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大学時代は人生の夏休みというけれど、それって人生の中で一番楽しい期間だということだろうか。それならば大学時代の中でおそらく一番幸せな気持ちでいる今日は、人生で一番楽しい日ということだろうか。 大好きな人に会いに行く。会えるのは今日で最後であろう大好きな人に会いに行く。
2008年02月16日
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この人のここが嫌いだと思ったとき、それが自分を不愉快にさせるとき、基本的に私はそれを言わない。あの人が私を別に全然好きじゃないと気付いたとき、私に一切執着していないと気付いたとき、私はそれを言わない。 人に説教をするのは嫌いではない。ただしそれは、私が強者である場合に限る。友人関係で私が強者であるとき、客としてお金を握っているときなどに限る。 だとすれば恋人関係で私が何も言わないのは、私が弱者であるからだろうか。1年と少し前に私が何も言わなかったのは、私が弱者であったからだろうか。 私が人間として弱いという事実に間違いはない。しかし私が何も言わなかったのは、立場としての弱者であったからではない。 相手によって自分の中の様々なものが荒らされるという危惧。それを引きずる面倒。いつもそれらを防ぐために何も言わないのだと思う。 相手が私に不愉快な思いをさせる度に、私が何を言わずとも相手と私の間に薄い膜のようなものが張っていく。その膜は鋭く、ハサミのように相手と私の関係を裂いていく。 話し合いを、しない。喧嘩をしない。 それらをする意味も余地もある。でもそんなの私にはない。始まりか終わりしかない。 相手に対する執着は、膜が既に裂いている。分かり合おうと私はしない。私は私を不愉快にさせる者、私を好きでない者など嫌いだからだ。 イエスマンでなければいらない。相談ってなんだろう。自分の持った選択肢を、第三者に拡張してもらうためにするのか。新たな解決法を示唆してもらうためにするのか。多くの場合、それは違うと思う。相談事を持った当事者ならば、選択肢や解決法など突き詰めて考えているだろう。既に答えは持っているのだ。その答えを持つ自分の背中を押してもらうため、自信を持つため、最後の納得をするため、客観的な後押しを得るため、または憂さ晴らしをするため、相談を持ちかけるのではないだろうか。 恋人と付き合い始めるとき、きっと誰でも相手に対して勝手ないわば理想像を投影する。その理想が徐々に崩れ、すれ違いが生じていく。 相談についても理想像についても、誰でも相手にイエスマンを求めている。始めは。 相手がイエスマンでなくなったときの対応はおそらく人それぞれである。事実を飲み込み納得するのか。身を引くのか。軌道を修正し、イエスマンに戻すのか。中間を受け入れるのか。千差万別の答えがある。 私は相手がイエスマンでなくなったとき、相手に踏み込むことはしない。ごく自然に気持ちが引け、その後身を引く。 しかし私の身の引き方は、潔くない。付き合った相手を振ることほど面倒なことはないと思う。自分から身を引きたくなったとき、私はいつも振ってくれ振ってくれと痛切に思う。その方がよっぽど楽であるし、きれいだし、未練もなかなかさわやかに消えゆく。 振る方はそのタイミング、理由付け、配慮のプランを立てなければならず、更に自分が振りさえしなければずっと続いていたかもしれない関係、改善していったかもしれない関係、自分が受け入れられるようになったかもしれない関係など未来の可能性をも自らの判断で断ち切らなければならない。果たしてそれでいいのかという迷い、これから得をしたかもしれない可能性を断ち切る覚悟、相手への未練だけでなく自分の判断に対する未練、始めから終わりまで振られる方よりもよっぽど時間と労力がかかる。 それらを踏まえると、面倒すぎて振るのを潔く決意できない。上で私は相談について書いた。さっそくそれに矛盾するのだけど、第三者の意見でハッとさせられることもたまにはある。私は本当にまだまだ物を知らない。 何に対しても白か黒か0か100かといった物の考え方をする節が私にはある。対極且つ究極なる二つの選択肢、ここでいえば別れるか否かという選択肢のみを見据えていた私に、第三者は新たな選択肢を教えてくれた。その選択肢の存在を、私はなぜか今まできれいさっぱり忘れていた。自然消滅である。 恋人が私を好きでないことは確かなようだし、執着もされていないし、なるほどこれは成立するかもしれない。これならば何の面倒もなく身を引けるし、相手も丁度良いだろう。 ・・・せいぜいセックスに困るくらいじゃないの。というふうにいまだに考える自分を、少しかわいいと思う。様々なものが削げていく自分の中で、唯一残っている考えかもしれない。この考えをする自分に、なんだかほっとする。・・・ほんとにそうだと思うけどね。ってああほっとする。 自然消滅という選択肢に乗っかることにした。そういうことを考えていた数日の間、恋人からの連絡が一切なかった。一切なかったからこういうことに決めたのかもしれない。もちろんそれだけではないけれど、少なくともきっかけではあっただろう。しかしようやく自分の中で別れとそのなりゆきを決めた後、あっさりと連絡がきた。今朝のことである。眠っていて気が付かなかったので電話には出なかったのだけど、留守電が入っていた。 仕事が忙しくてなかなか連絡できずにいてごめん。今から仕事で沖縄に行ってきます。と入っていた。 起きてから留守電を聞き、だけどこちらから電話をかけるとかメールをするとかはしなかった。夕方、また彼から電話があった。気付いていたけれど無視した。そしてつい先程、この文章を書いている最中にも電話があった。けれど無視した。 何度かけても相手が電話に出ないのは、人を不安にさせる。少なくとも私はそうなる。彼はよっぽど鈍感なのでどうか知らないけれど。 現在は出張で離れているからいいものの、この対応を続けていれば、彼がこちらに戻ってきたとき、私の生死を危惧して私の部屋に乗り込んでくる可能性もなくはない。それはそれこそ面倒であるし、最低限のマナーとしても私が生存していることくらいは伝えなければならない。 だけど一言生きていますというのも変だし、でもそれ以外にいうことといえば別れを示唆することでなければずっと終われないし、しかしそれをいうのは面倒と決意を超越した上での勇気が必要であって・・・。 別れという方向に進んでいくのは自分としても関係としても間違いはないけれど、それがどのように進んでいくかはまだ曖昧である。たった今、これを機に話し合いという解決の仕方ができるようになれたらいいのにと思った自分はなぜだろう。
2008年01月17日
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しかしまだ寂しい気持ちが残る。こちらでできた友達や恋人と離れるということ。数は少ないけれども友達がいる。その友達と離れると思うとなんだか心細い。そして恋人。今の恋人のことが、私は大好きだ。理由だってある。 私は散々自分がそれに反することをしていながら、モラルや常識にうるさい。もっとも、反することをしてきたといっても自分の中のモラルや常識に反したことはほとんどないと思う。自分に優しく他人に厳しいという短所は否めないが、それでも自分の中のモラルや常識は確実に自分の中にある。他人が私の思うモラルや常識に反したとき、私はそれを許すことができない。元恋人も私より程度のひどいそういう人間であったので、モラルに反するものに対しての私の気の短さは彼に影響されて更にひどくなっていると思う。私の中のモラルや常識は、21年分積もっている。程度や内容は違っていても、誰だってそういうものを持っていると思うけど。 私のモラルや常識の内容を説明しようと思うと、時間がかかる。それは思った以上に広範囲であるからだ。しかし基本的に「なぜこういうときにこういうことをするんだ?」という疑問を抱くときが、他人が私の中のモラル、常識に反しているときだと思う。そんなとき私はイライラする。相手を嫌いになる。攻撃したくなる。正義とは極めて暴力的だ。 あるとき恋人が私のモラル、常識に反した行動をしたことがあった。私はイライラして、これから彼とどういう関係であろうかとか、どう攻撃しようかとかそんなことばかりを考えていた。しかし彼はそんな私に微塵も気が付かずに、そして私の中のモラルに反したとも当然気が付かずに、笑っていた。笑っている彼を見ていたら、なんだか私も笑ってしまった。自分の中のモラルだとか常識だとかがどうでもよくなってしまった。そして気付いたらとても穏やかな気持ちになっていた。 もちろんそのときの彼がモラルに反した程度が極めて低かったこともある。私を傷つけたわけでもないし、もしかしたら普通は笑って終わることなのかもしれない。念のために例を出して説明すると、私のモラルとは、自分が他人に出したご飯をご飯粒をつけたまま汚く食べ終えられたとか、傘を地面と並行に持っているとかそういう程度の低いものが多い。彼の反したモラルとは、それよりも更に程度の低いものであると思う。彼が笑っているのを見ていたら、私はなんだか自分が恥ずかしくなった。一つ一つの物事にイライラしていても、つまらないし何の得にもならない。彼といると、穏やかな気持ちになれる。自分の持っている嫌な感情がほぐされて何に対しても優しくなれる。ずっと彼と一緒にいられたら本当に幸せだと思った。このときに彼を大好きだと思った。 単に私がこちらで就職すれば、彼が私を好きでなくなってしまうまで、そして私が彼を好きでなくなるまで一緒にいられる。しかし地元での就職が決まったときに、もうそれに決めようと思ってしまった。それは私が怠惰であることが大きい。 しかし彼には就職が決まったことを言わないでおこうとも思った。東京にいられる最後の日に、初めて伝えようかと思った。それは私がもったいぶっていたり意地悪でやっていることが大きいけれども、それだけでなくて、なんとなくその方が今と変わらぬ関係が続けられるのではないかと思った。しかし恋人として、それはあまりにも変なのではないかと思い、しばらく言わなかったのだけど先日伝えた。「言ってくれてよかったよ」と言ってくれた。「寂しいけど、やりたいことはやってほしい」とも言ってくれた。彼はもうすぐ31歳で、結婚という概念からもさほど遠くはない。「ともちゃんがお嫁さんになってくれたら俺は幸せだなあ」とちょこちょこ言ってくれる。それはまんざら空言でもなさそうなので、少し嬉しい。だけど私はまだ若い。彼と結婚できるほどの器量も勇気もない。しかし頭の片隅で彼との結婚を妄想してはニヤニヤしている。 地元に帰ったら、彼に代わるような好きな人はできるだろうか。嫌な言い方をすれば、彼ほど条件の揃っている人はいるだろうか。いないように思う。完全に偏見ではあるけれど、ずっと名古屋で生活をしている人は何かが狭いと思う。彼は大手広告代理店で働いている。彼の仕事を、私はテレビの画面や街の看板、広告で目にすることができる。ものすごくものすごくかっこいいと思う。名古屋でこのくらい大きな仕事をしている人は、東京に比べたら極めて少ないと思う。そういう人と出会うチャンスもそれに比例して少なくなるだろう。 このような、自分のなんだかバブリーな考え方を恥ずかしく思う。言い訳をすれば、ただの憧れなのである。好きになるのは人間性であっても、プラスアルファは輝いて見えるのである。 閑話休題。一昨日、買い物をしにお台場と銀座へ行ってきた。お台場へ行くゆりかもめから見える景色は、私がある程度物を認識できるようになってから見た初めての東京の景色であり、思い入れがある。キラキラと輝いている東京。レインボーブリッジ。東京タワー。東京という大都会が一つに凝縮されたかのような景色。 ゆりかもめに乗ると、いつももったいないと思う。このキラキラとした景色を、全て目に、早く目に焼きつけなくてはもったいないと思う。映画なんかを観るときに、自分が一番心地良い位置に腰を据え、唾を飲み込み体裁を整えることとそれの焦燥はなんだか似ている。 しかし昨日の焦燥はそれよりも更に著しかった。というか、むしろひっくり返って落ち着いているくらいだった。ぼんやりとめくるめく都会の光を眺めながら、もう二度とここには来ないのかもしれないと思った。そしてもう二度とこの景色を見ることはないと思った。 この景色は4年前と同じように、遠いところになる。言ってしまえば「私のもの」でなくなる。究極的なる雑踏、果てしなきビル街、欲望に忠実な供給、それに手が届かなくなる。 また来ようとはきっと思わない。大好きだったから。 銀座では期間限定で催されているロウソクの店で買い物をした。swatiというブランドのロウソクなのだけど、近頃これにハマッている。ハマるといえばもちろん収集である。1万3千円分のロウソクを買った。ケーキやパンプスなどの形をしているかわいいロウソクで、これは見て楽しむものだと思う。今まで散々色々なものにハマっては手を出してきたけど、今回はなかなか良い趣味だと思う。というのも、当然これに飽きるときがくることを私は知っている。まだ集め始めたばかりなのに終わりのことをいうのも変だけど、もちろん終わりは来るだろう。しかしロウソクの場合、見て楽しむことを目的に集めているので飽きたらこれに火を灯せばいいのだ。そうしたら二重に楽しめる。そのように自分を良いように納得させてお金をつぎ込むのは毎度のことであるのだけど。しかし今回ばかりは、最後には全て消してしまえる。 ロウソクって、ロウがどんどん溶けていく様もきれいだというけど、私は無様でもあると思う。特に最初の形が綺麗であればあるほど、無様だ。 たまにどうしようもない倦怠におそわれることがある。人に会うのが面倒になりずっと一人でいたくなる。予定を何も入れたくない。一人で部屋で寝たり起きたり遊んだりしたい。一人で街へ出かけたい。寂しさはたまにあるくらい。でも面倒くささはずっとあり、寂しさよりも大きい。 それを考えていると、私は恋人を作るべきではないと思える。恋人、という関係は安定している分、縛りや約束事みたいなものがたくさんあって時々嫌になる。恋人本人を嫌いなわけではもちろんないけれど、その関係性がやっぱりあまり得意ではない。瞬間的な好きという感情を連続で持ち続けることはなかなか難しい。だから瞬間的に好きと思う瞬間にその人といればいい。それ以外はいなければいい。 もともと私は他人を、特にいえば永遠に私がなることのない男性を信用していない。その代わり、たとえば付き合う男性に対して「裏切られた」とも思わない。ひどいことを言われた、されたと思うことはあっても、裏切られたとは思わない。気持ちや熱なんていくらでも変わりゆくことであるし、それに対して固執をしても意味がない。 だから不安定なものによりも、絶対の自分を優先させてしまう。そして絶対のモノ。 だけどモノも本当は絶対なんかじゃないのだ。ロウソクだって最後には消えてしまう。 私はいつもやり過ごしている。仮ばかりを重ねている。本番なんていつだって来ない。そういうのが私の生活。楽しければ何でもいい。 3日間にわたって書いたので、矛盾がたくさんあると思う。たった3日で矛盾が生じるなんて、自分というものも全くあてにならないものだ。
2007年12月22日
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先日、卒論がようやく終わって締め切り45分前くらいに提出した。 今週の月曜日が締め切りで、先週の金曜日に規定字数まで3000字を残した状態で教授に初めて見せに行った。本当は余裕もなかったし、私は自分の書いた文章を自分より遥かに知識の豊かな人に見せるのがいつもこわくて、ずっと見せていなかったのだけど一度も見せないよりは見せたほうが免罪符のようなものにはなるのではないかと思い、見せてきた。教授は軽く目を通し、「いいじゃない」、「うん、いいよ」という言葉を何度も発して段落の分け方や章のタイトルの付け方などについてのみ指示をしてくれた。なんというかそれが、すごく大人な対応だと思った。 月曜に提出のものに対して金曜に大幅な改変を要求されても、なかなか間に合うものではない。私の書いた文章は、論文にしては明らかに知識不足だしアラなんて探せばいくらでも出てくるものだけど、それにあえて目をつぶって且つ「いいよ」と言ってもらえたのはすごく嬉しかったし、残された時間の中でもうちょっといいものにしようというやる気をもらえた。見せてよかったとルンルン気分で家に帰り、しかし安心し切ってしまったので結局提出日の前日に残りを書き段落を付けた。それでも一応は提出できたのでよかった。達成感というものは相変わらずない。自分なりにはまぁ納得できるようなものを書いたつもりなのだけど、それでもない。 数ヶ月間、毎日「やらなきゃ」という念に押されていた。それで毎日やっていたかというと違うのだけど、とにかく危機であるということは理解していたのでいつもどこかで焦っていた。そして卒論を提出し終えた今でも、パソコンを開くと癖のように「あぁ・・・やらなきゃ」と思う。もう何もやらなくていいのだけど。 そういえば就職も11月の終わりに決まった。一応は公務員なのだけど、かなり特殊な職業だと思う。その職業について前々から大きな関心を抱いていたかというと全くそうではない。しかし何の思い入れもなく予想外の運命に転がり込んでいくことは、なんだか自分らしくていい。そして就職するのが楽しみでもある。やるとなったら頑張ろう。地元での採用なので、地元へ帰ることになる。それだけが少し引っかかっている。 もともと私は東京に憧れてこちらへ出てきたわけではなかった。むしろ地元を離れたくなかった。しかし受験勉強をせずに済み、且つ仮に受験勉強をするにしても他の大学では考えられないような重要科目が除かれている大学を選んでいき、数校残った中での一つの大学がたまたま今の大学であった。だからこちらに出てきた。 こちらで生活をするにつれ、どんどん東京に焦がれていった。何もかもがある。うんざりするほど人がいる。 私は人ごみが大好きだ。人ごみの中にいると安心する。人ごみに紛れることで自分は匿名になれる。良い意味で自分に固執しない。関係のない人になる。足がすくんでしまうほどの大都会が好きだ。 東京を離れるに当たり、まず一つの嫌なこと。地元での就職が決まったときから、漠然とした寂しい気持ち、嫌な気持ちがあった。それは一体何なんだろうと突き詰めて考えていたら、ある一つの答えが出た。地元に帰るとなると、そこには実家の姿がある。私は実家が好きだ。大好きな両親もいるし、祖母も叔母もいる。以前の関係と結局何も変わっていないのだけど、体裁だけは仲直りをした兄もいる。そしてかわいい犬もいる。美味しい御飯も出てくるし、洗濯や掃除も両親が勝手にしてくれる。 条件として嫌なことは一つもない。だけど私はそれ以上に一人暮らしが好きだということに気付いた。家に帰ったら一人、家を出るときも一人、御飯も一人で食べる。誰に見られることもなく、楽しいことをひたすらやる。自分の好きなものだけで自分を囲む。 地元=実家。東京を離れれば、一人暮らしができなくなるということがきっと一番に嫌だったのだ。しかしそれに気付いたのであれば、単に地元で一人暮らしをすればいいだけの話だ。家の中に一歩入れば、地元も東京も関係ない。だからその点は、地元に帰っても一人暮らしをするということで解決できた。
2007年12月22日
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おはようございます。ふとベランダに出たら、向こうから朝陽が差し込んでいて、空がうっすらとピンクがかっていた。冬の朝はとんでもなく寒いような気がしていたけど、四六時中暖房を付けっ放しにしているせいか、一時的に外へ出てもさほど寒くはなかった。 きっとそろそろみんなが動き始める頃で、多分数年前の私はこれと同じ空の下でもうすぐ起きて制服を着て学校へ通っていたのだろう。その数年後の現在にしてみれば、それはなんだか信じがたいことだ。 私は数年後の空の下で呼吸をしていて、あの人を好きでいて、卒論を書いている。卒論の極度な追い込みはおそらく今日が最後で、今からまた約6000字を書いて完成させ、一度も見せていない教授の元へ夕方までにおそるおそる駆け込み見せに行く。 次にここへ書きにくるときは既に卒論が終わっているのだと思うと、なんだか寂しいというかなんとなく今しかない瞬間だと感じたので、慌ててただ今書き込んでいる。徹夜の朝は妙なテンションでいるので、そのせいかもしれない。なんだかもういろいろ終わっていくのだと思う。 しかしそんな悠長なことを言っている場合では決してないので、今書いているこの文章を読み返しもせずに載せ、そのまま卒論に移行する。
2007年12月14日
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私の日常は、数ヶ月前から卒業論文というものに押し潰されている。尤も、数ヶ月前から準備をしていたかというと、全くそうではないのだけど。何一つとして準備をしないまま、日に日に重さは募っていった。数ヶ月前までは、一日に何度か卒業論文のことを思い出し、その都度唸り声なり叫び声なりを上げて焦燥の念に駆られ、しかしすぐに忘れた。それが数週間前から、朝起きた瞬間に思い出すようになった。重い腰を上げ、提出期限をやっと調べ、それまで残り一ヶ月もない。ここまできて焦ってもしょうがないので、できるだけ平静に事に取り掛かろうとしている。しているだけであって、今もまだやはりしていない。そして現実逃避の手立てを探っているうちに、まさに今の今結局ここにたどり着いた。 期限だとか約束だとかが苦手で、そんなの誰だって少しは苦手だろうけど私は近頃苦手どころではなくなっているような気がする。危機感がない。 人との約束には90%遅れてしまう。それも5分や10分単位ではなく、30分とか1時間の域でだ。待ち合わせの相手によって遅刻の危機感をレベル付けしているような卑しさは、皮肉なことなのかそうでないのか持ち合わせているのでますますタチは悪いのだけれども少しは危機感というものを自分に持たせたい。いつの頃かまではある程度の危機感を持っていて、ヤバいと思うと同時にヤバくないようにする対処がぎりぎりでもできていたように思う。しかしいつの頃からか、ヤバいと思ったら本当にヤバい展開にしかならなくなっていた。そしてヤバい状況にいる自分を、ああ大変だねと妙に落ち着いて傍観していた。呆然としている自分が、いつまでも覚めない。 そういえば中学の頃、好きな言葉があった。好きというか、気分が落ち着き安心できる言葉。 それを誰でもいいから自分より大人の誰かに言ってほしくて、よく誘発していた。「まだ間に合う?」という問いかけに対する、「間に合うよ」という返答。受験前に私の周りの大人は、うんざりするほどこれを言わされていたと思う。「今から死ぬ気で勉強したら間に合う?」。これに対して「間に合わないよ」なんて言う人はおそらくいるわけがないのだけど、このわかりきった返答に私は私を酔わせていた。暗示の効果はテキメンで、私は安心してまっすぐ勉強に取り掛かった。 今では他人に暗示をかけてもらおうと思っても、自己暗示でも、何にも効かなくなってしまった。間に合うものも間に合わなくなるはずだ。いや、卒論だけは頼むからやろうよ。 私は4年に上がる時点で、卒論以外の卒業に必要な単位は全て取り終えていた。週6日学校に行っていた時期もあったが、毎日学校に行くことは全く苦ではなかった。それは生産ではないからだ。 頭で考えたりそこから何かを作り出したり出発させることが不得意で、あんまり何も興味がないし吸収しない。起きて学校へ行って椅子に座ってボーっとしている毎日は、非生産的で頭を使わなくていいからいくらでもできる。 卒業が近くなってきたこの頃よく思うのだけど、4年間私は本当に笑ってしまうくらい非生産的であった。馬鹿みたいに何も生まれないことを繰り返してきた。 でも実はこれはこの4年で始まったことではなくて、今思えば物心ついたときからずっとそうだった。木の実を何百個と集めるのに夕方には全て捨てて帰ったり、膨大なビーズを一つ一つ色で分けてはまた元に戻したり、すね毛を抜き続けたりの幼少期を過ごしていた。パズルを完成させるとかゲームやスポーツに打ち込むとか、そういうのではなかった。私は今の年齢になっても、まさかここまで何も知らなければ何の情熱もない人間に育つとは思っていなかったけれど、何も事を起こさなければ本当に何も変わらないんだな。しかしこれも今になってわかったのだけど、結局のところ、そういった非生産的なことをしているときが自分にとって一番心地良いのだということ。それに引け目を感じる必要はないのだと思う。幼少期はさておき、今までは多少なりとも引け目を感じていたから。だからせめて卒論が終わり、就職するまではとことんそういう生活をしたい。基本的には引きこもり、ブロックゲームをやり続け、日向でボーっとすね毛を抜き、自分のためだけに料理をし、洗濯をして柔軟剤の香りに包まれる。時々バイトに出向き、小さい子供にご褒美のシールをあげる楽しみを満たし、一人でラーメン屋へ行ってその後延々とカラオケをする。幸せのレベルが低くてよかった。これならば簡単に実現できる。まぁ暇なときの自分の日常なのだから当然だけど。 しかし今好きな人がいて、その人と付き合っている。その人といると笑いが絶えず、いつも楽しい気持ちになってもう大好きである。卒論が終わり暇になったらその人の家で半同棲という話も出ているので、それもとってもいいな。 一人でも二人でも、幸せな暇を過ごせるようにするには今頑張ることが必要。この文章は午前4時だとかの深夜に半分を書き、ただ今もう半分を書いている最中なのだけど、やはり文章を書いているとキリキリとした気持ちが最後には穏やかになっている。たとえ結果が穏やかではなくとも、文章を書いていると何かしらわからなかったことがわかったり、自分なりに納得できるようなところへ自らを導くことができる。卒論もそのようにして、とにかく書いていれば自然と結論へと流すことができたらいいのだが、そう簡単にもいかない。しかし決めた。本日は必ず6000字以上書く。とりあえず16時までに部屋を片付け、それからやる。
2007年11月23日
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私は決してサークルに入って、わいわいがやがややれるようなタイプではないと思う。だからサークルなんて入らなかった。でも3年になってから、できて間もない服飾サークルに惹かれて入った。入ったらみんな変な人ばかりで、すごくおもしろかった。いまだに私は上手く馴染めないような変な位置にいるのだけど、それでも入ってよかったと思っているし、学校が少し楽しくなった。 そのサークルの創設者は、私の一つ上の先輩なのだけど、その人もとても変わった人だった。その人はサークルのメンバー全員にいつも人一倍気を遣っていた。その人はいつも私の服装を褒めてくれた。歴史、服飾、政治、戦争、その人は何でも知っていて、何でも教えてくれた。その人、トシさんは、色白で体がとても細かった。美しい服装を好み、学園祭のときには金髪のおかっぱにして着物がよく似合っていた。卒業式にはアナスイのドレスをさらりと着ていた。女性の服装をしたトシさんは、いつも妖艶で美しかった。 トシさんの腕には、無数の傷があった。トシさんはいつも薬を飲んでいた。ヘビースモーカーのトシさんの誕生日に、みんなでピースの缶をプレゼントした。そのとき嬉しそうに笑っていたトシさんが、死んでしまった。 普段トシさんとメールをすることなんてないのに、3日前にメールを送ってくれた。アナスイがどうのっていう何の変哲もないメールで、どうして突然そんなメールを送るんだろうと思っていた。アナスイの情報よりも、トシさんからメールが来たことが嬉しいですと返信したら、それは光栄、ありがとうと返ってきた。 トシさん、死んだらどうなるんですか。自由に空を飛べるんですか。天国とか地獄とかあるんですか。今私の傍に居たりするんですか。幽霊になるんですか。なんで死んじゃうんですか。 人が死んでいくのは、誰かがその人に対して、何ができたとかできなかったとかそんな時限の問題ではない。生きていくことと同じで、そこにはその人の哲学があって、トシさんはそれにひたすら真っ直ぐだったのだと思う。 私は自殺を否定しない。だけど空虚である。私はトシさんにとって、それほど近い存在ではなかったけれども、大きな穴が開いている。すごく悲しい。トシさんにもう会えないなんて嫌だ。絶対やだ。 トシさんと死のつながりに、意外性はもともとあまりなかった。だけどそれはトシさんが生きていたからこそで、本当の死に実感なんてできない。 トシさんのおかげでたくさん楽しいことがあった。トシさんの作ったサークルがあったから、やってこれたといっても過言じゃないよ。いつかトシさんに会えるまでに、楽しい話たくさん用意しておくね。でも生き返ることができたら、早く帰ってきてください。
2007年09月13日
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妙に性欲がないなとずっと思っていた。そしてそういえば生理が3ヶ月くらい来ていないと気付いた。最後に生理が来て以来セックスはしていないし、最後にしたセックスはピルとコンドームを併用したので妊娠の可能性はない。なのでしばらく放っておいたのだけど、あまりにも来ないので婦人科へ行った。過去にした手術云々をもう一度医者に説明するのは苦であったので、あの病院には行きたくなかったのだけどあえて新しいところを探さずそこへ行った。 そこはいつもダウニーの強烈な香りがする。もともとダウニーの香りは好みではなかったのだけど、あのときにここへ来て以来、逃げ出したくなる香りになった。待合室で待っているとき、今もあの部屋に誰かはいるのだろうかと思った。 だけど私の心持は、あのときから大分変化し、自分のしたことに対して、もうあまり何も思わないようになった。ここにあの話題を書くとき、いつも自分を責めなければならない感覚に陥る。自分が何も思わなくなったことにさえ何も思わなくなった現在であるが、ここへ書き込むときには心が痛む。 ようやく診療室に呼ばれ、またあの椅子に座り、画面に映った白黒の自分の中を見た。排卵してないねと言われた。近々排卵しそうにも見えない、女性ホルモンが出ていない、というようなことも言われた。原因としてはストレスらしい。このまま女性ホルモンが出なかったらどうなるんですかと聞くと、極端に言えば男性ホルモンが出て髭が生えてくるよとの回答には驚いたが、薬を出されて多分数週間後に生理が来るよと言われた。 ちょうどその夜、約半年前まで交流があったが半年間途絶え、1週間ほど前からいきなりメールを送ってきた男に会った。食事をし、うちに来る?と言われた。こういう事情で本日病院へ行ったということを話し、セックスは絶対にできないという条件を相手が了承したので行った。 最初のうちは抵抗していたが、そのうち私が黙っていると、事がどんどん進んでいった。もちろん私が抵抗すれば、相手は止める。しかし相手は私の言った事情をどれほど理解したのか、私に好意があるならばどの程度で行動を自ら止めるのか、また自分は本当に性欲がなくなったのかを確かめるため、黙っていた。もともと相手は黙ってセックスをする男で、私はそれが嫌いだったが、今回もやはり相手は黙っていた。この人とそういうことをしていると、虫になったかのような感覚に陥る。男女のセックスではない。行為、事、そんな言葉でしか表現できないような無駄な時間。とうとう相手がコンドームを取り出したので、終了と言わんばかりに脱がされた服を着て部屋を出て、真夜中のタクシーで帰った。 やはり性欲がない。というかこのようなくだらない行為は、リスクを背負ってまですることではない。それに、昔付き合っていた元元彼と最近よく会っていて、たまにうちに泊まることもあるのだけど、お互いにそういう行為には微塵も至らないし、それでも楽しくやれる良い関係にある。そういう人がいなければまた別かもしれないが、いるのだからこの人と関係する意味はない。 その夜の不愉快な気持ちは実際の行為や、その人の言葉と行為との矛盾等から来る。しかし別にその人を責めるつもりはない。私もその人や自身を試すようなことをして悪かったと思っているし、性欲なんて当たり前だからだ。 だけどもうその人とは関係しないと決めた。というか、全てのそういう馬鹿みたいな関係をやめる。セックスを最後にしてからもう随分と経つし、その間そういう関係の人とは会いも話しもしなかったので、このままいこうと思っている。 薬を飲み始めてから数週間が経つが、昨日ようやく生理が来た。しかし今度は生理が終わらなくなる可能性もありそうなので、しばらく様子をみる。
2007年09月12日
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いつもどんな物事に対しても、テキトーにやってきた。テキトーにやって、自分がどんな状況になっても誰かが慰めたり助けたりしてくれたし、そうでなくても自分の中でこれまたテキトーに消化できた。 いつでもどこでも頑張らなかった。だから就職の面接なんかで、これまで一番頑張ったことは?なんて聞かれると、面白いほど浮かんでこない。嘘で塗り固める対処ですらも頑張らないのでしなかった。 会社に入れてくれりゃー頑張るよ、テキトーに。そんな気持ちでテキトーに見つけたテキトーな会社の面接でテキトーに受け答えしていたら、3社受かった。変なのーって思った。私のような馬鹿なんて、私だったら絶対取らない。もちろん落ちた企業も3社以上にあるけど、まっとうな企業だと思う。 受かった3社の条件はとても悪かった。もうちょっとマシなところへ行きたいと思い、全部捨ててしまった。そしてもうちょっとマシ、な企業の最終面接を先日終えたのだけど、その瞬間から本日に至るまでの数日間、本当に気分が悪かった。あまりにもできなかった。 先程、スーパーに何かを買いに行こうと思い、ドアを開けた。ポストをちらりと見ると、そこの企業から手紙が来ていて、隙間からそれをつまむとすごく薄かった。面接の最中からわかっていたのだけど、あーこの自己嫌悪の葛藤さえも終わってしまって、また始めなければならない。めんどくさーあーもうやだなーを繰り返しながらスーパーへ向かった。もともと、特別何かを買おうと思ってスーパーへ向かったわけではないのだけど、更に何を買うのかわからずに、うろうろしていた。お菓子やらお酒やらを買い込んだ。家まで帰り、ポストから封筒を取り出し、部屋で開けた。もともと希望など持っていなかったのだけど、「残念」という文字なんてやっぱり見たくなかった。細かく破って、パラパラと捨てた。 家に帰る途中、あの赤い車があの場所に止まっていたら、今止まっていたら、間違いなく私は乗るんだろうなーと思った。あの人の家まで、歩いていったらどれくらいかかるんだろうとも思った。丁度タクシーが通って、これは何かの暗示なのかなーとかも思った。 ベランダで「残念」と書かれた手紙を読んでいるとき、何にもあてにならないと思った。誰かに頼ることはもちろんだけど、自身でさえもあてにならないなんて、一体なんて馬鹿な生涯送ってきたんだろう。 もし手元に一発で簡単に死ねる薬があったら、間違いなく飲む。それをとんでもないって思う瞬間は、少なくともこの日記を始めてからは一度もなかったような気がする。簡単に死ねるんならいつだって死ねる。死ぬときさえも怠惰なのか。 何もかも忘れて、あの人のにおいを嗅いで安心して、体温に触れたい。だから今から私があの人の家へタクシーで向かうのは許されると思いたい。 そんなことしないけど。 ゆるくゆるく、いつも決断を先延ばしにしたい。めんどくさい。 死にたい。泣きたい。忘れたい。あの人に会いたい。 自分の持つプライドは、いつも自分を追い越して、私は全然見合っていない。よし頑張ろうという気持ちには、残念ながら全くならないのだけど、0が1になる程度までは頑張らないといけない。やだけど頑張らないといけない。
2007年07月31日
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部屋が綺麗なことと自炊をしていることを除けば、あの頃と全く同じ生活をしている。家に篭り、昼過ぎに起き、明け方に眠るあの頃の生活。 内定先は三つあったが二つを切り、一つのド田舎へ行き、ここには逃げ場がないと感じ、結局辞退した。またゼロから就職活動で、現在は一つの企業の選考の最中である。 多分なんとかなるっていう根拠はどこからくるんだろう。今までそうやって生きてきたからか。虚しい。 ピルの飲み忘れに気付いてから、多分2ヶ月くらい経っているのだけど、結局もう飲んでいない。くだらないセックスに対する制御ができて丁度良かった。意志を持って飲まないでいる。 いつか私を好きになってくれる人が現れて、私もその人を好きになったらまた飲もう。それ多分当たり前のことなんだけど。 そういえばこのページを持って何年かが経つけど、初めの何年かはほぼ毎日何か書いていたんだよな。恥ずかしくて読み返せないような内容ばかりだけど。でも本当は最近、というかある特定の時期に書いたものの方が読み返せない。シャレにならないから。今までシャレで書いたものなど一つもないけど。 でも現実は今だけで、その頃に抱えていたものなんて虚構と何ら変わりはない。ほぼ。 幸せになりたいとかあの人に会いたいとかそういうのが今ない。今になって内定ゼロで、こんなことを言っている余裕はないのだけど、冒頭に書いた日常がとても平凡で、このままずっとこんなふうがいいと思う。終わりが近いからそんなふうに思うのかな。 ベランダの外は海で、水はそのギリギリまで溜まっていて、真夜中にベランダに出るといつも柵を越えてその水に飛び込む妄想をする。 だから何っていうような続きの見えない毎日を送っている。
2007年07月17日
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例の旅行の数日前に別れた。 余計な出せない出費を出して、旅行の提案をした奴ではなく私が電車、時刻表、地図等を全部調べるらしいことを感じ取り、何かが切れた。 私は和解なんてしない。いや、奴ができないからしないだけか。正か負かゼロか100か白か黒か。 ただ、私はその理由を言った。奴に電話をし、別れを告げ、どうしてと聞かれ、「疲れた」と言った。そのたった一言を、初めて伝えた。いつもこのような状況になっても、奴とは話にならないので私は何も言わなかった。今まで消去法であっても全て自分で選択をしてきて、自分に嘘をついてきたわけではないけれど、その一言を発したとき安心したのと本当に疲れたと思ったのとで泣きそうになった。しかしそれを堪え、自分も電話番号を消すからそちらも私の番号を消してと伝えた。またもや今までありがとう、就職頑張ってねという言葉を受け、電話を切った。その後すぐに携帯から奴の名を消した。 無駄な出費をせずに済んだことを喜び、でも次どうしようと思った。 とんでもなく不細工で気持ち悪くて関西弁の男に好意を持たれていた。何か得なことがあるんじゃないかと切らなかったが、あまりの身の程知らずぶりに怒りを覚え、携帯上でそいつの名前を「猿」にしても罪悪感を覚えないほどだったので、切った。 だけど猿は便利だった。猿に対する怒りは様々な他の負の感情を忘れさせてくれたし、自分が相手に好意を持っていなければ1対1の男女関係は意味がないのだと気付かせてくれた。猿にならって携帯からいくつかの名前を消し、これからチャットでの出会いも辞めようと思った。それによって猿以下の女が救われるのか否かはどうでもいい。 猿以下の女は現在、買い物ばかりをしている。無駄な出費は2倍以上になって吹っ飛んだ。 そのときだけが楽しければいい。少なくとも今はいいじゃん。買い物って楽しい。ワンピースとかかわいい。だけど買い物袋を受け取った瞬間に全ては終了していて、足の踏み場もない部屋には記憶に遠い紙袋が封も切られずに転がっている。 口座の残高がゼロにほど近くなり、カードの入金不足の催促の手紙が来たとき、嫌になった。かなりの軽度ではあるが、買い物依存。それに構わず物を供給する都。 抑えられない自分に近頃嫌気が差してきて、私は田舎へいくかもしれないと思った。内定先が東京からも名古屋からも遠く離れたド田舎で、まだ内定承諾書は提出していないのだけど、明後日そちらに行ってくる。 スローライフとか趣味じゃないし、花は好きでも土が嫌いで育てないくらいだけど、田舎で暮らしてみようかな。田舎なら車の運転もできるようになりそうだしな。ビートルに乗りたい。 動機はいつも消去法で不純だ。
2007年06月19日
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お金は、わかりやすい愛だと思う。一生懸命稼いだお金を一部誰かに捧げるのは、紛れもなく愛だと思う。言葉や想いで伝えてもそれは伝わり切らないし、たとえばそれを目に見える形にする方がよっぽど早いし確実だ。 地元の親友のお姉さんが美容師をしていて、美容師の中で年に何回か写真コンテストのようなものが開催されるらしい。髪型だけに焦点を当てたものではなく、純粋な写真だそうだ。それのモデルに誘われたので、二度程地元に帰ることになった。6月の中旬の撮影、そのための衣装合わせ等の二度。 来週に後者の予定で帰るのだが、奴が付いてくることになった。私の交通費をそのお姉さんが1万円までなら負担してくれるそうで、1万円だったら新幹線の往復もできないし、なんだか申し訳ないのでバスで帰ろうと思っていた。が、奴が一緒に私の地元へ行きたいと言うので、更に気を遣ってやっぱり新幹線で帰ることになった。3日間くらいなら帰れると私が言ったら、奴も合わせて3日間の休みを取ってしまった。 3日間のうちで、大阪にも行きたいと言われた。ノリでいいねと言ったら本当に行くことになってしまって、気付いたときには取り返しがつかなくなっていた。 付いてくるのは正直ものすごく嫌だし、大阪まで行くのも面倒だけど、それら自体はまあいい。時間もあるし。嫌なのは交通費だ。お姉さんにはバスを使うと申告するつもりでいるので、その分の交通費が返ってくる。しかし実際には新幹線で帰るので、数千円の余計な出費。且つ大阪への交通費。且つ大阪でのおそらく遊園地代。且つ帰りの交通費。奴が出さないから嫌なのだ。 奴年収1000万。私年収120万。なんで出さないの。 私は日々のデートの車のガソリン代を出していない。食事代はたまに出すくらい。でも端数は結構払う。その他の遊び代もほぼワリカン。おかしい。 一度や二度なら構わないけど、何度ともなれば端数だって遊び代だって食事代だって募ってくる。死ぬほどきついわけではないけど、実際きついし何より癪に触る。奴の千円は私にとって一万円の価値があるといっても過言ではない。死ね。 出会った当初は1円たりとも私は出さなかったし、奴も出させなかった。しかし時が経っていくにつれて、会計のときに私がいくらかを奴に差し出すと、それを断らなくなった。更に時が経っていくと、それが当たり前になった。 学生同士ならわかる。でもだから私は学生と付き合いたくないのだ。いくらか差し出したら「出さないで」と言われるような付き合いがいい。もちろんそればかりではないけど、そればかりじゃなくもない。 奴には想像力がないのだろうか。そんなことばかり考えていたらイライラしてどうしようもなかったので、奴に「申し訳ないんだけど、交通費のお金を貸してくれないかな」という電話をした。当然貸してもらおうなんて思ってない。出せといっているのだ。それとお金に対する価値観を確認したかった。 「言わなかったっけ。俺お金のこと言うの嫌なんだよ。お金で関係がこじれるのって友達にしても恋人にしても一番嫌なことでしょ。だから食事代もガソリン代も黙って出してるし。」。 あとなんだっけ。覚えているのは援助交際という言葉。体を売ったことがあるという経験をずっと昔に話したことがあるからだろうか。だから余計に奴のプライドが高くなってしまったんだろうか。 私は奴に物を買ってとねだったことはない。食事代なんて当たり前だろうが。私の予定外の、しかも奴のせいで加算された出せない交通費を出すのが援助交際?馬鹿か。死ね。 いつかに私と奴との共同の財布を作ったことがあった。一月に互いが一万円を入れ、そこからデート代を出すというものだった。それ自体おかしいのだ。収入が約10分の1なのになぜ同じ額?もうやってないけど。 フェミニズムだの女性差別だのどうだっていい。逆効果だよ。男が都合のいい部分だけ抽出する権利を促進させるだけじゃねーか。信じられない。 しかも親友が奴に会いたいと言って、私は気乗りしなかったけれども気乗りしない奴に頼んでしまって、気乗りしない奴を会わせることになってしまって、あああああああああああああああ何一つ利点なんかない。親友に奴なんて会わせたくない。誇らしい顔をして会わせられるような人間ではないからだ。 どうして私は奴にペコペコペコペコしているんだろう。交通費の件も結局私が自分で何とかするということになってしまったし。 教育者面してんじゃねーよ。てめーに教育されることなんて何一つねーんだよ。何されてきたと思ってんだよ。 明日会うから別れようかな。どうせ近いうちに別れるくらいなら無駄な数万円を出す前に別れた方がいいよな。でもそのために奴が取った3日間の連休は?その分あとに休みがない奴の苦しみに対する私の責任は? 私は何も発しない。モデルもお姉さん。連休も奴。大阪も奴。付いてくるのも奴。奴に会いたいと言ったのも親友。 なんでみんなそんな活動的なの?私はそれらにうんとかううんとか言っているだけだ。決定権は私。それなら全て私の責任なのか?選択があらぬ方向へとばかり進んでいく。進んでいく方向の80パーセントが合致しない。 イエスマンじゃない奴なんていらない。いちいちうるさい。 一生懸命稼いだお金で私を崇めて死ぬほど愛して病まない人。語呂がいいから言ったけどここまでじゃなくてもいい。でも嘘でもいいからこんなふうに勘違いさせてくれる人がいい。 しかし最近嘘を見抜けるようになってきた。嘘ばかりをくぐり抜け、ひたすら勘違いのフリをしてきたからだろうか。飽きてきたといった方がいいのかもしれない。 ただ、勘違いから始まった奴との関係における嘘がいまだに見抜けない。騙されているのだろうか。 だけど騙されるにも労力がいって、疲れた。 お金のことで心配したくない。それを配慮できない奴は屑。
2007年05月28日
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ピルとコンドームを併用すれば、まともにセックスをできるくらいになった。別れてから初対面の男2人と1回づつセックスをした。5月19日の土曜日、ピルの飲み忘れに気が付いた。近頃は手帳にピルの記録を付けておかなかったので、いつの分を飲み忘れたのかさえわからなかった。幸い生理がきていたのでよかったが、一度でも飲み忘れるとピルの効果がなくなるので、一月休んで次の生理からまたピルを飲み始めようと思った。もちろん一月セックスはできないが、まぁどうせ予定があったとしてもくだらない男とのつまらないセックスなので支障はないか。あーでもいつどこで間違えたんだろうやだなと思っていた。 自分の正確さは全く当てにならない。本当に。大丈夫だと思っていたのに。 電話が鳴った。七色の光とともに奴の名前が表示されていた。 別れてから一月と少し。毎日意外と大丈夫だった。特にこの頃は奴のことさえほとんど考えなくなっていた。 大丈夫じゃなかった。着信音が鳴っている最中、電話に出ないという選択肢など不思議なくらい浮かばなかった。なんてことをしてくれたんだと思った。案の定2時間くらい、普通の話をした。 以前何回か彼と別れた後にした電話と同じ内容。愛してるよとか好きだよという言葉は、どうして心地がいいのだろう。彼と話していると、なぜ私は彼を許してしまうのだろう。 また復縁みたいになった。二日後に会うことになった。 でも私はなんで別れたんだっけ。彼を許せなかったからだ。耐えられなくなったからだ。 二日後に会うことに関して、迷っていた。セックスを一月できないということが大きかった。その理由で迷っている自分を変だと思った。 なんで折れてしまうんだろう。 セックスができないということをメールで送ったら、向こうからもセックス云々の長いメールが返ってきた。その内容はコンドーム着用のセックスが本当はすごく痛くて辛かった。でもだったらどうすればいんだろうという答えのないものだった。 長いメールに短い返信をした。もう会えないと送った。それは私なりの小さな決心だった。 でもそんなものすぐ揺らぐ。だからこそ消えない文章で送ったのに、彼はあっさりと会いにきた。 久々の赤い車には違和感がなかった。彼に対しても違和はなかった。 一月と少しの時間が丸きり消滅したみたいだった。 中華街へ行って山下公園へ行ってキスをした。よく行っていたその場所にも懐かしさはなかった。どうして消滅しているんだろう。 その後彼の家へ行った。セックスはせず抱き締め合って眠った。 セックスなしの付き合いはいつまで続くだろう。次に彼の機嫌が悪くなるのはいつだろう。 いつでも構わない。なんかもういいや。 彼と別れて気付いたことがある。それは、大丈夫だということだ。大してダメージなんか受けないということ。 私はずっと一瞬を繋いで生きてきた。架空でも幻想でも勘違いでもとにかく一瞬が幸せであればいいという感覚。 絶対に結婚はしないけれども、少なくとも一時的に彼と一緒にいる瞬間は悲しいかな幸せで、それならば単にまた次の別れまで一緒にいればいいだけの話なんじゃないかなと近頃は思う。複雑な観念や恐ろしい感情は和らいできていることだし。 再び付き合っても別れても私には余裕がある。ただ、もしかすると彼には本当に余裕がないんじゃないかと思う。「智子しかいない」と彼はよく言うのだが、それはあながち嘘ではないのではなかろうか。それならなお愉快で心地が良い。 コンドームとピルのどちらかでも欠けたら、絶対にセックスをしない。セックス無しの関係が続くわけがないのだけど、それさえ守っていればいい。経過を見るのも物語のようでおもしろい。 この日記を書いているこの場は「常識」で、「常識」では彼は悪者で、だから私はここにいると彼をひたすら叩かなくてはいけないような考えに陥る。その上で書いているので、なんだか上手く表現できない。時には「常識」を外れて彼を愛し、時には「常識」以上に彼を憎む私の考えは浮遊していて、定点がない。だけどおそらく今の心境は前者に近く、彼とまたもう少し一緒にいようと思う。いたいと思う。 嘘。本当は第三者が現れないだけだ。それも嘘かな。
2007年05月26日
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準備が足りなかった。 人の紹介で知り合った男には一つも魅力を感じないのでダメ、チャットで知り合った男は論外。また新しい男と会ったが多分ダメ、これから誰かと出会う見込みもなし、ひたすら1から探している最中である。 そういうことをしていないと、奴に電話をしてしまいそうになる。絶対にダメ。 なんだろう、ステイタス?容姿?セックス?私は何を探しているんだろう。探しているんじゃなくて、何が基盤になっているのか。 なぜ物足りないかというと、奴が持っていたものを誰も持っていないからだろうか。いつまでこの思いを抱いていなければならないのだろう。 奴と抱き合うと、パズルみたいにぴったりだった。奴と街を手をつないで歩いた。私と歩くのが自慢だと言った。真夜中の海に行った。海岸でキスをした。 「火曜の彼」の二の舞じゃないけど、もうこんなふうに私は一生なれないような気がする。何もかもが汚くなった自分がいる。男は誰も私を愛さないんじゃないかと思う。そして私も誰かを愛せないんじゃないかと思う。 就職先は半分決まった。決めかねている理由は勤務地にある。都会が好きな自分にとって、絶望的な勤務地だからだ。転勤はなく、一生そこで暮らすことになる。仕事内容としてはものすごくおもしろそうだし、これからそれ以上のところに受かるとも思えないので迷っている。 ひどく、センチメンタルな気分である。また死にたいと思っている。私は私が生きていても、何も嬉しくない。 優しくて思いやりがあって頭良くて背が175以上でガリガリじゃなくておしゃれでセックスも趣味も合って能動的な彼氏が欲しい。大した理想でもなんでもないのに。チャットで探すのが困難なだけか。 しかし私にその価値が伴っていなければどうしようもないんだった。価値が伴っていないから、どうしようもないんだった。
2007年04月22日
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眠る前、いつもDSの「どうぶつの森」というゲームをやっている。珍しくその生活が半年以上も続いている。電気を消して、目覚ましをセットして、横になってこのゲームをするのが楽しみでもあり、なぜかこれをしているとスムーズに眠ることができるので、なくてはならないものとなっている。 昨夜もそれをやろうとDSを開いたら、一枚の紙が挟まれていた。 昨日、奴と別れた。私の何気ない一言が、奴のプライドをひどく傷つけたらしく、奴は不機嫌になり、私も不愉快でたまらなかった。確かに私は嫌なことを言ってしまったかもしれない。だけど悪気はなかったし、そんなの日常会話の一環だよ。それにあんたなんかその何百倍の言葉でさらりと私を傷つけてきたじゃないか。 こんなに乱暴な運転を奴がするのを初めて見た。よっぽど傷ついたのだろうか。どんだけ弱いんだよ。どんだけ幼いんだよ。 無言の車中で別れをじわりじわりと決めていった。案の定車は駅前で止まり、助手席のドアを開けられた。ここからは車を降りて自分で帰れということ。 車を降りて向き合ったとき「あのさ別れて」と言った。5秒くらい間があった。この人こんなに茶色い目をしていたんだ。「わかった」と言われ、私も奴もさよならも言わないでそそくさと去った。 なんだかんだ言って、基本的に私たちはとても仲が良かったので、別れのタイミングを掴むのが難しかった。だから絶好のタイミングで、これを逃したらまたずるずると付き合ってしまうだろうし、丁度良かった。 駅前のドトールに入ってレジに並んだ。涙が一粒、二粒くらい流れた。 何気なく鞄の中を見たら、奴の家にDSを忘れたことに気付いた。できれば今から取りに行きたいと思い、電話をしたら出なかった。しつこく電話をしたら不機嫌な声で出たので事情を説明し、タクシーに乗って奴の家へ向かった。DSがないと寝付けないし、何より何日も奴の家へ行かなくちゃと考えるのも嫌だし、先延ばしにならなくてよかった。 インターホンを押すと、ドアを3分の1くらい開けてDSを手渡され、すぐに閉まり、私もすぐにまたタクシーに乗り込んだ。 やっと別れられた。そのために準備をしてきたことや、例の感情が落ち着いてきたことから、大きなダメージはない。涙も出ない。 午前中のテレビ番組で「信じられない男」とか「ダメ男」とかの特集がたまにあるけど、本当にそんな男だった。誰かに話せば別れた方がいいよと返ってくることがわかっていたので誰にも話さなかった。そんなふうに言われるのがこわかった。でも別れたほうがいいのは自分の中でも明らかだった。どう考えたってそうだった。 その日の夜もいつものように眠る前、DSを開いた。同時にカサッと何かが落ちる音がして、見たら紙だった。「今までありがとう。就職がんばってね。」と書かれていた。どういう心情で書いたのか知らないけど、涙が出た。 私は即座に携帯メールを書いていて、その最中、冷静になれ、明日起きても送るべきだと思うなら送れと思っていたのだけど、送信ボタンを押してしまった。 一つすごく気にかかっていたのは、その日私が奴を傷つけたことだった。本当に誰しもが笑って流す一言だと思うのだけど、それはやはりよくなかった。そのときに謝るべきだった。 それによって別れる別れないがどうこうというわけでは全くないが、人を傷つけるのは絶対にすべきではないことだ。私は奴に数え切れないほど傷つけられてきたが、そんな相手でも私はやはり自らの手で傷をつけることをしたくない。 そういうわけで、私があなたを傷つけたのならば本当にごめんなさいというのと、今までありがとうというのと、悲しいくらい好きでしたという3言を書いて送った。 悲しいくらい好きだった。悲しいから好きだった。かわいそうだった。憎かった。愛しかった。
2007年04月14日
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笑いながら深刻な声って出せるんだな。悲しみに暮れる誰かを気遣う声を満面の笑みで出せるんだな。 私はイキイキと生活している。こちらにあれほど書いた憎しみも今は落ち着いている。人を殺してしまった罪悪感や申し訳なさには毎日苦しんでいるが。 それでも強く生きている。って私は被害者ではないのだけど。自ら選択して罪を犯した自分に「それでも」なんていう被害者面の言い方をする資格は一切ない。しかし、それだから強く生きているのだと思う。あれ以上の悲しみ、苦しみなどないから。大きな悲しみが心の中にあり、それ以外のことを全く苦に感じなくなった。めんどくさいとか体調が悪いとか疲れたとかを感じることはあるが、それが絶望や苦痛になることはない。 人がこれが辛いあれが辛いと言い出すと、つい自分の苦しみと比較してしまい、何言ってんだこいつと思うこともある。絶対に口に出すことはないが。誰かがすごく辛いと言えば、それはすごく辛いんだろう。私だってそうだったもん。今もそうかもしれないし。 何偉そうに言ってんだろう。ただ先程、他人が辛いとひたすら言っていたのを聞き、何言ってんだこいつと思ったばかりだったのだ。 上と矛盾するかもしれないが、「何言ってんだこいつ」と私は、基本的に誰かに対して思ったりしない。家族はもちろん、親友から知り合いまでほぼ誰に対してもそんなこと思わない。私は根がとてつもなく優しいのだ。だからましてや誰かが苦しんでいるときに、そんな意地の悪いことを思いつきさえしない。 一人なのだ。私がそんなふうに思う対象は。 最近はとても愉快である。なぜなら奴が苦しんでいるから。 2週間ほど前、仕事場で奴は倒れた。病院に運ばれ、倒れた原因の頭痛について検査したが、脳に異常はなく、ただのストレスだそうだ。しかしただのといっても倒れたくらいだから、とてつもない緊張感とストレスを仕事で感じているのだろう。メールでその報告をされたとき、フォローが面倒だなと思うと同時に愉快極まりなかった。そのまま死ねばよかったのになぁと思った。 奴は3月に転勤をし、仕事場の環境が変わった。それを機に、ストレスが相当溜まっているようだった。それは聞いていたし、私も度々愚痴を聞いてきたし、イライラしながらも支えるフリをしていた。しかしここまでひどいとは。愉快だ。苦しめ。 本日も電話で奴の声を聞いたが、まさに死にそうな勢いだった。 辛い。職場が辛い。合わない。仕事を辞めても俺には帰る家がない。一人ぼっち。自分で言うのもなんだけど、自分がかわいそう。 お前は何歳だよ。死ねよ。お前が帰る家がないのは、お前が全部捨ててきたからだろ。お前が周りの人間を苦しめたからだろ。一人なんて当たり前だろうが。何様なんだよ。てめーより苦しんでる人間なんて腐るほどいるんだよ。 と、思いながらも「そうだよね」、「辛いよね」と優しい優しい声を出し、救いようのない人間の話を聞いた。愉快だった。 電話を切るとき、奴はぶっきらぼうだった。今まで何回あったっけ。自分の苦しみにいっぱいいっぱいな切り方。早くて3日、長くて2週間は連絡がこないだろう。 しかし今までで一番苦しんでいるようで、このままいけば本当に死ぬかもしれない。そういうことをほのめかしていたし。 死ぬの?それがいいよ。たくさんの人に懺悔しながら死んでよ。醜い顔して死んでよ。あーただ今は桜が咲いてて、桜と死を結び付けるのは綺麗すぎるからもう少しだけ後で死んでよ。一人ぼっちなら、もう死ぬしかないよ。あんた救いようないもん。 2ヶ月くらい前から、奴が私にプレゼントを買ってくれると言っていた。誕生日とホワイトデーのお返し。先日、やっとそれを買ってもらった。4万円くらい。不満だった。今まで私が奴に費やした労力には到底値しない。しかしそんなわずかな金額でも私は奴から奪いたかったし、その日が来るまで別れられなかった。悔しくて。しみったれた人間だと思われても構わない。 その日がようやく過ぎたことや、こちらに散々書いてきた事情で別れられないという気持ちも落ち着いてきたことから、もう割といつでも別れられる。そのための準備もしてきた。シフトできるような相手を探していて、今はまだ決めかねているがその相手が2人いる。別れないで同時に付き合い、安定してきたら奴を切るのが無難だと考えている。 しかし奴が最高に情緒不安定なときに切るのが一番だな。切ってから死なれてもわからないのが残念だけど。 もうあんまり何もこわくない。奴の死や苦しみをを愉快に感じていることも、密かに別れる準備を進めている卑しさもこわくない。 怨念ってあるのかもしれないな。早くいい相手が見つかるといいな。 こわくないのは、私が奴に対して何を思おうと、いかに切ろうと、私の苦しみには値しないからである。私の労力が、4万円ではびくともしないように。
2007年04月02日
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あの頃の私は、一体何が悲しかったのだろう。さっぱり思い出せない。 ある人間に殺意を持っていること、中絶したということ、もう二度と子供ができないかもしれないという不安を抱えていること、常に腹部に違和を感じていること、大切な人々に、これを黙っているということ。 地元の唯一の親友と話していると最近いつも感心される。丸くなったね、優しいね、強いね。 本当だろうか。本当だよ。 私は随分と、色々なことが難なくできるようになった。心がとても穏やかになった。 誰にも話さないことが正義ではない。むしろ不義だ。しかし不義を貫くしかない。無論自分のために。 「怨み」、「怨み 晴らす」、「殺し 去勢」、「殺人サイト」、「復讐 殺し」、「復讐代行」。検索履歴にはこんな言葉ばかりがある。癖みたいに探している。この行為をしているときが、一番自分を正しいと思える。 本当に死んでくれないかな。去勢をするのがこちらとしては一番愉快なのだけど。 復讐代行とか殺人請負とか、うさんくさいサイトを眺めながら心を落ち着かせる。あぁまぁきっと需要があるのだろう。そう思うとホッとする。世の中にはこんなにも人を憎んでいる人がいるんだな。神様のいない世の中でそんなふうに世界は成り立っているんだろうな。 制裁を加えたい。でもそれは自分の手でやるほどの勇気がなければ、できないのだ。私はそんなものないからできない。 私には絶対に忘れてはならないことができてしまった。だから新鮮な空気を吸って、よーし1から頑張ろうなんてことは、もう二度とできない。始めるのではなく、治すしかない。 無理だろうけど、これからもうできるだけ奴に対して殺意を持ちたくない。朝起きた瞬間から眠りに付く瞬間に至るまで血なまぐさい想像などしたくない。ここにもこんな気持ちの悪いことを書き続けたくない。と、少なくとも今ふと思っている。 芸能人が妊娠何ヶ月だとか、赤ちゃんという単語だとかを一切耳に入れたくない。胸が痛くていてもたってもいられなくなる。自分のしたことが恐ろしくてたまらない。こんな人間生きていてはいけない。それを踏まえて生きていかなければならない。ずっと。 半年でも前に戻れたらとか記憶を失くすことができたらとか多分10分に1回くらい考えているのだけど、できないんだからもうやめよう。やめられないと思うけど。 今日は夜から遊びに行くから元気出そう。明日も新しい友達と遊びに行くから楽しもう。 でも楽しんでいいんだっけ。 何が正義で何が不義なのか、不義である人間に正義などあるのか、そもそも毎日を生きていていいのか、笑うことをしていいのか。どうあがいても許されない中で、私は許されようとしているのだと思う。でも決して許されないことを知っていて、どう生きていったらいいのかわからないでいる。だけど流れるようにそのまま生きている。
2007年03月20日
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ある程度、自分を騙して生きていかなければならないのだと思う。しかしどの程度、勘違いすればいいのだろうか。 何のためにこの町に出てきたのだろう。なんでこんなに傷つけられなければならないのだろう。そして私はなぜそこから、脱出できないのだろう。 なんであの男、あんなにいかれてるんだろう。どうしたら私は、あの男に制裁を加えられるのだろう。 あの男から、いくらくらい取れるんだろう。でもいくら取ったところで、私は何を得られるのだろう。 あの男がまともになるのはいつだろう。今更遅いかそんなこと。 中絶したことは後悔していない。でも反省はこの上なくしている。一生申し訳ないと思いながら生きていく。当然許されないことだと思っている。 しかしあの男は私が手術を受ける前後、なぜあそこまで私を傷つけたのだろう。なんであんなに狂っていたのだろう。 その光景をふとした瞬間に思い出す。めまぐるしく動いていなければ、気を抜いてしまい、思い出す。悪夢である。 あの男に制裁を加えるとするならば、去勢だ。殺し屋ってあるのだろうか。震える手で遠い希望を検索する。 死んでほしい。いや、生き地獄がいい。脳みそをぐちゃぐちゃにして、よだれを垂らしながらフラフラと歩いてのたれ死ぬ奴を見てみたい。去勢してセックスや生殖能力の機能を失って苦しむ奴を見てみたい。足を切断して義足さえ付けられない奴の右往左往を見てみたい。 そしたら私は奴の髪をなでてやる。満面の笑みと100%の愛情で抱きしめてやる。 無数の選択肢があった中で、奴の選んだ私に対する行動と言葉ほど最低なものはない。その場のやりとりで、私の気の持ちようは変わっていたはずだ。私は最低である。しかしそれを踏まえた上でも、私は奴に傷つけ「られた」。恐ろしいトラウマを残された。毎日の生活に支障が出ている。壊れてしまいそうになる。 私にも無数の選択肢がある。その中で私は奴と一緒にいることを選んでいる。奴が私を傷つけたことを忘れ、ノウノウと生きていくことが許せないからだ。もっとも、現時点で奴は私を傷つけたことについて、何とも思っていないのだが。 私はわずかでも希望など持っていない。奴が救いようのある人間だと信じられるほど馬鹿でない。 それでも私が奴といるのは、・・・理由がはっきり出てこない。当事者だから?長いこと付き合っているから?許せないから? 中絶後、奴と別れていた期間、2人の男と付き合いまがいをしたが、だめであった。たまたまダメだったのかもしれないが、奴でなければどうしようもないとそのとき思った。 しかし現実としてこれから生きていくならば、私は奴に制裁を加えるとか付き合い続けることはせず、自分のことを大切にしてくれる人を見つけてその人と付き合っていくべきだと思う。だからといって、当てがないのに奴との別れの決意をできるほど私は強くない。奴との付き合いと並行して他の人を探し、良ければそのままシフトしようと思っている。 書いているうちに、凶暴な気持ちが少し落ち着いた。この場所で不安定な気持ちを言葉にしていくと、やはり少し落ち着く。 近頃私はほぼ毎日就職活動をしている。全然希望していないところだが、内定も一つ取れて嬉しかった。これからも内定が出るよう頑張っていく。 本日はこれから学校へ行き、必要な書類を取りにいく。
2007年03月16日
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近頃は中絶のことを忘れ生活していた。常に念頭にはあったのだけど、一日の全てをそれが占めることはなかった。 何度かここに文章を載せようと思った。けれどもここに来ると必ず中絶について触れなければならないような気がして、それでなければ自分がとてつもなく馬鹿で冷酷な人間であるような気がして、且つそういう観念があるせいか文章を書いてもそれはとても陳腐なものにしか見えず、載せることはなかった。 就職活動に焦ったり、汚い肌に嘆いたり、低レベルな負に追われ、それはある意味幸せな日々だったのかもしれない。皮肉の意を込めて幸せといっている。 しかしそのような生活の反面、一つの引っ掛かりがあった。あの男のことである。 殺意はもうなくなっていた。だけどどういうわけか、あの男と一緒にいなければ私はどうしようもなかった。中絶後しばらくしてあの男にアプローチを繰り返された。しかし私は断り続けた。 ある日から連絡が来なくなった。これでいいと思いつつも、憎くて悔しくてたまらなかった。 なんで跪かないんだ。なんで私だけが嫌な思いを抱え続けるというのに、あの男が能天気に私から離れるんだ。 日にちが経ってからこちらから連絡した。大好きだと言われた。会いたいと言われた。私は会えないと言った。関係を断つことをしないくせに好意を見せない私に対し、彼は「つらい」と言った。一方的に好きでいるのはつらく、やるせない。だからもうお互い連絡するのは辞めようと言われた。 嫌だと思った。そこには怒りと寂しさと愛しさがあった。でもこちらからは連絡しなかった。 彼の存在が徐々に薄れていった。何週間も経ったある日、彼から連絡がきた。マンションの前に見覚えのある彼の車と見慣れた彼の姿があった。 抑制することができなかった。彼もそう言った。 助手席に乗り、彼の部屋へ行った。その後数回行った。しかしセックスはしなかった。できないということはあらかじめ言っておいた。 同じようにまた彼の部屋へ行ったとき、体に触れたいと言われた。拒んだら無言で車に乗せられ、家まで送り返された。車中で涙がとめどなく流れた。怒りと寂しさと愛しさがあった。 全力で愛したいし愛されたいんだよと言われた。こんなに愛しているのにと返した。つなぎとめる方法なんて知っている。 再び助手席に乗り、彼の部屋へ戻り、セックスした。二度と望まない妊娠を避けたいと思っていて、いつレイプされてもいいように、と言ったらおかしいのかもしれないけど、既にピルを飲んでいた。彼はコンドームを付け、セックスした。 つなぎとめる方法なんて知っている。しかし私は、それ以外の方法を知らない。突き放されることなんて知らない。一人で毎日をどうやって過ごすかなんて知らない。私を傷つけた人間を許さないことも許すことも知らない。 そうやってやりすごすために、逃げるために、あの男と付き合っている。 文章は本日書いているので、男に対する軽蔑がところどころ出ていると思う。本日でなくとも軽蔑はあったのだけど、見ないふりをしてきた。 昨日、家で夕食を作っているとき、なぜか突然今までのことが蘇ってきた。妊娠が発覚してから、あの男がいかに残酷な対応を私にしてきたか、全部思い出してしまった。 死刑。そんなレベル。 あまりにも辛い記憶は喪失されることがあるそうだが、多分私も一時的に失うことができていたのだろう。思い出すと同時に、殺意も蘇った。あんな人間が存在するということ、私がそれを受け入れてきたことが恐ろしくてたまらない。やりきれない殺意と、莫大な悲しみと恐怖、癒えぬ傷をどう対処したら良いのか、3ヶ月前と同じようにわからない。 文章ではさらりとしているが、それらによる苦しみは尋常なものではなく、私はもう死にたい。全て自分のやらかしたことだが、死にたい。あのおそろしい人間の存在する世界にいるくらいなら、死にたい。
2007年02月21日
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好きな刑事ドラマがあって、本日そのスペシャルがやっていたので見ていた。元旦のスペシャルだけあって、事件のスケールはとても大きかった。犯人の目的は一体何なんだろうとわくわくしながら見ていた。 物語の終盤、犯人の目的がわかった。その瞬間から、私はテレビの画面を正常に見ることができなくなった。 犯人の目的は復讐。男に手を出され、妊娠し、それでも産んで育てようと決めた矢先に男に無理矢理中絶させられ、その後自殺してしまった妹の、兄弟による男への復讐。 こういうの、今までありふれていたんだろうか。全然気が付かなかったけど。私はこれから、多々触れるであろうこういうのに、毎回反応して生きていくんだろうか。 私はこの犯人を、咎めることができない。刑事ドラマに出てくる犯人なんて、大抵やむを得ない事情を抱えているものだけど、こればかりは本当に、切実に犯人の意図に賛同した。 正月の、特番の、お金とひねりを掛けたドラマの犯人の目的と実行。殺人に匹敵する男。そんなにもひどいこと?そんなにもひどいこと。中絶を自ら選択した私も、男と同様殺人に匹敵する。 殺されるべき人間。そういった自覚を忘れていることが最近は多くて、たとえば誰かの優しすぎる慰めであったり、中絶経験者が書き込む掲示板の多大な悲しみであったり、本日のドラマで扱った犯人の事情などから、本当に許されないことなのだと思い知る。 私は何をやっているんだ。あの男何なんだ。判断能力に欠けているのは、犯人ではなく私だ。 ・・・自分の殺意が、とてつもなく怖い。辛い。恐ろしい何かに、飲み込まれてしまいそうになる。そして私はその恐怖から、必死に逃げている。 それでも、覚醒した殺意は消えない。現実的に無理だということはわかっている。無意味だということもわかっている。だけど頭の中には、血だらけの醜い奴の姿と、それを蹴り飛ばしたりナイフで刺したりしている自分の姿がある。 私は奴を本当に殺すつもりはないので、この殺意の終わりは見えない。しかし殺意とは、消える可能性のあるものである。あくまでもそれは意志だし、実際に殺せば少なくとも殺意はなくなるというのもある。 消えないのは、中絶というただ一つの事実である。そしてそれこそが恐怖なのだ。 私はそこから逃げている、殺意というどうでもいいことに逃げている、と書こうと思ったけど、逃げてないわ。殺意があることに変わりはないが、私は事実から逃げてなどいない。そもそも逃げようがないのだけど。 この場合の「逃げ」の対象は苦しみで、苦しみから逃れられないという意味で、私は逃げていないと言っている。言い方がすごく卑怯だけど。 しかし、苦しむことは償いにはならない。殺意と同様、そこには意味がない。 忘れるんじゃなくて、泣くんじゃなくて、咎めるんじゃなくて、ということは頭ではわかっている。 ひたすら生きていくこと。都合の良い考えだろうか。
2007年01月01日
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本日は昨日からの雨も止み、雲一つない晴天だった。こんなにも澄んだ空には、希望がない。 雨雲を掻き分けたらきっと、あの子が遠い空で笑っているような気がした。だけどその澄んだ遠い空には、何一つとして手掛りがなかった。 ただ遠く、手の届かない美しい空は、私の進行を止める。 夕方、婦人科へ行った。術後から子宮の違和感が続くので、手術をした婦人科へ行った。またあの椅子に座り、器具を挿入され、あの画面を見た。感染等の異常はないそうで、術後検診のときと同じ下剤だけを処方された。 手術から1月経過したが、まだ生理が来ていない。生理が来たら徐々に違和感はなくなっていく、と医者に言われたが、本当だろうか。 術後からずっと、自分はこの手術のせいで不妊になっているのではないかという不安がある。中絶をした私が不妊の心配をするなんてお門違いだとは思うが、心配でたまらない。 選択肢の自由度は、人を悩ませ、混乱させる。しかし選択肢の不自由は、それよりも人を悩ませるのかもしれない。 将来、子供をもつという選択ができないことがわかったら、私はまず、あの屑を思い浮かべることだろう。そしてまた殺意に苦しむんだろう。子供をもつという選択肢がなくなることと同じ割合で、私は殺意が恐い。今はやっと殺意が和らいだが、またあんな思いをするのだと思うと、恐ろしくてたまらない。 先日、家を出る前に急いで身支度をしていたとき、立てかけてあった全身鏡に誤って足を引っ掛け、割ってしまった。その瞬間、時が止まったように全てが静かになった。何をするでもなく、ただ私は飛び散ったガラスの破片を見ていた。割れた鏡にみすぼらしい自分が映っていた。無意識でいるかのように、全てがわからなくなった。 後日、新しい鏡を注文した。届いた段ボールを開けると、鏡は既に割れていた。エアーキャップの包装を剥ぐこともなく、段ボールに鏡を戻した。 これは暗示なんだろうか。鏡が割れていたことに、私は全然驚かなかった。ただ、ひたすらあの静かな時間が流れていた。その時間は澄んだ悲しみでできていて、私を無意識へと誘う。 次に届く鏡も、割れているような気がしてならない。
2006年12月27日
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雨雲の向こうにきっと、それはそれは綺麗な空があって、あの子はそこで笑っているだろうか。 ごめんね。 悲しい。 ごめんね。 ベランダに出る度、手の届かない空があって、私はそこで泣いている。 恐ろしい。 雨雲を掻き分けて、あの子に会いに行きたい。 許されない。思い出せば出すほど、罪深くなる。 忘れることが償いではない。それは一時的な回避だ。 自分がどうあればいいのか、わからなくなる。 笑っていていいの?泣いていればいいの? ごめんね。
2006年12月26日
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穏やかな日々を送っている。あるとするなら具体的な殺意や罪悪感、自責の念ではなく、そこはかとない悲しみだ。しかしそれすらとても薄い。 先週の日曜日、就職活動のためのスーツを買いに行った。以前こちらに記した、「そこそこの好意を持たれ」た男の人とちょくちょく会っていて、その人が就職活動について、いつも事細かく教えてくれる。この人には中絶のことを話してしまったのだが、慰めるというか何の言葉を発せずとも元気付けてくれる。彼が進んで私のスーツを買いに行こうと言ってくれて、日曜日、買いに行った。スーツを買った後、本屋で就職関係の本も彼が選んでくれた。その後喫茶店でお茶を飲み、御飯を食べて別れた。 付き合っているわけでもなく、セックスが伴うわけでもなく、こんなどうしようもない人間に、無償で自分の時間と親切とを使ってくれる彼に対し、とても感謝している。そしてこの日を機会に、辛いものがなくなっていった。不思議なほどになくなっていった。彼の親切が大きいことは確かだが、原因はよくわからない。私は何の宗教にも属していないが、言うなれば「導き」であるような気がする。それほどにスーッと、嘘みたいに辛くなくなった。 私が辛くない現状は、「薄情」という言葉に置き換えられるのかもしれない。 中絶前後の毎日は、恐ろしいほど辛かった。本当に辛かった。 自らの中絶を何とも思わない女がいるとするなら、羨ましかった。私はひたすら逃れたかったし忘れたかった。こんなにも深い傷を、私は今まで知らなかった。殺意というものがこれほどに痛切なものだとは知らなかった。 私は、生まれて初めて後悔を知った。 皮肉にも願いは叶い、私は本当に逃れること、忘れることができてしまった。無論、事実は消えない。しかし現実としての辛さ、感情からくる苦痛がほぼなくなった。事実、それに伴う生身の感情は私のどこかの奥深くにうずめられてしまった。種も仕掛けも私でさえわからぬ手品のように。薄情というレッテルを引き換えに、私は神にでも同情されているのだろうか。 本日、歯科のバイトに出掛けた。1歳にも満たない赤ちゃんを連れた女性が来院し、その女性の診察中、私が赤ちゃんのおもりをしていた。 辛くはなかった。外出中に見掛ける赤ちゃんとその親を見ても辛いとは感じない。むしろ笑みがこぼれる。ただ、自分のしたことを思い出すのは確かである。でもそこから強烈にどうということは、皮肉にもほぼない。 赤ちゃんを約20分抱っこしていて思ったのは、「命って重いんだな」、という小学生の感想のようなものだけだった。その重い命を殺した自分→自責、という思考回路が廻らなくなったのは、本当になぜだろう。 本日の夕方、ベランダに出て空を見ていた。雨雲の後方にある光が一瞬、月なのか太陽なのかわからなかった。 真夜中、再び空を見た。流れ星が偶然、一つだけ降った。驚いているうちに消えてしまったが、その後いくら考えても願い事が浮かばなかった。ただ、願い事を考えるのを辞めた途端、あの子が幸せであるようにと願っている自分がいた。それが願い事を考えていたときに浮かばなかったのは、それがきっと願い事ではないからである。痛切な、謝罪なのだ。
2006年12月22日
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殺意は結局、消えなかった。目覚めた瞬間に殺意に苛まれる日常を、私は、これから、どうすることもできないのだろうか。 お前何言ってるんだよ。悪いと思ってないって。何言ってるんだよ。過去のこと責められるのやだって。 死ねよ。どこまで頭悪いんだよ。どこまで想像力ないんだよ。何偉そうにしてんだよ。 お前の子供殺してやろうか。それで、お前と同じ言動してやろうか。 あんただったらとりあえず私のこと殺すだろうね。だけどさ、私が牢屋に入れられてる間、お前と同じ言動したらどうよ。 ・・・私が気違いに殺意を抱く原因は、二つある。私は絶対に妊娠したくない、だから避妊をしていると、過去に何度も気違いに言った。ピルを飲み始めた。だけどそれでも、最後は外で出せと何度も気違いに言った。それなのに気違いは外で出さなかった。ピルの服用を中止している期間のセックスでも、外で出さなかった。その結果、妊娠した。気違いのせいでしかないではないか。 中絶手術をする前の数日間、手術当日、後日、気違いが気違いらしい言動をした。 妊娠に至った過程が気違いのせいであること、中絶前後の私に配慮をするどころか負担をかけたこと、それら二つが原因である。 感情を文章にして書いたが、とても恥ずかしい。文章は感情ほど、自分に密接ではないからだ。客体であるこの文章を読んでいると、虫唾が走る。 原因のうち、後者に私は悪として関与していないが(馬鹿と付き合っていたという意味での関与は否めないが)、前者は明らかに、私が悪として関与しているのだ。 相手が気違いだとわかっていながら、ピルを飲んでいないのにも関わらず、セックスを許容、ではなく受け入れたのは紛れもなく私だ。私の意識が足りなかったのだ。私のせいだ。 なんて、こんな初歩的なことは初めからわかっていたはずだ。私は自分が原因としてありたくがないために、殺意という形で奴に原因を押し付けているのだろうか。その方が楽だと思ったからだろうか。しかしその方が楽でないことに気付き、私はこのような文章を書くことによって気違いに転嫁した原因を自分に舞い戻そうとしているのだろうか。 そうだ。しかしそんな綺麗に、そんなもの戻らないのだ。100%悪くなど、私にはなれないからだ。努力云々の問題ではなく、それは事実だからだ。 半分の責任。責任を追及するということ。果たしようのない責任を追及するということ。50%の殺意を、私はどうすることもできない。 私だけ、なのである。ダメージを受けているのは。私が女であるがゆえに。 男女論を展開させても仕方がないのだが、女の中絶と平等であるのは、男の生殖能力喪失であると思う。気違いに死ぬ気はなさそうだが、死ぬ死ぬ言う前に自分の生殖能力を潰してくれよと思う。潔く。 軽い気持ちで言っているわけではない。私のこの考えを気違いじみていると感じる人がいるであろうことは想定できるが、自分でこの考えを気違いじみていると判断することが少なくとも今の私にはできない。この考えについて何とも思わないほど、私は憎しみに溺れている。壊れているなら壊れている。 しかし本当に壊れているのは、私が術後掲載している文章に赤ちゃんのことがほぼ書かれていないことである。殺意で食いつなぐ自分があらわになっている。逃れたいがために文章を書いている。
2006年12月15日
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「産む」という選択について、一切といっていいほど考えなかった。だから妊娠がわかった瞬間から、悲しかった。 「産む」という選択をしておけばよかったとは、今でも思っていない。だからこそ生きていかなくてはならないのだけど、途方に暮れてしまう。 たとえば授業で触れる映画の断片だとか、何気ない景色だとか、とりとめもない会話だとかに触れているとき、閉塞感に押し潰されそうになる。頭の中には殺意、セックスに対する後悔、自分が「傷物」であることへの不快感、これからのセックスに対する恐怖と不安、手術の光景、赤ちゃんを殺してしまったこと、罪悪感、ずっと続くであろう罪悪感への不快感、それらが延々と廻る。 悲しみよりもおそらく、不快感が大きい。その不快感が殺意を誘う。 毎日の23時台、特にその殺意に駆られ、「死ね」という一言をメールで気違いに送ることを想像する。殺意とは、思っていたよりも辛いものだ。自らの殺意に、とても苦しんでいる。 本日の夜、ふと気違いが既にこの世から居なくなっているような気がした。一瞬。そんなのきっと口実だが、気違いに電話をかけたいという気持ちを抑えることができなかった。私は、あまりにも気違いを許せないのだ。四六時中、殺意に苦しんでいるのだ。それから逃れたかった。 電話をして、普通の会話をして、なぜ中絶後の私の心境について触れないんだという怒りを我慢して、だけどその会話の隙間を縫って自分の心境を話した。中絶後の日々が辛いという心境。殺意についてはもちろん言わなかったが。 「俺そういうこと言われるとさ、死ねって言われてるようにしか聞こえないんだよ。いわゆる普通の人みたいに上辺だけで慰めたりできないんだよ。悪いけど。だからいくらでも命あげるって言ってんじゃん。」。 気違い曰く、私に対してできることは死ぬことのみ。私の精神状態に対する配慮は、全て嘘になるからしない。変わってあげることはできないから、全て嘘。 もう何度も何度も聞いた気違いの言い分である。私は気違いに、土下座をして謝れと思っている。私の現在を永遠に潰す代償として、謝り続けろと思っている。 しかし気違いは、そういうことが絶対にできない。そういうことが世間では「まとも」だということがわかっていながら、できない。 私は心の中で、ここで、奴を無意味に気違いと呼んでいるわけではない。奴の人格を精一杯に全否定するため、気違いと呼んでいる。だって気違いとしか言い様がないではないか。 しかし気違いが「死ねばいいんだろ」という言葉を発するたび、私も狂う。軸が瞬時に転換され、「違うよ」とか「嫌だよ」とか言っているうちに心が楽になっていることに気付く。あまりにも哀れなのだ。気違いが。 私は昔から、「哀れ」なものにとても弱かった。偏見が人一倍強く、たとえば身体障害者に対して「『かわいそう』だと思っちゃいけない」と、物心ついたときからずっと思っていた。「智ちゃんは偏見が無いね」とか「優しいね」とか度々言われてきたが、本当に偏見があって優しくないのは私の方なのだ。私の優しさは、卑劣なのである。 他人に対する哀れみと自分の優しさが紙一重だという卑しさは、いまだに直らない。しかし卑劣であっても、自分の優しさを自覚すると心が安らぐ。この安らぎを得るために私は、電話をするというタブーを犯したのだと思う。 哀れな気違いは、とてつもなく正直な人間だと思う。嘘を付くのが嫌なのだろう。だけどそれしていいの17歳までだよ。この人見てると、かつての自分を思い出す。真実という言葉と意味にやたら固執していたあの頃の。だけど真実が残酷だということもわかっていた。真実は人を殺しかねないとかなんとか書いたことも覚えている。 嘘覚えなきゃなんないんだよ。嘘も方便っていうでしょ。 真実が残酷なんて当たり前なんだよ。お前はそれを越えろよ。残酷だってわかったんなら、もっと残酷な嘘付けよ。自分に対して罪深くあれよ。 あなたの真実がそれこそ道徳の教科書のようなものならいいよ。「一般的」であるならいいよ。でもそうじゃないんだから、嘘くらい付けよ。 かつての自分を否定するわけでは全くないが、今の私は残酷な真実よりも、嘘の優しさのほうがいい。意味なんてそこから見出せばいい。 だけど気違いの頭の悪い真実を聞いていて、一つ思うことがあった。あくまでも「正常」な自分は、気違いに殺意を持っている。「死ねばいいんだろ」という言葉に対し、「じゃあほんとに死ねよ」とか、「今すぐ死ねよ」とか、狂った優しさに導かれる前に死ぬほど思っている。「土下座して謝れ」と思っている。 だけど、そんなことして何になるんだ。気違いが本当に死んだら、土下座をしたら、私は気違いを許すのか。許さないだろう。気違いに誠意や常識的な謝罪があるかないかの問題ではないのだ。ごめんで済むなら警察はいらないという言葉があるが、それが象徴するように、謝られても死なれても何の意味もないのだ。だからといって謝らない気違いを正常だとは決して思わないが。 事実は、他人が揺るがしてもびくともしない。殺意などオマケだ。本質には付随しない。それに気付いた。あくまでも今晩。このまま殺意を取り払うことができたらいいのだが。 中絶を選択してしまった私は、生きていかなくてはならない。そうでなければ中絶した意味がなくなってしまう。 中絶を他人に話すと、それはそれはデリケートな問題として扱ってくれる。数人のその配慮に対して、とても感謝している。しかしその反面、恐ろしくなる。配慮が大きければ大きいほど、自分がそんなにも恐ろしいことをしてしまったのだと気付かされる。 しかしどうしても、生きていかなくてはならない。私はこの事実を一生見据えていかなければならないのだろうか。ならないのだろう。 本当は、忘れてしまいたい。忘れる方向に持っていきたい。忘れることを肯定したい。だって生きていかなくてはならないのだから。辛いのも苦しいのも不快感も長く持っていきたくはないし、それでは生きていかれない。 全ては残酷なのである。私の存在は、私が生きていくということは、それだけで残酷なのである。 忘れることはできない。
2006年12月13日
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殺意50%、後悔40%、その他10%。それだけでできている毎日が、辛い。 アスファルトを気違いに見立て、ヒールですり潰すようにして歩いている。死ねよ。のたれ死ねよ。私の知らない所で。誰に看取られることもなく。死ねよ。醜い顔して死ねよ。 悲しいことは、人を殺すこと。次に悲しいことは、人に殺意を抱くこと。 逃げ場がない。 手術の翌日、実家に帰った。中絶のことを、友人に話すか否か迷った。言えなかった。言うべきことではないと思った。 だけどそれは、中絶という単語を聞いて戸惑うであろう友人に対する気遣いではなく、一生誰にも言わずに苦しむという自分への罰でもなく、恥の隠蔽なのである。避妊を怠ることは恥。馬鹿と付き合うことは恥。子供を堕ろすことは恥。 私はそれらを隠すため、自分の名誉を守るため、言わなかっただけなのだ。おそらく。 「おそらく」なんて言葉を使って、私はこの場においてもみすぼらしい名誉とやらを守ろうとしている。 気違いがあまりにも気違いで、一緒にいた私は全ての、わけがわからなくなっていた。判断をすることができなかった。そして流されるように、中絶後も度々気違いと会っていた。この事実はおかしいことで、世間から同意の得られるものではないという判断はできたので誰にも言わなかったが、私は気違いと会っていた。 いくらでも断る余地はあった。でも断らなかった。 あの病院の個室で気違いを宥めたとき、ぼんやりと思った。この救いようのない人間と過ごし、こちらまで気が狂って宥めるという行為に至ると、何かを錯覚することができ、罪からの一時的な逃避ができると思った。実際に、できた。 そこには殺意がなかった。嘘くさい自己嫌悪と、自分が優しい人間だという錯覚だけがあった。 それらは心地が良かった。私は正常ではなかった。 しかし時折正常な自分もいた。誰にも言えない苦しみは、誰にも言えないほど辛かった。彼は私を除いた唯一の当事者であり、たとえ気違いであろうと当事者であり、女でなくとも、私と同じ苦しみを味合うことはなくとも、当事者と居なければどうしようもなかった。 表向きの理由、狂った理由、どちらも本当の理由だが、もう今は意味がなくなってしまった。 先日、以前気違いと別れていた期間(その後復活したが、中絶前に既に気違いとは別れている。中絶後に会っていたときも気違いに一方的に言い寄られたが、断った。)に会った男性から電話がかかってきた。暗い声色で出ると、「何?妊娠でもしたの?」と冗談で言われ、しかし図星だったので答えようもなく、「そうだよ」と言って経緯を話した。すると「その男許せないよ」と言われた。更に、「こう言ったら悪いけど、中絶は悪いことじゃないよ。変な話、俺だってオナニーで毎回ある意味命殺してるんだよ。中絶っていったって、まだ細胞の段階でさ、意識も何もないんだよ。」という慰めの言葉をくれた。こういう考え方には今まで気が付かなかった。なんというか部外者として、もし仮にこれから中絶で苦しむ人と出会ったら、こういうことを言えばいいのかもしれないなと思った。当事者としたら、何を言われても自己嫌悪や後悔は消えないのだけど、彼の慰めの言葉は新鮮だった。 彼は何度も「その男許せない」とか、「彼はどういう対応だったの?」と聞いた。それについて答えるのは、苦痛だった。「こんなひどいことをされた」という苦しみで答えるのが辛いという意味ではなく、ここでもやはり恥を晒すのが苦痛だっただけだ。 しかし、彼が「その男許せない」という言葉を繰り返すにつれ、自分が自分のために隠していたある感情に気が付いてしまった。 そう、おかしいのだ。明らかに。あまりにも気が狂っているのだ。奴は。本当に、許せないのだ。当事者である私が、なぜ気違いと未だに会い、ニコニコしているのだ。なぜ慰められるべき私が、奴ばかりを慰めているのだ。 他人に話すと、軸が元に戻る。真っ当な意見を聞くと、「正常」な自分が蘇る。 中絶後も何事もなかったのかのように気違いと会う自分は、明らかに「正常」ではない。本当は自分でもわかっていた。しかし今自分が「正常」に戻り、事実を「正常」な目で見据えるのは、あまりも怖かった。 そこには殺意と、後悔と恥しかないからだ。 今はもうそれに、気が付いてしまった。それから一度気違いと会ったが、殺意しか抱けなかった。それが伝わったようで、後日電話で気違いに「智ちゃん俺と友達でいてくれるって言ったけどさ、もう俺のこと好きじゃないでしょ。俺は智ちゃんのこと大好きだから、一緒にいるとそれが辛いのよ。俺ほんとは智ちゃんと一緒にいちゃいけないってわかってるんだけどさ。」等々を40分程度語られ、もう会わないということで会話が終わった。 電話を切った直後、「逃げやがった」と思った。当事者であることから逃げやがった。何のダメージも受けてないんだろ。死ねよ。 気違いと一緒にいる方法はいくらでもあった。私が気違いに対し、好きだとか一緒にいたいとか言えばいいだけだ。だけど気違いへの殺意に気が付いてしまった私には、とてもそんなこと言えなかった。 殺意を抱いた相手と一緒にいるのといないとでは、どちらが殺意が和らぐのだろう。明らかに前者であると私は思う。 しかしそれはとても変なのだ。 それに、奴とはもう絶対にセックスできない。妊娠がわかってから奴とはセックスをしていないが、これからもできないだろう。こんなことを言わなくてもいいと思うが、異性と長く一緒にいるということは、セックスが付随するといえる。 そんなこと関係なく、気違いは私に付き従うべきだと思うが、なんだかもういいやと思った。殺意を抱いた相手と一緒にいることも、一人で気違いを浮かべて殺意を抱くことも、何もかもがやるせない。 赤ちゃんの供養を、まだしていない。きっとこれからもしないような気がする。眠る前や目覚め後に手を合わせて赤ちゃんを想っている。ちゃんとした供養をした方がいいのだろうか。それを考えるのが辛くて、逃げたままでいる。 しかし近頃、毎日があまりにも辛い。泣いていても笑っていても食事をしていても、自分を許すことができない。そんなの当然で、私はこれからもそれを背負って生きていかなくてはならないのだけど、そういう選択を自らしてしまったのだけど、辛い。 供養をしたら、そういう自分の辛さが和らぐだろうか、というふうに考えている時点で、その供養は赤ちゃんのためのものではなくなってしまう。 どうしてあの頃、死んでおかなかったんだろう。死ぬことが罪にならないうちに、どうして死んでおかなかったんだろう。
2006年12月07日
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11月20日の朝、夢を見た。2歳くらいの小さな男の子と女の子が交互に現れ、泣きじゃくっていた。その光景を鮮明に廻らせながら、目覚めの数分間を過ごした。一生忘れない日の幕が開いた。小雨が降っていた。 10時前に婦人科へ行った。割とすぐに病室のような部屋に通され、手術着に着替えた。それから診察室へ行き、子宮の口を広げるための事前処置をした。その後個室のベッドで横になっていた。私がため息を吐くと、付き添いの気違いが暴れた。妊娠してから、もう何度目だろうか。帰りの私のタクシー代の一万円札を投げ付け、帰ろうとしていた。数時間後に手術を控えた状況で、更にはその十数分後に世界一大事な人を殺してしまう状況で、もうこれ以上気違いに対し、殺意を抱きたくなかった。やるせない思いを、増やしたくなかった。ベッドから身を起こし、「死ねばいいんだろ」と言いながら帰ろうとする気違いを、殺意とやるせなさだけで宥め、引き止めた。 一人で来るべきだった。 気違いの件に押され、私はわけがわからなくなっていた。限り無い悲しみも、自己否定も、気違いの狂った言い分も何もかもが変に中和されてしまい、手術までの時間、私は赤ちゃんに対して涙を流すことさえできなかった。 14時前、麻酔を効き易くするための注射をされ、その十数分後、手術の部屋に呼ばれた。足を広げ、固定され、血圧を測り、点滴を打った。医者によろしくお願いしますと伝えた。そのうち「ボーっとしてきますよ」と言われ、おそらく点滴の中に麻酔が注入された。視界がうつろになった。 気付けば元の個室のベッドに寝ていた。状況を把握するのに時間がかかったが、体から温かなものがなくなっていた。 死ぬまで続く喪失感の中で、ホッとしている自分もいた。 麻酔が切れてから、黙祷をした。 この子の供養の方法について、今とても迷っている。今住んでいる場所の近くに水子の位牌をつくり、供養してくれる寺があるが、この場所に私は永久的に住むわけではないので、将来頻繁に足を運ぶことが難しくなる可能性がある。頻繁に足を運ばなくとも心の中で赤ちゃんを想うことが一番大切だと私は思っているが、特定の寺で位牌をつくってしまうとそこに「拠点」ができてしまい、そこに出向かない限り、赤ちゃんへの想いが届きにくくなってしまうのではないかという不安がある。どうしたら緩やかに赤ちゃんを天国に導くことができ、その後安泰に包むことができるのか、最低な身でも考えている。 本日は昨日一昨日からの雨も止み、眩しいくらいに晴れている。赤ちゃんはもう天国だろうか。空を見ては祈っている。 太陽の美しい円は、超音波の映像で見た赤ちゃんの小さな心臓のようで、太陽の暖かい光は、赤ちゃんが私の中にいてくれたときの温かみに似ている。 こんなにも愛しい人を失ったこと。それは避けようのない事実である。私は既に選択してしまったのだ。 生きていこうと思う。逃げてはいけない。 この子はもう、帰ってこない。しかし勝手ながら、私は輪廻を信じる。この子が生まれ変わり、いつかまた私の中に新しい命として生まれてきてくれることを強く願う。 本当にごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。生まれてきてくれてありがとう。どうしようもなく嬉しくて温かかった。あなたのことを、とても愛しています。どうか天国で幸せであってください。
2006年11月21日
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赤ちゃんが、明日の今頃にはもういなくなっている。私のお腹からいなくなるだけでなく、世界からいなくなる。 私が泣いていると、お腹が静かに痛む。 私の赤ちゃんは、笑ったらどんな顔するんだろうか。この子がもし生まれてきて、成長したら、親の私が頼りないから、とてもしっかりした子になるんだろう。絶対に、優しい子に育つんだろう。 ごめんね。何もかも潰してしまってごめんね。ごめんね。 ただ、お腹にいるあなたのことを私はどうしようもなく愛しています。あなたがお腹にいると自覚した数日間は、とても温かでした。 二度と戻ってこないあなたを二度と戻ってこないと知りながら手放す私を、私は一生後悔します。 かけがえのない私の大切な赤ちゃん、ごめんなさい。生まれてきてくれてありがとう。それなのにごめんなさい。
2006年11月19日
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残酷なくらい普通を保っている時もあれば、閉塞感に押し潰されそうな時もある。私の中には赤ちゃんがいる。 赤ちゃんがいるとわかったのは4日前のことなのだけど、このたった4日間でも、赤ちゃんが成長しているのがわかる。「身重」という言葉を、体ですごく理解した。お腹がずっしりと重い。つわりがひどい。 今まで私は、主婦というものに憧れたことがなかった。髪の毛を適当に縛って、化粧もしないで子供と歩く彼女たちが、幸せそうにはとても見えなかった。 しかし今は、あれ以上の幸せはないように見える。子供を授かって、喜んで、祝福されて、当たり前の幸せの中で生まれてくる子供。子供を抱ける母親。 私は自分の意志で、自分の子供を殺してしまう。こんなにも悲しいことはなにのに、私の手の平と頭の一部が子供の誕生に対する喜びに満ち溢れている。 これから、生きていくのがとてもこわい。
2006年11月18日
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病院へ行き、手術の日程を決めた。診療室に入った瞬間から涙が止まらなかった。看護婦さんが何度も「大丈夫?」と聞いてくれた。 大丈夫じゃない。本当に、尋常でいられるはずはなく、涙を抑制することができない。 手術が来週の月曜に決まった。生まれてきてくれた赤ちゃんが、私に殺される。何も知らない赤ちゃんが、何も知らずに殺される。 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんね赤ちゃん。私の可愛い名もなき赤ちゃん。 あなたは、きっと8月に生まれるはずだったんだね。あなたが10歳のとき、私はまだ30歳なのね。若いお母さんだ。 赤ちゃんごめんね。小さな赤ちゃんごめんね。 妊娠がわかってから、お腹の少し膨らんだあたりをいつも撫でている。赤ちゃんが寒くないように、暖かい格好をしている。きれいな空を、二人で見ている。私が一人であの空へ、この子をいかせるのだと思うと、たまらない気持ちになる。 安易だよね。本当に。私はあなたに一生恥じる。あなたを産むほど素晴らしいことなんて絶対にないよね。あなたを、殺してしまうほど残酷で寂しいことなんてない。 赤ちゃん、私のこと恨んでね。いつでも私を殺していいよ。そしたら傍にいるからね。傍に来た私を更に殺してもいいよ。 生き地獄でもいい。絶対に私を死なせることなく、苦しみだけを与えて。 って、なんで何の罪もないあなたを、悪者みたいに仕立てあげてるんだろうね、私は。あなたはきっと、寂しいだけなのにね。あなたが生きているときでさえ私は泣いてばかりいて、あなたが死んでしまったらあなたを一人ぼっちにさせて、最低な母親で本当にごめんね。
2006年11月16日
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恋人のことに関しては、どうでもいいので省く。既に別れている。 いまだに生理が来ず、不安だったので昨日婦人科へ行った。私はピルを辞めたばかりで、市販の妊娠検査薬で検査をしても意味がないので、きちんと婦人科で検査をしようと思った。 医者に事情を説明すると、別の部屋に通された。その部屋には、テレビでよく見るエコーの機械が置いてあった。性器に器具を挿入されると、エコーの画面が映った。私は早く終わらないかなとか、元恋人に妊娠していないことをメールでどう伝えようかとか、そんなことばかりを考えており、画面など見てもいなかった。 「あぁ、やっぱり妊娠してますね」。 医者の言葉を把握することができず、え?と数回聞き返した。頭が真っ白になった。 器具を外され服を着て、診療室を出た。また後でお話があるので、こちらで待っていてくださいと言われ、廊下の固い椅子に座った。 涙が出た。変な感じだった。私はあの医者の言葉、あの診療室、エコーの画面を一生忘れないと思う。変な感じというのは、間違いなくこれは危機であるのに、少し、ほんの少し温かい気持ちがしていたことだ。「母親」という言葉をほんの一瞬、頭で何度も繰り返していた。 廊下で待っているのはとても辛かった。涙と、どうすればいいのという言葉が止まらなかった。 しばらくしてからまた別の部屋に呼ばれ、医者から説明を受けた。5週から6週だと言われた。どうしますか?と聞かれた。産めないと答えた。 待合室で泣いていた。小さな子供がそれを見ていた。 会計を済ませ、病院を出た瞬間から声を上げて泣いた。何が一番悲しいかというと、私が悲しい気持ちでいることだ。子供ができるということは、本来この上なく喜ばしいことなのに、私は不安と絶望ばかりを持ち合わせている。そして堕ろそうとしている。 帰り道、踏切があった。死ぬなら今だと思った。なんで罪の無い子が殺され、殺した私だけがノウノウと生きるんだ。今まで死ぬ死ぬ言ってきたけど、きっとこの時ほど死ねると思ったことはない。私が言う資格などないけど、「子のためなら死ねる」という親の気持ちがわかった。今はわずかなかたまりでしかない子が、本当に愛しい。この子がお腹の中にいると、温かい。 家に帰ると、悲鳴のような声で泣いた。「ごめんなさい」という言葉が止まらなかった。 私はなぜ堕ろそうとしているのか。なぜそれが「当たり前」として染み付いているのか。卒業、就職。ただそれだけではないか。この子を殺してまですることなのか。堕胎を正当化することなど絶対にできないけど、「しょうがなかった」で済ませられるくらいに素晴らしい人生をこれから送ることなど私にできるか。 生きているお腹の子に対して、謝っても謝り切れない。なんで私みたいな馬鹿のところに生まれちゃったんだろうね。それでも私のところに来てくれたのにね。本当にごめんね。本当に本当に本当にごめんね。ごめんね。ごめんね。ごめんね。ごめんね。ごめんね。 今日また婦人科へ行って、手術の日程を決める。
2006年11月15日
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10月12日の朝、目覚めると私は恋人の部屋で寝ていた。こんなはずじゃなかった。 恋人に別れを告げてから約二週間。毎日がぼんやりと辛かった。 そんな状況をやり過ごすには、やはり誰かとセックスするしかないという私の乏しい本能。お馴染みのその本能に身を任せ、数日で二人の知らない男と会った。 しかし彼らとのセックスは最悪。体が恋人との濃厚なセックスに慣れてしまっている分、1ミリも満たされない。体の記憶は鮮明で、あーこれを忘れるのは時間がかかるなぁ、やだなぁといったことばかりを思っていた。 会った男二人のうちの一人にそこそこの好意を持たれ、付き合ってくれと言われたけど断った。なんとなく、数年前の誰とも付き合わなかった時期の感覚で断った。体を提供している分、ちょっとやそっとじゃ離れていかないだろうし、片思いされているという優越の錯覚を少しでも抱いていたかった。また、ラクな関係が良かった。さすがに1年付き合ったので、恋人と別れたばかりだというのもある。彼に対してピンとこなかったというのもある。 しかし彼は良い人で、仕事帰りにわざわざ私の最寄り駅まで来て1時間お茶だけするとか、そこらを一緒に軽く散歩をして笑って帰るとか、電車で送ってくれるとか、そういうことが自然にできる人であった。恋人の「気遣い」の概念が嫌というほど染み付いていたので、なんだか新鮮だったし、彼が余計に良い人に見えた。 私が「別にセックスをしたいときだけ誘ってくれればいい」という、いかにも都合の良い女の雰囲気を出しているのは、私が馬鹿であるという理由だけでなく、こういった計算外の出来事を期待しているからかもしれない。底辺に留まっていれば、大抵それ以上の事は起き、多少の喜びは得られる。 しばらくこの人に相手してもらえばいいか、とは思いながらも空虚だった。でもそんなことに気が付いている場合ではなかった。とにかく、何としてでも空いた時間を埋めなくてはどうしようもなかった。 過去の恥ずかしい経験や発言を思い出すとき、アーアーと言いながら何かを塞ぐように記憶を断ち切る。それと同じように、私はアーアーならぬセックスをし、集中と睡眠を愛した。走り抜けるような埋め方。彼を忘れられる一コマ。 こんな感じで二週間が過ぎた。一年という期間の終止符は、重い。二週間でチャラになるはずもなく、いつどこにいても彼の記憶が私を纏った。彼がいればと思った。だけどその反面、数々の嫌な理由から彼と別れたという事実に納得できてもいた。対極的な思いに挟まれ、曖昧さを拭え切れてはいなかったものの、彼のいない生活をやっていくしかなかった。時間が解決してくれるという月並な答えを出し、一日をやり過ごした。 10月12日の前日の夜、恋人から着信があった。目を疑った。心拍数が上昇した。 電話に出ると、私のマンションの下に来ているという。彼の車内に置きっぱなしだった私のCDを返しに来たそうだ。 階段を駆け下り、マンションの扉を開けると、見慣れた車と馴染み深い彼の顔を見つけた。CDを受け取ったものの、私にはすぐにここで「じゃあね」と言って彼を振り切る強さなど当然ない。私たちは、しばらく無言で見つめ合った。「元気だった?」と彼が言った。何と答えていいのかわからず、ただ涙ばかりが流れた。「ごめんね」と彼が言った。抱きしめられた。 彼と再び付き合うという選択肢が、受身の立場で与えられていることに気付いた。しかし私の頭はそれを飛び越え、「ここで折れることは一時的な回避でしかない」という思いと、「この人ともう一度セックスしたい」という思いの二極でしかなかった。 私も私だが、彼も私がいなくなって、セックスとマッサージに困ったのだろう。代わりなどいくらでもいると思うが、慣れているのと新たに探すのが面倒なのと、刹那的ではなく長期的に「サービス」を受けたかったのとで私にアプローチをかけてきたのだろう。「長期」をちらつかせれば女は喜ぶし、自分も新たな女を探す手間が省ける。 「この人ともう一度セックスしたい」が、もう一度セックスしたらすなわちもう一度付き合うということになる。この人、そしてこの人の嫌な面を知ってしまったこの時に限っては、「長期」が嬉しくない。 瞬時にこれらを考えたものの、彼に抱きしめられながら出した答えは無論決まっている。私が落ちることなど、彼には初めからわかっているのが悔しい。 久々の助手席に乗り、久々に彼とセックスをし、気が付けば冒頭の朝だ。しかし彼とのセックスに、思っていたほどの感動はなかった。久々なせいかもしれないが。 そしてそれから、口で言わずとも私たちの関係は復活してしまい、今に至る。せっかく別れたのに、別れてからやっと二週間が経って落ち着き始めたというのに、元に戻ってしまった。復活してからも別れを切り出そうとは思ったが、以前のままの上下関係やらタイミングやらが絡み、言えなかった。やはり「彼氏彼女」という関係性はやっかいである。最初から私たちが「セックスフレンド」でしかなければ、こんなにも面倒ではなかったと思う。 また、一応彼から謝ってきたのだし、何かしら反省点を見出して関係に反映させてほしいのだが、そういうことは一切ない。危機感を持てと言いたい。 相変わらず、私は使用人でしかない。しかしそこはまだ我慢できた。 彼と復活してから、何回かセックスをした。私は彼と別れてからピルを飲んでおらず、最後は外で出すものの避妊をしなかった。復活してから一度目のセックスのとき、ピルを飲んでいないと彼に忠告した。そのときは早目に彼は性器を抜き、完全に外で出した。しかし二回目のセックス以降は、私がピルを飲んでいるときとほぼ同じような感覚で彼は性器を抜いた。完全ではない(そもそもこういった方法は避妊とはいえないのだけど)。 私が一々忠告しなかったのと、ピルを飲んでいないのにも関わらず、セックスを許してしまったのが悪いのだけど、なんなんだよ。私がピルを飲み初めるとき、彼は心配するフリをして「俺かなりピルのこと調べたよ」とか言ってたけど、お前どんだけピルのこと調べたんだよ。いつでも好きなときに飲み始められるわけねーだろうが。周期が決まってることくらい知れよ。それを知らなかったとしてもだよ、私はもう何度も、何度も何度もピル飲んでても中に出すなって言ってんじゃん。お前のせいで飲みたくもないピル飲んでたのに、どうしてそれさえ守れないんだよ。全部中に出さなかったら妊娠しないとでも思ってんの?お前仮にも父親だろうが。 彼のそういう点をわかっていながら、許してしまった私が悪い。最後に会った日のセックスが特に不安に思ったので、次の日婦人科へ行き、緊急避妊薬を飲んだ。最後のセックスは薬を飲んだので大丈夫だとは思うが、それ以前のセックスに妊娠の可能性がある。今の時点で生理が特別遅れているわけではないが、そろそろ来てもいいはずなのに来ない。更には薬を飲んだ数時間後、強烈な吐き気に襲われ、眠れないくらいだった。この吐き気は薬のせいだと思うが、「つわり」という言葉をしきりに調べている自分がいる。不安が大きいせいか、お腹が痛くなったり頭痛がしたりと更に「つわり」っぽくて本当に不安である。 それを彼に話そうとすると、あの「喧嘩」の前兆のような空気になる。私はこれさえも話してはいけないのか。 何度か緊急避妊薬のことや生理が来ないことなどを話しかけたが、もう辞めた。無駄だ。彼は聞く耳を持たないし、当然それについて聞いてもこない。 家具を買った話や、おもしろい話をする余裕があるならまず聞けよ。心配しろよ。土下座して謝れよ。 本当にもう、ダメだと思った。彼は人を大切にできない人だと実感した。たとえそういう人でなくても、少なくとも私は大切に思われていないとわかった。残念だった。 生理がきたら、本当に彼に別れを告げようと思う。
2006年10月31日
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もし生まれ変わるのならば、絶世の美女がいい。いつもツンツンとしていたい。それでも人が寄ってくるほどの美女がいい。 私は、美しくない。しかしなんとか、自分の許容範囲の容姿は保ってきた。瞼のコンプレックスは整形手術を重ね、解消した。 少なくともある程度美しくなければ、生きていく意味がないと思っている。実際に生身の私を見たことがある人は、こんな文章を書く私を身の程知らずだと感じると思う。しかし私の考える私に向けての美しさというものは、自己満足でしかない。あくまでも自己満足を保っているという意味で、ある程度の美しさが自分にはあるということを自負させて頂く。 容姿の美しくない人を見ていると、なぜこの人は生きていられるのだろうと、嫌味でも何でもなく自然と疑問に思う。そしてむしろ羨ましくなる。これほど美しくない容姿で揚々と生きていられるのは、他によほど楽しいことがあるのだろうとか、よほど周囲の環境に恵まれているのだろうとか、気付けば羨望のまなざしでその人を見ている。 細い・かわいい・肌キレイというお世辞の3点を、初対面の人には大抵言われていた。あくまでもお世辞であるので、そこに信憑性はない。しかしその3点は、自分の中では当然だと思っていた。2番目の「かわいい」というのは、雰囲気を指すのであるが。醜い顔立ちだとは思わないが、決して整った顔ではない。 「言われていた」、「思っていた」と過去形を使ったのは、ミスではない。現在は3点が揃わなくなってしまったのだ。 半年程前から現在に至るまで、肌が著しく汚い。今まで肌にニキビができたことはほとんどなかった。たとえできたとしても、次の日には消えていた。それなので半年前に治らないニキビができたとき、本当に驚き、困惑した。 そのニキビへの対処法が悪かったのか、跡になってしまった。色素が沈着した跡ならいいのだが、凹凸になってしまった。これはもう一生治らない。 今でも色素沈着や、細かいニキビが顔中にある。皮膚科の薬などで治療している最中であるが、絶望的だ。人生終わったといって良い。アイデンティティーの崩壊である。 僅かな美しさにぶら下がり、それだけで生きてきた。汚い肌が嫌で嫌で嫌で、何もかもが億劫である。 私が恋人と別れたことについてさほど悩んでいないのは、この事情があるからだ。汚い肌であるなら、何をしても意味がない。僅かながら恋人と別れた理由には、自分が汚い肌であるということもある。ある程度の自己満足さえできなければ、少なくとも私は人と付き合いたくない。 この汚い肌の原因は、おそらく半年間飲んでいた薬だと思う。元恋人の性器の関係で、どんなコンドームを試してもダメで、やむを得ず私がピルを飲むことになった。 よく恋人と別れたら、使ったお金を全額返せとか信じられないようなことを言う人がいるみたいだけど、今はなんとなくわかる。キレイな肌を返せと言いたい。冗談だけど。 互いのために飲んでいたはずのピルであったが、次第に恋人のため、恋人のせいと思いが変化していった。その人の「ため」からその人の「せい」に変わったら、きっとその関係は終わりである。それを頭の中で唱えて、私は早くその人を忘れるべきである。って、汚い肌のことしか既に頭の中にないのだけど。
2006年10月05日
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失恋直後、失恋後、不思議と涙は出なかった。状況を把握し切れていない部分とどうしても嫌だから別れたのだと納得している部分とが混在し、ボーっとしていた。金曜日の夜に別れたのだけど、土曜日はWordの資格の講座があったりで忙しく、でも次の日の日曜日は丸きり1年前のように何もなく、少し困ってしまった。どうにもやり抜けない予感を潰すため、歯の掃除でもしようと近所の歯医者に行った。待合室のソファーに座ると、ふいにこれからどうやって生きていこうと思った。考え始めると、喪失感がどっと押し寄せた。事実が自覚という領域に足を踏み出し、彼と別れてから初めて泣いた。どうやって生きていこうかという自問は、どうやって死のうかという自答に変わる。どうやって死のうかという自問は、絶望という自答をもたらし、私をほったらかしにする。 月曜日。登校前に郵便局へ寄り、元恋人宛に封筒と荷物を送った。封筒は配達記録でと言うと、中身は何ですか?と聞かれた。鍵と答えた。 荷物の中身はぬいぐるみで、クリスマスプレゼントに渡そうと思っていたものだった。元恋人はあまり良い家庭環境ではなかったが、幼い頃は幸せだったそうだ。そしてその頃大切にしていたぬいぐるみがあり、彼の話を聞く限り、それは幼少時の思い出であると同時に彼の幸せの象徴であるように思えた。彼が大人になってから、そのぬいぐるみを山ほど詰め込んでいる車を見掛けたそうだ。あのとき全部買い取っておけばよかったと笑っていた。そのぬいぐるみをネット上で見つけたので、これを逃したら手に入らないかもしれないと思い、買っておいた。 それを送るか否かは迷ったのだけど、本当は送らないほうがいいことなんてわかっているのだけど、雑な包装をして送ってしまった。こんな変なぬいぐるみ、オークションで1円でも売れない。 価値なんて全くわからないものだ。彼にとって私は、一体どれほどの価値があったのだろう。少なくとも、心にもない謝罪をしてまで繋ぎとめておく価値はなかったわけだ。 彼はたくさんのお金を稼いでいた。給与明細を見せてもらったこともあるが、彼は明らかに高所得者だった。 いつからかなんとなく、そういう人と付き合っていれば、洋服なりアクセサリーなりを買ってもらえるものだと思っていた。反吐が出るほどおこがましいのだけど、密かにそう思っていた。 しかし、一緒に買い物へ出かけてもそういうことは一切なかった。食事代はほとんど出してもらっていたが、それ以外の負担はほぼ平等だった。一時期、彼と私の共同の財布を作ったことがあった。一ヶ月に互いが1万円を出し合い、デート代をその財布から出すというものだった。仕送りのみで生活している私にとって、1万円は大きかった。所持金が雲泥の差である彼と私が、なぜ平等に1万円なのだろうといつも思っていた。智ちゃんは半額でいいよという一言をいつも待っていた。それが耳にタコができるほど聞いた、あなたの言う「気遣い」ではないのかと思っていた。 いつかのデート中、「行きたい店があるんだけど」と彼は言った。車でその場所に行くまで、もしかして指輪でも買ってくれるのかなぁと勝手に舞い上がっていた。車が到着した場所は、子供服の店だった。店に入るなり、彼は熱心に小さな、嘘みたいに小さな洋服を次々と選んでいた。私はその傍らで、小さな子供に対する嫌悪感を抱いた。冷めて硬直した顔の筋肉を、精一杯上げた。彼は値札を見ることもなく、小さな洋服をレジに運んだ。躊躇することもなく数万円を出し、丁寧にリボンまで付けられたカラフルな紙袋を受け取った。 そのときからうっすらと、愛情はお金に換算されると思った。疲労を溜め込み我慢をし、その上で手に入れたお金を他人に使うことは、愛情に値する。彼にとってその価値が、私にはなかったのだろう。 1円でも売れないぬいぐるみを彼に渡した理由は様々だが、一番に私は彼に媚びているのだろう。現に彼からの連絡を待っている自分がいる。 しかし、おそらくもう本当に連絡は来ない。 涙が出たのは日曜日で、それ以前も以降も私は泣いていない。しかしぼんやりと、私が泣いていない理由を思う。彼に、強くしてもらったからだ。いつも支えてもらっていた。計算ドリルをやるみたいに、徐々に徐々にと彼は私を強くしてくれた。 合鍵を包んだ紙に、ありがとうとごめんなさいとさよならを書いた。
2006年10月03日
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ここに書いた通り、恋人に連絡した。2、3回電話をかけたが、案の定出なかった。 「灰色」の状態が更に続くのかと思うと本当に嫌だったし、電話を無視できる彼の余裕が許せなかった。だけどそれらを通り越し、なんだか力が抜けてしまった。もういいやと思った。 「電話に出てくれない?別れよ。手渡しで鍵返したいので、都合のいいとき教えて。」というメールを送った。これまでにも何回か喧嘩をしたり、彼に対する不満を持つことは多々あったが、別れの提案をしたことはなかった。だけど今回、本当にもういいやと思った。 15分後、彼から電話がかかってきた。別れの意志を伝えた為にかかってきた電話かと思ったら、そうではなかった。 私が電話に出た途端に「さっき起きた」という彼の声が聞こえた。目が覚めてから私からの着信履歴を確認し、電話をしたのだという。彼はいつもの冗談めいた口調で、「やっと電話かかってきたよー、今回は遅かったからどうしたのかと思った」と言った。私たちは普通に笑いながら会話をし、私はそれになぜかとても安心していた。「メール見た?」と切り出すと、「え、送ったの?気付かなかった」と言われた。どうやら本当に見ていないらしく、私はメールの内容を口頭で伝えた。だけど私たちは既に自然に仲直りしていて、別れるとか別れないとかもうどうでもよかった。あぁよかった、また前みたいに戻ったとは思ったものの、どこかで何かが引っかかっていた。 その後一週間程度、彼の休みの日にはデートをしたり、セックスをしたり、好きと言ったりした。だけどやっぱり、何かが引っかかっていた。 本日の数時間前、彼から電話があり、10月の休みを私に合わせて取ったということを聞いた。好きと言った。 本日の1時間前、彼から電話があり、今仕事が終わったということをいつものように聞いた。10月の休みにはディズニーシーに行きたいね、行こうかという話を以前ぼんやりとしていて、次の休みに行こうかと言われた。私は「最近いろんなとこ連れてってもらってるから悪いし、今度はゆっくりしない?」と言った。「ゆっくりしてたら智ちゃん『寂しい』って言うじゃん」と言われた。「もう何にも言わないから、ゆっくりしようよ」と答えた。「いつもどこかに連れてってもらうのが申し訳ない」とか、「休みの度に会ってくれるの悪い」とか、「たまにはゆっくりしてほしい」とか、「そういうの心苦しい」とかも加えた。 すると怒りを含んだ半笑いで「心苦しいっていうけどさ」から始まり、また喧嘩のようになった。私はそのような雰囲気の中で言い返すことは今までなかったのだけど、「その『付き合ってやってる』っていう感覚が嫌なんだよ」と伝えた。 その数分後、「別れよ」と言うと、「今から言うこと紙に書いて」と言われた。彼の言う通りを紙に記すと、それは彼の住所だった。「鍵、郵送でいいから。じゃあね」。 こんなふうなのか。1年付き合った彼と、別れた。数時間前に好きと言った人と、こんなふうに別れてしまうものなのか。 何か思うことや書くべきことはあると思うのだけど、よくわからない。その電話の直後に、いてもたってもいられず、寂しさを紛らわせてもらおうという自分勝手な理由で時々電話をしていた元恋人に電話をした。喧嘩のその後、さっきの電話の内容を打ち明けた。彼は信じられないほど優しく、私の勝手な話に付き合ってくれた。今の私の心境、状況を彼の言葉を借りて表すならば、「試合には勝ったけど、勝負には負けた」。まさにその通りである。
2006年09月29日
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恋人からの連絡が途絶えてから、一週間が経った。こちらからの連絡も、今のところしていない。 一週間とは、予想外である。数日でどちらかが、アプローチをかけると思っていた。 「もう二度と連絡がこないかもしれない」、「このまま別れてしまうかもしれない」という最悪の事態を予想した思い込みなど、嘘である。最悪の事態を予想しつつも「まぁそこまでにはならないだろう」と安心するのが目的であり、本当である。 7日は非常に長かった。7日は本来の7日以上に私たちを隔てる。 数ヶ月前、彼が禁煙すると言った。その次の日から、10数年物のヘビースモーカーがあっさりとノンスモーカーになった。自らをコントロールできると彼は言った。「去るものは追わない」ということの証明。 彼のあっさりさが、やるせない。やるせなくてやるせなくて、連絡しようにもできない。 今回の「冷戦」の始まりを記す。夜、電話越しの彼の声がとても寂しそうだった。次の日の昼、バスに乗って30分歩いて私は彼の部屋へ行った。いつもしているのだが、その日も彼の仕事による疲労を軽減するため、1時間程度マッサージをしてあげた。その日の夜は次の日彼の仕事が休みということで仲良く眠り、午後3時頃にお互い目覚めた。二人で横になってテレビを見ていたのだが、気付いたら彼は眠っていた。起こしたら悪いと思い、私は別の部屋で、持ってきた退屈な携帯ゲームをしていた。3時間後、彼が起きてきたが、また眠ってしまった。私はまた別の部屋に行き、時間を潰した。更に3時間。 「馬鹿みたい」という言葉を、気付いたら何度も何度も口走っていた。片道1時間かけて彼の家に行き、延々とマッサージをし、彼が眠っている傍らで6時間待機した。無償で。 私は使用人か。馬鹿みたいだ。 この日だけなら、問題はない。しかしずっとなのである。彼の部屋に泊まれば、すなわち私はマッサージを彼にしなければいけないという前提のようなものが出来上がってしまっていて、毎回毎回私から「マッサージしようか?」と言い、彼が「悪いからいいよ」と言い、私が「いいよいいよ」と言うやりとりはあるものの、苦痛だった。最初は喜んでしていたのだけど、数ヶ月前から次第に嫌になった。 最初から最後まで力を抜かずにやっていたので、肉体的な苦痛もあった。だけどそれ以上に、「何も返ってこない」という精神的な苦痛が大きかった。自分で望み、仕事をし、たくさんの給料をもらい、しかしその給料の分だけ出る疲労。その疲労を、なぜ私が無償でほぐしているんだ。養われている立場ならいい。「いつもありがとう」とかいって、気の利いたプレゼントでもしてくれるならまだいい。だけどそういうこともなく、なんで私が彼の疲れた分疲れなくちゃならないのだ。何も悪いことしてないのに。ただ彼の恋人であるだけなのに。 私が、「マッサージしようか?」とさえ言い出さなければいいのだが、その一言は既に強迫観念のように頭にこびりつき、初期からいつも当たり前のようにしてきた分、彼もその一言を待っているし、その一言がなければ・・・ってこんなくだらないこと書くのも苦痛だ。本当に馬鹿みたいだ。 なんでこんな男のことを好きなってしまったんだろう。そしてなぜ今の私には、彼に対する愛情が持てないのだろう。 マッサージ云々も、本来はそれほど理不尽な話ではないのだ。私が空回りしていることは確かだが、彼を好きであれば気にならないことなのだ。「無償で」とか見返りとか損得とかを考える時点で、何かが終わっているのだ。 だけどあまりにも疲れた。私は、騙されていたいだけだ。別に真実なんでどうだっていいのだ。騙してくれさえすればいいのだ。 でも彼は、騙してさえくれない。彼にそれを望むことさえ罪なのだろうか。 その日の6時間、そしてそれ以後、今まで溜まってきたものが思い起こされてならず、私はとても笑えなかった。冷めた顔がほぐせなかった。 次の日の夜、彼から電話がかかってきた。前日の私の態度の話が持ち出され、彼はそれが不愉快でならないと言った。「休みの日に自分の部屋で何しようと勝手じゃん」、おなじみの「プライベートで嫌な思いをしたくない」等を、不愉快そうに言った。それに対して彼に何を弁解しようと、経緯を打ち明けようと、彼は聞く耳を持たないだろうし、そういった和解への話し合いがまさに彼にとっての「プライベート」を侵すことに値するらしいことは散々言われてきたし、こちらももう理不尽にガミガミ言われるの嫌だし、それを我慢してまで伝える気力もなかったので、電話は彼の不愉快が一方的に私に届いただけで終わった。そしてそれ以降、彼からの連絡も、こちらからの連絡もない。 明日も連絡がなかったら、こちらから連絡しようかと思う。別れるのか別れないのかさえわからない灰色のような状態は嫌だ。 ・・・って私がこんな切羽詰まった思いでいるのに、おそらく彼は1ミリもそういう思いをしていないこと、ただひたすら「不愉快」でしかないであろうことがたまらなく嫌だ。そしておそらく、彼が電話を無視する可能性が高いということが嫌だ。たとえ私が彼の部屋の合鍵を返し、別れを告げたとしても、「不愉快」で終わるであろう彼の冷酷さと余裕が嫌だ。
2006年09月20日
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ここ半年程、心が随分と安定していた。何年もの付き合いのある友人や家族、知り合いなどと話をするたびに「ともちゃん成長したね」と言われるようになった。自分のことで泣かなくなった。最近いつも笑っていた。 別に全てが上手くいっているわけではなかった。けれども上手くいっていないという事実が、自分の全てを覆うこともなかった。 言うなればバランスが良かった。妙に均衡の取れた毎日だった。 今日、久々に泣いた。込み上げてくる不安と混乱。そんな類の涙を、久々に流した。「死にたい」というあの懐かしい言葉も、口をついて出た。 恋人のあの人が、嫌いでたまらない。だけどそれ以上に好きでたまらない。 彼について誰かに話すとき、いつも言い訳みたいになる。「でもいい人なんだよ」という言葉を、思えばいつも付け足している。 彼ほどわがままで、自己中心的で、タチの悪い人間に私は出会ったことがない。私自身、自他共に認めるわがままで、自己中心的で、タチの悪い人間である。しかし彼はそれ以上にそうなのだ。 彼と関わっていると、本当に疲れる。なぜ私がいつも、彼に対して申し訳なさそうにしていなければならないのだ。働けって頼んでないのに、養ってもらってるわけでもないのに、私だって疲れてるのに、なぜ彼の仕事での疲労を第一に考えるのが私たちの前提なんだ。 彼が自他共に認める気遣いのできる人間?は?どこがだよ?私はあなたほど気遣いのできない人間を今までに知らない。 彼は、自分の不快感をすぐに口に出す。「俺、仕事以外のプライベートで嫌な思いしたくないんだよ」。よく言うわ。「嫌な思い」の根源はお前だろうが。お前が私に不快感を与えて、私に我慢をさせて、我慢しきれなくなった思いを私は顔に出しているだけだ。 自分の不快感ばかり主張するあなたは、おそらく他人に一ミリも嫌な思いをさせていないと思っているんだろうね。いや、それ以前にそういうことを考える部分が欠如しているのだろう。 まず、話にならない。互いの不快感を解決するための話を、彼はこの上なく嫌う。比喩ではなくて、本当に話にならないのである。 これは彼と付き合い始めた当初から感じていたことなのだけど、彼と一緒にいると時々、DVを受けているような気持ちになる。もちろん、彼から暴力を振るわれたことはない。だけど、とんでもない精神的な圧力に押さえられている。いつまでも彼が「上」、そして私が「下」という関係。 車で迎えに来てくれる、車のドアの開閉をしてくれる、言葉で私を立ててくれる等、まさに「レディーファースト」というか、彼はそういうことのできる人であった。そしておそらくそういうことができるので、彼は「気遣いのできる男」と自称していたのだろう。気遣いができると自称することで、それ以上の気遣いを相手に負わせるということは気付いていないようであったが。だけどまぁそういう類の細かい気遣いというか、私は彼の「気遣い」とやらをマナーの領域だと思っているのだけど、そんなことは確かにできていた。それゆえに、表面上では上下関係など見えてこず、私たちはただ仲の良い恋人同士だった。 しかし核というか軸というか根本的な部分で、確実な上下関係があった。口で言わずとも、「付き合ってやっている」という彼の感覚、決して抵抗を許さぬ、まるで首を絞められるような強い圧力が、喧嘩(というか彼が不快感を訴え、私がそれに口答えするとき)のたびにいつも伝わってきた。 初めは、自分を責めた。あぁ彼にこんなに申し訳ないことをしてしまったんだなぁとか私が幼かったんだなぁといった具合に私自身が反省し、「ごめんなさい」という言葉を発した。しかし「喧嘩」が繰り返されるとともに、ある一つの事実がはっきりと見えてきた。 私は、絶対に悪くないのである。当然の主張と疑問をぶつけているだけだ。その蟻のような小さな声を、彼は象の足で潰そうとする。次第に私は、架空の象の足への恐怖、倦怠、煩わしさから心にもない「ごめんなさい」を発するようになった。 「喧嘩」から見えた一つの事実とは、紛れもなく彼の弱さである。喧嘩の発端となる私の主張、疑問に、彼を責め立てる要素は一切ない。しかし私が一つでも本質を突くような主張、質問をすると、怒涛の勢いで彼は私を責める。 自分が悪いという立場が、ものすごく恐ろしいのだろう。幼少の頃いじめられていたと言っていたが、本当に頷ける。どうしようもなく保守的な彼に、同情心すら覚える。心が狭いとかひどい人だとかいう以前に、欠陥である。そして致命的なことに彼の心は硬直しており、事の施しようがない。 上に彼のことが好きでたまらないと書いたが、それは今から1週間程前に書いたもので、今は多分そんなふうに思っていない。書き換えるならば、「寂しくてたまらない」だ。スーパーカーの助手席、高級料理、巧みなセックス、芸人顔負けの面白さ等、彼には随分楽しませてもらったので、余計に寂しくてたまらない。そしてハードルが上がってしまった分、寂しさを紛らわすことであれ、恋人を作ることであれ、簡単ではなくなるだろう。 と、別れの雰囲気が漂っているが、まだ別れたわけではない。また例の喧嘩をし、冷戦のような状態にあるだけだ。以前にも何度かこのような状態になっては、プライドを捨てた私の謝罪で収まってきた。 だけど今回は、謝らないでおこうと思う。彼から連絡がきたら、私は安堵の末に今の自分の意志を放り出してしまいそうだが、もしずっと連絡がこなかったら、そのままにしておこうと思う。 どうせ別れるのなら、早いほうが引きずらなくていい。早いといっても、既に1年が経ってしまったのだが。
2006年09月13日
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もう何度もここに書いた記憶があるのだけど、幼い頃、私はどこかの遠い星から教育のために飛ばされて、周りの人間や物は全て、私を教育するためのロボットだと思っていた。また、曾祖母や祖父が亡くなったとき、祈れば彼らは生き返るのだと信じていた。 こういう類の信仰を今ではほとんど持ち合わせておらず、だけどその「ほとんど」を引いた僅かな部分で、時々空を飛べるような感覚に陥る。僅かなる信仰はそんな無駄な空想をする余地を残している程度で、本当に空を飛んでみようという第二段階には至らない。 飛べる気がしない。だって本当に飛べないから。 空は私が飛ぶ場所ではない。ただ日の出直前のピンク色の空がきれいだなとか、鳥が私の目の前をうるさく鳴いて飛んでいったとか、そんな場所なのだ。 とりとめもない話。 何年か前まではこんなとりとめもない話に、よくぞオチなど付けられたものだ。小さなことを、いちいち考え抜いていた。そんな執着心を、そういえば今持っていない。 しばらくここに具体的な私の生活を書かなかった。特に理由はない。そしてまた特に理由はないのだけど、ここ最近の生活を端的に記しておく。 数ヶ月前、サークルに入った。 学校でのコミュニケーションが以前に比べて上手くいくようになった。 俳句を時々詠む。 恋人と何度か喧嘩もどきをした。決定的な彼の欠点を見つけてしまい、自分の気持ちはこのまま冷めゆくのかと思いきや、そんな楽なものではなかった。憎いのに愛しくてたまらない。こういうの初めてかもしれない。完全に私の負けで、彼もそれを知っていて、悔しい。早く振られたい。 2ヶ月程前、歯医者の受付のバイトを始めた。幼い頃にやっていた病院ごっこをほんとにそのまま現実にした感じで、かなり楽しい。ガーゼを補充したり、診察券に名前書いたり、お金もらってるけど、これは完全にあの頃の遊びだ。女性にならこのワクワク感をわかってもらえるだろうか。 このバイトを始めた同時期に、某在宅バイトも始めた(来週あたりから1ヶ月ほど休みますが、気になる方は是非メールください。宣伝ですが、信頼できる男性のみにお教えします。アダルトとかではないです)。 一ヶ月休む理由は、おなじみの私の宿命、整形手術である。また取れた。縫う方法で二度手術して、二度とも軽く取れてしまったので、今回はもう切開にする。こちらはほぼ一生モノらしいので。しかしその分腫れも長引き、最低一ヶ月は多分人前には出られない。これほど長い休みが取れるのも今が最後だと思うので、取れてしまったのも良いタイミングだったのかもしれない。 恋人にそれを伝え、一ヶ月ほど会えなくなることを言うと、まるで夏休みを凝縮したかのようにせわしく、彼が休みの度にいろんな場所へ連れて行ってくれた。一緒に浴衣を着て花火大会へ行ったり、水着を買ってプールへ行ったり、なぜかサファリパークへ行ったり、温泉に行ったりした。彼の欠点だとか憎いだとか言ったけど、多分私は大切にされている。 夏の象徴ばかりが短期間で詰め込まれた思い出は、なんだか妙で、だけどおかしくて、嬉しくて、少し悲しい。最後を感じるような完璧。 1ヶ月、若しくはそれ以上の距離は、きっと大きい。 最悪のシナリオを頭の中に描いて、まぁそれ以下にはならないだろうと安堵する癖は、私の弱さを物語っている。しかしいつからか染み付いたその癖の果てには、いつも予想外の展開が待っていた。思い描いた最悪の、以下でも以上でもない新たなる展開。とはいっても、ただ予想外というだけで、その展開はいつも平凡なのである。
2006年08月10日
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「異常」な人を見て、「普通」の位置に留まろうとする人が嫌い。今更異常とか普通とかいう言葉に鍵カッコなんて付けたくないけどやっぱりあえて付ける。 どうしてああいう人たちは、自分が「普通」なのだと信じていられるんだろう。なんでそんな自分を「異常」だと疑いもしないんだろう。
2006年07月31日
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高校に通っていた頃のことを、さきほど少し思い出した。 入学したての席順は、名簿順に並べられていた。私の席は、廊下側の確か一番前の席で、後ろとその後ろ、そのまた後ろに座っていた3人と仲良くなって、いつも一緒にご飯を食べた。私は特に後ろの後ろの例の彼女と仲良くなって、学校帰り、二人でドラッグストアに化粧品を見に行ったり、マクドナルドでポテトを食べたり、川原や公園でたわいも無い話をしたりした。中間テストが終わった後、二人で大須へ行って、時間をかけて服を選んで大量に買い込み、重い袋をぶら下げて、若宮通りの横断歩道を駆けた。私たちはいたって真面目な生徒だったけど、地味に髪を染めたり、わざと反抗して誰も付けていない校則通りのリボンを付けたり、誰だってあるのだけど私たちにもやっぱり小さな世界があった。 久しぶりに岡崎京子の「リバーズ・エッジ」を読んで、その頃のことを思い出した。 高2。仲の良かったその子とクラスが別れ、私は一人ぼっちになった。そんな自分が惨めで恥ずかしくて、いつも早退していた。学校を出ると自転車で、あの見晴らしの良い公園に行き、一人で何かを期待して、だけど何も起きなくて、でもひたすら何かを信じていた。 確かその頃「リバーズ・エッジ」を買い、川原を通って家に帰り、読み耽った。 何もかも肯定することが、理解だと思った。 全てが曖昧にできていたのに、本物と偽物の区別をやたら付けようとした。私は偽物の部類に入った。だからいろんなものを崩し、壊し、削った。削れば本物が出てくるとでも思ったのだろうか。だけどマトリョーシカのように、変わらぬものが小さくなっていくばかりだった。今の私はあの頃の私の内部に潜んでいたのだろうか。いや、全く別のもののようにも思える。 信じていたのは永遠で、だけどその永遠は短かった。儚さを知らぬ分、私たちはとても儚かった。
2006年06月17日
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隣の部屋から、セックスの声が聞こえる。 男子禁制のマンションなので、こういうことは珍しい。珍しいので楽しくて、壁に耳をぴったり付けて聞いていた。声だけでなく、ベッドの軋む音、肌が触れ合う際の音まで聞こえた。 生々しくて、すぐに壁から耳を離した。萎える。他人のセックスは、なぜあんなに汚らしいのだろう。 随分前から、他人の家に憧れていた。どんなに狭い家であってもカーテンの趣味が悪くても、外から見える他人の家は自分にとって非日常で、私が暮らすあの退屈な部屋とは打って変り、他人は毎日さぞ新しい気持ちでいられるんだろうなと変に信じていた。特に私が憧れるのは新幹線から見える家々で、いくつもの工場が立ち並ぶ中、ポツンポツンと存在する家々に住む人はなぜか幸福そうに思えた。 他人はいつも新しい。私はいつも同じ。 というフレーズを、この日記に書いた記憶があるのだけど、やはりそれはその通りで、私は自分の知らない場所に住む人を羨んでいた。永遠に叶わぬ憧れをいつも抱いていた。 ところが隣の部屋のセックスを聞いた途端、その憧れが崩れていった。汚いと思った。いや、他人のセックス自体が汚いわけではない。現にアダルトビデオのセックスを汚いと思うことはあまりない。セックスを介して漂う生活感が汚いのだ。 「汚い」という言葉は語弊があるかもしれないが、今まで他人の生活に架空の憧れを抱いていた分、余計にやはり「汚い」。そしてそれ以来、どこの家を外から見ても生活感が窺えてしまい、憧れを抱くことはなくなった。 電車に人は留まらない。奇跡的に同じ電車に乗った人々のほぼ全てが、違う家に帰ると思うとなんだか途方に暮れてしまう。人の数だけ事情があって、それを持ち帰る家がある。そこには魚の焦げたにおいやタバコの煙やお香のかおりや体臭やシャンプーのにおいが漂っていて、その人は生活している。 世界はなんだかギュウギュウ詰めで大変だなと思う。その中にはもちろん私も混ざっているのだけど。 機械で田植えをしたような、びっしりとした規則的で人工的な田園風景が好きだ。テレタビーズに出てくる、あの虫1匹いないような芝生も好きだ。 何もかも無視し、生活感から逸脱することはできない。夢の中で暮らすことはできない。 当たり前の幻を一つ、失くした。
2006年06月14日
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3年前のあの夏の、あの日の空は美しかった。帰りのバスから降りた瞬間、あえて写真を送らずに彼に空がキレイなのだとそれだけ打った文字を送った。 十数分後の返信を私はいまだ消せないでいる。 今外にバイクで見に行ったよ。綺麗だった!飛行機雲が集まってたね。見逃すところだったよ。ありがとう。 無垢なる共有。3年前のあの夏だから、あの日の空は美しかった。 私は、真実だけを見つめていた。真実だけしか伝えなかった。これ以上の無垢はない。 夏がくると君に焦がれる。合わせて84件の君の軌跡を私はいまだ消せないでいる。
2006年06月09日
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なぜか最近頻繁に、恋人に「どうして俺を好きなの?」とさりげなく聞かれる。その質問に私は毎回戸惑って、お茶を濁すかのように「О(彼の名)がОというだけで、無条件に好きなんだよ」と言うのだけど、それはその通りだと思うのだけど、やはりその回答に対し、自分でも納得仕切れずにいる。もっと上手で的確な回答の仕方があるはずだ。これまでにないほどに、間違いなく彼のことが好きで好きでたまらないのに、「なぜ好きなのか」と聞かれた途端、自分の頭が空っぽであることに気付き、焦り、率直には伝えられない。その話題が流れた後も、では私の彼に対する率直な思いとは何かと考えるのだけど、それはいつも漠然としている。こんなにも好きなのに。 過去に私は全ての人が入れ替え可能であると信じていた。たとえばタクシーの運転手。乗ったタクシーの運転手が、別に誰であったって支障はない。レジ係が男であったって女であったって年寄りであったってどうだっていい。目的さえ達成されれば、誰であろうとなかろうと何の問題もない。極端なことをいえば、電車に飛び込む人が誰であっても、別に大したことはないのだ。 しかしもし仮に、電車に飛び込む人が自分の知り合いだったらどうか。それは嫌だ。あくまでも、自分を取り巻く小さなコミュニティーにヒビが入りさえしなければ、誰が誰であってもいいという話だ。 だけど突き詰めて考えていけば、その小さなコミュニティーに入る人間だって、別に誰であってもいい。人との出会いは偶然から始まる。そして時を共有し、互いを知り、友達だとか恋人だとかに位置づける。たとえば偶然の出会いがその人ではなく、他の誰かであったとしても、私たちは他の誰かと楽しく過ごしているだろう。 母の中から生まれた子供はたまたま私であったけど、たとえば全く違う顔をしていたとしても、男だったとしても、母はその子を大切にする。そして仮に今の私が他の母親から生まれ、母と知り合ったとしても、母は運命的なものを感じるとか、特別な感情を抱くとかいうこともないだろう。自分の中から生まれたという事実、それは唯一の絶対的な証拠であると同時に、奇跡的な偶然である。 偶然と時の共有、それだけが全てなのではないだろうか。 また、巷では「どんな異性がタイプ?」という話題が定番のように存在する。それに対して、「優しい人が好き」だとか、「かっこいい人」とか「おもしろい人」とか「男らしい人」とか、そういう答え方をする。 だけど「優しい人」なんて、いくらでもいるではないか。「かっこいい人」も「おもしろい人」も、世の中には腐るほど存在する。その腐るほど存在する人々の中から、どのようにピックアップするのか。 このような場合も、やはり偶然と時の共有が全てであると感じる。偶然を経た、高望み。適度な妥協。別れ道。 恋人や友達の選択には、親子ほどの決定的な理由がない。「選択」といっている時点で、その関係は絶対ではない。 という感じで、私は全ての人間が入れ替え可能であると思っていた。自分なりに考えを重ね、導き出したその考えを、否定的に見ていたつもりはない。変に冷めてはいたけれど、あくまでも冷静に見ていた。 今でも、「偶然と時の共有が全てだ」とは思っている。当たり前のことなのだけど。しかし、入れ替え不可能な人間関係もあるのだと気付いた。恋人と過ごしていると、ふとした瞬間、この人の替わりは存在しないなと思う。どうってことない瞬間に、穏やかな幸せを感じる。だけどその幸せや、入れ替え不可能だという理由をどう説明したらいいのかわからない。 優しいから頭がいいから二枚目だから背が高いからお金をたくさん稼いでいるから乗ってる車がかっこいいから気が合うから大切にしてくれるからセックスが上手いからおもしろいからかわいいから、私は彼を好きなのだろうか。そんな月並な理由でしか、彼に対する感情を私は説明できないのだろうか。 「どうして俺を好きなの?」という彼の言葉は、私を試しているように思える。上に挙げた月並な条件を、全て軽々とクリアしている彼から、何を見つけ出せばいいのか。 十人十色というけれど、十人が百人、千人であったらどうだろう。それでも百色千色あることは確かだ。しかし、百通り千通りの説明はできるだろうか。人の特徴を説明できる言葉は、そんなにもあっただろうか。いや、そもそも人は人の特徴を好きでなければならないのか。それは違うかもしれない。 誰かと共に偶然を経て時を経て、様々な感情が生まれる。その感情は、必ずしも相手の特徴と結びついてはいないのかもしれない。 よくわからない。でも、人を好きになることは理屈じゃないんだよの一言で片付けたくもない。だけどその一言で、本当は片付いてしまうのかもしれない。 一緒にいると落ち着くとか幸せとかもよく言うけど、それは入れ替え不可能な理由にはならない。世の中、自分と気が合う人間なんて探せばいくらでもいるのだから。 「掛け替えのない命」とよく言う通り、自分という存在は確かに掛け替えがない。同じように他人も個々の命を所有していて、それぞれ掛け替えがない。 だけど人々の関係は常に変動していて、掛け替えのない命を持った人間同士が入れ替わる。 ・・・突き詰めて考えても答えは出ないし、あまり意味もない。 私は言葉をよく知らないけど、おそらく言葉には限界がある。 「百万回の愛してるなんかよりも~抱きしめたほうが早いだろう(?)」みたいな感じの歌が、少し前にテレビでよく流れていた。その歌詞が女を「お前」と表現していることや、私自身は一回抱きしめられるより百万回愛してると言われた方が嬉しいと思うので、気に食わなかったのだけど、その歌手のいう「抱きしめる」等の行為にも、言葉と同様に限界があると思う。 どのような愛情表現をされたら嬉しいのかは、人それぞれ違う。私は、自分が恋人にとって入れ替え不可能な存在だということを示してもらえれば嬉しい。だから自分も恋人に対し、あなたは入れ替え不可能なのだと示したい。「だから」というか、恋人に対して本当に入れ替え不可能だと思ったのだけど。 でもそれを表現する術をまだ見つけられないでいる。 瞬間的に思う「幸せ」だとか「大切」だとかはその瞬間に伝えているけど、自分にとって彼が掛け替えのない存在だということを、もっと具体的に、納得した上で伝えられたらいいと思う。
2006年03月31日
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昨夜は本当に気分が良く、幸せな気持ちで一杯だった。日記を書き上げると、このページも知っている約5年来のチャットの友達がPMをくれた。日記に書いたことについて、とても喜んでくれた。PMは続き、私の将来についての話になって、何が向いているのかわからないと不安をこぼしていると、彼が「図書館司書なんて向いてるんじゃない?」と言ってくれた。その瞬間、まるで覚醒したかのように、それだ!と思った。中学の頃から、ぼんやりと司書には憧れを抱いていたのだけど、絶対になってやるというような心持になることも、それを目標として掲げることもなかった。ところがそのとき、無性に司書になりたいと思った。私の大学で司書の資格が取れることだし(出遅れたので、一年余分に大学に通うことになるけど)、頑張ってみようかと思った。こんないい日に思い立ったことなら、間違いないやとますますいい気分になった。調子に乗って、恋人にも「司書になることにしました」だの「人生はとてつもなく楽しいかもしれない」だの書き連ねたメールを送った。 眠って起きると、頭と胃が痛かった。実は昨夜も痛かった。10年分もの悲しみを一気に埋める喜びは、刺激が強く、体が対応仕切れない。夢だと疑うことはなくとも、この現実は限りなく夢に近い。現実という枠の中で定点を持たず、ふわふわと私の脳内を漂っている。 まぁ転げまわるほどの激痛ではなく、じんわりと痛いと感じる程度なので問題はない。 問題は、私の将来についてである。昨夜に決めた目標へ向かうためには、どう動けばいいのか。 とりあえず掲示板で調べる。倍率が高すぎること、というかそれ以前に募集枠がない場合もあること、正規の採用でない限り、低賃金且つ安定もしないこと等、負の情報のループだった。あー無理だなと思った。昨夜突然思い立った目標だけど、それに対する情熱が自分にはほとんどないこともわかってしまった。一応資格過程のオリエンテーションには出席するつもりでいるけど、どうしようかな。他にやりたいことがないからとか、そういえば司書という職業があったなとか、その程度の考えの人間に、狭き門を突破できるはずがないと思う。図書館に携わる職業につかなくとも、司書の資格はないよりはあったほうがいい。多分。まぁマイナスになることはないだろう。しかしそのために1年余分に大学に通うとか、単位も出ない資格過程の授業を週にいくつも取るとかは、はっきり言って無駄かもしれない。 やる気をなくし、甚だ凹み、ベランダへ出て「死にたい」と一息ついて、部屋に戻る。本棚、テレビ、冷蔵庫、カーテン、鏡、炊飯器、ベッド、パソコンetc。目に映る全ての物が、親に買ってもらったものだなぁと思った。頑張っているとか言って、そんなのやっとバイトを始めようとしてるとか、自分で食べる御飯をただ自分で作ってるとか、それだけじゃん。水の一滴も、電気の一ワットも、私は自分で賄っていない。今まで考えたこともなかったけど、なんだか情けないと思った。 学生のうちは親が払うのが当たり前だろ、義務だろ、などとずっと確信づいてきたのだけど、まぁ今でもやっぱりそう思っているけど、親が出すのが当たり前なら、子供はそれに感謝して、一生懸命勉強するなりバイトするなりするのも当たり前かもしれないな。はぁ、一生懸命やろ。 自立して、一人でも生きていけるようになりたい。なりたいというか、なるしかない。
2006年03月24日
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近頃いつも前向きに、いろんなことを頑張っている。と言い切れるほどに頑張っているわけでもいろんなことをしているわけでもないけど、前向きなのは確かだ。当たり前のことが、少しづつできるようになった。 バイトをしようと思っていて、先日面接に行った。落ちた。以前ならこの時点でやる気をなくしていたかもしれない。しかし近頃私はなかなか強い。速攻他のバイトを探し、すぐに電話をかけ、今日面接に行ってきた。 落ちてもまた他を当たればいい。 夜、家に帰ると母から電話がかかってきた。兄が、以前母に聞いた私の電話番号を控えておかなかったのか、今日また母に私の電話番号を聞いたそうだ。「今日大学の卒業式だから酔っ払ってたけど、電話かかってきたら出てやってね」と言われた。 その十数分後、電話が鳴った。知らない電話番号が表示されていた(私も兄の電話番号を以前聞いたにも関わらず、登録しておかなかった)。 きたんだな、と思った。 電話を取って、「はい」と言った。電話の向こうは居酒屋らしく、なにやらとてもうるさかった。「あなたの兄ですけど」。周りの人々の声に紛れながらも、電話口のその声は真っ直ぐ聞こえた。 「今までさ、ほんとごめん」、「今更かもしれんけど、お前ともう一度やりなおしたいっていうかさ、復縁じゃないけど、もう一回兄弟としてやっていきたいと思ってて」、「許してくれんかな」、「ほんとに今まで兄貴らしいこと一つもしてやれんでごめん」。 随分と端的に言葉を並べてしまったけど、兄の言葉はもっと具体的で優しく、私たちはゆっくりと喋っていた。兄の言葉に相槌を打つ度、涙が流れた。兄も泣いていた。泣きながら私たちは、「ごめんね」を繰り返した。 もう一度やり直したいと言われ、私が当然のように頷くと、電話の向こうで歓声が上がった。「ほんとに?ほんとにやり直してくれるの?良かったーーーーーーーー」という兄の声とともに。随分酔っ払っているようなので、そのことを指摘すると、「うん、酔ってるけど、これはほんとだよ。いや、ほんと気持ちなんだよ」とまぁ本当に本当そうだった。なぜか電話は兄から他の人に代わり、「ずっと彼が悩んでるの聞いてきたんですよ。良かったです。ありがとう」とか、また他の人(女性)に代わり、「ゼミで同じだった○○と申します。ほんとにお兄さんが悩んでたのをずっとみんな聞いてきたから」、「兄弟ってほんと大事だと思うから、これからまた時間はかかるかもしれないけど、お兄さん大事にしてあげてね」とかを言われた。 まるで、電車男にでもなったような気がした。みんなが私たち兄弟を心配し、応援してくれていた。兄の周りには、いい友達がたくさんいるんだと思った。 その後電話は兄に代わり、少し話していた。私たちは多少ぎこちなくても、もう普通に会話できていた。「ねぇ何て呼べばいいの?」と私が聞くと、「兄貴とか、お兄ちゃんとか、呼んでくれれば嬉しいよ」と返ってきた。 「いつでも電話してきて。今までの十年間埋めれるくらい、これからたくさん話してきたいと思ってるから。ほんとありがとう」。 初めて、自分に兄ができた気がした。小さな頃から抱えていた一つの悲しみが、帳消しになった。嘘みたいに帳消しになった。隔たりが長い分、傷跡が深い分、この電話の価値は大きい。 自分に纏う物事が、良い方向へと流れていく。このプラスのサイクルに乗せてくれたのは、紛れもなく恋人であると思う。彼には本当に感謝している。 「いつでも電話してきて」と兄が言ったので、本当にいつでも電話してしまおうと思う。兄はきっと、喜んでくれると思う。なんて幸せなんだ。 今まで本当にごめんね。今日はありがとう。これからよろしくね。 お兄ちゃん卒業おめでとう。
2006年03月23日
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近々私は事故か何かで死んでしまうのではないか。未来が神の手にあるならば、そう思えるほど最近なぜかいつも楽しい。こんなウキウキした気持ちが続いているのは数年ぶりだ。楽しい日々を望むことさえ忘れていたのに、突然こんな気持ちになるので未来を疑いたくもなる。しかしそれすらどうでもいいほど、最近が楽しい。 突然そんな気持ちになったといっても、やはりいくつかのきっかけはあったと思う。 先月の中旬、学校でとある授業の最終講義を受けた。その後トイレで手を洗っていると、隣に女の子がいて、話しかけられた。その子もその授業を取っていたそうで、そういわれてみれば見覚えがあった。友達になってほしいと言われ、アドレスを交換した。いつも一人でいるのが当たり前なせいか、こういう予期せぬ事件はやはり嬉しい。 その日の午後も最終講義だった。その授業は二年続けて取ったのだけど、昨年度はなんとか単位は取れたものの、怠けていたので何一つ学べなかった。今年度はとにかく真面目にやろうと思い、授業に集中した。しかし私の頭が悪いせいか、知識がなさすぎるせいか、いくら聞いても意味不明で、何が言いたいのかさえわからなかった。それでも毎週、真面目に聞いた。すると、冬休み前の最後の授業で初めてわかった。何もかもに納得がいって、やっと意味がわかったような気がした。授業内容にも、自分が初めてわかったことにも涙が出るほど感動して嬉しくて嬉しくて、授業が終わった瞬間に、よっぽどその場で拍手をして、先生に「感動しました」と伝えようかと思った。まぁそれはせず、冬休みを終え、この日の最終講義でレポートを教壇に提出し、帰ろうと思ったら先生に呼び止められた。「○○さん(私)この一年で顔つき変わったよね」と言われた。気さくな先生ではあるものの、60人くらいの授業で私の名前を知っていることに驚き、急に話しかけられたことに戸惑い、でもすごく嬉しかった。一生懸命やってきたのを認めてもらった気がした。教壇に生徒が次々とやってきたので、話をする暇はなかったのだけど、私が教室を出ようとすると、「また今度ゆっくり」と笑顔で言われた。嬉しかった。 一月下旬には、中国語の授業のテストがあった。この授業の先生は70歳で、今年度退職するそうだ。最後の授業は一週間前に終え、これが最後のテストだと言っていた。わりと気に入られていて、よく当てられたり、駅まで一緒に歩いたりした。 好きな先生だったので、もう学校で会えないのが寂しかった。テスト終了後、学校の門を出るあたりで偶然先生とすれ違い、駅まで一緒に歩いた。「お茶飲む時間ある?」と聞かれ、喫茶店でケーキをごちそうになった。名刺をもらい、別れ、それ以来、時々メールのやりとりをしている。今度、食事に行く約束もした。嬉しい。 あと、一ヶ月以上前に某アニメを見ていたら、不覚にも感動してしまい、涙が出た。そのアニメはまぁ好きで時々見ていたのだけど、こんなにいい話だとは知らなかった。その直後、そのアニメについて公式ページやら掲示板やらでひたすら調べ(確実にハマる前兆)、案の定ハマってしまい、既に原作漫画を十数冊ほど手に入れた。一度ハマると徹底的にやる人間なので、多分全冊集めるだろう。まぁ40冊程度しか出ていないので、集めるのは容易だ。いや、でも収集の欲望ではなく(むしろこれに限ってはあまり集めたくない)、ほんとに次が読みたい。全部似通った話なのだけど、妙にツボに入る。時には笑い転げ、時には涙する。やばいよこれは。読んでると、ほんとに幸せな気持ちになる。この他にも、楳図かずおの「おろち」という漫画を一気に買って読んだり、恋人にもらった「アルケミスト」という本を読んだりした。やぁ、読書っていいな。楽しい。 数ヶ月前に読んだ川上弘美の「溺レる」という短編集がすごく良くて、彼女の他の小説も何冊か買っておいたのだけど、読んでいなかったので最近読んだ。「センセイの鞄」という小説。丁度先生と交流もあるしと思い、読み始めた。涙が出た。あーもう良すぎる。思い出すだけで涙が出そう。早く他の作品も読もう。 料理をしたり、掃除をしたり、洗濯をしたり、本を読んだり、新しい友達とメールをしたり、先生と交流したり、恋人と会ったり、買い物に行ったり、こういう当たり前のことが、すごく楽しい。 いろんな人に支えられて、こんな日々を迎えられるようになった。本当にありがとう。
2006年02月11日
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先週の水曜日に最後のレポートを終え、提出した。やっちゃいけない手も使ったりして、なんとか12個成し遂げた。あとはテストだけだと思っていたら、最後の授業で新たにレポートを出され、月末までにやらなきゃいけない。なんなんだよ。まー中国語の文章を訳すだけのレポートで、何も考えなくていいから楽でいいけど。 先日、母から電話で○○さん(小中時代の友人)から私宛の手紙が来てたから送るねと言われ、どんな深刻な手紙だろうと、複雑なような楽しみなような気持ちで待った。今日ポストを見たら手紙が着ており、家に帰ってさっそく封を開けた。写真が一枚、A4の紙が一枚入っていた。小中時代に撮り、私に渡しそびれた写真かと思ったら、全然違った。成人式の写真で、彼女と、見覚えのある小学校時代の友人二人の晴れ着姿が映っていた。A4の手紙を読むと、月並なことばかりが書かれていて、まぁホッとした。彼女は短大生で、4月から保育園で働くそうだ。「夢が実現するんだー」。あぁそうなんだ。さらっと手紙に目を通し、写真とともにすぐ封筒に戻した。 あーあ、成人式ねぇ。いーな。あーあ。やっぱ行くべきだったなぁ、成人式。着物も用意してなかったし、レポートに追われてそれどころじゃなかったんだけどさ。まー要領良くやってれば、余裕で行けたんだけどさ。まぁいいや、レポートのせいにして忘れよ。 しかし保育園で働くってすごいな。保母さんだよ保母さん。そんな簡単になれるもんじゃないよなぁ。頑張ったんだろうな。 それに比べて私は。お決まりの焦燥。他人の安泰が鬱陶しい。嫌な人間。 なんで私、夢とかないんだろう。平等に持てるものじゃないんだね。 何一つやりたいことがない。「やりたいからやる」という選択を、思えばずっとしていない。「やらざるを得ない」という選択肢しか、私にはない。 この一年、自分なりに頑張ったつもりでいたけど、私は何も得ていない。60単位の内訳を、文字で表すことすらできない。私は、ただボーっと教室に存在していただけだ。時計の針が動くのを、ひたすら眺めていただけだ。
2006年01月24日
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高校時代、何度かチャラのコンサートへ行った。そしていつかのアンコールで、「Break These Chain」という歌を聴いた。確かアルバムのツアーだったのだけど、アルバムのどの曲よりも心を打たれた。 曲名を知らなかったので友達に聞き、忘れないように「ぶれいくじぃずちぇいんぶれいくじぃずちぇいん」と言いながら家に帰った。 当時、この歌の入ったCDを持っていなかった。でもどこかでこの歌を聴いたことがあるような気がしていた。 好きな映画の主題歌だった。岩井俊二の「FRIED DRAGON FISH」という映画。DVDを持っていたので、CDを買うまではDVDを繰り返し流し、この歌を聴いた。 高校を辞めてからも、大学に入ってからも、ずっとこの歌を聴いていた。私の中では定番と化した歌だった。 だけど数ヶ月前から、この歌をからっぽの頭では聴けなくなった。数ヶ月前。「FRIED DRAGON FISH」という映画が、恋人の子供と密接な関係があることを知った。どのような形で関係しているのかは書かないけど、それ以降、この映画を観ることができない。観ようと思えば観られるけど、ある種の勇気がいるし、なぜかこわい。 この映画の主題歌である「Break These Chain」には、直接的にその関係を表す要素がないので聴いているけど、胸が痛くなる。まぁ自虐的というか、皮肉というか、おそらく私はわざと聴いているのだけど。歌詞がまた彼と私にリンクしているような気がして、すごく切ない。 昨日、彼は子供と元奥さんに会った。今日も一緒にいる。明日、別れるそうだ。 昨日の夕方、彼から電話がかかってきた。今は子供と二人きりでいるという。「子供の声聞く?」と言われ、「え!」と私が戸惑っている間に子供の声が聞こえた。こんにちは、と恥ずかしそうな幼い声が聞こえ、とっさに教育テレビのお姉さんのようなテンションで「こんにちは」と答えた。「わからない~」とその後子供が彼に言い、すぐに電話は彼に代わった。私だって何を話せばいいのかわからないよ。 短い電話の後、考えていた。彼の子供と話すということに驚き、戸惑い、緊張していたので電話の最中は何も考えられなかったけど、なんでこういうことをするの?なんで子供に代わるの?私とあなたの子供が話してどうなるの? 子供の生身の声を聞き、挨拶だけだけど会話をし、彼に子供がいるということを実感させられた。子供がいるという事実は知っていたけど、どこかできっと、私には関係ないと思っていた。声を聞こうが会話をしようが、私と彼の子供は直接的には関係ない。それは確かだけど、あの生きている子、パパに「わからない~」と甘えているあの子と自分との関わりを感じた。わかっていたはずなのに、それは衝撃的で、なぜか同時に悲しかった。 私はいつも、彼の子供のことに対して肯定的で、彼が子供の話を気持ちよくできるような対応をしてきた。親ばかという言葉が適しているかはわからないけど、彼はそのような心持で子供に電話を代わったのだろうか。 でも普通、そんなことする?電話を切った後、私の立場のような人間はどういう気持ちになると思う?いや、私も知らなかったよ。子供がいることなんてとっくに承知してるし、理解してるつもりだったから。こんな悲しいような気持ちになるって知らなかったよ。いつもあなたが子供の話してるときみたいに、その後みたいに、優しい気持ちでいられると思ってたよ。 でもなんか悲しいんだ。子供がいること、どこかで知らなかったんだ。 子供の声を私に聞かせたことに関して、彼を責めたい気持ちになった。だって普通そんなことしないじゃん。 だけどどうにか理解しようと、私が彼の立場だったらどうするかを考えた。いつも大抵、人は「自分だったらどうするか」とか「相手の立場だったらどうするか」を頭のどこかで考えながら、物を考えると思う。だから自分の考えと相手の立場の考えに、そこまでの食い違いはないと思う。常識の範囲では。だからこそ彼の行動に疑問を持った。しかしぼんやりと相手の立場を思うのではなく、本格的に彼の立場で考えてみると、驚くことに理解できた。自分が離婚していて、子供を手放して、久々に愛しい子供と二人きりになる。でも自分には大切な恋人がいる。恋人は子供のことに寛容で、子供の写真を見せれば優しい笑顔で「かわいい」と言い、いつも子供の話を気持ちよく聞いてくれる。むしろ「話して」とさえ言う。 もちろん空想でしかないので本当にはわからないけど、恋人を気遣うからこそ子供の声を聞かせたのかもしれない。うん、私だったら彼と同じことをしていたかもしれない。 でもやっぱり細かいことが気になる。子供に私の声を聞かせたということは、子供に私の存在を知らせたということだけど、私という存在のことを、子供にはどう伝えたのか。彼は元奥さんに、私の存在を教えていない。離婚しているので、私の存在を知らせても問題はないのだけど、私の存在を知らせることで、奥さんが気遣い、あえて子供の情報を彼に伝えなくなるのではないかという心配があり、彼は躊躇している。私自身は別にどちらでもいいし、そのようなリスクがあることもわかるので「知らせなくていいよ」と彼には言っている。まぁ理由はそれだけではないのかもしれないけど、今のところ彼は教えていない。 子供には、「おともだち」とでも言ったのだろうか。でも子供がママに「お姉さんとお話した」とか言うかもしれないよ。それに子供って結構鋭いと思うよ。離婚したってパパはパパなのに、ママじゃない女の人と仲良くしてることを知ったら、大きくなってその意味をもっと知ったら、傷つくかもしれないよ。まぁもっと大きくなって理解できるようになるときがくるとは思うけど。 うーん、やっぱり私は子供の声を聞きたくなかったし、子供に私の声を聞かせたくなかった。あー子供がいるってこういうことだったんだね。辛いや。 今日の夜、彼からメールがきた。子供が愛しくてたまらないこと、子供もパパが大好きなこと、だけど一緒には暮らせないこと、いつも涙が出てしまうことが書いてあった。読みながら、涙が出た。子供の写真が貼ってあった。彼の車の助手席で、子供がピースサインをしていた。見慣れた助手席。そこは私の席なのに。いつも私が座っているのに。嫌だ。もうそこ乗れないじゃん。 「誰も悪くない」。「Break These Chain」の歌詞に、そんな言葉がある。それはその通りで、私は誰を責めることもできない。誰にも向けられない恨みは行き場を失い、自分のところにかえってくる。嫉妬という感情を、私は恥ずかしいとか馬鹿馬鹿しいとか幼いとか思う。彼に子供がいること、一番に子供を愛していること、そんなことわかっている。だけど子供の声とか、助手席の写真とか、そういう生々しいものをつきつけられると、泣きたいような気持ちになる。嫉妬なんてしたくないのに。彼の事情を受け入れているつもりだったけど、多分私は理解していなかった。 だけど彼のメールを読んで出た涙は、そういう類のものではない。やっぱり彼の持つ事情が、悲しくて悲しくてたまらない。どうにもならない事実なんて嫌だ。だけど彼の辛さをどうすることもできないことは確かだ。 考えて考えて、メールを返信した。私が意見することは何もない。「今度、たくさんお話聞かせてね」。短い文章の最後に、その言葉を置いた。 「こんな話、智子にしないほうがいいのかなぁ」、彼が子供の話をすると、いつもそう言う。それは多分彼の本音だけど、その言葉には私が「そんなことないよ」と返す前提のようなものがある。そして案の定私はそう返すし、本当にそう思っているのだけど、なんだかなぁ。質疑応答じゃないけど、彼のそういう言葉に対する答えを、事前に考えるようになった。「大好きな人は一人じゃなくたっていいんだよ。辛いかもしれないけど。」というような答えを今のところ用意している。 こうありたいという自分と、事実と、実際の自分とが上手く噛み合わない。性格上、たとえば「もう子供の話しないで」と言ったり、子供の話を聞くのが辛いような素振りを彼に見せることは絶対にないし、そこまでの嫉妬心を持っているつもりもないけど、その境界がわからなくなるときがある。 「ほんとのこと・・・・・・ほんとの気持ち いかないで」。そんなふうに思っているわけではないけど。でも。http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B05988
2006年01月15日
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二十歳になった。昨日恋人が祝ってくれた。 10数年ぶりに「智ちゃんお誕生日おめでとう」と書かれたケーキを見た。嬉しかった。 わざわざ9日、10日に休みを取ってくれたのだけど、私の事情で9日の昼に会い、10日の午前2時には別れた。別れ際、プレゼントをくれた。夜明け前のような薄い青色の、雫のような形の石のついたネックレスだった。 幸せな約12時間を過ごし、お礼を言って家に帰った。粉雪が降っていた。 帰りたくないのに帰らなくてはならない私の事情というのは、学校の課題で、期限が迫り、切羽詰っている。クリスマスより前から毎日取り掛かっているのだけど、未だに終わらない。年末年始、実家に帰ることさえできなかった。余裕がない。要領悪すぎ。 12個のレポートがやっと現在残り4個になったけど、なんだかもう本当に疲れた。できない。 今年度は60単位を取るつもりでやってきた。出席や今までのレポート提出やテストなどはおそらく完璧なので、今回のレポートさえ全て出せば本当に60単位取れるかもしれない。でもなんか疲れたなぁ。 だけど今回のレポートさえやれば60単位取れるということはつまり、今回のレポートを出さなかったら全て水の泡になるということでもあって、そんなの悔しいから残り4個、やるつもりではいるけど、はーもう疲れた。 もうちょっと授業選んで取ればよかった。厄介なレポートばかり残してしまい、気が重い。 今年度60単位分の授業を取ったのは、昨年度怠けていたからなのだけど、ちょっと私には無理があった。今月の何日までにやらなくちゃという焦燥は、勉強をつまらなくさせ、中途半端にさせ、最悪、剽窃という事態になり、罪悪感しか残らなくなる。 って、大学のシステムや単位取得に伴うレポートに関して文句を言っても仕方がないのだけど。 あーやばいあーやばい。もーやだやりたくない。 インターネットってこわい。「剽窃」という言葉を挙げたけど、本当にネットでどんな情報も拾えてしまって、私たちは考えなくても済んでしまう。自分が考える前から、あらゆる他人の考えが用意されてしまっていて、自分から考えるという機会を逃してしまう。他人の考えを先に受け、それに基づいて自分で考えるということはいいのだけど、他人の考えをそっくりそのまま受け、理解もせずに自分のものにしてしまうことは危険である。私はおそらく既にそうなっていて、なんだか考えることができない。だけどこれから、考えることのできない人はもっと増えていくと思う。インターネットのもたらす不幸。 ってそんなことはどうでもいい。そろそろ現実逃避という名の今日の日記を終わらせなくちゃ。あーーーでもやりたくない。もーわからないよ。 あんなわけのわからん論理を理解して分析して応用できるくらいなら、本出せるっちゅーの。あーあ、一番厄介な二つの授業のレポート捨てよっかなぁ。そしたら3つやらなくて済んで、8単位落とすことになる。ってことは他の単位が全部取れたとして52単位か。あーまぁ支障はないな。あるけど。でもその分来年に回してもまーまー大丈夫そうだな。あーあーでももったいないよな。せっかくここまできたんだもんなぁ。早起きしてさ、遅くまで学校に残ってさ。まーいいや、もう適当でもいいからとりあえず全部やって出そう。レポート提出したら今度はテスト勉強だけど、テストなんて天国じゃん。それでそれでテスト終わったら名古屋帰ろう。 あーでもほんと鬱だな。どうせ全部終わってもまた達成感とかないんだろうな。それでまたさー自殺とかさーあーもうやだな。 人間の中にプログラムが出来上がっていて、たとえば二十歳になったらその時点で中身も自動的に大人になれたらいいのにな。まーそんなこと言っててもしょうがないや。自発的に動いていこう。
2006年01月10日
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12月中旬の予定が延期になって、1月中旬になった。彼と彼の元奥さんと彼の子供が会う予定日。 そのことでさきほど、彼から電話がかかってきた。「ドキドキするんだ」と彼は言った。子供と会うことについて。私は「楽しみだねぇ」と精一杯の善意で言った。嫉妬心のようなものを私はほとんど抱いておらず、彼と子供が会うことを自然に肯定することができる。しかしなぜか、いつもその自然な肯定にわざとらしさを加えてしまう。「私は全然気にしていない」というニュアンスを、細心の注意を払って彼へと発せられる言葉に込める。不倫ドラマなどに刷り込まれた「常識」を私はどこかで持っていて、自分の考えや感情がその「常識」に当てはまらなくとも、トンネルのような「常識」に一度それらを通過させている。その上で言葉を発する。そして既存であるはずの考えに、どこか過剰な自然さを上乗せする。 私は彼と子供が会うことに対して、極端にいえば彼の再婚に関して、肯定することが正しいと思っていた。気持ちよく彼を送り出すことが私の役目であると思っていた。だからこそ、「楽しみだねぇ」と発した。 その言葉は間違っていない。しかし、正しいわけでもなかった。 私は彼の状況を知らない。結婚していた頃の話や子供の話や再婚の話を聞いたことは多々あるけど、実際に当時の彼の生活を見ていたわけでもなければ、子供と会ったこともない。 「楽しみだねぇ」という私の言葉の後、彼は複雑そうに話し始めた。その内容は省略する。しかし電話口で彼の声は震えていた。「こわいんだ」という言葉が聞こえた。 必ずしも、彼の再婚を肯定することが正しいわけではないのだと思った。「もう戻らなくていいんだよ」と言うことが、時には優しさなのかもしれない。 再婚すること、時々子供に会うこと、会わないでいること、他の誰かと結婚すること、新たに子供をつくること、どれを取っても辛いと思う。第三者の私が推し測る「彼にとっての一番いい選択」、「彼が辛くならない方法」など、意味がない。そんなことはとっくに彼自身が考えている。そしてそれでも導き出せないからこそ彼は泣いている。 「どうしたらいいんだろうね」と彼に答えを迫ることも、「こうしたらどう?」と提案することも、何の解決にもならない。むしろ、彼の辛さに拍車をかけるだけだ。だったら私は何をすればいいのか。私が彼にできることは何か。いや、他人に何かをできると思うこと自体がおこがましい。何もできないことを前提とし、その上で彼の辛さを少しでもやわらげる方法は何か。 「もう考えなくていいんだよ」、「あなたは何も悪くないよ」、「このままでいいんだよ」。 と、言うこと、どうすればいいのかという彼の混乱を一時停止させること。それが優しさであり、私がすべきことかもしれない。しかしこの電話の最中、これらの言葉を頭に浮かべていながら、私はこれらを発せなかった。「このままでいいんだよ」。これは一時期、私が一番嫌った言葉ではないか。このままでいいことくらいわかっているとの理由で確か嫌っていた。あと、否定を前提に肯定するようなニュアンスに腹を立てていたんだ確か。今はそんな細かいことに難癖を付けようとは思わないけど、一定期間でも自分が嫌だった言葉をそう簡単には使えない。それに、「もう考えなくていいんだよ」、「あなたは何も悪くないよ」、「このままでいいんだよ」って、何様?何も事情を知らないし、所詮私は他人であって彼が何を選択しようが窮極的には関係ない。ってそもそも、こんなこと考えること自体が失礼か。彼は私より10歳も年上だし、人生経験も人一倍積んでいるし。 様々な理由で、私は彼の辛さに直接的に関与できない。なだめることさえできない。 唯一できるとするならば、彼の話を聞きながら、眉をしかめて「うん、うん」と頷くことだ。しかし、これでいいのかもしれないとも思う。彼に対して素晴らしい意見や、新しい優しさを言葉にすることができないのは、私の頭が悪いことが大きいとは思うけど、彼もそれはわかっていると思うし、そもそもそれらを求めてはいないのかもしれない。 傍観者でいること。ただいつでも彼の傍にいること。おこがましいけどそれはきっと、私ができる唯一のことだ。
2006年01月03日
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