれないけどよくよく考えると、私は彼のこと全然知らなかった。彼と付き合い始めたのが5月だったのに、もう10月頃にはなんとなく彼に対して不信感を抱くようになっていた。最初にヘンだなって思ったのは彼と中華を食べているとき、家から徒歩5分もないところなのに、食事を食べ終わることにわざわざ公衆電話に電話をしに行った時、なんとなくイヤな予感がした。クラブに出かけるようになって、家に来る回数も減ってきてなんだかヘンだなってやっぱり感じるようになったけど責めてみたり、問い詰めたりしてみても『ボクを信じられないの?』なんて言われると、信じてないのに信じようとしていた。今の私なら、自分のために時間も費やせなくなって、自分に対して冷めていく人を問い詰めたり、追いかけてみたりしない。男友達に相談してみたりした、、、『彼、忙しいだけだよね?』すると、『俺も男だから分かるけど、本当に好きなら、1分でも1秒でも愛に来るものだよ』好きな人に放って置かれるって本当に寂しい。一人でいるよりずっと寂しい。遊びに行っても、何をしていても気になるのは彼のことばかり。もう諦めようかと思っても、諦めようとすると、彼は引き止めるような行動に出たりするし、本当は信じてもいないのに、まだ好きだから、ほんの少しのチャンスでも賭けてみたいと思うし、あんなに沢山KISSしてくれて、あれだけ好きだと言ってくれていた彼がそんなに簡単に私を忘れるはずはずないと思ってみる。でもなんだか言葉と態度が裏腹になっていく彼を見ていると不安な心を抑えきれなくなってきていた。会える日が少なくなってきて、電話もあまりかかってこないことを問い詰めると、『U R 2 Serious』なんて言われた。昔は、友達でいたくないとか、もっと深く私を知りたいとか言ってたのに。青かったなぁ。今ならもう、こんなになる前にとっくに別れてるのに若いって事は、賢くもないけどパワーはあるんだね。ある日、彼の職場の前をバスで通った。すると今まで見たことない、小さな東洋人の女性が彼の職場のガラス越しに見えた。今まで見たことのない人。なんとなく彼女を見たときに、嫌な予感がした。彼の職場に行くと前は職場の同僚が『彼がいつも君のことばっかり話してるんだよ!』なんて誰からも言われていたのに、言われなくなった。なんだかみんあよそよそしい。昔みたいに、彼が私のことを話してるって言って欲しいって重いながら同僚にも微笑みながら話し掛けてみる、、。そんな時彼の家に電話すると、一緒に暮らすおじさんが電話に出た。『Hello,Shelly』と言った。その日からShellyって誰?と思うようになった。嫌な予感がしたから。彼に聞くと、『兄貴のGIRL FRIEND』って言ったけど、そのSHELLYって子は私がいつかバスの中から見かけた東洋人だったのだと気づくのにそんなに時間はかからなかった。職場に行くと彼は冷たいし、SHELLYも私にスゴイ態度をする。本当は、何が起こってるか分かっていたはずなのに、彼の『最近、うちのボスが厳しくて君と喋れなくなった』と言われるとついつい信じたくなってしまう。ある日、彼が風邪を引いたと言ったので、風邪薬と彼の好きな食べ物を職場に持っていった。彼はいなかったから置いていこうと思ったけど、気を利かせた同僚が彼を呼びに行ってくれた。私は2階で待っていた。するとなんだか怒っている彼の声と宥めるような彼の同僚の声が聞こえてきた、、。よく聞こえなかったけど『What FXXX she's Doin' Here』と言ってるのだけ聞こえた。それだけ聞こえたら十分だった。もう彼にも会わずに、もうこのまま別れよう。2度と顔も見たくないし、これで終わりにしようと帰ろうと歩き始めたのに、腕組みして不機嫌そうな彼と運悪く階段で出くわした。『私、あなたが言ってること聞こえたし。さよならね!』と持ってきた紙袋を手渡した。彼は不機嫌な顔をしながらもそれを受け取り『何、これ?』と言った。『あなたが風邪引いたって言ったから持ってきたんだよ。』とそれだけ言って、不機嫌そうな彼に背を向けて歩き去った。家に帰るまで涙が零れ落ちてきたけど、もうこれで終わりにしよう、、、そう思いながら前を見たり、上を向いたりしながら涙をぬぐいながら歩いた。 大失恋したこと(続編)
2004.02.19
その晩、彼から電話がかかってきた。そして私を傷つけるつもりではなかった、あれはたまたまボスの悪口を言ってるのを君が聞いただけだと言った。信じてたわけじゃなかったけど、まだ好きだったし、一緒にいたかったから、彼の言葉を信じたふりをした。私もどうかしていた。でも謝って、今でも好きだと言ってくれて、仕事が忙しいだけだからと言う彼は、その日も私に会いにきてはくれなかった。別れる日になったのは、年が明けた3月頃。もう、こんあ宙ぶらりんは、苦しくてやっていけないと感じていた。彼と話し合いたかったから呼び出した。私の韓国人の女友達も一緒にいて、彼も友達を連れてきた。彼にとっては話あうことなんて本当はもうないし、私もただ荒れているだけ。彼の男友達が私の韓国人の女友達に『彼はもうDASHIKIのことを好きじゃないと思う』と言ったのだと後で聞いた。本当はそれ位、自分でも分かっていたのにね。私が大荒れだった事もあって彼も怒って帰っていった。私はまずいって思った。でも、このままじゃいけないと思ったから深夜の12時過ぎだったけど、彼の住むE.BRONXに会いに行くことにした。と言うより会わなくちゃって感じた。これまで彼の家に行った事がなかったけど、出かける前におじさんに電話して道順を聞いて出かけた。治安が悪いところに行くのは分かってたのでクレジットカードなど全部置いて電車賃だけ持って出かけた。地下鉄に乗って40分くらい揺られてた。外の景色が見えてきて、一刻も早く彼に会いたくて、席に座っていられず、不審者のように地下鉄の席を歩き回った。彼のAPTについてドアベルを鳴らすけど誰も出てこない。ヘンだなって思った。もう一度地下鉄のほうに戻って公衆電話から彼の家に電話をしたけど誰も出てこない。又、APTにもどってドアベルを鳴らす、、そんなことを何度か繰り返すと怒った顔をした彼と彼のおじさんが出てくるのが見えた。でも、私はそんな事より、彼に会えたことが嬉しくて笑顔で手を振った。でも、彼がドアから出てくるとすぐに笑顔が涙顔に変わる事になった。彼はまるで私を野良猫のように掴んで、手にもっていた銃を私に突きつけて言った『Do U wanna Fu**** Die Or Something?!』私は泣いたけど撃たれてもいいや、死んでもいいや、この人にこんなことをされるくらいなら!って思いました。背も高くてフットボールしていた彼の股間やらあちこちを蹴りまくって、目を思いっきりパンチしたのがかなり効いたようで私は壁に思いっきり叩きつけられてその場に倒れこんで大声で泣き叫びました。同じAPTの住人数名が『R U OK?』なんて言って通り過ぎるので彼は遠巻きに見ていましたが彼は私を生ゴミのように引きずって外に連れ出しました。横でおじさんがそこまでしなくても、、、って宥めていましたが彼はそれでも私をずるずると引きずりました。その時の気持ちは今でも覚えているのですが、『良かった。これで見極められた。こうゆう奴だって分かったんだから別れられるじゃないか』でした。実際はそんなに簡単に忘れられるものでもありませんでしたが、、。そして隙を見て立ち上がって他の住人が入っていくのと同時に私もビルの中に滑り込み、彼のAPTがある3Cまで行きました。するとおじさんが顔を出して彼の帰りを待っていたのでしょうが私の姿を見てバタンとドアを閉めました。そうしてるうちに彼も戻ってきましたが、今度はピストルをつきつけることもなく、もうこれで終わりなんだからと地下鉄まで私を送って行きました。他に女がいるのかとか聞いても、もう別れたんだから言う必要もないと言いました。トークンを買ってくれたと思うのですが、そして私が地下鉄に入ったのを見届けると彼は消えていきました。彼が消えたのを見るとなんだかとても腹が立ちました。すぐに警察を呼び、彼に銃を向けられて殺されそうになったと伝えると6人の警察官が来て、インターホンを鳴らすように指示されました。私は喋りまくっていたので警察官に彼に警察が来たことがばれるから黙るようにと支持されました。ドアがあいて中に入って3Cに行くと、警察官がよくあのTVでやってるみたいに、ドアにはりついて銃を構えて彼の部屋をあける様に指示していました。すると、背中越しの非常階段から彼が走って戻ってきました。警察官と中に入り家宅捜索をしました。私は冷蔵庫の中まで開けました。オジサンも彼も黙って座らされていました。銃は結局見つけられませんでした。色々と事情を聞かれました。彼は私を自分の彼女じゃないと言い張っていました。警察官に『なんで彼の目が赤く腫れてるんだ?』と聞かれたので『あ~。それは私がパンチしたから』と答えました。何も出てこなかったので警察も帰るしかありません。『こいつを捕まえてよ!』と言うと『そしたら君も捕まえなくちゃいけなくなる』と言われたので諦めました。帰りがけのエレベーターで『彼は君の事を彼女じゃなかったっていってるけど、SEXはしたの?』と聞かれたので、『彼氏なんだからあたりまえでしょ』と言うと『なんで黒人なんかとつきあってるの?』と聞かれたので『彼をすきだったからよ!』と答えると『でも彼は君ともういたくないんだよ』と言われて私は黙りました。警察官と別れると私は今度は本当に地下鉄に乗り込み家に帰りました。もう外は明るくなっていました。家に帰っても眠れなくて友達に電話しました。するとその友達に『どうして彼をもっと信じてあげられなかったの?』なんて泣かれました。っていうかなんで私をそんなに悪者にしたいかなぁ~??でも、なんとなく同居しているおじさんに悪いことをしたような気がしてきて、朝9時ごろに電話しました。もう彼は出かけていたようです。きっと寝ずにどこかにいったというか、女のところに行ったんだなって思いました。赤い目の事はなんて言い訳するんだろうなんて、思いました。おじさんに、昨夜はやりすぎてごめんなさいと言うと意外に冷静でした。少し話しましたが、内容は覚えていません。でも叔父さんは冷静だったのが印象的でした。最後に『Have a nice life』と言われた時に、とても切なくなりました。なんだか本当に終わりなんだと言われた気がしましたし実際そうなんです。『Have a nice life』そう言って電話を切りました。これで終わりならちょっと切なく終われる話なんですがまぁこの後も色々あったんだけど、不定期に更新するかも、、。
2004.02.18
ToiはAsianのストリッパーNYでダンサーを目指してやってきたが、最近生活に追われてレッスンもおざなり、生活のために働いていたピアノバーもクビになり、途方にくれていたが、ストリッパーになることを決意した日からもう1年近くになる。Gストリングをどこで買うのか、どんな衣装で、どんな踊りをすればいいのか右も左も分からずに入ったが、もう随分この世界にも慣れてきた。毎日、違うバーで踊るToiだったが、『GORDON’S』はお気に入りのバーだった。イタリア人のGORDONの経営するこのバーは、8割がた黒人、後2割がヒスパニック、イタリア系白人、そして稀にASIANという客層だった。ハスラー達が集まるこのバーでは、ステージにシャンパンを運ばせる客や、全部シングル($1)の$100を投げ入れてお札の海で寝転んでフロワワークしているとどんあストリッパーだってその日はスターか女王様気分を味わえる、、そんな場所だった。ストリッパー達の9割は黒人、およびヒスパニック系だった。大半のストリッパーはToiにナイスだったが、稀にAsianだから、白人だから、肌が黒くないからという理由で嫌悪感をあらわにするもの達もいた。地下にある楽屋では、みな必ず自分の持ち物に鍵をかけてステージにあがる。なぜなら、Gストリングや、ステージ衣装、Wigまで目に付くものを盗む輩がかならずどこにでも現れるからだ。ある時、Toiはステージ上に衣装を脱いで、その上にシングル($1)を乗せて踊っていると、ダークスキンのアフリカンのダンサーの子が、激しく踊っていたかと思うと、不意にその子は自分が今までに集めたシングルをToiのシングルの上に乗せてそのままToiの稼いだお金ごと鷲掴みにしてステージを降りてしまった。又あるときは、ラップダンスをしている間、ガーターベルトにはさんでいたお金を全部客に抜き取られたこともあった。気の抜けない世界だった。ストリッパー仲間の『Sucks』はクールな子だ。大学にいくためにこの職業についている。地に足がついた子だし、ドラッグもやってない。ちょっとした技を持っている。Gストリングを手で使わずに足と股間の筋肉だけでアレを広げて見せることが出来るのだ。Gストリングをズラしてアレを見せる事はNYのトップレスバーにはとってはご法度。客の中にアンダーカバー刑事がいたら、その場でダンサーも逮捕され、店も最低でも数週間の休業を言い渡されることになる。現に何度となくGORDON’Sもそれで休業を余儀なくされていたので、もしもアレを見せている行為、FLASHING、を見つかればマネージャーのBIG MIKEにすぐに咎められてしまうのだがSUCKSは手を使っていないので、上手く逃げ切れているようだった。Sucksと小腹がすいたのでドーナツッ屋へと歩き始めた。男たちが私たちを見つけて茶化し始める。『Sucks! Let's Talk About Sex,baby!』二人は軽く鼻で笑いながらドーナツッ屋へ入り込んだ。それでも一人の男はいつまでも、SUCKSを諦めきれないのかドーナツッ屋の外から口説いていた。『分かったわよ!どのドーナツッが欲しいの?』Sucksは男に大声で叫んだ後、小声で『ドーナツッ買ってやればこの男、口説くのをやめるでしょう?こいつにだってプライドあるだろうし』そう言って男にシナモンロールを買ってやったが、男は尚もSucksを口説き続けた。『What's Wrong w.him?!』男のプライドも持たないその男にSucksは背を向け自分の手にもったドーナツッにかぶりついた。『今日いくら稼いだ?』ToiはSUCKSに尋ねる。『$500位かなぁ。あの例のトリックをやってたら、他の男がオレにもやって見せてって言ってやってやったら、もとやって!ここにいてって一人で$200位使ってくれたんだよね~』その日のToiの稼ぎは$200位のものだったがToiにとっては特に不満の金額ではなかった。『送ってくれるって客が居て疲れてたし、乗っていこうかとか考えたんだけど、やっぱ止めといた。全然知らない奴だったし』Toiはコーヒーを両手に抱えて言った。『お願いだからさぁ、約束して欲しいんだけど、絶対に客の車になんか乗らないで。私がLONG ISLANDの白人のクラブで踊っていた時、スッゴ~イ金持ちで私の友達を気に入ってて、その子の為に$500位毎回使ってたし、私も友達だったから$100くらいはいつも使ってくれてたんだよね。医者で、家族も居て、見た目も綺麗な白人男なんだよ、で、私の友達は、ある日その男の車に乗り込んだんだけど、、、』『何?強姦でもされたの?』『いや。殺されて、捨てられてたよ。その男、今頃、まだJAILだし。家族もいたし、金あったし、身なりもいい男だったのに、、、。だからお願いだから、男の車なんて乗らないでね』Toiはこれまでも何度か送ってもらったこともあったし、これまで軽く迫られる程度の事はあったが、危険な目にもあった事はなかったし、これからも安全そうな客だと見れば、乗るだろうなぁ、、、と内心思いつつも、『うん。乗らないよ。』と答えた。『でもさぁ、例えば好みの男とならいいんじゃない?私、客と結婚した子だって知ってるよ』実際に知っていた。トルコ人のアンバーと客だったブラザーは結婚していたし、プエルトリカンのSUNSHINEも、あぁまぁカッコいいブラザーと結婚してた。SUNSHINEは『私はBEAUTIFULだからダンナは他の女に目が行かないんだよね。彼と出会って1週間で結婚決めたんだよね。結婚決めるときってそんなもんだよ。』と幸せそうだった。でもそういえばSUNSHINEも客に強姦された事があるといっていたことをその時Toiは思い出した。他のストリッパーの子と、客二人と4人で出かけて友達ともう一人の男がどこかにしけこんでる間に、乱暴されたと言っていた。ダンナもその男の事知ってるとかいっていたなぁ、、、Toiは残りのドーナツッを口に放り込んだ。このところSUNSHINEとは会っていない。SUNSHINEはASIANが嫌いだと言っていたがToiにはナイスだった。手作りの舞台衣装や、Gストリングをくれたりもした。この業界でナイスな子を探すことがお互いに大変なのを知ってからすぐにうち解けたのだろう。ダンナと二人で何度か仕事帰りに送ってくれたり親切にしてくれたのだが最近電話もない、、。一度、ダンナをNAILサロンで見かけたが声をかけそびれた事があった。なんとなくあのダンナがNAILサロンに居ること自体不自然な感じだったしもしかしてダンナはSUNSHINEに隠れて誰かと会ってるんじゃ?Toiはそんな想像を膨らませていたし、仲間にポロッと口を滑らさせたことがあった。SUNSHINEの耳にその話が伝わったのでは?そんな不安も少しよぎった。SUNSHINEだって安々と手に入れた幸せではないし、彼女なりの愛をダンナに捧ぐ努力もしているのにToiは少しだけ、幸せそうなこの二人に嫉妬していた。そしてそんな自分の醜い心もいやだった。『Go Goバーで遊んでる男のこと、私は“Go Go Men”って呼んでるんだよね。アホでスケベな男って意味』SUCKSは口を開いた。『まず、あんな連中とまともな恋愛するのって無理だよ。仮に付き合ったって、またあいつらは夜毎ちがうGO-GOバーに行って違う女の裸見に行くんだし。』『じゃあさぁ、SUCKSって彼氏いるの?』『いるよ。もう10年以上一緒だよ。』『10年?!』『うん。12歳の頃からずっと一緒』『お互いに浮気とかしたことないの?』『あったし、今でも時々あるけどお互いに許してる』
2004.02.17
私が随分昔に住んでいたボロアパートに鼠が住みついていた。10kg入りの米袋が食い破られていることで最初に鼠の存在に気がついた。ねずみが1匹いるだけであれよあれよと言う真に米袋は減っていった。私は鼠がいたからってきゃ~こわい!ってタイプでもなかったし、寝るとき以外は殆ど家にいない時期だったのでさほど気にせず、まぁ~米袋がなくなったら居なくなるだろう~~~と、放っておき、その米袋はその鼠にあげる気でいました。するとさほど時間もたたないうちに米袋は綺麗に食べ尽くされました。その頃から、私の下着入れに鼠の糞が散らばっていることに気が付きました。どうやら私の下着入れを寝床にしているようなのです。そして米がなくなったあとの奴のターゲットは今度はキャンディーでした。キャンディーをバリバリ食べ始め、そして下着入れに糞をする奴に対して、もう同情の余地はないと感じました。ホームセンターで鼠駆除のエサを購入し巻きました。すると数日後、奴の亡骸が私の下着入れに、、、、なんか奴に最後の逆襲をされたような気がしました。下着もろとも捨ててしまいました。この鼠と私がNYで一緒に暮らしたGAYのルームメイトREUBENはよく似ているのです。こっちが少し同情して優しさと甘さを見せるとどこまでも付け込んで感謝しない代わりりに、どこまでも自分の利益だけを求めるREUBENでした。今度ゆっくり奴の事は書くとして、今日は鼠のことを考えて文章にしてみたら、同時にREUBENが浮かんできました。多分、私の海馬の同じ場所に保管してある記憶なのでしょう。 『ねずみの害に困っている。でもねずみ取りで殺してしまうのは気が引けるし、後の始末も大変そう。』 『捕まえても、どこへ引き取ってもらえばいいかわからないし、そのために保健所や業者に頼むのもお金がかかるし…。』 動物と人間の明るい共存生活!
2004.02.16
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