最近妻という存在の意味をあらためて感じている。独りになって9ヶ月目に入り生活には慣れてきたものの物足りなさと空しさが交差している。
何のために生きているのだろう? やることはいっぱいあるけれどいつも評価してくれていた妻がいない。かといって落ち込んでいたのではいけない。あのパワーがあった妻に顔が立たないのだ。でももういない。
時々スパイラル式に落ち込む瞬間がある。
これを脱出して生きていくには自分自身がパワーアップをしないと独居老人になっていくのに長生きなどできる筈がない。幸いに自分には他の人と比べたら多くの仲間もいるし活動を通じての新たな友達もできるのにこの空しさはどうしてなのだろうと考えてしまう。
それは男が独り身になると今まで親しくしお付き合いしていてくれた方も「一人の家」には遠慮と周囲への気遣いがあって以前のより遠ざかってしまう気がしている。それは親戚でも同じだ。というのは自分が妻の力に支えられていた証でもある。いわゆる家庭がないのだ。
これからの日々に思いを巡らすとき、もう一段レベルアップした自分自身を築かなければとは思うけれど、どうしても空しさでパワーが湧かない。これが妻に先立たれた男の致命傷なのだ。
でも一日、一日を悩みながら頑張ろう。「お父さんは世の中に絶対に役立つ人だから生かせてやってください!」と21年前の髄膜炎のとき、私が意識と記憶のない20日間祈り続けてくれた妻の言葉を無にせずに生きていかなければ申し訳ない。自分に生き抜く力をあなたにいただいたのだから頑張ろう。
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