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ごぜさの子守歌9 名主の家の大部屋には、村人や子供達が沢山に集まっていました。お菊はその前に座って三味を弾き唄っていました。座はしーんと静まりかえり、お菊の弾く三味の音が透きとうるように響き、唄は哀調をかもし出していました。「おわりに、「三椒太夫」唄いまする」 お菊は三味を弾きながら唄い始めました。 安寿の姫に 都志王丸 船の別れの 哀しさを あらあら よみあげ 奉る たんたんとお菊は物語の筋を追って唄いました。鼻を啜りあげる音。頬をぬぐう人。それぞれの人がそれぞれの思いで聞いていました。時の経つのを忘れて聞いていました。唄も終わりへと近づいていきます。別れた母のもとへ成人した都志王丸が訪れ、再会し京へ・・・。「お父!」 長太は名主の膝へ泣き崩れました。「お菊さんの唄には、すぐ目の前で人買いによって母と子が別々の船に乗せられて、別れ別れになる哀しい物語が再現されたように感じられ、心が痛くなるほど締め付けてくるのう」 名主はそう言いました。目は赤く充血をしていました。「これは、お菊さんの心境かもしれんの」 村の男が言いました。そして、鼻を啜り上げました。「ごぜさんも、別れた子供と早うめぐりあえればええのに」 長太が涙声で言いました。「早う、会えればええのに」「ほんとじゃ」「泣けて涙が止まらんわな」 お花とお雪が交互に言いました。「お菊さんは、夢を心の中に描いて唄ったんじゃないかな」 名主がぽっんと言いました。「哀しい唄じゃのう。今日はほんにええ三味と唄を聞かせてもろうた。名主さんの言われることは本当じゃった」「ほんに、ほんに」「真の芸と言うもの聞かせてもろうたようじゃ」 村人はてんでに、お菊を褒めました。「いいえ、めっそぅもございません。拙い芸に最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました」「ごぜさ、ありがとう」 長太がお菊の手を取って言いました。「ありがとう」「ありがとう」 子供達はてんでに声をかけました。「みなさんも、おとなしくよく聞いてくれましたね。有難う」 お菊はそう言って笑顔を向けました。「お菊さん、どうして、お子さんと別れんさった。良かったら話てみて下さらんか。私等で出来ることなら力になりますから」 名主はお菊に優しく尋ねました。「そうじゃ、そうじゃ」 村人も名主の言葉に賛成しました。「はい、有難うございます」皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月30日
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ごぜさの子守歌8 お菊の父は時折ごぜ屋敷に来て、玄関戸の隙き間から様子を伺つていました。お菊の事が心配だったのでしょう。ですが、母は、辛い修業の様子を見る事の出来るほど強い人ではありませんでした。家で一日も早く一人前になってくれと祈っていました。「お菊は三味も唄も上手になるのが早いわの」「お菊は、色白で、べっぴんで大きゆう成ったら男がほっとかんじゃろうて」「お菊は、明るうて、素直でええ子じゃのう」 と、ごぜの仲間から言われるのでした。 歳月が過ぎました。お菊が初旅にでたのは十一歳の時でした。少し目の見えるごぜを先頭にして、饅頭笠を被り、背荷物を負い、左手に三味抱え、右手を前の人の荷物にかけて、一行四人が連なって旅をするのです。 「ごぜんぼ!ごぜんぼ!」 そう呼ぶ者達はごぜを蔑んだ者達でした。ごぜさと呼ぶ人達は、ごぜを暖かく見守ってくれる人達でした。ごぜ達一行は、家の前に並んで三味を弾き短い歌を唄って、門付けをして回りました。家の人が、お金か、米か、家にある物を、ごぜの首に掛けた袋に志として入れてくれるのでした。そして、次の家へと移って行くのでした。 陽が暮れると、名主とか庄屋の家に泊まりました。そこがごぜ宿となり、村の人達がみんな集まり、楽しい一夜になるのでした。何一つ楽しみのない村の人達は、ごぜの三味と唄、語りを聞きに来るのでした。ごぜ達は三味を弾き、唄い、語り披露するのです。村の人達は三味の音に酔い、唄に笑い、語りに泣きました。そうした旅を続けながら、修業を積んでいくのでした。「ご飯は一杯だけ。おかわりをしてはいかん。魚や汁が付いても決して手をつけては行かん。漬物だけ頂くこと、どんなにすすめられても断るんだよ」 親方にそう言われていました。目が見えないからと言って同情されたり、哀れみをうけてはいけない。ごぜは芸を売って生きるのだと言う規律でした。「男を好きになったらいかん。愛したら地獄に落ちる。ごぜの規律を破るものは、腕を切り落とし、ごぜ屋敷から追放するからね。離れごぜは地獄への道ぞ」 男を好きになつてはいけないというのも、ごぜの規律でした。親方から男を好きになり、離れごぜになつた人達の悲惨な運命を聞かされて、お菊は育ちました。 ごぜは旅をしていても、春と夏の祭りと盆と正月にはごぜ屋敷に帰ります。ごぜが親元に帰る事が許されるのは、藪入りと言う日で決まっていました。親元に帰って、旅の疲れ、修業の厳しさを癒すのです。 お菊にとっては初めての里帰りでした。心が浮き立ち、足も軽く里へと向かいました。旅の疲れなどありませんでした。心の中にはお父やお母に、兄ちゃんや、姉ちゃんに会えるという嬉しさで一杯でした。 「辛かったろう。淋しかったろう。うちはお菊のなんの力にもなってやれなんだが・・・こんなに立派になって、大きゅうなつて・・・」 母は両手で顔を覆い泣きました。お菊も母の胸に飛び込んで思い切り泣きました。お父やお母に会うたら、あれも言おう、これも言おうと思っていた事が、どこかえ消えてしまい、出るのは涙だけでした。「お菊、よう頑張ってくれた。ほんに大きゅうなつて。親方さんはおまえのこと褒めとったぞ。辛抱強い頭のええ子じゃとな。三味も上手じゃし、唄もうまいと」 父の声は涙に濡れていました。「お菊、よう頑張ったの」「お菊ちゃん」 兄も姉も目をうるませていました。「お父、お母、兄ちゃん、姉ちゃん、うちは定めと諦めとるんよ。その中で力一杯に生きようと・・・。この三味も唄も、お父やお母にほんとうは一番に聞かせたかったんよ。そのために一生懸命に習うたんじゃもんね」 お菊はそう言って、三味を出して弾き始めました。お菊の両眼からは新しい涙が溢れ、頬を伝っていました。皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月30日
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ごぜさの子守歌7 お菊にとって、ごぜ屋敷での修業は、辛く厳しいものでした。広い部屋の掃除から始まりました。不慣れで、廊下から土間に転げ落ちることなどしばしば、柱に頭をぶつけることも度々でした。目が見えないのですから、普通の人と同じよぅに生活をする為めには、手と足、鼻と耳で目の変わりをして、世の中のことを覚えなくてはなりませんでした。 お菊が三味の練習を許されたのは、一年経ってからでした。それまで、座敷の隅に座り、ごぜの三味や唄、語りをじっと聞く毎日でした。「やりなおし」 親方は、畳を叩き、最初から弾かせんるのでした。お菊の撥を持つ手が震えました。「やりなおし。何べん教えれば覚えるんだい。どぢだね、まったく」 親方は音が違うと大きな声で叫びました。お菊はその度に耳をふさぎました。「耳をふさいではいかん。耳は私等の命ぞ。耳をとうして身体で覚えるのじゃ」「はい」「教える方も命がけなら、習う方も命がけでのうては、人より優れた芸人にはなれん。このうちはおまえに命をかけて教えておるのじゃ」 「はい、すいません。うちは一生懸命に頑張りますから教えてください。お願いします」 お菊は、縋るような顔をして言いました。 三味の糸で指先が切れ血が流れでましたが、お菊は痛さをこらえて習いました。「日本海の荒い波の音に負けたらいかん。波をのりこえて、その向こうまでとどかせるような響きを出せんと、人様に聞いて貰える一人前の芸とは云えん。音にお菊の魂を入れるのじゃ」 親方は物差しで、お菊の肩や手首をびしびしと叩きました。お菊は痛さなど忘れてもう夢中で弾きました。唄の修業も、真冬の日本海に面した岩の上で、冷たい風をまともに受け身を凍らせながら習いました。「それくらいの声は誰でも出す。声はおなかから出すものじゃ。人より優れたいい喉でのうては芸人とは云えんし、一人では生きられん。岩に砕けるる怒涛を押し返すほどでのうてはいかん」 親方に叱られました。喉から血を吐きました。お菊は泣きながら唄い続けました。顔は波のしぶきに濡れ、刃のようなとがった冷たい風が、突き差さるように吹き付けていました。お菊は修業の辛さに負けそうになりましたが、早く一人前になって、お父やお母に会うのだと言う気持ちで頑張りました。「おととやおかかに会いたいじやろう、胸で泣きたいじゃろう。じゃが、会えばよけいに辛くなり、今までの苦労も消えてしまうぞ。あと少しの我慢じゃ。お菊が一日も早う一人前のごぜになることを願うとんは、うちでもなえ、幼いお菊を手放したおととやおかかじゃからの。早う一人前になって里に返られるようになることじゃ」 親方の言葉は優しい中にも厳しいものが含まれていました。お菊はこっくりと頷き、一層芸に身を入れました。皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月29日
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ごぜさの子守歌6 翌日、お菊は父に手を引かれて家を出ました。小さな風呂敷包みを小さな胸に抱えていました。「お菊、元気でな」 兄が声をかけました。「お菊ちゃん、負けたらいかんで」 姉が涙声で言いました。「お、き、く、」 母は前掛けで涙を拭き拭き叫びました。 お菊はその声に何度も何度も振り返っては、頷きました。 幼いながらも、自分がごぜになるしかないことを知る、お菊でした。 長い道のりでした。歩いたり、父の背に負ぶさったりしました。お菊は父の背が広く大きいと思いました。時折、その背が小刻みに震えているのが伝わってきました。 高田のごぜ屋敷に入りました。「お菊と申します。どうかよろしゅうお願いします。よろしゅう頼みます」 父はお菊を紹介し、親方にお願いしました。「お菊、ここが今日からお前の家じゃからの」 親方は妙に乾いた声で言いました。「お父、いやじゃ、うちはいやじゃ。お母の所に帰りたい。お父!お父!」 と、お菊は泣きながらさばり付いていきました。「お菊、わかってくれ・・・。親方さんの言われる事をようにきいてな、早よう立派なごぜさになってくれな。お願いじゃ」 と、父はお菊を抱き締め諭しました。 父は、何度も何度も頭下げてお菊の事を頼み帰っていきました。 お菊は父の後を追おうとしました。「泣いて帰ると言うか。これから、どんなに辛うても淋しゆうても泣けんのだから、今日は涙がのうなるまで泣くとええ。が、帰ろうと思うたらいかん。逃げて帰ったら、お前のおととやおかかが困るだけじゃ。一端この屋敷に入った者は、定められた日以外の日に逃げて帰れば、沢山の金をもって、おととが謝りに来んといかん定めがあるでな・・・。心配や、迷惑をかけたらいかん。目の見えん者は、誰の力も借りずに生きていくのじゃ。誰も当てにはならし、助けてもくれん。同情や哀れみ受けたらいかん。そのためにも、これから、芸をしっかり身に付けるのじゃ。一人で生きて行ける芸をな」 親方の言葉は、静かな空気の流れる部屋に厳しく響き、お菊の幼い胸にしみ込んでくるものでした皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月29日
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ごぜさの子守歌5 お菊は生まれた時からの盲目ではありませんでした。二歳の時にはしかにかかり、高い熱が続き、お医者に診て貰ったのですが、その時はもう手遅れで盲目になったのでした。山を一つ越した所にある神社が、目の病に良く効くと父が聞いて来まして、お菊は「め」と書いた絵馬を奉納して、毎日毎日父に連れられてお願いに通いましたが、治ずじまいでした。 お菊が生まれた村は山の中で僅かな田と畑しかありませんでしたから、貧しかったのです。だから、どこの家も、長男と長女を産むと、後の子は、産まれてもすぐ首を締めて殺し川に流す風習がありました。それは、村の掟のようになっていました。人間が増えればそれたけ食料が足らなくなり、村全体が滅びてしまうと言うことなのでした。お菊は次女として産まれたのですが、母がどうしても殺すことは出来ないと頑張ってくれて育ったのでした。 産まれてきても殺されて川に流される子の事を日みずっ子と言うのです。 ですから、お菊は村でも隠れるように暮らしていたのですが、病で目が見えなくなり、村の人に知れ、父と母は村八分にされてしまいました。村八分とは、火事があった時、火消しと跡形ずけの手伝いと、死人が出た時、葬式を手伝うと言うもので、後の付き合いは断つと言うものでした。 そんな家でしたが、お菊は父と母、兄と姉に可愛がられて育ちました。 お菊がだんだん大きくなるにつけ、父と母は考えなくてはなりませんでした。おきくをいっまでも家に置いておくこと、お菊の将来に良くないと考えたのでした。 父と母、お菊が座っていました。「お菊、お前は目が見えんのだから、あんまさんになるか、ごぜさになるか、どっちがええ」 父はお菊に言いました。お菊は何の事かわからず俯いていました。「あんた、そう言うても、まだ五歳のお菊にはわからないわな。うちだってどちらがええとも答えられん」 母はそう言ってお菊の顔を見ました。「習い事は早い方がええと思うて・・・」「まだ幼いんじゃから、家におらせて」「今度、ごぜさが来たら相談をしてみるか。わしは、お菊がごぜさになってくれたらと思うんじゃが」「目が見えんよぅになるんじゃったら、育てるんじゃなかった。」 母は目頭を押さえました。「今更、何を言う」「せいでも、うちは辛いんじゃ」「そりゃ、このわしだって。わしらとて何時迄も生きていて、お菊を見守っていてやることは出来ん。だから、お菊が一人で生きて行ける道を捜しだしてやらにゃならん。わしらだけの淋しさだけを考えておったら、それだけ、お菊の生きていく道を邪魔することになるのじゃからな」「あんた!」「そうじゃ、思い付いたら早い方がええ。気の変わらん内に、明日にでも、わしはお菊を連れて高田に行って、座元の親方さんに会って頼もうと思う」「そんなに急に決めんでも」「いや、早い方がええ。お菊、わしらは、おまえが可愛くねえからごぜさにするんではねえ。目の見えんお菊には一番じゃと思うからじゃ。お菊は唄がうまい、歌を唄ってみんなよろこばせて・・・。わしらとて、お菊を手放すのは辛いが・・・きっと、後に、わし等の気持ちが分かってくれると思うから」「うちは行きとうねえ、行きとうねえ」 お菊は母の胸に飛び込んで行きました。「行かしとうね。行かしとうねえ。けど、けど・・・」母はお菊を抱いて言葉を詰まらせました。「お菊、わかってくれ。お願いじゃ。わしらも辛いんじゃ、手放しとうはなえ。が一人前のごぜさになって生きてくれ。それしか、お前の生きる道はないんじゃから」 父は優しく言葉を投げかけました。「うちがごぜさになれば、お父や、お母は嬉しいんか」 お菊は見えない目を父に、母に向けて言いました。 父の頬には幾筋も幾筋も涙が流れていました。「お菊!」 母はその場に泣き崩れました。「なら、うちはごぜさになる。お父やお母がそうしたほうがええと云うんなら、うちはごぜさになる」皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月28日
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ごぜさの子守歌4「帰るんなら丸木橋を渡してあげよう。この前にきたごぜさが落ちたから」 長太はそう言って、お菊の手とりました。 男は名主に近寄り、「名主様、あのごぜさは、なんでも、吹雪の中で見失った子供を捜しているそうですがな」 と、囁くように言いました。「なに、子供をな。それは本当か」 名主はお菊の後ろ姿を見ました。「年の頃なら二歳半位の男の子で、胸に赤い痣があるそうですが」「名は何と言った」「だい、とか」「そうでなく、ごぜさの名前だ」「お菊とか、申しておりましたが」「お菊さん。そうか、お菊さんか」「なにか・・・」「いや・・・。長太!そのごぜさに少し聞きたい事があるので連れて来なさい」 名主は大きな声を長太に向けてなげました。「お父!」 長太は嬉しそうにそう答え、お菊の手を引いて連れ戻しました。「私になにか」 お菊は名主に問いました。「あんたが離れごぜのお菊さんか」「はい、私がお菊ですが」「そうか、あんたがのう、そうでしたか」「なにか、このごぜさが・・・」 と、男が口を挟みました。「いや、お菊さんのことは私の耳にもはいっている。お菊さんの口説「三椒太夫」 はええ物語じゃとな」 名主は頷きながらいいました。「いいえ、そんな、めっそうもございません」「まあ、よかろう。子供達がこれ程慕っているのには、お菊さんになにか暖かい物を感じてのことじゃろうて」「名主様!」 男が諫めるように言いました。「お菊さんの三味と唄を聞いてみたいと思うとったところじゃ。今夜は私の家に泊まって、村の者や子供達に聞かせてやって貰えませんかの」 名主は穏やかに言いました。「名主様、それでは村の掟を破る事になりますがのう」 名主は心配そうな顔を向ける男に、「かまわん。お菊さんの三味と唄を聞けば村の者も喜んでくれよう。三味も唄も評判での、先日来た薬売りが言うておった。・・・村の者がお菊さんの三味と唄を気に入らなんだら、私が村の者にどのようなことでもしょう」 と、名主は、はっきりと言いました。そこまで言われた男は黙りこんでしまいました。「いや、良いものはいい、悪いものは悪い。真実を知るために掟が邪魔をしていたら、その掟を破り曲げる事も必要なことでな。お菊さんは心配することはない。それより、いい三味と唄を聞かせて下されよ。お願いしましたよ」「はい、一生懸命に弾き、唄わせて頂きます」 お菊はそう言って、名主の方へ頭を下げました。「お父!」三人のやりとりを聞いていた長太が名主に飛び付いていきました。「名主様、ありがとう」「なぬしさま」 子供達はそう言って名主をとり囲みますた。名主は笑って、頷きながら、子供達の頭を撫でていました。「うんうん、今夜はお菊さんに唄と物語を聞かせて貰おうな」皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月28日
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ごぜさの子守歌3「幾らこの村の名主様とは言え村の掟を破る事は出来んのにのう」 男はぽつんと言葉をおとしました。「私は帰ります」 お菊はそう言って帰りかけました。「おめえは約束を破るつもりかの。たとえ子供とのものでも約束は破られめえ」 男は静かに言いました。 お菊はその言葉にはっと胸をうたれました。約束は破られない。そう思い、そこに立つて待つことに決めました。「お菊さんといったな。どこで子供と別れたんじゃ」 男は優しく問いました。「はい、二年前に吹雪にあい、山の中で・・・」「それじゃ、助かっとらん。諦めることじゃな」「いいえ、生きております」 お菊は強く言い切りました。お菊は大が死んだとは思いたくなかったのでした。「そうか、そう思わんではのう」「はい、そう思ってなくては、私は生きておられません」 お菊の頬に一筋の涙が伝っていました。「うん、その気持ち、ようにわかる。が、陽のある内に山を降りたほうがええぞ」 男は優しく言いました。「はい、ですが、私には昼も夜もありません。目が見えないのですから」「そりゃ・・・。そうじゃが、夜の山は何時吹雪に変わるかもしれんからのう」「はい」 お菊は大きく頷きました。村人の親切がとてもうれしかったのです。村人の言う通り山を降りよう、そうお菊は思いました。「離れごぜのあんたには、世間の風は冷たかろうが」「はい、それは。「離れごぜは村にいれない。用はない。とっとと村から出ていけ。そうでないと川に投げこむぞ 」 と言われた事は二度や三度ではありません。もっと激しく責められたこともたびたびでした。ですが、奥深いごぜの行かないような村では、喜んでくれました」「なんの楽しみもねぇ山奥では、ごぜさの訪れが何よりの楽しみじゃからな」「はい」 その時、「ごぜさ」 と、叫ぶ長太の声がしました。長太は父の名主の手を引っ張っていました。 お菊は声の方へ耳を傾けました。雪を踏みしめる小さな足音と、大人の重い足音が近づいていました。「ああ、これは名主様」 と、村人は頭を下げました。 お菊も、名主の方へ深々とおじきをしました。「長太、もうよい。そんなに強く引っ張るな」 名主は太い声で言いました。 「お父、どうして、このごぜさを村に入れてはいかんのじゃ」 「それはじゃな・・・。それは・・・このごぜさは、ごぜの規律破った人じゃからじゃ」「規律とはなんじゃ」「規律とは・・・」 名主は言いかけて口をつぐんでしまいました。「長太ちゃん、もういいんですよ。私はこれから次の村まで行きますから」「次の村迄と言っても二里もある」 と、お花がいいました。 「今からじゃと、夜になってしまう」 と、お雪がいいました。「次の村も追い帰すかもしれん。お父、このごぜさを一晩泊めてやってくれ」 長太はだだをこねるように言いました「それは、出来ん。」 と、名主はきっぱりと言いました。 長太はお菊に近寄り、「ごぜさ!」 と、泣きそうな声を懸けました。「いいんですよ。私は慣れていますから」「裏山には狼もいるし」「怖くはありませんよ。私にはこの撥がありますから」 その撥はよく切れそうな刃物のように見えました。「わあ、よう切れそうじゃな」「私達、目の見えない芸人は、この撥で身を守るように修業しておりますから、大丈夫ですょ。みんなの暖かい心、とも嬉しいわ、有難う」 お菊はそう言って頭をさげ、杖を頼りに丸木橋の方へ歩みかけました。「ごぜさいくんか、お父」 長太はお菊と名主を交互に見て言いました。「私は唄を聞きたい」「うちはお話を聞きたいわ」 お花とお雪の言葉は、お菊の背にぶつかりました。唄いたい、語りたいとおもっても、村の掟で離れごぜは入れないのですから、二人の声に答えてあげることは出来ませんでした。皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月27日
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ごぜさの子守歌2 お菊は、農家の前に立ち三味を弾き、「門付けをさせて貰えないでしょうか」 と、声をかけました。 ごぜとは、三味に合わせて、語り唄う事のうまい、盲目の女旅芸人のこというのです。そして、門付けすると言うことは、三味を弾き、その家の繁栄や健康を願って唄うことで、それによって 、米や、味噌、漬物など貰うことなのでした 。農家の男の人が出てきて、お菊をじろじろと見て、「あんたは離れごぜ・・・。うちは入らん」 と、強い口調で言いました。 離れごぜとは、ごぜの規律を破り、ごぜ屋敷を追われ、一人りで旅をする、盲目の女旅芸人のことです。「あの・・・」「いらんというとろうが。門付けをしても、おめぇにやる、味噌も米も漬物も金もないわい」 男はお菊の言葉に耳を貸そうせずに言いました。「すいません。・・・少しお尋ねしたいのですが」「なんじゃ。この村では今までに離れごぜを入れた事がないでな。いっも四人で来るごぜさがもう来る頃でな・・・。おめぇもはょう帰るたほうがええぞ」「はい、そうします。・・・年の頃なら二歳半位の男の子で、胸に赤い痣のある子を知りませんか」 お菊は必死の思いで問いました。「嫌、知らんこの村の者はみんな知らん」「そうですか。もし、そのような子のことが耳に入りましたら教えてください。その子は私の子の大です。私は離れごぜのお菊ともうします」 お菊は頭を下げてお願いしました。「うん、聞いたことにしておこうかのう」「すいません。お願いします。お手間を取らせて申し訳ありませんでした」 お菊は深々と腰を折り、頭を下げて礼を言いました。そして、振り返り帰ろうとしました。「ごぜさ、帰るんか」 と、お花が声をかけました。「おらのお父を呼んで来るから、ここで待つててくれ」 長太は大きな声で言いました。「おぼっちゃま」 男が長太に諫めるような言葉をかけました。「おらが帰って来るまで、そこにいてくれ、約束じゃ」 そう言い残して長太は走りだしました。その後を、「長太ちゃん待って」「長太ちゃん・・・」 と、子供達が後を追いました。「長太ちゃんのお父は、この村の名主で偉い人なの」「髭を生やして何時も威張ってるけど、本当は優しい人なの」 と、お花とお雪はそう言って長太を追いかけるように走りだしました。 後にはお菊と男が残されました。皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月27日
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ごぜさの子守歌1「ベン、ベン、ベン」と三味の音が、雪をがつぽりとかぶった静かな山村に、何処からか響いてきました。村の子供達はその音を聞くと家から飛び出して「ごぜさが来るど」「ごぜさがくるど」と叫びました。子供達は二人、三人と集まり、村のはずれにある丸木橋の方へと走って行きました。橋の上から、村にはいって来る人達が良く見えるのです。丸木橋は雪の中でうっすらと黒く見えました。「あれ、お地藏さんの前に座りこんだぞ。そして、三味を弾いとるぞ、それも一人で」 と、名主の息子で七歳になる長太が不思議そうにいいました。「なにをしとるんじやろう」 と、他の子供達がいいました。「行ってみよう」と、長太は走りだしました。他の子供達もその後を追いました。 お地藏さんは村に入る手前の道端にありました。その前に年の頃なら二十歳位のごぜがまんじゅう笠を被り、真っ赤な布で頬をかくして、雪の上に座っていました。三味線を右の膝の上に乗せ、胸の前に立てて左手で持ち、刃物のような白い撥を右手に持って、ぽつん、ぽっんと、ゆっくりと弾いていました。「年の頃なら二歳半、胸に赤い痣のある子がどこにおりましょうか、お教え下さい。その子は私の子の大です。私はごぜのお菊と申します」 と、両眼に涙を一杯に浮かべて語りかけていました。 長太達は、そのお菊より少し離れた後ろでじっとみつめていました。 お菊は三味を弾き終えると、赤い三味袋に納めて立ちあがりました。そして、長太達の気配に気付き振り返りました。「ごぜさ、今日はおら達の村によるんか」 と、長太は問いました。「いいえ、私は離れごぜですから・・・」 と、あ菊は淋みしそうに言いました。そして、「あなた達は、胸に赤い痣のある子を知りませんか」 と問いました。「ううん、知らん」 長太はかぶりをふって言いました。「そう、まだ三歳になっていない男の子なの」 お菊は、尚も尋ねました。「それより、村に寄って唄ってくれればええに」 と、長太はお菊の腕を取りました。「そうよ、うちが手ひいたげる」「この村には丸木橋があって危ないから」 子供達はそういいながら、お菊の手や肩、背にさばりついて行きました。 お菊は立ち上がって、「ありがとう。あなた達の名前は、今 なん歳になるの」 と 優しく問いました。「おら、七歳、長太てんだ」「私、六歳、お花なの」「うち、四歳、お雪」「おら・・・」「わしは・・・」「うちは・・・」 子供達は歳と名前言いました。 「そう、そう」 と、お菊は一人一人の言葉に大きくうなづいて聞いていました。「村に寄って唄と話を聞かせてくれ」 と、長太はお菊の手を取りひっぱりなから丸木橋を渡って村にはいりました。「長太ちゃんの手はとても暖かいわ」 村の子供達はお菊をとりかこみました。 子供達はお菊をとり囲み、嬉しそうにはしゃぎまわっていました。皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月26日
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堀河西山庵草紙 急18 病臥(やまいにふし)なさいましてふた年が巡り・・・。 女院様は、起き上がられることもなくなり、長い夏の陽が西山に沈もうとしていた頃みまかられたのでございます。 名残りを惜しむかのように、蜩(ひぐらし)が一斉に啼きはじめまして御座います。 お手の中から数弁(すうへん)のあの櫻の花びらが・・・。 待賢門院璋子様こと女院様が・・・。 三条高倉第にて四十五歳のご生涯を終えられたのでございます。 かぐや姫は月の世界へ帰られたのでございます。 君こふる なげきのしげき 山里は ただ蜩ぞ ともに鳴きける 女院様のお旅立ちに堀河はこのように歌いました。 西行殿、なぜこのように女院様のことを語ったか・・・。 総てこの堀河がなしたてむけは・・・。どうであったのか・・・。この堀河が女院様の歩まれる路(みち)をかえたのか・・・と・・・。 この世のことは総て転寝(うたたね)のまぼろし・・・。 その幻は御仏のご慈悲であったのでございましょうか・・・。 西行殿、お応え下されませい。 なに、これは・・・。そのお答えの歌なのですか・・・。 願わくは 花のしたにて 春死なん その如月の 望月の頃 なんと・・・。 黙ってお立ちになられて・・・。何処(いずこ)へ・・・。 西行殿・・・。西行様! この稿を書くに及んでの参考文献として 「西行花伝」辻 邦生著 「白道」 瀬戸内寂聴著 「待賢門院璋子の生涯」 角田 文衛著 「逆説の日本史」 井沢 元彦著 「平家物語」 作者不詳 「西行物語」 今田 東著 「山家集」「百人一首」 「西行」 高橋 英夫著 さまざまな諸先輩の労を無駄にせぬ様にと心がけましたがここまでしか書けませんでしたことお許しくださいますように。参考文献として読ませていただきましたが、この作品はあくまで作者の創作によるものであることをここに記しておきたいと思います。 作者敬白皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月23日
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堀河西山庵草紙 急17 女院様は真如法尼(しんにょほうに)とおなりになられ、御仏のお使いとして生きられる日々が平安のうちに続いておられたのでございます。「何があろうと私は一人ではない。義清がついていてくれる、それも御仏のご慈悲なのですね」 女院様はそうお言いになられ御身を慰(なぐさ)めておいででございました。 女院様の本当のお心はどうであられたのか、推し量ることさえ出来ませなんだ。 法金剛院の庭には藤だなから花が垂れ下り美しい簾(すだれ)のようでございました。 その一年後、はやりの病疱瘡(ほうそう)におかかりになられ、当代一お美しいといわれたお顔は・・・。 それから、寝込む日が多なったのでございます。女院様は法金剛院から御病気快癒のために三条高倉第へお移りになられましてございます。女院様が三条高倉第を懐かしんだゆえでございました。 崇徳新院が結願(けちがん)の曼陀羅供養(まんだらくよう)を致した折りに鳥羽院もお出ましくださり優しいお言葉をおかけくださりましたが・・・。 女院様は何もお言いにならずただ小さく頬を緩めるという日々が多くなりました。「運命に沿って生きた、その報いが・・・」とお笑いになられて・・・。苛酷な運命に対してもそれが我が身の運命と従順にお受け取られておいでのようでございました。 西行殿は三条高倉第の外で・・・。じっとしておられずにお気をもまれた事でございましょう。中納言の尼がそのことを女院様へ・・・。「西行に心配はいりません。今の私は何も恐いものがありません。私には御仏と西行とがついていてくれますから、と伝えて下さい」 なんと言う穏やかな表情をされておられたか・・・。 西行殿はその伝事(ことづて)をお聞きになり涙を流されたとか・・・。より御仏に・・・経を上げられ・・・。皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月23日
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堀河西山庵草紙 急16 花の命が繰り返され、女院様は四十二歳の折り御落飾を致すのでございます。「これで女子でのうなる。どれほどの安堵(あんど)であろうか」 法金剛院の池を取り巻く馬場の方へ懐かしそうな視線(まなざし)をお投げになられて零(こぼ)された女院様のお言葉・・・。 女院様の運命に堀河も中納言も涙にくれましたぞ。 中納言と堀河が御供を致して髪を下ろしました。 兵衛の局は統子内親王の女房としてお仕えし、ここから女院様にお仕え致しておりました者皆別れ別れになるのでございました。 華やかで賑やかであった女院様のお住まいには、ただ静かな物音さえなく静寂(せいじゃく)が広がっておったのでございます。 その静けさにもまして、女院様のお心は一つの切っ掛けによって悟りを開かれたようにお平でお静でございました。 綺麗な歌は読み人がそのように生きているから生まれるもの。そのように生きてこそ、歌に心が入ったと言える。 歌は人の心を現実を変えるもの・・・。 歌で人を救う・・・。つまり、御仏の広い慈悲のようなもの・・・。それ故に御仏をこの世に生み出すとの・・・。光円が闇を照らすという・・・。 西行殿はその後仏道の修行をするでなく・・・。何をお考えなのか、京を離れる事も無く留まられて・・・。洛北(きょうのきた)に住まわれ・・・。何をお探しになられておいでだったのでございます。深いお考えの中でなにかを見詰められる眼は・・・。おやせになられ・・・。ご自分を責めに責められて・・・。ただ、夢中で御仏の、歌の世界を・・・歩まれておられたのですね。 西行殿、物事をその行為を総て背負われて・・・。それは、おとこの財(たから)・・・。生き歩む目的として・・・。その事で仏の修行にも、歌の道にも・・・。 西行殿、人とはなんと悲しい・・・いいえ、強く生きられるものかと・・・。皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月22日
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堀河西山庵草紙 急15 西行殿、あの日、櫻の花びらが、池の水面に垂れ下る櫻の枝から零れるように・・・。 月明かりの下、義清殿を女院様の寝所へ導き入れたのは・・・。「堀河、明かりはいりませぬ」 女院様のくぐもったお声が・・・。 静謐(せいひつ)が暗闇のなかにただ広がっておりました。 更け待ちの月明かりのもとしだれ櫻が紫に染まって・・・。 「一生一度の恋、一夜の想い・・・。私は今日から一人ではない。義清がいつも側にいてくれる・・・。一度ゆえこのように美しくこれからの道を歩んでいくことが出来るのです。終わりが始まりであるのです。もっと大きな広い確かな世界へと誘ってくれるのです」 女院様は、御簾を揚げられ庭のしだれ櫻をご覧になられながら、お言葉を落とされまして御座います。 昨日までのことが嘘のように晴れ晴れと、何事かをふっきられたお姿でございました。 義清殿が、突然の得度(しゅつけ)のことは・・・。 幸福なご家庭を・・・御妻女を、お子を捨ててなお・・・。 女院様は驚かれるお様子もなく莞爾(にっこり)と頬を緩められておいででございました。 ご出家なされても、西行殿はよく御所を尋ねておいでになり、闊達(かったつ)な兵衛の局や明るい中納言の局と歓談しておいででございました。女院様のことはお心の中ではっきりとお決めになっておられるようにお見受けいたしましたが・・・。 女院様は兵衛の局や中納言の局が話す西行殿のことをお聞になられても、ただ、「そうですか」と頷いておられました。 女院様を狂わせた忌まわしいことは総て義清殿との一夜で綺麗に洗い落とされたように、ご安堵な日々が訪れたのでございます。 が・・・。 崇徳の帝が、鳥羽院と中宮得子様との間にお生れの近衛の帝に譲位、崇徳新院、鳥羽院となられるという世間の動きは、女院様のお立場をより煩(わずら)わしいところへと向かわせるのでございます。 母親想いの崇徳の帝が譲位され、女院様をお庇(かば)いになられるお方はいなくなりますと、女院様のお力は弱おうなるので御座いました。それに引き替え美福門院様のお力が・・・。 そうしますと、今まで快く想っていなかった人達の嫌がらせが始まったのでございます。女院様のお命をと御所に火をかけることは二度御座いました。 熊野からお帰りになられてすぐお住まいになられていた三条西殿が焼失・・・その前にも四条西洞院第(しじょうにしのとういんてい)が・・・と身にかかるご不幸は後を絶ちませんで御座いましたが・・・女院様は何も恐がることが無きように振る舞われておいででございました。・・・それから以前にお住まいになられておられた三条高倉第(さんじょうたかくらてい)へ・・・。 女院様のご心中はいかばかりかと気を揉み ましたが、それをお忘れになるように・・・。 女院様が三十一歳のお年から三十八歳の間に四度の熊野詣でをなさいまして、白河法皇のご供養と、鳥羽院、崇徳新院のご無事を御記念申し上げ、お子さまのご健康を、また御自身の平安無事を願われたのでございます。どれほどの思い煩わしいことがあられたのでしょうか、御仏におすがりになられ、また、遠い道程をお通いになられてなお、神のお加護をお求めになられたのでございます。 女院様にはそれからも様々な忌(い)まわしい、お心を煩わせる波が押し寄せるのでございます。関白忠通殿と美福門院様の暗い策略(はかりごと)で御座いました。それにじっと耐え時を待つように西行殿と同じ道へと登るのでございます。皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月22日
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堀河西山庵草紙 急14 西行殿、憶えておいででございましょう。人は忘却の川を渡るとは申せ、その淵に佇(たたず)みもどかしい日々を過ごしたことを・・・。あの時、過去も未来もなく今を生きておられましたな。否、時を、一瞬を・・・。総てを捨ててなおその出会いを・・・。 西行殿、人として今まで感じたことのないその悦びはやがて苦しみへと・・・。愛するという地獄を・・・。あの一時のご対面が一劫(いちごう)の時に勝るとお感じになられましたことでしょう。運命の悪戯はよりお二人の心の中に、池に小石を投げ込むように、恋情を広げられたのでございましょうな。 その日から女院様は頻りと義清殿のことを尋ねることが多うなったのでございます。運命をお感じになられて総てを森羅万象に託され、一度はお捨てになられた、お忘れになられた女院様のお心に愛の火が灯されたのでございます。義清殿により芽生えたのでございます。 そのお姿は、今まで男を引き入れた女子の血潮ゆえでなく、いじらしい程のお恥じらいをお見せになられ、頬を薄紅に染められ、立ち振る舞いもまるで少女の様でございました。 三条京極第(さんじょうきょうごくてい)の御所にお仕えする女房はそのお可愛らしさにほーとため息をつきました。 都は頻りと風花が舞っておりました。うっすらと大路を白く染め土壁から枝を延ばした寒椿の花びらが時折音を発て下りました。 京独特の身を刺すような寒さでは御座いましたが、女院様のお心は熱う燃えていたのでございましょう。 そんな日々のなか、女院様のお心もお身体も北面の義清殿へ傾斜して行かれまして御座います。「堀河、あなたは本当に人を愛したことがありますか」「運命、その運命に沿って生きただけの恋は本当のものではありませなんだ」「多くの人を愛したように想うが、愛ではなかった」「もっと早く、若かった頃巡り会えていたら・・・」「苦しいのです・・・」「最初で最後の恋、そのように想われて・・・」「私の人生は総て御仏が仕組まれた・・・ご慈悲なのですね」 几帳(きっちょう)の外に控え待つ私にそのようは弱音を洩らされまして御座います。それはまるで初めての恋をお感じになられた時のように・・・。想いの深さ重さがひしひしと伝わりましたゆえ・・・。皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月21日
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堀河西山庵草紙 急13 崇徳の帝が法金剛院で観櫻の宴をお開きになられましたその日・・・。その日が、女院様、義清殿にとって運命を変える日になろうとは誰ぞ知る由(ゆし)もなかったことでございました。 催しのなかに競べ馬が御座いました。馬場は大きく曲がるところがありましたが、義清殿は騎馬を巧みに操り、皆が落馬をする中を颯爽(さっそう)と一番乗りを致しましたな。女院様は「のりきよ、義清」とお手を叩いてまるで無邪気なお悦び様で御座いました。 その見事さに女院様が褒美(ほうび)を取らすと仰せになられたのです。私は義清殿にその事を告げに参りました。義清殿は女院様直々の沙汰に怯(ひる)む事無く女院様の御簾(みすず)の前に手を着き膝を折りかしこまりました。 御簾の中から義清殿の姿を見られた女院様は、私の方へお顔をお向けになり頷かれたのでございます。私は御簾を揚げました。 その瞬間・・・。 女院様はお身体の力が抜けたように前に少し倒れかかられ、義清殿は咄嗟(とっさ)に両の手を差し出されて・・・。お二人はじっと見詰められておいででございました。そして、義清殿はわなわなと震えだしたのでございます。 辺りは暗やみになりまるでお二人のお姿のみに明かりが・・・また、落雷の稲光がお二人の間に・・・。 お側に居りました私は目が眩(くら)み驚いて平伏しました。 その時、なにかをお感じになられ・・・。女院様は三十九歳、義清殿は二十三歳の頃で御座いましたな。たしか・・・。 皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月20日
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堀河西山庵草紙 破 12 鳥羽院、崇徳の帝からの船遊びや、観櫻の宴、紅葉狩りなどの誘いは常にございました。が、なかなかお出かけになることもなかったのですけれど、私達女房を気遣ってお受けになられることも御座いました。 女院様がお幸行(でかけ)の折りは私達女房も御供をして晴やかな場所へ着飾って出られ、楽しい一時を過ごすことができるゆえでございます。そんなお優しいお心遣いは、御身のお立場を越えてお見せくだざいました。 法金剛院は五位山の麓の広大な敷地に御建立。西御堂、南御堂、阿弥陀堂である三昧堂を揃え、それに五重塔、当時の宗派を備えておりました。まるで女院様が浄土をお感じらなられる場所の様でございました。そう申す者がおりました。また、広い池をもち、その周りを馬場にし、船遊びや競べ馬(くらべうま)の出来る仕組みで御座いました。それに、精舎(じいん)は花をつける草木は植えぬものと言われておりますが、四季に花を見せる希有(まれ)な精舎で御座いました。女院様のお心は花を御覧になられ華やかであった白河法皇とお過ごしになられた昔を思い出す事より、お深い道へとお入りになられようと致していたのでございます。女院様のお心のまま女房達が植えたでございます。 西行殿、御仏は人の営みの総てをお許しくださるものでございましょう。それがお慈悲で御座いましょう。四季に咲く花の命に心惑わす、その薫りに心定まらずでは、なんと修行のなさでございましょうか。何事があろうと一心に務めることこそ大事であろうと想われまするが。 西行殿のお歌・・・。 仏には 桜の花をたてまつれ わが後の世を ひととぶらはば そのように歌っておいでですから・・・。 皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月20日
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堀河西山庵草紙 破 11 この庵で、堀河が何をと・・・。嵯峨野の里、小倉山、そしてこの西山・・・。西行殿が歩かれた小径になにぞ落ちてはいまいかと・・・。山里の静けさ、ため息が落ちても鳴り響く鈴のような音、風が枯れ枝を揺らし奏でる啜り泣き、季節の健気(けなげ)にも咲くか弱き草花、雨の軒を叩く慈しみの音色、小鳥の大らかな囀(さえず)りの営み、その一つ一つに両の手を合わせ、森羅万象にまた合わせる。そんな堀河の言葉を三十一文字(みそひともじ)に託しても人の心には通じませぬか。老いすればやがて朽ちる命を今は過去の幻に思いを馳(は)せ語る人とてないこの小屋にて、昔知りおうた人達のご成仏と健やかなる営みをみ仏にお祈りいたしておりますと、穏やかな精神と研ぎ澄まされる神経に快いときを過ごす事が出来るのでございます。かつては、男と睦(むつ)みあう女の幸福を、そして、好いたお人ともに歩み苦労をする、そんな道をと・・・。考えたことがありましたが・・・。これもみな御仏のご慈悲と・・・。 零れるように煌(きら)めく満点の星、まるで手が届くようで幾度手を差し伸べたことか・・・。月に託して恋を語り・・・。 西行殿、この堀河まだまだ歌の心を捨ててはおりませぬ。 和歌は歌う人の御仏、歌詠みが歌を創るということは仏を創ること、その想い、いつか西行殿からお聞き申したゆえ・・・。 この辺りは日暮れがはようございます。名残の陽は洛中を照らしますが・・・。東山がまだあのように赤々と染まり・・・。 まるで、女院様と美福門院得子様の有様のようでございます。 女院様の女房たちはお歳で退いていく方の他は離れることは御座いませんでした。 女院様がご落飾を思い立たれたのは何時のことであられたのか。衰えをお見せにならない優雅ないでたちはお変わりなかったので御座いますが、時折お見せになられるお一人の佇まいには憂(うれ)いが漂っておりましたので御座います。 お部屋で読経、写経の日々をお過ごしになられる女院様をお庭へ散歩にお誘いいたし、また、欄干(らんかん)にしなだれかかる櫻をご覧にとお勧めいたしたものでございます。 水面に枝を差し出すしだれ櫻、薄紅色の花びらが、風の悪戯によって、また、時を終えて散る様を、その姿に涙をお見せになる、そんな女院様を優しく愛しく眺めたことか・・・。 女院様は草木の花は総てお好きであられましたが、特にしだれ櫻を愛でておいででございました。 しだれ櫻に御身をお重ねになられたのでしょうか。皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月19日
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堀河西山庵草紙 破 10 女院様は慎ましやかで温和しい、そして明るい事の好きな御気性のお方でございました。そのようなお方であられたから女院様を取り巻くあの才気煥発な女房達は離れる事無くお仕えしていたのでございます。その生い立ちから男の、女の性を充分にご存じのこと、煩わしい悩みを打ち払うには御仏に御縋りするしか道はなかったのでございます。 白河法皇の護願寺(ごがんじ)としての法金剛院の御建立は、白河法皇の御崩御の一年の後、落慶法要(らっけいほうよう)がつつがなく行なわれたのでございます。 それからの女院様は頻繁(ひんぱん)に神社へ御幸(ぎょうこう)、寺院へ塔のご供養をなさいまして御座います。それほどお悩みになられておいでだったのでございます。熊野への道程(みちのり)を・・・。 西行殿は、十七歳で北面として・・・。同輩に今はときめく平清盛殿・・・。白河法皇が平忠盛殿に御下げ渡した祇園女御様のお子、世間では白河法皇のお子と・・・。その事は神仏のみご存じのことで御座いましょう。 義清殿は鳥羽院にいたく可愛がられ・・・お側には常に・・・。熊野詣での折り、初めて女院様のお姿を・・・。凛凛しき若武者を・・・。お二人がお目にされたのでは御座いますまいか。皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月19日
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堀河西山庵草紙 破 9 女院はお幸せな日々を過ごされておいでで、女房たちは華やかに装い女院様と観櫻の御供として出掛けたり、熊野詣でを致したり、歌合せ(うたあわせ)へと心を落ち着かせ過ごすことが出来ておったので御座います。 女院様の一行は女房達が目を見張るような衣裳(からころも)を身に纏(まと)っておりましたので評判でございました。女院様のお力の賜(たまもの)でございました。 七人目のお子を宿されておられたときに、白河法皇がご崩御(ほうぎょ)をなされました事は、お子に差し障ることを按(あん)じられ女院様へはお伏せになられました。 白河法皇、七十七歳の大往生で御座いました。 ご出産の後、退いていく潮のように、女院様の運気(うんき)と申せばいいのでしょうか、白河法皇という後ろ盾を失い日陰の時へと移り変わっていくのでございました。 女院様は崇徳の帝へご愛情をましてお深めになるのでございます。その事がお力を保つ唯一のものでございましたから。 人の道は良きことは長続きせず、苦しきことのみが・・・。それ故に御仏のご慈悲が・・・。 鳥羽院は周囲の者が目を見張るほどの溺れようと言われます得子様へのご寵愛は日毎につのり、女院様の淋しさは頂点に達しておいででございました。奈落の日々とでも・・・。 それでもなお、母親思いの崇徳の帝がおられますことが何よりの慰めでございました。 鳥羽院の女院様へのご愛情は昇華いたしまして尊してやまず、敬愛へとお変わりを見せたのでございます。まるで母上への愛とでも申せばいいので御座いましょうか・・・。 鳥羽院と女院様の熊野詣でに中宮となられた得子様がご一緒なされまして・・・。女院様のお心は安らかであられたかと・・・。 女院様はご一生で十三回の熊野詣でをなさりました。それもなぜか厳しい季節を選ばれてのお行きでございました。その辺りに女院様のお心の苦衷(くるしみ)が見えるのでございます。 御所での女院様はその頃から写経に読経の日々が訪れるのでございます。また、寺院の御建立へと・・・。 ですが、女院様のお肢体は理性では抑えることが叶わず何人かの男を向かい入れなくては業火(ほてったからだ)を鎮めることが出来ず、女の哀れさを思い知るのでございました。そして、お立場の苦悩を・・・。その手引きをこの堀河が・・・。 自然の営みは変わらず巡り、人の心の有様を知ってか知らずか、繰り返すのでございます。 皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月18日
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堀河西山庵草紙 破 8 白河法皇がお勧めになられて鳥羽の帝は稚い崇徳の帝に譲位(くらいゆずりを)され鳥羽院になられておいででございました。 白河法皇とのご関係は続いておられましたが、鳥羽院との仲も睦ずましくなられ、お二人とのご情交(むつみあい)が続くのでございます。 そんな時、応接に女房達は慌てふためくのでございました。 まるで畜生のそれでは御座いましたが、女院様はお二人を同時に愛される事の出来るお性質であられたのでございましょう。 御身に沁み込まれた蠱惑(こわく)でお二人の心を虜(とりこ)にしたのでございます。 璋子様にはこの頃が一番幸せの絶頂で御座いました。白河法皇とも睦みあいになられ、そして、鳥羽院の寵愛(ちょうあい)を一身にお受けになられ、毎夜のごとくお肌を重ねられ、次から次へと年子(としご)で四人の御出産、一年後にもうお一人と・・・女子といたしまして充実した日々を過ごされておいでで御座いました。 崇徳新院と保元の乱を起こしました後白河の帝は鳥羽院と女院様の皇子で御座います。 西行殿はお二人の中にあってお悩みになられたことでございましょう。女院様の皇子のお二人が権力を・・・。 崇徳院のみまかられての後ゆかりの讃岐は善通寺をお尋ねになられ・・・。世の無常をお感じになられ・・・。その旅もまた歌を深める事に・・・。 皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月17日
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堀河西山庵草紙 破 7 それからは世間を気にすることを忘れられたかのように白河法皇が御所にお出向きになられ、昼夜を問わずお過ごしになられました。そんな時、女房達はお二人の気配を押しやるように習いごとを始めるのが常でございました。 その時、白河法皇は六十七歳を過ごしになられ眼窩(なみだぶくろ)は垂れて喉元に弛(たる)みをたたえ老いの染(し)み皺を表されておられましたが、まだまだお元気で若こう御座いました。それはまるで璋子様の若さを吸い取り若さを保っているようにお見受けいたしましたが・・・。 璋子様は、十七歳の幼さをお感じさせないほどの女の色香(つやっぽさ)を見せておいででございました。それは白河法皇によって堀り起こされ目覚まされ磨かれたものでございました。 濡れたような黒髪、ふくよかな頬、潤んだ瞳、瑞々しく透き通った肌、それは正に落ちる前の果実のようでございました。それを鳥達が啄(つい)ばむ、まさに白河法皇は一羽の鳥・・・。 女院様のお美しさに堀河も身震いがするほどで御座いました。 白河法皇はご信仰の篤(あつ)いお方でございました・・・理の何たるかの造詣(おもい)は深こう御座いました。そんなお方でさえ理性(あたま)で抑(おさ)えられぬものがあったのでございます。 一年の後、皇子を身篭もるので御座います。鳥羽院から伯父子(おじご)と言われた崇徳の帝ごでございます。お二人目の禧子(よしこ)内親王も白河法皇のお子か鳥羽の帝のお子か定かでは御座いませんが・・・。不義と言うより鳥羽の帝が黙認(みてみぬふりを)した仲でのことでございました。 なんとも総てが思いの外、祖父と孫が一人の女を同時に愛するという倫理(ひとのみち)とか常識では図り知れぬ世界であったのございました。 西行殿、このような物語(はなし)は聞きとうない・・・。昔の義清殿ならばそう申して太刀を振り下ろされるやも・・・。 今の西行殿は何事も総てを大きく包み込む・・・御仏の心をお持ちでございましょうから・・・。 風が少し出ましたか、夕暮れが近こうなっておるのでございましょう。暫らく致しますと東山に月が懸かりましょう。皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月16日
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堀河西山庵草紙 破 6 西行殿、今は櫻も蕾をつけ寒さに耐えてはおりますが、やがて綻びてまいりましょう。寒い冷たい季節を耐えたものが初めて花咲かす事を許される、人の世もまた変わりませぬ。苦しみ辛さを耐えた者が許される誉れ・・・乗り越えられ血肉にされてなお励まれる修養。・・・まるで風の様で・・・それを受け流す柳の様で・・・。 西行殿、お見事でございますな。 白河法皇は璋子様の行く末を按じられて幾つかのご婚儀の話を進められましたが、祖父のように可愛がられた白河法皇との交わりを知っていてなんのかんのと逃げて話がまとまりませんで御座いました。処女(おぼこ)でなくてはと言うような風習はありませなんだが、祖父と孫が愛し合うような間柄、そのことには男と女の出入りに寛容な時の世でも神経を逆立てたのでは御座いますまいか。 祇園女御様のように、白河法皇に愛され後に源忠盛殿ヘ下げ渡す、何人もの男を引き込みながらも輿入(こしいれ)する、そんな世間(よのなか)では御座いましたのに・・・。 最後に白河法皇はお孫にあたる鳥羽の帝(みかど)への話を創りまして御座います。 鳥羽の帝は何とも言えずそれをお受けになり、鳥羽の帝十五才、璋子様十七才、入内(じゅたい)が決まったのでございます。 璋子様のお心がどうであられたのか、最初にお肌を会わせたお人、初めて蕾を開き甘い蜜をおすいになられたお人、そのお人が進めるご婚儀に従わなくてはならぬ我が身の運命。その運命を抵抗(あらがう)ことも許されない事にどれほどの哀しみをお味わいになられたか。お話が決まりましての璋子様は終日泣き明かしておいででございました。そこえ白河法皇がお越しになられ白いお肌に馴染まれる、その慰めの行為により喜びと哀しみが交錯致しておいででございました。断ることの出来ない肢体(からだ)との戦い、求めるいじらしい一途さ、お側で見ている私達は切なさに身を捩(よじ)りました。 入内の儀の日はとどこうりなく過ぎましたが、その夜から高熱に身を妬(や)かれまして御座います。夜には庭に出て衣をむしり取り、髪を掻き揚げ狂ったように泣き伏したのでございます。 夜空に上がった蒼い月が池水の上で微かに揺れておりました。がたちまち雲の中へと隠れたのでした。水鳥が一斉に飛び立ち暗い夜の空へと消えて行きましてございます。 その日はお疲れのご様子と鳥羽の帝に申し上げておりましたので、お立ち寄りもなく事は済みましたが、これからのことを考えますとどのようにと女房たちは茫然と致しました。 鳥羽の帝とご婚儀がなされてもご一緒に過ごされることはなく、ご病気を口実に御所に篭もられる日々で御座いました。 数日が過ぎまして璋子様は御所をお出になられ白河法皇のもとへ・・・。 中宮璋子様のお便りを運んだのはこの堀河で御座いました。色々と言い訳を設けての逢瀬、女房達ははらはらと気を揉みました。 鳥羽の帝に入内なされ中宮(ちゅうぐう)となられましても白河法皇との中は続くので御座います。璋子様を一度はお離しになられた白河法皇は異常とも言える愛欲をみせられ以前にもましてお肌を欲しがられたのでございます。 それは、匂いを放ち蜜を滴らせて待つ花びらに吸い寄せられる蝶の様を見るようでございました。皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月15日
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堀河西山庵草紙 破 5 白河法皇に一身の寵愛(ちょうあい)をうけておられた祇園女御(ぎおんにょうご)様のもとへ御養女としてお入りなられ、そこで法皇に孫のように可愛がられた藤原璋子様・・・。そこから運命の糸は複雑に縺(もつ)れあい絡(から)み合いを見せるのでございますが・・・。 西行殿、あの頃の堀河の女と致しましての感情の起伏(たかまり)より、今はあの頃のことを静かに眺め、振り返ることが出来るのでございます。 知っておりながら言葉にならなかった事が今、言葉として語ることが出来るので御座います。 総てを捨てこの西山に庵を構えなにの柵(しがらみ)もなく過ごし御仏の使いとして、経を読み、書き写す心静な日々、今まで見えませなんだ物が見え、物事の理(ことわり)が分かるにつれて・・・。振り顧(かえり)みますと、私の人生は女院様の生き方の中にありまして、私を語るときには女院様の総てを語らなくてはなりませぬゆえ。 それゆえに・・・。 女院様との関わりのあります西行殿にお会いしてみとうなりましたのです。 源顕仲の娘として生まれ、父の影響(いきかた)から歌を学び、堀河として中古六歌仙の中の一人、また「千載(せんざい)和歌集」にも取り上げられ歌詠みと認められるようになるその道程(みちのり)で、令子(よしこ)内親王の女房、六条の局としましてお仕え致し、それから堀河としまして藤原璋子様に・・・。 祇園女御様を源忠盛殿へ下げ渡したその夜、お二人はなにの差し障りもなく結ばれました。璋子様は幼き頃より白河法皇にまるで成熟した女のよう甘えになられ、胸に抱かれておいででございました。 それは艶っぽく、男の心を蕩(とろか)すいたずらの瞳とあどけない仕草を持っておいででございました。それにもましてお声は皆の心を擽(くすぐ)り魅了する響きを持っておいででございました。お生まれついてた御気性だったので御座います。 それから・・・毎夜のようにお二人の痴戯は続きました。 お二人のことをなぜか不潔に感じなかったのはどうしてか、むしろ清々しく思えたのはなぜだったのか、不思議でございました。まるで母か姉の心で眺めていたのでございましょうか。 女子の私は振り返ってみますれば羨ましゅうさえ思えるのでございます。あれほど愛される女子の幸せを知らぬゆえなのでしょうか。 月の物を知ったすぐ後、男を向かい入れる、歳の端(は)のいかぬ少女の痛々しい性。女として生きる意味を知らされるということ、夜毎の営みがより深い悦びに誘うということ。そのお相手がまして、この國一番の権力者に愛されていることになればこれ以上の女の冥利(みょうり)で御座いませんでしょう。女子は強い男の愛を欲しがるものでございます。 常に雌は強い雄を欲するもの、それはあらゆる動物(いきもの)の世界の成り立ちでございましょう。森羅万象悉(いきとしいけるものことごと)くその営みが・・・。人の世も変わりませなんだ。 あれほど睦みあいを重ねられてもご懐妊(おめでた)がなかったのは幸せであったのか・・・そのことを考えますと・・・璋子様の行く道が変わっていたであろうことを考えたりいたしました。 堅い蕾が男の愛撫で柔らかく揉みしだかれ白く粉を吹いた透き通った柔肌に変わり、ふっくらと丸みをおび括れた曲線をたたえたお肢体(からだ)にお変わりになる、森羅万象自然の理とはいえ、見事な女の脱皮(せいちょう)を見たようでございました。 若い男を引き入れ情交するということもみな白河法皇の愛を確かめるためでございました。それは白河法皇がお許しになる事を承知の上でのこと、わざと男を欲しがったのでございます。幼いいたずらでございました。皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月14日
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堀河西山庵草紙 4 それでも、待賢門院様の御所は才長けた美しい女子の園で、賑やかに笑いがたえませなんだ。が、だんだんと女院様の一喜一憂に心を砕くという日々を過ごすようになるのでございました。 お淋しい事のお嫌いな女院様は白河法皇の護願寺と致しまして法金剛院を御建立に心血をそぞいでお気を紛らわせておられました。女の喜びを知った熱いお体を鎮めるために何人の男を引き込みになられたか、その時女の哀しみと強かさを感じ取ったのでございます。女の性、それはどのような罪をも恐れぬものでございました。 男を手引き致したのはこの堀河で御座いました。 男の性とは異なりますゆえお分り頂くことは叶いますまいが・・・。 女院様と西行殿がお会いなされたのは・・・。女院様こと璋子様は藤原氏北家の流れの徳大寺家の御出身、義清殿もその流れ、義清殿が稚き頃より徳大寺家へ出入りをされて、璋子様にお会いになられておられるのでしょうか・・・。私の知るかぎりでは、鳥羽院と女御様が熊野詣でのおり・・・お初めてと・・・。 鳥羽院は女院様の仲を男と女のご関係を超越(通り超し)され、ご敬愛(うやまいあいす)というお間柄で接しおられました。鳥羽院は女院様をお誘いになられ熊野詣でを好んでなさいました。 女院様をお慰めするという意味がございました。つまり、ご機嫌をおとりになるという・・・。 崇徳新院と後白河帝との確執、保元の内乱・・・。崇徳新院が敗れ讃岐は直島へ配流(はいる)・・・。女院様が御存命なら嘆きはいかばかりであったことか・・・。お二人のお子が争う事に身も細る思いで、ただ御仏に縋るそんな日々であられたことで御座いましょう。 西行殿は崇徳新院と後白川帝の仲を取り持つためにいかほどの努力をなさいましたことか・・・。お心を痛められたことか・・・。 その事でまた大きくなられ・・・。 藤原璋子様、中宮璋子様、それから待賢門院様へ、女子と致しましてどうであられたのかと・・・堀河はこの歳になって初めて羨ましく想うのでございます。 西行殿、女とは此の様な者・・・愚(おろ)かで・・・いいえ、強かで・・・。お分り頂けますまいが・・・。皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月13日
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堀河西山庵草紙 3 あれは・・・。 西行殿が父源顕仲(みなもとあきなか)の所へ歌を持って通ってこられておられましたのは・・・。 私が父の病気見舞いで里帰りをいたしておりました折り、まだ十代の西行殿、いいえ佐藤義清殿に初めて御目かかりました。その頃、待賢門院様に姉の大夫典侍(だいぐてんじ)、妹の兵衛(ひょうえ)、それに私、姉妹三人がお側でお仕えいたしていたのでございま す。 そのことはご存じで・・・。遠い日その事はお話を・・・。 蹴鞠(けまり)の上手な若者、まだまだ歌は未熟では御座いましたが、父顕仲が申しますには直接訴えてくる不思議な歌じゃと、綺麗に歌うのではのうて森羅万象の心を歌っておると申し、将来が楽しみじゃと・・・。父の目は曇ってはおりませなんだな。 年上の女でも、義清殿を遠くから眺め弾んだ気持ちがおこりましたぞ。この私は艶やかに着飾り装い、顔に化粧(けわい)を施(ほどこ)し・・・。それ程見 事な美丈夫なお人で御座いましたゆえ、都の女子を如何程(いかほど)やきもきさせた事でしょうかな・・・。この歳になっては恥ずかしさも慎みも捨てて何事も言葉として口の端に乗せることが出来まする。今にして思うにあの時から、想い人として密かに心に・・・。その事が、のちに義清殿の行為をお助けし叶えるという事へと繋(つな)がっていたのでしょうか。 義清殿には萩の前様とご一緒になられ・・・。 それから、鳥羽院の北面の武士として御所詰所での警護、御幸の御供と。 義清殿は鳥羽院のご寵愛はめでたく、将来を嘱望されておいでで、紀伊の國は田仲の庄のご安堵は約束され、同輩から羨望の的として見詰められておいででしたょ。義清殿は、蹴鞠に乗馬、そして弓と励んでおられましたな。特に歌の習いごとは御気性の通り熱く懸命に・・・のめり込まれて・・・。上達も早うございましたな。 その頃、女院様には欲しいものは総てが叶う、そのお力は比べるべき女人はおらず、の生活は暗喩(くらい)の日々が・・・。 女院様の幸せは時の流れとでも申すのでございましょうか、白河法皇が御崩御なさいました後、様変わりを見せたのでございます。 女院様は七人のお子に恵まれましたが、鳥羽院のお足がだんだんと遠退きお淋しい季節を過ごされるようになるので御座います。鳥羽院には十七才の得子(なりこ)様をお側から離す事無く過ごされておいでで御座いましたから、夜枯れが続いておられ、あの権勢並ぶべき者がないと言われておいでだった女院様の時代が終わろうとしておったのでございます。 幸福(しあわせ)など川を流れる泡のようなもの、永遠(とこしえ)などこの世にあろう筈は御座いませなんだ。 そうでございましょう、西行殿・・・。皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月12日
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堀河西山庵草紙 2 兵衛(ひょうえ)に西行殿におうたら一度尋ねてほしいとの言伝(ことずて)、届きましたのか。待賢門院様の皇女上西門院統子(じょうさいもんいんむねこ)様の女房をいたしております妹の兵衛とは仲ようしており、西行殿が良く菩提院(ぼだいいん)へ足を向けられお会いすることがあると聞き及んで一度こちらへお尋ね頂ければと頼んでおきましたのですけれど・・・。 上西門院統子様にはすっかり女院様の面影を備えておられますと か・・・。 女院様のご落飾(らくしょく)のおり私と中納言の局が御供を致し出家をいたしました。兵衛も御供をすると言い張りましたが、未だ若かったので思い留まらせ内親王統子様へ・・・。女院様亡き後、私は仁和寺(にわじ)に入り、中納言の尼は高野山西麓の天野へ・・・。そしてこの堀河は西山へ・・・中納言の尼はその後、小倉山に庵を結んでおります事は・・・。この西山も小倉山も西行殿には縁(えにし)の深い地で御座いましょう・・・。まだ奥嵯峨に庵をお持ちとか・・・。 それにいたしましてもうれしゅう御座いまする。願いが叶ったので御座いますもの。今日はなんという良い日でございましょうか。朝起きたときなにかいい事がと・・・何度も庵への坂を上がり降りをいたした甲斐があったというものでございます。 朝夕の御仏へのお願いが届いたのでございましょうか・・・。 御仏のご慈悲か、お悪戯(いたずら)か、さてどちらでございましょう。 底冷えのする都の地にも、山の木立は芽を吹き始め、またこの庭の山櫻はあのようにして漸(ようやく)く蕾をつけましたょ。西行殿と都と櫻・・・。 それよりも何よりも西行殿がご立派にお過ごしのこと、昔を知る者にはほんに胸を撫で下ろし、近しく昵懇(じっこん)にしていただいた者には誇りにすら思えまする。 鳥羽院の北面(ほくめん)の武士佐藤義清(さとおのりきよ)殿が、今、歌人(うたびと)西行と、御仏の使いの円位上人(えんいしょうにん)、その名声は都はおろか国の隅々まで届いておりましょうほどに。 おしゃべりが過ぎますか・・・。 にこにこ笑ってないでなにか申されませ。女子に喋らせて・・・歌詠みは喋らぬもの、語ると歌の魂が消えてゆくとでも言いたいので御座いまするか。ほんにお手のかかるお人じゃな。全くあの頃と変わっておりませんな。 佐藤義清どの、西行法師殿・・・ 終日一人庵に篭もり考えることは、華やかであった頃の待賢門院璋子様のこと、そして、西行殿のこと・・・。 はたして、この堀河がいたしたことは良かったのかと・・・。そのことは私を思い煩わせ・・・。この数年心の澱(おり)となり何やら重い石を胸に抱いているように晴れやかな日がありませなんだ。御仏に心を託しても、しかし、今日、西行殿にお会いして、お顔を拝見いたしまして少しは心やすうなりましたが・・・。 ああ、こんな筈では御座いませなんだ。 懐かしき想い人を前にして、まるで恨みつらみの言葉を投げ付けているようで・・・。 歳を取りますると何もかも吐き出してしまわないとと焦りまするが・・・。何事にも顔を赤らめておりました私がこのようにお喋りになって・・・。一人で居りますと胸に言葉がつかえまして、西行殿にお会いして一気に口元がゆるみ零(こぼ)れまする。 このような私をお許しくださいませ。 ただただ嬉しいゆえなのでございますから。 さあさ、むさくるしいたたずまいでは御座いますが、お上がりくださいませ。 さあさ、脚絆(きゃはん)に草鞋(わらじ)をお取りになられて・・・さあ・・・。 このような、着るものは墨衣(すみごろも)、住まいは何もなくさんじらかし・・・。欲も得もなく生きておりますと、遠い昔のことが泡沫(うたかた)の夢のように感じられることも御座いますが・・・。皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月11日
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堀河西山庵草紙 序 1 そこを行(ゆ)かれるお坊さま・・・誰ぞお尋ねでございましょううかな。この京は西山辺りには人は誰も住んではおられませんゆえ・・・道でも間違われたのでしょかな。・・・。 なにぞこの尼の顔についておりましょうかな。歳を取り醜(みにく)い尼が荒れ放題の庵・・・珍しゅう御座いますかな。 ・・・もしや、あなた様は・・・西行どの、西行法師殿・・・。左様でござりましょう。いいえ違いませぬ・・・お顔は・・・お変わりになられておられますが・・・あの頃の面影が・・・。 笠をお取りになってように見せてくだされませい・・・。 この堀河は歳を取るというまだ歩んだことのない道を彷徨(さまよ)い、西行殿に一目ではお分り頂く事も叶(かな)わぬ程の変わりよう・・・。 笠をお取りになられたそのお顔、まさしく・・・。 それにしましてもなんというお変わりようで御座いましょうか。歳月を無駄になさらず、ご立派に・・・男を、いいえ・・・。人を研かれたのですね。 女院様がみまかられてその後消えるように京をお離れになられ、能因法師(のういんほうし)様が歩まれた道程(みちのり)を訪ねられ陸奥(みちのく)は平泉(ひらいずみ)へ、その道すがらお目にしたことの様々をお心に貯えられ、流れに宿命(いのち)を託す生き方をものにされ、また、お帰りの後は高野山にお入りになられ数多(あまた)の経を読み砕き無言の行に励まれたことは・・・。大峰山の頂へ登られるという荒行・・・。そして、高野、吉野、伊勢の二見、奥嵯峨、小倉山、西山と庵をお結びになられ、仏の道を極めるご修行を、歌の言葉の習得をと・・・。 崇徳院とのご親交によってさらにさらに森羅万象(いきとしいけもの)を包み込まれて、御仏の意を、お歌を深められ・・・。和歌(うた)で人の心も現実(うつせも)も変えようと精進なさいまして・・・。 風の便りで・・・そのことは・・・。 人は為す思いがあれば如何様(いかよう)にも変われるのものなのですね。お出立ちも御風貌も・・・。錫杖(しゃくじょう)をつかれたお姿が、墨ごろもがよう馴染んでおられますな。 今の、堀河の前にお立ちになる西行殿には・・・。 正に・・・この堀河が近寄れぬなにか空気の壁があるような、また、引き込まれそうな力を感じまするが・・・。澄んだ眸のなかに宿る厳しさと、深い慈悲の光・・・。削り落としたような頬には理知と耐えぬかれた修行の後を刻まれ・・・。 それではわざわざこの堀河を尋ねてくださりましたのか。そうで御座いますか、よくぞ尋ねてくださいましたな。 この雨や風に晒(さら)され傷んだ庵では御座いますが、濡れ縁に座って都を眺め東山を望み、昔の懐かしい事どもを思い起すには・・・。今の我が身を静にここに置き、待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)様こと女院様をご供養いたし偲ぶには最も確かの所で御座いまする。女院様の陵(みささぎ)もここから近こう御座いますゆえ、今の私には相応の場所でございます。 汚れた池になお見せる蓮の花・・・。枯れてもなお季節(とき)を感じ咲く野辺の花・・・。その花の命をいとおしく眺めることも出来ます。また、雨の風の景色を彩るさまざまな営みにも・・・。 御仏に縋(すが)り、森羅万象(いきとしいけるもの)に心を託し、手を合わせる日々・・・。皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月11日
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「小町六歌仙」を書きながら綴った小町への思いをここに・・・。 7 小町さん雨に日は何をしていたのでしょうか・・・。 風の日は何を・・・。 風邪などひきませんでしたか・・・。 おなかいっぱいにしょくしておられましたか・・・。 人の噂をしておられましたか・・・。 人としてなにを語らんこの夕べ 頬赤らめて風に当たるか今日も小町の姿にお目にかかれなかった。 月が隠したのでしょうか・・・。 小町は琵琶湖の畔の館の庭からこの満月を眺めたのでしょうか・・・。 月は湖畔の水面に映っていたのでしょうか・・・。 月見の宴が開かれ煌びやかに着飾った公卿たちが集まりお神酒に酔いしれて歌い踊っていたのでしょうか・・・。 そのとき小町はどこにいたのでしょうか・・・。 すすきに団子を備えて月見の宴を・・・。 小町さん和歌を歌いましたか・・・。 どのような和歌でしょうか・・・。 そのとき、どのような筋模様の十二単を着ていたのでしょうか・・・。 年月にどれほどの宴があったのですか・・・。 月観れば思い出しますあの頃を 水面にあった琵琶湖の月を 秋の月はしみじみ過ごすひと時を・・・。 小町は今日も振り向いてくれない。 呪いをかけたとして殺されたのですか・・・。 三島の「卒塔婆小町」になったのですか・・・。 出羽で生まれどこでなくなったのですか・・・。 乳は良く出たのでしょうね、乳母であったのです・・・。 たらちねの思い深めて思う人 あの懐かしき小野小町を 秋の櫻がもう野原いっぱいに開き誇っています・・・ 小町は時の天皇に呪いをかけたのでしょうか・・・。 正義を貫こうとしての行動であったのでしょうか・・・。 「源氏物語」のモデルとなった在原の業平と小町はどのように接していたのでしょうか・・・。 本当は吉子さんなのですか・・・。 それとも吉子さんは小町の姉なのですか・・・。 仁明天皇の更衣であったのでしょうか・・・。 どんな女性であったのですか・・・。 私が想像していることは間違っていますか・・・。 どのように書けば貴方は嬉しいのでしょうか・・・。 出羽に帰られたのですか・・・。生まれ在所へ・・・。 通い婚の男はなんと言う人なのですか・・・。 愛されていましたか・・・。愛していましたか・・・。 どのような出会いがあったのですか・・・。 あの夜の出会いの末に招きいれ 月が隠れて朝焼けを見る 秋の風は本当に怖いもの、月を隠して風強・・・。 そんな中、小町を訪ねて彷徨っています。 私が小町を明らかにすることが許されるだろうか・・・。 あまりにも大きな人のように思われるのです。 世界三大美人、百夜通い、深草の少将、在原の業平、仁明天皇、惟喬親王 紀貫之、沢山の人が出てくるのです。平安の初期の、「源氏物語」より以前の人の世のことなのです。100年前のことなのです。紫式部は小町を書いていないのです。 紀貫之がどうして小町を歌聖として六歌仙に推奨したのか・・・。 そこに謎があるのですか・・・。 たとえば祟りを恐れたと言うような・・・。 中流の公卿の娘が更衣として天皇のおそばへ・・・。 それほど美しかったのですか・・・。 どのように・・・。 たとえば・・・。 夢で耳元に囁いてください・・・。 夢を見て貴方のことを思うけど 月が昇れば泡沫の夢皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月10日
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「小町六歌仙」を書きながら綴った小町への思いをここに・・・。6小町さん、そんな人がいましたか・・・。平安の世は過ごしやすかったですか・・・。皆優しくしてくださいましたか・・・。仲良く話が出来ましたか・・・。食事をしながら男の話に時間を忘れましたか・・・。世の中を憂いましたか・・・。 過ぎ去りし思いを浮かべ懐かしみ 明日の生き方月に問いつつ 何もしなく生きているけれど、ボーとして生きているけれど、頭は小町の書き方を常に頭に置き働いている。 そんな日々が何日も続いているのです。心の中で小町が醗酵するのを待っているのです。辛い日々ですが、早く書いて失敗をしたくないのです。 この作品は流れで仕上げるものではないのです。じっくりとこの作品に賭けています。 小町を裸にするまでは・・・。 小町殿あなたは今日はどこですか 私の心空においても小町さんも何を食べても美味しかったですか・・・。 季節はどうだったのですか・・・。 春が、夏が、秋が、冬が、そのそれぞれのときに何をして生きていたのでしょうか・・・。 何かいいことがありましたか・・・ 煩わしい事がありましたか・・・。 人を愛したことがおありでしょうか・・・。 愛されたことがおありでしょうか・・・。 身を焦がしたことは・・・。 思いに夜も眠れなかったことは・・・。 人知れず泣いたことは・・・。 人とはなんと悲しいのでしょう・・・。そう思われましたか・・・。 人とはなんと素晴らしいと・・・。 小町ゆえ心を告げることさえも 月に花にとこぼすなみだは小町さん、琵琶湖の夕焼けは綺麗だったでしょうね。どんな心で見つめられたのでしょうか・・・。 もうそろそろ書き上げなくてはなりませんね。 待たしているのですものね。 頭の中には出来上がっているのです。 後は書くだけてすから・・・。 書きかけの小町の姿艶やかで 目をも張っては心熱くし 小町は何を食べていたのでしょうか・・・。どんな花が好きであったのでしょうか・・・。どんな夢を見たのでしょうか・・・。定めに従ったのでしょうか・・・。あがなったのでしょうか・・・。いい人生であったのでしょうか・・・。 あなたの姿が見えません。 振り向かぬ君の微笑み欲しくても 時来るまでは月待つことも小町さん、お元気ですか・・・。風邪など惹かれてはいませんか・・・。 萩の花は綺麗ですか・・・。琵琶湖畔に何が咲き乱れていますか・・・。 風が立って波が寄せていますか・・・。夕日の色は何色ですか・・・。 やわらかい月の明かりの下を帆を立て琵琶湖を渡る小船が見えますか・・・。 遠くにかすかに煙が立ち昇りささやかな幸せの夕餉の有様が伺えますか・・・。 紅く染まった夕日の中を家路へ急ぐ雁たちの渡る姿が見えますか・・・。 時には出羽の真っ白な大地をしのび心躍らせますか・・・。 都大路の人ごみの中を歩いたことがありますか・・。 残り香に心振るわせ立ち尽くす 風立つ庭に月は遠のく皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月09日
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「小町六歌仙」を書きながら綴った小町への思いをここに・・・。5小町は今日も振り返らず。進展はないのです。 もっともっと惚れなくては・・・。愛さなくては・・・。 きっかけが欲しいのです。 たとえば、小町は蜂蜜を飼っていたというような思い付きが欲しいのです。何か人と違ったことが嘘でもいい頭に浮かんでくればこっちのものなのです。欲しいねそんな思いが・・・。 人の世の限りの後に何がある 愛したことの足跡一つ小町が何か言ってくれると思い待っています。 平安の初期はこうなのよとか、人の心はこうなのよとか、天災が、人災が、暑いのの寒いの、長い髪はこのように手入れをするのよ、風呂はどのようにしていたとか、トイレはどうだったとか、食事は何を食べていたとか、季節は冬が好きだったとか、十二単は重かったとか、何を足に履いていたとか、色は何が好きだったとか、館はどうだったとか、・・・・。 何も知らないのです。 振り向いて教えてください。囁いてください、私の耳に・・・。 振り返り口を開いて語ってよ あれこれ何を心のすべて小町も早かったのでしょうか・・・。いろいろとあなたの付いては考えています。あなたへの思いは静まりだんだんと醗酵してきています。夏が過ぎ、秋が来て、そろそろとあなたのすべてを明らかにしなくてはいけない時期が来ているようです。 愛するという心を貴方に知っていただくために・・・。 もうすぐ、書き上げますからね。それで同等ということなのですね。 夏が過ぎ秋が通り過ぎ冬が来る そこに広がるおなたの真実皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月08日
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「小町六歌仙」を書きながら綴った小町への思いをここに・・・。4 小町さん、あなたは本当に美しかったのですか・・・。美しさにも色々とありますが・・・。 私はあなたを少し浅黒い肌の持ち主で、髪はカラスの濡れ羽色ではなく少し栗色の長い髪だったと思っています。健康な女だったとおもっています。 色の白い女の中で色黒だけれど健康的な美を持っていた。髪は栗色、皆から色々と噂をされたことでしょうね。そんな人であって欲しいと思っています。歌はあまり上手ではありませんが、素直に心を語っておられますね。 素直な人であったのですね。 振り向いてください。せめて少しのときでいいのです。それで心が晴れるのですから。 小町をば心において見渡せば いずこの人も色褪せて見え小町のことを考えました。 美しいと言われたのは皆とどこか違っていたのではないだろうか・・・。 人格的にでなく外見的に・・・。 それと不幸に死が紀貫之に何かを感じ取らせたのではないか・・・。 今はなき小町を訪ねはるばると 時をまたいで遠いたてる小町の後ろ影は創作意欲をそそります。何を見ているのでしょうか。何をしょうとしているのでしょうか。 声をかけてもいいですか・・・。なんと言えばいいでしょう・・・。 お名前は・・・。 あなたの名前はどこを探しても見当たりません。お姉さまの名前は吉子さんということはわかりましたが、あなたの名前は皆目分かりません。 人はあなたをなんと呼び、どのように接していたのでしょうか。 どなたと一緒になられ子をなしたのでしょうか・・・。分かりません。 そして、乳母となって誰に惟喬親王へ乳を授けられたのでしょうか・・・。 女とは愛する人に思われて子をなし育て明日をながむる 皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月07日
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「小町六歌仙」を書きながら綴った小町への思いをここに・・・。3小町ちの一つ一つの風景は動作は明確になりつつあるのです。 琵琶湖の畔の風景の中の小町、御所の更衣としての立ち振る舞い、ささやかではあるが幸せな日々、乳母としての小町の姿、京の町を後ろに立ち去っていく後姿、それらがすべて重なって頭の中に広がっていくのです。 あの時代美しいとは何を定義にしていったのか・・・。 髪か、顔か、または心か、歌が上手であったことか・・・。 東山を眺めて何を思ったのだろうか、西に沈む夕日に何を感じたのか、心に何を抱えていたのか、女として幸せであったのか、また人間としての観念は、季節への思いは・・・。小町は今日も私の前に現れなかった。 書くことを忘れているのではありません。諦めているのでもありません。 ただ小町が書いて欲しいと訴えて来ないのです。 頭の中に小町が現れ書くことを強要してくればいいのですが。小町が喉まで上がってこないのです。 浮かんでと願いを掛けて思うけど 小町の姿心の中に小町への恋の病なのでしょうか・・・。小町の呪いなのでしょうか・・・。決して小町を悪く書こうとか辱めようとか、そんな気持ちはありませんのに・・・。静かに眠っているのに起こすなというのでしょうか・・・。世間に晒さないでというのでしょうか・・・。 なんだか分かるような気がしますが、美しい人はとかくなんやかやといわれるものなのです。皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月06日
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「小町六歌仙」を書きながら綴った小町への思いをここに・・・。2小町はだんだんと振り返ってくれていますが、あと少しはっきりと振り返って笑って欲しいですね。 小町は百夜通いが必要なのでしょうか。焦がれる思いを文に認め月の満ち引きを三度繰り返しようやく振り返ってくれるのでしょうか。俗説には毒されません、あなたの心を知っていますので。 あなたは更衣だったのですか・・・。めのとだったのですか・・・。子をなしておられるのでおぼこではなかった筈ですね。 正義を愛し一途にに生きたそんな人だったのですね。 またお目にかかります。その時は・・・。 振り返り笑って欲しい君の顔 何時来る日かな後幾日か小町と今日も会えませんでした。 ぞうしめに文をことづけたのですが返事がありません。後姿が似合う小町ですが時には顔を見せてくださいませんか。 何とか二三日で書き上げたいと思っています。それまでにどうか振り向いてください。 琵琶湖の風に当たりながら机上の紙に歌を認めるそんな姿を想像しては心ときめかしています。十二単の前を持ち上げて楚楚と歩む姿はなんと言う美しい出で立ちでしょうか・・・。あこがれます。 ところで小町はお子さんがおられましたね。ご結婚をされていたのでしょうか。それともててなし子であったのでしょうか。こんなことをきくと気を悪くされますか。 仁明帝の更衣であったというのは本当ですか。惟喬親王の乳母であったというのは事実ですか。 そして惟仁皇太子との抗争に巻き込まれたのでしょうか。 六歌仙とは紀貫之が小町を嘆き神に祭ったのでしょうか。そのほかの六歌仙もそうであったのでしょうか。 抗争で身を引かれてどこでお暮らしになられていたのでしょうか。小野の庄へ帰ると一族に刃がかかる、出羽にお暮らしであったのですか。それとも誰かに殺められたのですか。皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月05日
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「小町六歌仙」を書きながら綴った小町への思いをここに・・・。1小町がだんだん形になっていく。小町の姿が見えてきた。顔かたち、瞳の大きさ、鼻の高さ、朱唇、腰に垂れる豊穣な黒髪などがだんだん見えてきた。こうなればこっちのもの90パーセントが出来たようなものです。 才色兼備の美人であった。が謎が多しぎる。文徳天皇の皇太子惟仁と惟喬太子との確執に、藤原家と紀家の争いに・・・詰まり政変に巻き込まれた形跡が見てきた。 小野家と文徳帝の中宮紀静子の第一太子惟喬との関係、文徳帝と藤原明子の子惟仁皇太子後の清和天皇、この図形になにやら謎が隠されていそである。 小野滝雄には二人の女の子があった。姉は仁明天皇の更衣であった。が、妹は姉を大町というので妹を小町とあだ名したとしたら・・・。そして、なぜに六歌仙となったか・・・。政変に巻き込まれ不遇の死・・・。そして歌の神へと立てまつわれたのか・・・。小町はどうしたら私に靡いてくれるでしょうか。後姿を私に向けてたたずみ知らぬ顔なのです。栗色の畳まで垂れる髪が十二単のあでやかな絵柄の模様に幾つもの筋を作りより鮮明に上着を引き立たせています。襟足の少し日に焼けたような肌は欲情をそそります。 小町、私の考えている小町は間違っているのでしょうか。それで怒っているのでしょうか。振り返らない小町はまたいとおしくもあります。 明日また逢いに来ます、どうかそのときは笑顔逢ってくださいね。 会いたくて後姿の小町をば こえかけみればこだま返らず皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月04日
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倉子城物語中橋 2月明かりが備中の静寂を照らしていた。「もう慣れたか?]「ええ、何だか変なの、月のものがないの」とおなかは言った。「ややが・・・」源太は張ってきているおなかの膨らみを触りながら叫んだ。 そう言えば、おなかの身体が最近富みに女らしくなったと思った。「ややが・・・」おなかは心配そうに言った。「どうにかなるよ。二人して頑張れば」「うん、産んでもいいのね」 源太とおなかはそんな生活の中でも幸せだった。伯翁の土地の厳しさに比べれば、温暖で食物が美味しかった。それだけでも今まで感じた事のない至福の時を過ごしたと言うことなる。 源太が倉子城を揺るがす大きな事件に遭遇することになるのだが・・・ 源太はお世話になっている自作農の使いで荷駄に綿を積み買い手の下津井屋へ向かった。下津井屋は汐入り川に架かる前神橋の西袂にあった。大店ではあったが庄屋ではなく、村役もしてなかった。 その頃、飢饉が続き、幕府は港からの荷の出入を禁ずる津留め令を出して、買い占め売惜しみをなくそうとした政策である。その政策は飢饉の時に幕府が良く使った令であった。が、津留め破りは商人にとって儲け時でもあった。倉子城村からもそれを破り京、大坂、兵庫へ荷を出して儲けていた。その為には村人の噂を聞き流す代官がいつた。時の代官は大竹佐馬太郎であった。村人の直訴に知らん顔を決め込んでいた時代である。 源太が下津井屋に着いたのは夕暮時であった。荷車から綿を下ろして三階蔵に積み替えているとすっかり陽が落ちてしまった。「ご苦労だね、夕食の支度をしたから食べて帰ったらどうかな。温かいものを用意したから」と下津井屋吉兵衛は儲けを計算してか愛想を崩して言った。「もう遅う御座いますから・・・」源太は断った。「師走の忙しさ、今日くらいはのんびりとしては・・・」吉兵衛は何時もの居丈高をひそめて言った。 源太は馳走になり、酒も振る舞われて強か酔った。「今からでは、夜道が・・・少し休んで、明け方に帰れば良い・・・」 源太が帰りの挨拶をすると吉兵衛が言った。 源太は下津井屋の好意に甘えることにした。 どのくらい玄関脇の小部屋で眠っただろうか、人の気配を感じて目が覚めた。 黒衣裳の二人の男が刀を源太に突き付けていた。「正義の為やむなしで、天誅を下す」と五尺程のやや太り気味の男が言った。「逃げてろ、お前はここの者ではあるまい」と浪人風の男が言った。 そう言って二人は奥へ消えた。 源太は腰が抜けて動けなかった。 奥で騒ぎが起こり、手代が玄関に転がり出て来たが浪人風の男が後を追って来て太刀を振るった。手代は小さく呻いて土間に倒れた。 奥で火の爆ぜる音がしだした。 源太はどうなったか・・・ 倉子城の朝焼けを焦がすように下津井屋の炎は大きかった。その火は三日三晩燃えた。 その火を中橋の上で見つめるおなかの姿があった。 焼け跡から丸焦げの源太の亡骸が掘り起こされる前、中橋の袂でおなかは冷たくなっていた。 源太とおなかは鶴形の墓地に静かに眠っている。 今でも中橋の袂に小さな石塔があるが立ち止まり目を向ける人はいない。 皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月03日
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倉子城物語 中橋 1 汐入り川は倉敷村をふたつに分けように流れているが、西からの下りが代官所の西門辺りにぶつかり南へと変わり粒江、藤戸へ下り児島湾へとつながれる。石の太鼓橋は何箇所か架かっているが、蛇行する処の中橋には一つの逸話があった。 床屋の嘉平の話によると・・・。 慶応、元治の前、文久年間は全国的に大飢饉が続いた。伯翁辺りから若い夫婦が田地を捨てて倉子城へ逃れて来た。栄えた所に来ればなんとか日々の口糊を凌げると考えたのだろう。転がり込んだ農家の納屋で寝起きをしながら、綿摘みの仕事を二人で朝が空ける前から陽が沈み手元が暗くなるまで働いた。男を源太、女をおなかと言った。 倉子城は松山川が造った干潟に綿を植え、自作農家は資産を貯えていた。土地持ちの商家はより栄え羽振りが良かった。自作農に金を貸し払えなかったら土地を取り上げ小作として抱えた。商家は商いと綿の収入で財をなし大商人へと成長して行った。「きついが、今が一番幸せじゃのう」と前の小さな流れで身体を拭いた源太が言った。「お前も汗を流してくればええ」そして、汗の為に髪が額にこびりついているおなかを見て言葉を繋いだ。「はい。あんたと二人で何もかも捨てて・・・」おなかは俯いて小さく言った。「後悔をしておるのか・・・」「後に残したおとっちゃん、おかっちゃんの事が・・・」「みんなが捕まって・・・蒜山へ逃げたが捕まって津山へ連れていかれ首落とされて・・・山中一揆・・・」「捕まらんじゃろうか?」「ここまで来れば、幕府直轄備中倉子城・・・主人の後には下津井屋、児島屋がいるし、大竹左馬太郎代官もおられる。心配はいらん・・・はよう汗を流して此所にこい」 源太はやさしく言って促した。 おかなは十四、身体の線は膨らみが取れ流れる艶線を見せ始めていた。肌も桃が白く粉を吹くように瑞々しいものに変わっていた。 源太はそんなおなかを見ると堪らなく愛惜しく、綿畑の中でも抱き締めたい衝動に駆られるが辛うじて押さえていた。「ええ」と首肯いて、おなかは川の方へ歩き、着物を腹の辺りにたくし上げ流れの中に屈み込んだ。少しして、上半身を露にして顔から胸を手ぬぐいで拭いた。濡れた手拭いで髪を拭きながら帰ってきた。皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月02日
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倉子城物語 群雀’(むらすずめ) 天誅組は天に変わって罰すると言う集団であった。 最初は主義があったが、終わりのころになると誰れでも良かった。 豪商や大地主の家に押し込み「天誅」と叫んで殺し金品を強奪した。 幕府役人に追われ、勤王派にも狙われ、組は自然に消滅して行き残った者は全国へ散らばった。 原田新介が倉子城へ来たのはそんなころだった。 彼は薩摩を目指していた。京へ出て改めて、、大きな江戸幕府の屋台骨がグラグラと揺れているのが見えた。淀川を下って大坂へ、そこでは商人だけの掛け声が威勢よく響いていた。彼はその事にも嫌気がさしていた。 そこも棄てた。どうせこの世はどこで死んでも夢枕、彼はそのように開き直っていた。山陽道を下って白鷺、烏の城を斜めに見て、倉子城で一息ついた。幕府直轄地と云うのが気にいった。 段平を肩に背負って村中を歩いて押し込みの商家を捜した。 文久の三年続きの飢饉がより幕府の財務を緊迫させた。國民の窮状は目に見張るものがあった。そこで、幕府はいつもの愚作津留め令を引いた。倉子城も例外ではなかった。が、蔵出しで賑やかであった。 彼は橋の袂の下津井屋に目星をつけた。川の東にある代官所が気になったが彼も懐が淋しかった。「こざっぱりするか」 彼は川筋からひとつ入った床屋の前立ち止まった。「ここは何時もこんなに賑やかなのかね」 髷をまかせながら新介は尋ねた。「港ではありませんが、荷だけは沢山集まりますから・・・」 嘉平は当たり障りのないような言い方をした。それは丁寧な応えだった。「津留めと云うのは一品足りとも荷を出してはいけねえのではねえのけえ」 新介は言葉を膝に落とした。「ここは港ではありませんから・・・」 嘉平は客の横柄な態度に投げる様に答えた。「船に荷を積むのは荷出しではねえのけえ」 新介は津留めの事を餌にして難癖をつけながら嘉平を測ろうとしていた。「さあ・・・」 嘉平は何者なんだと思いながら面倒なことにならねば良いがと思った。「ここの代官は黙っているのけえ」」「さあ、それは・・・」 嘉平は津留めについては一つの考えを持っていた。が、見も知らずの一見の客に云うことはないとためらった。「悪と正直者の差は大層に開くことだろうな」 全くだと嘉平は相槌をうちたかった。「旦那はどちらからおいでなすった」「東だ」「ひがし、と云われましても・・・」「ここから東と云えば・・・大坂京に江戸・・・」「お言葉では、関東の様にお見受け致しますが・・・」「関東か、おやじはこの地から足を外へ出したことがあるのか」「どういうことで御座います」「おやじには東の訛りがある」 新介は決めつけた言い方をした。「ありませんが、この村には全国から商い人が集まりますから・・・」 嘉平はどきりとして慌てて筒込みを交わせた。 嘉平は何時もの威勢はなかった。何か得体の知れないものが背筋を走るのを感じたいた。「こわいか?」 新介は問った。どすの聞いた声音だった。「へい。・・・それは・・・。ですが、何か御用でここえ・・・」「ああ、薩摩への寄り道だ」「じゃあ、旦那は・・・」「唯行って見たいだけだ。風を起こし波を立てているのはどん奴か、出来ればこの目で確かめてえ」「さいでやすか、それではどうか向後の道程には充分のご注意をなさいまし」 嘉平は丁寧に言った。「ところでここの代官は何年なる」「ええ?」「ここえ来て何年なるのかと・・・」「へい。二年でしょうか?」「二年か・・・」「へい」「代官はどんな奴だ」「・・・といわれても・・・」 嘉平は答えようがなかった。「答えなれねえ様な奴か」 新介は嘉平の心を読んで言った。「そんな・・・役人といやああんなものでしょう」「あんなものか・・・ということは多くの代官を知っていることになるな」「旦那はなにがいいたいので・・・」「なに、言って見れば暇つぶしてえところだ」「お人が悪うございますよ」「有り難うよ」 新介はそう言って出て行った。 この村で事件が起こらなければ良いがと嘉平は後ろ姿をちらりと見て思った。 土間に西陽が遊び始めていた。その中で雀が群れながら餌を啄んでいた。 数日後の師走十八日の明け方下津井屋事件が起こり主人をはじめ全員が惨殺され全焼した。 その事件の後、村から原田新介の姿が消えた。 この事件を皮切りに村は大きく変貌し、幕府直轄の代官所が元長州奇兵隊によって襲撃される事件へと繋がって行く、その助走であった。 今、群雀(むらすずめ)は倉敷の銘菓として土産物屋の店頭を賑あわしている。皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・恵 香乙著 「奏でる時に」あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。 作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。恵 香乙さん山口小夜子さん環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~別の角度から環境問題を・・・。らくちんランプK.t1579の雑記帳さんちぎれ雲さん
2007年11月01日
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