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落ち込んでいても仕方ないのでまた弓の稽古に行く。今日は参加人数が少なく、しかし師匠と副師匠がお見えである。的前でどきどき。射終えてあらためて指導。「弓道は今は戦いのためのものではないから」「物騒な言葉はつかわないことにしてるんだけれどもね」「・・・あなたは、だめだね」「致命的、今、致命傷的にだめ」「昨日、基本基本と言ったでしょう」「そのことをあなた、なにひとつとしてわかっていない」「あなたのは弓じゃない」「子どものパチンコです」どおおおおおぉぉぉぉんん。そうでしたか。師匠に引かれて、道場に額に入れて飾られている『射法訓』の前に立たされそれを読まされる。音読。それをものしたのは幕府時代の弓界の名豪であるらしい。いわく。「射法は弓を射ずして骨を射ること最も肝要なり」「心を総体の中央に置き」「而して弓手三分の二弦を推し」「妻手三分の一弓を引き、而して心を納む是れ和合なり」「然る後に左右に分かるる如くこれを離つべし」 「書に曰く、鉄石相剋して火の出ずること急なり」 「即ち金体白色西半月の位なり」 もう開きなおって射場のほかの人が驚くくらい朗々と音読してみたものの、ほとんど意味不明である。「わかりますか」と師匠が問うので更に開き直って一語一句を問う。弓を射ずして骨を射る。これは哲学でしょうか。ホラーでしょうか。師匠が静かに説明を下さるのを聞いている。鉄と石がぶつかって火花が生じるかのごとく矢を放てと。西空に半月が昇れば宵の明星が反対側に輝くように世界の地平線を感じながら宇宙の輪郭をイメージしてその骨を弦を矢を心を解き放てと。それから弓と矢を手から離して、わたしは徒手の状態になる。そこから師匠に基本の一つ一つを再び(はじめて入門したときのように)手ほどいてもらった。足踏み(両足を開いて立つ)をしたところで急に師匠にドンと押される。よろよろ。うわぁあぶねぇ。(なにすんですか)「ほらね」師匠が言う。足を開くところから、なってない。足を開く距離(足と足の間の距離)は自分の「矢束」(矢の長さ)に等しくそれは身長の約半分の距離である。自分の日頃の足踏みは、あらためて測っていただいたところ身長の3分の1であった。狭すぎ。ぐぐぐぐとその距離(身長が165センチなので矢束は83センチ)まで足を開く。師匠にどつかれる。(なにすんですか。ちょっと予測してたけど)体が揺らがない。どうしてこう絵に描いたような展開なんだ。「ほらね」師匠が言う。それから「弓手」「妻手」の力配分。名豪の訓にあるように、右利きの人間ならば右(弦を引くほうの手)が概して強すぎるために体のバランスが崩れやすい。「知っているかな」師匠が語りだす。射場の皆も耳を澄ますのがわかる。「弓は、引くものじゃないんだよ」「押すものなんだ」ぎゃー。また哲学ですか。それとも問答でですか。よもやギャグですか。「押す?」「引かなくちゃ矢は打てないのではないですか」と、われながらどうして私はこう術策にはまりやすい単細胞であるのか。「と思うのが間違い」「弓は押すものです」「前へ前へ押す力があってこそ。そのバランスをとるために弦を開くのです」「あなたのはパチンコだとさっき言いましたが」「その意味がわかるでしょう?」「あなたは押していない」「ぜんぜん押していない」「ただ力任せに引いているだけです」「それは弓ではない」しばらく弓を持たずに矢も持たずに練習してみなさい。徒手でできない弓なら、道具を持ってできるわけがありません。基本に返って、ひとつひとつ大切にイメージしてみてください。初心にもどるしかあなたにこの先の道はありません。自己流でわちゃになってしまったものを撓めることができる技術は私にはありません。今もどれば、きっと、いそがずに戻れれば今わたしはひどいことばで致命傷なんて言った意味がきっとわかると思います。あなたしだいです。まるで橇を引くときに鞭をあてられる犬のように私は弓と矢を奪われ、体一つで道場に立っている。金星と半月? 地平線はどこだ?だが指針が見えてきた。もどろうもどろう基本にもどろう。休憩時に更衣室に戻ると先達に「よかったね」「とくしたね」と言われる。「師匠があんなにきびしくていねいに教えてくださることは滅多に無いことよ」「すごいことなのよ」「実際わたしもあの訓のこと、はじめて聞いたもの」お茶を飲んでいらっしゃる師匠の隣にすわると師匠が「手でちぎったんで悪いけど」半分に割った柏餅を下さった。柏の葉まで齧りたいほどうれしくありがたかった。「桜餅じゃないから。柏の葉っぱは硬いから食べられないよ」師匠がきちんとそこまで突っ込んでくださった。涙。
2007年04月22日
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『サッカーによせて』 (谷川俊太郎)けっとばされてきたものはけり返せばいいのだける一瞬にきみが自分にたしかめるものける一瞬にきみが誰かにゆだねるものそれはすでに言葉ではない泥にまみれろ汗にまみれろそこにしか憎しみが愛へと変わる奇跡はない一瞬が歴史へとつながる奇跡はないからだがからだとぶつかりあい大地が空とまざりあうそこでしかほんとの心は育たない希望はいつも泥まみれなものだ希望はいつも汗まみれなものだそのはずむ力を失わぬためにけっとばされてきたものは力いっぱいけり返せ★☆★ああ、いいなぁ、谷川俊太郎。旬が衰えないのがいいなぁ。新鮮な言葉というのはきっとあまり死なないのね。最大公約数になんか興味ないという態度がむしろ一番多くの人の心のネットを揺らすのかもしれない。へらへらな私だけれどときどきはどよよんと落ち込むことがあるのは人としてあたりまえだろう。今日はほとんど誰ともなんにも話をしなかった。それがどうした。いやどうもしないのだけれども。長い間シベリアに拘留されていた叔父は、凍土に碁盤を書いてまいにちまいにち誰とも話さずに(誰とも言葉を交わすことを許されずに)碁の独習をしていたそうだ。それほど行えばそれはトラウマになって石など握りたくもなくなるのではないかと思ったのだがそうではなくて今も碁がとても強い。そうして何ヶ国語も話せるのだ。すごいな。わたしはいつからこんなにだらしなくなったのだ。生まれたときからか。張り詰めた金属線のようにあろうとはおもわない。緩々でいいのだけれどももっともっと瞬発的には張り詰めなくちゃいけないのではないかとそうでないとシンから伸びきったゴムならパンツも落ちちゃうよ。ファイト、わたし。ちからいっぱい。
2006年06月19日
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