「ひと月に一本は映画館で映画を観る」というものであったのだが
今月久方ぶりに果たした当該フィルムは『アイアンマン3』である。
上映中でほかにピピピとくるものがなかったし深刻な気分になりたくなくて
「1」も「2」も『アベンジャーズ』も見ていないというのにいきなり3である。
どうなのその無計画な選択。我ながらとてもすてきね。
・・・・・。
・・・・・・。 ! !
わーい。
おもしろかった!
映画は娯楽であるのだから楽しめればもう最高。
ロバートダウニーがとにかくすてきー。キャー
突っ込みどころがあまりにも満載であるがそこがまた真面目に露骨すぎてすてきー。
バイオとか今となってはなぜか近未来的なレトロ感が漂うのがおもしろい。
『T2』や『オールドボーイ』を思い出したりもした。
あのころの未来に僕らは立っているのかなあ(スガシカオ)などという気分になりもした。
(「月に映画一本」の約束をした友人は今頃元気でいるだろうか)
(友人関係というのはふっと切れてしまうと)(ほんとうに切れてしまうね)
(しかし約束は)(律義に果たされはしていないものの)(ちゃんと)(ここに)(残った。)
なにはともあれ、『アイアンマン3』、おすすめ!
ドキドキしながら「んな馬鹿な~」とくすくす笑えるのが大人の太っ腹ってものよ?
ひとつほしかったねー。いや暑苦しいか当節着ぐるみは。重いし。笑
★
わたしは自分が話ベタなので必然的に他者の話を聞くのが好きになった。
どんなひとにも「ものがたり」がある。
そのひとにしかない物語がある。
本当に年齢を重ねるほど人というのはエピソードの塊であるなあと思う。
どんなひとでも子ども時代があり少なくとも義務教育を受けた経験があったりし
誕生日があり他者がありトラウマがあり時の層があり記録の場所がある。
ひとはその3Dのなかから一粒一粒の記憶を掬いあげることができる。しまいこむことができる。
磨くことができる。捨てることができる。常にともに在ることもできるし、気づかずにもいられる。
人間そのものがひとりひとりひとつひとつ、甚大で大切なエピソードの宝箱のようだ。
話をしてもらえるというのは他者の記録を少し分けていただけるというようなこと。
話を伺いながらその絵巻を手前勝手に脳に描く。
生きていない時を描き、生きていない場所を描く。
絶対にわかるはずのない他者の地図へ潜入する。
その勝手に畏れ多いこちらがわだけの悦び。
沈んでいるアコヤ貝をひきはがしそこに真珠がないかとさがしまわる泳げないあまちゃん。
どこだどこだそこはどこだ。
ひらいてよもっと。
閉じてしまってよもっと。
そのような会話を持てる相手に出会えるのは幸福だ。
知らない場所がじわじわと開拓されていく。
あなたがミューズなら、きっとわたしもそうなんだろう。
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