2006年12月07日
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殺意50%、後悔40%、その他10%。それだけでできている毎日が、辛い。 アスファルトを気違いに見立て、ヒールですり潰すようにして歩いている。死ねよ。のたれ死ねよ。私の知らない所で。誰に看取られることもなく。死ねよ。醜い顔して死ねよ。 悲しいことは、人を殺すこと。次に悲しいことは、人に殺意を抱くこと。 逃げ場がない。 手術の翌日、実家に帰った。中絶のことを、友人に話すか否か迷った。言えなかった。言うべきことではないと思った。 だけどそれは、中絶という単語を聞いて戸惑うであろう友人に対する気遣いではなく、一生誰にも言わずに苦しむという自分への罰でもなく、恥の隠蔽なのである。避妊を怠ることは恥。馬鹿と付き合うことは恥。子供を堕ろすことは恥。 私はそれらを隠すため、自分の名誉を守るため、言わなかっただけなのだ。おそらく。 「おそらく」なんて言葉を使って、私はこの場においてもみすぼらしい名誉とやらを守ろうとしている。 気違いがあまりにも気違いで、一緒にいた私は全ての、わけがわからなくなっていた。判断をすることができなかった。そして流されるように、中絶後も度々気違いと会っていた。この事実はおかしいことで、世間から同意の得られるものではないという判断はできたので誰にも言わなかったが、私は気違いと会っていた。 いくらでも断る余地はあった。でも断らなかった。 あの病院の個室で気違いを宥めたとき、ぼんやりと思った。この救いようのない人間と過ごし、こちらまで気が狂って宥めるという行為に至ると、何かを錯覚することができ、罪からの一時的な逃避ができると思った。実際に、できた。 そこには殺意がなかった。嘘くさい自己嫌悪と、自分が優しい人間だという錯覚だけがあった。 それらは心地が良かった。私は正常ではなかった。 しかし時折正常な自分もいた。誰にも言えない苦しみは、誰にも言えないほど辛かった。彼は私を除いた唯一の当事者であり、たとえ気違いであろうと当事者であり、女でなくとも、私と同じ苦しみを味合うことはなくとも、当事者と居なければどうしようもなかった。 表向きの理由、狂った理由、どちらも本当の理由だが、もう今は意味がなくなってしまった。 先日、以前気違いと別れていた期間(その後復活したが、中絶前に既に気違いとは別れている。中絶後に会っていたときも気違いに一方的に言い寄られたが、断った。)に会った男性から電話がかかってきた。暗い声色で出ると、「何?妊娠でもしたの?」と冗談で言われ、しかし図星だったので答えようもなく、「そうだよ」と言って経緯を話した。すると「その男許せないよ」と言われた。更に、「こう言ったら悪いけど、中絶は悪いことじゃないよ。変な話、俺だってオナニーで毎回ある意味命殺してるんだよ。中絶っていったって、まだ細胞の段階でさ、意識も何もないんだよ。」という慰めの言葉をくれた。こういう考え方には今まで気が付かなかった。なんというか部外者として、もし仮にこれから中絶で苦しむ人と出会ったら、こういうことを言えばいいのかもしれないなと思った。当事者としたら、何を言われても自己嫌悪や後悔は消えないのだけど、彼の慰めの言葉は新鮮だった。 彼は何度も「その男許せない」とか、「彼はどういう対応だったの?」と聞いた。それについて答えるのは、苦痛だった。「こんなひどいことをされた」という苦しみで答えるのが辛いという意味ではなく、ここでもやはり恥を晒すのが苦痛だっただけだ。 しかし、彼が「その男許せない」という言葉を繰り返すにつれ、自分が自分のために隠していたある感情に気が付いてしまった。 そう、おかしいのだ。明らかに。あまりにも気が狂っているのだ。奴は。本当に、許せないのだ。当事者である私が、なぜ気違いと未だに会い、ニコニコしているのだ。なぜ慰められるべき私が、奴ばかりを慰めているのだ。 他人に話すと、軸が元に戻る。真っ当な意見を聞くと、「正常」な自分が蘇る。 中絶後も何事もなかったのかのように気違いと会う自分は、明らかに「正常」ではない。本当は自分でもわかっていた。しかし今自分が「正常」に戻り、事実を「正常」な目で見据えるのは、あまりも怖かった。 そこには殺意と、後悔と恥しかないからだ。 今はもうそれに、気が付いてしまった。それから一度気違いと会ったが、殺意しか抱けなかった。それが伝わったようで、後日電話で気違いに「智ちゃん俺と友達でいてくれるって言ったけどさ、もう俺のこと好きじゃないでしょ。俺は智ちゃんのこと大好きだから、一緒にいるとそれが辛いのよ。俺ほんとは智ちゃんと一緒にいちゃいけないってわかってるんだけどさ。」等々を40分程度語られ、もう会わないということで会話が終わった。 電話を切った直後、「逃げやがった」と思った。当事者であることから逃げやがった。何のダメージも受けてないんだろ。死ねよ。 気違いと一緒にいる方法はいくらでもあった。私が気違いに対し、好きだとか一緒にいたいとか言えばいいだけだ。だけど気違いへの殺意に気が付いてしまった私には、とてもそんなこと言えなかった。 殺意を抱いた相手と一緒にいるのといないとでは、どちらが殺意が和らぐのだろう。明らかに前者であると私は思う。 しかしそれはとても変なのだ。 それに、奴とはもう絶対にセックスできない。妊娠がわかってから奴とはセックスをしていないが、これからもできないだろう。こんなことを言わなくてもいいと思うが、異性と長く一緒にいるということは、セックスが付随するといえる。 そんなこと関係なく、気違いは私に付き従うべきだと思うが、なんだかもういいやと思った。殺意を抱いた相手と一緒にいることも、一人で気違いを浮かべて殺意を抱くことも、何もかもがやるせない。 赤ちゃんの供養を、まだしていない。きっとこれからもしないような気がする。眠る前や目覚め後に手を合わせて赤ちゃんを想っている。ちゃんとした供養をした方がいいのだろうか。それを考えるのが辛くて、逃げたままでいる。 しかし近頃、毎日があまりにも辛い。泣いていても笑っていても食事をしていても、自分を許すことができない。そんなの当然で、私はこれからもそれを背負って生きていかなくてはならないのだけど、そういう選択を自らしてしまったのだけど、辛い。 供養をしたら、そういう自分の辛さが和らぐだろうか、というふうに考えている時点で、その供養は赤ちゃんのためのものではなくなってしまう。 どうしてあの頃、死んでおかなかったんだろう。死ぬことが罪にならないうちに、どうして死んでおかなかったんだろう。





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最終更新日  2006年12月08日 00時15分48秒
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