親仁の意見-50男の素朴な想い

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September 16, 2007
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昨日は親仁仲間のG3(さん)氏からエールを頂戴し、本シリーズを書き進む上で大いに励まされました。このテーマは、ある意味で刺激的内容であり、左翼の側に立つ人には不愉快なものだと思うし、強力な反論があっても不思議ではありません。その際には、孤立無援で再反論を余儀なくされることも覚悟していますが、親仁仲間からの声援は有り難いものでした。さて、三連休の自由な時間を有効に活用すべく、次の項目を書き進みます。

<左翼は多数決が嫌いである>



これに対し、左翼系の方からは「民主主義の理想は少数意見の尊重である」という反対意見が出されました。この議論、方や「現実≒本質」に対して「理想」を持ち出しており、最初から噛み合っていないのですが、この反対意見自体にも、非常に曖昧な要素が幾つかあるのです。

先ず、「民主主義の理想は少数意見の尊重である」ということ自体、その人の主観であり、普遍的な意味を持つものではありません。次に、この場合の「少数意見」なるものが、議論のスタート時点でのものなのか、最終段階のものなのか明確でなく、この点を問い質しても、その方は最後まで答えませんでした。本当に素晴らしい意見なら、議論の過程で多くの賛同が得られ、最終段階では多数意見に置き換わっていると思います。そして、多数決によって採択されるのですから、「民主主義の理想」などと声を大にして掲げるような問題ではないのです。

また、「尊重」の意味も曖昧であって、「発言の機会も等しく与えられる」ということなら当然であり、「理想」以前の問題です。ただ、それを「採用」という意味で主張するのであれば、民主主義ではありません。少数意見が通るような社会が健全である筈がなく、それは独裁制に繋がります。この点も問い質しましたが、その方は口を濁して一切答えませんでした。

最後に、「それでは、百歩譲って、少数意見の尊重が民主主義の理想だとして、最後はどうやって決めるんですか?」と聞いたところ、この質問への答えもありませんでした。「採決で決めます」と言ったが最後、多数決を認めるしかないからです。結局、左翼の連中とは多数決を否定し、結果として民主主義を否定する輩でしかありません。

この議論の過程で、同じく左翼系の人から、「民主主義の理想は全会一致である。 映画『12人の怒れる男』 は米国民主主義の理想を描いたものである」という助け舟的な発言があり、最初の御仁もこれ幸いとばかりに、「民主主義の理想は全会一致である」に乗り換えて行きました。この意見の馬鹿馬鹿しさは以下のとおりです。

先ず、映画『12人の怒れる男』の主題は、事実関係を冷静に評価する過程を踏まえ、1:11の劣勢から12:0の無罪評決を勝ち得た、ヘンリー・フォンダ演ずる陪審員の、勇気と情熱を称えるものであって、「米国民主主義の理想」とは直接関係ないのです。恐らく、軽率な映画評論家が、口から出任せに吐いた妄言を鵜呑みしているのでしょう。仮に、この映画が「米国民主主義の理想」を描いたものであったとしても、それは陪審制度によって庶民の意見が判決に反映されるということであって、「全会一致が民主主義の理想である」ということではありません。

次に、陪審員の評決と、政治における議決とは、意味合いも前提も全く異なります。陪審制度は、陪審員個人の利害関係とは全く関係ない事柄を、客観的な証拠に基づいて「有罪か無罪か」を結論付けるものであって、論理的に正しければ答は一つに絞られます。また、「全会一致」を義務付けられているのです。一方、政治の場では利害の対立を前提に、複数の選択肢から一つを選び出すことが求められます。個々の立場において、望まれる選択肢は異なるのが普通であり、夫々に筋の通った理由があるのです。従って、「全会一致」での採決など現実にはあり得ないのです。この場合、少数意見が採択されようものなら、最終的に社会は大混乱を引き起こし、結局は暴力的手段でしか収拾できず、民主主義とは程遠い状況となります。

また、陪審制度の中であっても、「全会一致」の評決を得る過程においては、「多数決」が用いられていることが容易に考えられます。「全会一致」は結果であって、全員が納得して一つの評決を下すとは限りません。結局、十分な議論を前提とするならば、多数派の意見が通ることが自然であり、そうでないことの方が異常で不健全な状況であると言えます。

この議論においても左翼の方々は、十分な議論を踏めば全会一致になる筈だし、そうなるまで議論を続けるべきだと、非現実的なことを言い張るのみでした。議会は限られた時間の中で幾多の法案を審議せねばならず、一定の議論や答弁を経過した後、審議を打ち切って採決するのが現実です。さもなければ、政治と行政が麻痺してしまい、自治体や国家が機能しなくなるのです。そして、採決は「多数決」で行われるのが民主国家の証なのですが、左翼の方々は自分達に不都合な採決を否定し、その大元たる「多数決」という仕組み自体を忌み嫌う訳です。

最後に纏めますが、要するに左翼の連中は、自分達が「少数派」であることが分かっており、何故そうかと言えば、自分達の主張が「物事の道理」や「人間の本質」に反しているために、多くの庶民からは賛同を得られないことを自覚しているのです。然しながら、自分達の理想実現を望むことから、多数決を否定することに繋がって行くのでしょう。





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Last updated  September 16, 2007 11:13:12 AM
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